はてなキーワード: レトリックとは
なぜ嘘ばかり書いてまで批判するのか。嘘しか書けないなら批判するのはやめなさい。きみの方がまるで朝日新聞の悪いところを濃縮したような性格をしている。
次に、「~な人はいる」などと疑問を強化を試みます。(「~な人はいる」と言いながらそれが誰かということには一切触れない。)
URLを示して、それが誰かということは明らかにしている。きちんと読んでくれ。
次に、出典不明のあやふやなデータを並べ立ててみる。
URLを示して、出典を明らかにしている。きちんと読んでくれ。
最初からゆとり世代を擁護していない。日記のタイトルも「ゆとり教育が使えない人間を生み出すのは嘘」であってゆとり教育の擁護を意図している。錯誤を書かないでくれ。
うまく日記自体を批判できないからといって「天声人語」を持ち出してイメージ低下を狙うのはやめてくれ。
つまりきみは、嘘を重ねた上に、根拠もなく「論法を積み上げているつもり」「論法のすり替え」といった批判を連ねて批判した気になっている。
というように、
意味不明な批判をしてから、こちらの日記を天声人語に准えることで、その意味不明な批判を補強した雰囲気を狙っている。
きみは、「朝日新聞」「天声人語」といった悪のイメージをなすりつけることになれてしまって、嘘・まやかしの適当な文章しか書けなくなっている。そういった卑怯な修辞は即刻やめなさい。見ていて気持ち悪い。
ゆとり社員が使えるかどうかはわたしには判断できないが、元増田の文章を読むと朝日新聞の教育は一定の成果を収めているように思われる。
(´;ω;`)「どれだけ頑張っても仕事ができません。ホウレンソウがどうこう言われます」
次に「本当だろうか」疑問を提議します。
次に、「~な人はいる」などと疑問の強化を試みます。(「~な人はいる」と言いながらそれが誰かということには一切触れない。)
次に、出典不明のあやふやなデータを並べ立ててみる。
だが、それ以上に、ゆとり教育を受けることと使えない人間が出来上がることとの因果関係ははっきりしていない。
擁護する対象が少々ずれてみたり。
(ゆとり世代を擁護するはずが、ゆとり教育を擁護しています。ゆとり世代の擁護は諦めたのか)
ゆとり教育を叩いている人は、日本をよくしたいのではなくて、ネットに耳ざわりの良い意見をぶち上げるという気持ちの良いオナニーをしたいだけではないかと勘繰ってしまう。
村上春樹のカタルーニャ国際賞のスピーチが賞賛を浴びてるけど、僕はすごいスピーチとは思わない。エルサレム賞の「壁の卵」のスピーチの方が、何億倍もすごかったと思う。
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上) - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html
【村上春樹】村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳) : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php
一部には原爆と原発を一緒にするレトリックに批判が挙がってるけど、別にこの部分には異論はない。科学的にいうと全然違うかもしれないけど(急性被爆とかうんぬんかんぬん)、文学表現としては有りだと思う。
僕が違和感を覚えるのは、そこの部分じゃなくて、「我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?」「理由は簡単です。「効率」です」という部分。
「効率」って言葉は一見抽象的なようで、安易に単純化した概念だと思う。
問題は深刻で真実は闇に隠されてて、立ち向かうのには、「壁と卵」のスピーチの言葉を使うと、もっとよい嘘をつくべきなのに、「効率」は出来の悪い嘘だと思う。
「効率」という嘘が、どのように出来が悪いかというと、この原発問題を簡単に乗り越えられるような印象を与えるということ。僕らが「効率」を捨てさえすれば、二度とこのような問題は起きないと錯覚するということ。
そんなに簡単に乗り越えられることが可能なんだろうか。僕らが「効率」だけを求めて生きてきたから、このような事故を引き起こしてしまったんだろうか。たとえそうであっても僕らは簡単に「効率」を捨てることができるのだろうか。
もしかしたら、福島の人に希望を持たせるためにあえて出来の悪い嘘をついたのかもしれないけど、そんなことは他の人に任せるべきで、村上春樹の仕事ではないように思える。春樹以外の人にだって出来ることなのだから。
春樹にしか出来ないこと、それは問題を抽象化して、別の形に置き換える作業だと思う。それは単純化と別方向の作業で、非常に難しいし、理解されないかもしれない。問題をさらに複雑にしたと批判を浴びるかもしれない。
でもそれが、「壁と卵」で春樹が言ってた小説家の仕事じゃないかな。そしてそれは「嘘を紡ぐプロ」として自覚している春樹にしか出来ないことだと思う。
※追記 エルサレム賞のリンクが間違ってたので修正しました。指摘ありがとうございます。
震災の影響で福島原発が爆発を起こし、甚大な放射能汚染を引き起こしている。
それまでの「絶対安心です」という宣伝文句は嘘だとわかり、その上に、万が一の事故への対策がほとんど取られていなかったことが暴露された。
そして、東電や政府の、事故後のあまりに不誠実な対応と嘘の上塗りに、私たちの原発への信頼は地に落ちた。
人々は不安に駆られている。
ところが、この段階に陥っても、まだ、
「原発は本来なら安心だ」
「東電幹部に人材が枯渇していた。原発自体の安全神話が崩壊したわけではない」
などと主張している人々がいる。
そして、原発をこれからも建設し、原発で発電を続けようと訴えている。
崩壊した神話にすがりついて、滑稽な主張を繰り返す、一流の専門知識を持った人々……。
デジャブ(既視感)だ。
なんだったっけ?
