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はてなキーワード: 橋の下とは

2020-06-21

私の父は優しい人だと私は知っている

私の父は世界一不器用でだめで、それでも脆いほどに優しい人だと私は知っている。

物心ついた頃から親父が苦手で苦手で、喋るのが苦痛だった。

眼力が強く、冗談も言わない、笑わない、話しかけても会話は返ってこない、それから1度怒ると暴れ出し、弟と私をよく殴った。社会で上手く馴染めず仕事から帰る度に私たち八つ当たりはザラで

とにかく触ってはいけない人間なのだと、小学一年生で悟った。

自身の父ながら、父の家族兄弟に友人、父の昔話や人となりの話も聞かされたことはなく、親父の趣味や好みも年齢もどこ出身であるかも小学六年生になるまで知らない、そんな未知な父親であったように思う。

仕事で家に帰ってくる事が少なく、また学校行事には来た事がない。親子の関係は冷え切っていた。

だが小学六年生のある日、とうとう母親父親ってどんな人って思い切って聞いてみた。

父親=触れてはいけないもの、と思っていた私としてはかなり思い切った問い掛けである

「おまえの父さんはな、親に捨てられて学校にも行かせてもらえず、橋の下生活してた野生児やった」

と今ではありえない、漫画のような事を聞かされた。

最終学歴は中卒だが、厳密に言うと小卒レベル学力大人になってしまった子供だった、と母親は物思いに耽りながら答えてくれた。

借金を苦にした実の母親に捨てられ、近所の人に助けてもらうまで

アパートの一室で1人、それから大量のウサギ、犬、ネコニワトリ、虫また、動物の腐乱死体(なぜ動物に囲まれていたかについては謎らしい)と共に糞尿にまみれ、

非常に飢えた状態で救出された後、施設から逃走し橋の下で半ば野生児のように生きたと父親談。

だがその後また施設保護され、やがて青年になり父親作業員として働いていた中今の母親出会う。

母親は当時の親父とデートしてびっくりしたことが、まず服のセンスが壊滅的だったこと、また箸の持ち方やテーブルマナーが人並み以下だったこと、自分名前すら書けず足し算レベル計算もできず、学が無いため給料もちょろまかされている、感情の起伏が激しく癇癪をすぐ起こし警察沙汰になる といった親父の境遇環境に、こいつを人間らしくしなければいけない と母親は強く感じたらしい。

いままで学と無縁だった親父の躾に苦労しながら、なんとか識字や計算一般常識を覚えさせる事ができた所で、私が生まれたとの事。

私が産まれた時、滅多に泣かない(感情が乏しい)親父が泣いて私を抱き上げたのだ、と母親に聞かされた時、あの親父があの親父が泣いて喜んだのか、とかなりショックを受けた事を思い出す。

懸命に親父が母親スパルタ指導で様々な事を覚える中、どうしても親父が理解できなかったものがある。

いままで誰にも愛されたことも無く、実の親に育てられず、人を愛せたことも無い人間であったため、私が生まれて嬉しいことは嬉しいがどう愛していいかが分からないままであったとのこと。

小さい赤子を触れることさえも怖くなり、ある日とうとう赤子の私を床に落としてしまった事から、私が小学生になるまで私に触れることも話すことも、関わることもできなくなったのではないか母親が打ち明けてくれた事で、いままでの親父の素っ気なさと距離に対する違和感が繋がったような気がした。

親父の社会に馴染めなさ、おぼつかない字の書き方、下手な話し方、魚を食べるのが下手なところ、情緒不安定なところ、すぐ殴るところ 全てが親父の生い立ちに起因するもので、それらは未だに勉強であるものだと分かった瞬間、親父にもっと関わろうと思えたのだ。

ある日親父に授業参観きてよ、って言うと親父の元々大きい眼が更に開き、びっくりしたように「行ってもええんか」と呟いた。

授業参観の日、仕事抜け出して泥だらけの作業着で見に来てくれた時は泣きそうになった。おやじも照れてて泣きそうになってた。

元々絵が得意な私に、普段の拙い落書きでも絵で賞を取っても「お父さん才能ないからなぁ、おまえ凄いな」と手放しで褒めてくれたこと。

繰り返していた自殺未遂と、シンナー吸引をやめて前向きになってくれたこ

「おまえ、これ好きやろ」と、好きな漫画キャラが使う武器木材で本物同様に作ってくれたこと。(親父は不器用だが、手先や工作に関しては神がかり)

