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はてなキーワード: 必然性とは

2012-02-03

ただの完成度低い二次創作批評と言い張るのやめようぜ

http://togetter.com/li/251453

はなしのどっかに「僕が考えた~べき」が入っちゃう人が他者批判始めるともう収集つかないという典型例。

必然性があるならともかく、あとからベターな可能性をもって登場人物を責めるとか批評じゃなく二次創作だろ。

自分の中の二次創作を持って他者批判とか馬鹿じゃねーの?もう一度言うよ?馬鹿じゃねーの?



ただ、彼らには彼らの言い分があって

まどかにはどうしたってアレ以上の救済は望めない、むしろしてほしくない。でもほむらにはさやかを救える余地はあるんだよね

エンディングベストだという感覚があるらしい。

なら自分はそれで満足しちゃう程度のレベルなんだから満足してればいいだろ、と。



この手の駄サイクル批評連中を見てるといらっとする。

内容について突っ込む以前の問題だ。

その態度が気持ち悪い。申し訳ないけれど今回も途中までしか読んでない。読む気がしない。


不満があるなら自分二次創作すれば?

満足してるなら、いいと思ったところを書けば?

別にマンガかけなくても文章はかけるだろ?

文章がかけなくてもプロットくらいかけるだろ?

少なくとも、自分に誇りがあるなら、二次創作批評と言いはるのはやめろよ

誰と戦ってるの?その誰かと戦って勝つことが目的なの?

作品より、外部での戦いに興味があるみたいな態度自体が、作品の価値自分で否定してるようなもんだよね。




二次創作をする努力も度胸もないやつが自分二次創作批評だと言いはる姿は限りなくダサイ。

2012-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20120104014959

元増田です。

そうですか。そのままでも別に構わないと思いますよ。

勝手想像ですが、あなたは意外となんでも一人で出来てしまう方なのではないでしょうか?

感謝されるような場面がなければ実感はわかない、よって感謝の意を表す「ありがとう」を言う必然性はないですよ。

親しい人から「どんなことも勝った負けたで判断するあなたちょっと変だ」と言われ、

動揺し、何も言えなくなった事が元記事を書いたきっかけです。

何でも一人で出来てしまうわけでもないですが、大抵の事は一人でなんとかしてきたつもりです。

ただ、それも単なる思い込みだったのかもしれません。

あなたの返信をみて、自分を見つめ直すきっかけが開けたように感じます

こういう時こそ、素直に心の声に従うべきなのでしょう。

それでは、ありがとうございました。

http://anond.hatelabo.jp/20120104011242

そうですか。そのままでも別に構わないと思いますよ。

勝手想像ですが、あなたは意外となんでも一人で出来てしまう方なのではないでしょうか?

感謝されるような場面がなければ実感はわかない、よって感謝の意を表す「ありがとう」を言う必然性はないですよ。

 

私は海外旅行に行っていろいろと不便なことがあったときに、周りの人に助けられて思わずサンキュー、グラッチェ、ダンケを言いまくり

 

予想外のことで助けられる場面がなければ「ありがとう」というセリフは出ないのではないでしょうか。

2011-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20111026234249

単純に異性側に回る妄想、とくくるなら同性愛になる必然性はないはずなのに、なぜ同性愛になるのかは興味深いな

発想が異性になりきれてない、ってことなのだろうか(cf. http://yucl.net/man/174.html)

2011-10-23

答案:オリンパス疑惑構造

真実が明らかになって「やっぱりそうだと思ったんだ」と、あとで記憶をすりかえないために。

ちゃんと答え合わせをできるようにするためにここに答案を記す。(FAの件は後回しにして、3社買収問題のみの回答)



問1.オリンパスの過剰な3社の見積もりについて、会社側の真意を答えよ



答案1.

①実際は05年以前から、長期にわたって収益の水増し計上を行なっていた。(※背景には同社の脆弱財務体質?)

架空利益は、BSの「現預金」項目に計上。

架空の現預金項目が数百億のレベルにまで膨れ上がり、明らかに不自然になってしまった。

④膿を出すため、06年5月から08年4月にかけてボロクズ会社3社を総額730億円で買収する、ということにする。(※リリースすら出さず、こっそりとやる)

架空買収で生じた巨額ののれん代でもって、粉飾資産部分(現預金)をおきかえる。

経営環境が悪化したということにして、巨額ののれん代をごっそりと減損する。(※この時、リーマン危機が重なったのはオリンパスにとって行幸だった)

⑦帳簿上はM&Aに失敗して現預金流出した、という形式になり、粉飾していた現預金の水増し部分が解消する。以上




以下、若干の補足説明。

・ここでの1つの焦点は、誰にカネが渡ったかではなくて実際に現金が動いていたか否かにありますFacta(今月号)は、実際にキャッシュアウトが伴っていた前提に立ち、それがヤミ勢力に渡ったのではないかと仮説を提示していますしかし、”ヤミ勢力”がこれだけ巨額のキャッシュをわざわざこんな大企業から受け取る必然性は薄いと考えます経営者へのキックバック目的という仮説も同様、サラリーマン経営者私服を肥やすには大規模すぎます。私はしたがって、現金が動いていなかったという主張を支持しています菊川会長の一連の行動は自己利益のためではなく、愛する自社と社員を守るために行ったものであると考えています

オリンパスに勤める私の弟によれば、一般社員には何一つ情報は伝わってきておらず、社内でうわさ話をすることすらタブーになっているそうですオリンパスには伝統的に”告げ口文化”と言うのがあるため、社員がヘタに論評をすると誰かに告げ口される危険性がある)。しかし私の答案が正しいとすれば、経営陣だけでなくオリンパス財務・経理社員もこの粉飾に加担していることになります。そうなれば組織ぐるみということになり、社会的非難・制裁の声はさらに高まってくると予想されます

 




