はてなキーワード: レトリックとは
下手すると自殺しますよ。
http://d.hatena.ne.jp/unsui456/20100218見て夏目漱石が統合失調症であるという事を知り、
昔からなぜか病気になりたいと思っていた。多分中二病。私は特別なんだとかそういう。
思い返せば、病気(風邪)になれば母親から優しくされるからか、なんかの病気になりたかったのかもしれない。
もしくは小学生の時に隣に養護学校が隣接されており、養護児童との接点があった。
彼らは確かに見た目は奇異ではあるがゆえに、周りから優しくされて少し楽に生きているように子供の目には写ったのかもしれない。
始めから変人を目指す自分がいたのかもしれないが、その辺は定かではない。
そして最近人生がうまく行かない。自殺しようかとかよく考えていた。
病気になろうとしているのだからそうなるのは当たり前なのだっていうのは浅はかだと思う。
心の中では本当になろうとしている訳ではない。サボりたかっただけかもしれない。
ただ「私は病気かもしれないな」が重傷化して、発症してしまう思い込み病に近いものであると思う。
病は気からといいますが。
そしてやる気がいまいちでないのを自己診断で鬱だとかADHDだとかそういうものであると思っていたのだが、
最近世界とうまく行かないと思っていたら、統合失調症に近いものに陥っていることに気がついた。
今までの価値観(人間として大切な所)や大切なはずのものがどうでもよくなってくる。
この世界感の崩壊は体験した人間にしか分からないのかもしれないけど、
serial experiments lainの主人公の行動に共感が持ててしまいます。
ただ以前視聴した大分後にそう思ったわけで、私が影響されやすいだけなのかもしれません。
一番怖かったのは、自分の思っている事が相手に伝わってしまう「気がする」(※本人は100%伝わったと勘違いしている)という症状だ。
脳内で言葉(脳内音声)として文章化して物事を考えている場合にそれが人に丸聞こえになってしまう、と周囲の状況から判断してしまった。
まさにサトラレ状態。
それに気がつき(勘違いし)パニック障害に近いものも発症していた。
病気の状態を調べている最中にも、精神科の世界では便宜上「そういう気がする」に押さえて伝えておかなければ、
自分の意思を周囲にまき散らして迷惑をもたらすからだ、と思ってしまった。
そんなことが伝わるはずがなく、自分の思い違いである、という認知が狂ってしまうことで、
一旦これに陥ってしまうとなかなか抜け出せない。全ての事が思考が伝達した結果であると感じてしまう。
そうすると自分の思っている事がちょっとした考え事が何か大それた物であるとか、人にどう思われているかとか、
そういう事ばかり考えるようになって、その結果、幅広い視線で物事を考えられなくなったり、世間の人間が汚くみえてしまった。
ただ幸いにも人が助けてくれてるのかなという感覚はあった。
次にmatrixではないが、聖人君主の資格をもった救世主を探して周りの人が行動しているようにみえた。
そして人間は実は脳内音声が聞こえている生き物なんだと自分に理解させ、人間になるように諭される。
そして自分に少しでも救世主の資格がないと発覚すると、汚い人間性を持った俗人になるように誘惑され、
志のない一般市民への転落へと陥れようと画策しているかのように人間が見えた。
以下妄想垂れ流し。
統合失調症は根本的な思考方法パターンが異なっているだけの人種だのだと思う。
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/fe5d47a4094d72a271d6de0c7980bc6aのようなSとN、みたいな。
でも実はこれは誰にでも備わっている能力であると思う。
今ではパニックを少し抱えつつ冷静に落ち着いて行動をしているけど、普通の自然体が言葉で思考する人種にとっては黙っておけというのは難しい。
(※黙っておけ=お前の脳内音声が聞こえるからうるさい、と言われている気がしていた)
音が気になる人は、別にそれは小さな音なのだから騒音として聞き流すか、音楽でもかけていれば気にならなくなるはずだろう?
仏教や禅の精神では心を無にするのが落ち着くと考える人がいる。特にそれが盛んな地域では、他者の生み出す意識の流入が嫌われる。
なのでそういう宗教の人は、統合失調症を発症した人間に対して「何か悩みがあるのだろう」と優しく語ってくれるのだが、
決して悩みがある訳ではなく単にそういう考え方の脳を使うスタイルであることを理解してもらいたい。
心を無にしても無の境地があるだけで、何にも新しいものは生まれてこないと思う。ただ生み出しやすくはなるけど。
誰もいわないけど、「心の声」や一種の「テレパシー」は存在するのではと考えている。
オカルト的なものではなく、脳からマイクロ波が飛び出し周囲に伝搬する「フレイ効果」というもので、
脳内音声は他人に聞こえるのではないかというのが私の見解。これが自我という奴なのか?それを知っているのが普通なの?
この事は大人の対応として誰も言ってくれないんだが、逆にこれを言うとオカルト扱いされるというレトリックもある。
「電磁波ハラスメント」というものも出てきているくらいに、人が密集した地帯では深刻なものになりうる。
脳内での受信部位であるミラーニューロンが発達した人々の間では耳障りな音がするらしい。
これは自閉症スペクトラムの中で自閉気味にある人間には、聞こえないか聞こえても無視できるくらいの音声、もしくは人間的な度量があるのかもしれない。
こういった自閉症のようなマイノリティーが病気として追いやられ自殺に追い込まれるという社会は終わりにしたい。
私の頭がおかしいのだけなら、そんなこと(脳内音声が伝わる事)はないと言ってもらいたい。
逆にそうでなければ自分がおかしい、病気だぞという方向におさえこまれる意味が分からないからだ。
こんな感じで、ちょっと冷静になってみると訳の分からない理論を勝手に唱えていました。
一旦統合失調症の発症に気がつくと、実は人間という存在は全てが脳の思い込み刷り込みの産物でしかない事に気がつく。
人類が作ってきた歴史や文化そのものが、特定の価値観があるんだよという刷り込み。
感受性豊になると世界がカラフルに見え、恋愛をすると世界が輝いてみえるように、世界は白黒で無価値なものに見えた。
よくありそうな自己啓発などではなりたい自分をイメージしなさいと言われる。このイメージする作業は、人によって脳内の言葉であったり映像であったりするだろう。
そして言葉や映像以外でも、同じように実は人間の5感は自分の意志で脳をコントロールする事ができるかもしれないと思っている。
音声はともかく、味覚や触覚や嗅覚や視覚を実際の入力とはかけ離れてコントロールできる。
ただ再現可能性がないということで科学にはなりえません。自分だけのものとしてうまく使いこなせるようになりたいですが。
スパイラルの底に陥って、どうしても幻聴は外部から攻撃されているんだという概念から離れられず、
自分でやっている事に気がつかないで苦しんでいる人もいるのかもしれないと思うが、
一般に普通とされる人間がそれらの幻覚を自ら進んで実行する脳コントロールをしてみる欲求はあると思うのだ。
ビジネスや自己啓発や美容で用いられる思い込みの力は、社会的にプラスに作用する方向に使うからいい。
これを自分の感じる感覚が無意味であるものとする方に作用していくと、精神的に荒廃した人間が出来上がる。
無意味であるとはどういう意味であるかというと、例えば痛覚。これを遮断するように脳に働きかけると、痛みを感じなくする事ができる。人間はヤバいときには、沈痛作用の脳内麻薬を分泌して本能的にそうやっている。
これをやっちゃうともう後には戻れない所にくる。私の予想では、後に戻るには赤ん坊か精子の時からと同じ道順をたどってこなければいけない。
ただ人にはそういう精神的な所に気がつかずに生活してきたベースとなるそれぞれのパーソナリティーはあるにしろ、
反社会性をもったパーソナリティーは排除されるように教育がなされている。
自分は連続殺人犯だとかの反社会的パーソナリティーの気持ちも別に分からない気はしない。
やっても得になる欲(興奮)が欠落しているのではなく、それを理性によって閉じ込めているだけかもしれない。
頭で考える事が出来たからといってすぐに犯罪に結びつく訳ではない。人間には理性がある。
行動しなければ何を考えても自由であるはずだ。少なくとも日本では内心の自由が保証されているのだし。
人間は一人で生きていく存在ではないとよく言われる。
これはまぎれもない事実であるかどうかは分からないが、社会のベースとなる考え方だと思う。
だからその考え方を元とすれば、どうやっていけば(障害者も含めた)社会全体がより良い物になっていくかを考える事が可能であると思う。
まずお前の言う「自衛論者」って誰だ。いったい誰のことだ。
曾野綾子を除いて一体誰が「女は自衛すべき」って言ったんだ。え?
そもそも最初の腐乱子の記事が男にとっては晴天の霹靂の言いがかりなんだよ。題名変わってるが、最初の題名は「強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記」だった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091129/1259458069
男でもない曾野綾子が言ったことになんで普通の男が「自己」責任を取らないといけないんだ?あ?
