はてなキーワード: ぎゃん泣きとは
お兄さんお兄さん、今度はKuTooですって。
まあ、体裁を気にする芸能人や実業家、(自称)フェミ男性しか支持を表明しないだろうね。
男からすると、女は勝手に策定したマイルールに自縄自縛になっているように見えるのだ。
「洗濯物の裏返しをやってあげてる精神で~」とか言うのがバズってたが、まさにあれだね。
大半の男は洗濯物が裏返ってようが、多少シワが寄ってようがほぼ気にしてない。
あまりにも気になれば自分でアイロンかけるし、衣服へのこだわりが強いなら自分で洗濯するまでだ。
皿洗いの皿に多少油が残ってようが大して気にもならねえよ。ガーガーうるさいんだよ。
女の化粧だって、ヒールだって、服装だって、別に就業規則で強制されてるわけじゃないっしょ。
「他の人は皆やってるし、自分だけやらないのは・・・」っていう、よくわからないマイルールでしょ。
常日頃言ってるじゃん。「ファッションは社会や男の為にやってるんじゃない!」ってさ。だったら即座に止めることもできるだろ。
お局様やオッさんが「みっともない!」なんて言ってきても無視すりゃええのよ。そいつらのがお先短いんだし。
評定でも下げてこようもんなら、そんな封建的な会社なんかやめちまえって話だよ。
もし規則や慣習が不満なら直訴して様子見るなり、転職するなりすればいいだけ。
そこまで大ごとにしたくなければ、規則や慣習の範囲内で自分なりに妥協点を考え出す。
かくいう俺もスーツが大嫌いだ。なにより動きにくいし、暑がり・汗っかきだからだ。
だから、仕事でスーツが必要な局面が生まれた場合はダーク系のジャケットと濃い色のチノパン、
サイズ若干緩めのシャツ(人と会うときだけネクタイ着用)、革靴風のスニーカー、という服装にする。
一見それらしく見えるけど、一番楽な服装だ。冠婚葬祭以外ならわりとどうにでもなる。
「もうちょっと堅めの服装にしろ」と言われたこともあったが、適当にお茶濁して無視したよ。
靴ぐらい自分で好きなもの選んで履けよ。靴がペッタンコだろうが、誰も気にしてねえよ。自意識過剰すぎ。
緩い規則破りも延々続けてりゃ、周囲も慣れてそのうちその人のキャラの一部になるよ。髪型とかさ。
痴漢の問題だってそうだ、通学通勤時間ずらすなり、そもそも電車を使わないなど回避方法はいくらでもある。
男だって満員電車が嫌な奴は早起きしたり、チャリ通勤したり、地方移住・職住近接したり、リモートワークに切り替えたりしてるよ。
「被害者の方が労力は払うのはおかしい!」はいはい、ごもっとも。じゃあ、鍵を買う金を惜しんで泥棒に入られれば良いさ。
育児の問題も同様、ワンオペがキツイ?一旦地元に帰って親頼れよ。ベビーカーで満員電車?郊外に引っ越して車使え。
食事作りが大変?全部出来合いでも死なねえよ。旦那が非協力的?その旦那を選んだのはお前だ。ケツ引っ叩いてでもやらせろ。
脳味噌が付いてりゃ、不本意な状態を変える方法なんて、少し考えればいくらでも思いつくはず。
大人ならいかに楽するか、ストレスを抱えずに生きていけるか、常に考えとけってんだよ。
不満をバケツいっぱいに溜め込んで、溢れてから大騒ぎする女が多すぎる。溢れる前に頭使えアタマ。
みんな自分で頭使ったり、それ相応のコストや労力を払って生きやすいように工夫してんだよ。
「困った事態に陥ったら、ぎゃんぎゃん泣き喚けばそのうち誰かがやってくれるだろう」という子供のような考えを捨てろ。
自分のケツくらい自分で拭け。ケツが拭けなくなったら代わりに拭いてくれるような器量を持つパートナーや友人を見つけろ。
そのかわりそいつらが自力でケツが拭けなくなったら、代わりに拭いてやる手間を惜しむなよ。互助精神を忘れるな。
大学入試で弾かれてた、みたいな明らかな差別じゃなければ男はあまり共感できませんよ、って話。
信頼できる奴が一切いない、もしくはその相談内容を聞いても
今は人手不足だから行動さえすればなんとかなる。自分をもうちょい大切にしろ。
そうそう。
女が抗議行動を起こす時のモチベーションって自分が「ズルい」って感じたかどうかなんだよな。
「男だけズルい!」「若くて可愛い娘だけズルい!」「外国在住者だけズルい!」って妬みメンタリティがスタート。
だから、そもそも「その抗議をおこなうことで何を獲得したいのか。」が、何だかよう分からんことになる。
「私も同じように扱え!」「あいつだけ抜け駆けできないように、私と同じ位置まで引き摺り下ろしてくれ!」ってとこだ。