当局による回答はおそらく数週間後、以下の空欄に記載する予定。

答1.












http://twitter.com/#!/zaway/status/127774939330772993

2011-10-12

もしドラ」読んだ。順番逆だけど「小説の読み方」も参考にできたので面白く読めた。

感想一言で言うと「第一章は素晴らしい」かな。まだ読んでない人も第一章だけは読むといいと思う。



追記:

いろいろ書いたけど、結論としては「ヒカルの碁オマージュ」でいいような気がしてきた。

1章で主人公の人格を描き、2~7章でマネジメントを描き、最後に対決の場を用意する。

こういう時は、どちらを優先させるべきか、という主従関係を考えさせる。

マネジメント」をドラッカーQBのような人格存在ではなく、主人公が一方的にアクセスする存在にしたのは

あくまで最後まで「マネジメント」が常に上位で、主人公はそこから学ぶ存在であるとするためだろう、と。

1章以外があんまり面白くなかったのは、主人公がまったく動いてないからだと思う。

そう考えると「ヒカルの碁」形式はすでに多数存在するけれど、

ヒット作の基礎としてもっと研究されてもいいかもしれないなー。

ただ、この系統の作品ってよほど上手にやらないとコケてるのが現実

ジャンプの「クロガネ」や「鏡の国の有栖川」に期待してます




まず別作品に対する感想引用する。

このマンガは、戦争という、誰が描いたのかしれない、とてつもなく大きく理不尽物語に巻き込まれた人物の、「あれは一体なんだったのか」という理不尽を徹底して問うているものだと思います。 そのために、膨大な書籍読破し、引用し、言葉の限りをつくして、主人公はその理不尽さに対峙するのです。これは作者の大西が戦中言いたかったことのすべてを、「これは一体何であるのか」という世間への問いを、主人公に代弁させているのではと思います


しかしそれは、どんなに言葉を尽くしても語り尽くせるものではなく、それがいったい「何」であるかなど、断定することはできません。多くの死者と悲劇を産み出したものが「何」であるかを説明などできないのですしかしその「説明することのできなさ」、そして「何」であるのかを誰も知らぬままにただ抑圧されてきた者たちの鬱屈、そういったものが描かれているのではないでしょうか。

私が戦争体験がないのと同様、漫画化したのぶえのぶひさにも、戦争体験はありません。それでいて、軍生活の細部までもを絵で表現するという「無謀」に挑戦するのは、抑圧された者の語り得ぬ言葉鬱屈さを彼も抱えていて、語りたい、言葉が欲しいという、ただ一つの情熱ではないかと思います戦争はたくさんの人から言葉を奪いました。そして今も、たくさんの人が自分のリアリティについて、語る術を持たず、沈黙を強いられています。そういった人々が何かを語らんとしたとき、それはダムの決壊のような勢いを持って、言葉の放流となって私たちの前に現れます。 私たちはそれにとまどい、それが「何」であるのかを理解できません。言葉はあまりに複雑で、あまりに多すぎるからです。そして、その言葉の放流を前にしたとき、私たちは「閉口」するのです。主人公の東堂に論破される人々のように。

そして、語っている本人ですら、もはやそれが「何」であるのかなど、分かってはいないのかもしれません。ただ、その語り得ぬ「何」かを、その「説明することのできなさ」を、他者に言葉を尽くして「説明している」のだと思います。オマエはこれを知っているのか、知っているなら語ってみよ、説明してみよ、と迫るのです。そして誰も説明できずに、言葉を飲み込むしかないのです。 これだけの言葉を尽くしても、決して説明しえない理不尽があり、これだけの言葉を用いて25年かけても昇華されない痛みと悲しみと怒りがある。極力まで押さえた表現からにじみ出てくるもののすごさに、私はただただ、言葉を失って、圧倒されたのでした。