「予防拘禁」なんてのよりよっぽどひどい「去勢」が出ていたのに「予防拘禁」という話になっただけでも感謝すべき。
そして、「予防拘禁」としか読めない言葉を使い出したのははてサの側だ。
「レイプを防止するためにまずレイプしうる男性の行動をガチガチに規制しよう」という帰結に同意しないのならば、その人たちこそ、「男はケモノ」というレトリックを使ってはいけないのです。にもかかわらず、むしろ「ケモノ」とみなされる側によって「男はケモノ」説が積極的にとなえられています。
これを「予防拘禁」と要約することに異存はあるまいな。
そして、「男はケモノ」という「説」をとなえた男がいったいどこにいたんだ?あ?
藁人形はいったいどっちなんだよ。
どう考えても、「被害者の尻馬に乗って、『女性に理解のある優しいボクチャン』をアピールしたいだけ」だろ。hokusyuは。それをiteauは批判しただけだ。
それのどこがネトウヨなんだ。はっきり言ってそんなことが読めてなかったんならお前は本気でバカだ。
http://anond.hatelabo.jp/20100129222703
最悪な夕食だった
いつもは自炊しているんだけど今日は面倒になったので途中駅で降りてご飯を食べてきた。そしたら隣の席に座ってた女性2人の会話がクソ過ぎて引いた。
彼女たちは最近行った合コンが最悪だったって振り返っているみたいだった。男性側幹事が高学歴を連れてくるとか言ってたから、2人はすごく期待して参加したのに、来た男性陣がぜんぜん高学歴じゃなくて、これじゃ詐欺だったと嘆いてた。彼女ら曰く「○○大って言っても○○学部だったらエア○○大卒じゃん。その学部で○○大卒とか言うなってのwww」とギャハギャハ笑ってた。こう書くとネタくさいけど、でもギャハギャハとしか表現できない笑い方だった。
なんていうか、合コンが残念な結果だったって話は良くあることだし愚痴ったっていいと思うけど、レストランとかで大声でする話じゃない。席変えて欲しかったけれど出された料理の半分くらいはもう食べていたし、仕方ないのでさっさと済ませてしまおう。そう思ってなるべく話を聞かないようほかの事を考えながら食事をすすめていたら、彼女らは何と「でもエア○○大卒の癖に私たちレベルと一緒に食事できたんだから向こうは感謝すべきなんだよね、本当は」って言った……。
もう、口にした文言どころか声質さえ覚えそうってぐらい引いた。そこまで言う彼女らのご尊顔を拝してやろうと思って(座るときにチラ見したくらいで、その時まではっきりと見ていなかった)隣の2人をよく見てみた。そうしたら、そこには30代前半かな?と思えるごく普通の女性2人が座ってた。別に美女でも醜女でもない、どこにでもいそうな、(30代なのが合っていれば)年相応の女性たちだった。
え、と思った。
同僚とかにいそうなごく普通の人たちに見えるのに、なぜそんなに上から目線なの。感謝って、男性陣は何に感謝すべきなの。エア○○大卒って何。
久々に"本気で引く"って体感をした。ここ数分の会話は周囲もなにげに聞いていたようで、皆さんチラチラ2人を見ていたけれど、彼女たちは気にする様子もなくギャハギャハ笑ってた。
それなりに品のよいレストランなんだけれど、なんという胸糞……。
彼女たちの人となりが知れるな、と思った。加えて、出会いの芽を自ら踏み潰していってるのに気付いてないんだなとも思った。あんな会話を公共でしていたら周囲からどう思われるか、彼女たちには想像もつかないんだろうな。
叩かれるようなことを書くと、
自分も、まあ
「うーん、教養バックグラウンドがこれだけ違うと、腹を割ってしゃべろうとしても、微妙なニュアンスとか伝わらないだろうなー」
と思って、相手を「見くびる」ようなことは、私も内心では、よくしてしまう。
ただ、まあ、結局は、1対1で会話しはじめてから20分からそこらぐらいで、相手の雰囲気をみて判断することだ。
大学名とか、出身学部とかで判断をする、というのもその判断素材の一つにすることはよくある。
でも、それはあくまで、「腹黒い私」だということを一応は自覚しているし、結局は、判断材料の一つにしかならない。
会話をしてみる。
相手の反応を見てみる。
結局は、そこが全て。
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1
いままで私が付き合った人はみんな大学を出てないが、彼女らはみな、とても賢かった。
「大学」というシステムによって認められることのなかった賢さは、あまりにも数多く存在している。
ただ、その一方で、三流大の人の多くが「???」となる話題でも、東大と京大の知人は特に問題なく理解するとか、そういう露骨な事態が発生して悲しい気分になるようなことも、現実に、なくはない。悲しいことだけれど、傾向性とか、確率論的な話としては、それは確かにあるのだよね。
しかし、
そういう確率論的に悲しい事態を、積極的に肯定し、再強化してしまうような言説を採用して、その世界観の中で生きてしまう、ということはやはり悲しい。
社会はそこまで単純にできていないし、学歴によって人を判定する、という方法は、単に判断コストを少し低くするアクション以上のこととしては使えないし、使うべきではないとは思う。
学歴ヒエラルキーは、学歴ヒエラルキーを肯定するような言説を受け入れてしまう人の数によってその性質を強化させてしまう。
世間が、学歴ヒエラルキーの意味をもっと「弱く」受け取るような世間でありえたならば、学歴ヒエラルキーの意味も、実質も、大きく変る。
18才のときにどういう成績を取ったかということの意味も、たぶん、ある程度はあるだろうけれど、
それ以上に、
18才以後の日々を、どういう人と会話をして、どういう人と議論をして、どういうふうな楽しさを生きてきたか、ということは、おそらくその人のあり方を大きくかたちづくる。
でも、学歴やキャリアによって、人の交流が分断されれば、人のあり方は、より大きく分断されてしまう。それは決して明るい事態ではないと思う。
事実である、ということを認めることと、
その事実を肯定するという態度を選択することは、
はっきりと区別されなければいけない。
でも、この区別を行うことの意味を「大学名」で人を笑ってしまう女性たちは、理解していないのだろう。
とても、残念なことで、とてもあたまのわるいことだと思う.
*
あたまのよい人が、恵まれない社会的境遇/キャリアにいる、ということはいくらでもある。
まえに、某えらい人が、「あれほどの人が、こんな三流大学の准教授やってるなんてもったいない」とか言っているのを聞いていて、
それはそのとおりだな、と思いつつ、
その一方で、
「いやー、でも、この人の知性って、一流大学教授とかになるタイプの知性とはもっと別の知性なんだよなー。」とか思い聞いてもいた。
ものすごく専門的で、何がすごいのか素人にはさっぱりわからないけれど、本当にごく少数の専門家にだけにしか理解できないような、厄介なタイプのマニアックな専門性をもった人とかって、大出世するか三流で終わるかのどっちかだもんなー、とか思って聞いていた。
社会システムは、知性を峻別するための効率的な構造を、それほどきちんとした形でもっていない。
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2
話を逆の方面から見てみてみよう。
「勉強すれば、いい大学に入れる」というような、「努力」が意味をなすエリート主義よりも、
より一層、どうしようもなく、タチの悪い恣意性に満ちていている。
「あたまがいい」とされている人が会話して「あ、こいつ、ちゃんと、あたまいいじゃん。」と思われた人しか、救われない。
とてもどうしようもないことを私は発言している。
「東大だろうが、慶応だろうが、スタンフォードだろうが、ほんと、バカな奴は、バカ」という言説を支えることは
決して、ホメられたものではない。
「そういう、おまえさんは一体どれほど、頭がいいんだよ?ノーベル賞でも取れんのか?カスが。」
「あの人は頭が良い」という感覚は、究極のところ、人々の主観に支えられている。
(IQやら、偏差値などというのは、人々の主観を定量化するために、近代になって発明された中途半端な道具でしかない。)
誰かを良いと思い、誰かを悪いと思う。
それは結局、人をフィルタリングすることでしかない。
「わたし」という恣意的な世界観のうちに、他人を巻き込んでしまう。そういうことだ。
「わたし」によって恣意的に作られ、人をフィルタリングする世界観は、
決して、多くの人を幸せにするものではないだろう。
もしかすると、今の学歴システムよりも、遥かにタチが悪いかもしれない。実際、そうだろうと思う。
「わたし」が他人をフィルターするシステムと、学歴ヒエラルキーのような制度とを比較したとき、
学歴ヒエラルキーがいかに欠点を持ったシステムか、ということは知られているが、
「わたし」が人をフィルタリングするシステムの欠点は、他の人には知られていない。
自らの人物鑑識眼に自信を持つ人は多いが、
多くの人の人物鑑識の自信は、それが、学歴システムよりもわかりにくく、複雑なシステムであることによって
批判されずに済んでいることによって保たれている場合も、多いだろう。
私は、自らのオリジナルな人物鑑識能力が、学歴システムと比べられた場合、
平均的には、質の悪いものであることを積極的に認めてもよいと思っている。
「学歴ヒエラルキー」やその代替的制度としての各種の「キャリア」システムは、ものすごく欠点が多い。
今後、よりよく改善していくことが常に期待されるのでなければありえないほどに、ダメなところの多い制度だ。
しかし、それでも、今現在、多種多様に存在している他のシステムよりも、相対的によく出来たところも多い制度であることは、認められてもよい。
たぶん、徒手空拳で戦闘をするよりは、近くの棒切れ拾って戦闘したほうが、ずっと勝率があがる、という程度のものとして、学歴システムは「マシ」である。
そのような制度と比べると、私の人物鑑識能力など、徒手空拳に等しい。
でも、私は、これからもオリジナルな人物鑑識能力を採用し続ける。ほぼ間違いなく。
それは、「わたし」の人物鑑識のフィルターが、わたしにとって心地よいからに他ならない。
そして、私自信の見つめる世界が、私にとってよりよいものになるように、努力してゆくことだろう。
それは、他の人がよいことだと思うかどうか、ということとは、直接には交わらない。
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3
自由恋愛の相手、というものは、結局は「わたし」たちの話である。
それゆえに「わたし」に根拠を持たない世界観がそこで導入されるとき、人は驚く。
「え、ちょっと待って?あなたが好きなんだったら、学歴とか重要なの?」
と思ってしまう。
自由恋愛とは、そのような制度として構想され、社会的にぼんやりと共有されている。
それもあって、恋愛において学歴を問題にすることは、ひどく滑稽に映る。
「おまえら、なんなんだ」と思ってしまう、ということはそういうことだ、と思う。
まあ、こんなうだうだとした話をしなくても、「おま、何様wwwシネ、カス」で終了クオリティの話だとも思ったのだけれども、
なんか書いてしまった。反省。
(長すぎて増田じゃねーな、と思ったので、こっちにも転載すた。)
http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20100130
そうなのかー。ありがとう!
長文は他者拒絶つーか、なんか、ぼんやりしてると書いちゃうんだよね。習い性。ごめんよ…よく、長いって言われる…
id:sagonohashi 付き合ってみてつまらない人間はいないんだと最近やっと分かった。(つまらないのは相手の心を閉ざさせてしまったという事)/みんな意外といい奴だし、意外と残念な奴だから先入観で好いたり嫌ったりしたくはないものだ
それはそのとおりだとおもつた。
でも、腹を割って話せる距離感を図るまでにかかる時間や、距離の取りやすさ・取りにくさ。相手に心をひらいてもらうまでに必要な「時間」はけっこう個人差が出るよなあ、と思った。そういうことを考えると、誰からも「はなしやすい」って言われる人ってすごいよね。
id:md2tak 個人的には自分がどれくらい頭いいか分かればいいかな。それが分からないと自分がどの程度の頭のよさまで判定し得るのか分からないから。
うーん、頭の良さって、そんなに単線的じゃないかも……。
30年以上にわたって、区民のくだらない疑問を屁理屈と言葉のレトリックでうっちゃって来た
”どうでもいい疑問相談窓口”が
長い歴史に幕を閉じることになりました。
昭和39年の初め、区役所に毎日のように現れては
という質問をくり返す少年に嫌気がさした区役所職員が
使えない後輩を専属の相談員としてあてがったのを始まりに、30年間
「象はどうして象なの?」
「アメリカはからいの?甘いの?」
「巨乳ってつらい?」
など少年の相手をしてきましたが、
明日来たらぶん殴ってやることでゲームオーバーにすることを決定しました。
「味がしない飴を作るには何を入れればいいの?」
で、対する答えは
「エアー」
の一言でした。
なおこの窓口の運営に毎年7000万円の区の予算が割かれていたこともあり
反対する区民は1人だけでした。
授与式での演説でオバマ大統領は、「平和を維持するためには戦争という手段が演じる役割もあるのだ」と述べ、アフガニスタン戦争を「正しい戦争」と位置づけた。その上で、今月1日に発表したアフガンへの米軍追加増派に関し、「米国民が直面している脅威を座視は出来ない。交渉でアル・カーイダを武装解除することは出来ないのだ」と語って戦争遂行の必要性を強調した。
ノーベル平和賞授賞式の場で「平和のための戦争」という古来、手垢のついたレトリック。空疎だ。
いくらノーベル平和賞がうさんくさいからと言っても、これはないんじゃないか?
一字一句、完全に同意します。
あまりに同意したので全文引用します。素晴らしいです。
はてなにおいてメジャーである、気味の悪い逆からの(弱者の皮を被った強者の)レイシズム、
名誉毀損や人権侵害を平気で行う自称弱者たちの歪みきったメンタリティを見事に切っていただいて本当に感謝します
きっとこれからこいつらはてサは集団で根拠のない罵詈雑言の限りを尽くしてくるでしょう。
キチガイを相手にしない、というのも選択肢に入れておくのも悪くないと思います。
こういう事も増田でしか言えないはてな村の気味の悪い同調圧力が本当にむかつく。
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男はケモノではありません(2)
http://d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p2
http://d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p1
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p1
さて、どういう形で、話を続けたものか、オーソドックスにブックマークコメントにレスポンスすることにする。
誤解無きよう言っておけば、私は先のid:hokusyu氏のロジックとそれを支持する人たちを人権軽視の発想であると糾弾していることを申し上げておく。
id:angmar いやだから、曽野の論が間違っているというなら予防拘禁も軽装抑止もどっちもありえないんじゃないの?/男はケモノ⇒予防拘禁のロジック批判ということなのだろうけど、どうもそう読まれる気がしない。
曽野氏の論は間違っているけれども、その仮定の条件を仮に踏まえたうえでの論理展開をしているのはid:hokusyu氏であり、前提条件が徹頭徹尾仮定の話であるのは言うまでもないことなので、現実の話として予防拘禁も軽装抑止もあり得ないのは言うまでもないことです。しかしid:hokusyu氏がその論理の中で提示した特定の集団の人権軽視をなす発想は仮定の話ではなく現実です。
id:kowyoshi あらあら hokusyu氏を叩きたいから、曽野の間違った仮設が真だとしたらなんて恥ずかしいことを…
曽野の間違った仮説が真だとしたら、が恥ずかしいこととはどういうことでしょうか?hokusyu氏を叩きたいとはどういう意味でしょうか?hokusyu氏の論理展開を批判することが彼を叩きたいことになるのでしょうか。ご説明いただけるでしょうか。
よく分からないのですが、私が「考えていない」というのはいかなる理由から導き出された推論でしょうか。その対策というのは曽野綾子を批判することでしょうか?(それなら批判しているわけですし、id:hokusyu氏も見える部分ではそれ以上のことをしているようには見えないのですが)。ご説明いただけるでしょうか。
追記:『KIM625 書いてないから』との書き込みあり。考えていないとの書き込みもないですよね。その論法で言うならばあなたはid:hokusyu氏の基本的人権軽視について何も指摘していないので、あなたは人権侵害の発想を拡大させる加害者だと思います。
id:steam_heart うーん、どうでも良いが、その理屈通りだと、何時までも女性の人権は侵害されたままだね。そして、それをして来たのが過去ですよ、と。
どうでもいいと言っている人に聞くのはなんなんですが、「その理屈通りだと、何時までも女性の人権は侵害されたままだね」....なぜ?私が指摘しているのはhokusyu氏の男性の基本的人権を軽視する発想ですが、男性の基本的人権が軽視されないと女性の人権が守れないとのお考えでしょうか?ご説明いただけるでしょうか。
追記あり:『id:steam_heart 「女性の軽装禁止」が女性の人権侵害で無いなら何?と逆に聞きたい。どちらの人権も最大限に守るということは出来ないがゆえに「獣」の部分は権利を制限される。』
どうでもいいんでしょうか、よくないんでしょうか。
むろん、権利の侵害ですよ。ただし基本的人権の侵害ではないというだけのことで。ケモノの部分というのは具体的に何を指し、その権利を制限するとは具体的に何を指しているのですか?
id:letterdust 曽野の主張は「軽装」だけでなく「深夜の独り歩きは商売女」ね。それで独身女性は自宅通勤に限定されたり残業のある総合職につくと眉をひそめられたりしたんだけどこれって「広義の予防拘禁だよね」って話はお分かり
それと男性の基本的人権を軽視する発想とどうつながるのでしょうか?
id:Francesco3 意味不明/http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091205←性犯罪が起こる要因
…。あのう。読解力を期待するだけ無駄な人なんでしょうか?性犯罪が曽野氏の言うような原因で発生すると一言でも私が言っているでしょうか。その記事をあの記事に対して持ち出す意図についてご説明いただけるでしょうか。
id:inukorori「男は獣」と「しかし私だけは獣でない」が結びつくと醜悪なロジックが生まれる好例。批判すべきは後者の論理。//なるほど複雑猫さんの危惧は当たっていた。「欲望は本能」とか言い出すやつがいるんだなぁ。
言っていることがさっぱり分かりません。曽野綾子的な意味で、論理上の仮定でなく、欲望は本能だと言っている箇所を提示してください。
id:hokusyu 1:「人権が擁護され、かつ欲望のままに生きることが許されるケモノ」という形象自体が、いかにも男性に都合がよすぎる形象。ケモノを名乗るなら人権は諦めるべき。2:女性の我慢がさらりと容認されているのが差別
id:hokusyuさんは基本的人権というものをどのように考えていらっしゃるのでしょう。私権は公共の福祉の下において制約を受けることがあります。従って、公共の福祉は程度としてはファシズム性を内包しています。その上で制約できないのが基本的人権です。この仮定の一連の話において、「男性のケモノ性が統御し難い本能に根ざす」「しかし女性の衣服や態度によって緩和は出来る」というのは仮定の条件です。現実において欲望のままに生きるケモノであって良いはずがないのは言うまでもないことです(どうしてあなた相手にこれを言わないといけないのか、とほほ)。生物的な性差に基づく不利益を緩和するために、社会的な補正として公共の福祉において私権が抑制されることは、現実の場面でもあることです。我慢は公共の福祉においては誰もがそれぞれにしていることです。
しかしその上で、基本的人権のレベルの抑圧は公共の福祉の名においても正当化できません。私があなたを批判しているのはこの点であり、あなたのブックマークでのコメントは、これがだれぞの言うようには「誤読」ではないことをはっきりとさせました。
あのロジックにおけるあなたの発想は、公共の福祉の名において、知的障害者らを抹殺しようとするものと同様のものであるとの見解を提示いたします。
基本的人権は嫌な人、ケモノのごとき人のものであっても、絶対に擁護されなければならないものです。
id:sionsuzukaze 違くね?hokusyu氏のたとえが適切かどうかは別として、あの前提に立てば状況はなんら改善されないし、結局は性犯罪を助長さえしかねないから、あの前提を持ち出すこと自体が誤りってことでしょ。
たとえが適切がどうかは「別の話」ではありません。あの前提を持ち出すことは誤りだということについて見解が対立しているわけでもありません。あのロジックの中にあった基本的人権を軽視する発想が問題視されずに流布している点を問題視したまでのことです。
追記『id:sionsuzukaze 自分は別にhokusyu氏の潜在的排除論に同調したつもりは無いんだけどな。ただ、それが持ち出される背景を説明しただけで。まぁダイアリにも書いたけど、隔離するなら夜だけじゃダメだけどね。』
よく分からない反応。同調したとかしないとかそういう話はあなたには誰もしていないのですが。
id:manysided "男がケモノであるのは男の責任ではない。ただの本能である。そしてその場合、男がケモノであるとしても、それでもなお男は人間である"君がケモノなのはよくわかった。抑えられないんじゃなく抑えたくないだけでしょ
「君がケモノであるのはよくわかった」。普通に私への人権侵害であり侮辱罪であると思うのですが。ここでは男がケモノであることを抑制し難い本能に根ざすと仮定しての論なので、その仮定において、抑制が難しい本能であるのは当たり前のことです。「男がケモノであることは抑制し難い本能である」と事実として私が提示している部分があるでしょうか。ご説明いただきたいですね。これにスターをつけているid:hokusyuさん、id:KIM625さんでもよろしいですよ。
追記:『id:manysided いや仮定じゃなく断言してるじゃん。男全般ではなく君の意識がおかしいということ。抑制が難しいならいつでもどこでもするだろうがそうじゃないだろう。そもそも君の定義する「本能」って何だ?』との返答あり。…。えっ!?断言してたっけ…。
『そもそも男はケモノではないので、曽野綾子氏のそもそもの論に無理があるわけだが、敢えてその出鱈目な前提にのっかるとした場合、男がケモノであるのは男の責任ではない。ただの本能である。』
これ、どう読んでも仮定だよね?だよね?だよね?ちなみに曽野綾子氏のロジックに沿えば、抑制は出来る/出来ないのデジタルには処理されておりません。くだらない煽り要らないからさー、能書きたれてないで「ここだ!」って提示してよ。
どの部分が誤読でしょうか。ご指摘いただけるとありがたいです。
とりあえずここまで。
[続き]
id:quix_que 今回のこれが始まってから何度「襲われる女性は地味でおとなしい服装が多い」って書かれたか数え切れないけどひとつも目に入らなかったのならばその心理的フィルターをなんとかするのが先決でしょ。
あなたは日本語読解力をつけるのが先決だと思います。
追記あり。『id:quix_que これはひどい, いつまで続くのこれ? 現実にある「女は自衛のためにアレするなコレするな」の人権侵害をスルーしておいて、同じロジックを適用したたとえ話には「たとえ話でもそんなことを言うな」と猛反発ですか。そこまで自分側を正しいことにしたい?』
何なのかしら、この人。正しいことにしたいのではなく、私はいつも自分が正しいと思うことを書いています。そのうえで、修正があるならやりますが、ここでは「同じロジックではない」ことを指摘しているので、あなたがやるべきは「同じロジック」であることを論証することではないかと思われます。
id:ftmaru 健常者でマジョリティの成人男性が少しでも我慢させられそうになると大騒ぎするくせに、女・子供・老人・障害者・外国人・その他マイノリティの我慢は『ある程度はしょうがない』で済ませる人の典型。
あなたは何かの典型に人を落としこむ典型ですね。基本的には「我慢させる」ことについてはよほどの公益性と他の代替が無い限り容認されるべきではありません。ここで比較されているのは、「女性の軽装規制」と「男性の去勢を含む予防措置」です。どちらが基本的人権により深刻な損害を与えるか、分からないのだとしたら、相当なおばかさんだと思います。
id:hit-and-run 男はケモノって仮定してるのに「いや、そうは言っても人間ですから」って時点で、前提条件ぐだぐだやん。ケモノを単にメタファーとするなら駆除や予防拘禁もメタファーと解するべき。相変わらず頭悪いな(笑)
ぽかーん。ケモノってそういう意味じゃないでしょうに(笑)。男はオオカミなのよ、気をつけなさいーと言う時、男はイヌ科になるんでしょうか(笑)。最後の一文はそのままお返しします。
[続き]
id:type-100 たとえ男が獣であるのが本能であったとしても、本能は制御すべきものです。
id:type-100 ミニスカや夜歩いてるのを見ただけで女に襲いかかるような男が本当にいるならば、そいつはもう基本的人権を制限して豚箱にぶち込むしかないと思うが。獣が獣のままでいい道理はない。
本能には統御できるものもあれば不随意のものもあります。そういう男は豚箱にぶちこまれてるでしょ?実際。
id:uchya_x ミニスカのねーちゃんにムラムラするのは押さえられなくても、襲うことは押さえられるし、押さえなきゃいけない。その理屈かわからないというならそりゃケモノと言われてもしょうがない。。
ええ、その通りだと思います。
id:mo81 曽野論でも同調する論でも「女性の行動制限」に触れているのに、男性の行動制限を持ち出したhokusyu氏の論が有意に人権侵害の度合いが強い(ゆえに男性の人権軽視である)とは言えないのでは?
これは単純に文意がとれません。ごめんなさい。
id:NATSU2007 性犯罪 『女性へのレイプを防ぐ、男のケモノ化を抑制するためには、1.女性の軽装を、規制する』…先生!なぜここで、「おとなしそう・地味・清楚な服装を規制する」という結論にならないのかわかりません!
なぜ、ということに答えるなら、曽野綾子氏の仮定に乗っかっているからです。曽野氏の仮定では「おとなしそうな女性の方が被害者になりやすい」という前提がありませんので。
id:sillyfish 曽野文では「男は獣」と同時に「女は犯される性」も本質視されてる。その上で女に「夜歩くな」と自衛を求めるのだから、男も「夜歩くな」と本質への自衛を求められるのは彼女のロジックでは当然
id:sillyfish 曽野の文章は女の「夜の一人歩き」も叩いていて、批判する方は「ミニスカート」だけでなく当然それも視野に入れた上で男の「夜間外出禁止」を対応させてるんだけど。意図的に読み落としてないか。
私がリンクをつけたid:hokusyu氏の記事を読んでください。外出禁止令についてが主眼になっているでしょうか?予防拘禁を求めるのであれば、夜間外出禁止であれば男女双方に求めることが可能であるというのはその通りであろうと思います。そして予防拘禁を求めることがこの場合は、不適当であるというのもその通りです。hokusyu氏はそこを越えた身体的な人権侵害にまで踏み込んでいるわけです。その対比の発想が基本的人権の軽視であると申しているまでのことです。単なるレトリック、ではなくそれがレトリックとして成立すると思う発想があるから、そのレトリックが用いられているのです。
id:SIVAPROD ”男性の基本的人権を極度に軽視”w 笑わしよるな。 ”オトコ”が機会があれば人を刺す気マンマンで刃物持ってる(←ブログ主の主張だよな!)んならその刃物取り上げることのどこが”人権を極度に軽視”?
id:Cunliffe 『基本的人権のレベルの抑圧は公共の福祉の名においても正当化できません』そんなことないですけどー(笑)/典型的な例は児ポ法ね。
id:PAGZIN 軽装規制と予防拘禁のどちらかでしか抑止できないのなら「男は獣」ってことになってしまうのでは?獣でない人間に対する犯罪抑止は基本的に刑罰法規による抑止でいいじゃん。
現実の話として言うならそうですね。現実の問題として言うならば、レイプ被害が実際に統計な件数よりも多数発生しているだろうということで、刑罰による抑止が充分に機能していない点です。これはそれこそセカンドレイプ的な言説によって、犯罪が単純に犯罪として処理し難いことがもたらされているのも一因だろうと思います。
id:baisemoi_bullet そう、ケモノではない。ケモノ(自然現象)ではないのだから、「女性が行動や服装を慎むべき」は通用しない。それでは「男はケモノ」と何も変わらない
その通りだと思いますが、これは私に向けたご意見なのでしょうか?
id:rinsenan 「北守は差別主義者」という意見を表明するのに「女の人権が軽視されている状況を糾弾する為に男の人権を軽視するのはけしからん」という論法を使ったから感情的に反発されてるだけ/端的に言ってデリカシーに欠ける
よく分かりませんけど、いくらなんでもhokusyuさんでも根拠も示さずに差別者扱いされてはそれこそ人権侵害なのではないでしょうか。
id:fjsk 皆そんな聖人君子じゃないんで、逆差別を受けてみろよって思うんでしょ?差別する側の声は届かん。意識して言葉を使うべき。例えばその仮定のケモノは「おとなしそう・地味な服装」を好んで襲うという事実とか、ね。
いいえ、違います。逆であろうが正であろうが、差別は差別です。ただし公益上、許認されている差別があり、公益上でも許認されるべきではない差別があるというだけのことです。
とりあえず、ここまで。
[続き]
id:tikani_nemuru_M 公共の福祉ってのは、ぶっちゃけ他者の人権のこと。だから、基本的人権が衝突した場合は調整されることになる。一元的内在制約説ね。
ええ、法律用語で言えば一元的内在制約説です、私がここで提示している考えと立場は。ただ、純粋に法律の話をしているのではなく、個々人の発想の話をしているので用語は敢えて使っていないだけです。ごく常識的な話であるのですが、比較衡量をしなければ、特定の集団の基本的人権の絶対的擁護は容易にファシズムへと転化してしまいます。ましてid:hokusyu氏らが挙げているのは、精神的自由の制約ですらない、身体的・生物的自由への制約であるわけです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091207143049
かなりブクマがついたので、少し答えておきます。とりあえず、コメントには感謝。
anigoka はてサという括りが適当かどーかは知らんが、流れは大体あってる気がする 深刻な問題を肴にすぐ言葉遊びに変えてしまう恒例の面子も勢揃いしてるし
出てくるメンツが、シートンからhokusyuに飛んで、Apemanも言及しているので、フェミにはてサが乗っかったと見た方がいいでしょう。それだけではないのでしょうが、そう割り切った方が分かりやすい。
漫才だと見れば、無駄にヒートアップしても落ち着けるんじゃないですかね。アハハと笑って、あほくさーと捨てればいい。
zaikabou 『どうせまたいつものやつがいつものように始まっただけだから』それで毎回毎回これだけ巻き込むんだから凄いよね、みんなわかってるはずなのに。優秀優秀
結局、例の背理法の使い方が典型的なんですけど、一見「論理的に正しい」から、いい加減に読んでるとそれが正しいと普通は思い込んでしまうんですよ。でも、おかしいことはおかしい。今回のは、そのいい例になったんじゃないでしょうか。
はてサは叩かれてしかるべきだと思っていますが(上述のように、見かけが論理的で錯覚しやすいので悪質)、曽野綾子のエッセーもただのダボラだと思っています。これを書くと中立を装うなとか言われてしまうんですが、そんなつもりはないです。
filinion 最後の左翼うんぬんはさておき(部分否定と全否定の混同はむしろ詭弁の基本。戦前の統帥権の論理も「踏み絵」パターン)、タイトルには首肯せざるを得ない。うかつに触れると大変なことになるのが今回よくわかった。
はてサが絡むので最後にちょっと左翼に触れたのですが、詭弁で煽るのは右左同じでしょうね。
atawi 今回はもうげんなりするばかりだった。コミュニケーションってなんだろうね?
最初から無理な話なんですよ、ネットでコミュニケーションをとろうとするのが。まず諦めから入ったほうが、もめてもともとだから気楽じゃないですか。
あの方々はああいうことを言いたがりますよね。
Arturo_Ui 「理屈だけたどるとはてサ・フェミの方が正しい」が、レッテル貼って見下さなきゃ自尊心が、ってか。不毛だな//で、NaokiTakahashi氏だけ「さん」付けは何故?増田は陵辱エロゲを予防拘禁の対象にされたくない、とか?
いやいや、エロは好きだけどエロゲ趣味はないです。でも、NaokiTakahashi「さん」なんて、はてサにはもうあからさまにバカ扱いされてますよ。なんか、ひどいですよね。見てられない。
ヲチスレにはいません。2ちゃんは見てないです。今度の件でいくつか記事を読んだら、大体見当がついたというだけです。「いつものやつだ」と思いました。
gokino2 「どうせまたいつものやつがいつものように始まっただけだから。」<いや、俺らもその流れの中で毎回楽しんでるからいいよ。実を言うと今回(罵ってる相手含め)いろんな人の人間臭さに親近感を覚えたりもしたんだ。
うーん、楽しんでるならどうぞという感じですが、もうちょっとカゲに隠れてやって欲しいな。無理なんでしょうが。
koisuru_otouto 曽野綾子とそのデッドコピーである増田みたいなのが「性犯罪者が悪い」って最初に流してるのは そうしないと善人として被害者に説教できないからでしょう。レトリック返しをしなくても、そもそも自衛教自体が屑だし
元エントリの追記になるんですが、これもあのエッセーの誤読の典型です。曽野の意図としては「被害者に説教」しているのではなくて、「まだ被害にあってない女性」に対して「用心せよ」と一席ぶっているのです。もっとも、被害者を例に出してますけどね。話がずれる原因の一つはこれです。
Francesco3 「もちろん決定的に悪いのは犯人」「もちろん襲った米兵が悪い」<これ書いときゃどんな暴言も許されるって勘違いしてるだけだし、悪いとおもってたらそもそもあんなこと書きません。
これしきのババアの説教が、それほどの暴言になりますか。大きく見せて喚きたてるのも程々にした方がいい。あなたの言ってることは、あまりにも強引です。
Midas 増田は甘い。問題はむしろ「なぜそこまでザルな意見にバカ女どもはカチンときてるのか」「なぜバカ女のデタラメ感情論にエセ左翼は騙されてるのか」彼らは今回1線をはっきり超えた。修復不可能なとこまでいくだろう
あははは。修復不可能なのは毎度のことですよ。「エセ左翼」が騙されるのは、それが単に思想的・政治的なポジショントークだからで、これも毎度のこと。今回に限ったことではないと思いますよ。
hiruhikoando というよりは「曽野綾子に絡まない方がいい。(言っていることを)議論するだけで徒労」だと思うのだが。
それ、まんまフェミとはてサに言ってやってください。
namawakari イデオロギー批判って便利ですね、本音ダダ漏れでも支持してくれる人がでてきてくれるし、何か言った気になれる。/「あいつらは左翼とフェミだから」という切断をして「常識」を保存して、それでいいのかねえ。
「常識」を覆すのにせよ、こんな無駄な議論の混乱は必要ないです。だいたいそれで損してるの、「はてサ・フェミ」の人たちでもあるんですよ。
k-5t 説教レベルに落とし込んで「説教だからあれはナシ」は都合良すぎる、ナシにはならんだろ。曾野をピエロに仕立て上げて一緒に踊っているサヨクまでピエロに見せちゃうっていうちゃぶ台返し「レトリック」にみえるな
最初から「説教レベル」の話を大きく見せるところに間違いがあったんですよ。言葉を借りると、この件では曾野綾子なんて最初から「ピエロ」。「ピエロ」にキレるフェミ・はてサが「ピエロ」になって、ついに漫才化するのは当然なんじゃないでしょうか。レトリックをもちだす必要はないと思いますよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20091207143049
k-5t サヨクがこの痛いババアを餌にウヨク叩きしたいだけなんじゃねえかって意見ならわからんでもない。もう少しストレートに書けよ。
ま、一言で言ってしまうとそうですよね。で、みんな好きなんだなあ、こういうネタが。
gokino2 念のためいっておくが、増田の微妙に曽野擁護論には賛成できない。あれはただのババアの説教レベルじゃないから。これに近い認識のババアが実際に結構いそうなのは同意するけど。
あ、曾野綾子を擁護する意図は全くないです。でも、こんな猛烈な議論のきっかけやネタにするほどのもんでもないでしょう。「これに近い認識のババア」たちの若い女性に対する嫉妬には、鼻で笑って颯爽と歩いてる方が女性として素敵だと僕は感じるんだがな。まあ、それはともかく、下らないネタには、下らないなりの対処のレベルというものがあるんじゃないのと思いますね。
再び前のはてブに戻って。
hobbling 私はボケた婆さんの繰言をまともに扱っても仕方がないと思うが、日頃ストレスを受けてるなら過剰反応する人もいるだろうね。嫁姑の争いを見ている旦那の気分。
「嫁姑の争いを見ている旦那の気分」、お見事。
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20091205/1259991326
……いやいやいや、じゃあそういうエントリを書く人たちは何なんだ? 人間力低い者と言論市場を共にしている人間力低い同士?
それとも釣られた人だけが人間力低くてザマア、という? ええー。それは受け入れがたい。そういうレトリックは読み手を侮辱している。読み手を侮辱している書き手は、その行為により人間力低くなるというか、(私の感覚では)いわゆる品性劣悪に近づくぞ。
なお、最後に付け加えておくと、感情的になっていても論理的な議論はできるし、冷静であっても誤謬を犯すことはある(冷静な馬鹿)。口汚く罵っていても場合によっては、(メタメッセージだけでなく)メッセージそのものを伝えられるのである(例えば、SM)。
はてなの議論を見ていると、論者たちにそれが出来ているケースというのは、私の目には一般的とは映らないのだけど。フラン子のエントリの会話を読んでいると全然そうなってないよね。一般的でない、目の前の現象を説明できないなら、「可能だからってそれが何か関係あるの?」っちゅー話になると思うんだけど。
A「映画見に観って空き巣に入られた?空き巣に入られるのは家を留守にするのが悪いだろ」
B「あんた誰?というか映画観に行って何が悪いわけ?だいたい、家を出ないと生活できないでしょ」
A「娯楽で家を空けるなんて自衛が足りない。それに庭に脚立やポリバケツばら撒いてバリケード作るべき。」
B「それって足場になって逆効果じゃない?http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/seian/ppiking/akisu.htm」
A「近所の主婦がバリケードないのに気がついたら、空き巣したいって誘惑に駆られる。」
B「いや、だから足場になるんだってば。」
A「主婦が誘惑に駆られる。昼間の住宅地は主婦がうようよしてる。そんな時間帯にバリケードもなしに家を空けたなんて自業自得だろうが」
C「私、主婦だけど、主婦ってケダモノだと思う。バリケードなしの不在宅なんて襲ってくれって言ってるようなもん。もっと自衛して」
B「ちょっ、何言って…。ああ、もうその場合、まずケダモノをどうにかしたら?」
D「Bに主婦はケダモノだ、どうにかしろ呼ばわりされて傷ついた。Bは好き勝手外出してるけど、その責任はどう取るの?」
E「AさんもCさんも自衛しろって言ってるだけでしょ?何で悪意に取るかな」
B「え、私が悪いの?AやCの言うとおりならって意味だったんだけど」
F「何もしてない主婦をどうにかしろなんて、おかしい。レトリックでも言うべきじゃない」
G「はいはい、主婦だけ我慢すればいいんですね。自分は好きなだけ外出してるくせに」
H「自衛が足りない」
I「ヒステリー乙」
J「主婦だって外出するだろ?」
K「Jさん、主婦とBさんでは色々違います」
L「空き巣予備軍がたくさんいるな」
M「なんでそうなる>L 単に自衛の心得を説いているだけだろ」
あのネタには絡まない方がいい。整理するだけ徒労。
まず前提は、曾野綾子が政治的に右派で、保守的なばーさんだということ。保守的な作家が保守系の産経新聞に書いたテキストを、良く言えばやや極端に、悪く言えば意図的に誤読するところから議論が始まってるわけ。
http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091129
曾野綾子の議論で問題になりそうなのはこういう部分。題は「用心するということ」。
基本的な行動の自由と、自衛の手段を講ずることとは、全く別の次元である。というか、行動の自由を口にするなら、十分すぎるほどの用心や、世界的常識を学ぶことができなくてはならない。
太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。
これをどう読むかだけども、フェミはこれをセカンドレイプの線で読んだ。つまり、自分で刺激的な服を着ておいて不用心な女がレイプされるのは女も悪い、と曽野は言っている、と。
やや極端な読み方だというのは、前提や但し書きを重ねている点。「もちろん決定的に悪いのは犯人」「もちろん襲った米兵が悪い」「『男女同責任だ』と言えるケースがあると認める」と、限定を重ねている。
また、この文章の趣旨が、題名で分かるように「女たるものそれなりに用心せよ」と女が言っている、つまりババアがネーチャン共の服装を見て説教しようとしているわけで、逆に言うとただそれだけのものでしかない。それに、産経の読者にはそういう意見を好ましく思う人もいるだろうから、それほど突飛な文章とは言いにくい。むしろ、曾野綾子なら、産経なら、そういうことを言うよねえというもの。
もっとも、曽野も放言が過ぎていて、「午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない」のはそうかもしれないが、レイプされて殺されることとは無関係だし、「ヨーロッパ在住の日本人が驚いているのは、(略)」というくだりは曾野綾子の周辺のお上品な連中にはそう見えるというにすぎないなど、突っ込みどころがありすぎることも事実。
さらに話がややこしくなったのは、単にフェミのネタにしやすい文章だというだけでなくて、曾野綾子が政治的保守で産経が保守系だということで、左派(ここでははてサ)の格好の目の敵になった。現に、着火して煽ったのがはてサのシートンだ。つまり、思想的思惑込みでポジション取りをしてるので、議論がかみ合わなくなる。
それに、はてサに反論してる一人がNaokiTakahashiさんで、NaokiTakahashiさんは以前からはてサと議論してて対立してるので、それで余計に議論がもつれた。
議論の対立は基本的にこういう事。フェミ・はてサは曾野綾子の言ってることは時代錯誤でセカンドレイプということになる。それ以外は曾野綾子の放言は認めても、単に用心しろといってるだけで、そんな議論することかと言っている。
そこで「自衛厨」にむけてはてサ・フェミが言い出したのは、「曾野綾子の『用心』を正当化するなら、男は刺されてもいい・予防拘禁されてもいいじゃないか」という「レトリック」。もちろん、何もしてないのに刺されたり、捕まったりしてはいけないので、それは違う。したがって、曾野綾子の「用心」は正当化できない、と結論付ける。Aが正しいとしたらBということになるが、Bは間違っているのでAではない、つまり一種の背理法だね。「男は獣」云々もその流れ。
理屈だけたどるとはてサ・フェミの方が正しいのだけど、よくよく考えたら、もともとの文章が突っ込みどころが多いとはいえ単にババアの説教でしかないので、それに対して「なら男を刺してもいいのか」「予防拘禁だ」という極論から背理法に持ち込むのは、明らかにバランスを失している。
たとえば、法律として女性の服装を規定しろとか義務化しろとか曽野が言ってるなら、この背理法もまだ意味を持つんだけども。
すぐ例が思い浮かばないが、こういうレトリックは漫才で使うと思う。片方が小さな命題をチョロッと言うと、それに対してもう片方が話を大きくふくらませて言って背理法に持って行き、だからオマエの言ってることは変だという。「誰もそんなことまで言うてへんやないか」とツッコんで客席は爆笑。中田カウスボタンっぽいネタなんだけど、うーん、適切な例がすぐに思い出せない。でもありがちだと思うね。
ただ、左翼はもともとこういう背理法を使った踏み絵をよく踏ませた。古臭い例で、改憲→即戦争→だから護憲!みたいな。はてサはそのやり方を真似てる。たぶん、戦後の学生運動で、相手を洗脳しながら議論に勝つやり方の劣化バージョンが未だに生き残ってるんじゃないかな。根拠なく言ってしまうけど。
長くなった。そういうことで、あのネタは議論として無意味になっている。いつものように、自分たちが論理的に正しいとはてサが信じ込んでいるので、こうなるとまともに議論が成立しない。議論に付き合う人はやればいいけど、ただヲチするために整理したいんだったら、無駄なのでやめておいた方がいい。どうせまたいつものやつがいつものように始まっただけだから。
意外と新鮮!
ここでも感情(立脚する正しさのなさが不安)と理屈(ある正しさに立脚するのが不安)の対立があって、どうすればいいか分からないからです。そんなこと言ってたらなんにもできないじゃないかと自分でも思いますし、日常生活を営む上で私は私の正しさに則って動いているんですが、考えてみたら… →「私はなにを思えばいいんだろう。」というぐるぐる。
人間は「立場」から逃れることは出来ないと思うなあ。「ある正しさに立脚するのが不安」だろうと「どこの正しさにも立たない」ことは無理。そこは諦めるしかないと思うんだ。いずれかの「正しさ」を取捨選択した上で、それを物差しにして周囲を測っていくしかない。測っていく間に、逆に物差しの側を修正することもあるかもしれないけど、何の物差しも持たないまま活動するよりは相当マシなわけで。どこかで決断をしていかないと、先に進めなくなっちゃったりしないかな。
意志決定の正否の問題とは無関係に、平和を良いものと断定できる、ということでしょうか。平和が万能だとは思っていないつもりですがその理屈はよく分りません。なぜ無関係なのか、なぜ断定できるのか、解説をお願いできますか?
まずお断りしておくと、平和が良いものと断定できる、とは言ってないです。
さて、一般に言われる平和の「良さ」とは、戦争に特有の「デメリット」の裏返しとして語られていることが多いですよね。例えば、人命の喪失、資源・資金の浪費などが「デメリット」であり、そうしたデメリットから解放された状態が平和の「良さ」として語られたりするわけです(これはちょっと消極的な見方ですけれども)。
それを踏まえた上で、ですが、『国家と大衆が支持する正しさが正しいとは限らない』という問題は、そうした戦争に特有の「デメリット」と考えられていたでしょうか。あるいは逆に、平和の特有の「デメリット」と考えられるでしょうか。どちらも当てはまらないですよね?ならば、このことによって平和の価値が戦争と比べて相対的に上がることも下がることもない。つまり、それは中立的で、無関係な論点だと言えるのではありませんか。『本当に平和は良いものなのか』と恐れを抱くなら、むしろ戦争・平和のそれぞれに特有のメリット・デメリットについて論じるべきではないかと思うのですが(『希望は戦争』みたいに。これも事実認識はどうかなと思う面がありましたが)。
言及されている部分は本題からやや外れているので、まず『「正しさ」から無縁であることは、(一切の意思決定を放棄しない限り)平時にあっても不可能ではないか』という部分にまず回答が頂きたいですね。「レトリックなのではないか?」という問いかけに「そうなんです」と答えられていますが、では「そうした「正しさ」を論ずる意味はない」ということにはならないのですか?
