はてなキーワード: 曲者とは
結論から言うと私を知っている人に実名を晒された。2chの運営は糞だから単に実名が書かれただけでは削除してもらえない。
私は2chのとある所属組織のスレに匿名で書き込んでいた。当然自発的に個人情報を書き込むような真似はしていなかった。
だが、ある日私の個人情報の機密性は崩れた。とある質問レスに対して私は親切心で回答した。すると、その回答を見て個人を特定したのか、私の名前を含んだレスをされてしまった。
私はそれを見たとき動揺したが、相手を刺激しないよう無視した。
その上で、この実名入りのレスを削除できないか調べたところ、どうもできそうにないことがわかった。2chには削除要請フォームがあり、そこで削除の要請をすることでレスを削除してもらえる場合がある。しかし、削除してもらえるのは一定条件を満たしたレスだけである。2chには削除ガイドラインというものがあるがこれが曲者である。
http://info.2ch.net/guide/adv.html
非常に曖昧で、削除人によってその受け止め方が変わってしまう。
実際の削除要請スレのやり取りを見てみると、確実に削除してもらえるのは次のような内容のレスである。
一方、次のようなレスは削除してもらえないようだ。
私に対するレスは、私を知っている人にとっては元のレスと合わせて個人を特定できる内容ではあるが、第三者が見ても個人を特定できないような内容である。しかも、直接的な誹謗中傷表現などが含まれていない。そのため、削除してもらうことはできないだろうと諦めた。
しかも、削除要請をすると自分のIPアドレスが晒される。だから確実に削除してもらえる場合でなければ削除要請するべきではない。
それに、削除してもらえたとして、ログを自動で保存しているWebサービスがいくらでもあるから、結局そこには残る。そう、一度実名を書き込まれたらそこまでなのだ。被害者は泣き寝入りするしかない。
自分は完璧に過ごしている気になっても、周りの人間まではコントロールすることはできない。周りの人間が軽い気持ちで個人情報を書き込むだけで、自分はこんなに悩まなければならない。
だから、こういうことになりたくなければ、ネット上では一切アクションを起こさない方がいい。「お、こいつあの人じゃんwwww」と思って名前を呼びたくなる馬鹿がいるという脆弱性、こんな盲点を見逃していたとは。
思っていたよりもそのスピードが速い。
そもそも僕はこれまで縁が無く、実際に体験したのははじめてなので、混乱している。
何がいけないのか?楽しそうな後輩に僕はうまく説明できなかったのだ。
でも直感が僕に「それはやめとけ」と言っている。
自分の頭を整理するために書きだしてみる。
――-------------------
・巧妙さについて
・周囲の人間への若干のバレと溝について
・僕が後輩を止めようと少し思っている判断の迷いについて
はじめに書いておくけど、僕はねずみ講は好きではないが嫌いでもない。しつっこく勧誘されたこともなく、どうでもいいものだと思っている。
ただ、考えてみたくなっただけなのだ。
(ねずみ講に入ってるから嫌いになるってことはないよ、嫌いになるとしたら、しつこいあなたのことが嫌いになった時だけだ。って感じ。)
ねずみ講にまつわる被害や苦労やとばっちりやネタ話や都市伝説や防衛反応なんかも、ひとつだけを鵜呑みにしたくはない。
だから、良い機会だと思って、自分の経験から考えてみることにした。
( )内にたまに、書いた時に分かった自分の感覚をメモしておく。
読みにくいけど、基本は自分のために書く文章なので、大目に見てほしい。
その基本以外は、後に同じような出来事に出くわした誰かの参考になれば、と思う。
それは、その人の現状にとても関わりがある。
その人は一言で言ってしまえば、生活が孤独だった。まわりに同年代の友達がいないと嘆いていた。
一人暮らしで、親とは別居。
社員として暮らしているが、遠くから引っ越してきたので、職場と家との往復の日々。
ここまでは、まぁ苦労人だなぁ、たまにいるかなぁといった感じである。
