はてなキーワード: スワッピングとは
オスは多数のメスに遺伝子をばら撒いてなんぼの生き物なので、同じメスばかり抱いているとどうしても飽きてくる。
他の女に種をつけたくなってくる。
AVなんて男と女がパコパコするだけでどれも大して内容に差がないのに、
次から次へと新作が出て飽きられもせずに市場を形成しているのは、ひとえにまだ知らないメスに種をつけたいというオスの本能に依拠しているところが大きい。
一般的なタレントでいえばデビュー作など知名度が低く演技も下手で低予算でろくな売上も期待できないはずだが、
オスの本能に訴えかけるAV嬢の処女作こそが最大の売上を叩き出すのだ。
そのために名前を変えたり顔を変えたりして何度もデビュー作を出しているAV嬢もいる。
風俗も同じだ。店を移籍するたびにこの仕事を始めたばかりの新人のようなふりをしている子も大勢いる。男はみんな初々しいのが好きなのだ。
他に選択肢がない状況で彼女や嫁を抱いて楽しいのは最初だけで、そのうち機嫌取りや子作りのために抱いてやるという義務に変わるのだ。
このマンネリを打破するためにパートナーを交換して性行為するスワッピングに手を出すものもいる。
浮気や風俗に比べたら合意のうえでのスワッピングは合理的といえるが、世の中は建前で動くのでスワッピングが社会的に容認される日は来ないだろう。
風俗で他の女を抱くことで自分の嫁や彼女を再び新鮮な気持ちで抱くことができるとしたら風俗での出費など些細なものといえる。
上野千鶴子が叩かれてんのを「上野は進歩的考え方なのに、世間は古いからついてこれないんだな」みたいに言ってる人いるけど、古いのは君とか上野千鶴子だろ。
婚姻制度や一夫一妻制や純潔主義の意味を疑う、なんてのは数十年前には進歩的発想だったかもしれんけど、今はそんなとこもう通り過ぎてんだよ。
結婚しても他の相手に欲情を抱くのは自然だの、結婚は自由を失うデメリットがある契約ですだの、そんなのはもはや当然のことなの。
自然に湧き出る浮気欲を我慢することも、自由を失うことも、その他結婚のデメリットも、ふまえた上で結婚に合意する人たちの行動になってんの、今のフェーズは。
「結婚のデメリットが気づかれてないから、婚姻関係を重んじる意味はなく、よって不倫も責めることじゃない」なんてのは、まーーーじで古い。ましてそれを進歩的と感じるのは輪をかけて古い。
昭和とか明治とかの時代なら、結婚は人生に勝手についてくるキャンセル不可の悪徳オプションだったから、その悪徳性を指摘するために、契約破りパフォーマンスをするのも意味があったかもしれないよ、しらんけど。
でももう結婚ってのは任意選択のオプションで、結婚を選ぶ人は望んで「我々は他の相手と性的関係を結びません契約」を採用してんだからさあ、そこで古い契約破りパフォーマンスをしてオプションの信用性をぶっ壊されたらひたすら迷惑なんだよ。
色んな相手と遊び続けたい人は、結婚せずにやりまくるなり、ポリアモリー関係なり、結婚してもスワッピングサークルに参加するなりしてんだっつーの。
自分も相手も遊び合う生き方はしっくりこないから我々は決まった配偶者とだけイチャつきます、という自由選択をした人を脅かしといて、自由を大事にしておりますもないもんだ。その逆で、自由の抑圧者だよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/36855
なぜか投稿から二日遅れでブクマつきだしたから、もう少し長く説明する(重要な追加情報はない)。
そして、人間なんて結婚しても不倫したくなるもんだしその方が自然だし自由尊重のためには正しいので、結婚自体しない方がいいと彼女は考えている。不倫しないのが信じられないというか、そもそも結婚することが信じられないという感覚だろう。
私が上野千鶴子を古いと批判しているのは、「それでも両者の合意で結婚契約が結ばれたなら、二人も社会もそれを尊重するに相応しいだけの良質な任意選択オプションへと、結婚契約はこの数十年で変わった」ってのを踏まえてない主張をしてることだ。
