はてなキーワード: 斉唱とは
むしろ僕個人の愚痴なわけだけれども、まずはこの記事を読んでから。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/956179.html
広島県が「人権教育」で知られるなんて知らなかったものだから、広島県福山市在住の高校三年生の僕は上記の内容をより詳しく読みたくて、櫻井よしこ氏の「日本の危機」を購入したんですよ。
「人権教育の柱は、”差別・選別をしない”です。結果として先生はいつも生徒と同じ目の高さにいなければいけない。ですから、普通にあるような授業の始め方”起立、礼”さえもありません。”はい、静かにして” ”席について”と何となく始まり”ここまで”と何となく終わるんです。
僕が小学五??六年生の頃だから、五・六年前になるのかな。僕の通っていた小学校では、「起立、礼」の廃止はありませんでした。
ただ、特筆すべきは給食のとき。
小学校の給食では、日直やら当番やらが「いただきます」の音頭を取るのはどこの小学校でもあることだと思うのですが……
僕の学年、いや、学級ではその「いただきます」の合掌を担任が意図的にやめなさいと言うのです。
先生の言い分は、宗教的に「いただきます」で手を合わせることが出来ない人だっているでしょう?と、いうもの。
他にも何か言っていたような気がするけど、思い出せない。
では、どうやって食事開始の音頭をとるのか。
1.日直が教卓の前に立ち、教室を見回す。
3.皆に給食がいきわたっている事を確認する。
4.「では食べてください」と言う。
僕の学級ではこれが日常だったのです。
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「公立学校の学力低下で、県内外の私学や国立大学付属校への進学を志望する親や子供も多いのです。ところが人権教育絶対の教師は、これが気に入らない。先生は”なぜ私学か” ”なぜ県外か”と苛めるのです。
私の娘も、六年生の時、クラスで一人だけ私学を志望し、先生だけでなく、クラス会や児童からも責められ、一週間食事もできない程になりました」
そういえば僕の担任教諭も飛びぬけた子が嫌いだったなーと思う。
井の中の蛙だけれども、僕は小学生の頃、学習塾に通いクラスの中で一、二を争う成績を修めていたんです。
それでもって県下では最高レベルの中学校、広島大学附属福山中学への進学を志していました。
小学五・六年生と言えば、反抗したいお年頃。
僕も例外ならず、他の生徒とつるんで教師に迷惑をかけていたわけです。
で、僕の担任教諭は、「僕」が教師に迷惑をかける理由を、「僕が国立大附属を志望しているから、塾通いでストレスが溜まるから」と言い切ったのです。
その当時の僕でもさすがにおかしいと思いました。
他にも私学や国立大附属を志していたクラスメイトはいましたが、僕だけに矛先を向けたのです。
その事が理由かどうかは知りませんが、僕が給食を残そうとすると、担任教諭はそれを阻止し、「食べるまで離さない」と言い、昼休憩の間僕をずっとイスに縛りつけたり(残している生徒は他にもいたが)、放課後僕だけを教室に残し、「どうしてこんなことをするの?(どうして私達に迷惑をかけるの?)」と被害者面で聞いてきたり。
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そういえば、僕が小学六年生の頃の日本の首相は森喜朗でしたっけ。
音楽室に六年生だけを集めて、六年生の担任教師二人とプラスアルファの教師が、僕らにこんな質問を投げかけた。
「一番大切なものって何だと思う?」
さぁ、みなさんも一緒に考えて見てください。
「森首相?」
クラスの誰かが言った、しかし答えはNO。
「天皇?」
…教師達の提示した答えは「自分自身」。
その当時アホだった僕は「なるほどー」と思ったりした。
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これはどこの地域でもあることだろうけど、学校行事・式典で国家を歌わない。
小学校卒業間近となったある日、教師達は口々に「歌いたくないなら歌うな」と言ったり、「私達(教師)は歌う事を強制されている」と被害者ぶった口調で言ったり。
卒業式では、「国家を斉唱します」→「起立してください」→「国家斉唱」という流れだったから、歌おうという人は立たねばならなかった。
歌うために起立した人には当然冷たい視線が送られたわけですけども。
それ以前に、「歌いたくなければ立たなくていい」と教師に言われていたので、立つ生徒は皆無に等しかったのを覚えています。
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長々と書いてきたわけですが、他県の教育の現場はどうなのでしょうか。
案外広島県と変わらなかったりして。
増田テーマソング(死人の箱には15人♪)
2007年春、ひとりエクスタシーサミットin増田アンコールラスト
[替え歌]HACK STAR / THE GREASE MONKEY
ニヒルなあいつにROCK’ON 〜秩序なんてぶちこわそうよ!!!〜