はてなキーワード: ヱヴァとは
http://anond.hatelabo.jp/20110527203744
HTMLとかデジカメとかMacとか、いろいろ改変できそうなネタだけど、すでに成熟期に入っているデジタルオーディオプレイヤー(DAP)を同じように分けてみたい。
最初期の録音可能なデジタルオーディオはDATだが、当時の民生用としてはややオーバースペックだったためもっぱらプロユースだった。DATなんか趣味で持っていたような人は、たぶん今は逆にアナログレコードとピュアAUが趣味なんじゃないだろうか。ヱヴァでシンジ君が父親の形見(生きてるけど)として使ってたあれ。その後MDが発表され、ようやく一般家庭にデジタルなポータブルオーディオが普及する。ただこれらはあくまで「オーディオ機器でメディアに録音する」物であって、現代的なDAPとは違った。
現代的なDAPが発売されたのは1998年から。この当時はまだフラッシュメモリが高価で64MBとかが当たり前だった。この時代はソニー以外の国産メーカーは殆ど無く、iRiverやiAUDIOやMpioなどの韓国勢が主流だった。
この時期のDAPは、PCにつないで使うということで、家電量販店のオーディオコーナーではなくPC周辺機器のコーナーで売られていた。ちょうどWindows98がPCがマルチメディア化してったころ。ただMP3プレイヤーはまだまだマニアックなシロモノだった。この時期にMP3プレイヤーを使っていた人は、結構なギークではないだろうか。
その後ポータブルオーディオのシェアを大きく塗り替えるiPodが発売される。他のメーカーがプレイヤーのために変換転送ソフトを付属させたのに対して、iPodはまずiTunesが先にありそこからiPodを開発した。あと、HDDを採用しPC内のプレイリストを全部持ち歩けるようにしたのも画期的だった、
またアメリカでは2003年(日本では2005年)からiTunes Storeがサービス開始、他のサービスが苦戦する中でiPodの人気を背景に成功をおさめる。
このころ国産メーカーはどうだったかというと、2001年にPanasonicがSDオーディオを発売したり、ケンウッドがWMA対応のCDプレイヤーを発売していたが、いまいちぱっとせず、Apple VS 韓国勢という情況だった。特に「ウォークマン」のソニーがATRAC3やメモリースティックなどの独自規格にこだわったことや(SonicStageがものすごく使いにくかった)、日本の家電メーカーとレコード会社の関係から著作権がらみで消極的だったこともあり、海外勢に大きく水を開けられることとなる。
特にソニーのこの時期の迷走ぶりがひどく、Hi-MDとかVaio Pocketとかその後黒歴史化するシロモノを次々と出し、Appleにシェアを奪われていった。DAPに限らずDVDレコーダーや薄型テレビなどでも同じように迷走していた。その後のソニーの凋落ってじつはここから始まっていたんじゃないだろうか。
この時期に発売されたiPod miniは小型化と低価格化により爆発的に売れ、世界的に品薄の状態が長く続いた。はじめてのDAPがiPod miniという人も結構いるのではないだろうか。
シェアを奪われようやく危機感を覚えたソニーが、MP3やAAC、WMAなどマルチコーデック対応のプレイヤーを発売。家電メーカーらしい発想でHDD搭載のミニコンポを発売。これで「パソコンがなくてもDAPが使える」環境となる。
ソニー以外の国産勢は巻き返しを図るべく音質や付加機能を全面だす。東芝はワンセグ付きのプレイヤー、ケンウッドはデジタルアンプ付き、PanasonicはDIGAとの連携など。あと、日本メーカー品の多くはダイレクトエンコード対応で、PCなしで音楽を取り込めるという触れ込み(ただ決して使い勝手は良くない)。この辺はスマートフォンやPCと一緒で、よくも悪くも日本の家電メーカー的な商品開発。
一方のAppleはiPodを動画対応に。これはiTunesストアで映画やテレビ番組を配信・販売することを前提としたものだった。ただ日本ではこの時期はようやくiTunes Storeがサービス開始したばかりの頃で、動画を購入することは出来なかった。Apple以外のメーカーも、このころからオーディオプレイヤーからマルチメディアプレイヤーへの移行が始まる。更に低価格で簡素な機能のiPod shuffle、ミドルエンドのiPod nanoが発売される。iPod shuffleとnanoにより低価格化・小型化が進みより一般ユーザー向けに浸透する。
この時期はヘッドホンやスピーカー、FMトランスミッターや動画変換ソフトなど、サードパーティのアクセサリが拡充した時期だった。特にイヤホン/ヘッドホンなんか中価格・高価格帯が売れるようになった。ノイズキャンセリングヘッドホンとかDock接続スピーカーが出たのもこの時期。
DAPのデジタルデバイス化がより進む。iPod touchはマルチメディアプレイヤー機能に加え、ネットブラウズやメール、Youtube視聴、さらにApp Storeによりゲームやビジネスアプリなどを入れられる。iPod touchはiPhone替わりに購入した人も結構いた。
iPod shuffle 3GやiPod nano 6Gの滑りっぷりや見ると、「音楽プレイヤーとしてのiPod」の進化は今後大きくは見られないと思う。iPod classicもここ最近はあまり大きく変化してないし。国産メーカーは東芝・Panasonic・Victorが事実上の撤退状態。今後はスマートフォンやタブレット、電子書籍端末と競合がたくさんでるので、単なる音楽プレイヤーという市場は衰退するかも。
旭茉莉(昆蟲白)、Happy New-Yearが言いたくて(南野陽子)、一直到底(Nipples)、赤い戦車(ヤプーズ)、南方蝶道(甜梅號)、
