はてなキーワード: 田端とは
みんなそろそろ飽きてるはあちゅうの話。
自分は童貞で、はあちゅうの言ってたようなことを面と向かって言われたことも男女問わず何回かある。
それでもハラスメントは無くなればいいと思ってたのではあちゅうは死んで欲しいとは思いながらも#metooとか、セクハラを追求していく流れになればいいとは思っていた。
炎上が続いて、キレてる童貞はミソジニーだとか、おっぱいとかまーんとか言ってる連中は全部童貞に決まってるみたいなことを言う女性達にイラっとはしたものの、いつものことなのでこれといって思うことはなかった。
ただ、炎上も一通り終わってまとめ記事みたいなのが出始めた頃に、リベラルの人達がこんなツイートやブコメをしていた。
「セクハラへの勇気ある告発者をくだらない個人攻撃で潰す日本は終わってる」
「女性や労働者の権利の為に立ち上がる欧米男性と童貞のミソジニーに終始する日本男、どこで差が出るんだろう」
「童貞の人権運動ごっこで潰された日本の#metoo、恥ずかしくて世界に見せられない」
これらを見て、深く考えるでもなくふと「日本人でよかった」と思ってしまった。
海外ではこういうときに、セクハラ撲滅のために社会が一団となって戦ってくれるんだろう。その一方で童貞いじめには誰も触れず、日本以上に過激な内容になっていくんだろう。
女性や非童貞からしたら童貞が傷つこうが「そんなくだらないこと」なのかもしれないけど、自分にとっては辛いことだし、これ以上厳しくなれば耐えられないかもしれない。
この考えに至ってから今回の騒動でもはあちゅうや田端の言動を非難する記事や書き込みを見て心が救われていたことに気づいてしまった。
ポリティカルに正しくないのかもしれないけど、インターネットだけでも童貞いじめに声を挙げてくれる人がいる日本で本当によかったって考えは今でも変えられそうにない。
はあちゅうの昔の方のツイートでは正直傷付いてはいない。腹は立ったけどね。
田端とか昔のはあちゅうみたいな奴に馬鹿にされるのは、まあ正直慣れてしまった面もあるけれど、あの時ははあちゅうもセクハラ被害で心を傷つけられて、痛みが分かる側の人間になったのかなって勝手に思っちゃったから、「痛みが分かる側の人間がまだ攻撃してくんのかよ!」って思ったし、「痛みが分かる側の人間ですら俺らに全く共感は無いんだな」って絶望的になったよ。言い方悪いけど、例えるなら元いじめられっ子がめっちゃいじめてくる感じ。
「はあちゅうにそんなもんを求める時点でキチガイ」と言われれば、まあごもっともなんだけど、言い方が悪いけどセクハラの被害で彼女の考えが少しでも変わってくれていればって勝手に期待していた部分があった。結果はご覧の通り。そしてはあちゅうの擁護派が、はあちゅうと一緒になって敵意を向けてきたり、岸の回し者扱いをしてくるのは、正直辛かったよ。
失敗か成功かってのは何をゴールにするかで変わってくる。
でも、それはたぶん、彼女の思い描くであろうゴールから考えれば
童貞贔屓たちに愛想を尽かされたという失敗ではなく
田端さんのような人たちに突っ張ればよかったのにと笑われてしまったという失敗なのだと思う。
だからこそ彼女は田端さんにいいねを入れ、童貞へ煽りツイートをし、
彼らのような人達に認めてもらうというゴールを目指し邁進しているのだ。
告発者だから叩いてるわけではない、岸も悪いがはあちゅうの童貞への発言も悪いから是々非々で公平に批判してるだけだ、というが
今回の流れで現れたはあちゅうと同じかそれ以上に過激に童貞ヘイトを撒き散らす田端信太郎や広瀬隆雄は、はあちゅうほど強烈な砲火は受けていないのはなぜだろうか。
公平に見て等しく戦うというなら彼らこそ非難のリプが殺到しなくてはおかしいのに、それははあちゅうと比べ物にならない程度しかない。
たぶん彼らを叩いても揺るがせることが難しいのがわかっているからだろう。
はあちゅうは差別者で告発者という不安定な立場に立った、だからこそ叩いてふらふらとよろめくみっともない姿が間抜けで滑稽なのだ。
もし告発者ならなければ田端たちと同じく揺るがない差別者としてたいして責められることはなかっただろう。
はあちゅうに過去の発言の非を認めろとせまるならみんなも認めるべきだ。はあちゅうは告発者なんかにならなければ俺たちに叩かれなかったと。
