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君が代起立命令、別の小法廷も「合憲」 最高裁判断
公立学校の卒業式などで「君が代」斉唱時に教諭を起立させる校長の職務命令をめぐる訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は6日、「思想・良心の自由」を保障した憲法19条には違反しないとの判断を示した。そのうえで、損害賠償などを求めた元教職員らの上告を棄却。元教職員側の敗訴が確定した。
訴えていたのは、都立高校の元教職員13人。2003~05年の卒業式などで君が代斉唱時に校長の命令に反して起立しなかったことから、戒告や減給処分を受けた。元教職員は定年退職前に再雇用を申請したが、都教委から処分を理由に不合格とされたため、都を相手に提訴していた。
5人の裁判官のうち4人が「合憲」と判断。第一小法廷として、個人の思想・良心の自由を「間接的に制約する面がある」と認めながら、職務命令は必要性や合理性があり、許容されるとの考えを示した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110530-OYT1T00682.htm
東京都立高校の卒業式で、校長による国歌の起立斉唱命令に従わず、定年後の再雇用選考で不合格にされた元都立高教員の申谷(さるや)雄二さん(64)が、命令は「思想・良心の自由」を保障した憲法に反するとして、都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決が30日、最高裁第2小法廷であった。
須藤正彦裁判長は、起立斉唱命令について「特定の思想の告白などを強制したものとは言えず、思想・良心の自由を侵害しない」とする初の合憲判断を示し、上告を棄却した。申谷さんの敗訴が確定した。
入学、卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱を巡り、最高裁は2007年2月、音楽教諭に君が代のピアノ伴奏を命じた校長の命令を合憲としたが、起立斉唱命令を巡る最高裁判決は初めて。
64歳かー。
「戦前の軍国主義との関係で国歌の斉唱を否定的に受け止めている者にとっては、思想や良心の自由に対する間接的な制約になるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201105300242.html
君が代訴訟、起立命じる職務命令「合憲」 最高裁初判断
卒業式で君が代斉唱時の起立を命じた校長の職務命令が「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないかが争点となった訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、「憲法に違反しない」とする初めての判断を示した。
訴えていたのは、東京都立高校の元教諭の男性(64)。2004年3月の卒業式で「国歌斉唱の際は、国旗の日の丸に向かって起立するように」と校長から命じられたが、起立しなかったことから戒告処分を受けた。07年3月に定年退職する前に「嘱託員」としての再雇用を申請したが、不採用とされたため、都に損害賠償などを求めて提訴した。
一審・東京地裁判決(09年1月)は、職務命令は合憲としながら、04年3月以降は職務命令に従っていた点などを考慮して「裁量権の逸脱」と判断し、約210万円の支払いを都に命じた。一方、二審・東京高裁判決(09年10月)は、「都には広範な裁量権がある」として元教諭が逆転敗訴したため、元教諭が上告していた。
「再雇用の拒否が裁量権の逸脱、乱用にあたるか」などの争点については、すでに第二小法廷が上告審として受理しない決定をしており、今回の判決は「職務命令が憲法に違反するか」だけが争点として残っていた。第二小法廷はこの日の判決の中で「合憲」と判断をしたうえで、損害賠償などを求める元教諭側の上告を棄却した。
この訴訟とは別に、市立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた音楽教諭が都教育委員会に処分取り消しを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷が07年2月、「伴奏を命じた職務命令は合憲」との判断を示している。
橋下・大阪府知事:君が代起立「処分教員の実名公表」条例検討
君が代斉唱時に起立しなかった教員の処分基準を9月議会で条例化したい意向を表明している大阪府の橋下徹知事は18日の記者会見で、処分対象者の実名公表の基準についても条例化を検討する意向を示した。
現在、懲戒処分の公表基準は府教委の指針で定められ、原則的に免職の場合のみ氏名、学校名が公表される。橋下知事は「府の基準は行政が勝手につくっている。職務命令に繰り返し違反する教員は保護者も知りたいと思う」と述べ、不起立以外で処分された教員の実名公表についても検討する考えを示した。
一方、大阪市の平松邦夫市長は18日の定例会見で「国歌を起立して斉唱するのは当たり前のこと」と述べ、「大阪市では全ての学校で実施できている。条例を作る必要はない」と教員の起立義務付けの条例化に否定的な見解を示した。【佐藤慶、小林慎】
ああ、誰ひとりとして金髪どころか茶髪もいなかったし、ピアスもしてなかった。
キャミソールも一度もみたことがない。
ホットパンツも見たことがなかった。
ブルマはたくさん見たけどな。
学校指定のジャージか、おとなしい普通の格好して登校してたし、前髪は眉毛に掛からない程度に切ってたよ。
記憶が確かなら、毎朝15分ほど朝のクラス会の前に校庭でなにかやってた。
教室に戻る時は行進みたいなのをしてたと思う。
水曜はやっぱり校庭に整列して校歌斉唱と国歌斉唱。あと校長以外の人が話をしたり。今週は交通安全週間でどうとか、あいさつ運動だからどうとか。
一応国旗は上がるし国歌は流れたけど、別に整列したりはしなかった。
金曜日は忘れた。
中学校に入ったらずいぶんぬるくなって、月曜の朝礼だけは校庭に全校生徒が集まって校長の話と国旗掲揚と国歌斉唱があったけど、火曜から金曜は教室のスピーカーから国歌が流れるだけだったな。
一応掲揚塔の方向を向いて歌ってたが。
小中高と全部公立だったけど。
暇だったといえばその通り。
というか小学生なんて暇なんじゃないの?