一個人的水道(甜梅號)、Air on the G string(Bach)、春夏秋(チャットモンチー)、激光中(羅文)、Merry Christmas Mr. Lawrence(坂本龍一)、
恋愛スピリッツ(チャットモンチー)、安眠藥(歐陽靖 陳奐仁)、甜蜜蜜(薛凱琪)、MAY(斉藤由貴)、ダンシング・ヒーロー (荻野目洋子)、
雙失情人節(Twins)、青山黛瑪(何韻詩)、汽水樽裡的咖啡(何韻詩)、情歌(側田)、when i listen to the field mice(my little airport)、
習慣失戀(容祖兒)、糖不甩(薛凱琪)、VALON-1(Salyu)、戀人未滿(S.H.E)、美空雲雀(何韻詩)
東風(Yellow Magic Orchestra)、Lucky(スーパーカー)、我有一段情(吳鶯音)、曙(ゲルニカ)、2EM12_KK_A09(ヱヴァ破)、
光榮之家(何韻詩)、北歐是我們的死亡終站(my little airport)、隆重登場(容祖兒)、電力組曲 C:電化の暮らし(ゲルニカ)、妮歌(何韻詩)、
Komm, Susser Tod/甘き死よ、来たれ(Arianne )、ホープ(testpattern)、給十年後的我(薛凱琪)、安靜了(S.H.E)、女朋友(歐陽靖 陳奐仁)、
体操(YMO)、You Only Live Twice(Nancy Sinatra)、小茉莉(楊丞琳)、Oh!(少女時代)、圓謊(容祖兒)、
管他什麼音樂(范曉萱&100%)、Blue Paradise(Martin Denny)、泡泡(魏如萱)、Sunny Road To Salina(Christophe)、Be True(容祖兒)、
優しいたそがれ(南野陽子)、最後的歌(楊千嬅)、Le premier chagrin d'amour(France Gall)、眼球綺譚(戸川純ユニット)、愛しのキッズ(小島麻由美)、
月世界旅行(アポジー&ペリジー)、韻律泳(何韻詩)、飛べない翼(Lily Chou Chou)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、ヒステリヤ(ヤプーズ)、
Green Grass Of Tunnel(Mum)、夢伴(梅艷芳)、舊約(何韻詩)、再見...露絲瑪莉(何韻詩)、AXIA~かなしいことり~(斉藤由貴)、
就算世界無童話(衛蘭)、점핑(Kara)、夢のスキマ(鷺巣詩郎)、空しき流れ(鷺巣詩郎)、閉塞の拡大(鷺巣詩郎)
那年夏天寧靜的海(王心凌)、痛愛(容祖兒)、落寞莉(昆蟲白)、憤怒の河(戸川純)、惚たる蛍(チャットモンチー)、
愛一個上一課(容祖兒)、最後一課(容祖兒)、時不與我(容祖兒)、Dear. Mom(少女時代)、男孩像你(薛凱琪)、
沙堡壘(容祖兒)、A Wishful Way(Hopscotch)、ONE(斉藤由貴)、拳銃(チャットモンチー)、脆弱(謝安琪)、
立つ鳥跡を濁さず(トップをねらえ2!!)、時の河を越えて(トップをねらえ!)、親知らず(チャットモンチー)、媽媽我考試考100分(selfkill)、搜神記(容祖兒)、
想想(何欣穗)、リフトの下で逢いましょう(南野陽子)、ギルガメッシュ(ヤプーズ)、Roller Coaster Rock(selfkill)、a love song(EGO-WRAPPIN')、
愛將(梅艷芳)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、petsounds(the beach boys)、香格里拉(魏如萱)。
21世紀にTV放映された連続アニメの中では間違いなく一番おもしろかった。
本気で「地上波の連続TVアニメはオワコン。宮崎駿とピクサーと新劇ヱヴァさえあれば後はアニメなんてどうでも…」と思っていたけど、
まさかここまで楽しませてくれるアニメが出てきたことに驚いた。
※ハルヒは面白いっちゃー面白いけど、エヴァ好きな自分としては求めるものが違うというか…
敢えて難点を言えば、
難点はほんとにこれぐらい。あとは正直に面白かった。
しかし何故かまどかは見れば見るほどエヴァを思い出す。一体何故だ。
や、ほんとパクリとは思わない。パクリだったらまずキャラクターにテンプレ的な要素が強く現れる。例えば某長門とか。
どちらかといえば「俺はエヴァが好きなんだなぁ…」と再確認した次第。
そして「ああ、俺の思春期は20世紀の出来事だったんだなぁ…」と変な感慨を抱いてしまっただけだ。
あと、監督なのか脚本なのかどちらの功績かはわからんけど、良い意味で作品内外で視聴者を煽る/誘導するのが上手いなぁと。
別にアニメに興味ないからどうでもいいけど、うまいこと視聴者を煽れる人がいればきっとアニメ業界で働く人の未来は明るいんじゃないかなと。
http://anond.hatelabo.jp/20100807223223を書いた増田です。
書いてた時は、2、3人から「意味がわからない」といわれてオシマイだろうな、と思っていましたが、「ムチャクチャ」「浅い」「リア充死ね」などと、意外と反響があって、驚いています。
とっちらかっているのは、忙しくて時間が無くて上手くまとめられなかったから、ではなくて、夜になっても室温が30度以下にならなくて「もう嫌になった。テキトーに結論書いて終わらせよう」と思ったから、でもなくて、私の頭が悪いからです。いま読み返してみると、私が書いたものは、文章というより、メモを何も考えずに繋げたようなもの、ですね。というか、そんなに真に受けられても困る。釣った記憶も無いし。でも、それなのに、はてブを読んでいたら、私がなにを疑問としているかが、わかっている人がいるようで、凄いですね。エスパー?
