なんか誤解されているようですが、今だっていちげんさんは大歓迎です。
ただ、ネットや雑誌や情報誌で調べて電話してきたり、街を歩いて気になってやってきたり、クチコミで訪ねてきたりといったことが本当に少なくなっているのです。
「世の中が悪いんだ!」じゃなくて「わざわざ必要もないのに世の中を良くするつもりで悪くしてるそこのお前、明るい夜ばかりだとは思うなよ」の方が言いたいことかな。同じだといえば同じだ。
あとあなたに両親切れ的な事言われるのはちょっと違いませんかね。私は共倒れますよ、もうそう選択したから。そして犠牲を増やしたのは私の判断ですが、自粛を呼びかける人にも責任があるんですよ。
早くいつも通りの生活に戻ってくれー
メルトダウンもしないし日本も沈没しない。たった一万人程度が死んだだけなんてつまらないB級映画並のイベントだな。
たまたま日本海側だったから震度5強程度で済んだけど、電気が回復してみればマジでくだらないな今回の地震と津波。
中国の地震みたいに八万人くらい死ねばよかったのに。しかも最大級とか言ってた割には最近の地震の中では五番目くらい?なにそれ微妙。やっぱ一番じゃなきゃ。
日本って地震起きても大したことにならないからつまらん。死ぬときは一気に死にたいし、どうでもいい地震ならさっさと復旧してください。あーマジで迷惑だわ。東北で地震とか。関西あたりでやってくれよ。それか俺が一気に死ねるように日本海側でやってくれ。今度はM10.0で頼むよ
まわりにやいのやいの言われたけどディナーが楽しみで来た、妻の誕生日は年に一度しかないのだ、という旦那さん情報。
その旦那さんによればゴルフに数人でいこうとしたら一人の参加者の奥様が不謹慎だから行かないでとか散々言ったとかで、その参加者は「経済を回さねば義援金も出せないのだよ」と奥様を説得する必要があったとか。
今の予約客が本当にその店を評価しているなら戻ってくるし
評価されないなら、一見さんも受け入れる原点に戻るしかないんじゃね?
自粛ムードは「贅沢」に対してされるもので、
これは自粛だけでなく「不況」でも同じ。
切り捨てるべき対象とみなされてしまったなら
そうじゃないように努力、変化すればいいと思う。
(”名前”で売っている所だと、下手に贅沢感を捨てると逆に死活問題だから、別に悪くない)
今を凌ぐ努力をすればいい。
増田が言っているのは「世の中が悪いんだ!」と同じ甘えだよ。
選択肢はあるはずなんだから、我を貼りすぎない為のラインは必要。
ただ、それまでの間のつなぎさえ一銭も出したくない、ならそう言えばいいんじゃないか?
そうすれば、両親は変化を選択するまでのタイムリミットを短く設定できる。
他人だけを悪者にする前に、努力できる事、
僕はヒキニート。自分の部屋に開いた小さな窓から外の世界を眺めている。
一応、第一次氷河期にブラック企業とは気がつかずにかろうじて就職して、ココロの病気扱いになって、退職。今は親の蓄えで何とか生きている。
前向きの可能性が縮小し続ける中、僕のエンディングに向けて、静かな日々を送っていた。
西暦2011年3月11日、揺れた。僕の2階の部屋も揺れた。「3.11」この日付は忘れないでおこう。
たくさんの人が亡くなった。
この先、さらにたくさんの人が亡くなりそうな勢いだ。
僕はロクな死に方をしないだろうなと思っていたけど、まだ、生きている。
突然の死の宣告は無情だ。人を選ばない。
同じ世界の空の下にいるはずの大学の同期のやつらのことを思い出した。
結婚式やマンションを買うとか僕とは違う次元のイベントを経験していた彼らの状況はどうなんだろう。
僕は、淡々と両親の介護し、その死を受け入れて、最後に静かに自分の自然死を受け入れるだけの存在だ。
これといって失うものはない。
嫁と子供と家と失いたくないものを全部持ってしまった人は今どんな気持ちなんだろう。
失いたくないよね。きっと。
原発はまた使えるように止めようして、取り返しがつかなくなった。