大した違いじゃないと言われないよう、もう少し説明する。
結婚はいわば、「自由恋愛グループから脱退しました」というステッカーを自分とパートナーに貼りつける行為だ。
他にもたくさん効果があるが、あの記事のような恋愛と不倫と結婚の話題の中では、そういう意味を持つ。
そして、多くの契約や約束がそうであるように、この恋愛脱退ステッカーも、当事者や周囲が真面目に受け取ることで初めて意味を持つ。
尊重するに値しない、無視してもいいだろ、と上野に煽られてそういう風潮になれば途端に無意味になる。
たとえるなら、国と国が軍事同盟を結んで第三国から戦争を仕掛けられないよう牽制したいのだが、「同盟は名目上だけで結ぶ関係だろ」というのが世界の常識になったら、遠慮なく攻められちゃうし同盟を結ぶ意味がなくなる、みたいなものだ。
上野は、自由恋愛グループに居続けたい人も社会圧力で結婚させられて恋愛脱退ステッカーを貼られまくってた古き時代を引きずってて、「そのステッカー邪魔でしょ、気にしなくてよくない?(そもそも貼らないのが最高だけど)」と煽っている。
現代では、自分たちで望み自己決定として恋愛脱退ステッカーを貼ってる人たちが結構いるのに、上野の主張はそういう人たちのステッカーまで無効化してしまう。
かつての、「望まぬ恋愛脱退ステッカーを無効化するメリット」のほうが、「望んだ恋愛脱退ステッカーまで無効化するデメリット」より大きかった頃の感覚のまんま。
恋愛脱退ステッカー無効化のデメリットが大きくなってきたって気づいてないのか無視してんのか、いずれにせよ感覚が古い。
「恋愛脱退ステッカーを貼らないことをおススメするが、貼られたものは尊重すべき」って話ならいいのに、そうならないところがだめなんだよ。
「上野自身が自分の主義に従って結婚しない人生をしてるし一貫してるじゃん」とか言う人もいるが、上野が結婚してるかはどうでもよい。
上野の煽り言説によって世論が結婚を軽んじる様になれば、世の中の夫婦の、性的自由を失う代わりに性的安心を選んだ決断が無駄になっちゃうだろって話。
結婚契約で自由恋愛グループ脱退の意思表示をしたい夫婦には、させてやりなよ。それが自由の尊重じゃないか。
かつて、結婚という縄で強制的な拘束をするのが横行してた時代は縄を片っ端から切断して世界からなくそうとするくらいがよかったのかもしれんけど、今は好事家同士が合意で結婚というSMプレイを楽しむ時代になってんのにその人らの縄まで切ったら迷惑だろ。
あと、「古いとか新しいとかで物事を判断するなよ」みたいな反応あるけどさ。
そりゃあたとえば芸術の作風だったら古いのも新しいのも好みの問題であり、売れる売れないはあってもどっちがダメとかじゃないよ。
そーゆーのは、その時の社会の状況に応じた提言じゃないと、無駄どころか悪影響なわけ。
数十年前の人口爆発が懸念されてた時代を引きずって、少子化の現在に人口抑制論とか語られたら困るだろ。
社会運動は社会の病理をよくする物と捉えれば、古い言説を主張されるのは、数日前は風邪がキツくてお粥を食べるべきだったからって、一息ついて体力取り戻すべき時期なのに白粥ばっか出されるようなものなんですね。
昔話をしよう。
老若男女といっても、基本は20代から60あたりまで参加するスワッピングだ。
さすがに高齢者は避ける奴が多いものの、そうは言ってもお相手する奴もいる。
人気ある女の子は、マンコも口もあらゆる手が伸び、一見すると一斉強姦されてるかの状況。
でもよがってる。
色々な女の子相手に次から次へと挿入出来るのは、こんな時ではないと楽しめない。
胸も正直ぺったん貧乳だし、マグロぽいから面倒そうだと思ったが、とりあえず下半身攻めをしていく。
反応鈍い。面倒くさいなーと思いつつも、クンニ攻め。
で、気付いた。こいつ毛が無い。
剃ってるとかそんなもんじゃない。
ナチュラルに毛が少ない。
俺は成人として相手するだけだ。
とても俺のおチンポは入らなさそうだったので、手マンコでフィニッシュ!