補足はしません。議論もしません。保障もしません。そんなたいそうな物ではありません。以下、たらたらっと書いて、出直してきます。
・ドラえもんも鉄腕アトムも、会話で人間と意思の疎通ができるでしょ? そういうロボットは、殺りにくいんですよ。To Heartに出てきた、マルチもそう。もっとも、To Heartの主人公は、マルチを殺りはしなかったけど、犯りはしましたが(下品で失礼)。
・他者を殺してまで成し遂げたい事とは何か。他者を殺して何かを成し遂げる事とは、どういうことなのか。作り手のそれと、観客のそれの、ずれとは何か。私たちの社会では、人を殺してはいけないとことになっているけれど、ある条件をクリアすると、何故「可」になるのか。そういえば、「ヱヴァ破」でゲンドウも、そんな事をいっていたような、いないような。
・この名を出すと「古い!」といわれそうですが、M・マクルーハンと共同研究をしているE・カーペンターが、こういっています。
<<私たちがテレビを見るのではない。テレビが私たちを見るのである。テレビが私たちを案内するのである。新聞と雑誌はもはや「情報」を伝えないで、ものごとを見る方法を教えてくれる。雑誌、新聞はリアリズムをあまりにも容易なものとして放棄してしまった。雑誌、新聞はリアリズムの代わりになっている。ライフ誌全部が広告である。その記事は感情とアイディアを包装し売りこむ。広告主が金を払った広告が商品を売り込むように。
気が付けば、テレビが一家に一台から、ひとり一台でもおかしくない、そんな時代になりました。携帯電話でも、ネットにつながるように、なりました。私たちは、もう学校や親から、何かを学ぶという事が、できなくなりつつあります。親も、どうしても子供に伝えなければならない事が、減っています。どうしても子供に伝えなければならない物は、メディアが教えてくれます。ネットで検索して、検索結果を教えるだけ、という親が、これからますます増えていくでしょう。
アニメの場合、純粋な神話や民話でなくて、広告代理店やスポンサーも関係する、人造神話というようなもの、なのかもしれませんが、それが我々に何を教えるのか、教えてきたのか。どこへ導くのか。楽しくもあり、恐ろしくもあります。
・ロボットアニメというものは、スポンサーの都合とはいえ、かなり強引な作りをしています。(この例えを出したら、また色々いわれそうですが)「巨大人型ロボットが兵器」とか、ちょっと考えたら、いや考えなくても、おかしい、ありえない。おまけに主人公が10代で、ろくに訓練もしないうちから操縦できる。でも、そういうものの根っこにあるのは、作り手と観客の願望だと思のです。「こんな事があったらいいな」「あんな人がいたらいいのに」そういう事にリアリティをもたせようと、喜んでもらおうと、今まで延々やってきて、増築と改造を重ねて、なんだか訳がわからなくなって、ついには現在下火になりました。
今までエヴァンゲリオンというものを見たことが無かった。
興味はすごくあったけど、今更感もあってちょっと近寄りがたかった。
俺今まで見たこと無いけど興味あるということを言ったら
序と一緒に貸してもらえることになった。
一度ガンダムオタ相手にひどい目に合わされたこともあり
前もって「あんまりまともな感想は期待しないでくれよ」と
釘を刺しておくことにした。
今回も相変わらずいい奴だなーと思ってた。
私はこのとき完全に勘違いしていた。
ここでもDisられるのは嫌だから詳細は省くけれども
要するに世界観の解釈は未熟でも間違っていてもかまわなかったようだが
キャラの好き嫌いについては言及してはいけなかったようだ。
あまり好きじゃないというかぶっちゃけ印象が薄かった。
友人が「アスカは?」って聞かれたときに
軽く流そうとした結果、彼はブチ切れた。
アスカの素晴らしさについては良くわかったが、
なぜそのときに私が好きになったミサトを否定されにゃならんのか。
なぜ原作を見てないことについてここまでバカにされにゃならんのか。
あらかじめ私が原作を見てないことは良くわかってたはずなのに。
話を聞いているうちにムカムカしてきて、
ケンカ別れのような状態になってしまった。
彼とは短い付き合いではないし、
今回が特別なのだろうけれど何がそんなに特別なのやらがわからず
気持ち悪い。
アニメ?もういいよ!という人は読まない方が吉。
知ってるよ。あの衝撃を彼らも感じるのかな?受けるといいね、と答える人もいれば、もうネットで流出しているんだよね。と答える人もいると思う。
それはそれとして、いまさらながら、なぜヱヴァ破が評論家ウケしなかったのだろうか。気がついてみれば、なんてことはない非常に単純な理由だった。評論家は、ショッキングな作品を評価する。それだけ。芸術作品と同じで、(時代的文脈における)事件性が重要。