これは大西巨人の「神聖喜劇」という作品のコミック版に対する感想

もしドラ」は方向性としてはこれと同じであると思う。




第一章は素晴らしい 作者が書こうとしたことが詰まっている

作者が最も描きたかったのは回心的な体験の部分であろう。主人公が立ち上がる部分。

まり冒頭に当たる一章の部分。ここの描写は良いと思う。




(1)人生に支えを持たなかったり鬱屈をかかえた主人公が

(2)・宗教的な救い、

世界理不尽と戦うための武器や、

自分の居場所、方向性

それから人生師匠を得ることによって

(3)言葉に出来ない感覚を得ること。人生意味を見出すこと


おそらく、作者自身がそれを体験し、誰かに伝えたいという強い思いから、この作品は書かれたのだと思う。







その意味で、彼が「もしドラ」の後に「小説の読み方」の本を書いたのも、彼の中ではつながっていると思われる。

というより、「もしドラ」と「小説の読み方」では全く同じことを言っている。「***との出会い人生をすくう」ということだ。

彼が今後別の話を書くとしても、おそらくこういう「師匠との出会い」「良い本の出会い」がテーマになるのではないか


世界理不尽に対して言葉に出来ない鬱屈を抱え込み、

そこから解放されること(抗うこと)をを欲してやまない、それでいてその望みを自覚できないほど自らを抑圧している主人公が、

ある言葉との出会いきっかけを手に入れ、人生が救われる、という過程、いや瞬間。それを描ければきっかけはなんでも良いのである

実際、ラノベでも中二病小説でも、似たようなテーマは手を変え品を変え書かれている。



ただ、この作品は他のものと少し違うところがある。

「生まれ変わりたい」という主人公の思いとその実現がまっすぐ、なんのひねりもなく寄り道もなくそのまんまベタに書かれているということだ。

そこに一切の照れもなければ、言い訳もない。ラノベありがちなちゃごちゃした設定も全くない。

高校野球部活というありきたりの舞台で、今時一般的には口にだすのも恥ずかしいとされるようなまっすぐな思いだけを描いてる。

読んでるこちらが気恥ずかしくなるほどのストレートど真ん中な感じは、なんだかすこし懐かしささえ覚える。

話の筋書きや細かい描写などはツッコミどころ満載だが、むしろその不器用さが「青少年の主張かくあるべし」という感じで好ましい。

この正直小説と読んでいいのか迷うくらい本当に「まっすぐ」な部分は珍しいと思うので、食わず嫌いせずにぜひ読んで欲しいと思う。



なぜ人が宗教を求めるのか、知識を求めるのか、物語を求めるのか。

そういう根本的な部分についての彼の思いを語ろうとしている点ですごくよかった。本編があとがき、みたいな何かを感じた。



マネジメント」は主題ではないどころか代替可能な存在である

この作品で重要存在としてとりあげられるのは「マネジメント」についてだが、

別にこの作品は主人公が読む本が「マネジメント」でなくても代替が可能である

実際には、普通日本高校生にとって、マネジメント代替物になりそうなもの現実的には少ないと思うが、

それでも「マネジメントでなくてはいけない必然性」はない。

この作品の主人公にとってほんとうに重要なのは、作中で多数引用されている中の、ある一節の文章だけである

その一節が、主人公の中にある価値体系を肯定し、主人公の人生希望となる・・・この部分の描写が全てである

故に、この作品はマネジメントが中心にはない。マネジメントのなんたるかを描こうとした作品ではない。

ただ、このあたり、一章で提示された最重要な部分と、マネジメントの説明の混線が2章以降に見られるような気がする。





第二章以降ェ・・・

正直に言わせてもらうと、最終章以外は読まなくても良いと思う。

一章とまるでテンションが違う。

必要がないとまでは言わないが、もうちょっと何とかならなかったのだろうか。



なぜすばらしい一章から、こんなふうに続いてしまうんだろうか、よく理解出来ない。

下手なエロマンガとかだと、最初出会い部分とエンディング以外は

登場ん人物の人格とか細かいことはいいかエロだけやってりゃいい、みたいな展開になることがよくあることなんだが割とそれに似ている。

2011-10-06

Java参考書

MSX-BASICからまり、今までに

Access VBA

C++

JavaScript

Python

C

をこの順番で覚えた。

これらの言語でなら自由にプログラムを書くことができる。



変り種は2006年勉強を始めたC++で、軽量言語花盛りのその時期に、CGIを書きたいがためにC++を学んだ。

C++は習得が難しい言語と言われているが、必要性を感じなかったので参考書の類は買わなかった。

他の言語もそうだ。

参考書は必要なかった。



実はC++を始める前に「独習PHP」を購入した。

これ自体は悪い本ではない。

でも結局、最初WEBアプリサービス)はPHPではなくC++で作った。



PHP哲学のなさというか、無節操さが僕には合わなかった。

この読書は、購入前に漠然と感じていたPHPへの不快感を再認識させただけだった。

そして学んだ。



「使う必然性のある言語なら参考書で学ぶ前に書き始めている」



歴史は繰り返す。

今まさに「明解Java 入門編」を購入しようか思案中なのだ。

今までJavaを避けてきたのは「ジェームズゴスリンが嫌い」あるいは「金の匂いがする」からだ。

PHP経験から言って、Java実用できないかもしれない。



Javaを覚えれば幅が広がるのは分かるんだけど…

なぜだろう、ワクワクしない。

2011-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20111005145050

というか、184廃止して、コメント投稿右クリックユーザーレベルで非表示、それを共有にしたほうがよくね?

ニコ動でそもそも匿名である必然性って微塵も感じられないんだけど。

あと、個人的には投稿者以外はコマンド使えなくていいと思う。職人とかイラ

2011-10-01

俺が秀丸を使わなかった理由を思い出した。フリーウェアじゃないからだった。フリーで同等の機能を持つエディタが他にあるのに、わざわざ金を払う必然性がない。

2011-09-28

発達障害当事者の苦しみと配偶者の苦しみって、違うように見えるけれど、根っこは同じな気がする。問題はそのベクトルが正反対なために、すれ違い、傷つけあうものになっているということ。

苦しみを吐露しておられる配偶者の方をみると、そこまで苦しんでまで一緒にいる意味があるの?と思ってしまう。まるで、私たちが、その特性ゆえのこだわりをとがめられるような、そんな感じで。

2次傷害になってまでこだわりたい気持ち、思いって何だろう?

あと、発達障害で困っていると本人は思っていないなら、診断を受けさせたり変えようとしたりすることは横暴じゃないのか? それは、貴方のわがままじゃないのか?

本人が困るだろうから……って、それは本人に苦しませておけばいいよ。貴方が背負う必然性は無いと思う。配偶者自身が苦しんでいるなら、何故離婚や別居など、距離を置く選択肢が出ないのか?

子供が居たら難しいのは知識として理解できるにしても、それ以外の場合

ホント、不思議

2011-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20110909154503

買わないと不幸になる・買えば救われる理論ってやつですか?

