はてなキーワード: マウントとは
そんなに「人にやってもらうなら、ありがとうは当たり前」であるならば
コンビニやスーパーのレジではさぞみんなの「ありがとう」の声が飛び交ってるんでしょうねぇ— 赤木智弘 (@T_akagi) March 17, 2024
これに対してX民は全員「言うのは当たり前」みたいな感じになっているけれども、
俺は言わないんだよ。スーパー・コンビニ店員の「ありがとうございました。」のタイミングで会釈だけしてる気がする。
なんで言わないか考えたら「ありがとうございました」に「ありがとう」で返すのタメ口感があるから結構抵抗がある。
でも「ありがとうございました」で返すのは長くて言いにくい。では「どうも」について考えたらあんまり抵抗ないしもしかしたら言ってるかもしれん(どうももタメ口じゃね?)。
「ありがとうございました」に対して何も返さないのは悪いから会釈になる。
でも飲食店ではだいたい「ごちそうさま」って言ってる(ごちそうさまもタメ口じゃね?)。
人は他人を無自覚に傷つけるし、マウントをとったり地雷を踏んだりしてしまう。
人間が人間に直接コミュニケーションを取る限りこれは避けられないので、間に会話用AIを挟む。
会話用AIは使用者の情報を蓄積し、ユーザーが好むコミュニケーションの型を学習する。2人の人間ががネット上で会話をするとき、言うこと、言われることをそれぞれ解析し、相互に問題が発生しない言葉をリアルタイムで生成する。
岸田さんが呼吸をする度に左右保革を問わないありとあらゆるインターネットユーザーが罵詈雑言を吐くので、逆張り精神がムクムクして来て、「それでも岸田さんにいいところはあるやろwww」って思って、就任からこっちの業績を調べてみた。
結果、本当に何もいいことはしていない。むしろ全ての決断は「他人をいかに苦しめるか」の判断基準がある。
進歩的な人達の神経をわざと逆なでするような嫌がらせの為だけ法案の数々を強行採決と閣議決定で通すかと思ったら、保守的な人達の精神的支柱である安倍さんの政策を真っ向から否定し、安倍さんの近しい人をお飾りの不遇職につけて飼い殺しにし、不意打ち的に派閥を解消させて、それでいて自分達の派閥だけはしっかり残している。裏金議員に対して、何の処罰もしない一方、国民に対しては納税を強調する。
はっきり言って、全方位に嫌がらせをする為だけに首相を続けているとしか思えない。むしろ支持率がさがっているのを見て「効いてる効いてるwww」ってニヤニヤしてるんじゃないかとすら思う。なんならその結果、自民党が野党に転落しても、自分に逆らった議員が落選する方を喜びそうだ。
全ての行動基準が嫌がらせにおかれている真性の悪人、快楽殺人者の類だ。あんなのをノーチェックで首相につけてしまう自民党のヤバさが際立つ。今さら自民にまともな倫理観は期待していないが、せめて犯罪者思考のキチガイサイコパスを神輿に担ぐなよ。
完全横だけどこのマウントは笑うw
字が汚い人、正直ドン引く。 字が汚いというだけで、その人の綺麗な容姿も私がその人に抱いていた好意も関係なくなるぐらいうわーって引く。 ネットで字が汚い謝罪文に対して「字汚ねえwww」って荒れてるとき、一定数が「汚いとか関係ないじゃん!大事なのは心だと思います!」とか反論してたりするけど、反論する人ももれなく字が汚い奴らなんだろうなって思う。普通なら謝罪文ならなおさら綺麗に書くものなのに何でそんな汚い字なの?それぐらいの字書くならPCでやれよ。 最近は自分の推しの字が汚くて担降りしようかと思ってる。はあ
追記(親が書道の先生で自分も長く書道・硬筆をやっているらしい)まで読んで思ったのはこの増田は自分の得意分野で他人を見下したいのだなということ。単にマウント取りたいだけじゃん。
書道師範持ちの親に、なんかヤベー教育されたんだろなー、という感想です。
トラバでつっこまれたから(障害などにより)とか但書つけてるみたいだけど、そんなの見て分かるもんじゃないんだから、但書付けたら配慮したことになるわけもないし、脳直で軽蔑に繋げる浅慮さを恥じなさいというだけ
一連の流れを追ったけど、世直しの為の、障害者からの正義の告発であって、障害者が叩かれる要素がないように見える。
これだけバリアフリーの必要性が騒がれながらも、ハード面の整備を進めず、人にその負担を押し付けたイオンシネマが一方的に悪く、
それに対して「私は介護の専門家ですが」と言う専門家マウントから障害者批判を繰り広げるアカウントがそれなりにいて本当にげんなりした。専門家を名乗るなら障害者側に立ってイオンシネマを糾弾する義務があり、企業や政府の怠慢を容認するような立場を取るべきではない。
中食(冷凍食品とか惣菜)とか冷凍食品などを自炊に含むのかどうか、というのがちょいちょい話題だけど、そもそもなぜ「自炊VS外食」という対立軸で戦うのか考えると
「外食は高い!自炊はやすい!おまえは自炊をしないだらしない人間だ!!!」
と一方的にマウントを取るためである、と考えると中食などを外食に含むかは
「中食を取る人間が生活保護受給者や貧乏を訴える人物であれば冷凍食品や中食は外食という高級品であるため批判の対象であり、中食を取る人間がそういったことを訴えない一般大衆であれば時短のための賢い自炊として褒められる」
と結論付けられる。
つまり「冷凍食品は自炊か外食のどちらであるか」は「お前の属性によって批判対象かそうでないかは決まる」のであり議論は無意味なのだ。
