はてなキーワード: ブラックジャックによろしくとは
どうせいつかは死ぬんだし、自分が自分の死ぬタイミングを決めるのって本来はそんなに悲しいことじゃないはず
交通事故とか殺人とかで死にたくないのに死ぬ方が圧倒的に悲しいし
老衰で痴呆になって前後不覚で迷惑かけまくって死んでいくのも個人的には嫌だわ
「ブラックジャックによろしく」にあったみたいに実はガンで余命宣告されるような死に方ってその人にとっては理想的であって
残された家族とか周りの人は悲しいかも知れんけど、個人の死に方としては良い方だよな
自殺で周りが悲しむのって「助けられたかも」とか「その人を幸せにできたかも」みたいな感情から来てる気がしてて
それってかなりおこがましいことだし、他人の人生に深く干渉しすぎだよね
単純に亡くなったことが悲しいっていうのはあるけども
ブラックジャックによろしくに出てきた心臓が持つんだよと怒鳴ってる下界と政府の説明と変わらないじゃん
未熟ながらも読者が共感できるような良心や正義感に基づいて奮闘しているのなら分かるが、彼の言動には全く理が無い。先輩医師や大学病院の論理が素人目線で考えても尽く正しいのである。
などの、もはや非常識とかいう次元では済まない悪行ばかりである。それを良かれと思ってやっているから非常に後味が悪い。
さらに言えば、彼の言動には全く一貫性が無い。先輩医師に突っかかって、癌を完全に治せない抗がん剤治療に否定的なことを言ったと思えば数話後には、上記のように「使える薬を使えないなんておかしい」みたいなことを言い出す始末。
で、そういう未熟さを露呈させながらも成長していくならまだ分かるんだが、こいつは全く成長しないのだ。
第二部になっても、相変わらずその場の衝動と自分勝手な正義感で行動している。挙げ句の果てに同僚の看護師から
と言われる始末。もちろん、そんなことを言われた後も何も成長しない。
『ルックバック』の犯人の特徴が統合失調症と一致する問題が話題になってます。
この問題の本質は、作者や読者、個人レベルの差別の問題ではなく、そして個人を責めるべき話でもなく、社会と統合失調症の果てしない遠さにあります。
この殺人犯に関するマンガ内の描写は極めて簡素です。およそ記号的です。それが当事者、関係者が見れば誰でも統合失調症を想起する描写(その他には薬物依存症ぐらいしか考えがたい描写)で描かれています。つまり、殺人犯という記号に、統合失調症が使われたということです。
これはおそらくそこまで意図的な使用ではないでしょう。良くも悪くも統合失調症に対する思い入れは作品からは感じられません。つまり、統合失調症も単に記号として使われた、ということです。
殺人犯という記号に統合失調症という記号を代入した。それだけなのでしょう。しかし、だからこそより問題は根深いわけです。
軽い気持ちで殺人犯に統合失調症を当て嵌めることは「差別的で問題である」ということは多少でも事情を知る人には常識です。マンガの世界でも、20年前に『ブラックジャックによろしく』で全く同じ問題が取り上げられています。
にもかかわらず、さしたる配慮もなく使われたというのは、統合失調症に対する全くの無関心と捉えざるをえません。
統合失調症という疾患についても詳しく知らないし、知る必要も感じないし、殺人犯に統合失調症と一致する特徴を描写することで、当事者、関係者がどのように感じるか、ということが想像出来ていないし、それを想像する必要すら感じていない、ということです。
仮に、単なる偶然、適当に描いた特徴が、たまたま統合失調症と一致していた、としても同じです。無知であり無関心であることに変わりありません。当事者、関係者ならそんな偶然は絶対に起こりえないわけですから。
繰り返しますが、作者や読者を責める意図はありません。本当に悪気もないし、無垢で無邪気なのでしょう。だからこそ問題なのです。
統合失調症の有病率は約100人に1人です。それは途方もない数です。そんな数のありふれた疾患に関して、これほどまでに無関心に無配慮でいられる、ということが、そういう社会状況をいつまでも許してしまっているということが、統合失調症の差別、ひいては精神医療全体の問題の根深さを如実に示しているのです。
この問題にもう少しでも関心のある方は以下のコラムを読んでいただければより理解できると思いますのでご参照ください。『ブラックジャックによろしく』精神科編は20年経っても古くならない素晴らしい作品です。それはこの20年、日本の精神医療の根本的な問題が何も変わっていないことも示しているわけですが。
ブラックジャックによろしく戦法が使える人はそれでもいいけど
多少リスクがあってもよほど許容できないものでなければこれまで楽しい方を取ってきたしこれからも楽しい方を取ると思うんだ。
「ブラックジャックによろしく」じゃないが、子供ってめっちゃリスクだけど、まあ、子どもがいるほうがいないよりも楽しいかなって思ったんだよね。
多分子どもがいないとこのままそんなに浮き沈みもなくフラットな人生を送ると思うんだ。
大人二人でそこそこに贅沢してそこそこ楽しく生きるだろうけれど、面白いことが起きる確率は子どもがいるよりも少ないと思うんだよね。
ただ、自分の勝手で子どもという新たな生き物を生みだすわけだから、子どもがいてどこを目指そうかなみたいなことはかなり真剣に考えたな。言うなれば、どこに向かって子育てをするかという方針だね。
子供を作ろうと決めてからうんうん悩んで考えて、自分の中でまとまってきたのは妻が臨月を迎えたころだったけどね。
障害の有無も当然わからないんだから、障碍者だったら達成できない目標だと困る。
まあ、そんなわけでどんな子供であってもこれだなってものを決めた。
いや、意外にどこの家の子供にでも当てはまるシンプルなものだし、割と同じ考えの人が多いんじゃないかなと思う。
まあ、妻のほうは昔の知り合いから手紙がきたり、年賀状を見たりするたびに憂鬱になっていたみたい。
自分もだんだんと子供の声に対する許容範囲が狭まってきている実感があって、これ以上年を取ったら子供は無理だなと思ったのもきっかけだったかな。
まあ、わが子と言っても平然とむかつくことを言うし、喧嘩もふっかけてくるのでいつもかわいいわけではない。
わが子ほど失礼なことを言うやつはいないので
ブラックジャックによろしくの人が描いた、漫画家が主人公の漫画で、望んでないのに原作者をつけられて、原作者は最初に構想だけ語ってなにもしなかったにヒットしたら手柄を取られたってエピソードがあったな。
ブラックジャックによろしくとか、週刊現代とかじゃないのとか思うのは、医療を信じすぎてるのかな