寒いやろ」と手袋を無けなしの小遣いで買ってくれたが、もう中学生なのにどれみちゃんの小さくダサい手袋を買ってきたこと、

夏休み工作を手伝ってくれるが、完成度が高すぎて親父が作ったという事がバレバレなこと、

私が生まれからも勉学でかなりつまづいていたが、とうとう一級建築士資格を取得できるまでに努力してきたこと、

自分の育ちが悪く、また貧困いじめられていたからこそ

子供の私達にはしつけを厳しくしてくれたこと、またどんな人にも優しくするようにおしえてくれたこと、

冗談が言えるようになり、人付き合いも上手く行き部下に慕われるようになったこと、

箸の使い方も魚の食べ方も綺麗になったこと、穏やかになったこ

私が大学に行き、一人暮らしすることになった時、涙を堪えようとするけど鼻水垂らしながら号泣して見送ってくれたこと、

バイクの修理まで手伝ってくれること、

私が世界一可愛いと素直に褒めてくれること

あの頃歩み寄って親父の事を聞いてよかったなって思います

あの頃逃げてばっかだったおやじも、私と向き合ってくれたからここまで分かり合えたのかなっておもう。

たまにバカで雑でアホだけど、努力してきた親父は不器用だけど世界一優しいと私は知っている。

本当の大人になれるまで、懸命に生きてきたそんな親父は世界一強いと私は知っている。

そんな親父をしばきながら根気良く育てた母親世界一強いと私は知っている。

2020-04-21

anond:20200421133648

実は、、、お前は橋の下で拾われてきたのだ。

2020-04-18

今日多々良川(16時頃)

水位低い

太陽でるけど風が少し冷たい

日陰は肌寒い

ダイサギ

カモ3

カラス

甲羅干しの亀2

ダイサギ橋の下近くにいたからけっこう至近距離で見れた

やっぱりダイサギ名前の通りでかくて迫力ある

あと珍しくカラスもいた

浅瀬を歩いてた

今日須恵

アオサギ

カモ2

2020-04-07

anond:20200407183522

ホームレス(英: homelessness)は、狭義には様々理由により定まった住居を持たず、公園路上生活の場とする人々(路上生活者)、公共施設河原橋の下などを起居の場所とし日常生活を営んでいる野宿者や車上生活者のこと。

ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法では「都市公園河川道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者」と定義している。

2020-04-05

増田インセルの特徴

労働はお手伝い程度でも本人が望んでいても奴隷労働虐待であり憎むべきものという偏見

・とにかく揚げ足を取りたい、シンデレラだけでもたとえが適切じゃないといって噛みつける好戦性

統計が読めずデータの一部だけを拡大解釈して「ほらほら女は得してるはず!」(すもも仕草

・尻馬に乗っておいて「横ですが横だけどみっともないから潔く負けを認めた方がいいよ」という、加勢というより負け犬宣言で足を引っ張る(話の筋がよくわかってないらしい)

・ツイフェミさんに洗脳されているので女児選好はしっかりおぼえてるがそれがなぜかは深く考えない(そういうとこやぞ)

 

追記

勝手にツリーでバトリ出す

・本人たちのなかでは通用するジャーゴンがあるらしい、フランペチーノとかブスがどうとか

ホームレスあいかわらず背景になる福祉状況や文化も見ず数字適当解釈してそうねとしか言えない

 

出産時に選好があっても中絶などの過激手段を取る(と表明している)人はツイフェミ以外いないんだよな

希望を効かれたらそりゃ500万と5億どっちかもらえるなら5億もらいますよ、くらいの条件反射で語られる観念しかない

それと成長後女性はだいぶ隔たりがあるんだが

女性大事」といえば女児選考がすぐ出てくるほどフェミさんにまいにち「お前なんか橋の下の子」系でなじられてるんだろうな 

男女の兄弟口喧嘩定番なのをネットやらかして丸呑みとかどんだけ青春がつづくんだこいつら

ていうかやっぱり発達ちゃんなんだろうな 固執行動でますます嫌われそうでかわいそうね、インセル

2020-03-29

anond:20200329115135

橋の下下水道管に子供が住んでないので子供ホームレスは居ないっていうんなら

それは日本人お得意の見えないもの存在しない論なんじゃなかろうか

2020-02-22

anond:20200222021737

さっさと金よこせよ。親からもらった小遣い出せや。

おれらの舎弟だからこそ伸び伸びできるメリットがあるだろ?