辛うじて街は生きているけど、ピーク時に電力が3割足りなくなる予想が出ている。
足りない分を集めて何とかしようと動いているけれども、電力が足りない分だけ取り返しがつかないことになるかもしれない。
東京という繁栄を失いたくない人が多いことは間違いがない。
集積による繁栄を是としてきた建前、分散化や冗長化、少しでも繁栄を手放す議論は許されないだろう。
たとえば、畑にまく水が必要量の7割しかないのなら、すべてに水をまくのをあきらめて、7割を生かすようにするだろう。
それが予想できるならば、3割は別の畑で育てるように作物を移す選択肢が現れる。
ここまで、電力の流れで「東京」って言葉で説明してきたけど、それを「日本」に置き換えることもできる。
縮小均衡への道は、すでに既定事実だったけれども、魔法の燃料棒が繁栄の源でそれを覆い隠していた。
魔法の燃料棒に頼ることはこの先あまりできないかもしれないし、封印されるかもしれない。
急に明日から死んでくださいと言われるのならば、6ヶ月後に死にそうなので別の選択肢を考えていただけませんかと言われたほうが余程ましだ。
政治家が論理的に考えないって話。賛成派の政治家は、超弩級の賛成は工作をするし、反対派はその逆。おかげで、論理的な原発論が展開できなくて困ってる科学者が居る。って話。
新聞もテレビも報道って、あちこちのつまみ食いで情報が整理されていないからなと思いつつ
「この避難所から疎開した人はほとんどいなかった。」→「この避難所から疎開できた人はほとんどいなかった。」ならば
行きたくない人と、行けない人。
それから、行けない中でも、心情的な物と、選択さえできない人がいるはずなんだけど
この記事の書き方だと「行きたくないけど疎開した人に対して、心情で行けるけど疎開しなかった人が文句を言ってる」構図を作っている。
多分、責任者の人は立場、心情から行かない事(行けない、とも言える)を選んだけれど
行けなかった人を思いやって、都合良く”お泊り”で戻ってくる事に不快感を示していると思うんだけど。
”掃除に戻る”くらいなら、せめて他の人を入れ替わりで疎開させろよ、と。
悪意とまでは言わないけど、こういう書き方に脊髄反射しちゃいけないと思う。
意外に痛みから逃げるためにも動くよ。
疎開できる人は疎開したほうがいいのはガチ。とくに、妊婦さん・乳幼児のママさんはガチ。
とはいえ、出産前の妊婦さんを長距離移動させるリスクと、放射能のリスクどちらが多いか?というのは、個人個人で違うので、医者とよく相談しないとマズイ。
偉い人も言っていたけど、極度に水を避けることによる脱水症状の方が危険という奴。
具体的には、疎開できない、いわゆる無縁社会に属するワープア シングルマザーとか、どうしたらいいのよ?という事を考えたほうが建設的だとは思う。
周りでも、疎開できる人からすでに疎開している。いまは、出来ない人が多いんじゃない?
関東は計画停電で暗いからとか言う理由で子作りをしなければ、新たな被害は防げるだろ。いま子作りするとか、リスク考えてないことをしなければいいんだが。
正論で人が動くと思っている人間は、それを指弾すること自体が快楽になっているので、それを理解出来ない。
叩けるものは叩き、利用出来るものは使う。
それが真実。
諦めろ推進派よ。
諦めろ都条例反対派よ。
そうかねえ…
そもそも街を歩いている人間自体が激減してたりするんだ。
どうやら「楽しむ」ことを「見られる」ことに抵抗があるらしく、弁当を店頭で売ったり配達したりするとそこそこの金額でも出る様子、新しい提供形態に移行する店も出つつあるそうで。
たまに聞かれるんだが、いつ頃からかアホらしくて答える気にもならなくなった。それでもまだ聞いてくるヤツがいるから呆れる。私と同じ立場だったとして、理性があれば本当にそんなことを考えるだろうか?それとも、単純に相手が私の立場を見えていないだけだろうか?
