はてなキーワード: 殺人犯とは
小学校の頃に、時々デブで頭も悪く馬鹿にされていた同級生が椅子振り回してた事を思い出す。
デブの家はちょっと貧乏臭く、親は金髪でピアスのある人たちだった。デブに粘着して虐めていたのもまた、馬鹿なヤンママの息子みたいな奴らだった。
田舎の公立校は親の仕事でぼんやりとグループが分かれていて、医者教授公務員の子供の層と、地元出身の親の層は、住むところも交友も何となく違っていた。
だから下層の方の争いは、下層で起きることで、大抵皆無関心だったのだけど、デブが椅子を振り回す時だけは、我々にも被害が及んだ。
何のこととは言わんが、死を恐れずに取った行動って、命のある人間がいくら批判したって薄っぺらいんだよね
だって命捨てたんだよ
できないでしょ普通
対等に批判できるのは命がけで救助活動したとか戦場から帰ってきたとか殺人犯と相対した人だけじゃないかな
自殺は逃げではあるけど、だからって逃げるために簡単に死ねないでしょ
その言葉に対する批判も「他人事だ」って反応している人いるけど、お前らも他人だろうに
逃げだったとしても自殺した時点でもうこの世の人たちより上のステージに行ってしまったんだよ
すげえ悔しいしムカつくし生きてたら死刑にしろと思うけど、その声も届かない
事件をきっかけに社会はどうにかするべきなのではという話に薄っぺらい言葉投げるの止めてほしい
ただの八つ当たりだろそれ
上記2つに関わる流れがすげえ胸糞悪い
「父親に暴力を振るわれたけど、そのおかげで立派な大人になったので感謝してる」
と言う人に対して
「そんなはずはない」
「価値観が歪んでいる」
「お前はおかしい」
その結果
「確かに言うとおりおかしかったです。本当は辛かったんです。こんなこと書いたのも実は助けを求めてたからなんです。」
と言い始めた途端
「うんうん、そうだよね」
「いままで辛かったね」
「暴力振るわれて可愛そう」
「やっぱり暴力で躾けられたけど幸せに育っている人間なんて存在しなかったんだ!」
と一斉に手の平返し
せかっく正の部分に注目して自分は幸せだと思っている人間に対して
ひたすら負の部分だけを掘り起こして「お前はおかしい。幸福なはずはない。本当は不幸なんだ。」と大勢の人間に否定されたら誰だって「やっぱり自分は不幸だったのかも」と思っちゃうよ
いいか
こういう人を不幸にして、苦しめているのは父親じゃない
お前らだからな
この増田自体は(自分で批判して欲しかったと言っているし)そうじゃなかったかもしれないが、お前らは幸福な人間をあえて不幸にするようなことをやってるんだからな
「やれやれ、今日も無知で可哀想な子羊を一人啓蒙してやったぜ」とか悦に入ってるんだろうが
まず「元増田の子供が虐待されようとしていたから止めようとした」みたいなこと言ってる奴ら
自分を正当化するために子供を言い訳にするとか人間としてかなり終わってるから自覚したほうがいい
今まさに虐待の危険に晒されている子供を見つけたときするべきことってなんだ?
まずはしかるべきところに通報することだろう?少なくともネット上でコメントすることではないだろう
本気で助けたいと行動してないくせに、子供を助けるためとか言ってる奴らのなんと勝手なことか
そりゃ通報したところで効果があるかはわからんが少なくともネットでやめなよってコメントしてるよりは100倍有功だ
仮に言い訳じゃなくて本気で増田へコメントすることが虐待を防ぐ最善手だと思ってるならそれはそれで異常だから自覚すべきだ
例えば元増田に対して
「自分が上手く行ったからといってそれ(暴力行為や暴力による躾)を他人や自分の子供にも当てはめるのはよくない」
みたいな意見はまっとうだと思う
俺が胸糞悪いと思うのは
「お前の父親への感謝や尊敬の気持ちは洗脳や暴力によって出来た間違った価値観によるものだ」
みたいな意見だ
そんなものは心療内科医でも精神科医でもない部外者にわかるはずもないのに
結局「私の思う正しいやり方」以外の方法で幸福を得たり成功したりしている人間が存在することが許せないんだろう?
暴力親よりよっぽど暴力的でグロテクスな思考だってこと誰も気づかないんだろうか
「今回は釣りだからよかったけど、お前らがやってることは幸福な人間をわざわざ不幸にしかねないことだ」
ってことだよ
ネットの言葉は物理的な実行力は弱いかもしれないが、積み重なれば一人の人間を殺人犯にもしてしまうことははてな民ならよく知ってるはずだろ
幸三君は、足が悪くて歩くのが億劫、車を運転していた。彼はもう歳だったが、免許を返納していなかった。それは良いことではなかったかもしれない、でも皆仕方なしにしていることだった。
運が悪かった。事故だったのだ。ブレーキとアクセルの踏み間違え。車を運転する人なら誰にでもあるリスク。
87歳まで彼は懸命に生きてきた。勉学に励み、東京工業大学に進学。身を粉にして働いて家族を養ってきた。努力が認められ勲章を授かった。きっと彼自身も、彼の周りの人も受勲を誇りに思ったことだろう。しかし、彼の輝かしい経歴は、たったひとつのペダルの踏み間違えで大きく変わってしまった。
阿鼻叫喚の交差点の真ん中で、フロントにドン、ドン、とぶつかる小さな女の子や母親に頭を真っ白にして、心配する妻に対して「…どうしたんだろう」と呟いた。わざとではなかった。しかし自分の運転する車は人を殺していたのだった。
気が動転したのかもしれない、救急車を呼ぶより先に息子に電話した。事故を起こした際に警察でなく身内にかけてしまうのは珍しい話ではない。
SNSアカウント削除が救急車を呼ぶ事よりも彼の中で優先されたのだらうか?トラブルをおかし、気が動転してつい保身に走ってしまった彼の人としての弱さはわからなくもない話である。
インターネットでは、そんな可哀想な飯塚容疑者を上級国民と叩く声が憤慨した。幼い娘と妻を失った遺族の事を思うと、誰もが胸が張り裂けるような気持ちになった事だろう。彼への忖度のせいかマスコミもおずおずとした報道で、警察も彼を逮捕しなかった。同時期に起きた似た事故と比べられ、飯塚幸三に制裁を!という声は高まった。
87歳までの人生はたったひとつの事故で塗り替えられようとしていた。飯塚幸三の名は、素晴らしい科学者の名では無く、大量殺人犯の名前になってしまった。
しかし、彼への批判は当然だ。事故で加害者になるリスクは誰しも負っているもので、それで人生が全く変わってしまうのも仕方のない事だ。事故を起こせば加害者として罪を受け入れ、刑に服すことは、全ての運転手が追っている当然の責任である。故意であろうとなかろうと、人を殺したのだ。
マスコミは、運悪く事故を起こし、勲章を持っていたばかりに叩きの的にされてしまったので可哀想な人と捉えるが、それは間違いだ。
しかし、罪を償わないことへのバッシングは可哀想でもなんでもない。87年も生きていながら、自らの非を認めて誠心誠意謝罪をするということをしなかったのだから。