ただ、今の世間の雰囲気的に、もうショッキングなのはいいよ!という気がしている。
世間の流れが早すぎて、逆に、落ち着ける場所が求められているというか。火を囲んでお年寄りの昔話を聞いているような感覚。どこかで聞いた事があるのにライブ感を感じる語り口。物語本来の機能。
私は私。あなたはあなた。と、興味や属性でどんどん細分化され、砂粒の様にバラバラになってく個。進めば進むほど視界が悪くなる、どこへ向かうか分からない世の中。信じられるものは何もない。自分さえ矮小。
その点、増田やニュー速はテーマが決まっていないから、はぐれた個人、バックボーンを持たない人達、信仰を持たない人々が集まれる心安らげる場所かも。
個人的には、ヱヴァ破のテーマは、テクノロジーと老人達に殺されないためにどう稼いでいくか、の方法論だったと思う。
サービスはコピーできない、最後のコンテンツは人間、とは言うけれども、人間、やはり、生まれた時代に捕らわれるし、侍当人としては鉄砲を持った民兵に刀で立ち向かっていくしか選択肢はないのではないか。
ただし、出来るだけの事をやるために、用意は周到に、作戦は綿密に。
必死であがくほか選択肢が見えない。
殺されると分かっていても全力でダンスするしかない。
では、出来るだけ楽しく踊ろう。多分、それが後悔しない生き方。
個人ブログにも書いたけど反応が見たいので転載します。ルール違反かな…。
混んでるのは避けたいなあと思いつつなかなか行けなかったんだよね。
さて、「破」を見て思ったのは、いよいよ「悪夢」が現実化してきたかなってこと。
11年?12年くらい昔になるのかなあ、当時生まれた子供はもうじき中学生だ。
旧エヴァがああいう形で終わり、旧エヴァの天に昇れぬ魂は地上のオタクはおろか業界にまで呪いをかけ縛り続けてきたんだと思う。
アニメ界は一時期エヴァリスペクトみたいな作品が沢山作られたし、エヴァでクローズアップされたのかな、セカイ系のライトノベルが腐るほど量産されたし、京アニ作品群(AIRとかハルヒとか)には大抵「エヴァを超えた」なんて枕詞が付く(京アニファンが言ってるだけだろうけど)。
同人誌もものすごかったし(エロばっかりじゃなく考察系や文学系、芸術系も結構多かった)、当時はまだインターネットがそれ程普及してなかったけど、サイドストーリーやエヴァアフター物なんてのが溢れんばかりに作られた。
で、結局これって、旧エヴァがアン・ハッピーエンドだったからなんだよね。
「幻魔大戦」を書いた平井和正氏は「ハッピーエンドは物語の死である」と言っている。
つまり、ハッピーエンドであればもう足すものも引くものも無い、更に何かが続くことなどありえない、無限の可能性は失われ物語は完全に終わってしまうわけ。
旧エヴァはハッピーでは無かったからこそ、せめてファンの手でと、供養の花束を贈り続けることになったわけだ。
でも、ヱヴァは本気で終わらすらしい、しかも見たところ、ハッピーエンドとして終わらす気配が濃厚だ。
旧エヴァの魂はいよいよ天に昇るのかもしれない、が、それは同時に無限の循環にあった物語が終着点にたどり着くことを意味する。
もうファンはエヴァで遊べなくなるのだ。もちろんパロディという意味での遊びは残っているが、エヴァの世界にはこういう可能性があるかもしれないと夢想する遊びはできなくなってしまう。
楽しかった終わり無き日常は終わりを告げる、ビューティフルドリーマーは目を覚ます。
当時、エヴァを心底楽しんでいたファンとしては、続きはもう見たくないと思ってしまう。
ものすごく勝手だけど、続き作らなくていいよとすら言いたくなる。
つらい。
ほんとの幸せを考えたときに愛し愛されたいって考えるようになったのは椎名林檎ですが皆さんお元気ですが?こんばんわ、僕です。僕は元気です。
エヴァ→ヱヴァの変化とか、最近の若者が自動車を買わないとかいう出来事からなんか思ったことをつらつらと書きますね。
たぶん、これから、本当に低コストで個人の幸福を追求しようと思った時になる仕事って、AV男優か調理師か、あとはなんか二ートみたいな、そんな仕事になると思う。ビルゲイツよりも加藤鷹になりたい。そんな時代はすぐそばまで来ているのだよ青年。それはここ10年くらいの動きの中で。
ここ10年で急激にコストが下がったものと言えば、出会いや、コミュニケーションやそして承認のコスト。ツイッターやインターネットとかその他なんかゲームとかほにゃららで個人と個人が理解し合ったり承認しあったりするのが非常にたやすくなりました。今、この2009年の日本で暮らしてる人間には信じられないだろうけれども、ひとの覚えをちょっと良くしようとかもてたいとかいう理由で300万円とかする車をローンで買ってしまう19の若者がかつてこの日本にもいたのです。なんだよそれ。エウリアンで絵が6枚は買えるよ!!