このご時世にそんなのどんだけ通用すんのかな。「怪しい商法」のテンプレでしょ。



ためしに「買わないと不幸になるビデオカメラ想像しようとしたけど挫折した。カメラである必然性が見当たらない。

買うと幸福になる方はなんかそういうスチールカメラ売る未来セールスマンみたいなマンガがあった気がするけど。

2011-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20110831151219

あなたもちょっと深く考えてみたら必然性を述べられなかったように

たいした論理や信念がある話じゃあないのねこれって。




あなたの主張って今あるものはずっとあるはず

みたいなレベルしかいから「変わるよ」「変えればいいよ」としか言いようがない。

そして自明論理がないなら民主主義下では戦いは数だから

非婚者が増えればいいんじゃないかな。

とすればこれからどんどん増える。

2011-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20110822042730

おまえもトラバするなら元増田読んどけよ。

まず前提が間違ってる。

電波利用料すでにテレビ局は払ってる。

その額も決して安くない。

民放各社およそ3億払ってる。

2010年フジ営業利益が約33億。

利用料は営業利益の1割相当だ。

ぜんぜん安くない。

これ以上増額する必然性がない。

利用者に払わせろって言ったのはおれじゃない。

ちゃんと読め。

2011-08-21

公共性に期待するとかマジキチ

面白いつぶやきがRTされてきたので。

https://twitter.com/#!/InsideCHIKIRIN/status/105175909060984832

テレビ局としては「公共性のある電波なんだから、流すコンテンツの選択には一定の基準が必要」という理屈だけは受け入れられないだろーなー。

そんな理屈を受け入れたら「深夜にアニメを流す必然性を問う!」とか全方向の団体から文句がきてたまらんでしょう

膝を叩いて同意

でもさ、その割に公共性って言葉によってテレビより選択の幅が広い出版物には規制が入ったりするんだよね。

公共性ってなんだろうね。




公共性って空気のことなの?

それとも、声のでかいおばちゃんの頭の中ってことなの?

あるいは、そういうおばちゃんや老害のおじいちゃんの支持をもとにしてる○原さんの頭の中ってことなの?

すごいあやふやなもんだと思うんだなこれが。少なくとも、公平とか、論理的なものとはかけ離れたものに思えるんだよね。

で、その公共性って、明文でこういうもんだって規定されてるものでもないし、ちょっとしたことですぐ変わってしまう。

そんなふわふわしたもの武器にして戦おうとするのも変だし、まして守りには全く使えないと思う。

諸刃の剣って言うよりは、もう80%くらいの確率自分だけ損する宝くじみたいなもんじゃいかと。

くそんなものに頼ろうと思うなぁ。バクチにすらならない。




こんなもん、攻めてる時には一切守りのことを考慮しないバカしか使わないと思うけどな。

どうせ、ほんとうの意味では自分に関係ないと思ってるんだろうな。高みの見物したいだけなら黙ってりゃいいのに。

で、こういうバカが真面目な顔していじめ批判とかやってたりするから笑える。猿と一緒。

http://anond.hatelabo.jp/20110820224415

ぼくもお答えします。

だんだん難しくなってきたのでついていけるかわかりませんが…

わかる範囲で答えたいと思います。誤解があったらすいません。

でもやっぱりちゃんと理解されるほうが嬉しいです

音楽を聞いて感動することはでき」ると私も考えていますですから音楽表現場合は私の述べた理解から共感に至るまでのプロセスはそもそも通用しませんし、最初から文章表現に限定した話をしたわけです。(書いてないことを取り上げて批判することは簡単ですが、それは藁人形論法という詭弁であることを指摘しておきます。)

絵や写真音楽のような表現なんかは良し悪しや感動するしないがハッキリしていて理解や共感がしやすいけど、文章表現はそうじゃないという話です

それもそうか…。音楽と文章を同じものとして扱っては余計わかりにくくなるのかもしれないね




あと「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」なんていうのは思ってませんし、そういう話はしていません。

①人に文章表現共感してもらうには②人から理解が必要で③そのためには発信者が正確で、分かりやすく書いたほうが望ましいという話であり、誰に対しても(自分自身に対しても)「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」というのは思っていないわけです

①②③の理路が正しいかは判断不能なので留保しておきますが、私はそういうロジックで文章を書きました。

そういう話じゃなかったのならぼくの誤解だったね。ごめんなさい。

ぼくはこう思うって話と

あなたはこう思うって話がとりあえず明らかになったのかなあ。





「この人の言ってることはよくわからないけど、なんとなく切羽詰まってる感じが伝わってくる」と書いてもらえれば大分理解しやすいです

蛇足ですが、そういう人が現実生活にいた場合、相手の状態に拠って励ますか慰めるか共感するといった行動を個人的には取りますね。

文章だとそれが分からないので(文章だと相手の気持ちが分かったつもりになるのでそれは避けたい)、たぶんスルーしてしまますが。

わかりやすかった?よかった^^

そうだよねーぼくも同じ立場だったらどういう対応をするかちょっと悩むなあ。





完璧論理的な文章を書くことのほうが難しい」のはもちろん同意です。というか難しいのではなくて不可能です

「文章を書きたい」という気持ちは誰にも邪魔できません。そして文章を書くという行為自体は「敷居の高い行為である必然性はありません。

ですが「何かを伝えたい」という目的がある場合には話は変わります。「何かを伝え」るということには当然のことですが他者の存在が必要です

文章を紡ぐ行為の先に他者がいるということは必然的に文章が公共性が生まれ、責任が生じてきます

そうした場合にはミスリードによって翻弄される他者も出てきます

こういう事態に直面した時に取りうるスタンスは少なくとも2種類あります

①「理解してくれる人はしてくれるし、してくれない人はしてくれない。」から誤解した人はスルーするというスタンスと、

②「理解してくれない人(大多数だと思います)に理解に近づけさせる」ために対話を続けたり、根気良く文章を紡いだりというスタンスです

私は後者スタンスです。そして前者のスタンスも認めています

ただし前者のスタンス採用している人たちには「人を翻弄している可能性を放置している」という事実直視していただき、他者がいる文章表現に否応無く、避けがたく存在している責任ハードルをぜひ自覚していただき、自覚の上でハードルの下をくぐるなり、きちんとハードルを飛び越えるなりご自由に行為を選択していただけたらなあと思います

(念のため言っておくとハードルの下をくぐる場合でもヘイトスピーチなんかは避けてください。ヘイト野郎はどんな場合も美しくないと思いますので。)

ぼくは①と②のどっちのスタンスなんだろうなあ。

理解してほしいからなるべくミスリードのないように

わかりやすいように書きたいとは思うけど

それもある程度でしかいかなあ。

しかに翻弄している可能性あるなあ。

翻弄してしまうのはイヤだけど

かといって「ある程度」以上の努力をしてしまうのもイヤなんだよなあ、わがままかなあ^^;

