怒られつつ修行のつもりでもう少し頑張ってみるのもアリですが、
頭と口が使えないなら黙って体を使う仕事に移るしかありません。
大工・内装・配管・ハウスクリーニング・電工・金属加工・溶接工・エレベーターなどの産業機械保守管理など
アルバイトの見習いから始めて手に職が付きそうな仕事は結構あります。
国家資格の中に興味のある分野が見つかるかもしれません。
そのグローバルスタンダード()な価値基準が唯一絶対というわけではないと思うが、日本人の島国根性だけではどうにも立ち行かない時代になってるんだろうなってのはある。
ほこりまみれの死んだ場所で暮らしてたらそりゃ人間も死んだようになっちゃうよなあと思った。
とりあえず身の回りの整理するっていうのはすごく気分転換にいいよ。
わかっちゃいるけどなかなかできないのが現実なんだけどね。
インターフェイスが無くて何が困るの?
アクセス制御が無くて何が困るの?
さらには2.X系のpythonではマルチバイトの文字列が上手く扱えない。print("エラー!")のような所でさえ躓く。
これはエンコーディングの設定できてないだけじゃん。Javaでだって意識してなきゃ文字化けするよ。
異議あり! 99%なのか95%なのかはっきりすべきだ!
収支を報告して実費を全部計上するんでしょ?
今現在99%の同人誌はそこをうやむやにして出展者のポケットマネーで赤字を補てんしてるんだよ。
交通費人件費機材費宿泊費、すべて実費で計上すれば今の同人誌の価格が維持できるのなんて5%もないよ。当たり前の話じゃないか。
そういうのを全部吹っ飛ばして
なんでそうなるんだ?何か勘違いしてない?
値段を下げろって言ってるのになんで値段が上がるんだよ
ってコメントが付く当たり「同人誌即売会を商業として正常化してくれ」というのを言い訳にして「あいつらが儲けてるのが気にくわない」とか「もっと値段を下げてよこせ」って思ってるのがあけすけに見えすぎて気持ち悪いよ。
赤字が出たらどうするのと考えたがそんなもんは自己責任だし本当に好きなら無償で創作し続けるはずでそれはやりがい搾取に繋がる考え方なんだけど所詮趣味だしなあ
もちろんできるけどそうしたら同人誌の値段は今の数倍から数十倍になるよ。
それで喜ぶのは君みたいな原理主義者だけだよね?
「暴力」の定義を「周囲や相手の意思を無視して自らの意思を貫き、強制する力」だとすると、社会ってのは暴力の巣窟なんです。
多くの場合、ルールや常識は暴力を規制するものではなく、暴力をふるうものが利用する棍棒です。あなたが盾として利用できるルールもありますが、それは早晩暴力対決へと飲み込まれていきます。
理性や自制や思いやりや相互理解がないわけではないです。社会にはそれらの要素もあります。しかしそれらの存在は暴力がない証明にはなりませんし、むしろそれらは暴力に担保されているものたちです。
今、インスタント味噌汁飲んでてちょっと物足りないから大きめに割りながら入れてみたんだ
そしたらプチプチいいながら水分を思い切り良く吸い込んでいったんだけど、同時に香ばしい匂いが一気に立ち上ってきた!
これって気泡に匂いを封じ込めてあるってこと?
だからいつも香ばしく食べられたんだ!
第一コミック「マーケット」って言ってるのに店じゃないって欺瞞感溢れててディストピア
でもその欺瞞がないといままで維持できてこれなかったってのはあるんだろうけど
小学生のころは滅茶苦茶に勉強ができた。中学入試で誰もが知っている名門中学に受かった。ただそれは記念受験だったので、地元の優秀な私立に行った。中学生の間はその中学の中でも常にトップ5に入っていた。
ただ、高校に入ったころから、何もかもつまらなくなってしまった。何かと理由を付けて勉強をサボることが増えた。それでもそれまでに積み上げた貯金があったから成績は良かったし、模試の成績も安定していた。
高1の夏ごろから勉強をサボって街をふらふら歩いたり、ネットを何時間も徘徊したり、漫画を読み続けたりすることが増えた。それから恋をした。絵を描いたり、ギターを弾いたり、どれも長続きしなかったが色々なことを試した。学年順位が5位以下になるようになり、10以下になるようになり、気付いたら50位を割るようになっていた。
それでも、昔成績が良かったのだからちょっと努力すればすぐ成績は上がるだろうと高をくくり、やりたいことをやり続けた。他校の女子生徒に恋をして付き合った。うちは裕福だったから小遣いもたくさんもらっていた。あり得ないほど貢いだ。総額20万を超える。ただ結局僕は金づるだったようで、あっけなく振られた。俺は精神的な危機に陥り、1か月学校を休学した。ネットを徘徊したり、街を出歩いたり、映画を見たり、やりたい放題遊びまわった。
学校に復帰してからもただボーっと生活した。何も楽しくなかった。感動したかった。心がパッサパサに乾いているのが分かった。愛されたいと心から願った。
高3になるころには成績は平均以下だった。勉強を少しずつ始めたが、驚くほど頭が悪くなっていることに気付く。ハッキリ言って「何も分からない」という状態だった。それに、これまでの怠け癖のせいで勉強に打ち込めるだけの集中力を失っていた。3日勉強して1日休むという感じだった。結局そのまま、今に至る。
今俺は高3である。今週の土曜日にセンター試験を控えている。けれど、1週間前から昨日まで、全く勉強していない。ひたすらネットを徘徊していた。怖い。心の底から試験が怖い。学年の7割が、現役進学、残り3割もほぼ全員が浪人して大学へ進学する学校だ。言い忘れていたが両親はふたりとも医者だ。逃げ場がない。俺はなにもしたくない。けれど勉強しなければならない。どうせ今から勉強したところでセンターの点なんぞ10点も変わらない気がする。
「例を出したら負け」といっても本当にそこで敗北するわけではないので、これは「なるべく例を使わない方がいいよ」という主張をより単純化・誇張した例で表したものですね
よって『きちんと綺麗に説明』せず、『楽をして』例を出した君の負け!
