はてなキーワード: 人を動かすとは
IT業界で、昔はSESで働いていて、大手によく客先常駐していた。どこも大手ばかりでノウハウはしっかり蓄積され、設計書なども充実していた。
SESを脱退し、そこそこ大手のIT企業の正社員になれた。しかし、そこはこれまでのSESで客先常駐していたような企業とは違い、あまり体制的には良くはなかった。
工数管理は基本中の基本であり、やらないIT企業はなかなかないだろう。しかし、当社は違った。
1日に何をしたのか、報告の義務はなく、ただ作業していればよかった。
工数管理とは、案件ごとに工数管理のための番号(工数番号)を振り、さらにその工数番号ごとに要件定義、基本設計、詳細設計、実装/単体テスト、結合テスト、総合テスト、などのサブ番号に分割して、工数を登録することである。
さらにセキュリティ教育などは個々の案件と無関係なことが多いので、維持管理用の工数番号が振られていることもある。
リリース後のトラブル対応なども工数を消費するので、それ専用の工数番号などもあったりする。
さらに、日々の工数を詳細に記載する日報のようなものも導入しているところが多く、どの作業に何時間作業したかを15分単位などで記載する。
工数管理のいいところは、作業をサボりにくくなることだ。作業効率が客観的に見えてしまうため、現実を突きつけられ、もっと頑張らなきゃ、と思う。
工数管理のだめなところは、とにかく面倒くさいことだ。当然だが、工数管理を行うための工数、は工数管理には入力できる枠はない。が、確実に無視できないレベルで工数を消費する。あとトイレなどにつける工数などもない。
しかし、活用されておらず、形式上だけ数字さえ入っていればそれでいい、というものだ。
その形式上すら煩わしいらしく、若手の意見をバリバリ言う人から、
・工数管理は全く意味がない。適当な工数を入力していても誰もチェックしていないのか、何も言ってこない。
・工数管理をしっかりすれば、1日に働いた時間がわかるのだから、勤怠システムは不要である。工数管理システムと勤怠システムを一本化すべきだ。
などの意見が出ていた。
そりゃあ工数管理が根付いてない企業に工数管理を行えばそうなるでしょう。
工数管理は業務に結びつくものではなく導入メリットは明確には測れない。しかし、めんどくささは圧倒的だ。
結果、工数管理システムは完全に廃れ、入力すらしなくても誰も何も言わなくなった。
つまり、当社はよく言えば従業員の意見が通りやすい、悪く言えば従業員のわがままが通ってしまう企業なのだ。
従業員の意見を尊重し、押し付けをせず、それぞれのルールを重んじる。良いことであるが、それでは業務は改善できない。
これまでもそこそこやれてるのだから、それを無視して新ルールを導入しても、組織が壊滅する可能性が出てくるだけだ。
工数管理は基本中の基本だ。どこもやっている。それすらも当社は従業員のわがままが通ってしまうのだ。
(まあ当社の工数管理はテキトーだからダメだったのであって、もっと厳密に管理して、日報なども義務化すれば、これまでサボってた社員もサボれなくなり、結果的に業務は改善していたと思うが。)
PDCAはPlan, Do, Check, Actionの頭文字を連ねたもので、つまり、まずは予定(Plan)ありき。予定がないと実行(Do)はしてはいけない。
実行した後は必ず振り返り(Check)を行いなさい。
当社もPDCAの概念はあるし、週報という形でそれを実現している。
しかしその概念は根付いておらず、週報以外ではPDCAは無視している。
つまり当社は、まずは実行があり、計画は立てることは必須ではない。多くの人は計画を立てない。
振り返りも当然実施しない。実行のみがある。Do, Do, Doである。
これは作業者レベルでそうであるし、案件レベルでもそうだ。案件はたしかに最後には振り返りの資料を作成する必要がある。しかし、これは単に作成しなきゃいけないから作成してるだけで、綺麗事をまとめた振り返りである。
本来は、まずは理想を語り、次に現実を語る。しかし当社は、過去をグダグダ言っても仕方ない、と理想を一切語らず、現実のみを語る。しかし振り返り資料には上司受けするような荒唐無稽な対策が記載される。
当社は、作業の前には計画ありき、などの文化は全く根付いていない。優秀な人間でも根付いていない。
私はただの平社員なので、それらについて指摘はできない。指摘したところで「じゃあどうするの?」と詰められて終わりだ。指摘するなら十分な資料の作成と具体的な対応策の準備、そして責任と人を動かすカリスマ性が必要だ。私にはそれらを準備してまで無駄に頑張る気はない。
と書かれていた。
本来は、業務改善は個々のチームだけの問題ではないので、上層部でマニュアル化してルール化すべきではないのか?
アイデアは個々のチームから出してもらっても良いだろうが、それを取りまとめて全体で取り組ませるのは上層部の役目ではないのか?
それをなぜ、個々のチームに依頼する?