ハードルは飛び越えられたらいいなという願望はあるけどめんどくさかったらやめてるかも…。




「この世に神様なんていなければ世の中の宗教ほとんど詭弁だってことになる」と仰る意味がよく分かりません。

「この世に神様なんていなければ」という仮定が良く分かりませんし(だって神様存在するか否か、実在するか否かなんて真偽の水準では判断不能ですし)、

「世の中の宗教」という言葉組織としての宗教なのか、制度としての宗教なのか、人々の信仰対象としての宗教なのか、など

宗教の多様な存在形態のうちのどのような形態を指しているかが具体的ではないので分かりません。

とりあえず宗教と文章表現は異なりますという簡単な指摘だけで留めておきましょう。

これもやっぱり例にあげて比較するべきじゃなかったかな^^;

要するに、ぼくは詭弁を弄することが悪だとは思ってないってことかな。

でもそれだとあなたの質問に答えてることにはならないか

読者に文章を理解させようとする気があるのなら

詭弁のような不当な推論はなるべくやめたほうがいいんじゃない

もし、詭弁を使うつもりなら留保を付記しようって話だったかな(合ってる?)

うーん…。ちょっと考えてみる。

理解してもらいたいとは思ってるけど

からといって詭弁を言ってはいけないのかどうかもわからないし

留保を付記したほうがいいのかどうかもわからない。

詭弁があればミスリードを誘う…

ミスリードは理解を困難にする…ような気がする。

もしそうなら、詭弁はなるべく少ないほうがいいってことになる?

うん、ウソはつきたくない(詭弁ウソは同じじゃない?)。

ウソはついてないつもりだけど「つもり」なだけかもしれない。

なるべく詭弁を書かないつもりでいたいなら

書かないようにする努力というか勉強をしたほうがいいのかな?

この理解であってるなら、それに対するぼくの答えは

まず書いてしまいたい!ってことかな。

そして、勉強はしないかもしれないw

したくなったらやろうかな~。

ちょっと勉強する手間を惜しんでいるだけで

かなり間違ったことを言ってる可能性はあるのかもしれない。

いまは、勉強する気になれないかなあ。

そんなこと言ってる場合じゃないのかなあ。





私は貴方の「悲しいなあ」に関する表現を「『こいつはウソを言っている』と思われた場合、悲しい」と解釈しました。

それで今回の返信に「悲しいのは事実なんだよ。」と書かれてました。

私の解釈と貴方の書いたことを総合すると、「こいつはウソを言っている」と(私に)思われようが思われまいが関係なく「悲しい」ということで良いんですかね(繰り返しますが私は貴方が嘘を言っているとは思いません)。

いや、勝手な推測ですが、誤解されること自体が悲しいのでしょうか。

どういう経緯で「悲しい」と感じたのか仰っていただけると、こちらもそちらに配慮できるかもしれないので、うれしいです

悲しいまでの経緯か~うーん・・・

的確に表す言葉が思いつかないけど

頭に浮かんだのは「理屈感情は違う」ということかなあ。

頭では誤解されることは仕方ないことだと思うけど

でも、実際に誤解されたときにはっきりと心がきしむ。

頭と心は分離できるものなのかよくわからいか

そう言いながらも実は「わかりあえるはずだ」と思っているのかもしれないけど。

「こいつはウソをついている」と思われているのならぼくは悲しい。

そう思われていないなら悲しくない。これはたぶんハッキリしてる。

誤解されること自体が悲しいということだと思います

それは「(あなたに)誤解されることが悲しい」と言ったわけではないのです

ぼくも「あなたに嘘つきだと誤解されている」とは思いません。

「もし誰かに誤解されることがあるとするならば、それは悲しい」ということです

うーん・・・わかりにくかったらまた言ってください^^;





他者に「どう思ってくれてもいい」と思いながら「他者からどう思われてるかということを気にせずにはいられない」という感覚ってどんなものなんですかね。

「どう思ってくれても構わないけど誤解されると悲しい。でも誤解だろうがなんだろうが何でもオッケー。悲しいけど否定はしない。」ってスタンスなんでしょうか。

私は「ある程度こちらを理解してくれたらどう評価しても良い。明らかに誤解されてる場合は理解してもらえるよう努力する」みたいなスタンスなので後学のためにどんな感覚なのか理解したいです。いや、やっぱり書かなくて良いですよ。この辺でお話はやめておきましょう。

おおむねそんな感じです

悲しいけど否定しないんです

でも、諦めるってことでもないなあ。なんだろう。

理解してもらえるように努力はしたいししますが

やはりそれもある程度の努力でやめてしまます

ある程度の努力をしてみて

どこかにボーダーがあって、もうそれ以上は努力をやめようという気になる。

あれ?矛盾してる?

うん、「否定しない」はたぶん違う。

否定しないんじゃなくてぼくと相手の理解を近づけようとする。

それで…どこかはわからないけど

ぼくが相手に対して「この人はわかってくれたかも」と思ったら

理解を近づけることは一時停止する。

「この人はまだわかってくれてないかも」と思ったら

引き続き理解を近づけようとする。

でも、「まだわかってくれてないかも」と思う人でも

ぼくは理解を近づけることを一時停止することがある。

そのスイッチがどこにあるのかわからないけど、そんな場合があります

そして、そんな場合の時は悲しいけど否定しないようです

「まだわかってくれてないかも」と感じるだけでも悲しくなります

加えて、「わかってくれたかも」と感じる人でも

賛同してくれない場合、否定される場合は悲しくなります

こんな感じです

んー…ウソがあるかもしれない…。

あらゆる状況下でぼくの言ってることが

必ずしも再現されるかというとそうじゃない気もします。

まだわからなかったら遠慮なく言ってください。







長々と述べてきましたが、言いたいことは以上です。もしハードルの下をくぐるような無責任な文章を書いていくつもりならこれからもどんどん批判や指摘を行っていきますし、ちゃんと責任意識した文章を書いていくのなら批判や指摘もしつつ応援していきますので、よろしくお願いします。増田ではなくてブログツイッターなどのご自身のフィールドでやるなら批判も指摘も何も書きません。何れの文章記述スタイルを貴方が採用するにせよ、私は貴方を応援しています

