どこ?北海道なら話聞きたい
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
セルロースは( )と形が違う。
知識がいらないというのは、
AというBはCがつながってできたDを分解するが、同じCからできていても、形が違うEは分解できない。
Eは( )と形が違う。
でも解けるという意味ですか?
まだいけるな。
AというBはCがFしてできたDをGすることがKだが、IなCからFしていても、HがJなEはGすることはL。
Eは( )とHがJ。
もういいや。
無知なジャップが語源も知らないでバーガー言ってるのかと思ったら
この前ロスに行ったらあっちでもバーガーって言ってるじゃん
ロスの人達は自分達の住んでるところがそんな変な略し方されたら腹立たないの?
って聞いたらきょとんとしてたよ。
嫌い程度の意味で使うと注意が来るが
鬱は悲しいとか気分が落ち込む程度の意味で使われまくって注意もされないの不思議だ
鬱患者はそういうのに注意していく元気が無いのだろうか
今こんなことを記名で書いたら、発狂した獣斧鎌ズに殺されそうなので、ここに書くけど、
https://mobile.twitter.com/irodori7/status/912270635610472448
この人が、どんなに凄いクリエイターだとしても、こんな発言ができる人と一緒に仕事できる気がしない。
アニメ版けものフレンズは凄いおもしろかったし、これをほとんど一人で作ってしまったこの人は、本当に神クリエイターだと思った。
でも、けものフレンズ自体は、動物園コラボや児童向け展開に成功した。これまでのゲーム漫画深夜アニメ、っていう狭いターゲティングから、大きく方針転換して飛躍できる可能性が生まれた。
もちろん、これはたつき監督の功績な訳だけど、だからといって、この余りにも不用意な発言でコンテンツ全体を潰す権利がこの人にあるんだろうか。
TLでこの発言見た瞬間、寒気のような感覚に襲われた。直感でこのたった数十文字の文章がもつ影響力を察して怖くなった。
麻原彰晃が目の前でポアを指示したような、そんな感じ。いや、よく知らんけど。
この段においても、まだ、自分の立ち位置が解ってないんなら、余りに朴訥過ぎる。
馬鹿の書いた文なので読みづらさと論考の浅さはご勘弁。
なんとか読み取って言わんとすることを拾って書き直してくれる人が現れることを祈って・・・。
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すなわち、署名活動のメッセージを受け取る相手が、参政権と関わりのない企業等であること。
署名を受け取るまでもなく消費者の意見がまとまり、企業等に伝わっていることがある。
後者は、法的に意味を持っていない場合に署名活動が持つ効果、「消費者の意見をまとめ伝える」ことが既にされている状況を示す。
特に後者は、SNS時代の現代において起こるようになり、また起こりやすい状況である。
分かり易い例で言えば、SMAPの存続、解散撤回を求める署名運動やけものフレンズ、たつき監督の存続署名運動がある。
どちらの例も、署名がどれだけ集まろうと法的強制力はない。その意味に限れば、署名活動は無意味である。
しかし、実際、SMAPしかり、けもフレしかり、無意味であるのに署名活動がされている。
何故だろうか。
ではその意味とはなんだろうか。
前述の通り、署名活動が無意味であると全員が認識していれば、そもそも署名が集まることはない。
つまり、署名活動の参加者は、単に無意味な活動だとは思っていないのである。
そしてもう1つが、「システムとして無意味だと分かっていてもやる」という儀礼的、感情的な活動参加の可能性である。
後者の儀礼的、感情的参加の可能性は、法的に意味がある場合の、本来の署名活動に倣ったパフォーマンスのようなものだろう。
「無意味だと思っていてもやる」 この儀礼的感情的参加による何かしらの影響が、署名活動の意味となっている可能性がある。
ここで、一旦「何かしらの影響」の検討は棚上げし、
冒頭で無意味と説明した状況かつ、消費者が署名活動に意味があると考えて参加している前提で、
はじめに個人によるネット主導や、ファンクラブのような集団主導で署名活動が動き出す。
すると、署名活動中にはネットニュースになったりテレビに取り上げられたりされ、活動はヨリ認知される。
この様子は、ときにテレビや雑誌などのマスメディアで流されることもある。