追記
放送委員のメインの仕事は毎朝の国歌を流すことと、給食の時間に音楽を流すことだった。
上司の命令が「職務上」のものといえるか、その命令は有効か、という問題を先に解決しないといけないような気がするけどなー
その命令が合法かどうか裁判で確定させないと遂行出来ないってことになったら何も進まなくなるよ。
たとえば、今被災地で対応している警察官、自衛官、消防隊員への出動命令が合法かどうか、裁判で確定させるまで彼らは出動してはならない(出動する義務は無い)、なんて事になったら困るだろう?
増田の論法だと、「上司が『A』という命令をした」ならば、「命令を聞かずにAしない者には教師は務まらない」、というのがAの内容に関係なく成立しない?
成立するよ。公務員は上司からの命令を拒んだ時点で何らかの処分が必ず発生する。
裁判でその命令が違憲だったり違法だったりしたと確定した時点で初めて処分に対するリカバリー(賠償金とか復職とか)がなされて、以後同じ命令を繰り返さないよう法律や制度が改められる事になる。
ついでに言えば、国家斉唱時(国旗掲揚時)の起立命令を違憲・違法だとする判例はなかったはず。「処分自体は妥当だけれど処分内容が重すぎる」という判例ならいくつかあるけど。
大阪で、君が代斉唱時に起立しなかった教員をクビにする条例がもうすぐできるらしい。
例によってはてブでは公教育への介入だ、思想統制だ、という話になってるらしいが。
問題は、公立学校の教職員が式典に出席した上で君が代斉唱を拒否していて、
その後の校長・教育長の指導や業務命令にも従わない、ということだ。
それを思想・表現の自由としているのなら、彼ら個人の思想の表現のためにやっている、と考えられる。
これは「公務員が勤務時間中に、自らの政治的主張のために業務をサボタージュして示威行為している」、
「判断能力が未熟な児童・生徒に、教員の立場を利用して自らの政治的主張を宣伝している」ということになる。
つまり問題は日の丸・君が代だけではなく、「公務員が思想を理由に業務をサボタージュするのは認められるか」、
「教員が児童・生徒に自身の政治的主張を宣伝するのは認められるか」ということだろう。
これらを認めてしまえば、極論すれば「教員が教えたくないこと・教えるべきでないと思うことは(指導要領に載っていても)教えなくて良い」
「教員が教えたいこと・教えるべきだと思うことは(指導要領に載っていなくても)教えて良い」ということになりかねない。
公民の教科書を放り出して毛沢東語録を教えても教員の自由、歴史の教科書を放り出して歴代天皇の諡号を暗唱させるのも教員の自由、
生物の教科書よりも旧約聖書の創世記を読ませたい、国語の教科書の代わりに団鬼六を読ませよう、という教員が出てきたらどうするのか。
児童・生徒がどんな内容の教育を受けるかは、その時に出会った先生次第で構わない、と思う人がどれだけいるんだろうか。
教科書の内容も式典の式次第も、文化祭や体育祭などの学校行事も、社会が期待する一定の水準に達するために教育委員会が指導してるんであって、
その内容は法律に則っていたり文部省の指導要領に則っていなければいけないのは当たり前のことだ。
僕が高校を卒業したのはもう何年も前のことで、いい加減高校時代の友人と連絡を取る機会もほぼなくなり、それぞれが自分の人生を一人で歩んでいる2011年。とっくに就職し、結婚し家庭を築いているかつてのクラスメート達とは違い、恥ずかしながら僕はまだ文献や論文に囲まれた生活を送っている。
深夜、PCに向かって作業していると何故かいつも決まって思い出すのが、高校時代にクラスメートだったY君のことである。彼は今どうしているのだろうか。
僕の通っていた高校の文化祭ではクラスで出し物を企画したりすることはなかったが、毎年クラス対抗の校内合唱コンクールがあり、進学校なのに意外とクラス全員がかなり真剣に取り組んでいた。音楽系のクラブに所属していた僕はいつも合唱の責任者や指揮者を任されていて、高校三年生の時に僕が指揮者をやるのに対してピアノ伴奏をしてくれたのがY君だった。
正直Y君とはそれほど仲が良いわけではなかったし、かといって悪くもなかった。仲というものがそもそもなかった。それ以前にY君自体がかなり謎の多い子で、元々大人しい性格が災いしてかクラスでもY君と仲の良い子はいなかった。ただ分かっていることは幼い頃からピアノを本格的に習っていてかなり上手だったということだけだった。
