はてなキーワード: 内心の自由とは
当たり前のことを認識するたびに痛みを感じるというのはどういうわけだ。「わけ」も何も全ては俺の愚かさに起因している。“偶然が許した例外なのに 贅沢な期待を持ち過ぎたため それ同士の共食いになってる”。しかし俺には偶然与えられた例外すらなかった。彼女はある場所でしっかり俺との間に線を引いているし、会話の中でも話題によってはここからは踏み込まないでほしいという意思をいつも上手に示していた。俺は彼女が「行方不明」になっていた期間に募らせた想い、行き場のなかった想いの歪な解消法として、手前勝手な妄想を育てるという方法を用いていた。それは変異種のような奇怪な成長を遂げ、俺にとっての日常になってしまった。夜寝る前の一種のルーティン。内心の自由を言い訳に育てた妄想は抱えきれない大荷物となり、それを隙あらば彼女へ向かって溢れ出させようとする俺がいて、しかし隙など当然なく、そして彼女は健全な人間関係を取り戻していきつつあり、そこに俺の出番は減るし、俺は誰も見向きもしない場所でただただ嫉妬している。嫉妬!気持ち悪いが認めざるを得ない感情。本当は俺がその役割を負いたかったのに、などという贅沢な期待。俺は俺を一時期癒やしてくれた妄想に復讐されている。それを終わらせる方法がわからない
こないかな~
完全にAIで検知できるようになって、嘘がつくのが犯罪になる世界
一回大混乱に陥ると思うけど、そのあとは猛スピードで善人に権力が集まるいい社会になると思うんだよね
優しい嘘とかいうのがあるけどあれもなくなる
そして本当のことを丁寧に伝えるのが当たり前になった結果
現在「ショック」とされることもいずれ当たり前になって「言い方」を考えるようになっていく
年に一回「私は犯罪を犯していません」って宣誓できるかどうかで健康保険が与えられるとかでもいいな
「幼児を犯したいと思ったことがあります」「そうですか、実行したことは?」「ありません(本当・AI判定通過)」これだけやれれば無罪みたいな
物流とかテクノロジーとかは人間の嘘とか関係なく動き続けるから世界が滅亡とかはないと思うんだよね
今のところ、嘘が見逃されてる理由って「確かめようがないから野放し」なところない?
サイコパスの潜在的な犯罪者はいきすぎだと思うんだよね、やっぱりやったことで判断されるべき。で、脅したりせず自白を100%取れる共通認識がある世界って随分犯罪も減ると思わん?
悩む気持ちはわからんでもないし内心の自由の保持できればというのはわかるが、結局どう考えても結局犯罪者予備軍なんだよな。
生物学上若い性的対象を求めるというのは理解できなくはないが、小児愛性衝動は強盗したいとか万引きしたいとか殺人をしたいとかと同じ衝動で、沸き上がること自体が社会的にはやっぱり駄目なんだよ。
でも衝動は異常だが、衝動の異常性を理解できているあなたは間違っていない。
今のうちにカウンセリングを受けたほうがいい。
理論的には可能なんだろうけどさ、その「内心の自由」ってどういうものなんだろうか。
一切表に出さず、頭の中でぐるぐると子供への性的な気持ちを自己充足的に完結させられる。そんなのってある?
