はてなキーワード: 儒教とは
youtubeで、日本会議での講演内容が流れてきている。それがまた基本的人権をないがしろにしたり、無駄な戦争をあおったりとひどい内容。
現に日本会議の委員がやっていた児童虐待とヘイトやってる幼稚園(モリカケのモリ)の話がある。
総理自身が立憲主義を全く理解してない。憲法が権力を律するのが絶対王政時代の話と全く逆の内容。
通じるのは「えらい俺様が完全に支配する社会であればうまくいく」という腐った儒教。
これが漫画の世界ならともかく、ナチスもユダヤ人への虐待について「あんな非常識なことしないだろう」と初期は言われてたり、初期は反対運動が起きていたことを考えると、
本当は、集団的自衛権も仲裁メインで戦争が収まらないところがあれば枠組みと制約があれば場合によってはとは思ったりもするが、まるでまともな改憲案や運用が見えないからもう憲法に触るなという気しかしない。
話ずれるけど日本人は自分が儒教を信じてることをもう少し客観的に見つめ直した方がいい
宗教がないとか寛容とか、真っ赤な嘘もいいところ
年上には無条件で敬語使わないと駄目とか思いっきり儒教の影響受けてるけど普通とか自然で済まされるのは立派な洗脳だよ
合理的に考えればまるで必要がないどころか余計な語彙と無駄な情報が増えるだけ
ここら辺を守らない外国人を、おもてでは「外人だからしゃーなしw」みたいに平気なふうにするけど、
実際は心の中で見下してるのがほとんどでしょ
決まった方向と時刻に拝むのを馬鹿にするくせに
目の色が攻撃色になってんぞ
誤解ないようにいっとくと宗教・儒教としてこれら非合理性を認めて自覚してる上での行動はいいんだよ
日本に平等・自由の考え方が根付かないのも、元はと言えば儒教のせいでしょ
たとえば、山の木を伐採しまくったとする。今でこそ科学的検証の積み重ねで、木の根の保水作業や、土壌保持能力が失ったと言われてるが、昔はそんなのわからない。
だから「山の神」というのを仮定して「それの意にそぐわないことをしたから怒った。木を大切にしないとならない。」という流れ。
対人関係も悪行ばかりしたことも、細かく分ければ、それぞれの個人が怒ったり、噂が流れて助けられるものが助けられなかったりで、
その結果、なにか不幸なことが起きたとして、「天罰」すなわち、神が罰を下した。と抽象的に取り扱うがゆえの存在。
ニュートンは近代科学の祖と言われるが、神学者でもあり「神が作ったこの世の理を明らかにする」という動機付けで行われている。
そして、科学的検証が行われて行って、科学的検証が馴染むようなものは科学の手に委ねてきた。しかし、要因が多く絡む要素。再現が苦手な要素については科学は苦手とする。
科学で立証しづらく立証されてないものはどうなるか?とすると、たとえば、根拠に基づく医療のエビデンスレベルで、
2a ランダム割付を伴わない同時コントロールを伴うコホート研究(前向き研究、prospective study, concurrent cohort studyなど
2b ランダム割付を伴わない過去のコントロールを伴うコホート研究(historical cohort study, retrospective cohort studyなど)
その道に詳しい人というのは昔の聖人と呼ばれる人。
西洋、イスラム圏だとみんなアブラハムの宗教で、その聖人たち。
特に幸福論とか、どういう生き方がよいかなんてのは科学に馴染まんから、まだ宗教の担当なだけ。
と言っても、儒教、仏教の開祖こと、孔子やブッダは「怪物乱心を語らず(孔子)」「毒矢の例え(ブッダ)」で挙げられるようにこの世に在らざるものに非常にドライ。
ただ、儒教や仏教がもともと「わからんものを取り扱うための手法」「先祖礼拝」の道教、ジャイナ教や神道と混ざって、この世に在らざるものを取り扱うようになった。
まあ、日本においてはGHQで道徳関連がみんな教育から消え去ったのもあったのが一回りしての新興宗教ブームだとは思うね。
本来あんな新興宗教に頼らなくても、良い生き方はそれ以前の書籍には数多く取り扱われてる。
と言ってもどうせ孔子もブッタもこの世にはいないんだ。今その教えを伝えてるという人も書籍によらざるをえないから、宗教団体に属する必要性はないね。