確かに、同世代で結婚している人間もいるし、子供がいるヤツもいる。友人の中にもいる。でも私にとっては、そっちのほうが特殊に見える。それが彼らの当たり前なのかもしれないが、少なくとも私にとっては特殊だ。だったら単に私のことが見えていないだけなんだろうな。私は特殊なんだろうか。果たして。そうは思えない。とても。
27歳。団塊ジュニアより5年ほど下か、ゆとりより5年ほど上か。
我々と大体同世代になるのは、サカキバラの東くん、バスジャックのネオ麦くん、芸能人はよく知らないけど、最年少で芥川賞だった人とか、思いつくのはそれぐらい。
我々の世代の流行といえば、イジメ、キレる十代、円光、バタフライナイフ、オウム真理教、あとなんだろう、時事としてはそんなもんか。
ソ連も一応は知っている。ベルリンの壁も知っている。教科書でも習った。ソフホーズとかコルホーズとか、五カ年計画とか、過去としてではなく。
私は映画が好きだったから、子供の頃はベトナム戦争の映画ばかり見て育った。洋画と言えば、ハリウッド映画と言えば、どこもかしこもベトナム戦争だった。
バブルも崩壊直前直後だけを知っている。平成米騒動とかもあったっけ。覚えてないけど。
小学生の途中で土曜日は完全に休日になった。確か卒業間際だったと思う。
小学校は4クラスあった。中学は6クラスだった。我々以降はどんどんクラスの数も減っていっていたと思う。少子化の走り。
失われた20数年とかリーマンショックとか重なっているけれど、もう物心ついたときにはそういうのは当たり前。
日本が経済世界一だったことがあるってのも幼い頃の記憶であるかないか程度で、実感としては残っていない。
だから、老人が言っていることは何一つ信用できないし、そもそも老害としか思っていないし、老人が作った会社も信用していない。そしてその老人が作り上げ、老人にて成り立っているこの社会も信用していない。参加したいとも思わない。早く逃げ出したいというのが本音だ。
老人は我々を食い物としか思ってないだろう。我々を奴隷としか思っていないだろう。彼らは自分の息子に対してでも、まともに人扱いしているのか疑問に思う。私から見れば、彼らは自分にへつらうか、同調するか、そういう人間以外は取り合わない。取り合ったところで果たして人間扱いしているのか、上手く使おうとしているだけにも見える。そして、私はそれだけは絶対に出来ない。吐き気がする。
今思えば、そういう反発、反発ではないな。脱却、逸脱、それはずっとあったのかもしれない。子供の頃から、学生の頃から。大人になっても。
老人と若者の世代間闘争とか、感覚のズレとか、大昔からある話だと言うけれど、今と昔が違うのは、その数の割合であって、社会が成熟した今は老人が圧倒的に多い。若者の反発などは、存在したとしても見向きもされないほど無力だ。そのことが老人には理解できるだろうか。丁度今中国と日本が戦争するようなもので、力も数もジジイたちが握っている。我々は既に諦めている。
私は外国のニュースを見るたびに思う。40代の首相がいる国だったり。26歳のCEOが老人たちの会社を、一瞬で、理解も出来ないようなサービスで、追い抜いたり。老人たちはその自らが作り上げた狭き共同体の中で、どう考えているのだろうか。狭い中で権力を奮ってはいるものの、それが井の中の蛙であるということに対して、そしてその井戸は、自らの無能によって自ら侵食や崩壊を招いていると言う事実に対して。老人帝国は無視されて終わるか、食いつぶされて終わるだろう。このままだと。私は別にどっちでもいい。同国人として多少なりとも憂う気持ちはあるけど、関係ない。どうしようもない。
一芸がある人、世渡り上手な人、金のある人、上手くいってる人は同世代にだっていくらでもいるだろうから、彼らはただ好きにがんばってください、としか言いようがない。ただ、それらを何一つ持ち合わせていない私のような人間は、ただただ毎日を成り行きに任せて過ごすしかない。普通の人が普通に暮らし、普通に過ごせて普通の人生を歩み、普通の生涯を終える、そういう絵に描いた普通は、今の私にとっては理想でしかない。理想、理想ですらない。私はそういう普通を望むことすらしなくなった。どうでもいい。
基準値を引き上げて出荷したら、ますます買い控えで売れなくなる
他方 基準値を引き下げて、出荷自粛したばあい、あとから、東京電力に損害賠償を求められる。
この場合、損害賠償求めたほうが、出荷して売れないより得じゃね?