感想を探したけど、ニュースになっている割に多くない。あったとしても、「良かった!」「感動しました!」的な、映画館から出てきた観客がインタビューされているCMみたいなのばかりが目立つ。
とにかく又吉直樹という人は、善良で優しい人間なのだと思う。小説の登場人物は皆、基本的にモラリストだ。好感が持てるし、きっと広く読者に受け入れられるだろう。
文章力もある。稀に装飾過多の悪文が挟み込まれるものの、全体的には読みやすく、表現も豊かだ。おそらく読書家で勉強家なのだろう。
多くのタレント本がそうであるように、本作も半自伝的物語が綴られている。個人的に、純文学は自分自身について書くべきだと思っているので、題材として正しいと思う。
全体のストーリーは、主人公徳永と才気走った先輩芸人神谷さんを中心に描かれる、芸人残酷物語だ。おもしろうてやがてかなしき何とやら、と言った感じの、切なく泣ける中編に仕上がっている。
神谷さんが相手にしているのは世間ではない。いつか世間を振り向かせるかもしれない何かだ。その世界は孤独かもしれないけど、その寂寥は自分を鼓舞もしてくれるだろう。
(「その」の連続が多少気になるが、)グッと来た。
僕達は勘違いをするには、あまりにも歳を取り過ぎていた。勘違いしたふりをして顰蹙を買うことさえも仕事だと思える程に歳を取り過ぎていた。
このくだりも良い。近年よく見る、遅咲きのプチ一発屋芸人の悲哀が伝わってくる。
葛藤、焦燥、栄光、そして挫折を描く普遍的な青春物語として、出色の出来かもしれない。
著者の「笑い」に対する熱い思いも、信仰告白のように誠実に語られている。芸人の話だから、当然漫才のような掛け合いシーンが多い。本職だけあって、どの場面も面白く読め、さすがだと思った。
ただ、コンビを解散する主人公の最後の漫才が、感動を押したいあまり、ネタとしてはイマイチというか、そもそもアイデアとして凡庸で(おそらく「帰ってきたドラえもん」のラストが元ネタ)、ちょっと拍子抜けした。
最初に書いた通り、登場人物が皆善良なのが、読んでいて少し物足りない。もっとドロドロした内面や、反吐が出るような不快な気分にさせる場面も見たかった。例えば、破天荒系の芸人の神谷さんがラスト、逸脱した行為に及ぶ場面があるのだけど、すぐに主人公の圧倒的な正論によってたしなめられる。それは、ツッコミが正しいツッコミをしているだけとも言えるが、正論が免責事項のように細かく冷静にセリフで説明され、何となく冷めてしまう。「政治的正しさ」にそこまで配慮するのは、著者が(つまり主人公が)テレビで仕事をしているからで、キャラクターとしては正解なのだけど、やはり萎える。
お笑い芸人は常識人ゆえに、常識をズラしてネタが作れるわけで、だからこそ自分に正直な小説を書くと、良心的で分別のある物語になるのかもしれない。それは作風であって間違いではないし、太田光や劇団ひとりの小説も似た印象を感じた。
「正しい理解を正しく伝えれば相手もわかってくれるはず」などというのは全ての人間が自分と同等以上の理解力を持っている世界でしか通用しないただの理想論
そう自分でも思いながら足を運んできたのは確かだ
でも時代は少しずつ変わっていくもので、企業としての積極的な参加も増えたし、それ目当てに来る人も多い。
変容する俺達の世界をどう受け入れていくか、どう付き合っていくか、
少しでも考えなければいけないのかもと思ったりとかした
例を出したら負け、ということで