批判や指摘は大歓迎です(でもやっぱり心がチクチク痛いです)。

わーい応援ありがとう^^




私も人が死ぬのは嫌ですし、弱い者の味方でありたいし、弱い者が弱いままで生きられるコミュニティを実現するかもしれない連帯の可能性を信じたいですから

ちょっと救われました。ありがとう

よかったらどうにかして繋がりましょう。

2011-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20110820182034

私自身は読者が誤読をしていたらなるべく指摘するようにしているので、一応いくつか誤解を指摘させてもらいます




音楽を聞いて感動することはでき」ると私も考えていますですから音楽表現場合は私の述べた理解から共感に至るまでのプロセスはそもそも通用しませんし、最初から文章表現に限定した話をしたわけです。(書いてないことを取り上げて批判することは簡単ですが、それは藁人形論法という詭弁であることを指摘しておきます。)

絵や写真音楽のような表現なんかは良し悪しや感動するしないがハッキリしていて理解や共感がしやすいけど、文章表現はそうじゃないという話です




あと「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」なんていうのは思ってませんし、そういう話はしていません。

①人に文章表現共感してもらうには②人から理解が必要で③そのためには発信者が正確で、分かりやすく書いたほうが望ましいという話であり、誰に対しても(自分自身に対しても)「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」というのは思っていないわけです

①②③の理路が正しいかは判断不能なので留保しておきますが、私はそういうロジックで文章を書きました。




「この人の言ってることはよくわからないけど、なんとなく切羽詰まってる感じが伝わってくる」と書いてもらえれば大分理解しやすいです

蛇足ですが、そういう人が現実生活にいた場合、相手の状態に拠って励ますか慰めるか共感するといった行動を個人的には取りますね。

文章だとそれが分からないので(文章だと相手の気持ちが分かったつもりになるのでそれは避けたい)、たぶんスルーしてしまますが。




完璧論理的な文章を書くことのほうが難しい」のはもちろん同意です。というか難しいのではなくて不可能です

「文章を書きたい」という気持ちは誰にも邪魔できません。そして文章を書くという行為自体は「敷居の高い行為である必然性はありません。




ですが「何かを伝えたい」という目的がある場合には話は変わります。「何かを伝え」るということには当然のことですが他者の存在が必要です

文章を紡ぐ行為の先に他者がいるということは必然的に文章が公共性が生まれ、責任が生じてきます

そうした場合にはミスリードによって翻弄される他者も出てきます

こういう事態に直面した時に取りうるスタンスは少なくとも2種類あります

①「理解してくれる人はしてくれるし、してくれない人はしてくれない。」から誤解した人はスルーするというスタンスと、

②「理解してくれない人(大多数だと思います)に理解に近づけさせる」ために対話を続けたり、根気良く文章を紡いだりというスタンスです

私は後者スタンスです。そして前者のスタンスも認めています

ただし前者のスタンス採用している人たちには「人を翻弄している可能性を放置している」という事実直視していただき、他者がいる文章表現に否応無く、避けがたく存在している責任ハードルをぜひ自覚していただき、自覚の上でハードルの下をくぐるなり、きちんとハードルを飛び越えるなりご自由に行為を選択していただけたらなあと思います

(念のため言っておくとハードルの下をくぐる場合でもヘイトスピーチなんかは避けてください。ヘイト野郎はどんな場合も美しくないと思いますので。)




「この世に神様なんていなければ世の中の宗教ほとんど詭弁だってことになる」と仰る意味がよく分かりません。

「この世に神様なんていなければ」という仮定が良く分かりませんし(だって神様存在するか否か、実在するか否かなんて真偽の水準では判断不能ですし)、

「世の中の宗教」という言葉組織としての宗教なのか、制度としての宗教なのか、人々の信仰対象としての宗教なのか、など

宗教の多様な存在形態のうちのどのような形態を指しているかが具体的ではないので分かりません。

とりあえず宗教と文章表現は異なりますという簡単な指摘だけで留めておきましょう。




私は貴方の「悲しいなあ」に関する表現を「『こいつはウソを言っている』と思われた場合、悲しい」と解釈しました。

それで今回の返信に「悲しいのは事実なんだよ。」と書かれてました。

私の解釈と貴方の書いたことを総合すると、「こいつはウソを言っている」と(私に)思われようが思われまいが関係なく「悲しい」ということで良いんですかね(繰り返しますが私は貴方が嘘を言っているとは思いません)。

いや、勝手な推測ですが、誤解されること自体が悲しいのでしょうか。

どういう経緯で「悲しい」と感じたのか仰っていただけると、こちらもそちらに配慮できるかもしれないので、うれしいです




他者に「どう思ってくれてもいい」と思いながら「他者からどう思われてるかということを気にせずにはいられない」という感覚ってどんなものなんですかね。

「どう思ってくれても構わないけど誤解されると悲しい。でも誤解だろうがなんだろうが何でもオッケー。悲しいけど否定はしない。」ってスタンスなんでしょうか。

私は「ある程度こちらを理解してくれたらどう評価しても良い。明らかに誤解されてる場合は理解してもらえるよう努力する」みたいなスタンスなので後学のためにどんな感覚なのか理解したいです。いや、やっぱり書かなくて良いですよ。この辺でお話はやめておきましょう。




