みんなでワイワイするのは好きだけど酒はそんな好きじゃないし飲み会費高いから開催場所をサイゼリアとかにして欲しい
飲みニケーションで培われる人間関係は否定しないけど、それは食べニケーションでもいいと思うしアルコールがないと駄目とかいうのは酒強くない人からしたらマジで害悪でしかない
落ち着くところに落ち着いた感はあるのだが、半導体屋さんからすると残念だった。
Googleが興味を示しているというところから、製造業からサービス業へ変わっていくのを期待していた。
TPUやPixelをGoogleがやっていることもあって、海外から見たら価値高いのにという論調も見かけたように思う。
Googleとしては物理限界を自分たちの課題としたくないというのは想像できた。
あくまで規模の問題に落とし込み、半導体単体の販売には落とし込まず、サービスで稼ぐ。
あとは社内システムが時代についていけていないし、それを刷新することもできない。
変わると思っていたが残念だ。
まあ「あてがえ論」提唱者を馬鹿にしている女性擁護派や、それに噛み付いているミソジニストはそれぞれ噛み付く場所を間違えてるんだけどな。
そもそも「あてがえ論」者を攻撃している女性(もしくは名誉女性)は、地方の男尊女卑家庭で「女に教育は不要」とか言われてきたり、母親が召使のようにこき使われてきたりって光景を実際に見てたりしてて、そういうことを今も平然とやっている強者男性(老害石原とか)を何とかしてやっつけてやろうと手ぐすね引いてる心に深い恨みを持った連中だ。
反対に「あてがえ論」に概ね賛成していたり、女性に権利など不要で男に付き従うべきとか本気で思ってる連中は、学生時代にクラスのモテ女に鼻も引っ掛けてもらえなかったり、キモい趣味や容姿を学校や職場の女性たちからクスクス笑われてきた連中だ。
そういうミソジニストが本来噛み付くべき相手は女性ではなくて中途半端なマッチョ思想を押し付けている社会の方なんだが、そもそも負け犬なので強者男性に立ち向かっていく気持ちなどさらさらない。したがって叩きやすい女を叩いている。
どっちもそこに噛み付いても君の恨みは晴れないよと言いたいのだが、まあ戦い合うことが楽しいのであればそれも幸せなのかと思ったりする。
少し時間が経ってしまったが、アニサマのレギュレーションに端を発した『コール禁止論争』について持論を書き殴ってみる。
中立の立場で書いているつもりだが、中立ゆえに少々過激な内容となってしまっているのでご了承いただきたい。
興味なければ読み飛ばしてください。
私自身はアニソンライブに年15~30回程度参加して10年以上になるアラサー男性である。
最近では特定のタレントを追いかけるというよりも、作品推しのスタンスで参戦する事が多くなっている。
渦中のアニサマについては代々木時代に1回、さいたまスーパーアリーナに箱を移してからはほぼ毎年参加している。
いわゆるオタ芸については遠い昔に嗜んでいたこともあったが、色々あって今では現場で打つことはない。
それゆえに近くでオタ芸を打たれることや過激なコールに対しての嫌悪感は他の参加者より小さいほうだと自認している。
この件の一番の問題点は、『言葉の定義が曖昧であること』だと感じている。
人間というのは文章を読んだ際、自分に都合の良いように解釈する動物だと常々思っており、「周囲への迷惑となるコール」だとか「いわゆるオタ芸」なんていう曖昧な言葉を使っている限り、全員が納得する形で議論が収束することは永遠にありえないと断言できる。
ネット上でこの件について言及している方の意見に目を通していて気付いた事として、オタ芸に見識のある人の言う「オタ芸」と、オタ芸に疎い人(忌避する人、規制する側の人を含む)の言う「オタ芸」にズレが生じている事が散見される。
(余談だが、「オタ芸」と「ヲタ芸」は異なるものだ!という意見も見かけたが、個人的には表記ブレの範疇かと考える)
例えば、オタ芸の一つに「タイガー」というものがある。(タイガーファイアー…と叫ぶアレとは別物なのであしからず)
これは、直立不動で動かずにステージの演者に熱い視線を送る行為のことを指し、虎視眈々と獲物を狙う虎の様相を語源としている。
参考⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BF%E8%8A%B8
オタ芸が禁止と明示された際に、オタ芸を嗜む人が規制側に対して「タイガー」もしては駄目なのかと質問すると、
「ここで言うオタ芸とはそういう言葉遊びの事ではなく、腕を大きく振りまわす等の迷惑行為の事を指している」という回答が返ってくる可能性が極めて高い。
(誰とは明言しないが、実際にそういう回答をした人を見かけたことがある)
オタ芸を忌避する方々もこのような一見不毛と思われる似たようなやり取りを見たことがあるのではないか?
