2023-08-21

関心を寄せなければ他人は動かない、だが他人に関心を持つのは難しい

他人の心を動かすには、その他人に誠実な関心を寄せることが大事なのだという。だが他人に関心を持つのは難しい。

-

D・カーネギーの「人を動かす」という本の中にこういう一節があった。

「まずあなた相手に関心を持たないとすれば、どうして、相手あなたに関心をもつ道理があろうか?」

まあそうだろうな、と思う。

他方で、これは難題だな、とも思う。

-

自分のことを振り返って考える。他人に関心を持つのは難しい。たとえば職場のひとの家族構成なんかは興味がなくて話を早々に切り上げがちだ。自分の友人、親友、親、配偶者の順に関心は増す。これは、順に自分人生への関係度が高まるからであろう。畢竟、自分自身のことにしか興味がない。

-

これを打破するのが「物語コンテンツ)」だ。

好きなまんが、好きな映画小説作家、曲、アーティスト芸能人Vtuber

推しコミュニティ趣味コミュニティが成立するのは、「物語」が関心の架け橋になるからだ。相手のことには興味は持てなくてもコンテンツには興味が持てる。ここで大事なのは、共有された物語でなければ意味がないということだ。いくら好きでも、自分配偶者子供や親の話は、他人との話題コンテンツ)にはならない。共通の知人の話であれば、少しコンテンツになりうる。自分の子供の話でも、エッセイ漫画化するなどして、コンテンツ化を図るやり方もある。

-

他人の心を動かすには、好きなコンテンツを持ち、それを語ればいい。好きなコンテンツを介して、他人と繋がりあうことができ、距離が縮まり、心を動かすことができる。以上。

-

-

余談:

しか上記解決策にもわたしは困難を感じている。わたしうつ病なのである。好きや関心が摩耗していく病だ。

それに「いいね」疲れもある。昔はSNSで好きなコンテンツを語り、それに「いいね」をもらったり、他人の語りに「いいね」することで、コミュニティ所属していたこともあった。昔はそれが楽しかった。今は老いた。自分が好きなもの他人と共有するなんてぞっとする。こうして自ら孤独の道を歩むのだろうか。

  • フェミニズムによって「相手に関心を持つこと自体が罪」という価値観が作られてしまった。 だからもう規則で縛って金で背中を押すしかない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん