はてなキーワード: ナイーブとは
元増田です。
近しい人には相談しにくいからオブラートに包まず吐露してみたら案外色んな意見が聞けて驚きつつ書いてます。
そうですよね。頭ではわかっていて、多分年齢をかさねるに連れて理解したり、諦めたり、納得できたりすると思うんです。ちょうど30代で周りの変化が大きい時期なので悶々と悩む。
◼︎子どもについて
年を重ね夫婦で仲良くしてる人たち沢山います。でもナイーブな問題なので、彼らが子どもを持とうとしたのかそれとも、同じような葛藤があったのか、そもそも子どもを持つ選択肢を望まなかったかという情報や気持ちの整理の仕方などなかなか聞くことができません。
そんな中だったのでYahoo知恵袋か匿名はてなか迷って投稿しました。
自分が中学、高校時代になんどか若い夫婦の方達に「子ども欲しいと思いますか?」的な内容を雑談の中でした記憶があります。みな、大人な対応してもらえたけど、その中に私の様に悩んでたり寂しい気持ちの人がいるとしたら本当に申し訳ないなと思います。
もとから備わってる性質で、しかも一度失ったらもう戻れない (ナイーブでなくなった人がナイーブに戻ることはない) と思ってた。一度世間ずれしちゃった人が世間知らずには戻れないでしょう。
大阪の女ってさばけて経済的にも独立(手に職)めざしているようで
そもそも田舎のDQN罠避けのためにも自分から男によう告白なんかせえへん、のやろ。
案外弱虫やできみらも。
繊細チンピラだけは避けたいゆうて自分で逆方向にとびすさりすぎて結局おんなじとこもどってきよるし。
おもくそ金かけてディズニーシーで白馬にのって王子様されたら意外ところっとなるんちゃうん。
借り物も大きく借りたら許せるとかやろ。
東京弁でええのんかわるいのんかも決めかねる乙女心な、けっこーめんどくさいで。
ええとこで妥協しとき。日本語で会話成り立つだけありがたいおもわな。
どうしても東京弁がつかえない同期の男子(東京在住6年目)が新聞スタンドで「これいくらだい!?」と聞いてしまってからあわてたという話と
その男子が福引きであたったディズニーランドペアチケットを有効期限最終日にJTBいって払い戻して金にしちゃった話はどこかでもうしたかな。
いいところがいっぱいあったけど抜けない関西弁でいくらしゃべってもその子の「気持」を本気にとってもらえることはなかった。
というかそもそも「気持」なんてあいまいなもの東京に来たら自分はとっとと捨ててた。
これは性欲。これは人恋しさ。これは執着。早くそうやって分類してコントロールしちゃえばいいのに、バカみたい。
西の人はなんだかんだいって、一番深い根が草食系?なんだろうなあとおもう。
あるいはいわばタッチの世界。いわなくてもわかれよなんて傲慢なこと関東育ちはとてもいえないよ。
言葉にするだけの誠意があればいいじゃんか。
いや、だからどこで何のために?って部分を教えてくれればはっきりするじゃまいか?
あんたが普通に「統計学」を学んでいく中でナイーブ統計が出てきたよ−っていうならそれまでなわけで。
なんでそこを頑なに拒むの?
いやいや、「ナイーブベイズ」なんて言葉は単に統計学のマニアックな領域、
の方向では出てこない言葉なわけですよ。
統計学初心者にそこまで詳しくなくて良いよ、という言葉としては選ぶわけが無いわけですよ。
なのにあなたはわざわざそのことばをだした。
いや、だからですね、むしろナイーブベイズなんてのはその手のところでは当たり前なものなわけですよ。
だが一方、統計学、を学ぶ上ではまったくもって必須でもなければ出てこないものなわけですよ。
統計の深い話を知らなくても良いよ、というのなら
だから、俺は「ナイーブベイズを知っとけとは言わないけど」って書いただろ。
その後に「母数や統計量くらいは知っとけ」と書いただろ。
意識高い嫌いで目が曇りすぎなんだよ。
いいか、君の言う普通の統計学の教科書というのはネイマン・ピアソン流の非ベイズ統計学を指す。
それは別にネイマン・ピアソン流がより初等的でベイズがより高級とかいうことを意味するわけじゃない。文化体系が違うだけ。
現実問題で統計がどうとか言うときに絶対出てくる「変数が死ぬほど多い」とか「データが全然少ない」とかいう問題をどう捉えるんだ?ベイズモデルがいるだろ。
統計学の教科書とかで"ナイーブベイズ"ってフレーズが出てくる方が稀だと思うけど?
単純な分類の仕方を実装できる、ってんでソフトを構築する上でよく出てくるものだよね?
それでその辺のプログラミングの話の中で統計処理の話をしてるとよく出てくる言葉だと思うんだけど。
ナイーブベイズはその名の通り相関関係を無視した最も単純なモデルのことであって、単純なことくらいは知っといてねという意味だよ
統計処理、の話をするときに「ベイズの定理」とかを持ち出すなら分かるよ?
でも「ナイーブベイズ」なんて言葉は最近の機械学習とかで流行ってる言葉でそれで知ったんでしょ?
そんなものわざわざ持ち出す必要無い、というか意味ないことくらいしっかり統計学の勉強してれば分かるでしょ?
分からないの?