さて、こちらは蛇足になりそうなのですが、ISAFの例を持ち出したのは、あれが国連安保理決議に基づいて設立され、それに多くの国々が参加・協力していること(それに加え、平和維持軍ではなく多国籍軍であることについて)をどのように把握し、それに対してどう考えているか、ということを確かめたかったからです。さらに、いわゆる戦争と戦争でない状態のグレーゾーンについての意識も問うています。というのも、直接ISAFに参加しているわけではありませんが、海自のインド洋補給活動を通じて、我々もアフガン紛争に関わりがあるからです。海自が給油活動終了までに果たす役割を考えたとき、増田はこれをどう位置づけるのか。戦争なのか、平和なのか。そのどちらかであるとして、それは「正しさ」によるものなのか。その「正しさ」から自由であることが可能なのか。だいたいそういうことまでを含めた部分が意図になるわけです。一応(そんなん読めるわけないだろ常識的に考えて…特に後段)。
いえ!申し訳ないのはこちらこそ。お付き合いいただいてありがとうございます。
増田は交通事故の被害者や、新聞紙面に載る殺人事件の被害者にも、今回と同じような問題意識で持って「何を思うべきか」を考え込んでしまったりするのでしょうか。
たいていのことは考え出すと考え込みます。戦争然り事故事件然り。ただ事故/事件の発生を良しとした歴史や価値観を知らないので、ああ痛ましいなと思って、こんな風な「痛ましいな」の思い方でいいんだろうかと思いはしますが、そこで止まります。戦争犯罪とその他の犯罪は(その他の犯罪の中でもそれぞれ)性質が違うと思うので、同じようには悩みません。でも神聖視と言われればそうかもしれないなと思いました。区別なのか差別なのか自分でも分かりませんが、昔から戦争に興味があって。国内の暗いニュースだと治安や世間の変化や報道のあり方や、そんなことを考えてしまいがちです。
懐疑の意識を持つことに対して恐怖を感じるのは何故なんでしょう。平和であろうと、社会のありように懐疑心を持つことはおかしなことではないと思いますが…。また、立脚する正しさのなさへの不安から迷いが生まれているのなら、その足場を可能な限り確かなものとしよう、という方向性に進むことを考えたりはしないのですか。「何を思うべきか」で内面へと向かうことをひとまず置いて、外面からの理解を進めても良いんじゃないかと。
なんだかんだ言っていますが、実感としては戦争は悲惨だな平和な世界の方がいいなと思っていて、戦争は私が(知識として)知る物事の中で一番怖いものです。それを考えていて、自分の中で理屈(平和が善ではないかもしれない)と感情(平和が善だ)がイコールじゃなく、しかも自分がこの世で一番怖いものと同じかもしれないと思ったら、それは怖くないですか。社会に対して疑問を持つこと(例えば民主党政権の行く末を危ぶむような)自体が怖いわけではないんです。
正しさの足場を確かなものにしようとしないのは、ここでも感情(立脚する正しさのなさが不安)と理屈(ある正しさに立脚するのが不安)の対立があって、どうすればいいか分からないからです。そんなこと言ってたらなんにもできないじゃないかと自分でも思いますし、日常生活を営む上で私は私の正しさに則って動いているんですが、考えてみたら… →「私はなにを思えばいいんだろう。」というぐるぐる。
戦争と比較して平和が「良い」とされる点は、そうした意思決定の正否の問題とは無関係なように思われるからです。平和が全ての問題を解決してくれるかの如き過剰な期待がなければ、こうした問題を見て『本当に平和は良いものなのか』等と言う疑問は出て来ないのではないかと思います(それは押し付けられた平和教育の罪なのかもしれませんけど)。
意志決定の正否の問題とは無関係に、平和を良いものと断定できる、ということでしょうか。平和が万能だとは思っていないつもりですがその理屈はよく分りません。なぜ無関係なのか、なぜ断定できるのか、解説をお願いできますか? …本当に長々と付き合わせてしまって申し訳ないです。
そうなんです。だから「思うこと」が問題になって… →「私はなにを思えばいいんだろう。」
なにもかも思うこと故に起こるんだし思わずにいることはできないのだけど、なにもかも思うがゆえに起こるなら何を思うかは重要で、しかし何を思おうかを思うことで既に私は思っていて、あれ?というぐるぐる。思い続けることを非難する気持ちは少しもありません(ここでいう「思い続けること」は他者への不寛容とは別物です)が、レトリックになるくらい当り前に、思い続けるが故の戦争であり平和でありなんです。
ついでにいうとわざわざそういう事例を持ち出したことの含意も考えてもらえるとなお幸いです。
自分なりに考えて答えました。考えが足りないならストレートにご指摘いただけると助かります。
増田さんのいうことを自分が理解できていないのか、いいたいことを伝えられていないのかがもう分からないので、できるだけ分かりやすく書いていただけると嬉しいです。自分ができないくせに求めてごめんなさい(これが私の精一杯です)。なんかずれてるなあと思うのですが、うまく説明できないし説明したそれがまた伝わらない(ように私には思えるのだけど実際どうだか分からない)し。いつも似通った発想をする人に囲まれて、その理解力に頼っているんだなぁと痛感しました。
何か長々つきあわせて申し訳ないです・・・。
個人が個人内部で戦争をどう扱えばいいのか、という話です。
自分の中で消化した後の議論や活動も他者のそれも言うなればどうでもいいんですが、伝わっているでしょうか
一応それは伝わってます。自分には、増田の内面で問題意識が定まっていないために「何を思えばいいのか」ということになっているように感じられたので、それを確かめようと必要以上に回りくどくなっている部分があると思います…すみません。社会全体のありようについての疑問がいくつか出ているようでしたから、そこから主張・見解を引き出すことで論点を絞り込めるかなと思ったのですが、こちらの手際が悪いせいでいまいち上手くいってない感じですね…。
ところで、エントリを読み直していたんですが、増田は交通事故の被害者や、新聞紙面に載る殺人事件の被害者にも、今回と同じような問題意識で持って「何を思うべきか」を考え込んでしまったりするのでしょうか。被害者の訴えのようなものを聞いたときも、やはり今回のような疑問を感ずるのでしょうか。たぶん違うんじゃないかと思うんですけど、どうでしょうか。どこかで戦争と戦争被害者を神聖視してるんじゃないかと思わされる節があるのですよね。
それと、『平和への疑問を持たざるを得ない状況が怖い』ですけど、懐疑の意識を持つことに対して恐怖を感じるのは何故なんでしょう。平和であろうと、社会のありように懐疑心を持つことはおかしなことではないと思いますが…。また、立脚する正しさのなさへの不安から迷いが生まれているのなら、その足場を可能な限り確かなものとしよう、という方向性に進むことを考えたりはしないのですか。「何を思うべきか」で内面へと向かうことをひとまず置いて、外面からの理解を進めても良いんじゃないかと。
意思決定の正否の問題は、戦争・平和のいずれの状態であっても生じるものでしょう。これを指して『本当に平和は良いものなのかと怖くなりました』というのはちょっと焦点がずれていると思います。
1文目には賛成です。2分目はどうして? 何故、どうずれていますか。
戦争と比較して平和が「良い」とされる点は、そうした意思決定の正否の問題とは無関係なように思われるからです。平和が全ての問題を解決してくれるかの如き過剰な期待がなければ、こうした問題を見て『本当に平和は良いものなのか』等と言う疑問は出て来ないのではないかと思います(それは押し付けられた平和教育の罪なのかもしれませんけど)。
「いくら寛容であろうとしてもそれぞれ正しさを待たずにいることはできず、対立を生む原因もここにあるのではないか」です。
そこまで遡って「正しさ」を定義するのであれば、「戦争は思ったことを思い続けたから起る」と言えるでしょうが、そういった「正しさ」から無縁であることは、(一切の意思決定を放棄しない限り)平時にあっても不可能です。集団での意思決定を伴なう出来事は大半が「思ったことを思い続けたから起る」と言える(もちろん、平和だってそうです)。なら「戦争は思ったことを思い続けたから起る」というのはレトリックに過ぎないのではありませんかねえ。
そもそもISAF対アフガニスタンで戦争をしているという認識がありませんでしたが、この両者間の対立は特筆すべき例外にはなりません。
これ一つでもう一個ツリーが立つぐらい面倒くさい話になるので適当に端折りますが、ISAFはアフガニスタンと戦争をしているわけではありません。また、括弧内で触れているように、厳密な意味で「戦争」と定義するのに留保を置いていることを気に留めていただけると幸いです。ついでにいうとわざわざそういう事例を持ち出したことの含意も考えてもらえるとなお幸いです。
本当に苦手って思ってるなら、レトリックに走ったり、気取った言い回しをすべきじゃないな。不自然な文章だと思う。日本語がやや得意な台湾人あたりが書いた日本語みたいだ。伝える気が感じられないから絡みづらいんじゃないのか?