---

力を持ったサイドが拳を振りかざして脅かしつつ、おためごかし理屈を言って相手丸め込もうとする。この手法を『バッドコップ・グッドコップパターン』っつってる。

住宅街の中の公園でやっちゃダメだろう、ボール遊びは

郊外公園でやれ

匂いベランダを伝わって洗濯物に移るからマンションの部屋でタバコを吸うな

郊外の一軒家で吸え

ホームレス橋の下へ帰れ

黒人スラム街

ダンゴムシは石の下へ

適材適所」・「身のほどを知れ」・「TPO

差別メルクマール

2020-02-02

夕陽

たった一つのものばかり こだわっていたあの頃

それを失くした切なさを 何で拭えばいいの

 

今はただ僕の横に あなたの影がないことを

空を眺めながら思っている あの日に戻れたらいいな

 

いつか君と見ていた 夕陽が出ている

そんな優しい光で 僕を照らさないで

 

たくさん話した橋の下で 今は誰と話しているの?

僕のことはもう忘れたのかな

 

止まったままの時計は 時を刻むことはない

ありふれた言葉が 出ては消えていく

 

どこにいるのかも分からないよ

今でも君のことを思ってるのに

 

あの時 夕陽が二人を照らしたように

今はあなたと誰かを 照らしているのかな

 

思い出の公園で 日が暮れるまで

話をしたあなたは 笑っていた

 

僕はもう二度と 振り返らない

そう心に決めたはずなのに

夕陽が僕を包んだ

 

いつか君と見ていた 夕陽が出ている

そんな優しい光で 僕を照らさないで

 

あの時 何を言えばよかったのだろう

あの時 何を言えば変わっていただろう

 

軍手家族 2002

2020-01-27

今日多々良川(昼)

雨風ひどい

寒い

でもカモたくさんいた!

寒くて人少ないから油断してたのか橋の下近くに10羽以上いた!

2020-01-13

成人式の日はお金が無くて住むとこがないから、橋の下野宿してた日だった。おなかが空いてゴミ箱から食べ残しを拾って食べていた。街は成人式人達がみんなキラキラしてて眩しかった。

2019-12-29

anond:20191228135305

かわいそうやな。

俺は、橋の下に捨てられていたのをオトンが拾ってきたらしいわ。

ありがたい話や。

anond:20191228135305

かわいそうやな。

俺は、橋の下に捨てられていたのをオトンが拾ってきたらしいわ。

ありがたい話や。

2019-11-08

公務員叩きしてる下賤か奴ら

結局は高校大学勉強しなかったアホンダラでしょ

筧利夫踊る大捜査線映画で言ってただろ

入試で遊ばずに死ぬほど勉強しておいて良かった』ってさ

本当にこれに尽きる

しかったら今から公務員試験勉強しろ

二十代ならギリギリ間に合うから

三十代、四十代?知らねーわw勉強しなかった豚野郎共は橋の下で野垂れ死ね

2019-09-13

anond:20190913141841

橋の下

近くの会社の窓が空いていて丸見えだったわ

2019-08-18

天気の子はつまらない

何がつまらいかと言えば、全く感情移入できないし、製作者のオナニーしか言えない様な表現が多数あるからだ。

以下、とにかく列挙していく。

たかだかビルの上に光が差してるだけでその場所に行こうなどとは普通は思わない。意味不明

・雨が降るって言ってるのにわざわざデッキに出るな。頭おかしいのかお前は。

あんなに大量の水が上空から落ちてきたら死ぬわ。濡れるどころの騒ぎではない。

橋の下キラキラ光が反射してキレイな風に描いてるけどどっからその光来てんだよ。お前その演出たかっただけだろ。オナニーすんな気持ち悪い。

いくら東京と言えど意味もなく人に足をかけてコケさす様なやつはいない。銃を拾わせたかたからっておかし演出をするな。

あん封筒に重いものが入ってたら普通おかしいと思うだろ。そんなもん拾わないだろ普通

・銃だと分かったんだったら警察に持っていけ。家出がバレるのが嫌なら捨てろ。

・人に向けて発砲すんな。ほぼ殺人じゃねーか。「気持ち悪い」で済まされる話じゃねぇよ。

・こんなイカれた人殺しをやろうとする様な主人公感情移入なんかできる訳がない。

・「新しい日々が始まった」風な演出でアップテンポの曲挿れて気分盛り上げようってか?安っぽすぎるんだよ演出が。アホか。

サイト公開した瞬間にいきなり申し込みなんか来ねぇよ普通。尺を配慮しての演出かもしれないけどあまりに無理矢理すぎる。

・結局あの生き物みたいなやつはなんだったの?いる?それ。向こうの世界とこっちの世界関係性描ききれてないよね。

携帯鳴る演出もわざとらしくて吐き気する。

・(この辺は正直忘れた)