思い出そうとして思い出せないもどかしさ。
隔靴掻痒とはこのことだったが、つい先日、佐藤優の本をたまたま読んでいたときに思い出した。
「本来の社会主義は違う」
「ソ連経済が傾いていたときに、それを立て直す人材をたまたま得なかっただけ」
「資本主義の弊害は明らか。それを改めるためには、社会主義革命が絶対に必要だ」
理想がいくら高邁であろうと、それが地に落ちれば、人々は顧みない。
しかも、地に落ちたあとに知ったその実態はあまりにも醜悪だった。
恐怖による支配、ノーメンクラツーラの無法ぶり、嘘で塗り固められた報道、破綻した財政、ずさんな会社経営、環境汚染、人心の破壊、エイズの蔓延……崩壊した旧社会主義国の実態はおぞましいものであり、そして、世界は社会主義革命への幻想を捨てた。
原発も同じだ。
いったん事故が起こると、一県が壊滅状態になり、膨大な被災者が出ることが判明した。
加えて、日本は世界有数の地震大国であり、その周辺に、敵意と高度な軍事力を持った国を持つという特徴がある。
そのような危険な土地に、原発という危険な施設を建設すること自体、おかしな話だった。
しかし、事故が起こりさえしなければ、現実に目を背けていられた。
燃料となるウランを採掘するために、産出地の土壌が汚染され、採掘者や周辺の人々の健康に大きな悪影響を与えていること、
内部で働いている人々の被爆量管理がかなりいい加減であること(それは現在の作業員への扱いをみていてもよくわかる)、
つまり、弱い立場の人々を食い物にしないと、原発は存立し得ないということ、
全発電量に大きな割合を占めているといっているが、これはレトリックで、原発は発電量を調整できないので火力発電などを調整した結果だということ、
原発は地球温暖化を防止するというが、放出エネルギーの3分の1は発電に使われずに排熱として海水を温めており、結果、膨大な海水温の上昇に貢献していて、むしろ地球温暖化に貢献していること、
なにか起こって被害を受けても、責任者は責任逃れに終始し、責任を取るつもりがないこと、
核廃棄物をうまく処理する方法は確立されておらず、処理に莫大な費用が必要なため、時間が経てば立つほど、指数関数的に予算が増えていくこと等々……。
そして東電が、まるでソ連のKBGのように、情報を遮断し、われわれに真実を隠してきたことも。
わかればわかるほど、原子力発電というのは問題だらけじゃないか。
ソ連が崩壊したあとも、あの手この手で社会主義者たちは言い訳を繰り返す。
社会主義という思想自体は悪くないといい、それまで褒めたたえたくせに、旧社会主義国を罵倒し、そして、残り少なくなった社会主義国へすがりつき、ようやく命脈を保っている。
管理技術レベルが未熟な国家でも、原子力発電所建設計画が数多く進められている
自然災害か人災かどちらかが原因で、甚大な原発事故が、近いうちに世界のどこかでもう一度、起こるだろう。
確実に向かう。
日本は、その尖兵となっただけなのだ。
事故が一度起これば、その被害が甚大なものであることがこれだけ証明された以上、脱原発は、世界の流れになるのだ。
「原発は安心なのだ」
と、性懲りも無く、題目のように繰り返しているに違いない。
本旨に沿った反論というか指摘として
R2M 原発, エネルギー 「5.9円/kWh程度と、低コスト。これは廃棄費用も計算に入れている。」 まずこの段階で微妙に。「ウラン235は30年、プルトニウムはほぼ無限」プルトニウムって国際的に自由に売買される?