ヨッピーちゃんは、まだはあちゅう・田端化に至る途中、なんじゃねーかな。そろそろ引き返せない感じはあるけど。
この所の仕事を見てると、この先もずっとお笑い系でやり続ける雰囲気でも無さそうだし、根が真面目そうだ。
はあちゅうや田端らは価値観や神経がアレ過ぎて仮に謝罪してもヘイポーになるけど
ヨッピー自身はネットから言われてることを理解出来ないわけじゃないし、不味い情勢に気付ける判断力もある。
ヨッピー自身はまだネットでの支持や人気をパワーソースにする軸足を残してる。
なんか学生時代の、オタクや陰キャグループからハイカーストグループへ移住を果たした元オタクみたいだよね今のヨッピー。
一応オタクや陰キャのグループの言ってることや感じてることがわかっちゃうから逆につらいみたいな、
まあもう後戻りは効かないししたくもないだろうから段々とはあちゅう・田端らに同化していくんだろうな。
発言もじわりじわりとあっちに似るようになってるし。
そう、具体的特定個人が傷つけられる重いものも、不特定多数を「イジる」軽いものも、双方含めて。
…っていう感じでセクハラ撲滅の機運が高まり、重いセクハラした岸も軽いセクハラしたはあちゅうも、どっちも社会的批判を受けるべきというものすごく良い機運が高まってるのに、
「いや、重いセクハラを告発してるはあちゅうを軽いセクハラで叩くのは、タイミングや話の焦点が違う」
とか言って、重いセクハラのみ糾弾派と軽いセクハラも糾弾派とに分断を図る馬鹿野郎どもって、なんなの?頭の中にオガクズでも詰まってんの?
代表的には、深津貴之とか田端信太朗とか、その辺のアホどものことなんだけどさ。
https://anond.hatelabo.jp/20171220005010
はあちゅう、あるいはヨッピーの問題点が何かというと、自分も責められるべきことを過去ないしは現在に行なっているのに、その件への咎めは回避しようとしながら、自分たちが咎めたい対象のみを咎めるべきだと宣う、その傲慢さなのだ。
もっとも、はあちゅうはとても言い訳がましい形(これはもちろん主観)だが、謝意を示した。
これからも過去を咎められたら謝意を示しつつ、一方で電通をセクハラで咎めるのは大いにやったらよろしい。
さて、機運がーとかタイミングがーとかではあちゅうを今叩くのはセンスがないと言う発言をする輩が田端某、深津貴某など複数湧いてきている。
機運やセンスを維持するために個々の言論を抑制するのは、ナチスドイツ的手法、あるいは全体主義的手法であると断じておかねばなるまい。
なんか良いこと言ったりやったりしていても、ダメなことはダメなのだ。
ダメなことについては、咎めを受けても仕方ない。
だが、だからこそ、被害者であることは加害者であることの免罪符にもならない。
それはそれ、これはこれなのだ。
突き詰めた思考実験で言うならば、核兵器をなくそうと舌鋒鋭く戦う論説家が裏ではシリアルキラーだったとして、それはやはり殺人罪に処すべきなのである。
無論、社会全体の利益を考えた際に小さな悪には目を瞑るべきだという主張もあるだろう。それはそれでひとつの論として成立していて、かつ経済合理的だ。
だが、その論に依って立つならば、直接に大きな肉体/経済被害に結びついていない程度のパワハラ・セクハラは社会として許容しましょうよという主張も立派に成立する。
ともあれ、今はあちゅう叩きを機運がーとかセンスがーとかいう理由で抑制する行為は、それがナチ的スタンスであるという理由で、良識に欠ける。
無関係な暇人は遠慮なく両方ぶっ叩けばいいし、被害意識を持っているものは自分の過誤は謝りつつ(無論、反省もしつつ)躊躇なく加害者を叩けばいい。
それでこそ、インターネッツ。
田端ははあちゅうを擁護するふりをして後ろから刺してるように見えつつやっぱり擁護してたんやな。田端のお陰ではあちゅうから田端叩きにコンバートした人も沢山居るだろう。
なるべく多くの人が気持ちよく生きていける社会になればいいなと思ってるけど
「そんなこと言わないでください」って頼まなきゃいけないんだなって痛感した
子供を残せない人は客観的に負け犬とか、これ、本当にこういう立場の人が
冗談でも言っていいの?
自分の周りでも色んな理由で子供を残さない選択をした人は結構いる。
そういう選択を自分で選んだのに、こんなことで傷つくとか勝手なものだけど…
なんか久しぶりにすっごく辛くなったわ