長々と述べてきましたが、言いたいことは以上です。もしハードルの下をくぐるような無責任な文章を書いていくつもりならこれからもどんどん批判や指摘を行っていきますし、ちゃんと責任意識した文章を書いていくのなら批判や指摘もしつつ応援していきますので、よろしくお願いします。増田ではなくてブログツイッターなどのご自身のフィールドでやるなら批判も指摘も何も書きません。何れの文章記述スタイルを貴方が採用するにせよ、私は貴方を応援しています。私も人が死ぬのは嫌ですし、弱い者の味方でありたいし、弱い者が弱いままで生きられるコミュニティを実現するかもしれない連帯の可能性を信じたいですから

2011-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20110808121158

養われて他人の顔色うかがいながら生活するぐらいなら自分の分は自分で稼ぐ方がよっぽど気楽だわw

「養われて他人の顔色うかがいながら」なんて思うのは、

そういう夫婦関係しか築けてこなかっただけの話。

給料は丸々奥さんに渡してその中から幾分か小遣い貰う、なんていうスタイル採用している夫婦ごまんといるよ。

何もそんなレベルフェミニズムを援用する必然性はない。


甲斐性のある男に養われて好きなことができる生活って、「その男にとって好きなこと」ができる生活でしかないじゃないw

これも同じ。

お金を使い道をいちいち夫に承諾を得ないといけないような関係性はそもそも夫婦の問題。

フェミニズムを援用する必然性はない。

2011-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20110805224142

では、日本人であるあなたに向かって、特に必然性もないのに「アイアムベリーヘイト、スシ!」「我極嫌和味噌、和醤油、沢庵。吾不味物喰奴不信」と言い出す外国人がいたらどう思いますか?

「あー、やっぱ外人は生魚食えないんだな」とか、「中国人には口に合わないんだろうな」って思うだけだが…。

食い物の好き嫌いなんてその人の生まれ育った環境によって違うから外人日本食嫌いなのは珍しくないだろう。



俺は地元名古屋なんだけど、関西人から名古屋料理は味が濃すぎて食えたもんやない」としょっちゅう言われる。

逆にこっちも「お好み焼きとご飯を一緒に食える方が信じられない」とは言うけど、別に相手の地元人格を否定してるわけではないよ。

2011-07-29

心の栄養に足りないものがわかった

初めての上京・一人暮らして3年、なんとかここまで生きてきたが、このごろ失速し憂鬱になっている。

掃除」「食事」「運動」「勉強」「音楽を聞く」・・・など心の栄養に必要そうなことをすべて試したが、どうにもうまく行かなかった。

ふとしたところにようやく気づいた。「親への依頼心を経つこと」。これができていなかった。

上京してから、困った頃に親に金銭面でちょくちょく助けてもらっていたのだ。

親は金持ちの部類に入るから、そんなに迷惑ではなく、融資してくれる。

1度頼って、2、3度頼って、としていくうちに依頼心が醸成されていっていた。

まぁそれなりに金のある親だから、問題ないんだけれども、

自分努力する必然性」をちょっとずつ奪っていったのだ。

上京した理由は、「にっちもさっちいかない状況から自分なりに工夫して切り抜ける力をつける(平たく言えば生きる力をつける)」ことで、そしてそのご褒美に「都会の自由の恩恵を受ける」ことだった。

親への依頼心を経ついい方法はないか

何かご教授ください。

2011-07-13

九州電力が業務命令でやらせメール

メールにしても、匿名掲示板メッセージにしても、量が問題になるならば、それを偽装する方法はいくらでもある。バルクメーラーで2億通くらい送りつければ、日本人口を超えているけど確実に多数意見を作れるわけであるし、自動書き込みツールもある。これらはツールモンキーレベルの児戯であるし、そういった現実を知らずに、それらの裏付けの無い発言を世論であるカウントするのは、間抜けな事である

ネット世論操作の道具として使いたければ、まず、ネット上に論壇を形成する事から始めなければならない。論壇があって、そこで行われている議論の趨勢が、結果的に世論となる。メディアが独占されていた時代には、論壇は出版社新聞社が商売の為に作っていたが、メディアの独占がなくなり、それらの商業主義論壇がやっていた事が、単なる銭儲けの為でしかなく、世のため人の為になっていない事が暴露されてしまい、商業論壇は存在しなくなった。

論壇がない状態で世論は、情報公開、反マスゴミ、ワンフレーズポリティクスという方向に進んできた。情報公開によって有権者が判断するというのは、情報公開によって、霞が関文学の詳細な実例や利権構造といった、既得権益層の存在とそれを温存する仕組みを明らかにした。それは、過去の諸制度に対する批判を掘り起こす結果につながり、反マスゴミ、ワンフレーズポリティクスへと進んでいき、ついに、無能政治家は支持しないという風潮から政権交代という結果になったが、政権交代の結果は、それ以前よりもさらに無能恥知らずな愚物がのさばるという、どうしようもない結果となってしまった。

政治家を育てるには、育てるに値する信用が無ければならない。政治家の側が、育てて貰えるだけの価値証明しなければならない。日頃の政治活動の可視化という、一番具体的な方法があるのに、それをやらず、また、地域密着の結果として、地域利権代表であって国家の代表にはなりえないという宿痾を解決する多選規制という手法もあるのに、それをやれていない。

衆参が捻れている状態では、首相任期一年で、予算を通す度にコロコロ変わるのは当然となるし、選挙民に信用されない限り、一期限りで落選させるという事になる。利権代表でしかないのであれば、多選されたければ、利権をばら撒く地域を広げていくしかなく、その為の財源として赤字国債増税といった手法をとるのであれば、税として取られる分や将来の負担を補えるだけのばら撒きが無ければ支持は集められないし、ばら撒きの量に差があれば、不平等からという事で、自分達により多くばら撒いてくれる人を担ぎ上げるという話になる。それだけの手厚いばら撒きをやれる財源など、どこにもないので、結果的に、一期限りで落選させるという代議士の使い方にならざるを得ないのである