ここで私が疑問に思うのは、オタ芸に見識のある人が「タイガーはオタ芸」と定義しているのに対して、
オタ芸に疎い側が「タイガーはオタ芸ではない」と断定し、あまつさえその認識のまま公のレギュレーションに明言してしまう。
このいい加減さ、傲慢さは何だろうか?
前項にも記したが、人間とは自分に都合の良い解釈をしてしまうものである。
運営はもっとオタ芸の勉強をしろ!などと言う気は毛頭無いが、せめてこの差を認識し、万人が納得できるような言葉使いを意識して頂きたい。
自己紹介でも述べたが、私は過激なコールに対しての嫌悪感はあまり感じないほうだ。
平たく言ってしまうが、近くでイェッタイガーと叫ばれても全く不快だとは思わない。
(もちろん綺麗にキマっている事が前提だが)
一方で、広く浸透しているが私は不快だと感じるコールも存在する。
具体的に一例を上げるのであれば、THE IDOLM@STERのAメロの「フワ*4」が有名だろうか。
少なくとも2ndライブぐらいまでは裏打ちで「ッハイ!ッハイ!」だったが、いつの間にか前述の「フワ*4」に変化し、定着していた。
Aメロで「フワ*4」を入れること自体が比較的珍しいゆえに型破りの感があり、個人的には当時のコールの方がしっくりきており、現場で現在主流のコールを聞くといまだに強烈な違和感に襲われる。
乱暴に言い換えると、私の周囲で「フワ*4」する行為は『周囲への迷惑となるコール』に他ならない。
今回主張したい事とは主旨がズレるため、この曲のコールとしてどちらが正しいか・相応しいかを論ずる気はないが、そういった考えを持つ人がいることを知っておいてほしい。
結論としては、『周囲への迷惑となるコール』という言葉は非常に曖昧で、個々人によって定義がまったく異なるという事である。
前項と同じく、万人が納得できるような言葉で記さないことには根本解決には至らないだろう。
最後に、ライブイベントにおけるコールというものに対して、持論を述べさせてもらう。
コールという文化は地域や風習によって異なる『言語』に特性が似ていると感じている。
遠い異国に行けばまったく異なる言語でコミュニケーションを取っていたり(V系のヘドバンあたりが顕著だろうか)、
別の地域や閉じられたコミュニティには『方言』や『スラング』というものが存在する。
若者言葉が時を経て全ての世代に定着するように、コールも時代とともに少しずつ変化している。
かつてPPPHがアイドルライブから声優ライブに輸入され定着したように、時には外来語が定着することもあるだろう。
よく話題に挙がるイェッタイガーも新語の一つとして認知を広めつつあるが、使い勝手が悪ければ大衆には根付かず廃れる、
あるいは一部の人だけが使用するスラングのような立ち位置になるのではないか、などと根拠もない憶測をしている。
自身が新しい言葉を使わないまでも、古きに固執し、新しい文化を受け入れない頑固な人物は
自分自身が変化を受け入れられていないことを棚に上げつつ理想を言わせてもらえば、文化の違いを認識し、変化を受け入れる柔軟さを持ち合わせた上で、それぞれ自分のスタンスで好きなようにライブを楽しめればみんな幸せになれるのになぁ…なんて思っている次第だ。
会社に産業スパイとして潜入して2か月が過ぎた。職場では仲の良いフリをして、普段の生活に関する情報を聞き出すことに成功した。話はつまらないが、これは任務である・・・みたいな妄想をして過ごすと楽しいぞ。
身近な人が自殺した!自殺は良くない!死んだら終わりだぞ!とか言う人。
自殺者が不幸かどうかは知らん!生きてほしいだけ!ってただの我侭じゃん。
じゃあ言う必要ないよね?
生きるのが耐え難い不幸の中にあるなら、
生きるのを捨てる権利は、すべての人間にあるよ。
おいおい。
病気と一緒。
メスを持って手術できないのに、私にできたことは~とか考えるか?ないだろ?