・なにが「知らないフリして!!」だよ。てめぇ以外知ってる訳ねぇだろそんなもん。フリもなにも知らねぇんだよ。演出気持ち悪い。

線路をわざわざ走らすなよ。下道でも十分行けたろ。どうせその絵が欲しかっただけだろ。

・そんなところ切れねぇよ。顔だぞ。どうやったら顔に有刺鉄線当たるんだよ。キレるんだったら手か足だろ。

説明すりゃいいのに必死になってる風でまーた拳銃持ち出すな。理性のないただの動物かお前は。気持ち悪い。

・手を離すなとか言ってる間に手錠かけちまえよ。その方が確実だろ。結局離しちまうのかよ。ちゃんと握っとけアホ。

・「泣いてますあなた」ってなんだよ。そんなこと言わねぇよ普通。そんなことくらい自分が一番分かっとるわ。演出気持ち悪い。

・水があんなにたまってる窓があったら普通開ければ水浸しになることくらい分かるだろ。開けねぇよ普通。アホか。

映像キレイなだけで、まるで中学生が作った様な作品だった。

ここまで書いて思ったけど、これこういう実験だったのかもな。こういう演出なり映像で売れるということであれば次もこういう演出してくるんだろうな。まぁその結果に関係なく売れるよ、多分。結局、取っ掛かりになる映像キレイから、とりあえず観てみたいとは思うんだよ。けど、中身なくてイライラする、けど次もまたキレイからとりあえず気になって観る、コイツ映画はそういう映画イライラするね。

2019-07-14

大嫌いな父親が亡くなった

父親が亡くなってから、早いもので二ヶ月が経った。肺癌が主な原因だった。

私は父親が嫌いだった。昔ながらの亭主関白な夫と言えばわかりやすいだろうか。母を召使いのように扱い、母がいなければ娘の私を扱き使う父親だった。

例えば夕飯時、口を開けば「早く箸を持ってこい」「飲み物を持ってこい」と偉そうに命令した。反発すれば怒鳴り散らし、机を叩くなどして威嚇する。その影響で私は人が(特に男性が)怒っていたり怒鳴っていたりすると、身が竦むほど恐ろしさを感じるようになったぐらいだ。

父親典型的クレーマーでもあった。理髪店自分の気に入らないヘアカットにされた時は、相手が泣くまで怒鳴りつけたそうだ。同じことを他の店でもしている。本人が武勇伝のように語っていた。相手に落ち度があるのはさておき、そこまで怒る必要断じてないし、店員にどんなトラウマを植え付けたのか考えるだけで忍びない。

そんな父親ではあったが、小さい頃は私を目に入れても痛くない程に可愛がっていたようだ。記憶は薄れているが、確かに可愛く思っていたのは事実だろう。しかし私はその愛情に、思春期らしい気持ちの悪さを感じていたことを覚えている。今思えば、それは都合の良い人形を可愛がるようなものだったからではないだろうか。

小学生ぐらいの記憶を引っ張り出してくると、休みの日に父親が家にいたことは稀だった。一人もしくは母とパチンコへ行くことが多かったからだ。いたとしても日がな一日ゴロゴロと寝転がっているだけで、家族で出かけるようなことはなかった。泊まり旅行など、温泉に一度行ったきりだ。

今や定番であり行ったことがないというだけで子供に惨めな思いをさせるというディズニーランドなど、その頃の私には想像もつかない世界だった。ある程度成長するとディズニーランドに言ったことがないのは少数派だとわかり、私は友人と話を合わせたくて「行ったことがある」と何年間も嘘をつき続けた。

子供を可愛がる」というのは、子供の遊びに付き合い、行きたいところへ連れていき、一緒に経験を積み重ねることではないだろうか。父親からはそういった愛情をもらうことはなかった。

私には兄がいる。私とは違い、高校大学も両親の期待以上のところへ進んだ、彼らにとって自慢の息子だ。父が兄に対して怒ったのは、小さい頃以外だと私が知る限り大学留年危機に瀕した時だけだ。また、兄を小間使いのように扱ったこともない。

そもそも兄は私の四つ上で、中学の時は部活や塾で朝早く夜遅く高校の時は遊び回ってほとんど家におらず、私が中学生の時にはもう家を出ていたため記憶が薄い。仲は悪くないが、まるで他人のように感じる。