業務改善といえばマニュアルの作成や設計書フォーマットの作成だ。
それは能力の低い人でもマニュアル通りに作業することで能力の高い人と同等の仕事をできるようにするためである。
しかし、当社はマニュアルを作る習慣はない。自分用のメモは作るが、維持管理に使えるマニュアルは誰も作らない。
フォーマットがあるだけで記載漏れがかなり減る。考慮漏れも減る。作業が具体化されるからタスクも細分化して記載できる。
当社には推奨するプログラミング言語はなく、推奨のフレームワークもない。
これらが共通化されていれば、開発者がいろいろなチームに参加しやすくなるし、別のチームの有識者に相談しやすくもなる。
こういった業務改善は本来は上層部が率先して枠組みを作るべきだ。しかしやらない。
上層部に知識がなく、やるとしたら雑な仕事しかしないから、やられると逆に困るのだが。
当社はとにかく従業員の声が大きい。強い。
業務改善などの施策を出しても、従業員が納得しないと続かない。
そういう文化を変えるのは並大抵のことでは出来ない。
環境が変われば人は変わるだろうが、そもそも環境を変えるには人を変えないといけない。だから変わらない。
仕事が回らなくなり死にかければ変わるかと思ったが、たぶん変わらない。
仕事の仕方を変えるくらいならきっと死を選ぶだろう。それくらい変わらない。
2024/05/15 10:48
工数管理すべきなのは、成果物ではなくサービスを提供する人なのかもしれない。例えばPMなど。
当社の開発チームは、開発者やPM以外にも、君必要なの?何やってる人なの?打ち合わせには参加してるけど、ただの工数食い虫じゃね?みたいな人もいるのです。
文春砲の後、松本およびダウンタウンを崇め奉る記事は多数書かれているが、その多くで「ダウンタウンは笑いの天才である」という表現がある。
以下の記事でもダウンタウンは、いじめや無礼を平気で行う悪童キャラとして「時代に求められた2人」だったとブレイク当時の様子を書いている。
デイリー新潮「常識の修正を拒否した松本人志、ダウンタウンに批判的だった横山やすし…「天才」2人の歩みは今になって重なる」
とはいえ、当時から賛美一色ではなく、苦情の投書も多かったことは併記されているのだが、
ダウンタウンの笑いが受け入れられなくなっていったことを「時代のせい」にしていることは問題である。
この記事では「お笑い人の常識が時代とズレるのは珍しいことではない」とし、
かつての大物芸人も自分の常識を修正し、時代に合わせてアップデートしてきた人が何人もいたと書いているが、
そういう人たちは、単にやっちゃだめなことをして怒られて、反省して常識的になっただけであり、決して「時代のせい」ではない。
あえて時代的背景ということを考えるのであれば、
ダウンタウンがブレイクした時代は、日本社会全般として、今より上下関係が厳しかったり、若い人に対するシゴキというかパワハラが酷かったのかもしれない。
年上世代に日々苦渋を舐めさせられている若者たちがダウンタウンのテレビに魅力を感じる理由があったとすれば、
若い2人が先輩に楯突く様子がカッコよかったり、どんな人の前でも傍若無人な振る舞いをするダウンタウンに憧れたりしていたのかもしれない。
だがそれは、攻撃的な気持ちを発散させるための一時的な憂さ晴らしに過ぎず、「笑い」と呼べるものだったのか、自分には疑問でしかない。
この記事では、松本はアップデートを拒否したとして「一方で自分が納得することが第一だった松本は修正しなかった。むしろ積極的に修正を拒絶した。」と書いているけど、
前にバズっていた『教養がないと冗談のレパートリーが、セクハラとパワハラと下ネタだけになる』という話じゃないけど、
「教養を意識して身に付けなさい」という父にその理由を聞いたら「教養がないと冗談のレパートリーがセクハラとパワハラと下ネタだけになる」とのことで納得した
https://b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F1832733
(パクツイらしいけど)
結局のところ、松本は何歳になっても教養や社会性を身につけることができず、
「わがままを言って大暴れして周りを恫喝する」以外に人を動かす方法を学べなかったというだけのことなんだと思う。「天才」がやることじゃないよね。
まぁ、こういう暴力的な幼稚性を持った芸人の威を借りて、やりたい放題やっていた吉本やテレビ業界の連中も共犯ではあるんだけどさ。
真っ二つに斬られる「首」の一文字が、これからのストーリーへの広がりやこの作品における「首」の意味を観客に意識付ける。
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まず、見終わったあとの感想として、単純に面白い!という感想が残った。映画って、それなりのお金を払うコンテンツとして鑑賞し終わったあとのずっしり心に残る感じとか、教訓があればあるほど価値のあるものと思っていたフシが自分にはあったけれど、この映画はただただエンタメだと思った。2時間弱があっという間だった。
映画コンテンツに対していろいろなバックグラウンドを持たない自分としては「いいエンタメ作品を観た」というのが一番の感想でした。
加瀬亮は最高だったし、いつもの一本調子な演技がいまいち好きになれない西島秀俊の明智光秀も好きでした。
