はてなキーワード: 知的障害者とは
知的障害者はどこかへ消えなさい
障害者のためのスポーツというけれど、実質的に主に足に不自由がある人のオリンピックになってね?
走る系のスポーツは義足の選手ばかりだし、球技系は両手使えない選手見ないし(つまり足が不自由な選手ばかり)、水泳系も手が使えない選手をあまり見ない。
ルールが理解できない知的障害者も多分いないし、精神障害者は蚊帳の外。
なんつーかe-スポーツってパラリンピックへの応用のしがいがあると思うんだよね。
様々な障害を持つ人のためにユーザインタフェースを工夫しまくってできるだけ沢山の障害者を選手にできればいい。インタフェースの差が実力差になってしまうのなら、そこは技術の発展のチャンスだし、e-スポーツはルール外のことはできないから知的障害者の参入障壁も低い。
そう思うんだけど、みんなどう思うよ?
「スー・ドナルドソンらは、先住民族の土地をヨーロッパ人が植民地支配したのは不正であるという例を引き合いに出し、野生動物は領内で社会を作る利益を持ち、侵略者から彼らを保護するために主権を認めるのは有効であると指摘している。」
人間の権利を動物に拡大するというより、先住民族の権利を野生動物と同格に置いたという感じ方をしてしまうのだが俺だけ??
もし救命ボートが転覆して人間の赤ん坊と犬のどちらか一方しか助けられないとしたらどうするかと聞かれて、PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)のアウトリーチ・コーディネーター、スーザン・リッチは「はっきりとは分からない…赤ん坊を助けるかもしれないし犬の方を助けるかもしれない」と答えた。動物の権利哲学者のトム・レーガンは、たとえ犠牲になる犬の数が何匹であろうが、赤ん坊の方を助けるべきだと述べた。これはカント以来の伝統的な義務論の延長上に権利論を展開した、レーガンの立場を示すものと言える。」
種差別を全く行わない立場なら、犬を助け赤子を見捨てるのは倫理的に問題ないはずでは?
人間を常に救うのであれば、種差別を行っていることになるのでは?
「人間だけを特別視する宗教的な考えを拒否すれば、重度脳障害または重度知的障害を持った人間を、同等の精神的知的レベルの動物と峻別することが困難になる、とシンガーは表明する」
つまり知的障害者は同程度の知能の動物と同格に扱ってよいことになる。
別のところでシンガーは、痛覚を感じない障害をもつ人間は、痛みを感じる実験動物より実験対象として適格であるような意味のことを述べている。
こういった考え方は差別的ではないのか?
今まで何か実害があったわけでは無いけれど、怖い。
(でも軽い実害はあるかも。
くしゃみとか口を押さえずに思い切りしてるからたぶん体とか服とかにかかってる。)
この間は一人で「やまださーん!やまださーーん!!」て楽しそうに大声で誰かの名前を叫びながら、電車の一車両の端と端を往復してた。
怖い。
気味が悪い。
気持ちが悪い。
女子高校生だった頃、電車通学のために毎日同じ電車、車両に乗ってた。
ある日電車に乗り込むと、時折見かける知的障害者が目の前に立ってた。
いつも通り一人でへらへらした顔してた。
こちらを向いていた。
勃起していた。
知的障害者だから、性的な目で自分を見ているわけでもなく、ただの生理現象で、ただ扉であるこちらを向いているだけだったと思う。
その事が、今でも怖い。
痴漢とは違う怖さ。
気味の悪さ。
元々知的障害者はどちらかといえば嫌いだった。
でもここまで、怖い、と思ったことは無かった。
たぶんこれがトラウマ。
一度しか出会った事がないが、「バカヤロー!ったく。バカヤロー!!!」と一人でキレてる知的障害者にも遭遇した事がある。
怖くて頭がおかしくなりそうだった。
そいつに少しでも触れられたらどうしよう、発狂するんじゃないかってくらい、怖かった。
怖い。
最初に書いたとおり、実害はない。
一人で行動しているのだから、危険ではないとしっかり判断されてるからだろう。
でも、もしかしたらこちらに近づいて来るんじゃないか、その大きい独り言を自分に向かって言ってくるんじゃないか、と思ってしまって、怖い。
なんで一人で出歩いてるんだ。
一人にさせるな。
保護者はどこだ。
くそつまらねえレトロゲーしかやったことがないような貧乏の無能だから昔のまんまのファミコンレベルのゲームを自信満々に公開してしまう。
それでつまらねえっていわれる。
こういうやつはPS4のゲームもやったことがなくてどうせPS5も買わない。
普通に考えてPS4ぐらい最近のゲームをやっているなら海外で大金をかけている大作に見劣りするなんてどんな馬鹿でもわかる。
どう考えても堂々と「自信作です」とゴミを表に出せないはず。
多くの人の価値観に最低限のクオリティとしてPS4の佳作レベルの面白さをすり込ませてしまった状態を「時代はPS4」というのであって
あれは冤罪だった。ある日突然、学年主任に呼ばれて「お前がいじめをしているという報告が複数の女子からあった」と言われた。全く身に覚えのないことで否定したが認められなかった。
しばらくして、クラスメイトでいじめっ子だったSも呼ばれて一緒に事情聴取をされた。Sとは昼休みに少し話をする程度の仲だったが、学年主任曰く俺とSは仲が良く共謀していじめたという話になってた。
いじめられたのはクラスメイトのGで、知的障害者っぽいやつだった。SがGをいじめていたのは知ってはいたが面倒なので知らないふりをしてた。そもそもGはいじめられてるという自覚がないようで、遊んでいると思っていたらしい。
事情聴取でも、やってないと主張したが逆効果で生徒指導や教頭まで呼ばれて最終的に認めざるを得なかった。Gが単独でやったことも共謀したと認めさせられた。俺とSはGに謝ったが、Gはポカーンとして状況が理解できてなかったようだった。
その後は両親に連絡がいって、両親がGの親に謝っていた。俺は両親にいじめはしていないと言ったが信用してもらえなかった。親に信用されないのは本当に辛かった。
どう考えても女が嘘の報告をして俺に罪を被せようとしたとしか考えられない。誰がそんなことをしたのか分からなかったが、強引に認めさせた学年主任や教員には相応の仕返しをした。
椅子に画鋲を置いたり椅子を液体糊でベチャベチャにしたり数えきれないくらいやった。その度に生徒指導で怒られたが全く反省しなかった。「悪いのはお前らだ」。今でもそう思っている。