名前を隠して楽しく日記。
クローリング、転載サイト対策として生成AIの量産性を活用する。要するに接収されるデータのすぐそばにソレをかき消す量の生成画像を置いておくことで妨害効果が発揮出来ないか?という話
SNSだと難しいけどPixivの形式なら隙間に100枚200枚まとめてドカっと自分の絵柄から遠い画像集置いてもそんなに邪魔になりませんよね?
danboruみたいに著者検索機能があるとこで自分の項目をジャンク情報で埋めれたら多少の魔除けになりません?何だったら表示順が最悪になるように工夫して自分の手で転載してもいい。
AIにAIの画像食わすと腹下すって聞いたことあるけどそれって今の世代の生成AIでも有効なんですかね?
学習に使われる転載・引用のサイトを生成AIの圧倒的手の速さを利用してゴミ山にしませんか?
さっきひっさびさにログインしたら最後の投稿が2009年とかだった。
やめろよ経つなや時間
次のログインは20年後とかに「たまにゃ見てみるか」って思って見るんだろうな
それか死んでるか。
そう考えると死んだ後、粒子になるまで粉々になってまた同じ姿に戻るまで何万不可思議年経とうと一瞬だろうから
案外一瞬で生き返るとか、死んで無いことになったりしないかな?
俺は教員だけど、この軽いノリでの「寄付金増やしたら?」は本当に草
他所の経営が怪しい中小企業社長とかにも同じこと言ってあげてくださいね?多分顔面グーパンされるから
一応教えてあげると寄付金のハードルってめちゃくちゃ高くて、研究費をもらうのとはわけがちがうんよ
「寄付」だよ?君は寄付されてる事業ってどれくらい見たことある?クラウドファンディングでさえ報告やら見返りがあるんだぞ?
俺は10年近く何社かと共同研究して、最近ようやく少額の寄付金ももらえるようになってきたけど、額としては数十万もらえたら御の字だしそもそも相手企業の気分一つで匙加減の決まる持続性のない金で運営を賄えるわけないじゃん
そんなのするくらいなら、学費をあげて研究成果は秘匿して、企業とかに使用料を全額要求していくほうが手っ取り早いし金銭的には安定するんだよな
庶民が政治をできないようにしてるのは庶民目線で政治とかされたらこまるからだよ
庶民はサボるしちょろまかすしゴミはそのへんにすてるしちょっと違反してもいいコトなら許されるっておもってるだろ
キレイごとでまずルールをつくって違反したら罰を設けて事情によっては酌量するってことなんざ考えられないだろ
人間どっちもできるやつなんていないからバカみたいにきれいごとだけで生きていけてる人間つくってそいつにルールつくらせねえとできねえんだわ
自分の小遣いがほしくてバイトやってる人間が上司の正社員の家族の親の親の年金の話とかそのために税金とられるとか考えたらキレるだけだろ
そういうの考える人間じゃないとできないってだけのこと
ミルク入れても香りが負けないし、レモンスライス浮かべたらオシャレ度MAX。
冷やしてアイスティーにしても最高だし、紅茶初心者はまずここからいっとけ!
ザ・英国紅茶って感じのブランド。1707年創業という歴史のある会社。
なかでも「ロイヤルブレンド」は、アッサムとセイロンのいいとこ取りしたコク深いやつ。
缶がオシャレすぎて、飲み終わっても捨てられない。
これで朝の一杯とか飲んだら、ちょっと上流階級の気分味わえるぞ。
セイロンとアッサムのバランスが神レベルで、ストレートでもミルク入れてもどっちもウマい。
紅茶って渋すぎるイメージある人でも、これは飲みやすくてハマるはず。
香りがもうエレガントすぎて、「自分の生活こんなにおしゃれでいいの?」ってなるレベル。
バニラっぽい甘い香りがスイーツとの相性バッチリで、紅茶という名の贅沢体験を味わえる。
夜でも飲める軽めの感じがうれしいし、桃好きには問答無用でオススメ。
駄菓子っぽいって言われるけど、それが逆にクセになる系の紅茶。
ほんのりバラの香りも混じってて、飲むだけでちょっとテンション上がるやつ。
そりゃお偉いさんが贅沢するためやろ
私は車で10分ほど走らなければコンビニもスーパーもないようなど田舎で生まれ育った。
以前は近所に数軒家もあったが、住んでいたご老人たちも皆亡くなり今はすっかり寂しくなった。
「何もないのがいいところ」と田舎を褒めたりする人もいるが、ずっと暮らしていると普通にしんどい。あれは嘘松。
お店はおろか人も歩いていない。増えるのはソーラーパネルと空き家ばかり。
そんな田舎に嫌気がさして20代後半で上京し、30代前半になった今でも何だかんだ楽しくやっている。
半年に一度くらいは帰省しているのだが、その度に親が小さく見えるのは気のせいだろうか。まるでカントリーマアム。
60代だしまだパートとして働いていて病気もなく元気ではあるが、どこか弱々しく見える時がある。
駅まで迎えにきてくれた親の車に乗りながら、いつか訪れるであろう免許返納のことをいつも見て見ぬふりをしてしまう。
電車もなくバスもとうの昔に廃線になったこの山奥のど田舎で、車が無くなってしまっては生きていけない。買い物にも病院にも行けない。
ワケあってもう1人の兄弟には頼れない。私がどうにかするしかないのだ。
でもこんなど田舎には戻りたくない。
地元の小学校はいつ閉校してもおかしくないくらい子供が減ったらしい。
私が通っていた頃はあんなに賑わっていた運動会も今はきっと規模が縮小されたものになっているに違いない。
子供会もどうなっているんだろう。カルタ大会はまだあるのかな。
楽しい思い出もたくさんあるし家族のことも大好きだ。感謝している。
生まれ育った県がたまにテレビで取り上げられたりネット記事で見かけるとやっぱり嬉しさはある。
幸いなことにパソコンさえあればどこでも出来る仕事だが、それでも「犠牲になりたくない」と思ってしまう自分が嫌だ。
自分でお金を貯めて転職先を見つけて移り住んだ都会での生活に不満はない(家賃は高いけど)
休みの日には近所を散歩したり友達と遊んだり楽しく過ごしている。まだまだいろんなお店を開拓できる。
あのど田舎ではそれができない。山の裾なので基本的に上りだし平らな道も少ない。歩いたら人ではなく熊や猪に会う。
似た状況の人はどうしているのか、将来的にどうする予定なのか知りたい。
こういう時こそ「老老介護」「ミニマリスト」「推し活」みたいなわかりやすい名称が欲しい。何かコミュニティが欲しい。
地元で結婚して近所に家を建てて孫を見せるのがやはり「正解」に近かったのだろうか。
そんなことをここに書く暇があるなら親孝行の一つでもしろよとか思いつつ、
今日も中央線に揺られてはすっかり過疎化してしまった地元から目を背けている。
賑やかな商店街の灯りが愛おしい。人もたくさんいる。
もうめんどくさいし、帰りは近所のほっともっとに寄ろう。
ぼくのおちんちんも削られそうです