そんな兄と私はよく比べられた。よくある話だ。優秀で友人も多くクラスの人気者な兄とは違い、私は特に秀でておらず人見知りも激しく友人は少ない。父にとって私は「理想の娘」ではなかっただろう。よく冗談で「お前は橋の下で拾った」と言われたものだ。私は、先に生まれただけで両親の良いところを全部持っていった兄が憎らしく恨めしく、そして何より羨ましかった。この頃の私は成績にしろ資格を取るにしろ両親が喜ぶだろうと思って行動していた。その成果である様々な賞状がうちには飾ってあり、父はよく自慢していたようだった。

私にとって父は畏怖の対象でもあり、自分を認めて欲しい存在でもあったのだ。

社会人になってからの数年間も、私は実家にいた。勤め先が実家のすぐ近くであったこともあるが、精神的に自立していなかったからだ。

その頃父との関係冷戦状態で、口を開けば互いに怒鳴り合うこととなった。私は他人からは怒ることなどない穏やかな人間に見られていたが、それは人見知りを拗らせた内弁慶からであり、家ではとても口が悪く我儘だった。

父は二言目には喧嘩腰に「なにぃ!?」と眉を吊り上げた。それに恐れをなして怯む自分を気付かれたくなくて、いつも怒鳴り返していた。

家を出てからほとんど実家に帰っていない。父と口を利きたくなかったし、母とも何を話せばいいのかわからなくなっていた。

その内に私が結婚し、父が定年前に退職して数年後、肺癌が発覚した。他の病気まで併発していた。当たり前だった。あまりにも酷い生活だったのだから

今まで何年…いや何十年と、私は両親に煙草を止めるよう苦言を呈してきた。それに加えて父は甘いジュースが好きで、見るからに不健康な体型だったが運動はしなかった。そして、職場でほぼ強制的に受けさせられる健康診断も逃げ続けた。恐らく何か見つかるのが怖かったのだろう。

退職から発熱したり咳が続くことが多くなり、具合の悪さにとうとう病院へ行った時にはもう手遅れだ。他の病気のせいで放射線治療はできず、低血圧のため手術もできないと言われた。

それでも父はめげずに抗がん剤治療を始めた。この辺りのことを考えると気が滅入るので省くが、とにかく辛く過酷な日々であっただろう。

担当医に「今夜が山でしょう」と言われた日から二日ほど過ぎた。付き添い人である母と兄はゲッソリとしていた。父は夜中の決まった時間にパッと目を覚まし、叫び暴れるのだと言う。「痛い」「苦しい」「殺してくれ」と。

モルヒネの量を増やしたため、父は最早会話ができなかった。たまに独り言を呟いたり、かと思えば急に会話に入ってきたりしていた。

私が最後に父を見たのは亡くなる三日前だ。まるで死を待つように、ただベッドに座ってぼうっとした目で息をしている父の姿に、私は何故か涙が込み上げて部屋から逃げ出した。それ以上見ていることができなかった。

寝れなくて辛いから付き添いを代わってくれと兄に頼まれたが、今の姿ですら見ていられないのに暴れ出す姿を見たら更に正気でいられるはずもなく、断るしかなかった。兄はこのことを恐らく恨んでいるだろう。

父はその後、壮絶な苦しみからようやく解放された。

から電話を受けて夜中に病院へ向かった。道中、ずっと涙が止まらなかった。

父のことが大嫌いだった。父そっくりなせいで私は不細工だし、すぐ怒鳴りつけるし、母や私を扱き使うし、我儘で自分勝手で金遣いも荒く、不貞を働いたこともある最低な人だ。何度となく「死ねばいいのに」と思った。

それなのに何故、涙が出るのだろう。何故、苦しんで死んだのだと思うと辛いのだろう。何故、遺品である携帯タブレットから父の痕跡を辿っては苦しくなるのだろう。

今もまだ、父を思い出すと胸が詰まったような気持ちに苛まれる。

葬式が済めばすっかり日常に戻れるぐらい父に対して思い入れがないというのに、ふとした時に見てもいない死に際を思って胸が詰まるのだ。

きっと父は長生きしても人に迷惑をかける老人になったであろうから、早くに亡くなって良かったのだと思っている。

生きていたら、やはり何度となく「死んでくれないかな」と思っただろう。

今日、もう稼働しなくなった家族全員のグループLINEがふと目に入った。入院中の父が母へ毎日のように「あれ買ってこい」「早く来い」とそこに送っていた。そのやり取りを見て、どうしようもなく誰かに吐き出したくなった。

この複雑で纏まらない気持ちを、ここに書き捨てていく。

2019-05-02

anond:20190502154632

ありがとうございます

思えばいままでの環境、どこへ行っても周りが優秀・勤勉でした。

足を引っ張っている、場不相応だという自覚もあります

ただ、私にとって相応な所とはどこでしょうか?