仮にお前が生活保護受給者のような嫌われ者の属性があると冷凍食品だろうが野菜だろうが自炊だろうが批判対象になるし、自民党の政治家、上級国民、人気者であれば料亭でどんちゃん騒ぎしても批判されない。
これだけである
女性が男性の振る舞いに対してアレルギー反応のようなものを見せるとき、そこには自閉傾向のサインが隠れていることが多い。
たとえば食券式飲食店以外に入店できないとか(事前にシステムが分からず、臨機応変な対応ができず、店でパニックを起こすので)。
たとえばポケモンカードやゲームの高額課金は否定しないのに、衣類・食品・住居に対する日常支出についてはかなりケチで、常識的な金額の消費であっても「節約を怠っている愚かな浪費」とみなして全否定するとか。
自閉があると生活の傾向としてあらわれる特徴があって、それを察知すると女性は激烈に拒絶したりする。
自閉は遺伝しやすいし、他者を手酷く否定してしまうことが多いという加害性を伴う障害なので社会適応がかなり難しくて、
IQが高く偶然フィットする職業(研究職や芸術など)が見つからない限り、不幸な人生になる確率がものすごく高い「個性」。
アメリカでは自閉だと職が得られないことが多い、自殺率が何倍も高いなど、まったく希望がない統計データが出てる。
どういう振る舞いをしようがモテる生まれつきの上位15%の美形でも、何をやっても無駄な下位15%の不細工でもない、
真ん中70%のゾーンの容姿の人がやっている「モテテク」みたいなものって、ほとんどは「自分は自閉じゃないです」っていうシグナリングみたいなものなんだよね。
忍耐力・自己抑制・社交性・精神安定のポイントが高いです、自閉傾向ないです、人に興味あるし、パニック起こさないです、みたいなサインを出してる。
婚活エージェントみたいな人のアドバイスも、自閉っぽく見えないようなふるまいを会員にさせようとしている。
でもまあ、偽装なんだよね。
軽度の人については「モテテク」や婚活エージェントのアドバイスに従ってみたり、従っているうちに自然と発達したりして(そういうことも軽度なら結構ある)、
偽装がきっかけになった発達で、徐々に定型寄りになっていくかもしれない。そうなったら幸せな結婚生活なども可能かも。軽度の当事者からのこういう報告は存在する。
こういう人が努力厨みたいになるケースもあるけど、スタート地点が軽度だっただけだよ。生まれつき定型の人と比べたら努力が必要だったかもしれないけど、
軽度だから努力でなんとかなったっていう生存者バイアスみたいなもんだから。
重度だったらアドバイスに意味なんかまったくない。努力も無駄。療育と努力でなんとかなった軽度が、重度にマウントとるのはやめようね。
そもそも結婚の手前、人としてただ生活していくところで躓くのが重度の自閉というものだし。そして治療の方法は無いわけだし。
強度行動障害の患者の動画とか見てください。ドキュメンタリーあるので。あれ打つ手ないです。
「初心者向け婚活アドバイス」みたいなものに対して初手で怒りの気持ちがわく人は、傾向として自閉だと思う。これは女性向けアドバイスに怒る女性であってもそう。
怒る反応って正常じゃない。男性でも女性でも。ツイフェミもアンチフェミも四六時中正義の議論をしすぎで、被害者意識も強すぎるので、自閉の特性がありそうなのを感じる。
重度の自閉の人はそのまま「結婚」そのものを否定していてほしい。「定型発達者のほうが間違っている」という認識のままでいい。
「すっぱいぶどう」みたいな揶揄は無視していい。異性ヘイターのまま生きてもらって結構。
実際、「結婚は正しい」というのもおかしい考え方だと思うし。向いている人だけがすればいいんだよ元々。
重度の人は結婚しても不幸だし、相手も不幸にするし、何より子供ができてしまうと子供が一番苦しむことになる。
親ガチャに失敗した、親から虐待を受けた、モラハラを受けた、こういう投稿を見ていると自閉親と自閉子がどっちも折れることができずパニックを起こしあって憎悪しあってることが多い。
そういう人が、「結婚には価値がない、異性に搾取されるだけ、馬鹿がする行為」って考えていたほうが、社会・個人双方のメリットになる。
[おじさんが作品にマウントを取る際に多用する「破術の計」について解説する|八幡謙介](https://note.com/kenyahata/n/n6fe88012d647)
やたらと何かを見破りたがるおじさん独特のマウントの取り方を僕は「破術の計」と名付けました。
まずはその前段階として、おじさんの思考を簡単にさらっていきましょう。
マウントを取りたくてうずうずしているおじさんは、若者のように正攻法で攻撃することはしません。
おじさんともなればある程度の経験やそれなりの見識もあるので、一見下手だったり穴がありそうでも、プロの作品にはそれなりの技術や知識があったりあえてそうする理由があるものだと知っています。
また、下手にSNSなどで正面からマウントを取ってファンから叩かれたり、専門家に詰められたり、作者本人に反応されでもしたらみっともないし、自分が負けるということも知っています。
でもやっぱりマウントが取りたい!
この「術」とは、作品そのものではなく、その奥にある作者や会社の策略、謀略、戦術のようなものと考えていいでしょう。
おじさんの言う「術」とはもっとドロドロした人を騙すための陰謀的な何かです。
ちなみに、その「術」はそもそも存在しないことがほとんどです(それについては後述)。
おじさんは、あらゆる作品にこうした「術」が仕掛けられているとします。
本当はそれがないことを分かっている場合と、本当にそういった「術」が存在すると思い込んでいる場合があります。
いずれにせよ、ターゲットとなる作品に仕掛けられた「術」を指摘し、それを『見破ったり!』と宣言することでマウントを取ろうとします。
有り体に言うと一人相撲なのですが、おじさんならではの知識や論理構成力が作用し、比較的高確率で成功したり、一定の成果を出せることが多いようです。
家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策や趣味のレベルなのか、微妙に分からんレベルの規模のやつが。
繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中からは田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎者からは全然文明のある方だろと言われそうな東京西部の郊外だ。
道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。
それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。
そんな光景も中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。
今やその手の地域のヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供の記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。
お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きから嫌いかはともかく。
中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。
逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。
夢なんて大体理不尽で不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコでしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。
夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地や電波塔、送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。
住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活に勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特に静まり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。
そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。
大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい。
それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原でトランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるかも分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽はマジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。
大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色もマイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。
畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。
施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。
カーテンも張られていないガラス戸からは工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想止まりだけれど。
つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。
件の公園も日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所が地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。
それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。
平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。
おれは地域のヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。