ある日から、その人は嬉しそうに、豪華なマンションに遊びに行くことが増えたという報告をしてくるようになる。
この時点で僕はただ、「同年代の友達ができたのはよかったね」という認識でいた。
しかし、数回その話を聞くうちに、段々とその集団が組織がかっていることに気がつく。
しかしその人(以後Aとしよう)はまぁ、本当に楽しいのだろう。バーベキューやパーティーだの、はしゃいでまわりたい年頃ならば至れり尽くせりである。
豪華な持ち部屋でパーティー。真剣に話せる友達もできた。まぁ、それは今までから考えれば最高でしょう。
美味い話には裏がある、という、親から口酸っぱく言われた言葉のせいかもしれなかった。
なんたってAは、本当に嬉しそうなのだ。本当に嬉しいのだと思う。なぜ僕がAの心からの笑顔に水を差さねばならないというのか。
「高いのだけども、良い品だ」というのだ。それは僕に興味のない品だったので、「そうなのか」と返した。
ついでに、「ローンを組むための、カードの審査を通したい」と言っている。
「なんで?」と僕が聞くと、Aは「空気清浄機が欲しいけど、高いから」という。
その時確かに若い人には、数万は一括で買える値段ではないか、と思うだけであった。
その3日後、「水の浄化機を買った」とその人は言う。
水を一口もらった。水道水よりかは美味いな、と思ったが、僕は元々味に鈍感なので「美味いね」とだけ言った。
「いいんですよ。これが。」
あ、この人はなんかにハマってきてるな、と思った。
(僕は生活用品に高い金を払うのが嫌いだが、明らかに用途が不明なものでも趣味の雑貨を買う癖があって、それの健康志向バージョンかなーと思っていた)
符に落ちた。この時僕はすっきりした気分さえ感じた。知らない部分のブラックボックスのようなひっかかりが、謎がただ一言に集約されていた。きみ、そりゃねずみ講が仕事の企業だ。
「ありゃだめだ、っていう人多いし、評判は悪いけど、ものはいいんですよ」
そりゃそうだろうな、という気分だった。
たぶんAは高級な消耗品を使ったことがない。値段のわりに質が良かろうが悪かろうが比較できないだろう。
っていうか、宝石の原価がバカに安いという話を聞いたので、それなりの物に値段を上乗せするのはお茶の子さいさいだろう。
「秘密にしておいてください」
ごめんね、書いちゃったわ。
(追記:この時僕は「ふうん、よかったね。でも、カード作る時は金利に注意しなよ。ねずみ講の危ないところは、友達をなくす可能性があることだ。「こいつは、自分の金儲けのために自分と友達になろうとしている、そういう下心がある」と思われたら、友達がいなくなるよ」と伝えた。この対応が良かったかどうかは、分からない。ただ、若干キツめに言っておいた方がよかったという反省がある。なにせその後の展開が早かった。)
(そして、ぼくの最大の勘違いは、Aにとっての友達というのが組織の人間だったってことに気がつかなかったことだ。Aにとってこの一言は痛手ではなかった。もちろんある組織に属している人間は問答無用で避けるべき人格の持ち主だ、と断言できる組織を僕は知らない。ただ、友達関係でいることに、組織の力が噛んでいると、その組織から離れられなくなる。そして僕は何がしかに縛られるのが大変嫌いなのだ。買え、食え、入れ、ともっともらしく命令されることに腹がたつ性分だから、そういう意味で、自分が関わるうえでの組織の強制力というのはあまり好きではない。友達との関係に一枚噛まれるなどはもってのほかである。ただ他人の幸せに口をはさむのもなぁ、と思うから、どこまで言おうか迷う。)
その1週間後、複数人で一緒に食事をした時に、その人はサプリメントを飲んでいた。
人にも勧めている。まぁ、と飲んだ知人に、「それならこの水で」という。
おい、秘密にしたいんじゃないのか。なんかの雰囲気がバレバレだぞ。
(同席した知人Bは「水にはまるのは、やばい(信仰宗教的な意味で)」と言っていた。勘が鋭いやつはたまにいる。)
その次の日に「ダイエットでもするかな」と僕が言うと、「あのサプリメントがいいんですよ」という。