賠償したくないから、基準値が上がってるのに、さらに上げろとか、意味不明だと思った。
安全安全、って叫んでるけど 全く付着していない水と、混ざっている水 バカじゃなければ、同じだとは思わない。それを安全って言えば言うほど
嘘をついている。安全ではない。不正確な表現で売ろうとするCM表現だ!と 危機警鐘を鳴らす力を強めなければいけない。
つまり、安全だと叫ぶ人がいるほど、危険だと叫ぶ人が増える。
反面、文部科学省のように、淡々とデーターだけを出して、危険か安全かの判断をユーザーに任せれば、
データーの統計から見て、もう1度大きな事故がなければ、WHOの水質基準に照らし合わせても年間取得上限を超えない地域が大多数ということが分かり
安全だと言わなければ、皆が安心するのに、 なんで、わざわざ、安全だと言って 危機感を募らせるの?意味不明すぎる。
安全だということばを信じろって、詐欺の手口だから、一番信用しちゃダメだろ。オレオレサギじゃないんだから。兎に角データーに基づいて
レントゲン>>CTスキャンみたいな、CM的手口を使わず、淡々とデーターや、複数の人の とくに 一番危険だと思っている人がなんと言っているのかを出さなきゃ。
いや、それでいいと思うよ。
糞みたいな店が多いけど、こうゆうとき本当にいいお店には客が戻ってくる。この状況はリトマス試験紙だ。
もし君の両親のお店があと一ヶ月たっても状況が変わらないとしたら、それは店を畳むべきだというシグナルだ。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103260419.html
一方、残る側も複雑な思いだ。「今の仲間を捨てて、旅館なんかに行けないよ」。300人を超える被災者が身を寄せる釜石市の避難所の責任者はつぶやいた。
旅館に移る人から「家に戻って(津波で流れ込んだ泥などを)掃除する際には、またこの避難所に泊めて下さい」とも言われたが、納得できないという。「我々を捨てて出て行って、都合のいいときだけ泊めてくれなんて」。この避難所から疎開した人はほとんどいなかった。
何コイツうぜええええ!
と思ったのは、俺だけじゃないハズ…。
両親がビストロをやっておりまして。両親が放射性物質にやられる前に自粛ムードに殺されてしまいそうです。
震災直後、予約は全てキャンセル。食材はなんとか確保できるものの、客が全く来ません。
ランチは多少来るものの、夜はさっぱり。売上が8割から9割の減少です。店あけている意味が殆ど無い。
キャンセルした方は単に楽しむ気分じゃないという方もあれば、せっかく予約してあったしこんな時だからこそ美味いもんでも食べて元気だしていこうかと思っていたにもかかわらず周囲の人に「不謹慎だ」の大合唱をされて断念した方も。震災後に予約して同じようにキャンセルするはめになった方も。
本人が食事する気がしないのはそれは仕方ないです。でも人が空元気を振り絞るきっかけにしようとしたことを、「今楽しむなんてクズ」って叩き潰すのやめてよ。
近隣の飲食店にも、厨房をカラにしてでも呼びこみに行く状態になっている知り合いが多いそうな。
このままだと私も両親に仕送りを再開するはめになるので、貯金が底を付くのと残業代を稼ぐ体力がなくなって倒れるのとどっちが早く訪れるかという状況。
そりゃあさ、津波来たところはひどい状況だとは思うよ。その地域のことを思いやるのも良いよ。でもさ、わざわざ被害を拡大させるのってどうなのよ。自粛自粛って叫んでまわれば被害広がるんだよ。勘弁してくれってんだ。