はてなキーワード: 萌え属性とは
■その1。
今回のテーマにあたって、かかしあさひろとロボット少女萌えの起源を辿っていたら、真っ先に出てきたのが、筆者が『メタルK』の冥神慶子で、かかしが『コブラ』のアーマノイドレディだった……まあ、実は、1965年にスタジオゼロが作ったアニメ『レインボー戦隊ロビン』に出てきた看護婦ロボット・ルルが筆者の知る限りでは、最古のロボット少女萌えであり、起源だと思うのだが、現在入手不可能なので、とりあえず忘れよう……。
それはそれとして、おたく向け作品の定番パターンの一つに、ロボット少女萌えというジャンルがある。『ToHeart』のマルチが大ブレイクした事で、美少女ゲームの世界では一気にメジャージャンルになった。
特に今年に入ってからは、『WoRKsDoLL』『MACHINE MAIDEN』『RIZE』と、ロボット少女ものが続けて出ている。筆者は『WoRKsDoLL』と『MACHINE MAIDEN』をプレイしたのだが、このジャンルでの定番なテーマである、人間性の欠落を補う為の美少女ロボットか、人間の欲望を充足させる為の美少女ロボットか、については『MACHINEMAIDEN』では対立するものとして描かれているし、『WoRKsDoLL』では選択するものとして描かれていた。ただ、『MACHINE MAIDEN』では、前者の概念が意図的に勝利している。これは、ユーザーが美少女ゲームに何を求めるかという意識の変化を反映したとも言える。
個人的な話で恐縮だが、筆者の本業はまんが編集者(ただし休業中)であり、仕事の参考用に市場の傾向分析をするのだけど、昨年あたりから、過剰な位に、癒しや郷愁をテーマにした作品を求める傾向が見られるようになった。元々、ユーザーの好みは、ハードエロとソフトな癒し系に別れる傾向があったが、かなり後者は先鋭化している。まあ、過剰なヒーリング志向そのものについては、場を改めて言及するが……。
■その2。
美少女まんがをエロ目的ではなく、「癒し」を目的として買う人が増えているという現実。それは、ゲームでも同じで、1キャラあたりのセックス描写が1~2枚程度な美少女ゲームが売れている理由は、この雑誌の読者ならば「CGのクオリティ云々~」に帰着させるんだろうけども、もう一つの背景として、ユーザー、特に男性の側に、失われつつある少女幻想へのニーズが高まっているという状況があると思う。
情報の氾濫が人間性を希薄にするというのは、いささかステロタイプな認識だが、「少女」の実像が曖昧になっているのは確かだ。たとえば、我々が考える現代の少女像は、概ね記号化されている。宇多田ヒカルを聴き、キューティコミックを読んで、援助交際に励む……といった程度が、おそらくイメージの限界なのだが、それはまた、多くのおたくにとっては唾棄すべきイメージでもある。何故なら、それは情報のキメラ化で生まれた「鵺」のような不快感が付きまとうからだ。そして、情報の氾濫により座標軸を失った人々は、古典的な価値観を求め出す傾向を示す。
■その3。
さて、ロボット少女の代表格としては、『ToHeart』のマルチが存在する。マルチには「少女」の記号がこれでもかという程、多く存在するが、これは、おたくが望む所の少女幻想を満たそうとすれば、年々侵食する大人の領域から逃れる為に、必然的に年齢が下がる。少女というよりは幼女にベクトルが向かってしまい、行き着く聖地は小学校の一階になるのだが、下がると同時に社会的な軋轢が生まれ、イノセンスとは別の要素も混じってきてしまうという欠点がある。というか、犯罪。
で、マルチの場合は、ロボットということでその障害を回避している。幼女=絶対的な処女性、ロボット=無機質の美、メイド=成熟した女としての意志が介在しない従順な存在、という要素群が、これほど見事に合致した例もないだろうし、だからこそ、ヒロインのあかりを差し置いてアイドルに成り得たのだ。ただ、個人的には、その濃厚な純粋性がちょっと……という心境ではある(単なるひねくれもの)。というのも、どんなに崇高かつ絶対的な少女を再現しても、ロボット少女はユーザーの欲望の為に用意された人工物に変わりはないのだ……。
ちなみに、この視点で見ると『マシンメイデン』には、問題が一つある。それは、タイトルは「機械の処女」なのに、アルシアは早々に処女を失ってしまうからだ(笑)。まあ、筆者などは、純粋性を維持した上で、淫乱さも持つなんて最高じゃん!と思うのだけども、逆に萌え要素が目減りしたと思うユーザーも多いのだそうだ。こうなってくると、何のための18禁ゲームなんだか分からなくなってくるのだが……。余談だが、ゲームの構造の相似性もあって、アルシアのキャラクターは、『ナチュラル』の千歳を彷彿とさせる。そういえば、千歳も従順でロボットのような少女ではあったが……。