結局人の幸福っていうのは他人とのコミュニケーションや承認で、睡眠欲、性欲、食欲の三大欲求以外の欲求の社会的欲求って結局他人との密なコミュニケーションが取れればそれでよくなるっつーシロモノなわけでしょう、で、近年、その他人とのコミットに対するコストがブロッコリー株やGONZO株くらいだだ下がりしているわけですよ。
社長になりたい理由だって他人から尊敬されたいからだし、代議士になりたいのだって人から頼りにされたいから。お金が欲しいのだってお金を持ってるといろいろとみんなやさしくしたりちやほやしてくれるからじゃないですか。いい車に乗るんだってそうすると女の子が寄ってくるからだし。
で、今から20年くらい前はそういう「社会的に自分のポジションをあげること=承認を得られる」っていう分かりやすい構図で、だからみんな、頑張って仕事したり、頑張ってなんかいろいろやったりしたりしたわけですよ社長になりたいとか偉くなりたいとか。末は博士か大臣か。逆にいうと、そのころは他人から承認を得るためには、多大なコストを払わないとならなかったわけなんですね、大変ですね生きるって。
だけど、なんかコミュニケーションツールが広がって、そのコミュニケーションのコストが暴落。そうなると、もう、頑張って自分の社会的な身分を上げないでも、満足な分の承認が得られるようになりました。ちょっと歌を歌ってニコニコで流したり、踊ってみたりするくらいで血のにじむような苦労をしないでもある程度ハッピーになれるようになったんですよ。これはいいことですよ。昔は山の中で偶然見つけられる物だったマイタケが大量生産できるようになったみたいに、昔は高価だった“承認”が非常に安価になりました。ありむーだってはてなで大絶賛だ!!彼なんか20年前だと宮崎エンド以外のエンドは考えられませんよ!!
まあ、そんな感じで。
社会的欲求のコストが下がると、相対的に3大欲求の価値が上がってくるわけですよ。で。
まあ、タイトルみたいにAV男優とか、調理師とか、仕事自身が3大欲求とか直接気持ちイイ仕事に就ける人間が勝ち組なのかもねって話。
経団連の代表みたいなあのうんこが腐ったみたいな自己主張をごりごろとするようなくそみたいな仕事をするくらいだったら、園原りかちゃんのま○こをなめてる方がよっぽどいいよね!!
園原りかちゃん大好きです!!!
ヱヴァの破を見たんだけど、言いたいことはあるとしても、凄い出来だと思ったのは大体の人と同じだ。色々な議論があったし、その一部は読んだが、一つ思うのは、庵野は「守るものを守る」ために、金を稼ぐために己の全才能をつぎ込んだのであり、「媚び」に見える部分も含めて、観客が見たいもの(=驚きのある面白さ)を見せるために、最大限のサービス精神を発揮したと思う。もっとも、ひねくれ者のオタクの本性としての皮肉な部分はあったとしてもだ。
まー、そんなことはどうでも良いのだが、アニメ世代は、その下のゲーム世代に苦々しい思いを持っているのではないかというのは、私の直感だが、今回の件で、完全に、ゲーム世代は、アニメ世代に逆襲されてしまった。
ゲームというメディアの特徴が、インタラクティブ性、体験性にあるとしたら、映画館で見た破の体験性を超えられるゲームをゲーム世代は創れるんだろうか?栗きんとん事件の小鳩君ではないが、「体温が上がる」様なゲームを作れないなら、ゲームにこだわる意味が無くなってしまう。ドラクエ9は購入していないので分からないが、「体温が上がる」様なゲームだったんだろうか?