なるほど、署名活動によって、『世間に意味があると思われている「署名活動」』の情報が広がっているのだ。
企業の単なる動静でもなく、消費者群の大きな潮流でもなく、「署名活動」の情報が伝播しているのだ。
これにより、「署名活動」がされたぞ、○○万人も署名したんだぞ、企業はどう動くんだ?という見方がされる。
「署名活動」がされたという見方、法的強制力のある場合に倣った見方がされている。
そう、参加するほうも儀礼的なら、世間の見方も同様に儀礼的見方がされるのだ。
すなわちこれは、法的強制力とは直接関係のない、社会による風潮であり、勝手なルールなのである。
””署名に意味がある→署名が集まる→世間やマスコミが注目する→企業が注目され、圧がかかる→有意義”” なのだ
加えて言えば、署名による圧により企業が動けば、署名に意味があるという最初の要素に立ち返り、署名活動は自己循環する。
「署名に意味がある」という定義だけが世間に残り、自己循環の度に、署名と意味の関係は強くなる。
ただ厄介なことは、「署名に意味がある」という定義は、参政権に基づいた署名も、企業への署名も、同じ定義を共有して考えられてしまっていることだ。
これが、法律と社会の風潮との誤差になっており、度々、「署名は無意味だ」と言われる原因ともなっている。
この流れは、血液型性格診断と似ている。
血液型性格診断は、科学的に全く根拠がないとされている。しかし、実際はA型が几帳面であるとかO型はガサツであるとか、よく耳にする言葉である。
幾度となく科学的に否定されようと、その声が絶えることはない。
それはおそらく、実際に血液型と性格が一致していることが多いからなのであろう。
なぜ一致してしまうのだろうか。
科学的理由ではないところに、根拠を求めるとすれば、個人の心理や社会にあるだろう。
全く勝手な推測だが、例えば「A型は几帳面だ」と周囲の人間が思っており、
そのように言っていれば、言われた方は暗示が働き、几帳面として振舞うように個人の性格が方向付けられてしまうのではないだろうか。
全ての人間が周囲からの情報で性格が決定づけられるとは当然考え難いが、それでも多少の影響はあるだろう。
人間の生物的根拠とは無関係に、社会的、心理的作用として、血液型と性格が因果関係を持つこともあるのである。
だからこそ、血液型性格診断そのものの科学的根拠はないという、ただその一点で血液型性格診断を否定するのは浅はかではないか。
そして、本文の主題に立ち返り、換言すれば、
署名活動そのものの強制力だけで無意味と切り捨てるのは浅はかであるということ。
「意味がある」という前提が意味のないことを意味あるものにしてしまうパワーがあるということが言えるだろう。
簡単に言ってしまうのはもったいない。社会の不思議なパワーを、今こそ使いこなすべきではないか。
PS.
つらつらと、署名活動を応援するようなコメントを書いてきたけれど、どちらかと言えば私は活動否定派です。
単にこうしろああしろ等と、感情と風潮に訴えるだけの署名には効果を感じません。
というのも、なんというか現代の合理主義的社会関係に見合ってないからです。
かと言って、不買運動を起こすなんてのは、ホトトギスを殺してしまうようでスマートじゃない。
だから、その間を取って、「ユーザーの意見聞かないと、これこれ買うの辞めますよ」って署名を集めるのはどうでしょう。
近所で見かけないガリッガリの猫が駆け寄ってきたから保護して、ご飯、清拭、医者、ワクチン、去勢手術とひと月くらいお世話してきた。一歳過ぎくらい。
でもうちはすでに先住が複数いて、保護した子はその猫たちと折り合いが悪く、全然仲良くならない。別室に隔離してる。ストレス感じるらしくてニャーニャー鳴き続ける。でも出すと先住を追っ掛けて後ろから飛びかかって噛みついたりするから、やっぱり出せない。
いろんな里親サイトやSNSで募集かけてきたけど、詐欺みたいのとかナンパメッセージとかは来ても、普通の里親希望者からなんの問い合わせもない。
別に厳しい条件はつけてないと思う。
家族が皆受け入れに賛成で、アレルギーは持ってなくて、ペット可住宅であれば。むしろここ削ったらまずいよね??
引き渡し後にアポ無し訪問とか、経済事情を知るために書類提出させるとかもまったくするつもりない。独身だからダメとか、男性だからダメとか、ちょっと高齢だからダメとかいうつもりもない。
かわいい子なんだよ。人には懐こくて甘えん坊で。横になると寄りかかって一緒に寝てくれるんだよ。