はてなキーワード: 通勤とは
生理の時は子宮がこれでもかと暴れるように動く。でも膀胱と直腸に中身が詰まってれば動くスペースがなくてそれほど暴れられない。インド人だって通勤ラッシュの満員電車では踊れない。
でも子宮の暴れたい衝動は抑えられず、インド人はちょっと控えめに踊り始める。最初はつま先でリズム取るくらいから。すると周りの人が少しずつインド人を避けて次の駅で降り始める。するとインド人の周りが空く。インド人もうちょっと派手に踊る。周りの人さらに降りる。インド人踊る。周りの人降りる。インド人最高潮に盛り上がって踊る!
五輪開催前にもかかわらず、通勤ラッシュ解消もヒラ社員たちの他人事扱い、のんべんだらりんとテレワークをまじめに導入しない与党、政府、企業幹部どもにカミサマがお怒りになったのだよ。
俺が転職した理由のひとつに、前の会社にいたら生存が脅かされる・自分を守れないと感じたことがあったんだ。
A社は、世間一般では比較的クリーンなイメージの企業なんだけど、社員を歯車としてしか見てない経営陣の暴君ぶりが年々酷くなり、本当に嫌気がさしていた。
今回のコロナウィルス騒動で、政府があんなにテレワークや時間差通勤を推奨してるのに、2月末のこの状態で未だにA社が何の対応も打ち出さず満員電車で毎日通勤してると元同僚から悲鳴じみた愚痴を聞いて、退社は間違ってなかったと確信に変わったわ。
未だに中国出張・対面複数人での打合せを続け、部署内飲み会を中止せず、時差通勤も実施しない。そしてこの時代にテレワークの仕組みが未だない。(業種的には全然テレワーク可能)
本当に、社員をなんだと思っているんだろう。
自分の判断で休めばいいじゃんて声もあるし、実際俺も退社前は台風とかは普通に自分で休んでたけど、有給って限られてるからね?今回のコロナのような長期に渡る状況ではさすがに厳しいと思うよ。
コロナウィルス、恐れすぎも良くないのは重々承知だが、こいつはある意味リトマス試験紙だ。
社員を大事にしない、判断の遅い会社が炙り出される絶好の機会だ。そんな会社からはみんな逃げよう。
今回のコロナ騒動で自浄作用が働いて、そんな会社が日本から淘汰されることを切に願う。
仕事よりも、自分を大事にしよう。家族がいる人は尚更、会社は自分や家族を守ってくれないってことに気付こう。
ちなみに、俺が転職前に感じたA社での危機、東日本大震災や台風での対応に加えて、特に以下の事件が一番ヤバイと思って、この話聞いて最後の愛想が尽きた感じです。
部署内の社員がなんかの発作で社内で倒れたことがあって。俺はその現場には居なかったんだけど、救急車を呼ぼうとした若い社員がその電話を上司に止められて、まずは防災センターに電話させられたと。30分後に到着した防災センターのスタッフが容態を確認後、健康支援室に電話、更に30分後、健康支援室のスタッフが容態を確認、その後やっと救急車を呼ぶ、っていうくだりがあって。
途中の容態確認では応急処置などは何も行われなかったそうで、一歩間違ったら死んでてもおかしくないと感じた。なぜいきなり救急車呼ぶのはダメなのか、本当に理解に苦しんだ。
幸いその人は助かったのだけど、運が良かったとしか言えない。
今週末に観る予定だったお芝居が中止になった。
クルーズ船では感染しなかったかもしれない人たちを閉じ込めて感染させたり、会社や電車通勤はやめさせないのにこうしたイベントは「自主的に」中止させたり、誰がこれで助かってるの?
SNSやブログに書いたらめちゃくちゃ叩かれるのが目に見えてるので増田に書く。増田でもブコメやトラバでさんざんに言われるだろうけど。
ウイルスによって世界がどこまで崩壊してゆくのか見てみたい。そんな好奇心に駆られている。
ペストとかコレラとか天然痘とか、日本史や世界史でそうした疫病の話が出るたびに「人口の何割も減るような流行病とは無縁の時代なんだな」と、ホッとする反面、少し退屈に感じていたように思う。
だから今は、日に日に世界中で感染の拡大するさまを不安に感じる一方で、「世界史の教科書に載るような大きな事件のまっただ中に自分がいるのだ」と内心ワクワクしてもいる。
前回のアメリカ大統領選挙では「こんな世の中どうにでもなっちまえ」と、閉塞感に対するヤケクソのような気持ちでトランプへ投票した人たちがいたという。
でも、自分はそうしたヤケクソともちょっと違う気がする。おそらくは、単純な好奇心だ。
もっとも、自分の生活にも少しずつ支障がでているから、まるっきりの他人事ではない。
仕事の予定が何件も立ち消えになった。
楽しみにしていたイベントも延期になった。
ただ、目に見える形でたしかに影響はでているものの、深刻さは無いのだ。
こんな呑気にいられるのは、仮に自分自身が感染しても(年齢・体力的に)死ぬ可能性が低いのが大きな理由だろう。
普段の通勤は自家用車だし、子どももいないから休校の影響もない。家にマスクの在庫もまだまだある。
閑散とまではいかないが、普段よりも目に見えて往来が減っていた。
これがもっと極端に減っていったら、どうなるんだろうか。
東日本大震災のときは、もっと絶望感を抱いていたように思う。変わり果てた地形や建物、津波などの視覚的なショックが一斉にやってきたこともあるだろうか。このままもっと悪化していったら――と想像する余裕さえなかった気がする。
だが今回はもっと緩慢だ。イベントの中止や休校など、これまでの日常や常識が少しずつ歪んでいくさまから目が離せない。
https://togetter.com/li/1473856
これとか読んで、あとは身の回りの人たち見てての体感でしかないけど、実際の感染力とか影響力に関しては定期的に流行る感染症とそこまで離れてるようにはどうも思えないのよね。
実際若くて電車通勤してたような感染者も出てきている割に、もし相当な感染力を持ってたら今の状況じゃ済んでないと思う。
(検査してないから出てきてないだけだ!という反論ありそうだけど、報道やSNS見ててもそもそも疑いのある症状になってる人が思うほどには多くない気がする)(体感なので間違ってたらごめん)
で、なぜこれがこんなにも連日におよんで巷を賑わせてるかというと、(ほとんどの人はもう既に内心思ってるような気もするけど)、コロナウイルスが色んな不満を爆発させるのにちょうど良すぎたような気がしてる。
例えば
・桜の会問題で今まで以上に露骨になった政府対応の杜撰さ とか
・中韓ヘイト問題とか転売ヤー問題とかデマ情報の拡散とかなんとかかんとかエトセトラ、、
これらを全て巻き込めて、かつ、地震とかと違って家が流されたりしないし、自分が罹らなければ特に何かを失うわけではないので、正常性バイアスが働きやすい。
でも死亡率はインフルよりも高くて報道なんかを受けると、客観的にはリアルな緊急事態そのものである。
みたいな、上手いこと条件が重りまくってしまってるんだろうなあ。
デモ起こしたりできない日本人の膨らみすぎた風船に穴を開けてくれたという点ではある意味良いタイミングだった気もしつつ、
今の各所からの意見や報道や個人の不安や焦りが、単にウイルスだけから来ているわけじゃなさそうだというのはなんとなく意識しておこうと思う。