何の曲をやったかははっきりと覚えていないが確か高田三郎の『水のいのち』より「雨」だったような気がする。この曲はアカペラではなく伴奏があるので、ピアノが弾ける生徒がいないといけない。ということで僕は、どうやらY君はピアノが上手いらしいという情報のみを頼りにして、Y君に伴奏をお願いした。
その時のY君の微笑みは今でも忘れることは出来ない。「なんで自分が…」「僕じゃなくても他に弾く人いるんじゃないの?」ということを、決して口には出さないが目で訴えつつ波立てずごまかすように苦笑い…というのが容易に見て取れた。本来なら考えておいてほしいと選択を任せてその場は一歩退くものなのだろうが、当時の僕はまだ人と接する方法を知らず、Y君の人の良さに浸け込み、無理やり拝み倒してOKを頂いた。今思うとつくづくウザい奴である。そういう訳でY君は(おそらく嫌々ながら)伴奏を引き受けてくれた。
練習は(僕とY君の間で多少のコミュニケーションの齟齬はあったにせよ)順調に進み、合唱コンクールは無事に終了、僕らのクラスは3位を取ることができた。まぁこのへんはなんともなく終わったから割愛する。
問題はそこからまた少しばかり時が経ち、卒業した後のパーティの席だった。
卒業パーティで僕らは学校の愛唱歌(校歌ではない)を歌うことになった。これが変わった歌で、構成が合唱部分→独唱部分→合唱部分となっていて、この独唱部分を、我が高校に昔から在籍する外国人の教員さんが歌うのが通例になっていた。そしてこのパーティでも例外ではなかった。そしてこの愛唱歌での指揮&伴奏が僕とY君に命じられたのだった。公式の場だから適当に4拍子振っておけばいいので指揮は問題ないが、伴奏はそうも行かない。やはり練習する必要があり、本来なら楽譜が必要なのだが何故かピアノ伴奏の楽譜が存在しないらしく、Y君は受験前後のバタバタしていた時期だというのに自分で伴奏編曲して練習してきてくれたのだった。
そして本番。愛唱歌を歌い、一つ目の合唱部分は無事に終わった。だが次の独唱部分で事件が起こった。
肝心の外国人の教員さんは結構なお年だからか、完全にその独唱部分を、僕の指揮もY君の伴奏もガン無視の自分のテンポで(しかも若干の調子っ外れで)歌い出したのだ。指揮はまぁ適当に振ってるのか振ってないのかでごまかせるが伴奏は完全にストップ。ちらりとピアノの前にいるY君の顔を見ると、どうしようどうしようとパニックに陥っていて次の合唱部分も弾けるか危ういくらいに焦っていた。そんな僕とY君のパニックなんか露も知らず外国人の教員さんは朗々と気持よく独唱部分を歌い続ける。
そして第二の合唱部分は伴奏がなかった。でも生徒はみんな散々イベントのたびに歌わされた愛唱歌なので別に伴奏なんてなくても歌えたのだった。
この地獄のような愛唱歌斉唱が終わった直後、僕は一礼するとすぐにY君の元に駆けつけて声をかけた。
「大丈夫?まぁあの人完全にお年だったから予想できない事故だったし…一番の合唱のところはすごくきれいな伴奏だったよ、ありがとう」
なんかそんな感じのことを彼に言った。実際泣きそうになりながらごめんなさいと呟くY君を慰めるために何を言ったのか正確には覚えていない。ただY君の伴奏は練習では完璧だったし、忙しい中伴奏編曲までやってくれたY君には感謝さえ覚えていた。
そして卒業パーティは僕とY君の心に深い傷跡を残して終わった。
数日後担任の先生から手紙が来た。そこにはY君とご両親が僕に非常に感謝していたこと、初めてピアノをやっててよかったと心から思えたと言っていたこと、そして良ければ手紙を下さいとY君の住所が添えられていた。
だが僕はいつか手紙を書こうと思っていたにも関わらず結局送らずじまい、そのまま引越しのドタバタで恩師から頂いた手紙も紛失してしまった。
以上が僕とY君の思い出である。
今でも自分は薄情な人間だなとこの事を思い出すたびに実感する。
ただY君にもし逢うことが出来たら一言言いたいのだ、「僕は君の友達です」と。何年もの間、君のことを忘れられなかったよと。会って、あの忌まわしい卒業パーティのことを笑って話し合える日はいつか来るのだろうか…
※7/12『砲火の中ではためいて』追加
曲 http://www.youtube.com/watch?v=B1b2hnivTDk
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3
『さざれいし』
すだれを押し上げて
手を伸ばす君 内裏のこと
どうか来てほしい
松原まで来てほしい
お水をあげよう
庭のさざれいし
苔むすまでも可愛い君のね