追記:
うーわー、何その追記。卑屈なのやめて。増田さんおそらく教養もそこそこあって、英語も伝達に十分なくらい出来るわけでしょう。なんつーか、その自己嫌悪丸出しと卑屈をなんとかしろと言いたい。話はそれからだ。偉そうな奴が思いやりに欠けるとすれば、自己嫌悪と卑屈さを丸出しにする奴も同じだけ思いやりに欠けるんだよ。他者に対してarrogantであることをよしとしないんだったら、それ以上に、そんな卑屈な感情は胸の内にしまっとくのが礼儀です。
人の話を聞けない人間に語学で一流になるのは無理だ、というのは感じているけど
なんか Twitter でとある分野の専門家で 2 follower しかいない人を follow して、とりあえず日本人が日本語で書いてることが TL に出てもつまらんだろうから「こいつ何奴」と見られたときのためにばああっと
with intellectual honesty I meant Redlichkeit of Max Weber. All Japanese humanities scholar know about Weber brothers. I'm noticed your doubt on XXs' intellectual honesty. Philosophers often distort others' thought, I know. Recently I've tweeted about AA's aa-tency between x-ly Y's, stupid speculations on b-arity and c-ality for early nantalogist YY's "Nantara" is translated to Japanese in 19XX by Nanashi Gonbe. I've read it. I mainly tweet in Japanese and not good at English like German for after-WW2 Americans, so I recommend not follow me. I'm an nantara-phile in Japan. Almost everything I know about nantaology is learned from Grate Scholar's "Book".
(いいかげんな訳:日本人の学問好きです。なんたら学については誰それの著書でしか知りません。日本語でつぶやいてますし英語も苦手なんでフォローしないほうがいいです。あ、誰それ先生の本は日本語で何年に訳されてて私はそれを読みました。最近つぶやいたのは誰それの何とか性についてとかそういうことです。あなたが言ってた誰それの知的誠実性、あ知的誠実ってのは日本の人文系研究者なら誰でも知ってるマックスウェーバーがどうたらこうたら‥)
みたいなことをつぶやいてすっかり疲れ果てた。
こんなことを書いても一層なんだこいつわと思われるだけで、へたすりゃそのままSPAMMER扱いかもしれん。どうすれば不快な思いをさせずに「私を無視してください」と伝えられるようになるのか。
日本語でも私はこんな調子でどこでも相手にされないのだ。
自分が悪いのはわかっているが寂しい。相手にしてほしいわけではない、と伝えるのにこれほど正しい方法もないはずなんだが。
追記:http://anond.hatelabo.jp/20090622210654 の増田です。自分にはなにもかも決定的に欠落しているのだと思います。
追記:ご指摘通りレトリックが多すぎるので削ってみます。
追記の追記:卑屈さの原因はリアルでアカデミアの知人がいないことにありそうで、ここからは言い訳になるのでこれでやめにします。ありがとうございます。
はてな的レトリックとはわかっていつつも、肉親が死んでいるというのにこんなタイトルを付けることに強い拒否感を覚える。というか、反吐が出る。
英語コンプの馬鹿でも投資ゼロでTOEIC900に達するたったひとつの方法
http://anond.hatelabo.jp/20090716175613
の中の人です。
告白すれば、ホッテントリになることは予期していた。
ていうか、載せるつもりで書いた。
ところが文体だの体裁だのはてブ民が釣られやすいような文章にしたため、
内容が多様なニーズに応えられてないなぁ、と。
500users程度を予想してたんだけど2000超えちゃったし、
社会的責任ってほど自惚れてはいないが、少しだけ、ね。
「その単語が覚えられないんだよボケ」
という人が多い。(ここでも書いたんだが…補足ぐらい読めよ阿呆)
http://anond.hatelabo.jp/20090716181957
アクティブボキャブラリーって言って、実は日本人って「書くときに使える単語」がものすごく少ない。
作文時には使わざるをえないので、単語の定着率も飛躍的にあがります。
またDuoを引き合いに出しちゃうと、例文の和訳を見たらその英訳を思い出すという練習も非常に効果的です。
リンク先にあるように、まぁゼロに近い状態から覚えるんだったらDuoがいいです。
長文(って受験業界じゃよく言われるが、本当はこんなの長文でもなんともないが)を
だいぶ覚えてきたけど穴がないかチェックしたいなら、ターゲット。
[book][english]単語帳DUO 3.0をひと月で終えるために
http://d.hatena.ne.jp/bambix/20070417/1176800683
motivationって「やる気」「意欲」って意味もあるけどさ、辞書引くと大体は「動機」が最初にくるじゃん。
上がるも糞もないんじゃないか?実際、君は本当は英語なんて要らないと思ってるんじゃないか?と聞きたい例えばさ、君が大学一年生で上京して安アパートに住んだら、なんと隣の部屋が金髪爆乳アメリカ人だったとするじゃない。
君が巨乳フェチで外人とぜひ一度セックスしたいとも思っていて、かつ相手が日本語が苦手だったら、確実に勉強すると思いますよ。
大学三年になって、勉強したい分野が見つかって、でもそれはアメリカの方が明らかに進んでると分かって、
じゃあそっちに進学するかって話になったら、やっぱり君は勉強すると思いますよ。
「英語習得を目的にしない」、まぁこれが習得への近道なんだと思うけどねぇ。
幸か不幸か、日本ってぶっちゃけ英語なんて出来なくても全然生きていけるからね。
やっぱり具体的な「学ぶ理由」は要ると思うよ。
島国だから「外国で何ができるか」「外人は何をしているか」「何を考えているか」を知りづらいんで、まずそこから調べてみるのもいいと思う。
まぁ元記事が「TOEICで高得点を稼げる程度の英語はほしいなぁ」と思ってるビジネスマン・学生向けだからってのが理由なんですが。
FMyLifeも、最低それくらいの文法知識は要るよ。
逆に言うと、あんまりくわしくやりすぎるのもどうかなって思うけどね。
ここでも書いたけど、
http://anond.hatelabo.jp/20090716192227
http://anond.hatelabo.jp/20090716193731
文法をガチガチで丸暗記しても、書けないのよ実際。
めっちゃアカデミックだったりレトリックきかせちゃってるような気取った(うぜぇ)文章を読む仕事や、
京大阪大あたりを受験しようかと思ってる人は、正直「慣れ」だけじゃしんどいです。
なんですげぇ難しいところだけ「読むために」文法を使うんですが、
まぁそこらへんは受験英語とやらの真骨頂で、伊藤和夫先生だの富田一彦先生だのの出番ですよね。
逆に言えば、そのレベルでない限り構文を分解してるのはアホなんです。
文法そのものを覚えるよりも、「読む」「書く」「話す」時に文法知識をどう運用するのかが重要。
元記事を「金なぞいらん」「単語覚えろ」ばかりに注目していた人が多かったみたいだけど、
「読み慣れる」「聞き慣れる」「書き慣れる」「話し慣れる」ってのを並行して、
有機的に学んでいってほしいってことの方が重要なんだ(書き方が悪かったってのもある)。
よかったじゃん。
それが分かるような人に教えることなんて何もないだろうけど、一応。
ここでもやっぱり書いているんだが、
http://anond.hatelabo.jp/20090716192227
うん。分かってるよ。
まぁそこでも書いている通り、英字新聞だのwikipediaだのブログだの有名な教科書(原書)だのでも読んだりしつつ、外人の友人に英作文を見てもらえばいいじゃない。
TOEFLレベルのライティングだったら、大卒の外人さんなら十分です。友人の作りかたは既に書いた。
あとアルファブロガー様たちはやっぱりいいこと言ってると思ったので、貼っておく。
英単語が覚えられないたった一つの決定的な理由
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51133522.html
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081103/1225671650
まぁdanさんの意見はまっとうではあるけど、最初の最初はやっぱり単語帳使った方が効率いいと思うけどねぇ。
ていうかロングマン派だったのかってオモッタ
finalventさんのは結構ハイレベルなこと求めてますよね。
まぁ題名に「TOEIC」とか入れちゃった時点でこの水準は関係なかったから書く必要もなかったんですが
補足
めっちゃアカデミックだったりレトリックきかせちゃってるような気取った(うぜぇ)文章を読む仕事や、
京大阪大あたりを受験しようかと思ってる人は、正直「慣れ」だけじゃしんどいです。
なんですげぇ難しいところだけ「読むために」文法を使うんですが、
まぁそこらへんは受験英語とやらの真骨頂で、伊藤和夫先生だの富田一彦先生だのの出番ですよね。
逆に言えば、そのレベルでない限り構文を分解してるのはアホなんです。
根本的に学習法が間違っているんです。だから読むのも遅いんです。
早慶や東大の入試問題ごときで時間が足りないとか言ってる人は、まさにそれの弊害。
めちゃめちゃに難しい文章以外は頭から読めるようにしておくためにも、
(単語を覚えたあとの)まめな辞書引きは避けるべきなんですよね。
あとシャドーイングは本当に有効なんで、ぜひぜひやりまくってほしいです。
できれば未知の文章で。