「昨日飲んでいたやつか」と僕が言うと、「いや、また別のやつ。野菜一日分が摂れるサプリメントがあって」という。
僕(油と砂糖を絶ってお茶でも飲んでおけば健康体並みには減るだろうと思っているから、サプリメントに興味はないなぁ。)
で、「野菜ジュース好きだから」と返すと、「いいのになぁ」という。
しつこいな、と僕、思う。
言ったこと忘れてるだろ。
ここまでで、僕が、手口について気がついた事はいくつかある。
・組織の人間は多分マジで悪人ではない。(下心の有無はともかくとして←これがまた曲者で、下心などは信じたくないんだろう。楽しく遊べる唯一の友達なのだから当たり前だ)
・徐々に商品を買わせる(方法は不明)
そして、
これは重要だ。
つまり、「ねずみ講だから、やめろ」というだけの説得は無力なのだ。
生活の中の孤独という問題の根の深さと共に、なにが問題なのかということが僕への課題になった。
ところで、僕はAを心配している。元々不安定な状況にあった人間だということは本人から聞いた。
どこまでハマるかわからない。まぁ、それだけといえばそれだけだから、僕はAがあっちにいこうかどうかなんてどうでもいい、と思ってもいいのだ。
そして、引力に逆らう理由も、考えなければ言葉にできないな、と思った。それは、ぼく自身についても危険かもしれないな、と思った。
で、いまは、周りの人間の反応をみているところだ。
ともかく、そんな感じでバレバレなので、まぁ勘の鋭い知人はチョっと検索して「おやこれはあの企業」というところまでたどり着いてしまった。
こうなればあとは時間の問題である。僕が一番危惧しているのは、Aがあるグループ以外からはますます孤立を深めてしまうことだ。
(ある集団と「しか」繋がれないというのは、どこにも繋がらないよりかはマシだが、相応に孤独なものだと思うから、できるだけ僕個人はそれを避けたい。僕は個人として「会いたい」と思ってくれる人間と話すのがとても心地よく好きだし、呑む時にできるだけ今ある組織や社会性に干渉されたくない。)
そうなればAは集団の中にグングンのめりこんでいくであろう。すでに若干Aの一言一言がしつこいので、僕に売り込みという「実害」をもたらすのも時間の問題である。
僕はその時Aを嫌ってしまうだろう。致命的に嫌ってしまえば、その人間と一緒にいることは苦痛になる。僕はそれが嫌なのだ。
とてつもなくうれしい。
英語もそこそこ好きだった。
行く前には、サークルの友達とかが盛大に送り出してくれてうれしかったな。
けど、だめだった。
英語は読み書きはできるけど、英会話が全くできない私は、現地の国際交流のサークルに入ってみた。
国際交流のサークルだったらいろんな国の人とも出会えるし、そんなに英語がうまくなくてもやっていけるかなと思って。
正直一緒の大学から派遣されてきた日本人の子達とあんまり仲良くなりたくなかったから、個人で乗り込んでみた。
キリスト教系のサークルで表だっては、誰でもウェルカムみたいな感じだった。
週一回やっているミーティングに顔だしてみると、
2時間のウチ前半はゲーム(トランプとかボードゲームとか中学生みたいなゲーム)、
後半はディスカッションで。
ゲームも糞ダサいし、ディスカッションもなんか宗教的なものばっかりでちょっと引いちゃった。
でも、これも経験だと思ったし、英語が喋れるからいいかなとか思って一カ月ぐらい毎週いってた。
このサークルの母体となるキリスト教の大人版の国際交流団体みたいのが主催する月一でのホームパーティーがあった。
個人宅で開かれたパーティーに行ってみてびっくり。
「日本はかわいそうだ。キリスト教じゃないからみんな地獄に行くんだ。」
そこで出会った人達も同世代の男達はマリファナばっかやってて。
大麻とかだけはやりたくなかったから折角できた友達から自分から離れていった。
日本でよく留学行ってた人が大麻持って帰ってきてつかまるじゃん。
なんかそれがいまじゃよくわかる。
そういう事とかあって、完全に孤立しちゃった。
残りの9か月は、たまに日本人の友達とスカイプするぐらいでほとんど声を出さない生活だった。
日本の大学では毎日楽しくて、彼女はいなかったけどそれなりに友達もいた。