Carnot1824 核拡散リスクと余剰プルトニウムが抜けているよ。 2011/04/04
Zarathustra1951-1967 経済, 安全事故 "原油は2004年から2011年の間に5倍"とだけ挙げて、天然ガスに触れないという小賢しいレトリック1つで信頼性が下がる。というより原油価格2011/2004で5倍ってどういう種類の原油?WTIだと2倍強でしかも"円高"なんすけど?
JULY 科学技術 なんか、惜しい資料だなぁ。原発に都合の良い書き方をしているのが目についてしまう。水力や風力の環境影響を書いておきながら、原発は希に事故が発生する程度でスルーしていたり。あと出展が分かるものが少ない。
good2nd 原発 もうどいつもこいつも、いつまでも低コストっていうなら原子力関係の補助金ホントにやめようぜ。いくら突っ込んできたと思ってんだよ。
mojimoji 最後に一番笑った。「過去の事故による損害賠償も、今後は防止できるなら計算に含まない」。事故が「防止できるなら」という仮定は、半世紀余の原子力政策史の中で、ただの一度もマジメに検討されなかった。 2011/04/05
tei_wa1421 いまだに原発安い厨が、そもそもこの震災の前から稼働率が6割切ってる時点で安いってのが寝言だと分かるんだが 2011/04/05
fujiyama3 高速増殖炉はあの有様だし、最も扱いが難しい使用済み核燃料の廃棄方法がそもそも決まって無いのに「廃棄コストも計算に入れている」とか言われても。
抽出すれば、
おそらく、どこまでをコストに算定するかなど、前提としているものが彼らとは異なっている可能性もある。
これにはブコメでも反論があるが、あなたはどのソースからこの結論を導くに至ったのかがきになる。
たしかにこれは不公平なので、あなたが知りうる限り平等に記述しなおしたほうが良い。
とあるように、原発をエネルギー資源としてもういちど候補に挙げるならば、こういったコストも勘定に入れるべきだ。
あなたの主張は「これからのエネルギー資源を考える上で役立つ情報」について書いているけど、「今回起こった事件でかかるコスト」についての反論はこれからのエネルギー資源を論じる上でも有用であるし、彼が論旨読み違えているとはいえ、答えておいて損はないはず。
最後に、
基本的に揚げ足取りやスター付けて慰めあっているようなIDは無視して構わないが、質問や指摘には建設的に応えるべきだ。
特に、出典の少なさは私も気になる。
あなたもすべての情報を持っているわけではないのはわかっているから、知りうる限り、補足できる限りの情報は示して損はないと思う。
それでも罵倒するようなIDはさすがにゆとり脳として切り捨てても構わないが、ここまでいい情報を書いておいてその最後の補足で終わってしまうのは惜しい。
っていうか、「彼ら」とか「自分たち」とか分けたら、そりゃ利害対立するよ。ただのレトリックだ。
「皆さんの税金をマイノリティに分配するくらいなら、給付を削って財政再建します」って政策のほうが、
「マイノリティを助けるために増税します」よりも受けがいいのは当たり前だ。
「自分たち」が「彼ら」のような境遇になる可能性を考えて、「彼ら」のためにお金を使うのは、
それだけの余裕が「自分たち」にある時でなければ、到底無理な話だ。
最初に、
と、マイノリティに女性を分類しているわけだから、マジョリティの数が多いかのような論の展開はおかしい。
残りの男性から「マイノリティ」や大企業従業員や公務員や創価学会員を取り除いたら、大して数は残らんだろう。(残る最大勢力は、老人か)
だから政治家は代弁しない。(老人の代弁はする)
宗教はいった方が早いよ。
同11月、第二次日韓協約、外交権を剥奪し韓国を保護国とする。
「韓国の形勢今の如くにして推移せは年を経るに従ふて『アネキゼーション』は益々困難なるに至るへし」と打電。
(伊藤が即時の併合を主張したのか、あるいはロシア対策をめぐる内地向けのレトリックであったか、史家の解釈は一致しない。)
同7月、ハーグ密使事件、高宗退位。保安法制定、言論集会結社の自由を制限。
1908年年4月、「適当の時期に於て韓国の併合を断行する」政府方針に伊藤が同意。
(参考資料 瀧井一博『伊藤博文』)
伊藤もはじめは併合に反対していた、ってよくいわれるけれど、
・・この主張、結局、「差別するな、という人間」そのものの否定にはなっていないんだよな。
いろいろとレトリックは頑張ってみたみたいだけども。
日本中で明かりが消えていっている――文字どおりに.『信濃朝日新聞』の一面には,街灯の3分の1を消して節約にはげむ試みが紹介された.青森から鹿児島まで,日本中で同じことが行われたり検討されている.
