はてなキーワード: 野矢茂樹とは
また、論理操作能力が先天的であるということは、実際に東大にいて、多くの東大生を見てきて、僕が経験的に(帰納的に)知ったことです。
東大生の例から帰納的に考えたのであれば(野矢茂樹の論理トレーニング的な言い方をすれば)「推測した」という言い方が正しく、「知った」という言い方をするのはおかしい。
ここもそうだけど、帰納的に推測したことを「事実を知る」という言い方をする理由がわからない(元増田が国語や論理的な思考が苦手だという理由以外では)。
そもそも「論理能力が先天的に決まっている」というのが「事実」だとしたら是非どこかの学術雑誌に投稿してほしいものだが、そういうわけではなくて、単に元増田が自分の妄想を事実と勘違いして垂れ流してるだけだろう。
元増田が東大生かどうかは知らないが、論理操作能力的なものが存在すること、元増田がそれに乏しいこと、そして論理操作能力が受験ゲームにおいてそれほど重要ではないことにはわりと同意。
追記:ブコメみたら元増田の文章に納得した、とか言ってる人もいるみたいだけど、こいつは「論理操作能力が先天的である」ことの根拠なんて全く示してないから。勘や感覚でなんとなくそう思う、そんな気がする、ならわかるけどね。
野矢茂樹の本は、むしろアウトプットの練習のためだと思っていたが。
まあ、音読とかせんでも、適宜、読みとばしていけばいいと思うよ。
誰も見ていないだろうけど(見てたら嬉しい)
四六時中文章読みまくってたら文字への苦手意識飛んだし楽に理解できるようになった。
自分は大学2回で、今まで全く読まなかったんだけど、今年のGWから数えて35冊くらい気になる本だけ読みまくったら文字が頭に楽に入るようになった。
まだまだなのは自分でもわかっているけど、こんだけでこんなに変わるんだなーと感動した。
数じゃなくて、一日あたりの密度を高めたからかもしれない。本を読む楽しさを教えてくれた人に感謝感謝。
たまに一度で理解できないところは音読して理解していた。それと主語述語を意識したらすんなり頭に入った。
別に宣伝しているわけではないけど、そのうちで読解力関係に絞って言うと野矢茂樹さんの論理トレーニング101題もやった。
効果は…あったんだろうか。感覚的に文と文の関係を捉えられることが出来たように…思う。
それと、昔大学受験のときに頭おかしいくらい現代文が出来なさ過ぎて(模試で8点とか)、出口汪の日本語トレーニングという本を買った。
http://anond.hatelabo.jp/20091006192224
上の記事によれば、下手と思わせない文章を書くには「繰り返しを避ける」ことだけを気にかければ十分であるらしい。しかし、私はこれでは不十分だと思う。なぜなら、「繰り返しを避ける」ということの意味が明らかにされていないからだ。たとえこの法則を知ったとしても、実践することは困難である。具体的で実践的であることに注意すると、下手と思わせない文章を書くには、少なくとも以下の3点に留意する必要があるだろう。
以下、それぞれについて詳説する。
下手と思われてしまう文章は、たいてい書きたい内容が整理されていない。同じ内容を、表現や話題を変えて何度も繰り返し書く。そのため、書かれた文章全体の内容の密度が低くなり、結果として読者に退屈な印象を与えてしまう。読者の眼を常に文章に惹きつけるためには、内容の繰り返しを避けて、文章全体の「意味の密度」を高める必要がある。
具体的な方法としては、MECE分析やKJ法などの論理的思考のフレームワークを活用することが挙げられる。これらを活用することで伝えたいことを排他的な命題群として整理することができ、内容の繰り返しが起こりえなくなる。ただし、もしあなたがブログなどのちょっとした文章を書きたい程度であれば、文章を書く手を一旦止めて「自分は何を伝えたいのか」「伝えたいことは幾つあるのか」と問うだけでも十分効果的である。
書きたい内容が十分整理できたら、次はそれを文章にしていく。この段階で注意してもらいたいのは、読点を多用して無意味に1文を長くしないことだ。1文を長くすると、それだけ文に込められた意味が多くなる。人の認識能力には限りがあるので、あまりにも長いとその文が伝えたいことを忘れてしまうだろう。1文にはできるだけ1つの主張のみを割り当てて、意味を明確にすることが重要である。具体的には読点を多用しないことが最も効果的だ(注1)。
また、文を短くすることで、自ずとその文の種類が明らかになる。具体的には「断定」か「類推」か「願望」か「事実の記述」かのどれかが明瞭になる。それゆえ、文末の表現も広がりが生まれ、元記事で指摘されていた問題も解消される。この法則もまた、記述の段階における「繰り返しの回避」の戦略なのである。
ひと通り文章が書けてきたら、文と文の関係を見直していくことが重要である。文章を読むということは橋を渡るようなもので、文の間につながりが無ければたちまち先に進めなくなる。下手と思わせない文章は、文と文のつながりが明瞭で読者に疑問を起こさせないものだ。
文と文の関係を見直す具体的な方法としては、すべての文に接続詞を挿入してみることが挙げられる。なぜなら、接続詞は文章間の論理関係を明示するため、文のつながりが不適切であればそれがすぐに明らかになるからだ。
挿入して不自然であることが分かれば、間に文章を加えるなり、文の順序を入れ替えるなりして調整していく。もしあなたがどの接続詞を使えば良いか分からないのであれば、それは文と文の繋がりを考えずに書いてしまったということだ。いちから書き直す必要があるだろう。このように、接続詞の挿入は書き手に具体的な修正案を考えさせる一種の指標となるのである。
