はてなキーワード: 理系とは
ASDと理系女子が別物として扱われてるけど、女子にASDがいないというのは、とんだ偏見だよ…
進学先が物理学科とか数学科とか理系としての"純度"が高くなるほどASDみたいな人が増えていって、定型っぽいけどそういうとこ進んだ人は精神病んだりしてたし
でも当のジェンダー論の先生たちは、自分たちの分野のことを恥じてるよ。
こんな役にも立たない、高収入にも自立にもつながらないような、文学部や社会学部の専攻にばかり女の子が増えても仕方ないって。
よく理系学者がTwitterで社会学者に絡んできて、ジェンダー論の主張をボロカスに罵ってくることもあるけど、それでも理系の学問の価値が高いとは感じるって言ってる。
芝浦工大ような特別枠を作ってでも、理学部や工学部に女の子が増えた方が、自分たちのところに入ってくるより本当に嬉しいんだよ。
新幹線で硫酸漏れがあったとき、理系の人達が口を揃えて「硫酸を怖いと思う人が多そうだけどあれはまだマシで安全なほう」とポストしててそういやそうだなと思った。
今回、新幹線の開いたドアから漏れている煙にかけつけた係員が(おそらく匂いで)ウッて後ずさってる映像があったけど、もっと危険な薬品だったらその時点で一発で亡くなってるよね。
三つあります。一つ目は理工系を卒業した後の就職先や仕事内容のイメージが男性的であること。
二つ目は能力差別の問題です。日本の社会には、女性は数学ができないという間違った認識、いわゆる「数学ステレオタイプ」が強く存在しています。しかし、経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査「PISA」によると、日本の15歳の数学の成績は男女ともにトップレベルです。数学の成績は性別によって決まる能力ではなく個人差であると考えられています。
三つ目は、数学ステレオタイプの背景にある社会的なジェンダー差別意識です。多くの人は、理系の勉強ができる人は頭がいい人、と受け止めているようです。一方で日本の社会には、優秀で論理的に議論する人は女性らしくないという古い社会風土があるようです。私たちの研究ではこうした効果が数学の男性イメージに結びついていることを明らかにしました。
私たちは進路を自由に選んだと思いがちですが、実はこうした社会風土によって、選べる選択肢が知らず知らずのうちに狭まっている面があるのです。理工系分野で学ぶ女性を増やすには、社会風土そのものを変える必要があります。
鳥トマト先生の「歴史メンタリスト」が今週マジでキツくってぇ……ドン引きでぇ……
https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755278396123
コイツら何もやってない。
こんなことやっても無駄。
こういうのもういわ……。
昔は自分もこういうの好きだったよ。自民党とか民主党とか群馬とか韓国とかドンドン馬鹿にして楽しんでた。テコンダー朴や翔んで埼玉を読んでゲラゲラしてた。
馬鹿にするのって簡単なんだよね。簡単だからドンドン楽な方向に進んでしまう。すると物事の考えが浅くなってドンドン面白くなくなる。ネットの冷笑界隈全部が今そこに向かって流れ落ちてるように思う。
アレコレ理屈をつけて陰謀論をかますゲームとしての側面が消えていった。単に「Z世代ってウザいよな」「わかる」「ガキが舐めんな」みたいな「俺の気に食わないもの=バカ」みたいな自分たちに都合がいいだけで中身が空っぽの図式を盲信するようになってきてる感じ。自分がいる職場や町内会にも何人かこういう「俺が気に食わない=バカ」の方程式で語るおじさんおばさんがいるんだけど、本当に頭が悪くて相手してて疲れるんだよ。自分に都合がいい論理展開することに慣れきってしまうと頭の使い方がここまで駄目になるのかとゲッソリするような頭の悪さ。
「僕ピーマン嫌いだから地球からピーマンがなくなればいい」の感覚を振り回して良いのって子供だけだと思うんだよ。大きくなったら「ピーマンが好きな人もいるらしいね。僕は嫌いだけど。じゃあ全人類にとっての敵ってわけじゃないんだ。僕にとっては敵のままだけど」に変わっていくはずじゃないですか。そこに一度たどり着いたのか、たどり着いたのに戻ってきちゃったのか、「僕が嫌い=滅ぼすべき人類の敵」って価値観振り回しちゃってる大人って見てられないでしょ?
なんでもかんでも雑に馬鹿にする昨今の低レベルな冷笑文化はそれと同じになってきてるなと。確かに冷笑って根本的にスナック感覚の言葉遊びでしかないんだけど、それにしたってスナックとしての最低限の工夫や組み立てみたいのはあったわけで、今の「砂糖の瓶に指突っ込んで直に舐めると甘くて美味しい」みたいなアリや幼稚園児のレベルでのスナック感覚じゃなかったと思うんですよ。
本当もう無理。
自分はもう冷笑はいいかな。最近の冷笑はもう面白くない。ステレオタイプなイメージで雑に馬鹿にするだけとかガキの遊びにさえならないでしょ。
単に自分が飽きただけで、冷笑って最初からこうだったのかも知れない。でも昔はもっとこう複雑なパズルとしての楽しさがあった気がしたんだけどなあ。そういうのはガチの陰謀論界隈に全部吸い上げられて、陰謀論ゲームに参加する知能さえない人たちだけが純粋な冷笑の世界に残っちゃったのかな。
でもこういうのってどのジャンルでも起こりうるんだよな。あるジャンルの遊びの中でより工夫できるものはもっと複雑なことが出来る場所に行き、そうじゃない人は昔ながらの遊びに取り残されるみたいなの。トランプでいつまでもババ抜きしてる層と大富豪やセブンブリッジへと移行していく層の違いみたいな。
冷笑は根本的な構造が簡単だからそっち(皆とっくに大富豪やドミニオンとかやってるのに、いつまでもババ抜きで遊んでる人たち)の方になっちゃったのかなー。
仕事仲間は国立理系のエリートも多いけど中には同じように人生を呪ってばっかの人もいるから、
気の持ちようなんじゃないかと思う
俺はその「国立理系のエリート」に該当すると思うけど、無根拠に人生ポジティブになれない理由は結局のところ小中学校あたりでゴリゴリにいじめられた経験が効いてるんじゃないかと思う。超早生まれで遺伝的にも小柄で小学校卒業時点で身長130cmくらいしかなかった上にASDくさい特性(これも遺伝だと思う)だったのでそれはもういじめられまくった。
両親は全然頭よくなかったし家庭教育もゼロだったけど途中でなぜか勉強に目覚めてそれだけでここまで来た感じ。当時俺をいじめてた連中は田舎のマイルドヤンキーになってるので、今の自分は小中学校のほぼ全員より良い暮らししてるだろうとは思うけど、それはそれって感じで基本的に社会には馴染めないし意味わからんなって思ってる。
自分は片親だし高学歴じゃないけど、仕事もプライベートも普通に人生楽しいから
好きな嫁さんと結婚して子供も同じ様に楽しく生きて欲しいから育ててるだけだなあ。
乳幼児が半分も育たないような中世ヨーロッパや平安時代と比べりゃ現代日本なんてベリーイージーモードに感じる。
仕事仲間は国立理系のエリートも多いけど中には同じように人生を呪ってばっかの人もいるから、
気の持ちようなんじゃないかと思う