政府が自殺企図者になにかできる!自殺はやめよう!と呼びかけるのは悪だ。
自称遺族がそれをすれば…と悔やんでるだろ。
それに、まっとうに生きられない人間を社会的に見下して排斥するのは当然だ、
と社会が言ってるのに、自殺はダメだと禁止するのは筋が合わない。
精神科なんて多量服用を勧めておきながら数年でルールが変わった途端言うことが変わって平然としてるクズの群れだ、意味がない、
不幸から抜け出せないのは当然で、
抜け出せないなら自殺するしかないのは当然で、
不幸から脱すれたなら幸福なのだから、
自殺の権利は当然だ。
誘いにどう対応するかとかは好きにするのがいいんだけど
人と会うとすごい疲れるとかいう奴は勝手に気を回しすぎてるだけなんだよね
気を回すっていうといいことみたいだけど、要は脳内で無駄な妄想思考してるだけ
文を自分で読み返したら良いけど、有意義なことなんか1個もいってない
あいつが悪いとか私が正しいとか私の性格がとか常識はこうとか、何の意味も無いくだらない思考
なんか誰かに話掛けられたりするたびにそういうくだらないことずーーっと考えて、
その相手が目の前からいなくなってもまだ思い出してずーっと感考えて、たまにまだ起きてないことまで考えて、だから疲弊する
実はそういう性質を自分では思慮が深いとか神経が細やかとかまんざらでもなく思ってるんだけど
妄想しない人はどんな感じなのか?
誘われたら何も考えずに飛んでいってあー楽しかったって返ってくる
やることがあって無理なら無理ですごめんねーって断って電話切った瞬間もうその件は終了してて思いかえさない
だから疲れない
社会人になってもう2ヶ月が過ぎた。
いつも片手で足りるくらいの同僚と昼飯を食べてるんだけど、
自分の話ができないっていうのは、自分の趣味、生活、仕事の状態とか、
自分はああだ、自分はこうだ、っていう発言を他人にできないということです。
ひどい時なんて他人の話題を自分の趣味に置き換えて会話をさらってく。
いつも思う。なんで他人が興味あるかもわからない自分のことばかり話せるんだろう?
なんで別の人が話していた話題をさらってまで自分の話をできるんだろう?
自分の話ができないって言ったけど、
本当は自分の話をしたい。
だって趣味の話ばかりしている人には同じ趣味の人が寄ってくるし
そういう人だと認知されて趣味の話題を振られることが多くなる(はず)。
土日の過ごし方を話す人には同じ過ごし方の人が寄ってくるし
運が良ければ一緒に過ごしてくれる人が現れるかもしれない。
でも最近気が付いた。
私が自分の話をしないのは、皆の自分語りを死ぬほどつまらないと思っているからだって。
だから私が自分の話をしても、他人は私の話をつまらないと感じるだろうと思ってる。
あなたのクラゲの話もバンドの話もダイエットの話もつまらない。
それなのに私はあなたがどこの水族館のクラゲが良いと思ってるか知ってるし、
私はあなたがダイエットの話ばかりする割に休日はゲームと寝だめしかしてないことを知ってる。
ひえー
最近パソコンのFANがやたらと回るようになってて夏だからかと思ってたが
OneDriveの更新失敗のメッセージが毎日のように出るようになってたのでまさかと思って調べたら
OneDriveSetupのCPU使用率が高くなってた
OneDrive再インストールしたらFANが回らなくなり静かになった
やMS糞
フェイクを混ぜるとしても、上手くフェイクを混ぜながらも真意を伝えられる文章を考えるのが辛い。
もしそれぞれで全く関わりがない人間関係のグループと今もなお積極的に関係を維持していれば、例えば会社の人間関係の悩みだったら学生時代の人間関係の人に愚痴るとかができるんだろうけど、俺にはそのような便利なグループはもはや無い。だから増田しかないんだが・・・。
それとは別に本当に誰にもカミングアウトできないような話もしたいけど、やっぱりそれはそれで特定のリスクを最大まで抑えないと行けないので、フェイクを混ぜる難易度が高くなる。
この悩み、どこにぶちまければいいんだ。
来月の1週間ほどある、職場の休みを出張でまるごと潰されたことで、
今いる課をやめたい、と踏ん切りがついた。
「早く辞めたほうがいい」
と言われるくらい酷い環境だったらしい。
仕事の内容も、自分で決めて好きなように動け、という仕事の仕方だったが、
仕事のバイブルがあって、道が決まっていて、そこに向かって仕事するやり方が向いていると思う。
休みと金のために仕事をして、自分の好きなことをしたいと言いたい。
今の組織では全く出来ていない。
けれど、誰にも仕事を放り投げれない。人がいないし自分でノウハウを持ちすぎた。