一方で,青函トンネルから首都高まで,かつて先見の明ある輸送機関への投資で世界を驚嘆させたこの国は,いまでは道路をつぶしているありさまだ:多くの県で,地方政府は維持できなくなった舗装道路を砂利道に戻していってる.
そして,かつて教育を重んじた国が、いまや教育を切り詰めている.教師たちは解雇され,各種施策は取り消されていっている.沖縄では,学年度そのものが劇的に短縮されつつある.しかも,あらゆる徴候は今後のさらなる削減を示している.
「他にどうしようもないんだ」と聞かされる.基本的な政府機能――過去何世代にもわたって提供されてきた基礎サービス――の費用はもうまかなえないんだ,とね.たしかに,景気後退で傷手を受けた県・地方政府が金欠なのは事実だ.でも,政治家が少なくともいくばくかの増税を検討する気にさえなれば,そう大した金欠ってわけでもない.
それに,インフレから守られた長期国債をほんの1.04%の低利で売れる日本政府は,ちっとも金欠なんかじゃない.日本政府は地方政府に援助を提供してぼくらの子どもたちとインフラの未来を守ることができるし,そうすべきだ.
ところが東京はほんの申し訳程度の助けしか出してない.それも,しぶしぶにだ.赤字削減を優先しなくちゃならん,と自民党員や「中道」民主党員は言う.ところがその二の句を継いで言い放つ言葉ときたら「富裕層減税は維持すべし」だ.この先10年間にわたって60兆円の予算コストでね.
実質的に,われらが政治階級の大多数は,優先順位をはっきりさせてるわけだ:日本の上位2%ほどの富裕層にバブル時代の好況時に支払っていた税率にもどすのを頼むか,それとも国の基盤が崩壊するにまかせるか(道路なら文字どおりの「崩壊」だし教育なら比喩的な意味ので「崩壊」ですな),この2択をつきつけられた彼らは後者を選んでいる.
これは,短期でも長期でも破滅的な選択だ.
短期では,県・地方での削減は経済の脚を大いに引っ張り,とてつもない高失業率を永続化してしまう.
菅総理のもとで浪費的なまでに政府支出がなされてるとかわめく声を聞くときには,県・地方政府のことに留意しなきゃいけない.そりゃまあ,みんなが思うほどでないにせよ,日本政府はたしかに支出を増やしてる.でも,県・地方政府は支出を削減しているんだよ.両方を足し合わせると,実は大規模な支出増加は失業手当みたいなセーフティネット・施策でなされているだけ.これは不況が深刻なせいでコストが急増したから増えてるんだ.
つまり,刺激策は失敗したとさんざん吹聴されてるけど,政府支出全体をみてみれば,刺激策なんてほとんど打たれてないのがわかるんだよ.県・地方政府の削減がつづく一方で日本政府の支出が尻すぼみになっているいま,支出増加から反転しつつある.
でも,富裕層減税をつづけるのだって財政刺激の一種にはちがいないんでしょー? いや,それはないって.教員の職を守れば,まちがいなく雇用援助になる.そうじゃなく億万長者にもっとお金をあげたってそのお金の大半は死に金になるのがオチだ.
じゃあ,経済の未来はどうなんだろう? 経済成長に関するあらゆる知識は,教育水準の高い人口と高品質インフラが決定的に重要だと告げている.いま台頭しつつある国々は,道路,港湾,そして学校の改良に猛烈に力を注いでいる.ところが日本ではその逆をやってる.
どうしてこうなった? 反政府のレトリックを30年間もつづけた論理的帰結ってもんだね.なにかっていうと,課税で集まったお金はかならず無駄金で公共部門はなにもちゃんとできないと多くの有権者に信じさせてきたレトリックのことだ.
