はてなキーワード: 名詞とは
オブジェクト指向とかかっこいい言い方をしても無駄だ。従来の構造化プログラミングから進歩したことなど一つもない。オブジェクト指向がなぜダメであるのか、それを今から話すぜ。
1. データと処理をまとめるという発想。
データと処理をまとめてクラスとして置くという発想がある。しかし、このようなことをしなくとも、モジュールという単位で利用データと処理の集合をまとめればよかったので、クラスを使う必要はない。しかもクラスはインスタンス化のときに、不要な情報まで持ってくるのでメモリ効率が明らかに悪い。コンピュータが進化しているからメモリのことはあまり考える必要がないとはいえ、必要ない処理をまとめて閉じ込めるのは無駄が多い。なぜクラスという名詞で概念分類できると考え始めたのかは不明だが、アルゴリズムとデータ構造という構造化プログラミングの手法を、クラスと型というパラダイムに変換することで型にうるさいC++馬鹿を生み出し、彼らが発狂することになってしまった。しかもデータと処理にわざわざ依存関係を持たせて、変更に対する柔軟性を失わせている。
2. 継承
継承によって既存の構造を持ってこようとする必要性が全く無い。それどころか、継承を使うことによってプログラムがスパゲティ化し、依存関係のグラフがややこしくなってしまう。継承など使わず、必要な情報はスコープの限られた共通の変数、または関数の引数として用意しておけば良い。もしクラスをどうしても使いたければ、共通のインターフェイスをもたせたほうがマシである。インターフェイスを使えば、クラス利用者が意識すべきpublicメソッドがなんであるか把握できる。
3. カプセル化
オブジェクト指向の中で役立つ概念はカプセル化だけである。しかし、カプセル化はクラスなしで構造化プログラミングの方法で実装できる。pythonでは、モジュールの中でアンダースコアから始まる関数を用意しておけば、それがprotectedやprivateと似たように機能させることができる。オブジェクト指向がなぜカプセル化が独自の概念だと言い始めたかは謎。
4. ポリモーフィズム
同じ名前のメソッドを、入力に応じて処理の内容を変える。このようなことはオブジェクト指向などと誇大宣伝をするほどのことでもない。構造化プログラミングで似たようなことができる。
あら、日本語覚えたて?
言われてみるとたしかに「〜から」の用法って一つだけじゃないから勘違いするのも無理ないかも。
[格助]名詞・活用語の連体形に付く。また上代では、助詞「が」「の」「のみ」にも付く。
㋐空間的起点、出所を示す。「目―大粒の涙が落ちた」「本人―直接話を聞く」
「波の花沖―さきて散り来めり水の春とは風やなるらむ」〈古今・物名〉
㋑時間的起点を示す。「会議は午後1時―始める」「朝―強い風が吹いている」
2 経由する場所を表す。…を通って。…に沿って。「東京を出て、名古屋―京都へと向かう」
「人の親の娘子児 (をとめこ) 据ゑて守山辺 (もるやまへ) ―朝な朝 (さ) な通ひし君が来ねば悲しも」〈万・二三六〇〉
3 理由・原因・動機・根拠を表す。…のために。…によって。「操作ミス―事故が生じた」
「恋草を力車 (ちからぐるま) に七車積みて恋ふらくわが心―」〈万・六九四〉
観念としての同性愛とか異性愛みたいなのがそもそもない世界観で漫画って描けないものなんっか?
同性愛を忌避するからこそ同性愛というのはカテゴリとして切り出され名詞として概念化されるわけだし、同性愛って概念があるからこそその対比として異性愛っていうのがわざわざ概念化されて意識されるんだよな。
つまり恋愛対象を決めるためのファクターとしてそもそも性別を勘定に入れない文化、世界においては同性愛も異性愛もクソもなく、等しくなんらかの形の恋愛があるだけとなる。
そういう現実とは違う感覚の世界をわざとらしい説明文句なく自然と描いてる作品があったらLGBTqに関する啓蒙にもなると思うそう何より純粋に面白い
カテゴリとしてのボーイズラブっていうのは多様性に効果があるようで単純に男と男の恋愛を商品化してるだけ。男と男であるという組み合わせとしてむしろ性別という概念を強調してしまってるだけなんだよな。当然百合も同じ。
そうじゃなくてさ、たとえるなら源氏物語の光源氏みたいな遊び人が男も女も構わず、というより性別というファクターがそもそも考慮に入ってないために性別であえて見たら偏りなきいろんな人に手を出してるみたいな作品があればいいとおもうわ。当然世界観としてそうであるから、他の登場人物も現実の用語でいうなら全員パンセクシャル。(ただその世界観においては異性愛自体異端じゃないし概念としてないのでパンセクシャルという言葉を作中で使ったら不自然)
ただそういうの出したとき電子書籍とかでどのタグで売ればいいのか困るかが些細な問題。まあ普通に少年漫画でも少女漫画でもいいじゃねそこはむしろただの画風という視覚的な問題であって物語の筋はあんま関係ない
少なくとも新明解国語辞典ではそうなってる。
そのくせサイエンスフィクションは俗語扱いされてない。これは変だ。
ボーイズラブもサイエンスフィクションも創作物を分類するための用語であるという点ではいずれか一方を俗語扱いできるような合理的根拠はないだろう。
新明解国語辞典の略号説明を見たら、俗表記は卑俗な語や新しい語を指すとあった。
卑俗な語というのが正真正銘の俗語のことだろう。新しい言葉というニュアンスで俗語扱いした可能性が残った。
韓流という言葉が外来語として使われるようになったのは2000年代のことだろう?ボーイズラブは下手したらコミケ創成期からあった言葉だよな。なんだこいつ。
俗語扱いすることに何をこうも怒ってるかというとこれは限定的ではあるにしろ言葉狩りに等しいからだ。
俗語というのは改まった場では使えないとされている。
つまり改まった場ではボーイズラブという概念を指し示すのに別の言い方をしなければならないということだ。当然やおいも俗語扱いだ(まあこれは古来の隠語の特徴にも当てはまってるし仕方ない)。
しかしボーイズラブ以外にその概念を指し示す名詞はない。なのでこれを俗語扱いすることは、その使用にあたっていちいち「男性同士の恋愛を題材にした創作物」などという言い方を強要していることになるのだ。多少なりとも冗長になる言い方を強要されるのだ。またこの俗語扱いというのは、該当語句を改まった場で使った人間に対しては教養がないと思えというメッセージも与えている。差別&言葉狩りだろこんなん?
社会学者だって論文でもボーイズラブぐらい使いますよ。もしかして男性同士の恋愛を題材にした創作物という意味を書いたうえで「今後は当該コミュニティや市場でも使われている言葉だし回りくどいのでボーイズラブという言葉でこの概念を表現することをお許しいただきたい」みたいに書いてるとか思ってる?
許しを乞わないと使うことを許されない言葉なの?アホ?