だから半年くらい身辺整理をして、来年度くらいにはどこかに行きたい。
死にたいとは思わないが、いずれ死にたいと思うようになってしまう気がする。
人と話もしたくない日が週に3日くらいある。
きっと代わりの人はいくらでもいる。
もう逃げてしまおう。
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って言う感じの無茶苦茶な司令を出されて、新入社員から経験もないまま、
「ハードの設計・製造全部1人でよろしくね☆ その代わり期限は守れよ」
この時点で仕様書は無い。というか今もない。どう考えても無理な指示を出され、とりあえず手を動かし続けた。
色んな所を走り回って知識を集めて、何とか形になるくらいの設計はした。
機材は動かない、酷いときは壊れていく。
上司「よく分からんけど明日までになんとかしろ、どうにかせえ。試験は明日からや。」
ぼく「……はい」
こんなやり取りをここ半年くらいずっと続けている。因みに上司には電気の知識は殆ど無い。
「まだ直らないの?」「いつまで待てばいいの?」「何もすること無いの?」「どういう状態なの?」
「あれはどうなったんや」「直ったんか」
という強い言葉を浴びせられる。つらい。
それが買ったものだったら。
「ケータイでもメールでもなんでもいい。地の果てまで追い掛け回せ」
ここ半年ほどは深夜まで対応し、土日も潰され、プライベートが殆ど無い状態である。
で、従業員がこんな事になってるのに、結構偉い人からこのプロジェクトが注目を浴びているらしい。
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6月25日に投開票日が迫る静岡県知事選の増田レポート第4弾。
前回の記事で、このたびの静岡県知事選が消極的与野党全面対決の構図となったことは書いた。
おさらいすると、民進党系の現職川勝知事をおろしたい自民県連。だが前の知事選で圧倒的ボロ負けしたことで誰も自民党公認で出馬してくれる候補が見つからず、公示前に独自候補を出さないことを決定する実質不戦敗宣言。「川勝だけは応援しない」とだけ決めて、無所属で出馬表明していた溝口紀子を勝手連で支援することに。一方、毎回知事選に独自候補を立てていた共産党は、自民党が溝口を支援し始めたのを見て、「国政と歩調を合わせたほうがいい」と判断。独自候補を辞めて民進の川勝を応援することを決める。こうして、あまり表に出てこない民進党も含めて、消極的な与野党全面対決の一騎打ちの構図が出来上がった。
この静岡県知事選に、小池百合子東京都知事が参戦することになった。民進党が応援する川勝平太の応援として。本日の大雨の中、民進・細野豪志議員の地元三島市で、選挙カーの上で細野、川勝、小池のスリーショットが並ぶ。小池都知事と川勝県知事のつながりは何か。小池は東京五輪での開催自治体首長会合での縁と話す。負担金で揉めた会合のことである。あの会合では埼玉、千葉、神奈川の県知事ばかりが目立ったが静岡県知事もいたのだ。しかし小池が応援演説に入った実際のところは、細野豪志による依頼によるものだろう。民進党での細野の盟友だった長島昭久は都民ファーストとの連携を水面下でしている。そのつながりで小池の演説が実現したのだろう。
小池都知事の川勝応援は、静岡県内メディアでも大きく伝えられた。相手の溝口や応援する自民陣営も衝撃だったことだろう。
これにより、今回の静岡県知事選が東京都議選の前哨戦的位置づけにもなった。
森友・加計・共謀罪採決によって失われた自民党の支持率は、どれだけ投票行動に影響しているかを図る物差しになる。
情勢は現職川勝がリード。これは最初から分かっていたことだ。負け戦を覚悟しているからこそ自民は溝口紀子を公式に支持も推薦もしていない。本来はあまり国政とは関係ないと思われた。しかし小池都知事が入ってきたことで、地味な田舎の選挙は、国政、東京の色がついてくる。溝口紀子は自民党の候補に様変わりしたのだ。
溝口紀子が知事選に勝利すれば、森友・加計・共謀罪は何ら選挙に影響しなかったということ。都議選も自民が第一党として勝利するだろう。
ただ現職が有利なのは変わらないので注目するのは、自民が応援する溝口がどれだけ川勝に肉薄できるかという点だろう。特に無党派層がどれだけ溝口に投票するかで、森友・加計・共謀罪採決がどれだけ影響を与えたか知ることができる。その結果は都議選にも当てはめられる。
https://anond.hatelabo.jp/20170502150217
静岡県知事選情勢分析その2~「三つ巴で面白くなる」と書いた途端に自民が棄権
https://anond.hatelabo.jp/20170502185435