その一見したところズルそうに見える奴らだって、なんらかのコストを払ってるからその利益を得ているんだって。
女のトラブルは八割方これだから相談受ける気も失せるってものよ。なんでも他人と比較して妬むようなその性根を改めろ。
あと主語がでかいとか一括りにするな、とかうるせえし、知らんから。俺がエビデンスだから。
是非とも、男を全員性犯罪者呼ばわりしてる同胞たちにも言ってやってくれな。
もともとジブリで育った人間だ。小さい頃ぎゃん泣きする私にジブリを見せたら泣き止んだらしく、味をしめた母親はずっとジブリを流していたらしい。
トトロ、ラピュタ、ナウシカ、紅の豚、思い出ぽろぽろ、ぽんぽこetc
歳を重ねて観るたびに新しい発見があり、今も話の内容は更新中。
でも魔女の宅急便は別。キャラもストーリーも好きなのにあまり観たくない。
トンボが1人の時は話せるキキが、その他大勢と一緒にいるトンボには冷たくしてしまうところ。
大雨の中仕事をして服が濡れてパーティの待ち合わせに行かないところ。
キキが魔法を使えなくなるところ。
観ていると胸がかゆくなる。ひーつらい観てられないと歯がゆくなる。これはあれか。上手くいかないキキと自分を重ねてるのか。見た当時の感覚がまだ残ってるのか。
今まで何度か子供と2人きりで面倒をみる。ということはあったし、特に負担にも感じていなかったけど、この間はかなりやられた。 帰宅後、そのまま子どもとマンツーマンになる。 寝ててくれたので、そのまま晩飯を食うが、途中で起きてぎゃん泣き。 当然ご飯を中断して、抱っこして落ち着かせるも全然落ち着かない。 ほんと寝ないし、泣くしで、途方に暮れる。 ミルク?→いやさっきあげてたから時間は早い。 眠い?→抱っこしても全然寝ない。 おむつ?→変えたばっかりか? とりあえず飯を食わしてくれ。ということで抱っこしたまま飯を何とか食べて、食器もそのままに抱っこ継続。 息子7kgずっとだっこ。何度か降ろすを試みるもぎゃん泣きであえなく失敗。 その後、ミルクを飲ませても良い時間になり、よっしゃ!ミルクだ!これで寝てくれる! ということで、ミルクを上げるんだけど、普通に飲む。飲むんだけど・・・ 「これじゃない・・・」(息子) いやそんな顔すんなよ。。。(TдT) おとうちゃんではおっぱいはでないのだよ。 飲んでげっぷさせて、抱っこしたら寝るかなーと思ったけど。 寝ない。。。 マジで寝ない。。。 ずーっとぎゃん泣き。 ずーっと抱っこ。 少し気晴らしでもさせるかと思って鏡を見せたり、ベランダに出たりすると、ちょっと落ち着いてくれた。 そのまま、スイッチが入ったのか、やっと寝てくれました。 奥さんが戻るまでの実に4時間中3時間半は起きててほぼ泣いてたことになる。 終わった後の虚脱感といったら、もうね。。。あー・・・燃え尽きた。。。といった感じになりました。 当然食器とか、片づけてないし、奥さんが戻るまでにやっておきたい家事は何一つできず。 ただいまー。 おかえりー。。。。ぱたり。。。 世のお父さんたち、間違っても 「家で子育てしてるだけなんだから家事くらいやれ」 とか間違っても言うなよ。 やればわかる。あれは、まるで異質の世界だ。 2人きりで、泣いてる子供を目の前に自分は1人。 自分のことは何一つできず、ちょっとFacebook見ようかな? とかも無理。トイレにすら行けないからな! 孤独。そして疲労。精神的に肉体的にも本当に大変なものだと何度かやってる自分でも今更ながらに実感した。 お父さんたち、いつもの仕事なんて可愛いもんだぞ。(これはこれで大変なのはわかるが) 今日はおうちに帰ったら、 「ただいま、奥さんも子育て大変だったね。お互いお疲れ様。」 って言ってあげよう。そして、自分が食べた食器くらいは洗ってやれ。 後できたら風呂掃除もしてやれ。 でも、息子はかわいい。 そして、私は幸せです。
従妹の結婚式に参列した。
いい式だった。
従妹の親への手紙。感動した。彼女の父母、私にとっての伯父さん伯母さんも泣いていた。
″感動のエピソードを話そうと思ったけれど、思い返せば楽しい思い出しか浮かばない。
自分はどこでも生きていけるとよく言われるが、それは父母がいてくれるから。
何をしていてもどこにいても、無条件で愛してくれ味方になってくれる人がいると信じられるからこそ、私は何でもできるしどこでも生きていける″
と従妹は言った。
あぁ、いい家族だなーと思った。私もそんな風に娘に思ってもらえたらな、と思う。
私は、親への手紙は読まなかった。
何も言いたいことがなかったから。
