http://anond.hatelabo.jp/20070416183656
これはどこの地域でもあることだろうけど、学校行事・式典で国家を歌わない。
小学校卒業間近となったある日、教師達は口々に「歌いたくないなら歌うな」と言ったり、「私達(教師)は歌う事を強制されている」と被害者ぶった口調で言ったり。
卒業式では、「国家を斉唱します」→「起立してください」→「国家斉唱」という流れだったから、歌おうという人は立たねばならなかった。
歌うために起立した人には当然冷たい視線が送られたわけですけども。
それ以前に、「歌いたくなければ立たなくていい」と教師に言われていたので、立つ生徒は皆無に等しかったのを覚えています。
自分のときは小渕が首相だったかな、なのでこのエントリーを書かれた方と同じ年代だと思うんですけど、
滋賀県の某市立小学校に在籍していた僕は君が代斉唱のときに愉快な経験をしていて。ちょっと書き込みたくなったので増田にぽちっとな。
??????
――この方と同じように、僕の小学校でも卒業式のリハ前に、教師が君が代っつーか戦争の歴史を語って、「歌いたくないなら歌うな」ということを言っていた。
5年生の時だったか、1時間ぐらい割いて学年集会としてそういう「平和教育」をした記憶がある。
ただし、「国家斉唱」するときは「起立してください」がその前になく、ずっと立ちっぱなしだったので、
国歌をうたわないという意思表示をするには「立たない」ではなくて「座る」ことをしなければならない。
これがクセモノで、「歌うために起立」すると目立ってしまうけど、「歌わないために座る」ということは、
立っている人の中に埋もれるということになるので、まったく目立たない。
というか目立つ目立たないはどうでもよく、当時純朴まっしぐらだった小学生たちは教師たちの言うことを頭のてっぺんから足のつま先まで信じ込んでしまった。
そして卒業式のリハーサル。「国家斉唱」と言ってまず座ったのが全体の1割(ちなみにこのなかに僕も居た・笑)、そしてそれを見て
立っているのが恥ずかしいと思ってしまった残り9割の一部が、斉唱中にばたばたと座ってしまった。
結局、歌い終わるまでに3割ぐらいが着席して、かなり慌しく騒がしいリハーサルになった。
リハーサルが終わったあと、先生が国歌斉唱について苦言を呈した。
「国歌斉唱の途中で座るのはよくない。騒がしい。中途半端な気持ちや、みんなが座っているからといって座るのはよくない」
みたいな注意だったと思う。
「中途半端な気持ち」。確かに座ったほぼ全員の人が「中途半端な気持ち」で座った、のだろう。
戦争の被害が??とか言われてしまって、悪いレッテルを貼られたらそりゃもう、歌う訳にはいかないし、何より教師にとっていい子であるために、僕は座ったんだ。
だけどもし、今その時に立ち返って教師に質問できるとしたら、子供がそんな「硬い意思」を持てるのだろうかと僕は反論したい。
子供がそんな強い意志を持っていいのか。子供に覚悟決めさせることが教師の、大人のすることなのか。
子供は未熟で、あやふやな存在だ。だから大人を見て育つ。その為に教師たちのいる学校にも行く。
大人の模範である教師に「君が代には血塗られた歴史が??」みたいなことを言われたら、誰でも不安になってしまうんじゃないだろうか。
不安という予感はあやふやで不確かで、つまり「中途半端」な気持ちだ。
ホームルームで僕は思った(もちろん↑みたいなかしこまった考え方じゃなくて、なんとなくもやもやとした気持ち悪さを感じていただけだが)。
「中途半端な」存在に押し込めた責任は、先生たちにあるんじゃないか、っていうことを。
結局、当日の国歌斉唱では誰も座らなかった。
むしろ僕個人の愚痴なわけだけれども、まずはこの記事を読んでから。 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/956179.html 広島県が「人権教育」で知られるなんて知らなかったものだから、広島県...
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君が代を生徒に歌わせた教師の言葉は、決断をうながすテンプレとして使えそうだ。 原文 http://anond.hatelabo.jp/20070416221255 「国歌斉唱の途中で座るのはよくない。騒がしい。中途半...
むしろ君がアホのテンプレになっていると思うんだ。
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