反政府キャンペーンはいつも決まって無駄遣いと詐欺への反対という体裁をとってきた.キャデラックを転がす「福祉の女王」宛ての小切手だの,むだに書類ばかりつくってる役人の群れだの,そういうのに反対するかたちをとってきた.でも,もちろんこういうのは神話だ.右派が主張するほどの無駄や詐欺なんて控えめにみてもなかった.キャンペーンが功を奏したいまになって,ほんとうは何が攻撃対象だったのかぼくらは目にしている:すごい富裕層以外の誰もにとって必要なサービス,公衆全体のための街灯やほどほどの学校教育みたいな政府が提供しなきゃ誰もやらないサービスが攻撃対象だったんだ.
この長年にわたる反政府キャンペーンでもたらされた結果,それはぼくらが破滅的なまでに道を間違えたってことだ.いまや日本は明かりのない暗い砂利道で立ち往生している.
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福祉の充実を求める主張を「ふんだくる」と表現してる時点で、
ハイ間違い
「ふんだくる」という感性を固守し続けているのはここでいうサヨクな人達
「福祉の充実や適性配分を論じる(これは国家の経営まで当事者として考えるということ)」のではなく
どこまでいっても「国とそれに敵対する俺達」「国からふんだくる!」という意識の人達がいる
そういう人達の問題についての話
そこを突かれるとあなたみたいに幼稚なレトリックの操作で
「奴隷!」だの「ブラック!」だの人格的罵倒をしてくる人が多いのも問題
そういう悪意のレトリックに通じていない人はそれで怯えて口をつぐんでしまうことも多々
http://anond.hatelabo.jp/20100712090004
男に二種類いるなら、女にも二種類いるだろう。
仮に、増田がそのランキングに加わったとするならば、「無料」ということは、ランクが限りなく低いということだろう。
「無償の愛」というのはよくわからんが、マザーテレサになりたいのか?
相手に「資格」を求めているのに、「無償の愛」だとかは(頭が)おかしい気がするが。
それなら、増田は風俗嬢に比べて魅力に欠ける、ということだろう。
それとも、自分は風俗嬢とは比べ物にならんぐらい魅力があるとでも?
だったら、
増田は劣っている、で、なんも矛盾はないんじゃないか? それいいじゃないか。
増田は素人なんだから、プロに劣っていても、何も不思議はないはずだが。
そもそも、「職業差別ではない」といいながら、比較するのがおかしい。
結局、増田の文章を読む限りでは、非処女嫌いの処女厨とたいして変わらんと思うよ。精神構造が。
つまり、相手を「穢れている」とか言っちゃう感性自体が同じなんだよ。おまえら縄文人か。
どんだけ相手を舐めてんだ。
最後に、
ということだったら、むしろ、
風俗以外のふつうの恋愛も、実は風俗と変わらん、って書いたほうが面白かったね。
なぜなら、ふつうの恋愛でも、セックスに至るまでに金を使わないことはありえないからね。
何万円どころじゃないと思うよ。
■追記
かなりひどい。
容姿と性格に致命的な欠陥がある人に私は処女を捧げたくないですし、非処女になった後であったとしても死んでもセックスしたくないです。
無償でも有償でも断じてセックスしたくないです。
そして私は、有償でセックスに応じている風俗嬢や出張ホスト等に対して、マザーテレサや野口英世に対するような敬意を持っています。
前段はまったく問題ないが、後段はひどい。
前段はほとんど無意味な文章だと思う。
はっきり言って単なるレトリックだが、「容姿と性格に致命的な欠陥がある人」なんて書いたら、男でも女でも関係を持ちたくないだろう。自明だ。
だがこれは無意味な文章なので問題ない。問題は後段だ。
もともとの増田は、なにかのアンチ(処女厨とか風俗ネタの)として書いたのかもしれないが、トラバやブクマなどへの反論で極端な議論を構成するために、わざと過激に書くのがエスカレートしすぎたようだ。
おそらく、元増田は風俗嬢や出張ホストについてよく知らないであろうが、そういうものに対して敬意を口にする神経はどうかしている。これは、そういう人たちをダシにして、利用しているだけだろう。
明らかに自分の議論を有利にするためだけに言っているに過ぎない。
単なる増田の議論なので、実害はないだろうが、卑怯さだけしか感じられない。
金に物を言わせて女を買う男と、同類だと思う。
ずれてね?