果てない治世がちゃんと
続きますように
君と君の治世が
万年続きますように
ついでに、他の国の国家もアレンジして見ると、君が代と違い、ヒーローもののアニソンになる。
君が代がいかに独特の存在であるか、いかにJ-POPの原点であるかがわかる。
曲 http://www.youtube.com/watch?v=dMcYz9Vs0jQ
元の歌詞 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%AD%8C
た ち あ が れ
立ち上がれ
市民よ 走れ
理念があるなら
巨大な暴君を
うてよ うてよ うてよ
血塗られた軍旗を
掲げよ
アメリカ国歌 (訂正:0083じゃなくて、小泉今日子 STARDUST MEMORY)
指摘されるまで本気で勘違いしていた。0083にこんな歌があったのかと新発見のつもりでいた。
曲 http://www.youtube.com/watch?v=ucJlI77V4Mk
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%98%9F%E6%9D%A1%E6%97%97
『Stars Stripes Memory』
Stars Stripes Memory 忘れないでいて
星条旗がはためく この夜を
丘の砦に 掲げられた星条旗
ちょっぴりシャクだけど 砲煙がとまらない
仕方ないでしょ 独立はじめてなのよ
自由の大地の そうよ今これがピリオドなのよ
Stars Stripes Memory 忘れないでいて
星条旗がはためく この夜を
もう一個アメリカ国歌の改変を追加 (機動戦士ガンダム 第08MS小隊)
曲 http://www.youtube.com/watch?v=_XSIe5BRwQs&feature=related
『砲火の中ではためいて』
砲火の中ではためいて
その旗を掲げ続けて
傷ついた あなたの砦に
掲げてあげたい
蒼く果てない大陸(おか)の片隅で
生まれた機運が 今小さくても
あなたの瞳に映る独立を
誰よりそばで 信じていたい
凍りつくような 強い英軍でさえ
その胸に輝く 独立を消したり
そうよ 消したりなんか出来ない
砲火の中ではためいて
その旗を掲げ続けて
傷ついた あなたの砦に
掲げてあげたい
追加
ソビエト連邦国歌 (MS IGLOO 重力戦線 Mr.Lonly Heart)
曲 http://www.youtube.com/watch?v=FfWkT7TPIYk
『Mr.Communist』
また、ルーシから 一つの声 増えた
飛び出すのは強力な同盟
時代の刃に その心を砕き
主義を信じて こんな祖国へ
ねえ、Mr. Communist
閉ざされた瞳に ソビエトの旗が見えますか
焼かれた同志よ
風は運ぶ 行き場もない侵略者(ドイツ軍)の魂
ねえ、Mr. Communist
吹雪吹く大地では 悲しむ労働者はいない
ああ、許されることを知らないまま
消えゆく侵略者(ドイツ軍)よ
終わりもない労働の途中で落とされた
美しい人民の命よ
ねえ、Mr. Communist
同盟を交わそう 破れないように、強固に
もう何ひとつ、失うものはない
労働はじめたら その忠誠で・・・
ねえ、Mr. Communist
閉ざされた瞳に ソビエトの旗が見えますか
ああ、許されることを知らないまま
消えゆく侵略者(ドイツ軍)よ
ゆきなさい
曲 http://www.youtube.com/watch?v=JGheZOKQyFg
元の歌詞 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%AD%8C
『いつも女王が』
さびしい時も かなしい時も
いつも女王が目に浮かぶ
ひとりの時も あいたい時も
遠くはなれていても
たとえスコットランド人が反逆しても
この世の栄光とともに
まぶしく あの日女王が
さびしい時も かなしい時も
いつも女王が目に浮かぶ
暗殺の危機も 反乱の時も
御世の長さが しのばれる
神の加護がつよく
この世の栄光とともに
まぶしく あの日女王が
曲 http://www.youtube.com/watch?v=HDqN551TbH0
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%8B%87%E8%BB%8D%E9%80%B2%E8%A1%8C%E6%9B%B2
『義勇軍の歌』
誰だ 誰だ 誰だ
新たな長城を築く影
