はてなキーワード: 「真」とは
観測範囲が狭すぎると言われるのはわかるんだけど、本当に見たことがないし、そんなにインフルエンザに対する理解が低い人がいると思えない。
営業兼ディレクターだからいろいろな企業さんいっては打ち合わせしてっていうのをひたすらやってるけど、どこの人もこの時期、こちらが話をせずとも「インフルエンザ流行ってきましたね」とか「御社さんはどうですか?」とインフルエンザにかなり敏感だ。
「インフルエンザでも出社しろという上司」がいそうなライン工場系の職場も数社あるが、そんなところだ。
むしろ「インフルエンザ危機」が話の種になるレベルでみんなインフルエンザに対して関心が高いように思える。
ニュースになるような記事も、この前の電車のホームに落ちたのはインフルエンザに罹っているにも関わらず、皆勤賞のために出社をしたという話で、それに対して「皆勤・出社至上主義をどうにかしろ」という話ならわかるが、「インフルエンザへの理解の低い老人が日本の癌(意訳)」というような批判になるのは疑問である。
日本全体でインフルエンザを驚異に感じているからこそインフルエンザの理解が一般層に広がっていると思える。
だからよけいに「インフルエンザでも出社しろという上司」という層が信じられないという自分の見識不足があるのは認める。
ただ「インフルエンザでも出社しろという上司」という存在が、Twitterのような誰でも発言できる場所で多く語られて、それがあたかも絶対的な「真」であるという流れについていけない。
聞いてほしい。
はてなー達の思考や言動は、次の2項3軸、計6つに分けられると思うのだ。
偽 ⇔ 真
悪 ⇔ 善
醜 ⇔ 美
これらを順に説明したい。増田であれ、ブクマカであれ、おおむねどの項目にも思い当たる人間がいることだろう。
はじめに「真」なるものの対極を考えよう。すなわち「偽」である。
あなたが他人を「偽」に導く傾向があるならば、あなたはソフィスティカルなのはの一派に属する。
あなたは圧倒的な説得力と拡散力を持って、嘘の情報を流通させることができる。
嘘の内容は、人や社会の行く末を左右する重大なものかもしれないし、身の回りの出来事のレベルに留まるかもしれない。
注意しなければならないが、本来ここに分類されるのは、意図して人を騙す者のみである。しかし「真」なるものを志向していても技術が不足すれば容易に「偽」に転じてしまう。
あなたがどの立場であろうと、何をもって真偽の判断を下すのかは慎重に考えるべきだ。
あなたがこの立場にいるならば、真理を主張するためには相応の技術、忍耐、慎重さ、そして誠実さが必要であることをあなたは知っている。
荒唐無稽な意見を見ても傾聴せよ。正しいのは相手の方かもしれない。
不快な放言を投げかけられたら自省せよ。あなたに見えていない真実を相手が見ているかもしれない。
あなたの考えが論理的であればあるほど、第三者からの攻撃には弱くなるだろう。それが論理の本質である。
真理に至れるのは、自身のその弱さに、そして弱いままで居続けることに耐えられる者だけなのだ。
それは利得のためかもしれないし、偽善者の自己欺瞞を白日の下にさらすため、あえて露悪的に振舞っているのかもしれない。
あるいは、純粋な復讐心に突き動かされているのかもしれない。はたして、苦しみに満ちたこの世の中で悪意を抱かずにいることは可能だろうか?