それが一転。
人と会わない生活。
留学なんて行かなきゃよかった。
http://anond.hatelabo.jp/20130402215709
この記事について。
私はただ一つ「この記事には論理的誤謬があり、なおかつその誤謬によって害が引き起こされる可能性が大いにある」という話をしたいと思います。健常者がどうのアスペルガーがどうのという話ではありません。まあ書きながら考えるので変なところに着地するかもしれませんがとりあえず目指すのはその辺です。以下本文。
まず、「健常者にも色々いる」とご自分で述べておられますね。
それにも関わらず、「だからアスペルガーは嫌がられるんだよ」という主張の論拠として使われているのは知人のアスペルガー男性のエピソードのみ。アレかな、「アスペルガー症候群にも色々いるんですよ^^」っていうツッコミ待ちの記事なのかな。
「私の知り合いのアスペルガーが嫌がられる本当の理由」という題名でもないしそのように解釈できる文言が本文中に書かれてもいない以上、「こういうわけなのでアスペルガー(の人間は普通皆)嫌がられるんだよ」という意味にしか解釈できませんよね(論拠は筆者の会ったことのある「アスペ男性たち」の印象と、たった二人の人間のエピソードだけだけど)。すくなくとも筆者の方はそのような意味をこめて書かれたと解釈したんだけど、違ってたら申し訳ありません。
まあ自分で「自分は医者でもないしアスペルガー100人に会ったわけでもない」と丁寧に注をつけておられるし、「アスペを全否定はしない」とまで書いていらっしゃるので、この題名はどちらかというと人を釣るために極端な題名をつける技法の一種ではあるのでしょう。
しかし、「アスペを全否定はしない」のくだりの直前まで「アスペルガーは~」「アスペは~」と相も変わらず「普通アスペルガーはこうなんだよ^^」とでも言わんばかりの叙述が頻出していますよね。というか全編そうなんだけど、「健常者はこうなのにアスペってほんと迷惑だよね、困るよね^^;」という記述、論調になっています。実際に読み取れるのは「私はこうなのに知り合いのこいつらはこんなやつらなんだよね、困るよね^^;」という内容だけであるにも関わらず、一般論に見せかけようとしています。
つまり、この筆者は、「自分VS自分の知り合いのアスペルガー」の構図を「健常者一般VSアスペルガー一般」という構図に敷衍しようとしているんです。
自分は「自分VS自分の知り合いのアスペルガー」という例しか知らないにも関わらず、「健常者一般VSアスペルガー一般」として、あまつさえ「アスペルガー一般」を悪であるかのように語ることは紛れもなく邪悪な錬金術です。比喩を使わずに言うと、詭弁です。自分の「知り合いの困ったアスペルガー」という個別事例を「アスペルガー症候群の人間全般は困る」という大きな空想に仕立て上げる言葉の錬金術は、意図的にやったならば紛れもない邪悪です。この「自分は医者でもない~」や「アスペを全否定は~」のくだりは、この邪悪な錬金術をごまかそうとする、実の伴わない、卑劣なエクスキューズであると言わざるをえません。
……とここまでかなり過激な言葉を使ってきましたが、これは「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」が書かれた意図をまあ悪いほうに解釈した場合の話です。よりマシなほうに解釈するなら、この筆者さんは<早まった一般化>の罠にうっかりはまってしまったものとも考えられます。<早まった一般化>とは、要するに「X高校の生徒Aは不良だった。X高校の生徒Bも不良だった。したがって、X高校の生徒は全て不良である」とやってしまう論法のことです。当然ながら論理的に妥当ではありません。しかしよくやっちゃう誤謬だからこそ名前までついているのであって、うっかりやってしまうことがあるのは仕方ないともいえます。
しかし、これを「仕方ないねー、次から気をつけてねー」で済ませてしまうことはできないと考えます。