命をかけて飛び出せば
飛べ 飛べ 飛べ 義勇軍
行け 行け 行け 義勇軍
曲 http://www.youtube.com/watch?v=SXBaxsKeh0w
さらば故国よ 旅立つ民は
ヴィスワの彼方(かなた) ヴァルタを越えて
運命背負い 今とび立つ
必ず父は 帰って来ると
手をふる娘に 涙で答え
故国をはなれ ボナパルトの下へ
さらば故国よ 愛する民よ
故国を救う 使命を帯びて
戦う我ら もえるドンブロフスキ
誰かがこれを やらねばならぬ
期待の人が 我々ならば
故国をはなれ ボナパルトの下へ
曲 http://www.youtube.com/watch?v=e2OIQIhAC5o
元の歌詞 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E5%A2%9F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%BE%A9%E6%B4%BB
耕そう! einig Vaterland
働こう! einig Vaterland
東はでっかい宝島
そうさ今こそ奉仕せん!
胸ワクワクの団結が GISSIRI
色とりどりの同胞が DOSSARI
ドイツのどこかで 照らしてる
そいつ見つけにゆこうぜ
人民の敵を ぶっとばし
Let's pflügen pflügen pflügen 魔訶不思議
空を駆け抜け 壁を越え
Let's lernt lernt lernt 大団結
不思議な国が始まるぜ
手に入れろ! einig Vaterland
世界でいっとー てごわい統一
追いかけろ! einig Vaterland
東はでっかい宝島
そうさ今こそ奉仕せん!
曲 http://www.youtube.com/watch?v=65w7qAWcXFY&feature=related
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%9B%BD%E6%AD%8C
手を携え努力しようよ
統一するのが 幸せの証し
ほら君と統一したい
果てない経済的停滞(やみ)から飛び出そう(東が)
Deutsches Vaterland!
曲 http://www.youtube.com/watch?v=LI06uVTAH4A
元の歌詞 http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%9B%BD%E6%AD%8C
『中興のチュラーロンコーン』
失くした領土すべて 維持した領土すべて
答えの潜むタイ人の血と肉
戦争になれば 血の一滴まで戦うつもり
傷つかないで 僕の国民
この気持ち知るため生まれてきた
七百年と七十年前から独立してる
七百年過ぎた頃にかなり危なくなった
七千年と七十年あとも独立してる
曲 http://www.youtube.com/watch?v=INsPKy3Rzd0
元の歌詞 http://rasiel.web.infoseek.co.jp/mil/fratelli.htm
『私は歩兵』
あるこう あるこう わたしは死ぬ気
統一 だいすき どんどん逝こう
かぶとを かぶれば 覚醒だ
ローマのかぶとで つよくなったきがする
いのちをすてて こうしんだ
あるこう あるこう わたしは死ぬ気
統一 だいすき どんどん逝こう
団結しよう 統一の日まで
兄弟たくさん だいじょうぶかな?
あるこう あるこう わたしは死ぬ気
統一 だいすき どんどん逝こう
恥辱も 嘲笑も 出て行って
ヘタリアなんて だれにもいわせない
統一すれば いわれないはず!
統一すれば いわれないはず!!
それはもう、非常に理解しがたいです。他の惑星で映画を撮ってるようでした。
―それはなぜですか?
ただ、何もかもが完全に違っているんです。よく言われることですが、道路標識から人々の行動の仕方、ふるまい方など、何から何まで。なんというか・・・ただ自分たちとはあまりに違っています。うまく言えませんが。
―あなたは日本社会を共産主義と比較して、資本主義の顔をした共産主義と言っていましたよね・・・それはどういうことですか?
恐らく、そういった類の管理社会だからです。共産主義下の人々が自由でないような・・・それと同じように、日本は強烈な超資本主義社会であり、社会が莫大な金儲けを追求し続ける中で、人々が自由でないのです。皮肉なことに、映画に出てくる日本人たちには全くお金がないわけですが!