どちらかといえば、あなたの拠り所はあなた自身の中にある悪意であり、それをぶつける相手を具体的にイメージしているわけではないことが多い。
ただ、あなたが好むと好まざるにかかわらず、あなたの悪意は周囲に伝染し、永遠に新たな悪意を生み出し続けるだろう。
しかし場合によっては逆説的に、同じ苦しみを持つ人を慰める結果となるかもしれない。
あなたのあらゆる行動が、そしてあなたが取らなかったあらゆる行動が、常に無数の可能性を生み出し続け、あなたはそのすべてに責任を持とうとするからだ。
善悪の判断は何よりも難しい。あなたは悪を滅ぼすことこそが善だという考えに与するかもしれない。
あるいは、悪の敵は別の悪だと考えて、ひたすら悪から距離を置こうとするのかもしれない。
場合によっては、あなたはあえて深く考えず、ただ素朴に善くあろうとするだけかもしれないし、それが多くの人を元気づけ、本当に世の中を善くするかもしれない。
人をあざ笑ったり馬鹿にしたりすることを是とするあなたは、シニカルなのはの一派だ。
エビルなのはと異なるのは、相手の醜さと愚かさを強調し、相手を否定し不快にさせることを最も重視するという点である。
あなたの攻撃は的確に相手の精神と発言力を削り、場合によっては再起不能にし、ひいては社会をも動かすかもしれない。
あなたがこのような行動に出るのは、あなたの信じる正義のためかもしれないし、他の理由かもしれない。
あなたの言動は多くの人間の気持ちを代弁することとなり、非難と同時に多くの支持をも集めるだろう。
また皮肉や罵倒の技術を高めた者同士の口論は、一種の高度な格闘技の様相を呈し、見る者に活気を与えることになるかもしれない。
感傷を、情緒を、時にはユーモアを、快く美しい言葉を紡いで歌い上げることだ。
真偽や善悪がいったい何になるだろうか。よしんばそれらが重要だとしても、それはあなたの仕事ではないのだ。
美しければそれでいい。
その美しさは力となり、様々な効果を生むかもしれないが、それはまた別の話である。
以上の分類は、複合・派生・細分化によって新たな分類を生み出しうる。エコノミカルなのは、テクニカルなのは、フィジカルなのは、などが代表例だろう。
他にも、ケミカルなのは、トロピカルなのは、マダガスカルなのは、なんてのもいるかもしれないが、このへんの人達の行動原理は不明である。
さて、いうまでもないことだが、もっとも知名度が高いのは「リリカルなのは」である。検索すれば分かるだろう。
しかし実態が知名度に追いついているとは到底言い難い。過去に栄華を誇ったかもしれないが、それは過去であり、今ではないのだ。
今こそ、リリカルなのはの再興が待ち望まれているのではないだろうか。それなくして、未来は暗い。
お分かりいただけただろうか。
(追記)
「それぞれに理由がある。」というブコメがうれしかった。大喜利要素で茶化しちゃったけど、ほんとはこれを言いたかった。(「偽」の項の理由がちょっと足りなかったのは失敗。)あとリリカルなのはが好きなのは本当です。
脚本家のほうが新たな記事を書いたのだけど、その反応が単なる「どっち派」ではない形で2つに分かれているようで面白い。
税金に詳しい方のお知恵を御貸しください - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20170209
1.今更このネタ?
前者の過去の発言の検証は2chのアンチによって10年以上前にとっくに終わっていて、アンチの間では大方、フカシ扱きマンとして扱われている。
2.個人で金扱ってるわけないでしょ?
どっちにしろ、前者の方はアンチの検証を乗り越えての今の活躍があるので、今更昔のネタを持ち出すならよっぽど新しい材料が追加されてないといけないと思うのにそれがなく、単なる粘着質に見えてしまう問題
俺の略歴。
小中高といじめられっ子として華々しく成長
(買った直後の震災のおかげでいい感じに儲かり始める)
→不動産運用で固定収入が入り始める→精神的につらくて株やめる
て気づいて株やめた(資産としては持ってるけど)。
何度も金の無心してくるので「これ結婚詐欺じゃないか?」と気づいて
同郷出身でルックス的にはいい女だったけど、むだに金がかかった。はぁ。
数日に1度くらい「どこどこ物件買いませんか?」
セミリタイアってカッコつけたけど、要は年金生活者みたいなもん。
時間はたくさんあるけど、そんなに贅沢できない。
服はユニクロ。車もダイハツ。あ、車ないと生活しにくい地域に住んでるよ。
大きな買い物は地元に住む親に家買ってやった(中古だけど)くらい。
お水の女は怖くてもう近づきたくないし、風俗嬢と割りきった遊びしかない。
(ああ、某店のNちゃんいい子だけど深入りはしたくない)