たとえば妄想を絵にしたりするんだろうか。でもそうやって絵にするためには、モデルがいるよね。誤解しないでほしいけど、ロリエロイラストはロリエロ写真や動画を参考にして模写しないと描けない、なんて話じゃない。ただ、一対一で対応するようなモデルが必要なわけではないにしろ、なんらかの形で想像の拠りどころとなるような体験というか原情報は必要なんではないのか。つまり見られている人にはわからないような形で、どこかの誰か子供をエロい目で見たことがないのに、ゼロからいきなり完全な想像の産物としてのロリエロイラストを描くことが果たして可能なのだろうか。そしてそれはたまたま気づかれなかったにしても、やっていることは「内心」にとどまっていないのではないか。視姦という、犯罪ではないにしろ、もし気づかれたら対象にとって多大なストレスを与えるような、害を与える行為を実行していることになるのでは。
合法的に手に入る子供向けファッション誌とかそういうのをオカズにするのかな。あとは昔の美術に描かれた子供とか? あとなんだろう、もしかしたら子供みたいな雰囲気の人形とかを使うのかな。でもそういうものが、たとえば「ペドファイルの性欲を満たすための合法的道具」として買えるようになったとして、そういうものが流通しているという状態が存在すること自体が、「子供の身体は性的に扱っていいのだ」というメッセージを発してしまうことになるのではなかろうか。
ペドファイル・チェックみたいなものが社会的に実施されて、それに引っかかったら予防拘禁されるとか、そういう自体を引き起こしてはいかんという意味では、ペドファイルにも内心の自由はあるとは思いますよ。でもなんか、チャイルドマレスターと峻別して、LGBTQのQの中に入れて、社会的に存在を承認してあげなければならないのです、みたいな話になると、それはなんか違わない? って気持ちになる。認めることによって、子供に密やかに性的なまなざしを向けることが肯定されてしまうとなったときの子供の気持ちってどうなんだろうな、みたいな。ようは、社会的に存在は認められていないというか、政治的な権利獲得などを求めることはできないけれども、ゾーニングされた形でエロイラストみたいなものが流通して、それで無聊をかこつくらいには、ある種の「必要悪」みたいな形で存在が許される立場である……みたいなのが落としどころなんではないのかなー。
ちなみにこういう話をすると、同性愛もかつては社会的になんたら〜……みたいな反論が来るんだろうけど、同性愛って性の対象を対等な相手として想定できるでしょ? 子供は性的自己決定権を制限される、未熟な存在であるという線引で社会が回っている以上、どうしたって子供はペドファイルにとっては対等な相手には定義上なりえないわけで。そこんところが同性愛や他の成人同士ないし対等な関係の相手との関係性だけを認めるものと違うんじゃないのかなー、ペドファイルは。
そう、結局のところ、やっぱ「相手が(対象が)子供だ」ってことが、やはりなんらかの扱いの差を生むのはしょうがないんじゃないのかなぁ。なんか世の中が大々的に方針転換でもして、どんな年代の相手でも恋愛対象として見なしてよし! とでもならん限りは。
小児性愛者のブコメに表明している時点で内心の自由ではないとかのたまうコメントが散見されたけど、思想・良心の自由と表現の自由の関係も理解していない人間が社会問題にどうこう言うのはいくら何でも早すぎるよ
まず大前提として、小児性愛者がその性的欲望を「実際の」小児に対して実行するということは、現代においては大多数の国で刑法上の犯罪でもあり、社会通念上も許されない行為とされている、ということは踏まえた上で。
小児性愛者向けの非実在表現によるポルノグラフィの供給・流通については、そもそも「小児性愛」という性的欲望のかたちをどうとらえるか、という根本的な立場の違いによって、2つの異なる考え方が生まれてくる気がする。
要は、小児性愛という欲望自体が病理なのか、そうではないのか、ということだ。行為は犯罪でも欲望そのものは病理でないとするのなら、欲望自体に介入する根拠は乏しい。病理であるのなら「当事者のメンタルヘルスのためにも」(パターナリスティックな)介入が可能になる。
そして、そうした心理的傾向---特に、特定の対象に対する選好・執着・嗜癖・依存など---が病理かどうかを決めるのは、究極的には医療専門家集団ではなく社会的なコンセンサスだ。たとえばADHDは昔は「不注意」という傾向だったが、いまは労働現場における時間管理やタスク処理に対する要請水準が厳しくなったことで、立派な「障害」になった。アメリカの福音派や保守派教会は、昔は同性愛行為を宗教上の罪としていたが、90年代以後はゲイ男性の性的傾向を障害とみなして「治療」する修復療法(reparative therapy)を盛んに行っている(あまり効果はない)。我々が今後、それらと同じような手つきで小児性愛と当事者を扱うかどうかということだ(これは、シロクマ先生がお好きな医療化という論点とも深く関わってくる)。
小児性愛の実践が「犯罪」であり「悪」であるということについては、現代社会では一定のコンセンサスが確立したといっていいけど、「現実世界に被害者がいない形で解消される小児性愛という欲望のありかた」自体を病理とみなすべきかどうかについては、どこかに絶対の正解があるわけではない。今のDSMやICDやMSDマニュアルにどう書いてあろうと、それは私達の社会の観念の反映であり、相互作用的に規定されているのだから。これは我々自身が考え、議論し続けなければならない問題だ。「小児性愛を題材とした非実在表現によるポルノグラフィの流通」の是非も、その結論しだいで変わってくる。