ライン工バイトしたことがあります

そこの人たちは皆正確で迅速な仕事をやっていました。みんな人間的にも良い人で私を気遣ってくれました。

それがお世辞だとか建前としても、それはそれめ私より人間ができている人でした。


橋の下で、ホームレスの人と桜を見ながら語らったこともあります

彼らの人生を聞いていると、落後者とは思えない、到底橋の下にいるべきでない人の良さが見えてきました。

その深い目には、一種悟りのような境地が見えていました。

私なんかにも優しくしてくれましたし、励ましてくれたりして。

自分バカらしく、そしてクズさが如実に実感できて恥ずかしくて泣きました。


上の二つは例えですが、そういった人々と比べても私は、自分クズで不相応だと思うのです。

そして彼らにも迷惑をかけてしまう、クズ中のクズだと思っているのです。


なので、環境を変えても無駄だと思う以上、私がなんとかして変わるしかないのかなと。

諦観半分でそう思っています

2019-03-08

anond:20190308212150

一応生活保護施設の金は払ってる。

から私たち兄弟はもうお金心配はしなくていいんだ。

> さっきもいったけど橋の下ダンボールくるまって寝る浮浪者になりたいんかって叱れ

れいうと「おれは仏教徒から最終的には浮浪者になってもいいんだ」とかいうの。

病院で倒れた時には助けてくれって泣いたくせに。

本当に先のことがわからないんバカなんだと思う

2019-01-16

anond:20190116213713

橋の下で寝ないで済むようシェルターを整備する

そもそもホームレスになる前に家を失わないで済むよう支援する

煽りでなく良くしようという気持ちがあるならば「生活困窮者自立支援制度」を広める

はい論破

離職中で、住まいがない、又は住まいを失うおそれがある。

 離職後2年以内で65歳未満の住居を失うおそれのある方などに、就職に向けた活動をすることなどを条件に、一定期間家賃相当額を支給する住居確保給付金制度を利用することができます

入居費用やその後の生活費も借りたい

離職中であり、住まいの確保をしたい。入居費用つなぎ資金、その後の生活費も借りたい。

臨時特例つなぎ資金

住居のない離職者への給付金、貸付金までの当面の生活費10万円以内の必要額を貸し付けます

総合支援資金住宅入居費)

住居を失った離職者が住宅支援給付を利用する場合の、住居の入居にかかる初期費用(40万円以内の必要額)を貸し付けます

※住居確保給付金申請者のみ対象

総合支援資金生活支援費)

失業や減収で生計の維持が困難となった世帯に対し、再就職までの間の生活資金を貸し付けます

1か月当たり、単身15万円、複数20万円以内の必要額(原則3か月)。

総合支援資金(一時生活再建費)

生活を再建するために一時的必要かつ日常生活費で賄うことが困難である費用を貸し付けます

限度額:60万円

生活支援費又は住居確保給付金申請者のみ対象

債務の借り換えは対象外。

仕事はあるけど家がない

外部サイトリンク 新規ウィンドウで開きます。TOKYチャレンジネット

住まいを失い、インターネットカフェ漫画喫茶などで寝泊りしながら不安定就労従事している方や離職者の方をサポートする相談窓口です。住居がないことによる生活不安相談から住宅確保に向けてのサポートさらあなたに適した仕事についての就労相談まで総合的な相談を行っております東京都内に直近6ヶ月以上生活している方が対象となります

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/seikatsu/seikatsu_kyoju_shuro/sumai.html

2019-01-12

anond:20190112015215

そんな悪いことする子はうちの子じゃありませんのバリエーションだろ

お前も子育てするようになったら言うよ

まあ、お前にはまずパートナー橋の下で拾ってこなきゃいけなそうだがな

2019-01-09

anond:20190109143702

昔は色んな所にネタとして書いてたから、多分デジャヴじゃないと思いますよ。

まぁパクられてるのかもしれないし。俺がオリジナルだと言ってもこんなところなので意味はないですけど。

余談ですが、今をときめくNGTがある新潟信濃川河川敷やすらぎ堤)の橋の下です。笑

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