なぜなら、意図的であれうっかりであれ、「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」が「ある特定のグループの人間を妥当な根拠なくdisり、彼らの悪印象を植え付ける」ものになっているからです。
「妥当な根拠なく」というのは上段に述べたとおりです。
筆者は「自分の会ったことのある男性アスペルガー達」の話を「実際の、正しいアスペは~」と、何故かアスペルガー全般の話としかとれないような言い方で敷衍しています。そして、「だからアスペは嫌がられるんだよ!」とdisっています。筆者の方もうっすらマズいと思ってはいるのか「アスペを全否定はしませんが~」とか書いてはいますが、そもそも「アスペが/アスペを」と書いた時点で「アスペ(ルガーの人全般)が」という意味になってしまっていませんか。
これを「うっかり」やってしまったのならば、筆者の方には思慮が足りません。言葉は悪いですが、言い方が悪くて周囲と軋轢を起こしまくりなおかつ自覚できない反省もしない、コミュ障(の一種)と同レベルです。言葉の使い方が悪く、主張の論理的妥当性を吟味していないばかりに「X高校のやつらってマジ不良だわーサイアクー」という誹謗中傷になってしまっています。ご自身のためにもお気をつけになるべきだと思います。
これを「意図的に」やったのならば、ただの根性曲がった悪人ですね。社会のためにも大人しくしててください。
ここまで書いてきたのは、「自分が知っている個別事例のみを根拠に何故か一般論として特定の人々をdisり彼らへの悪印象を植えつけようとする」のはどうかという話であって、本質的に健常者(というか定型発達)がどうのこうの、アスペルガーがどうのこうの、という話ではありません。ただ<早まった一般化>にはお気をつけを。邪悪な意図があろうがなかろうが、あなたが「結果的に」悪人と同じことをしている可能性は大いにあります。
おわり。
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おまけ
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↑では「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」について、個別事例を一般化してdisるの
はよくないとおもいます!という話に(最終的に)なっていましたが、それとは別の視点
でこの記事につっこんでみようと思います。特に主張の芯もなく(というか主題から外れた枝葉の話で)論理の組み立てが甘いので本文からは省いた話です。二つぐらい書きます。
1、
上でも言いましたが、アスペルガーの症状をまとめたサイトには、
「空気が読めない」「裏表が無い」
「一つのことに夢中になる」
「アスペは、我々がきちんと説明すればわかってくれる」
頑張れば楽しくつきあっていけそうな気がします。
思わない。思わないから。その説明読んで天然ボケのかわいい人と思うのはあなただけ。
まああなただけというのは言いすぎですね。人によってこの説明文から受ける印象は分かれるだろうということです。で、人によって印象の分かれる説明文に関して自分の感じた印象を述べるところまでは何の問題もありません。が、この後にこう続くんですよね。
でも、実際はそういう単純なことではなく、
・健常者がアスペに状況を一生懸命わかりやすく説明しても、アスペは理解できないし、
意見を曲げずに屁理屈を返す。口が達者。こっちが強く言えば逆ギレし、怒鳴って癇癪を起こす。
これが、正しいアスペルガーの症状の説明であり、
以下アスペルガーdis。この辺の記述が個別事例なのにアスペルガー一般の話として語られている以下略という話は上段を読んでいただくこととして、この一連のくだり、実はこんな構造になってるんですよね。
ここ、2. 以降の内容(「でも、実際にはそう単純なことではなく~」以降)をより悪い印象にするために、本当は印象の分かれる説明文について、わざと「こういういい感じに見えますよね?」と持ち上げているんです。まあよくあるレトリックとはいえ根拠レスなdisを効果的に演出するために使われるとつっこみたくもなるし筆者に悪意が感じられそうになるので困ります。