「その話題は永久に答えが出ないし、個人間のコンセンサス以上のものになりようがないから議論を振っても無駄」
と提言することと、「それを言うなら何も言うな、距離をとれ」は別の話じゃない?
「個人主義を標榜するなら議論に参加するな」
みたいな、ヒドいレトリックだと思うけどなぁ。違う?
そういう話ではなく、「わたしのセックス観」に関わる議論にはパブリックな回答が
出ようがない。(パブリックな回答が可能である、と反論されたなら話は別。これは議論になる)
だからその論立ては無意味だ、と言うことは別に主張としておかしくない気がするけれど。
別にフリーセックス主義者も逆に貞操観念の固い人もアリだと思う。
でも、そういうのを論題にするのをいい加減止せって言ってるんだけど、俺の言いたいことわかる?
『外国人への憎悪を煽る者たち』それはこのエントリに、デマやリテラシーなどとタグやコメントをつけてキリッとしている、はてサやリテラシ厨や民主信者、お前らの事だ!
あ?なに訳わからない寝事抜かしてんだってか?
特別に知能は低い癖にプライドだけは高いバカなお前らにも分かるように噛み砕いて説明してやるわ。
先ず、この590人という荒唐無稽な数字の"デマ"の拡がる背景を考察する。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100404/trd1004040702001-n1.htm
ここにあるように、既に税金対策のために戸籍を偽って扶養者を増やす手口は常套手段となっている。
ここでは節税と表現しているが、これは実態を捕捉出来ない点をついての脱税に他ならない。
悪質外国人が働きに来たところで日本の貨幣が外国に流れるだけで、日本の行政サービスはフリーライドされ税金は入ってこないのである。
このように税金を納めない外国人が、同じ手法でブローカーを通じたり組織だって子どもや養子縁組をしたならば、それをチェックする方法はない。
とってつけたように、
などと施行前日に通達を行っているが、そんな事実際にどうやって調査するんだ。現地国とネットワークをもって組織だって書類を仕上げてくるプロに対し、窓口の公務員がそれをチェックできるとかどんだけお花畑なんだよ。
こんな稚拙なザルなシステムを強行した事に民の怒りが蓄積されている事をまず理解しろ。
この590人登録事件は、その真偽が問題なのではなく、このような不正な請求が実際に組織的に可能である事そのものに起因して発生した現象である。
可能であるならば、やってくるに違いないという思い込みは、たとえそれがバイアスがかっていても消去する事は出来ない。
いいか?ここでそのバイアスを責める前に、システムに不備がある点が問題だという事実、それをその物覚え悪い頭に叩き入れておけよ。
で、そのような条件下で、蓄積した怒りの発散先として、この"デマ"が590人登録騒ぎという形を為し、市井の民の怒りのシンボルと化した。
そしてそのシンボル化がさらに、怒りの表明の焦点を一箇所に集中させる事が、薄ぼんやり暮らしているバカどもに有効に認知を拡めるツールとして機能する事に気づかせ、さらなるスパイラルを描いたのは至極当然である。
高津区役所が電話攻撃でサービス不能になる程度の事で、政府の愚策の問題点を浮き彫りにできるのならば実に合理的な抵抗であろう。
市井の民が、お上の決めた暴挙に対抗するならば、このような手段で対抗するのは当然でありレトリック的に言えば防衛本能の発露でしかない。
だから、これをデマだよキリッとか言ってるだけのうすらバカのみなさま方におかれましては、その指摘になんの意味もない程度の事は理解していただけませんかね?
この"デマ"に寄り添って声を上げる人間の事を、リテラシー強者(笑)なるデマの真偽の判断を否定ツイート一つ如きで判断しておきながら、『デマに乗せられる情弱』という構図で見下して、空っぽな脳を自尊心だけで満たしているだけの単なる思考弱者どもは、妖怪どっちもどっちどころではなく救いようがないうすらバカなんだよ!