むしろ、アニメ世代の逆襲に応戦できるのは、血のたぎるようなネットサービス世代なんだろうか?
twitter のタイムラインから流れる都議会選の開票速報を横目に見ながら、時代錯誤な厚みと正方形に近い形状のブラウン管に映る政治家の無表情を装う苦しい顔を見つめると耳に入ってくる電車の音、ほのかな潮の香り、まとわり付くような湿った生暖かい空気を感じるとき、はてな民は自分のたるんだ白い腕が震えていることに気づき、その震えがクーラーもないような部屋や隣の住民が迷惑を省みない音量でサンボマスターがカヴァーした「あの鐘を鳴らすのはあなた」をヘビーローテーションしていることによるものではまったくないことを知る……。
はてな民はなにができるだろうか? 注目エントリー一覧から2chまとめブログの記事を探してきて読みふけること? アイマス動画をマイリストに叩き込んでいくこと? 自分のpostがさまざまなめりっとで取り上げられていないか定期的にチェックすること? ドラえもんに釘宮理恵がゲスト声優で出演したときに「くぎゅううううう」って叫ぶこと? はてなブックマークが付くことを期待して、アルファブロガーの記事を思いっきりDisる記事を書くこと? サブアカウントをプライベートモードで作ってエロサイトをブックマークしていくこと? はてサヲチスレに張り付いて特定個人を攻撃し続けること? 匿名ダイアリで「id:y_arim です。この前、美容室にいったんだけです。美容室。そしたらなんかもうヱヴァの話でいっぱいなんです。」と騙ること? 「リンクは許諾制です」という個人のファンサイトをブックマークして晒し者にすること? ブックマークにブックマークを重ねて、さらにブックマークを重ねて「馬鹿と煙は高いところに登る」とか書かれているコメントを一瞥だにせず、さらにブックマークを重ねること? ライフハック記事をブックマークして、「あとで読む」タグをつけて、あとで読まないこと? 上から目線の非現実的なブコメにはてなスターを連打すること? テレビを見ながら今までにやったことのないやり方でタダごとではない旨さのトマトソースを作ってしまうこと? ヨーロッパ旅行に行く日に空港まで行ってから、パスポートを忘れてしまっていたことに気付くこと? はてなキーワードの「子育て」を含む日記を追いかけて、主婦層の生活を夢想すること? あるいは twitter's fotolife に張り付いてかわいい女の子の写真を探すこと? 将棋オタクの取締役崩れにガツンと一言かますこと? 児童ポルノ単純所持違法問題に口は出すが、金と労力は出さないこと? 自分が炎上したら、プライベートモードに変更してアカウントを削除して何食わぬ顔で3日後にはてなに戻ってくること? 自分の書いた記事をプリントアウトして精神科に持って行くこと? 新サービスの開始と同時に XSS 脆弱性をついて遊ぶこと? あるいは CSRF のトラップを仕掛けること? 一旦ログアウトして、コメント欄で通りすがりざまに袈裟切りすること? 「原作の「櫻の園」は、簡単に言うと女子高生の同性愛を最大のテーマとしています」と書くこと? あるいは、ライトノベルに詳しくないのに「ゼロの使い魔」を「正統的なライトノベル」「非常にオーセンティックな、ライトノベルの鑑のような作品」と書くこと? iPhone を持って便座に座り、一本糞をひねり出すときの息みの勢いで 1get すること? その糞を流す前にプライベートアカウントに乗り換えて 2get して注目エントリー入りする素地を作ること? 流したらお尻を拭かずにパソコンで違うアカウントから 3get して注目エントリー入りさせること? id:finalvent の記事に100文字以内でクドクドとネガコメを書くこと? ネガコメを書きながら Air のトゥルーエンドを鑑賞すること? 病床の子供にネガコメを約束すること? あるいはたんにネガコメをすること……。
だが、できることといえば「死ねばいいのに」タグを付ける、ないしはたんにネガコメする。ネガコメする。ネガコメするのはきもちいい。ネガコメするのはいい。ネガコメはいい。あまったるくネガコメする。ねこのあたまをなでるようにネガコメする。きぬのようになめらかにネガコメする。めをとじてネガコメする。うたいながらネガコメする。きもちよくネガコメする。ブックマーク、きもちいい、ネガコメ、いい。やさしくネガコメする。どきどきしながらネガコメする。もえるようにネガコメする。かわいくネガコメする。さそうようにネガコメする。ネガタグ、めをほそめる、ほほがあがる、ネガコメ、あまったるい。ネガコメする。ネガコメにスターをつける。ネガコメにスター。へんなネガコメにスター。かわいくスター、へんな、ネガコメ、スター。ネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスター、へんな、ネガコメにスター。ネガコメにスターをつける。ネガコメにスター。ネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスター、きもちいい、ネガコメにスターネガコメにスターネガコネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスター、あまったるい、ネガコメにスターメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスターネガコメにスター。
Qで初号機がシンジとレイの複座式になるのもAだから(シンジ=北斗、レイ=南)
ゴルゴダ基地からやってきたマリ(ゴルゴダの丘からやってきた聖母マリア)
で、この4体が「ゴルゴダ星」で磔にされる第14話で
男と女が合体した神人であるエースはそのコピーであるエースキラーと戦う羽目になる
ちなみにエースが変身した女のほうは実は月星人で終盤月に帰っていく 綾波がこの役目
というかTV版の当初のプロットはこれに近かった
Mk.6は、ウルトラマンタロウ(6番目の兄弟)の事
タロウはウルトラ兄弟の中で唯一ウルトラの父(アダム)と母(リリス)の直系の子
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「複座式になる」のソースってあるのかな?