まともな友人の作り方、まともな恋人の作り方、知らずに生きてきてしまった。
金の「真」の価値ってさ、人との結びつきを強めるところにあると思うんだわ。
レビュー対象商品: 風の谷のナウシカ全7巻セット ―アニメージュコミックスワイド判 (アニメージュコミックスワイド版) (コミック)
私の職業は科学者です。そして科学は宗教の一つです。私がそうはっきりとした自覚を持っているのは、この物語を読んだからかもしれない。「風の谷のナウシカ」はそういった深い哲学的な意味合いを持った物語です。
宗教としての科学は、論理という神の名の下、世界に「真実」を作り出して人々を啓蒙します。世界を「真」と「偽」に二分し、社会に「真」であることを暗に、しかし強く要求します。
私はこの「風の谷のナウシカ」を、人間が宗教を乗り越える物語だと感じました。しかし人類は宗教なしには生き長らえられないのではないか。同時にこの物語は、そうとも言っているように思えます。宗教を乗り越えて初めて見えた命の本質、その絶望に対する希望として、作者は「王道」を物語の中に用意しています。しかしこの「王道」について、作者が詳しく語ったほかの作品を、私は寡聞にして知りません。
ニーチェがその死を報告したキリスト教の神が、未だアメリカのような強大な力を動かしている現代。ゲーテルがその不在を報告した科学の神もまた、未だ生きつづけて強大な力を誇示しています。「王道」はこれらの神の内に存在するのでしょうか。
影響力のあるMYK氏の問題提起が原因で、ぷよスコア界ではこの記録が無効であることが共通認識。
よってぷよ通の全国一スコアラーはMYK氏であるというのが共通認識。
水無月愛理氏の記録が抹消されただけでなく、名前・存在自体が抹消されているほど。
しかし誌面上で記録が公式に抹消されたわけではないため、あくまで内輪での解釈だけとも言える。
今回の増田の告白で、ERI氏と水無月愛理氏は本当に別人であるという点が最も強調されている。
この真偽について、ネット上でも「真」と考えるものが大多数であり、「偽」と唱える人は少ない。
MYK氏は2004年12月に発送元を訪ね、ある人物に会うことに成功している。
しかしその人物は、面識のある水無月愛理氏とは全く違う人物であったことが明らかになっている。
その人物はぷよら~だったらしいが、なぜ断定できたのかは不明。
公もしくはWeb上に姿を全く現さず、また数少ない彼のプレイを見たことがあるという人からも、プレイが上手いという評判が少ない。
プレイレベルはそこそこだが、圧倒的なプレイ数でそれを補っていたという話はある。
不正行為をしたという事実が噂だけにとどまっており、明確な証拠や根拠が現状では存在していない。推測が多い。
出品者と思われる人物の、複数存在するホームページのIDから、代理人を含め同一人物の可能性が高いと推測される。
しかし、大きく1973年生まれの人物と1991年生まれの人物が登場。
2つの人物のホームページ内容にも共通点があり、同一人物の可能性もあるが、親子もしくは兄弟の可能性もある。内容を流用している等。
1991年生まれの人物のホームページは、ダミーや宣伝目的とは違い、かなりブログとしては充実している。こちらがメインの可能性がある。
しかし、これだけわかりやすく証拠を多々残していると、全て首謀者が工作している可能性も否定出来ない。わざと誕生日を記載するなど。
ただ、増田の主張にもある、振込口座による実名が明らかになるのを防ぐために、代理人は別に存在していた可能性はある。
実名が明らかになれば、ERIが水無月愛理氏ではなく関係ないぷよら~であることが、販売時点で簡単に明らかになってしまうからと思われる。
出品者がかなりぷよぷよに造詣が深いようであることから、増田の告白通り、動画編集を駆使すれば151万点動画は自力で作成できた可能性は高い。
ERI氏が自力で動画が作成可能であったことを考えると、水無月愛理氏が介入している可能性は考えにくい。
水無月愛理氏が介入するメリットが全くない。デメリットだけである。
情報が少ないが、会った人物が本件に関わっている可能性はありそう。
ただそうなると、増田は自分で自分の住所を暴露していることになってしまう。
ゲーメスト誌のハイスコアランキングは、指定された集計店でのプレイによる申請、もしくは指定されていない店でのプレイによる個人申請により成り立っていた。ゲームの設定変更はスコアに大きな影響を及ぼすため、デフォルトの設定をそのまま用いることがルールとなっている。しかしながら、設定変更されたものであったかどうかをゲーメスト誌が確認する手段はなく、申請店、申請者のモラルに委ねられていた。厳密に言えば、アーケード版ぷよぷよ通は、左のボタンがぷよ右回転、右のボタンがぷよ左回転なのがデフォルト設定である。ルールに従うならばこの設定を変更してはいけない。ノーマル設定であれば他は何でもありではないのだ。しかしこれではプレイしにくいと考える人の方が多数派で、設定を変更してハイスコアに興じていたのが実際である。それを問題と考える人はおそらくおらず、結局人は物事を自分の都合の良いように考えるものなのである。10年前の事件などまさにそうだった。