恥ずかしそうに先生に抱きついていた。
いや、奉仕されつつも奉仕するくらいの技量と器量を持たないとな。
そう思いながら、二人が帰るのを見届けながら、
私もフェミ臭さがある方だし増田と同世代だけど、この内容は増田の「性」に対する志向が出すぎていると感じる。大原則については私個人は同意できるし、その後もある程度は同意できる面もあるが、全然同意できないところもある。
そもそも性(ジェンダー)に対する認識は、それこそ性自認やLGBT etc.というタームも含め、個別性がきわめて強い。
「性をこういう風に捉え、このような原則に基づいて取り扱うのがよろしいのです」などと受け取られかねない「方法」に向かいやすいのはダメだと思う。性(ジェンダー)の取扱いについての原則を立てるということは、やってはダメなことだと思うのだ。「アタクシが考える良きセックスを、ワークショップでさぁ教えてあげるわよ」という上から目線な雰囲気を感じてしまう。発信側がそういうつもりはなくとも、そう受け取られる可能性がある。発信者と受信者で性志向が異なっている場合、かつ発信者がマジョリティ寄りの場合、その発信はより強く悪意をもって糾弾されると思う。それはとっても危険なことだと感じる。
更に、肉体の成長スピードも個体差がある。もっと見えにくいジェンダーへの意識も性癖も性欲の成長スピードも、その人が持つ性欲の絶対量も人によって違うのに。
セックスファンタジーのくだりあたりは特に、気持ちは分からないでもないが、正直、全然ダメだろう。
性行為を理解していない可能性が高い子供に「セックスファンタジー」と現実の線引きを理解させるのは簡単ではない。それ以前に、子供だろうが大人だろうが、性(というか他者)に関するファンタジーと現実との線引きの位置はその人によって、そして他者(相手)によって、更には二者間(または一人(オナニーのケース)あるいはそれ以上(スワッピングのケース)もありうる)の相性や関係性によって、すべて異なる。
極端な例だが、痛めつけられることを求める人と痛めつけずにはいられない人が双方合意していたら、一般的なレンジからは外れてはいるかもしれないが、双方合意のもとに行われる素晴らしいセックスだとも言える。一方が抱いているセックスファンタジーにあまり気が進まないけまぁ良いかと他方が乗ってみたらハマったというケースだってある。増田から見たら精神的な疾患や犯罪的な問題をうかがわせるような愚かな行動に見えたとしても、それがその時点でのその人の最善の選択であるケースもある、それが人間の欲望やセックスの恐ろしく、難しく、そしてとても面白いところだ。
私が、元記事のブコメを見てて確かにそうだなと思ったのは、「男はそもそも自分の性について教えてもらえず放置される」という視点だった。男性の性器が外形的に明示されやすいことと、乱暴に大っぴらにしても元気がよくて宜しいと言われやすいジェンダーを背負っていることなどもあって、結果的に男子は「自分の中に眠っているかもしれない性への感情(繊細だったり乱暴だったり内向的だったり)」を発見できていない可能性があるのでは、ということだ。そしてこれはもちろん女子にとっても同じだ。
そもそも自分と向き合うことができてない人が、どうも多いみたいなのだ。
自分が持っている肉体と向き合うこと、自分の性自認と向き合うこと。自分の体や自分の性への感情をどうやって尊重するか、同じように他人をどのように尊重するか、そういうプロセスを踏んでいく必要があるんだろうと思う。
「こういうセックスは危険なセックス」「こういうセックスは犯罪」ということを理解するためには、社会的な合意形成を理解できなくてはいけないが、この社会的合意に従えない人はいるだろう。少数派の性志向を持っているほどしんどいと思う。もちろん法律では決まってて法律違反はしちゃいかん訳だが、法律を守れない人は必ず存在するしそういう人も、法律違反した後でも生きていかなきゃいけないわけですよ、性欲の飼い慣らしかたも教えてもらえないままに。本当に簡単ではないし、簡単ではない性向の人ほど、問題や性犯罪に近くなる。それをハナから排除する可能性がある性教育の意味はゼロだろう。
教条的なのはダメだと思う。すべからく具体的で、参加する人が主体的であれるように。カリキュラム以前ではあるが…
生理と出産にまつわること、性病や望まない妊娠についての知識など、生物的な肉体としての性(sex)への理解。
ワークショップ・・・主に社会的性(gender)について、および「sex×gender」について。「人によって違う」ことを理解し尊重しあえるか
WSのシナリオは年齢とか開催主体によって考えなきゃいけない、全く持って適当だが。
LGBTやニッチな性癖や、性関係なくそもそも自尊心の欠如した子や、もちろん一般レンジに収まってるマジョリティも含めて、それぞれ全員が自分の自尊心パーセンテージを高められるようにカリキュラム設計できたら100点なんだけどね…。まぁ大変簡単なことじゃない。相手を傷つける性行為や犯罪は、根本的なところでは多分、加害者自身に自尊心が満たされていないから犯すんだろうと思うのだ。