別に悪意とかなくても無意識に使われがちなレトリックなので上段でこの筆者に悪意があると断定するのは避けたんですが、私最初は「ドーモ、元増田=サン。悪の増田滅ぶべし」って感じで書いてたんですよね。それはこの辺が原因でした。
でもこれ2回もやってるんだよなーこの人。
2、「価値観が違う」ことが分かってなければ「価値観が違う人に説明」などできない
この筆者の方は、アスペルガーのお知り合いとコミュニケーションするに際して、かなり「惜しい」感があります。すなわち、
と「感じて」はいるようなのですが、「分かって」はいないということです。
このアスペルガーのお知り合いの方たちは、被害者、もしくは自分が庇った加害者の気持ちでさえ、他人の気持ちがまったく斟酌できなかったようですね。それは私も記事から読み取れました。心中お察しします。
しかし、このアスペルガーの方たちが、筆者の方の説明に納得せず暴走し続けていたのは何故なのか?これも筆者の方が仰っているとおり、「価値観が違う」からなんでしょう。(このアスペルガーの方の価値観が「根本的に」「健常者と」違うかどうかは断然議論の余地がありそうですが、それはまた別の話しになるのでさて置きます。)
では、「価値観が違う」ってどういうことなんですか?
「価値観が違う」ということは、この場合「筆者の価値観に基づく説明では、アスペルガーの知り合いを納得させることはできない」とういうことです。なんだ当たり前じゃんと思いますか?ですが、これを元にすると、先に筆者の方も挙げていた「アスペルガーの特徴」の解釈が違ってきます。
「アスペは、我々がきちんと説明すればわかってくれる」
これです。
この「きちんと」が曲者だったということです。
筆者の方は、「きちんと」説明できていません。
筆者さんのエピソードに出てくる「アスペルガーの知り合い」、すなわち「価値観の違う相手」に説明し納得してもらうには、「相手の価値観に基づいて納得できるように説明」する必要があります。これは相手がそのアスペルガーのお知り合いでなくとも一緒です。自分で善悪の判断ができない子供に「あなたのお母さんが、それはダメって言ってるよ」とさとしたり、宗教が違う人間、住んでいる文化圏の違う人間にどうにかこちらの事情を分かってもらおうと四苦八苦したりするでしょう。そんなときにひたすら大人の価値観、自分の宗教、文化圏の価値観に基づいた主張、説明のみで分かってもらえるでしょうか?
アスペルガーのお知り合いの価値観のもとでも分かってもらえるように説明した、と取れる文章は残念ながら記事のどこにもありませんでした。ならばわかってくれなくても当然ではないでしょうか。
分かりやすく説明した、というのはあなたの価値観にもとづいた主観であって、相手に何かを納得させたいのであれば、あなたの価値観だけにもとづいた説明などゴミも同然です。相手に理解できる論理になっていないのであればそもそも説明になっていません。あなたの説明が普段普通に通じているように思えるのは、あなたが多数派の価値観の中にいるからであってあなたが正しいからではありません。
ただ、定型発達の方もとい「健常者」がアスペルガーの方の価値観、アスペルガーの方に通用する論理を理解するのは難しい場合が多いと思います。お互い論理的に正しくてもその論理の使いどころがそもそもずれている場合が多いですし、論理ではなく感情に拠るところが増えればお手上げでしょう。筆者の方はアスペルガーのお知り合いを「お世話」しているようですが、それがアスペルガーのお知り合いが円滑に社会生活できるように周囲との人間関係をとりもっている、という意味なのであれば、筆者のかたはそもそもその「お世話」に必要な理解の試み、もしくは努力、もしくは能力そのものが足りていないのだと思われます。価値観の違う相手とうまく付き合おうとする試みに疲れる、もしくはそれができないのであれば、無理に「お世話」しようなどと思わずできるだけ相手と付き合わないようにするのが最善ではないでしょうか。