10年前に起こった事件は、客観的には「MYK事件」であった。MYK氏が1人でネット上で大騒ぎ。MYK氏と水無月愛理氏だけの問題だったはず。代理人を通しての連絡がとれなくなった?MYK氏には水無月愛理氏と直接連絡がとれる手段もあった、自らの行動を直接連絡をとることで謝罪したと、自身が言っていたでしょうに。おかしいよね。2人の間で整理しきればよい話を大々的にネット上で行った。水無月愛理氏と連絡がとれるにも関わらずとれないとした上での、かなり一方的な内容だ。水無月愛理氏が降臨してくることはただの1回もなかった。MYK氏は、水無月愛理氏とは無関係な動画を元にして、水無月愛理氏を闇に葬り、自らが全国一の座についた。この点を批判する意見は多い。とばっちりの水無月愛理氏だが、当時からグレーな噂はどうもあったようであるが、他のスコアラーからの妬みにより生み出された噂とも言える。明確な証拠は無かった。しかしそんな根拠の無い噂のせいで、MYK氏が「ERI氏=水無月愛理氏」と断定したことに対し、疑わなかった人も多かったようだ。今回の増田の告白により、「ERI氏≠水無月愛理氏」という事実だけは「真」であると明らかになったようだ。水無月愛理氏が気の毒すぎるというのは確かにある。
151万点動画に「マージンタイム調整」がもし行われていなかったら、このような事態にならなかった可能性が高い。よって「わざとマージンタイム調整を入れた」という可能性が大いにあるのではないか。わかりやすく問題を発覚させ、水無月愛理氏を陥れるためだ。案の定、動画発売からMYK氏の問題提起までの期間が驚くほど短い。問題の動画を複数人で鑑賞するなど手が込んでいる。発送元を訪ねるなど不自然と思うくらいの行動力だ。水無月愛理氏の存在が抹消されて得をする人物など1人しかいない。連鎖界は意外と狭い。犯人は全てMYKサイドの人物であり、増田もその1人。首謀者は本人自身なのかもしれない。増田の10年たったこのタイミングでの告白の意図はわからないが、感じ続けていた罪悪感がMYK氏に反旗を翻す行動につながったのかと感じずにはいられない。
増田の嫁さんのセンスは相当ヒドい(それらの名前は余りにも今更でそれこそ「古い」。「かっこいい」は主観だから、文句は言わないが、少なくとも「センスが感じられ、時代の先端をいっている」という意味での「おしゃれ」ではない。)し、今は頭がちょっと沸いてるのかもしれないが、そもそも名前というのは他人のためのものなので、他人から直感的に理解できるものにするのがよい。漢字には、それぞれ音だけでなくきちんと意味があるのだから、意味を成さない字の並びは見ていて気持ちが悪い。(1位の「悠真」って、「悠々」の「悠」に「真実」の「真」で、一体何を訴えたいのかさっぱり分からん。「悠々とした真実」って何だ? その名前がいいとか言う奴、ちょっと説明してみてくれないか。2位の「陽翔」もヒドい。太陽が翔んで、それで一体何がどうするんだ?)音にしか意味がないというなら、せめて平仮名の名前にすべき。「ゆま」とか「はると」なら、随分許せる(気がする)。ただし、この場合、変に音の方で意味が出てしまうという危険もある。たとえば「UMA(ゆーま)=未確認生物」とか、「halite(はると)=岩塩」とかね。漢字を添えて、オリジナルの「意味」を添加しておくのは、一種の保障になるわけだ。
これなら、嫁さんの側の選択肢も広い。DQNぽくならなくて済むし、意味も明確で、良い悪いを決めやすい。子どもが自分の名前書く時も疲れない。
たとえば「悠」、「陽」だけなら、それほど腹も立たないし、若干読みが凝っていてもまだ許せる(気がする)。「蒼」とか。
http://anond.hatelabo.jp/20131210194845 に引き続き論じていく。
では、サードブロガーたちが、釣り・PV稼ぎ・キャラ作りをやっていると仮定して、なぜそれらの行為がいけないのかを説明する。
まず、私の前記事を基に、いろいろと考えてくれた人がいる。
「釣り記事」と「かわいい女の子」とには、共通点があるのかも - ただの通りすがり
http://anon.isc5.com/2013/12/turikiji-kawaii.html
人気のある女子になるために、演技をすべきなんでしょうか?そういう疑問を抱く人もでてくるだろうけど、
そんなの誰もわからないというか、演技したほうが有利なのは事実だと思うけど・・。