―映画の主人公は他の日本人とだいぶ違っているように見えます。画一主義、同調主義でないし、とてもユーモアがあるし、くだけた物言いをします。なんと珍しい!
(笑) まぁ確かに・・・こういう日本人には会ったことがないでしょうね。彼は例外的に珍しいです! たぶんこの映画を作った理由はそういうところにあると思います、本当に・・・。例えば、会社の朝礼の場面(皆で朝の体操、あいさつの練習や目標の斉唱をする)、あれこそ日本です。あの悲惨な国のそういった部分こそ、これまで見てきて疑問を持ち続けてきたことなんです。
―あなたは、日本人は彼のような国民を否定的に見ている言っていましたが。
そうです。日本人からすると、彼は日本で良いイメージを持たれるような輝かしい例ではありません。日本人にとって、彼のような人は単なる負け犬です・・・公の場に汚点を晒しているようなもので、日本の文化の中では恥さらしと思われます。彼自身にとっても、国にとっても、国民にとっても恥だと思われるんです。彼は女性のヒモ状態で生活しています。現代の日本では非常にネガティヴなイメージです。でも、日本人は歓迎しませんが、僕は彼はこの国のヒーローであると思います。日本人が早く目を覚まし、国のおかしさに気付いて現実的に対処しようとすればするほど、その方が多くの人にとってマシになるはずです。そしてたぶん、一日に100人も自殺するような状況を止められるでしょう。
http://shonai.air-nifty.com/dokitomo/2010/02/68-c890.html
当初は張り切っていた私だったが、東京の中でさまよううちに、この映画が今までで最大の難題だと気付いた。私のジレンマは、日本をあまり好きになれないということだった。人々の個々の魂を殺してしまうような、非常にハードな社会だったのだ。公園にいるホームレスを見ていたら、そのうちの1人が私にこう言った。「気の毒だなんて思わないでくれ。俺は今、自由の身なんだ」私は、このような複雑さを捉えた映画を作りたかった。 (「監督のことば」より)
君が代不起立元教員、二審も敗訴 東京高裁
卒業式の君が代斉唱時に起立しなかったのを理由に、定年後の再雇用を取り消したのは違法として、東京都に対し都立高の元教員10人が再雇用の確認や慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は23日、請求棄却の一審東京地裁判決を支持、元教員側の控訴を棄却した。
起立や斉唱などを指示した都教育長通達や校長の職務命令が思想・良心の自由を定めた憲法に違反するかどうか、都の処分が裁量権の乱用に当たるかどうかが争点だった。
奥田隆文裁判長は、通達や職務命令について「起立や斉唱の外形的行為を求めるのは特定の思想の強制や禁止に当たらず、思想・良心の自由を定めた憲法に反しない」と指摘。
都の処分についても「不起立は職務命令違反や信用失墜行為に当たる。『勤務成績が良好』との再雇用の要件に欠けるとした都の判断は不合理とはいえない」とし、裁量権の逸脱はないと判断した。
判決によると、原告10人のうち9人は2004年1月、再雇用などの合格通知を受けたが、同3月の卒業式で起立・斉唱しなかったのを理由に取り消された。残る1人は翌05年に合格通知を受けたが、同様に取り消された。
再雇用しても言う事聞かないのは分かりきってるんだから雇用する義理も義務も無いと思うけどな。
当人が「反省してます。次からはきちんとやります」と言うのであれば話は別だろうけど。
フランス:「フランス人とは何か」サルコジ政権が問い ゆがむ論議、広がる反発
<世の中ナビ ワイド NEWS NAVIGATOR 国際>
◇「崇高な運動」か「移民・イスラム排斥」か
「フランス人とは何か」。そんな根源的な国民論議がフランスで続いている。国民の10人に1人が移民(不法移民も含む)であるという現実を前に、保守派のサルコジ政権が「フランス人を定義し、国民の誇りを再確認しよう」と呼び掛けた。フランス語を話す、国歌を歌える、伝統的な政教分離主義を守る、などさまざまな意見が出る一方で「こうした論議自体、移民やイスラム教徒の排斥につながる」との反発も強くなっている。【パリ福原直樹】
◇国歌斉唱は義務?