まぁバカに言っても無駄かww
もっとも、はてサ脳に侵されてない人間の中でも、"デマ"を使ってこのような煽りを蔓延させる事に眉をひそめる良識的な立場のまっとな人もいるだろう。
だが、その認識は甘いと謂わざるを得ない。
この"デマ"騒ぎさえ、民主教に帰依したバカのやり口に比べるととてもまともな穏当な反対意思の表明にしか過ぎないんだよ。
たとえば、この頭を叩くと空っぽでぽむぽむするから名前が id:pompom20 のブコメ
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/2987779.html
id:pompom20 ネトウヨ 子ども手当で民主党叩きしている、この手のレイシストウヨは全員逮捕すべき。ネトウヨの存在は日本の民度を下げる害悪のガン細胞、よって切除手術が必要。
まぁ充分これでもすごいが、これを省略せずに説明すると、つまりはこのような思想である。
これほどまでにガチでやばい本物のキチガイ思想になんの留保の情も抱かないロボット達に今の政権政党が支えられている。
これを敷衍していけば、本当の言論弾圧・ニーメラーが待ち構えているのに、非実在青少年なんていう言論の自由(笑)ごっことかやってる場合じゃねーってのwww
さて、まとめておくか。この"デマ"に乗じて声を上げる者たちを、ネトウヨだの排外主義だの情弱だのと呼びあらわす者たちに告ぐ。
この現象を生み出した最大の責任は、票とりのために拙速な法案を施行した民主政権にある。
致命的な欠陥に対し、とりあえず緊急的な方法で指摘をしているだけに過ぎない者たちに、その手段の稚拙さを謗る事を良識などと考えているうすらバカどもが、いくらヘイトスピーチ、レイシストとレッテルを貼っても、それは外国人を差別する意志(意味もなく外国人にお金を渡すのを阻止するのは差別じゃないよw念のためww)もないのだから事実とは異なる誹謗中傷でしかない。
こうして普通の日本人を悪魔にでっち上げるのは、思考回路の作り方の失敗が産み出した幻影であり、それこそ日本人へのヘイトスピーチ以外の何物でもない。
そのような不当な中傷により、本当にレイシズムが発生する事態が起きる事があったら、お前達こそ本物のレイシスト生成装置であり、非難されるべきはお前らだ。
民主教徒の諸君。自民時代の児童福祉手当と同じとかレイシズムだとか言っても世の中何も解決しないんだよ。
根本的な原因に向き合い、民主政権を支持した自分がバカでしたごめんなさい。
まずそこからはじめるんだ。わかったかな。まぁわかんないだろうがなww
ただ、自らの罪の償いを他罰に求めてもなんの解決も得られないぞとだけ言っておくわ
http://anond.hatelabo.jp/20100322140134
精読したわけではないから誤読しているかもしれんけど。
一連のエントリではてこさんは男性を糾弾したり被害者ぶっているわけではなく
「私は男性(のある側面)に恐怖を覚える。」
という自らの感情を表明しているにすぎない。よってそれに対する、
「男だって女が怖い。」
などといった反論は意味がない。なぜなら、それらが正論であっても彼女の恐怖感の
存在自体が否定されるわけではないから。また、男性からの
「傷ついた。」「中傷された。」
という意見はそれ自体は感情であって表明する価値はあるが、それによってはてこさんを
非難することも意味がない。
そもそもあのエントリにこれだけ反応があったのは、はてこさんの意図とは別にエントリ内において
「それでも熊がほんの一撃で目の前の樹をなぎ倒して、ここに座ってお昼にしよう、と言うとき、
私は胸の奥で震え上がるの。どうか私を食べないでね、って思うの。」
とあるように、人間(この場合は熊であり男性)は自らの意図とは別のところで他者に恐怖を与えうるという
絶望的な事実に対する抗いだったのではないかと思う。実際、我々はどれだけ努力しても他者の心を傷つけうるし
その判断は完全に相手に委ねられて自らではどうにもできない。それを明示されたとき、人は自分がある日突然、
他者に拒絶される可能性があることを思い出して恐怖する。そして、その可能性を打ち消そうとする。
では、我々はどうするべきか。
受け入れた上で肯定も否定もせず自分の感情に基づいた意見を表明すればいい。
彼女の言説が本当に力を持つなら、なんらかの形であなたの感情に影響を与えるだろうし(彼女の意図と違っても)、
(ただし、ここでいう感情は好き嫌いではなく、どちらかというと信念とか良心と言った方が近い。)
表現規制に関しては、自分は実効性うんぬんに関係なくゾーニングの徹底と啓蒙活動が必要十分の施策と考えており、
それははてこさんのエントリを読んでも揺らぐことはなかった。
追記)書いてみて、我ながら「めちゃきれいごと(笑)」と思ったが、
実際に連休中に考えた末にでた結論だったのでそのままアップする。