本当かどうかわからないけど、面白かったので書き留めておく
http://d.hatena.ne.jp/KGV/20090707/p1
http://d.hatena.ne.jp/KGV/20090709/p1
・あいたたた…
・まさに久しぶりに見る
に
わ
か
は黙ってろ
・何コレ
・ここまできたらむしろ微笑ましく思うよ
・お腹痛いよ
・この人あたまおかしい
・若い頃にはあるものだよ
・これぞにわか
・やっぱハテナ村は一味ちげぇな
・3年後くらいに身もだえ狂うんだろうなぁ
・だがお前らも通った道だ
・あぁ…10代の子か
・こういう芸風を身につけたらいいんじゃないかと思う
厨二芸
笑わせるんじゃなくて笑われる
・痛々しいSS書きはまだいいけど
痛々しい評論家モドキっていつの年代もきついなぁ
・この一席ぶってる感
たまらん
・なんでこの人ニュースサイトとかで取り上げられてるんだろうと疑問に思ってたんだけど
ああそうか、晒し上げってやつか
・はてなーみたいなタチの悪いオタクに絶望して庵野はEOEでブン投げたというのに…
・なんではてなってこういう子の巣窟なの?
一瞬俺のことかと思った(誘った男の方が)。
しかしよく読んでみたらディテールがかなり異なっているしそもそもヱヴァを見に行ったのは木曜のことだった。
ほっと胸を撫で下ろしたので応援しておく。なんというか、がんばってください。
http://anond.hatelabo.jp/20090705043823
「ああ、もうこいつら金儲けすることしか考えて無いんだな。」
と思ってそれ以降エヴァに金を出すことをやめたんだけど、
シト新生はそうだったかもな。
・・・ま、個人的には「ヱヴァをネタに無駄なおしゃべりする」ってのが第一目的だから
作り手が儲けてるだけだ、とかまでは考えてないなー
監督にとっては10年以上前の作品に改めて正面から向き合う、ってことで
「名探偵エヴァンゲリオン」とか「脱衣補完計画」とかより何百倍もましだと思うよ。
ヱヴァを昨日観た。まだ気分がもやもやする。増田で申し訳ないが、世間の絶賛の波に乗れなかった一人として感想を書き留めさせてほしい。(以下ネタバレを気にする人はスルー推奨)
旧作エヴァはとことん愚直に立ち止まって考えるアニメだった。「ぼくが何をやっても人を傷つけるだけだ、だったら何もしないほうがいい」。ロボットアニメの主人公がこんなことを言ってしまったら、物語はどこへも進まないのは誰が見てもわかる。あまりにミもフタもなさすぎる。だけどそこまで言ってしまうミもフタもなさに俺は惹かれた。ロボットに乗って戦う少年少女という「いかにもアニメ」な世界観を提示しながら、そこから視聴者を突き放すのがエヴァだった。
ああ、なのに。それなのに。10年経って帰ってきたのはいかにもヒーロー然とした碇シンジとそれを取り巻く生暖かい級友たち、そして予定調和がいっぱいの「いかにもアニメ」な世界だった。あのメガネ娘が空からシンジに衝突して「メガネ、メガネ…」と地面を撫で回し始めたところで俺はげんなりした。さんざんあれこれ遠回りして、結局戻ってきた場所がここかと。製作者は「アニメ的なお約束もネタとして楽しめるようになったんですよ」というつもりなのかもしれないが、単に居心地のいい世界に帰っただけにしか見えない。メガネ萌えというカルチャーや、美少女が主人公にぶつかるお約束を知らなければ、そもそもあのシーンの意味すらわからない。昔、あんなに「現実に帰れ」といっていたのは何だったのか。安野モヨコの漫画に対して「現実と向き合っている」とか「EVAでやりたくてできなかったことが実現されていた」と絶賛していたのに、そこから何も学ばなかったのか。
アニメの世界には、主人公にとって都合のいい女の子しか出してはいけないという憲法がある。旧作エヴァはその点を一応押さえつつも、あくまでも他者であるというエクスキューズを忘れていなかったと思う。アスカはシンジを最後の一線で拒絶していたし、レイもシンジに完全には心を開かなかった。それに比べて今作は、「シンジが望めば普通にやらせてくれそうな女子」が多すぎる。反吐がでそうだ。