本当の自分自身でなくて、演技の部分を好かれても、満足できるの?こういう感じで、いろいろ誘導的な話をしても、
まあ、純粋な僕の気持ち(心)を裏切ったなという部分はあるとは思う
でも、騙されていてもイイと思う人もいるのは事実だとは思う。
裏切られた気持ちというのも微妙な感じだと思う。
私はネット上でのステルスマーケティングやアフィリエイトブログを憎んでいる。
ステルスマーケティングやアフィリエイト目的の記事・発言は、誠実さに著しく欠けているからである。
誠実さとは何か、という話になるが、それは「ブログ論争 個人的まとめ」で
ブログとは必要に駆られて書くものだ。何気ない数行のブログでも、誰にも見られていないブログでも、それが必要に駆られて書かれたもの、
と書いたように、心から溢れ出たもの、その人の「真」が出たものに私は誠実さを感じる。
だからたとえばネトウヨの罵詈雑言も長文陰謀論も、その発言の正誤・質は置いておいても、その人の「真」が出ているという点で、私は誠実さを感じる。
ステルスマーケティングをする者やアフィリエイトブロガーは心から文章を書いているだろうか。何か一本通った信念を持っているだろうか。
信念というのは別に堅苦しく考える必要は無い。思想・スタンスなどはコロコロ変わって良いものだ。ただ、
「その文章を書いたとき、それを言ったとき、俺は本気だったのだ」
と言えるだろうか。ステマ業者やアフィブロガーにそれは感じない。彼らは時流を読み、人の流れを読み、
それに最適の発言(自分たちにとって都合がよくなるように・お金の流れが産まれるように、大声で叫ぶ)をしているだけだ。
私はそういう彼らを 「演技をしている」 「狡猾な」 「インターネットには必要の無い」 人間だと考える。
であることは間違いない。私のような考えをする人間はこれからもっと減っていく。
私はこの類のことを考えるとき、いつも「トゥルーマンショー」という映画を思い出す。
ジム・キャリー演じる主人公トゥルーマンという男性が居る。この男性の住んでいる地域は超特大の撮影セットである。
彼の妻も彼の友人も、みな役者である。演技で付き合っているのである。それを知らないのはトゥルーマンだけなのだ。
私は、これをなんと悲しい映画なのだろうと思った。また、西洋の映画に見られる「人がほんとにされて悲しいこと・人が体験して本当に悲しくなることは何か」
をよく描けている映画だと思っている。
友達だと思って、一緒にお酒を飲んで笑い合って、こいつは親友だ、そう信じていた友達が役者だったのである。
ステマ業者やアフィリエイターがやっていることは、我々インターネットユーザー1人1人をトゥルーマンにすることである。
我々は彼らによって分断されつつある。アニメについて本当に楽しく語っているとき、サッカーについて熱く語っているとき、
我々は心の隅で思わなければならない。「こいつもしかして商売で俺と話してるのかな」
だから私はステルスマーケティングやアフィリエイトブログを憎んでいるし、もしサードブロガーがそのような業者もしくは「お金目的の個人」であり、
だからあのようなハチャメチャな記事を書いているのだとするならば、
私はもっと彼らを苛烈に攻撃するだろう。しかし今のところ彼らにそのような悪意は無いと私は見なしている(彼らは単に文章力が無く、かつ成り上がりたいだけなのである)。
狙わずに隙のある日本語書く人って意外と少なくない気がする。外から見て筋の通らない言動をする人も/それが本気だから性質が悪い、と言うこともあるわけで。
http://b.hatena.ne.jp/murishinai/20131210#bookmark-172779102
万が一彼らが業者だったとして、はてなもそのような「商用人種」ばかりになってしまうのなら、私のような「妖怪」はまた失望に襲われるだけだ。
私たちは2ちゃんねるでも、ニコニコ動画でも、いろんなサイトで、そのような「真」を表さない商用人種ばかりになっていく光景を見てきた。
私たち妖怪の住処はどんどん無くなってきているし、妖怪から商用人種(一般人・健常者)に転身する人もたくさん見てきた。
はてなも妖怪の住処でなくなるのなら、それはとても悲しいことだ。
話は変わるが、この文章の前半で挙げたネトウヨのことであるが、最近は「カズヤチャンネル」「テキサスおやじ」とか「竹田うんぬん」が
目立っているが、どうも彼らにも「ネトウヨビジネス」疑惑が持ち上がっているらしい(ビジネス右翼なのでは?と)。
そういうふうに、人のやることなすことを何でも「ビジネスなのでは?」などと疑いたくはないのである。
そういう風に、いちいち他者を疑わざるをえない世界にしたのはステマ業者とアフィブロガーであり、だから私は彼らを憎悪しているのである。