基本的には好みの設定だし、なかなか好きなストーリーで満足できた。
↓以下ネタバレ含む
船長権限で蘇生装置のメニューの中に、代謝を止める「再冬眠」のメニューがあることをジムが発見する。
でもポットは一つだけ、たぶんだけどポットから冬眠装置に運ぶ人でもいるのかな?冬眠できるのは一人だけらしい。
オーロラに使うように促すジム、でもオーロラはジムと二人、移動し続ける宇宙船の中人生を送ることを選ぶ。
88年後人々が目覚めた時、ジムの植えた木や庭をみて二人の生きた証を知る…というラストシーン
……でも起こすこともできる。再冬眠もできるのなら、
誰かを起こして、代わりに眠るのを繰り返せばいいのでは…
↓
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ジムが誰か一人を起こす
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↓
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起こした一人が別の誰かを起こす
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起こした一人が眠る、別の誰か運ぶ
88人でローテーションを組めば、一人1年の負担ですむし、
1056人なら一人1ヶ月の負担で済む……
…いや、SF映画に突っ込むのはすごい無粋なことだと思ってるし、
他の箇所も突っ込んでたらキリがないんだろうけど、
かれこれ三年くらい体重が減り続けている。
ピーク時90kg位だったが、自炊にして肉より野菜中心にしたらいつの間にか65切るくらいまで落ちてしまった。
なにより昔より食欲があるし実際にたべてるのだが、太る気配がないのが怖い。
体質が変わってしまったのだろうか
【追記】
0120966058 0120-96-6058 0120-9660-58
https://www.telnavi.jp/phone/0120966058
http://meiwakucheck.com/search?tel_no=0120966058
二次元のかっこいいオッサンは、三次元のオッサンとは全く別の生き物である
二次元の美少女が三次元のブスとは全く別であるのと、同じことだ
そっちではホッチキスでは付けられてなかった。
ドライマークとか書いてあるところに付けてるから外見からはわかんないんだけど、
よく見たらホッチキス針で穴だらけになっていた。
これってクリーニング屋としてどうなの?
零細企業の社長なんだけどね。大阪で商売していてるはずだけど、何言ってるか分かんないんだよね。理解できないっつうか。口下手な人なんだよな。僕も、人のことは言えないが。
仕事関係の人達が偶然に会った時、お茶を飲む機会が結構あって。
その時に「おごりなら行く」って必ず言う男がいる。年齢は40後半、独身。
皆で共通の話題をしてる最中に自分の趣味について語り出す。かなり無駄なお金を使っている様子。
「お金持ってるねー」って周りは冷めた笑いを浮かべてても本人はご満悦。
そして、会計時には「僕、お金ないから」「経費で落としといて」ってヘラヘラしながら店を出る。
自分のためにはお金を払う。自分のために他人がお金を払うのは平気。
てか経費を使う権限も持ってないんですよね。
可能性1:人違い。
おじさんは、あなたのことを誰か他の知ってるひとと勘違いしている。
可能性2:忘れてる。
実は知っている人(例えば子どもの頃の近所の人)なのだけど、あなたが忘れている。
1回、あなたが誰かと間違えて挨拶して、それで先方も「この人は知っている人なんだ」と思い込んでいる。
可能性4:幻。
実はおじさんは存在しない。
織田信長が、人生わずか50年って言う時代から、今じゃ80代まで生きる時代だよね。。
35才限界説はないかもしれないが38才-42才限界説はあるかも。
体力任せでなくて、色々な意味で経験を踏まえて仕事をすることが、大切で。
体力は衰えるけど、頭脳はそんなに衰えない印象。目は夕方、かすんできちゃうかも。
まー昔は厄年ってあった訳だし。
世の人々が、文化・民族を問わずに広範囲で考えることだと思いますが、ふと考えてみると、
この発想そのものが、あの世とか、輪廻とか、そういったものに関わる宗教的な発想ではないか。
もしそういったことを意識しないのであれば、生まれには運もへったくれもないはずだ。
ここで落ちたら死ぬなとか、ここでこういうことが起こったら確実にやばいなとか、そういうことははっきりと意識していた。
当然、可能な回避策は、可能な限り講じた。それでも、「ここで手を離したら死ぬ」とか、「落石が命中したらアウト」みたいなことは防げはしない。
そして、進んで危ない橋も渡った。雪崩に埋まったことも、同行者を滑落させたこともある。ひどい危険登山者だった。
あの高揚感はなんだったのだろうか?