男色は普段あまり触れない分野なので理解はできないけれど、この時代の人を動かすには十分な理由になると自然に納得できた。
なにより、結末を知っている物語なのに飽きずに見られたのは、役者さんがその役をどう演じるかを期待して見ていたからなのかもしれない。
合間の舞や能も興ざめにならず物語を盛り上げていたし、映像もthe映画って感じ。劇場で見るの最高ね。
もう一回みたいと思いました。
他人の心を動かすには、その他人に誠実な関心を寄せることが大事なのだという。だが他人に関心を持つのは難しい。
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D・カーネギーの「人を動かす」という本の中にこういう一節があった。
「まずあなたが相手に関心を持たないとすれば、どうして、相手があなたに関心をもつ道理があろうか?」
まあそうだろうな、と思う。
他方で、これは難題だな、とも思う。
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自分のことを振り返って考える。他人に関心を持つのは難しい。たとえば職場のひとの家族構成なんかは興味がなくて話を早々に切り上げがちだ。自分の友人、親友、親、配偶者の順に関心は増す。これは、順に自分の人生への関係度が高まるからであろう。畢竟、自分自身のことにしか興味がない。
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好きなまんが、好きな映画、小説、作家、曲、アーティスト、芸能人、Vtuber。
推し活コミュニティや趣味のコミュニティが成立するのは、「物語」が関心の架け橋になるからだ。相手のことには興味は持てなくてもコンテンツには興味が持てる。ここで大事なのは、共有された物語でなければ意味がないということだ。いくら好きでも、自分の配偶者や子供や親の話は、他人との話題(コンテンツ)にはならない。共通の知人の話であれば、少しコンテンツになりうる。自分の子供の話でも、エッセイ漫画化するなどして、コンテンツ化を図るやり方もある。
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他人の心を動かすには、好きなコンテンツを持ち、それを語ればいい。好きなコンテンツを介して、他人と繋がりあうことができ、距離が縮まり、心を動かすことができる。以上。
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余談:
しかし上記解決策にもわたしは困難を感じている。わたしはうつ病なのである。好きや関心が摩耗していく病だ。
それに「いいね」疲れもある。昔はSNSで好きなコンテンツを語り、それに「いいね」をもらったり、他人の語りに「いいね」することで、コミュニティに所属していたこともあった。昔はそれが楽しかった。今は老いた。自分が好きなものを他人と共有するなんてぞっとする。こうして自ら孤独の道を歩むのだろうか。
増田はすごくがんばってると思うし、怒りももっともだと思う。私も一時期、働かない男性を養っていたことがあるから、相手がいつもグータラしてることに怒りがわいてきて、関係がこじれてよく喧嘩していた。
でも「年収が低いんだからそのぶん家事をしろ」というのは、互いの認識が一致していないならモラハラに近いものがあると思うので、増田も考え方を変えたほうがいい。
それに、年収と疲れ具合は比例しない。ハードで年収が低い仕事もある。増田の夫は疲れやすいとかグータラしたいタイプなのかもしれないけど、グータラな人は年収が低いとも限らない。私は年収そこそこあるけど、家ではグータラしてるタイプ…。
増田が本当に思っていることは「自分ばかりに負担がかかっていてつらい」から「家事を分担してほしい」「協力してほしい」「いたわってほしい」ということだと思う。
まず、増田がしんどいなら家事をサボってもいい。とことんサボって、夫が文句を言ったらやってもらうという手がある。増田がしんどい思いをして先回りしてやってるから、夫は家事の必要性に気づいてないのでは。
それから、夫が家事をやってくれたらなんでも褒めること。もちろん手際も悪く適当な仕上がりかもしれないけど、目くじらを立てて怒ってはいけない。家事が少々雑でも死にはしない(育児は別だが)。「ありがとう! すごく助かる!」と大喜びすることが大事だ。
男性は女性が喜んでニコニコしてくれたら幸せを感じるので、もっと喜ばせようと思ってがんばってくれるようになるよ。
サレンダード・ワイフ 賢い女は男を立てる (知的生きかた文庫―わたしの時間シリーズ)
夫や人に動いてもらって大切にしてもらうにはどうすればよいかが書かれている。
ちなみに、これは女性が我慢しろという話ではないので誤解しないでほしい。互いに主張して非難し合うだけでは相手は変わらないし、自分の不満も募る一方。だから互いに歩み寄れるように、こちら側の対応を変えてみるということだ。
最初はこちらが折れたり下手に出たりしないといけないように見えるけど、実践するうちに、こじれた人間関係を修復するために必要な努力なんだなとわかってもらえると思う。
夫はダメ人間ではなく、何をしたらいいのかわかってないだけだと思うから、ダメな奴と諦めずに、こちら側がポテンシャルを引き出すよう努力するほうがいい。これからも関係性を続けたいならね。
あと、夫には働き続けてもらったほうがいいと思うな。