政府が昨年10月、国民に求めた論議のテーマは「仏国民とは何か」「フランスや仏国民のアイデンティティー(価値観など)を移民がどう共有するか」の2点。移民省は全国約450カ所で討論集会を開く一方、インターネットの公設サイトでも意見を求めている。2月にも政府報告を行う予定だ。
サイトには既に5万人が意見を寄せた。それによると仏国民の定義として、▽フランスを愛し国是の自由・平等・博愛の精神を信奉する▽(政教分離などを記載した)憲法を順守する▽キリスト教の伝統を受け入れる……などが出された。
政府はその一方で、「若者に年1回、国歌の斉唱を義務付ける」「仏語や共和国の精神を学ぶ機会を設ける」などの政策を提案した。移民らがフランスの価値観を理解する一助にしたいという。
◇保守派からも批判
だが、論議開始以降「反移民感情をあおるだけだ」との批判が、野党第1党・社会党や知識人、移民の間に広がった。フランスの移民は「外国で生まれた外国人で市民権取得などを目指して永続的にフランスに居住する者」との定義があり、仏国籍を取得した者も含まれる。
人口約6100万のフランスには、不法移民を除くこうした移民が約500万人居住し、イスラム教徒も約600万人(移民との重複あり)いて、同化政策は仏社会で大きな問題となってきた。
こうしたことから論議のテーマの設定自体が「移民やイスラム教徒にフランスの価値観を押し付けるものだ」との批判を呼んだ。社会党のオブリ第1書記は「(移民排斥の論議につなげることで)政府は移民に(失業などの)社会問題の責任を押し付けようとしている」と指摘した。
保守派からも批判が出た。ジュペ元首相は「論議は国内の対立、特にイスラム教徒への反感をあおった」と発言。ドビルパン前首相も「こんな重大なテーマを経済危機で団結すべき時に持ち出すべきではない」と異を唱えた。
一方、全仏組織の「イスラム教徒会議」幹部は「論議は(イスラム批判という)本末転倒の方向に向かう」と懸念を表明。「サルコジ大統領は3月の地方選を前に(ナショナリズムをあおり)移民排斥を求める極右票の取り込みを狙った」(野党・緑の党など)との指摘もあり、世論調査でも72%が「地方選を念頭にした論議」と見なした。
◇相次ぐ問題発言
これらの懸念は当を得ていたとも言えそうだ。国民論議の集会で、政府の家族問題担当長官は「フランスの若いイスラム教徒に望むのは職を見つけ、俗語を使わず、帽子を逆向きにかぶらないことだ」と発言した。「イスラム教との共存の可能性」を問う質問への回答だったが、これは「イスラム教徒への中傷であり、国民論議はイスラム(排除)が目的だ」(社会党など)と厳しい批判を招いた。
また仏東北部での集会では、与党「国民運動連合」の地方幹部が「(移民は)何もせず金だけもらっている」「国民論議は必要であり(移民に)反撃する時だ」と述べた。一方、与党幹部は「仏国内のモスク(イスラム礼拝所)と、キリスト教聖堂の数が等しくなれば、この国はもうフランスではなくなる」と語ったと報じられた。
「フランスのアイデンティティー確立」は、07年大統領選でのサルコジ大統領の公約で、大統領は国民論議を「フランスとは何かを知る崇高な運動」と強調している。だが当初、論議を支持した中立系のルモンド紙は、最近の社説で「論議は悪い方向に向かっている」と主張。社会党同様、論議の中止を求める立場に転換している。
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http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfa.livedoor.biz/archives/51516373.html
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敵との対比(実際の敵であることもあれば空想上の敵であることもある)において自己を定義しようとする様々なイデオロギーである。このようなイデオロギーでは敵(すなわち自分が無力である原因)が悪の元凶扱いされ、反対に、道徳的に優れているのは自分だとされる。彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ、というわけである。あるいはまた、世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが世界より優れている、ともなる。
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問) その問題はいいですけれども、大臣はこの会見場で国旗を掲揚すると同時に、野中官房長官談話にあるように国歌の斉唱・演奏、これをやるという考えですか。
答) ここでは別に歌を歌うということは、私はやってもいいけれども、皆さん方に強制するとまた裁判か何か起こってややこしくなるから、その時は考えて…。
問) だったらやっぱり国旗も同じように考えた方がよろしいんじゃないですか。
