エロゲー批評空間(https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/)には“なりそこね”というタグがある。名作になりそこねたという意味だが、それに倣うなら神回になりそこねた4話だった、ということになろうか。
映像や演出は本当に素晴らしかった。みぞれの頬に落ちる優子の涙、みぞれを暗がりから光の射す場所へとすくい上げる優子、希美の「きゅーん、としてさあ」に撃ち抜かれるみぞれなど判りやすい箇所は言うに及ばず、心情を映し出す表情や、そんな顔をあえて映さず手元の動きで表現するカットなど、画面からにじみ出る感情の豊穣さに圧倒されっぱなしの30分だった。
が、それでもなお神回には届かなかったという結論は変わらず、そしてそれは原作に横溢していた残酷さが意図的にオミットされていたからに他ならない。
一期からアニメを見てきた視聴者には明白だが『ユーフォ』は残酷さを多分に含んだ物語だ。努力してきたのにパート演奏を外れるよう指示された久美子に、後から入ってきた一年に最後のコンクールのソロパートを奪われる香織。特に香織は、かつての“楽しい思い出づくり”という部の方針によって実力上位にも関わらず上級生へとAメンバーを譲ってきた過去があり、最後のコンクールには期するところがあった。しかし新顧問の滝と決めた“全国大会出場”という目標に従って新入生の高坂麗奈がソロパートを吹くこととなった。
どんなに努力をしても席には限りがある。それに自分が座れるとは限らない。『ユーフォ』はそういう物語だ。
そして原作2巻、アニメ『ユーフォ2』では「コンクールってなんだろう」ということを通してソレを照射する。
2巻のメインキャストのひとりである鎧塚みぞれはコンクールに否定的な考えを持っていた。
「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」
「でも、そういうのなんとなくしかたないかな、って……思っちゃってます」
「しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」
「すみません……」
「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」
はたまた吉川優子は「納得いかないことが多いのは確かなんじゃない。でも、結果がよかったら納得できる。今のあたしたちみたいにね」と前置きして言う。
「みんな夏休みを潰して練習してる。けどコンクールは優劣をつける。(中略)努力が足りなかった、劣ってたってことにされちゃう。超理不尽でしょ。(中略)ただ、去年みたいにみんなでのんびり楽しく演奏しましょう、っていう空気がいいかというとそんなことはなかった」
そして高坂麗奈はこう言う。
「よく音楽は金銀銅とかそんな簡単に評価できないって言うひとがいるけど、あれを言ってもいいのは勝者だけだと思う。下手なひとが言っても負け惜しみでしかないと思うし。だからけっきょく上手くなるしかないと思ってる。それに、たくさんのひとに聴いてもらえる機会ってそんなにないから。……わたしは好き」
三者三様ではあるが、ここで浮き彫りになるのはコンクールは演者の積み上げてきた努力や感情に対し残酷に優劣をつける場ということだ。それに傷つく者もいれば、上手くなるしかないと思う者もいる。どちらが正しいとかではなく向き合い方の違いだが、いずれにせよ久美子たちが立ち向かっているコンクールはそういう残酷さを孕んでいる。
『ユーフォ』における残酷さの表現はそれだけにとどまらない。むしろ#4に関してはこっちが本論にあたる。それが鎧塚みぞれと、過去の部員大量退部事件の際に吹部を辞めた傘木希美の軋轢だ。
軋轢といってもみぞれが一方的に感情をこじらせているだけで、希美はそれに気づいておらず今も仲の良い友人だと疑っていない。しかしここではそれに気づかれてさえいないというところがみぞれの絶望をより深くする。
オーボエ奏者である鎧塚みぞれは内向的な性格で友人がほとんどいない。そんな自分に声をかけ、吹部へ誘ってくれ、日々を楽しいモノに変えてくれたかけがえのない友人が傘木希美だ。だが希美は中学のときに吹部の部長をやるだけあって友人が多く、みぞれはその中のひとりにすぎない。だから上級生と揉めて吹部をやめるとき、みぞれに相談はおろか報告もしなかった。希美が辞めたことを、みぞれは上級生に訊ねて初めて知った。みぞれは希美の中における自分の存在の小ささに酷く傷ついたのだ。しかし、そのことはどこまでも希美に伝わらない。原作から引用する。
「もしかして、それでハブられたとか思わせちゃった? ちゃうねんで、そういうんと全然。みぞれのこと嫌いとか、そんなんじゃまったくないから! ごめんな、勘違いさせちゃって」
(中略)
「勘違いなんて、してない」
この断絶!