ただし、この手法はあくまでチェックのための方法であり、実際にすべての文に接続詞を挿入する必要は無い。むしろ論理の転換といった重要な箇所以外では、接続詞はできるだけ省略したほうが文章が滑らかになる。接続詞の詳しい扱い方については、野矢茂樹氏の名著『論理トレーニング』『論理トレーニング101題』を参照されたい。
以上、私が考える「下手と思わせない文章術」について述べてきた。上の3点は一見するとまとまりが無いように思われるかもしれないが、実は文章を書く上で重要な意識が貫かれている。
それは、「文章を書くことと内容を考えることは、常に一体である」ということである。
私たちが考えることは、ある程度ことばに影響を受けている。言葉なくして、人は自分の思考をまとめることはできない。したがって、文章が下手であるということは、考えていることが整理されていない証拠なのである。文章と内容のつながりを考えず、ただ表面的な修辞に拘っても文章の下手さはいささかも改善されない。文章を書く人には、常にこの点を意識していただきたい。
最後に、この文章はブログの記事にしては長く端的ではないので、下手な文章に該当してしまうかもしれない。もしあなたが、私の文章に問題があると感じるならば是非言及していただきたい。そこからまた有益な「文章術」が生まれてくるかもしれないのだから。
注1 : 「1文を短くせよ」と主張すると、たいてい提出される反論に「小説や日記などのような情緒的な文章では、1文が長くて面白い文章もあるではないか」というものがある。しかし、その種の文章にも、実はこの法則は当てはまるのだ。小説における文章は、主に人の「認識と思考の流れ」そのものを記述するためにある。人の認識や思考はとめどなく続くものであるから、日常の文章よりもどうしても1文が長くなってしまう。小説の1文が長くなるのは、そうなる必然性がある。逆に人の思考や認識の転換を反映せずに、いつまでもだらだらと1文を続ければ、たとえ小説だとしても下手な印象を与えてしまうだろう。いかなる文章においても、文の長さの必然性を問い、可能な限り短くすることは重要である。
んー。俺は論理については超素人なのであまりたいそうなことを言いたくないが。
これが論理だと思うのね。命題間の必然的関係を探る。野矢茂樹の教科書には「推論の強制力」って書いてあったな。でも法学で問題になるなんちゃって論理はそんなものじゃないでしょ。むしろ「増田は殺人者と言えるか?」っていう事実認定の部分から入ってくる。で,構成要件該当性を云々して「人とは何か」「殺すとは何か」っていう定義論争につなげていく。命題そのものの成立真偽を争う。これって論理学じゃないよね。
でさ。「人とは何か」っていう定義論争にしても,実は「守られるべき人間の範囲はどこまでか」っていう論者の価値観念を濃厚に反映していて,とうてい客観的に言えるものじゃない。受精卵はどうか胎児はどうか脳死者はどうかって宗教や道徳規範が密接に絡んでくる。科学でも観察の理論負荷性なんてことが話題になることがあるけど,法学のそれは比じゃない。事実認定そのものに,誰が処罰されるべきなのかって結論があらかじめ混入されてしまっている。
そういう主観性を踏まえた上で商売するならいいのよ。でもそれ無視して自分が価値盲目的(って今の法学生も習うのかな)に振舞えてると信じるなら超ヤバくね? ヴェーバーさんマジ泣くんじゃね?
って話。
> だから、「数理経済学だからゲーム理論家じゃない」って思ってるお前が馬鹿ってことでしょ。
おいおい「ピュアな」を忘れんなよ。統計の著作なんて一個も無いはずだよなあ?
> あと、無税国家になるって経路かインフレが実現されるかってので、筋書き違うだろ。
ほんとに論理学わかって無いなあ。
・どちらでもうれしい結論
と言ってるのに、それに対する反論になってないだろ。
> 文献精読
どうでもいいから「国債を買い捲ればデフレ脱出必ずできる(のにやらない日銀は馬鹿)」っていう命題が「バーナンキの背理法」かどうかぐらいは確認しろよ。
> for-allで「必ず」ってのは入ってるじゃねえか。一意はよけいだけど、まあ背反はしない。(for allならたくさんあって、そのなかの全て、uniqueなら、ひとつしかなくて、そのなかの全て。)てめえこそ、論理構造をもう一回見て来い。
for-allは∀ですが、古典論理で「必ず」なんていう限量子があるんですかww どう書くんですかww
それとも、あなたのケイザイガク論文では様相論理でも使ってるんですかww
「論理構造」っていうタームがあるんですかww 定義は何ですかww
あれはいい本だけどさあ。ここで君が権威付けに持ち出すには初歩的過ぎるだろw
だから、「数理経済学だからゲーム理論家じゃない」って思ってるお前が馬鹿ってことでしょ。
あと、無税国家になるって経路かインフレが実現されるかってので、筋書き違うだろ。原文って所詮は啓蒙書だかpolicy paperだかの文章しか読まずに、元々のモデルを見ずに言うなよ。馬鹿が。っつうか、プロの経済学者なんて、たとえばDixit=Stiglitzモデルの展開とかするときに、元のやつなんてゴミクズなセクションもあるから精読なんかしないけど、でも引用するなんてざら。つまり、大事なのはモデルの構造だけで、文献精読なんて、マルクス経済学者みたいなことはしないんだよ。
for-allで「必ず」ってのは入ってるじゃねえか。一意はよけいだけど、まあ背反はしない。(for allならたくさんあって、そのなかの全て、uniqueなら、ひとつしかなくて、そのなかの全て。)てめえこそ、論理構造をもう一回見て来い。全てと必ずが違うって馬鹿なことを言うのなら、もう一回もとの命題を厳密に言い表して来い。リフレ派らしく教科書読みたいんだったら、野矢茂樹『論理学』とか楽しいんだから。