そして何より、正真正銘のヒーローになってしまった碇シンジ。俺が思うヒーローの条件はいくつかあって、理由なく周囲から好かれていること、敵を倒すことに疑問を持たないこと、そしてストーリー上重要でない人の存在を簡単に無視できることだ。ハリー・ポッターは悪人にもそれ相応の事情があるかもしれないなんて考えもしない。「この卑怯者め!」と言って打ちのめすだけだ。エヴァはそんなアニメじゃなかった。敵である使徒も本来は人類と平等の可能性をもった兄弟であり、一方でシンジの一番の敵は父である碇ゲンドウだという背反する設定こそが、エヴァをのドラマ性を高めていたはずだ。それが今作の使徒の描き方はどうだろう。あれじゃただのモンスターだ。特にあの空に浮かぶ球体のあいつ、シンジに心理攻撃を仕掛けた16話の使徒のエピソードがカットされてしまったのが痛い。使徒は憎むべきモンスターだという、ただそれだけで、シンジの心を映す鏡ではなくなってしまった。そんなの悲しすぎる。
今作のシンジは紛れもなくヒーローだった。カッコよすぎるくらいカッコよかった。本当は俺もシンジ君のカッコよさに素直に感動したい。褒め称えたい。でも、最後に一番大事な人の名前を呼ぶのに忙しくてもう一人の重傷者のことを完全に忘れていたところで、俺は動揺してどうしたらいいかわからなくなったんだよ。一番嫌だったのはあの「せめて●●だけは助けたい」ってやつだ。なんだ、その都合よく話をまとめるためだけの安い台詞は。要するに「もう一人の話は次回の映画で伏線回収するので、いまはこっちの人に集中してくださいね」ってことか。物語的にはそれでよくても、俺はよくない。そんな製作者のご都合主義が匂ってくる台詞をシンジから聞きたくなかった。そうやって感情を整理できるようになったんだね君は。立ち止まって考えるのをやめて、物語のために必要な台詞だけを吐けるようになったんだね。それが「大人になる」ことだって言うのなら、エヴァにハマったあの頃の俺を返してほしい。
幸福の科学のアニメじゃあるまいし、あの程度の葛藤を乗り越えたくらいで頭から天使の輪が生えてくるのも気色悪い。こんな鈍感なヒーローが「人間を越えた天使」になるなんて、馬鹿も休み休み言え。正直に言えば、旧映画版でもシンジだけが特別な人間として生き残ることには違和感を感じていたんだが、あの時はシンジがあそこまで自己否定して追い詰められた後だったからまだ理解できた。それがどうだ。こんなに易々とカッコよく天使になってしまう今作のシンジ。現実世界にどれだけの絶望が転がってると思ってるんだ、もう一度「鳥についばまれて左目の飛び出た弐号機」からやり直して来い!
確かに旧作エヴァは病んでいた。エヴァを真面目に自分に当てはめようとすればするほど、自意識でがんじがらめになっていく感じはあった。だけどそこを出発点にして、みんな別のところに辿りついたはずじゃないのか、と思う。自分の場合、旧作エヴァを観ていた頃は熱に浮かされて「エヴァ的なもの」以外への興味をなくしていた。だけどそのあと、エヴァと全然違う面白さを持つ漫画や小説、映画とたくさん出会った。現実の生活にも10年分の変化があった。その中でエヴァという作品と距離を取れるようになり、エヴァを咀嚼して自分の血肉にできるようになっていったと思える。あの時エヴァにはまったほかの人も、それぞれ辿りついたんだろうと思っていた。その出発点が、今作で否定されている気がする。昔の友達にもらった手紙を大事にとっておいたのに、久しぶりに会ったら「あれ、なかったことにして」と言われた気分だ。
『序』『破』を見ていて飽きないのはわかる。映像に惹きこまれるのもわかる。だけど皆、こんな切実さのかけらもない馴れ合い世界で本当に満足なのか。スペクタクルと萌え要素があればそれでいいのか。こんなものが50年後に残る傑作だなんて、何かの悪い冗談じゃないかと俺は思う。
ヱヴァンゲリオン新劇場版、序を観たときは、そのあまりのつまらなさに驚愕した。
全く心に響くものも残るものもなく、「ああ頑張って絵を描いてるなー」としか思えないまま映画が終わった。
で、その時は「あ、俺はエヴァを卒業したんだな」となんとなく思ってた。
でも、破を観たら、やっぱり面白くないんだけど、それは「俺だけが卒業出来てなかった」んだと気付いた。
みんなエヴァなんてとっくに卒業していて、いやあシンジ君成長したねえ嬉しいよ、と余裕な態度で観ていることに驚愕した。
お前ら、いつの間に卒業したんだよ?
っつーか、最初から俺だけが卒業してなかったのか?
ま、だからといってこうなるともう今更卒業する気なんてのも起こらないし、今後エヴァがこっちの方向に行くならまあそれはそれで俺がどうこう言うことでもなく、今後は「いやあ俺はテレビ版と旧劇場版以外あんま好きじゃないんだよね、ああでも作画は新劇場版のがいいよね」と偏屈なオタクとして生きていくだけなんだが。