みぞれは自分の中の希美と、希美の中のみぞれの大きさの違いに傷ついている。その差の大きさに泣きそうになっている。しかしそんなみぞれの感情は、これっぽっちも伝わらない。
「うん。大丈夫」
みぞれはそう言って、わずかにその目をすがめた。よかったー、と希美がはにかむような笑みをこぼす。その光景に、久美子は静かに目を伏せた。きっとこれから先、みぞれの抱える想いを希美が知ることはないのだろう。そう考えると、舌の裏側がざらりとした。
そばでそれを見守っている久美子には、ふたりの温度差が見えている。が、この歪みはアニメ版からオミットされてしまっていた。
理由はいくつか考えられるし、興味もあるが、ここでそれは論じない。この残酷なシーンには何の意味があるのかということについて考えたい。
ところで原作を読めばこの場でもっとも残酷なのはみぞれだ、というところにだいたい落ち着くと思う。
アニメでもがっつり描かれたが、暗闇でひとり膝を抱えるみぞれを光の射す場所にすくい上げたのは他でもない優子だ(ちなみにみぞれ、希美、優子、夏紀は同じ南中出身で、前者の3人は吹部だった。最後の府大会でまさかの銀賞を取ってしまい、高校では絶対に金賞を取ろうと約束している(いちおうアニメ版でも僅かに入る回想でそれが判るようにはなっている))。
優子はみぞれに友人として強い好意を持っていた。しかし「だって、私には希美しかいないから」と言われてしまう。「そしたら何! みぞれにとってあたしは何なの!」と優子は怒るわけだが、原作は一歩進んでえげつない。
「きちんと話してみ」
「え、でも、」
優子は力強く断言すると、ずいとみぞれを希美のほうに差し出した。みぞれがうろたえたように視線をあちらこちらに巡らせる。彼女の細い指が、落ち着きなさそうに優子のセーラー服の裾をつかんでいる。希美はそれに視線を落とし、一瞬だけ切なげに目を細めた。
(中略)
みぞれは希美との話し合いの最中、優子にすがっていた。しかし希美との和解が成るや優子から手を離すのだ。アニメ版であすかが穿ったことを言うのはこのことを指している。
さらにみぞれは「もしよかったら、練習付き合ってくれる? 私のソロ、聞いてほしい」と希美に言う。希美から言い出すアニメ版とは逆なのだ。
手を伸ばさない希美に、気を良くしたみぞれは自分から手を伸ばす。
この時、自身をすくい上げてくれた優子の手を、みぞれがもう片方の手で握るなんてことはない。優子はどこまでも置いてけぼりにされる。
「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」
「しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」
「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」
かつてコンクールが持つ残酷性を批判し希美が持つ無邪気な残酷さに涙したみぞれは、希美との形ばかりの和解に舞い上がり、かつて自分が受けた傷を優子につけるのだ。
香織の一番にもなれず、みぞれの一番にもなれない優子。彼女がこんどは残酷さの犠牲となるのか。いや、違う。
夏紀のひとことが優子を救う。
https://i.gyazo.com/7f157970e8ac9305555ba6c672244440.png
希美に向けてみぞれが満面の笑みを見せたとき、その後ろで優子はどんな表情を浮かべていたのだろう。
おそらく。
おそらく夏紀はそれを見ていたはずだ。優子の胸のうちに想いを馳せたはずだ。だから優子の行動をちゃんと報いたのだ。
残酷さの果てには哀しみだけが待っているんじゃない。心でつながっている友人が、あるいは神様がちゃんと見ていてくれて報いてくれることだってあるはずだ。残酷さの先にあるのは希望なのかもしれないのだ。
原作が描ききった残酷さの向こう側。それを零してしまったTVアニメ『響け!ユーフォニアム2』#4。