家事ハラ論争を見て既婚女性陣がどの点でそんなに怒っているのか、今一つピンと来なかったので考えてみた。あと、この論争での既婚女性陣の主張がちょっと理不尽だなとも思うので反論も載せてみた。
僕は独身かつ男性であるので、そのあたりの感覚は彼女らと前提からして違うだろうけど。
http://www.asahi-kasei.co.jp/hebel/kajihara/index.html/
たしかにいらっとしそう。なんで今更 家事「参加」なんだよっていうね。
でもそういう家庭が多い?(統計不参照)という現実に照らして作られたCMであればその辺もしょうがないかなとは思いますが。
これに関する記事でよく見たのがこういう議論。ちょっと指摘をするだけで「その一言が俺を家事から遠ざけた」とか言っちゃうとか何様だよねと。たしかに家事はちょっと嫌な気分になったからと言って投げ出していいようなもんじゃないですから。そこはちゃんと話し合いでポイントをつかみ、夫が改善を見せるべきですよね。「家事ハラ」という言葉にしても、ハラスメントってのは言い過ぎだろうと思いますし。
でも遠ざかっちゃうのは確かにいけないことだとしても、このCMのような言葉づかいは完全にアウトじゃないだろうか。仮に家事が妻主体で、その家事をこれから夫に移管していくという過渡期の状況であった場合、「いいのよ、あなたに頼んだ私のミスだから」というような言葉ってかなりキツくないか?(つーか、ほんとに家庭内でこんな会話する夫婦あるのか?)
仕事に置き換えて考えると、上司が部下をこういう言葉で叱るときって、結構部下がやらかしちゃったときだと思う。部下のやる気をなくさせるような指摘の仕方ははっきり言ってマズいでしょう。
共働きのパートナー同士、そこらへん相手を気遣いながらうまくやれんものかと思いますが、こういうCMが物議を醸しているところを見ると、現実は厳しいのだろうな。
あと、これまで見た中でアホかと思ったのは、
「この程度の指摘、私のときは姑からたくさん受けたわよ!甘ったれんな!」という主張。
個人的な幼少期の体験に帰れば、お台所の手伝いをしようとして、何度も母にあっち行ってなさいと言われたことを思い出す。その数年後、母が「誰も手伝ってくれないわ」と嘆くのでバカかと思った。そう言われてからやっとお手伝い許可がでたので多少の家事を覚えることはできた。そのおかげで一人暮らしを始めて困ることは少なかったけど、やっぱりGoogle先生がいないとやっていけない。
でも今、母の立場になって考えると、小さい子に家事を教えるというのはけっこうな手間だ。女の子なら、「家事くらいできないと!」となって張り切って教えたりもするだろうが、男の子じゃあ「嫁さんもらえ」と母親が投げ出すのもやむなしである。母親の意識がある程度高くない限り。
そして幼少期を過ぎてしまえば、スポーツ少年団、部活、受験・・・家事を手伝う・覚える暇などどんどんなくなるし、生意気になってくるし、家事を手伝おうとする自発性のある子はかなり珍しくなっていくのではないか。そこらへんが今の男性の家事クオリティの低い一因じゃないかなあとも思います。
帰宅して早々ブーンという羽音でギョッとして見ると、かの悪臭で名高いカメムシ御大がいらっしゃった。妙に角ばったフォルム、やけに鮮やかな緑色かと思えば汚らしい茶色だったりし、大発生して道路をうめつくしたりもする、あのカメムシだ。
私はカメムシが大っ嫌いで、生理的な嫌悪感はゴキブリと同等である。あの角ばったフォルムは到底仲良くなれそうにない。そのため速やかにここから退出していただきたかったが、あいにく彼らは非常にナイーブなためティッシュで掴むような無作法を働くと悪臭を放つ。本当に扱いづらい奴等だ。
まずは情報戦だとばかりにインターネッツのちからを借りると、ペットボトルを使ってカメムシキャッチャーなるものが作れるそうである。ペットボトルの中間あたりをカッター等で切断し、その上側をひっくり返して下側にはめ込むそうだ。そしてそのカメムシキャッチャーの上部をカメムシにかぶせるようにして壁につけたままカメムシの足元を崩すように移動させると、カメムシはカメムシキャッチャーの中に落ちてしまう。カメムシにとって足元を掬われることは無作法には当たらないようで、かのコリアンダー臭も発しない。上部をひっくり返してあるため返しのようになって、カメムシは未来永劫出てこれないのだという。
しかしはてな?これで捕まえたカメムシはどうやって逃すのだろう。そもそも逃すことは想定していないのだろうか。ペットボトル内に入って出られなくなったカメムシが息絶えるまで一緒に暮らすしか無いのだろうか。
一抹の疑問は浮かんだがこうしてつべこべ言っていても仕方がない、ようし作るかと目の前の空きペットボトルを持って移動したその先には使用済みの洗った紙パックがおいてあった。ずぼらなため、洗うだけ洗ったら放置していたのである。
これだ、と思った。カメムシキャッチャーと呼ぶにはあまりにも紙パックそのままだがさっそく紙パック上部を完全に開いて装備し、カメムシに接近する。要領はカメムシキャッチャーと同じでカメムシにかぶせるようにして、足元を崩すように壁にそって動かすだけだ。
へっぴり腰で天井に紙パックをひっつけて動かしているとカラカラという硬い音が紙パック内に響き、ナイーブの権化たるカメムシを脅かさずに穏やかに捕獲に成功した。この紙パックの良い所は、カメムシを逃すのに逆さまにするだけでいいということである。あらかじめ窓を開けておいたのですぐさま紙パックを逆さにして必死で振り回す。無事かの憎きカメムシにご退出いただく事ができた。
今年からはカメムシに怯えずに済みそうだ。同居中のカメムシを穏便に退去させる方法にお困りの方はお試しあれ。オチは無し。とっぴんぱらりのぷう。