従妹の結婚式で泣きそうになっていた母は、私の結婚式では泣かなかった。
感動の演出がなかったから、と言うけれど、感動的な手紙を書けるような想いは私には一切浮かばない。
思い出すのは、幼いころに、何度も何度もたたかれたこと。
私が癇癪をおこすと、すぐにばちーんとたたかれた。それで私は余計泣いた。
あの頬が焼けるような痛さは、今でも思い出せる。
テストで100点を取らなかったら叱られた。
母の日にプレゼントを買ったら怒られた。お金がもったいないんだそうだ。
母の気に入らない友達と遊ぶと、『お母さん、あの子嫌い』『遊ぶのやめなさい』。
進路希望が母親の希望にあっていなかったら怒鳴られ、泣かれた。
父は常に空気だった。
褒められた思い出はいっさいない。あったのかもしれないが覚えていない。
弟は、母の頭を蹴り飛ばした。頭内出血をした母は、一歩間違えば死んでいた。
中学生の頃、私は親が死んでも泣かないだろうな、と本気で考え、そんな自分が哀れで泣いた。
20代までずっとずっと、子供は産まないつもりだった。
20代半ばまで自己肯定感がまったく持てなかった。
大学生になってからは、溶けてこの世から私という存在がなくなってしまえばいいのにといつもいつも思っていた。
別に、そんな私がかわいそうだとは思わない。
ただ、そういう家族だった、というだけの話だ。
でも、今日従妹が手紙を読むのを聞いて、涙する伯父伯母をみて、
あぁ、こんな家族いいなぁって思った。
子供ができたら、親に対する気持ちが変わるよ、感謝の気持ちが起こるよ、と何度言われただろう。
子供ができた。
けれど、こんなにかわいい子供を目の前にして、幼い子どもだった私をあんなにも叩いたことは、全く理解できないと思った。
私は、絶対にこの子をたたいたりしたくない。たたいたり、できない。
どんなに理不尽にぎゃん泣きしたとしても、たたいたり、できない。
母の感情を根拠に怒りをぶちまけられたことは、今考えてもやはり理不尽だった、と思った。
私は、この子を叱るならきちんと理由が説明できることだけにしたいと思う。
そして、私の考えを伝える時には、それは私の考えである、ということをきちんと伝え、自分がどうしたいのかで自分の人生を選んで行ってほしいと思う。
親と子は他人である。子は親の所有物ではない。支配対象ではない。
親になってみて、絶対に、この子に自己肯定感を持ってほしいと思った。
私が持てなかった、自己肯定感を。
それが、親の私にできる最大の贈り物なんじゃないかという気がした。
いっぱい褒めてあげたいと思った。
何があっても愛していることを、きちんと言葉で何回も伝えたいと思った。
ただ、場所としてあるだけでいい。帰ってこなくてもいいし、でも、帰ってきたくなったらいつでも戻れる場所。何を強制するでもなく、ただそこに″ある″場所。
今回、結婚式に参列するために上京してきた親は、少しの間我が家に泊まっていったのだが、母親に対する私の態度を見た旦那が戸惑っている。
母の言動を無視することがあまりに自然になりすぎていて、旦那に指摘されるまで、無視していたことに気づかなかったくらいだ。
思えば、もう中高の頃からだ。母の言動を流すくせは。自分の思い通りにならないと文句を言い続ける母からの自衛の策だったのだと思うのだ。何かを言えば文句を言われ、叱りとばされ、でもその根拠が母の感情であるがゆえに、常に正解がわからないのだ。正解がわからないから、外れて怒られるくらいなら無視して何も聞かなかったことにしたほうが、平穏に過ごせるのだ。
あぁ、なんて悲しい関係なんだろうか。
大人になって子を成した今、母はうちに来て、やはり文句ばかり言う。私のやり方をみては、『そんなやり方、お母さん信じられない』んだそうだ。こうしなさい、ああしなさい、いつまで私に指図をしたら気がすむのか。あなたのやり方を押し付けないでと、言えば、泣いて押し付けてない、という。私のことを想って言っているんだそうだ。そうやってきたからこそ、今私に色々してあげられているんだそうだ。
いちいち反論して消耗するのが嫌で、やはり全てを無視してしまう。たまな耐えきれなくなって怒鳴ってしまう。その声に我が子が驚いて泣き出し、我にかえる。
私は、きっと、まだ、自分の親との関係を、消化しきれていない。臭い物に蓋をして差し障りなく表面でつきあっているだけ。
私は、本当に、我が子を叩いたり罵ったり、理不尽な感情をぶつけたり、せずに過ごせるのだろうか。
怖い。
けれど、やるしかない。
きっとそれが、親になることなんだ。