答) 国旗というのは常に設置されているものであって、歌というのは必要な時に歌うものであって、じゃあ国務大臣は一日起きている時は24時間歌を歌っていなきゃいけないのみたいな話になっちゃいますから、国旗の役割と国歌の役割というのは違うんですから、記者会見をやる時に国歌斉唱するなんていうことは全く考えておりません。
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1194324075/
★国歌で起立せず、国旗に背を向け 北海道文化賞受賞者 ・北海道教委が5日、札幌市内のホテルで行った北海道文化賞贈賞式で、壇上にいた 受賞者の1人の演劇演出家、鈴木喜三夫氏(76)と夫人が、国歌斉唱の際いったん 起立したものの、国旗に背を向けたまま自席に着席し斉唱に参加しないという一幕が あった。 (略) 式典後、鈴木氏は「先の戦争で多くの仲間が特攻隊として死んでいった。とても立って (国歌を)歌う気になれない」と語った。
この記事に対するレスを見るとやはり日本は右翼化していると思わざるをえない。
実際に戦争を体験し、その体験がゆえに君が代を歌えなかった人に対して
「ボケ爺乙」「日本から出て行けばいいのに」「こういう馬鹿は竹島に島流しでいいよ」
などという誹謗中傷が目立つ。
http://anond.hatelabo.jp/20070416183656
これはどこの地域でもあることだろうけど、学校行事・式典で国家を歌わない。
小学校卒業間近となったある日、教師達は口々に「歌いたくないなら歌うな」と言ったり、「私達(教師)は歌う事を強制されている」と被害者ぶった口調で言ったり。
卒業式では、「国家を斉唱します」→「起立してください」→「国家斉唱」という流れだったから、歌おうという人は立たねばならなかった。
歌うために起立した人には当然冷たい視線が送られたわけですけども。
それ以前に、「歌いたくなければ立たなくていい」と教師に言われていたので、立つ生徒は皆無に等しかったのを覚えています。
自分のときは小渕が首相だったかな、なのでこのエントリーを書かれた方と同じ年代だと思うんですけど、
滋賀県の某市立小学校に在籍していた僕は君が代斉唱のときに愉快な経験をしていて。ちょっと書き込みたくなったので増田にぽちっとな。
??????
――この方と同じように、僕の小学校でも卒業式のリハ前に、教師が君が代っつーか戦争の歴史を語って、「歌いたくないなら歌うな」ということを言っていた。
5年生の時だったか、1時間ぐらい割いて学年集会としてそういう「平和教育」をした記憶がある。
ただし、「国家斉唱」するときは「起立してください」がその前になく、ずっと立ちっぱなしだったので、
国歌をうたわないという意思表示をするには「立たない」ではなくて「座る」ことをしなければならない。
これがクセモノで、「歌うために起立」すると目立ってしまうけど、「歌わないために座る」ということは、
立っている人の中に埋もれるということになるので、まったく目立たない。
というか目立つ目立たないはどうでもよく、当時純朴まっしぐらだった小学生たちは教師たちの言うことを頭のてっぺんから足のつま先まで信じ込んでしまった。
そして卒業式のリハーサル。「国家斉唱」と言ってまず座ったのが全体の1割(ちなみにこのなかに僕も居た・笑)、そしてそれを見て
立っているのが恥ずかしいと思ってしまった残り9割の一部が、斉唱中にばたばたと座ってしまった。
結局、歌い終わるまでに3割ぐらいが着席して、かなり慌しく騒がしいリハーサルになった。
リハーサルが終わったあと、先生が国歌斉唱について苦言を呈した。
「国歌斉唱の途中で座るのはよくない。騒がしい。中途半端な気持ちや、みんなが座っているからといって座るのはよくない」
みたいな注意だったと思う。
「中途半端な気持ち」。確かに座ったほぼ全員の人が「中途半端な気持ち」で座った、のだろう。
戦争の被害が??とか言われてしまって、悪いレッテルを貼られたらそりゃもう、歌う訳にはいかないし、何より教師にとっていい子であるために、僕は座ったんだ。
だけどもし、今その時に立ち返って教師に質問できるとしたら、子供がそんな「硬い意思」を持てるのだろうかと僕は反論したい。
子供がそんな強い意志を持っていいのか。子供に覚悟決めさせることが教師の、大人のすることなのか。
子供は未熟で、あやふやな存在だ。だから大人を見て育つ。その為に教師たちのいる学校にも行く。
大人の模範である教師に「君が代には血塗られた歴史が??」みたいなことを言われたら、誰でも不安になってしまうんじゃないだろうか。
不安という予感はあやふやで不確かで、つまり「中途半端」な気持ちだ。
ホームルームで僕は思った(もちろん↑みたいなかしこまった考え方じゃなくて、なんとなくもやもやとした気持ち悪さを感じていただけだが)。
「中途半端な」存在に押し込めた責任は、先生たちにあるんじゃないか、っていうことを。
結局、当日の国歌斉唱では誰も座らなかった。