話を戻すと、美少女ゲームが、少女まんが的な絵柄を用いて、イノセンスで従順な少女を描くことに腐心した結果、セックス描写を減らしていく一方で、当の少女まんがでは、あからさまなセックス描写が増えた。下手すると、18禁指定の美少女ゲームより、『少女コミック』や『マーガレット』の方が過激なエロを展開している状況もあるのだ……。そして、同じようにセックスを扱っていても、意図するものは正反対であり、保守的な価値観へ向かう男の子と、過激で積極的な女の子との距離は限りなく離れていく。その結果として、男性向けエロメディアの中にだけ、少女幻想が生き延びるというパラドックスも生じた。
今、手元に『火の鳥・復活編』の文庫版がある。というのも、現実の少女への絶望=人間性への絶望が、ロボット少女という形を取るならば、その描写のまんがに於ける元祖は、おそらく『火の鳥・復活編』に於けるチヒロであろう。念のため、ストーリーを軽く説明すると、交通事故で身体の大半を機械化されたレオナ少年は、全ての生物が無機物に見えるようになってしまった。
レオナはその代わりに、無機物であるはずのロボットに女性を感じ、チヒロというロボットに恋をする。無論、異常者として二人は社会から非難され、二人の恋はチヒロの電子頭脳に移植された記憶として昇華するが、結実した瞬間、醜いロボットと化した現実に直面する。
この話で一番痛いのは、普通の人間にとっては、機械剥き出しで無個性なロボットでしかないチヒロが、レオナの感覚では美少女として捉えられていることだろう。ロボット少女萌え属性な人には痛い描写だし、また、今日の状況を予見している描写でもあるからだ。
確かに、手塚治虫やトキワ荘の一派は、ロボットを描くことで人間性を問う作品を多く描いたし、ロボット少女も多く描いた。ただ、その存在を全面的に肯定することはほとんど無かった。何故なら、ロボット少女は、現段階ではあくまで空想の存在でしか無いのだ。ユーザーが現実の世界に生きている以上、何処かで折り合いを付けなければ、レオナと同じように社会から非難されるはずだったのだが……その点、現代のおたくは幸福だ。何故なら、おたくを取り巻くシステムもまた、完成されつつあるからだ。「メディアミックス」という、優しい収奪のシステムに取り込まれ、飼い慣らされた結果、ユーザーは電気羊ならぬ、電気少女の夢を、半永久的に見続けることができる状況が生まれた。しかし、システムの中に閉じることにより、一般社会との相対的な視点を失いつつあるユーザーもまた多いのだ。
従来のポルノグラフィが、無意識のうちにマチズモ(男らしさ)を規範としている以上、マチズモに耐えられずおたく化した人々が、相対する少女まんが的な技法と感性へ惹かれていくのは、当然のことだ。筆者にもそういう時期があったから、頭から否定はしない。ただ、世界(=社会)への目を閉じて、失われていく「少女」への感傷と、過剰に供給されるヒーリングアイテムを盲目的に消費し続け、快楽だけを享受している、最近のユーザーには、苦さと虚しさを感じるんだな……。
そう、僕らの居る世界は、天国かも知れないが、同時に地獄でもあるのだ。その認識だけは最低限、持っておいて欲しいのですよ。
■実はダメな人の総括。
相変わらず暴走している筆者です。えーと、ロボット少女だったら、個人的には『Automatic Angel~時計仕掛けの天使~』(樹崎聖)の笑(えみ)かなー。『BROTHERS』(小池一夫&叶精作大先生)のメモリーも捨てがたい(笑)。ちゃンとお兄ちゃン属性もフォローしているぞ!(笑)
さて、次回は「優雅で感傷的な美少女ゲーム」と題して、今回の続きです……いや、書いている方も痛いんですが、少女まんが的なポルノグラフィを供給する場所として、美少女まんがや同人誌の市場があったけども、同時にそれは収奪のシステムであり……というか。BGMは、ビーチボーイズ『グッド・バイブレーション』で。
嫁はグラビアアイドルやエロい女の子萌え属性があったので、そういうエロ目の見てても変に嫉妬されず、エロいおっさんみたいな会話が楽しめて最初は楽しかったのだが弊害が出てきた。
具体的に説明すると、嫁は同性の胸を怪しまれず見れているので、乳の真贋見極めの精度がとにかく高い。
寄せているとかパッド入れているとかシリコン入れているとか大きいけど乳が離れてるとにかく判別してくる。
説明を聞いているうちに、こちらも自然と審美眼がついてしまい、ああこの娘は寄せているな、あの娘は乳が離れてるなと素直に楽しめなくなった。
嫁いわくグラビアでも日本人で本当に大きい乳や美乳はレアだとの事。