他人にも勧めない。
それを単に年齢のせいと言われても、それは否定はしない。
山は危険だ。近づくな。
自分のブログに書くとなんだか炎上しそうなのでここに書くことにする。
けもフレ人気が各地で大爆発を起こしているが、さすがに褒められすぎ、評価されすぎ、持てはやされすぎである。
この作品はどう評価しても100点満点中あげられるのはせいぜい30~50点くらいである。
アニオタ界隈のけもフレを評価する声として「安心してみていられる」「脚本がよくまとまってる」「やさしいキャラが魅力」などという言葉が交わされているが、これらは全て嘘っぱちのように聞こえてならない。
こんな薄い言葉で表現される毒にも薬にもならない作品は、「よくできましたね」くらいの評価を得ることはありえるが、猛烈に人を惹き付けて心を揺さぶる名作にはなりえない。
本当に人の心をガッツリと射貫く作品というのは、たとえガタガタでブサイクな出来だとしても、何か一つくらい魂に響く「核」のようなものがあるはずだ。
「けもフレ」に心を揺さぶられた人間などきっとほとんどいない。そう言っている人間がいたとしたら、熱狂的な空気につられて思い込んでいるだけなのだ。
その証拠にきっと「けもフレ」はすぐ忘れ去られる。あと一か月もしたら、おそらくこの作品には誰一人言及しなくなるだろう。
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「けもフレ」人気のインフレーションの理由は、基本的にネット空間における「極性化現象」であるといえる。
アニオタ・コミュニティという空間の中では、アニメ評価を巡ってぐるぐると再帰的な「言語ゲーム」を続けていく内に、しだいに表現に尾ひれがついて妄想が膨らんでいく傾向がある。
その中では、凡百のストーリーが「絶巧の脚本」になり、平坦な芝居が「神演技」になり、チープな謎が「深遠な哲学」になる。
このような現象は、ネット炎上などでよく観測されるメカニズムである。
ちょっといたずらをしただけの大学生や、何気ない発言をしただけの女性が、集団極性化した暴徒によって糾弾されまくる構図は、ネット上で毎日のように見られる風景である。
ネット上の言語ゲームというのは、往々にしてこのような「過剰」に至るのだ。
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基本的にアニオタというのは、他者を媒介しないと何も考えられない、何も感じられない存在である。
どんなアニメが面白いのか、どんなアニメを自分が好きなのか、そのアニメが自分にとってどういう価値を持つのか、一人では判断がおぼつかず何かを基点としないとリアリティを感じられない。
人間とは多かれ少なかれこういう側面を持つ動物だが、アニオタはこの性質がむき出しの形で露わになった存在である。
アニオタは、基本的に自分が欲望することを欲望している。アニメを楽しみたいというよりは、アニメを楽しんでいる自分を楽しみたいのである。
なのでアニオタにとって重要なのは、作品そのものではなくてその作品を取り巻く「人々」や「言葉」や「その評価」、いわば「アニメ・コミュニティ」という場そのものである。
この「場」に埋め込まれることによって、アニオタは初めて作品に対して欲望を抱くことが可能になるのだ。
このことは、アニオタを語る上で押さえておきたい重要なポイントである。
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アニオタたちが「けもフレ」を担ぎ上げる理由、「けもフレ運動」の意図を強引に深読みしようとすれば、次のようにも解釈できる。
そこで上位を占めているものは、メディアがSNSを通じてステマ的に人気を煽り、ブーストを仕掛けた「張りぼて」の作品ばかりと言っていい。
アニオタたちはこのランキング市場にどっぷりと身を浸し、どっぷりと依存しつつもキレている。
メディアに対してももちろんキレているが、それにまんまと乗せられている自分自身にもキレている。
その鬱々と溜め込んだ感情が、今回突発的に「けもフレ」を通じて連結した。
「けもフレ」という作品は、徹底的に薄味で、徹底的に無難で、徹底的に空っぽであり、「本当に売れたいのか?」と問いかけたくなるような、いかにも「ステマーケティング」と縁のなさそうな装いをしている。
「神輿は軽いほど良い」という言葉があるが、「けもフレ」こそはアンチ・ステマ運動のアイコンに相応しい空虚な作品であった。
アニオタたちは「けもフレ」を神輿として担ぎ上げて、自分たちを操縦しようとするランキング市場のかく乱を目指すための意味不明な舞踏を開始した。
これは江戸時代に流行したとされる「ええじゃないか運動」を彷彿とさせるものである。
アニオタたちの目論みは、自分たちに向けられた圧力を全く同じ方法で相手にオウム返しにすること、「張りぼて」に対して「別の張りぼて」を擁立して推し上げることであり、これは俗にいうミラーリング作戦というものである。
この作戦は幸か不幸か一定の成果を上げていて、アニメ関係者や一部のマーケッターたちは、なぜ「けもフレ」がこれほどまでにウケているのかを理解できずに、困惑の表情を見せているという。
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アニオタたちがもし上記の行動を「自覚的」にやっているのだとしたら、それはいかにもオタクらしく捻くれていて、しかし少々のユーモアも感じさせる、気の利いたいたずらのようにも思える。
しかしもし無自覚的・無意識的にそれをやっているのだとしたら、それは鬱々とした大衆の暗い感情が病理的に発露してしまったかのような、なんだかこれから先が心配になってしまう「症状」だともいえる。