従妹の結婚式に参列した。
いい式だった。
従妹の親への手紙。感動した。彼女の父母、私にとっての伯父さん伯母さんも泣いていた。
″感動のエピソードを話そうと思ったけれど、思い返せば楽しい思い出しか浮かばない。
自分はどこでも生きていけるとよく言われるが、それは父母がいてくれるから。
何をしていてもどこにいても、無条件で愛してくれ味方になってくれる人がいると信じられるからこそ、私は何でもできるしどこでも生きていける″
と従妹は言った。
あぁ、いい家族だなーと思った。私もそんな風に娘に思ってもらえたらな、と思う。
私は、親への手紙は読まなかった。
何も言いたいことがなかったから。
従妹の結婚式で泣きそうになっていた母は、私の結婚式では泣かなかった。
感動の演出がなかったから、と言うけれど、感動的な手紙を書けるような想いは私には一切浮かばない。
思い出すのは、幼いころに、何度も何度もたたかれたこと。
私が癇癪をおこすと、すぐにばちーんとたたかれた。それで私は余計泣いた。
あの頬が焼けるような痛さは、今でも思い出せる。
テストで100点を取らなかったら叱られた。
母の日にプレゼントを買ったら怒られた。お金がもったいないんだそうだ。
母の気に入らない友達と遊ぶと、『お母さん、あの子嫌い』『遊ぶのやめなさい』。
進路希望が母親の希望にあっていなかったら怒鳴られ、泣かれた。
父は常に空気だった。
褒められた思い出はいっさいない。あったのかもしれないが覚えていない。
弟は、母の頭を蹴り飛ばした。頭内出血をした母は、一歩間違えば死んでいた。
中学生の頃、私は親が死んでも泣かないだろうな、と本気で考え、そんな自分が哀れで泣いた。
20代までずっとずっと、子供は産まないつもりだった。
20代半ばまで自己肯定感がまったく持てなかった。
大学生になってからは、溶けてこの世から私という存在がなくなってしまえばいいのにといつもいつも思っていた。
別に、そんな私がかわいそうだとは思わない。
ただ、そういう家族だった、というだけの話だ。
でも、今日従妹が手紙を読むのを聞いて、涙する伯父伯母をみて、
あぁ、こんな家族いいなぁって思った。
子供ができたら、親に対する気持ちが変わるよ、感謝の気持ちが起こるよ、と何度言われただろう。
子供ができた。
けれど、こんなにかわいい子供を目の前にして、幼い子どもだった私をあんなにも叩いたことは、全く理解できないと思った。
私は、絶対にこの子をたたいたりしたくない。たたいたり、できない。
どんなに理不尽にぎゃん泣きしたとしても、たたいたり、できない。
母の感情を根拠に怒りをぶちまけられたことは、今考えてもやはり理不尽だった、と思った。
私は、この子を叱るならきちんと理由が説明できることだけにしたいと思う。
そして、私の考えを伝える時には、それは私の考えである、ということをきちんと伝え、自分がどうしたいのかで自分の人生を選んで行ってほしいと思う。
親と子は他人である。子は親の所有物ではない。支配対象ではない。
親になってみて、絶対に、この子に自己肯定感を持ってほしいと思った。
私が持てなかった、自己肯定感を。
それが、親の私にできる最大の贈り物なんじゃないかという気がした。
いっぱい褒めてあげたいと思った。
何があっても愛していることを、きちんと言葉で何回も伝えたいと思った。
ただ、場所としてあるだけでいい。帰ってこなくてもいいし、でも、帰ってきたくなったらいつでも戻れる場所。何を強制するでもなく、ただそこに″ある″場所。
今回、結婚式に参列するために上京してきた親は、少しの間我が家に泊まっていったのだが、母親に対する私の態度を見た旦那が戸惑っている。
母の言動を無視することがあまりに自然になりすぎていて、旦那に指摘されるまで、無視していたことに気づかなかったくらいだ。
思えば、もう中高の頃からだ。母の言動を流すくせは。自分の思い通りにならないと文句を言い続ける母からの自衛の策だったのだと思うのだ。何かを言えば文句を言われ、叱りとばされ、でもその根拠が母の感情であるがゆえに、常に正解がわからないのだ。正解がわからないから、外れて怒られるくらいなら無視して何も聞かなかったことにしたほうが、平穏に過ごせるのだ。
あぁ、なんて悲しい関係なんだろうか。
大人になって子を成した今、母はうちに来て、やはり文句ばかり言う。私のやり方をみては、『そんなやり方、お母さん信じられない』んだそうだ。こうしなさい、ああしなさい、いつまで私に指図をしたら気がすむのか。あなたのやり方を押し付けないでと、言えば、泣いて押し付けてない、という。私のことを想って言っているんだそうだ。そうやってきたからこそ、今私に色々してあげられているんだそうだ。
いちいち反論して消耗するのが嫌で、やはり全てを無視してしまう。たまな耐えきれなくなって怒鳴ってしまう。その声に我が子が驚いて泣き出し、我にかえる。
私は、きっと、まだ、自分の親との関係を、消化しきれていない。臭い物に蓋をして差し障りなく表面でつきあっているだけ。
私は、本当に、我が子を叩いたり罵ったり、理不尽な感情をぶつけたり、せずに過ごせるのだろうか。
怖い。
けれど、やるしかない。
きっとそれが、親になることなんだ。
増田はいい親になれるだろう。 わたしは増田の親のようになってしまうことがわかっているから、子供は産まない。 自己肯定感すら未だに持てずにいる。 子供に嫉妬したり、自分より...
自己肯定感があっていいのは勝てる見込みのある奴だけな