電力会社の幹部にしても、政治家にしても、質の劣化は酷いものである

質が劣化しているのは、質を向上させる仕組みがない為であるし、向上する必然性が無い為でもある。電力会社政治家も、世界視野から見れば、地域独占事業となる。独占に甘んじ、競争を怠ると、人材の質はどこまでも劣化していく。この体質を改める事こそが改革なのだが、人材の質を高める仕組みを作ると、オールドパージに繋がりかねないということで、反対する者が出てくる。

公共の利益よりも私益を優先する時点で、地域独占である政治や独占が認められている企業の従業員としては落第である。個人の利益を優先するならば、私企業で活動するべきなのだが、それすらも判断できないほどに質が低下しているのである

個人の質の低下は単なる質の低下であり、低劣な人材を排除していけば済む事だが、質の低下を是正できないのは、社会の質の低下である。まさしく国難なのだが、それに気がついていないか、気がついていても、自分自身がそのものなので、気がつかないふりをしているというのが、多数派になっているのであった。

無能な多数派よりは、捏造メールの多数派の方が、害は少ない。無能な多数派は、原発メルトダウンさせてしまったり、歳入よりも多額の赤字国債を発行する法案を通そうとしたりする。これは実害である

2011-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20110711193536

読者が書いてある文章に共感する必然性はなくて

からこそ読者に共感してもらうように咲き乱れている、といった修辞があるのだから

元増田の見方は転倒していると思う


「花が咲き乱れている」という書き方をした作者がどう感じている、あるいは伝えようとしていると推測できるか、みたいな聞き方をすれば

また答えは違ったんじゃないかなあ

http://anond.hatelabo.jp/20110712105206

君の言ってることこそイミフだよ

ヤンキー漫画や格闘漫画を好む奴には、そこそこに暴力欲求があると思うが、自分暴力を振いたいわけじゃあるまいよ。

これでいいなら最初の話に戻るまでだ

「BL漫画に走ったのはセックス忌避感情ゆえ」って論理が崩れるじゃん

BL漫画である必然性が無くなる

男女のセックス漫画でもいい筈だから

2011-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20110630213754

バカに気を使う必然性がないなら包み隠さず罵倒すればいいんじゃないの、と思ったのだが

http://anond.hatelabo.jp/20110630213553

気に障っちゃったかい?ごめんよ。

から謝るよ、ごめん、ね。

んでね。

理論っつーか、随分昔から(君の不細工なかーちゃんが生まれる前から

ある理論なんだけどさ。ごめんね、俺場所柄と相手を考えずに話しちゃってるかな。

申し訳ない、気遣いと心配りが足りないとは常々思うんだけどね。

バカに気を使うことの必然性がそもそもわからないんだ。

2011-06-24

ギリシャ改造内閣が信任されたという話。

与党内の締め付けが一応成功したという事だが、締め付けなければならない状態であるという点は、何も変わっていない。公務員労組と民間労組協同によるデモやストは止まらないし、民意は離れつつある。

緊縮財政増税による再建が続いている間は、金融支援が続くので、7月中の24ユーロ8月中の66億ユーロ、あわせて90億ユーロの償還は乗り越えられそうであるが、債務残高の現状維持は、緊縮財政継続しかない。

慢性的赤字財政ギリシャにとっては、債務残高を増加させていく以外に、社会保障等を維持することは不可能であり、債務残高が増やせないのであれば、社会保障公務員雇用といったコストセクターを削っていくしかない。

必用だからという理由で作っていった制度や増やしていった人員であろうが、その必要性は、投資に対する利益、出費に対する税収増という観点から考察が無い状態で論じられた必要性であり、やればやるだけ財政赤字が増えて行くという制度や人員であった。

国家赤字を無視してやらなければならないのは、国防国内の秩序の維持だけであり、それ以外の事は、経済的な余裕がある場合に行う事であって、その余裕が無い状態であれば、止めていくしかない。なんでもかんでも国家にやらせ、国家依存するという状態は、自立できない個人主義が、国家という名の家に依存するという失敗状態でしかない。

制度を否定して個人主義を貫こうとしたら、より大きな国家という名の家に依存するようになったというのは、ギャグにしては情けない話であるしかも、この状態においては、国家依存している事を誰もが正しい事だと思い込んでしまい、自立した個人であり、他人にとやかく言われる筋合いは無いと、開き直ってしまうという点にある。開き直っているのだから、治しようが無いし、治す必然性を感じていないのである

慢性的財政赤字国家依存している人民が過半数を超えると、多数決では、それをひっくり返せなくなる。民主主義は、国家が何をしてくれるかではなく、国家に対して何ができるかを考え、行動できる個人が過半数を越える状態を維持しなければ、衆愚制に陥る。

国庫から収入を得た人、税金で行われる事業に携わる企業に勤めている人、税金によって補填されている年金を受け取っている人、および、それらの人が世帯主家族は、選挙権を停止し、被選挙権だけにするというぐらいで、本当は丁度良いのかもしれない。税金を支払い、ナショナルミニマム以外は何も得ていないという国民けが有権者とならないと、国家に寄生する者が多数派を占めるようになってしまう。

国家社会主義(Nationalsozialistische)を標榜する政党が、熱狂的支持を受けるのは、つまるところ、自分が苦労しなくても他人が苦労してくれるという、被保護者の身分を簡単に手に入れられるという点にある。目先の利益という点では確実であるが、苦労してくれる他人が居なくなった時に、制度そのもの破綻するという欠陥に考えが及ばないという点で、未熟で愚かな選択なのだが、それを自覚していないほど未熟で愚かだから選択してしまうというのが、民主主義衆愚に陥っている証拠なのかもしれない。

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