下着や水着つけている方が奇麗な形にできて萌えられるから、あんまり夢見るなと言われた。
比較的頭のいいオタクは統計データを、頭の悪いオタクは偏見を元に人間を判断する。
どちらにしろ個々の人間をじっくり観察することはしない。非効率、あるいは面倒と感じる。基本的に自分のことにしか興味が無いのが原因。
だから、すぐにレッテルを貼る。そこが狙い目。良いレッテルは、作れる。
オタクはIQの高低に問わずEQ(自己や他者の感情を知覚する能力)が低いので、
相手の表情やしぐさから性格を読み取れない分、外見からわかる「属性」で人の性格を判断している。
黒髪、すっぴんあるいは薄メイク、清楚な服装などは、目に見えるのでEQの低い人間にも判断材料にしやすいが、同時にいくらでも「作れる」部分。
性格が悪い女が性格を良くすることより、外見だけオタク受けのいいように作って「性格がいい子」と誤認されるほうが圧倒的に簡単。
本性は、できるだけ喋らないようにすればバレない。ここでもオタク相手の方が好都合。
非オタクの男は、聞き上手な男の方がモテることを知っており、女相手の時には聞き役をしようとする。
同時にその行動は、地雷女を引かないための情報収集の役割も担っている。
オタクはそうではない。ひたすら自分の話を聞いてほしがっている。自分を認めてほしがっている。それしか頭に無いと言っていい。
だから、聞き役を演じれば、気分良くひたすら自分の話、趣味の話をし続ける。
ニコニコしながら、聞いているふりをしていれば良い。
意見を述べる必要がない。だからボロが出にくい。性格の悪い女にとって、非常に騙しやすく好都合。
なにより、ほぼ全てのオタクが「黒髪」「処女」「清楚」「童顔」「色白」「インドア」などの同じ記号に惹かれるため、
マニュアル通りにしていればほぼ全てのオタクに対応でき、効率的で、簡単。
42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/05/09(水) 09:21:00.71 ID:vYvDeB870
必死すぎるとか言ってるけど
お前らの大好きなアイドル声優のことだぞ?
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3402426.html
このレスは非常に的を射ていると思う。
現在、オタク男から金を吸い取るための装置としての女(アイドルや女性声優など)が居て、
その上には女をプロデュースしている狡賢い男が居る。換金システムのコア。わかりやすく言えば秋元康。
女が狡賢くなってセルフプロデュースの術を身に着ければ自力でオタク男から金を吸い取ることは可能。
非オタクの男が、オタク女から身体だけ頂くのも簡単。「萌え属性」を身に着けて良いレッテルを貼られ、聞き役になってやるだけ。
オタクは男女共に薄っぺらでチョロい。オタクはEQの高い人間の餌。
ツンだった奴がデレる、生真面目な優等生が緩んだ顔を見せてくれる、いつもニコニコしてた奴が突然包丁を持って迫ってくる。
あとは、人間に獣の耳が生えているとか、日常の空間にメイドがいるとかも、ある意味ギャップ萌えだ。
次にテンプレ。
テンプレに則って作れば面白くなるが、則ってばかりだとありきたりな作品にしかならない。
テンプレから外すと驚きが生まれるが、外してばかりだと支離滅裂になってしまう。
たとえば「幼馴染は面倒見がいい」と相場が決まっているものだけど、
時には幼馴染を強烈なツンツンキャラにしたりして「ギャップ萌え」を狙ってみたりとか。
そして性癖。
巨乳が好きとか貧乳が好きとか絶対領域がいい女王様キャラに罵られたいとか。
近親相姦萌えや百合萌え、寝取られ萌えとかもある種の性癖だと思う。
ブックオフで100円になってたエロ漫画を大量購入して色々気づいたことがあるので書く、その1である。多分3つぐらいは書く。そのうち。
エロ漫画においては近親相姦はどうやら一大ジャンルであるようだ。SMと同じ規模の勢力といったら言い過ぎかなあぐらいの多数である。ただし眼鏡とかスクール水着とか使い方が決まっているものと違って、作家によって多様性があるように思われるのでそれ
を一覧にして書いてみたい。
重いものから軽いものへ。
近親相姦という行為の「重さ」が作家によってまったく違う。また、その「重さ」は作品ごとであまり大きく増減することはなく、作家の思想がはっきり表れるようだ。
悩む話を書く作家はもうめちゃめちゃ重い。狂おしい愛をこれでもかと書き綴ったり。悩まない話はもう近親相姦というシチュエーションだけお題にもらって単にえっち書きましたみたいな。口先だけいやんおじさんもうすごいのぉとか言ってれば課題クリアみた
いな。