できれば攻めきってほしかった、そう思った。
家とこの妹は親と同居して全部やってもらって自分は早朝から夜十時までの激務こなしてるけど
おかん体壊して不満たらたらやし旦那がたの親ならちょっと無理やと思う
ネットの電波じゃなくて公的な活動として後押しされてるんだよなあ
攻撃的なこととか言って
嬉しい反面ちょっとつまんない
で、否定されると悲しいし、憤りを感じる
何だこの面倒くさい性格は!と思ったけど
性格診断やったら
https://www.16personalities.com/ja/istp%E5%9E%8B%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%A0%BC
それだわw
いやはや面倒くさいね
以上、ポエムでした
どっちかっていうと、思春期にはもうJUDY AND MARYは解散してて
中・高YUKI聴いてて何でこの人こんな歌い方なんだろ?って思って
JUDY AND MARY聴いたらめっちゃいいじゃんか!!ってなったんだよな…
まあ、でも年々新しいの取り入れるのがきつくなるっていうのはわかる…
メンタルケアの制度が変わって管理職の人に研修を受けさせたりしているが、研修を終えた人が「俺にはあんなの無理無理」みたいなこと言ってヘラヘラしてた。
いつも遊びで○○しようと言い出しっぺの割に
前日に待ち合わせどうする?△△には連絡した?ってなった時に、いや俺よく知らんしって態度に出る
人にプランを丸投げして決めさせようとする
映画館で満席で入れなかった時、何で予約しないの?どうすんの?って
そして仕方ないから別の作品となって、つまらなかった損した。え?え?何こいつ
さぁ飯行こうかってなった時もどうする?っておい。お前には考える力というものがないのか
こいつはなんだ一体なんのつもり・・
サービスされて当たり前だと思ってるんだ!ありえん
だけど、そうとしか考えられない。
じゃないとこういう態度に出るわけない
さぁ切ろう。縁を切ろう
タケルが「イ・・・」といいかけているのをイカ娘がタケルの口を抑えて制しながら、タケルの下半身らしきポイントを見ながら、「何か出たでゲソ!」と言っている
イカ娘の顔には何か液体がかかっている
コラとかじゃないっぽい感じ
イカちゃんかわいい
化粧前と化粧後の顔が分かる点も面白いし、
人それぞれにいろんなやり方で顔というキャンパスに絵を描いている姿はアートだと思う。
今まで彼女ができたことがなくてなんだか異性から、というよりも世界から否定されて生きている気がしてきている。
もちろん原因は自分にあることはわかっている。具体的には、ダサい、存在感や主体性がないことやほとんど無職であることやコミュ障、特に女性や知らない人に声をかけたりかけられたりするとほとんど逃げるような感じになってしまうなど、自分には良い点はない。こんな自分が好かれないのは当たり前である。
だから今まで彼女や異性の友達というのは諦めてきたんだけれど、ここ最近街中でカップルを見かけるたびに、少なくとも自分には無かった青春を謳歌している人はこんなにもいるんだと悔しくふがいなく思えてきた。
正しくは、「デジタルコンテンツ向けライセンスを契約しないと使えない」と書いて頂きたく存じます。
DynaFont ライセンス(使用許諾) につきましては、下記サイトにて公開されておりますのでご参考にしていただければ幸いです。
https://moneyforward.com/media/career/25590/
Switchを発表後、任天堂の株価が下落した。そして多くの人がこの人のように
安目を狙ったと大きな勘違いをしているところに視野が狭いと感じさせられた。
任天堂がスマホ市場で独壇場を築くのは簡単なはなしで、それこそ過去の遺産を
注力すれば手放しでアプリ王国ができあがるのは火を見るより明らかだ。
それをしなかったのは何故か?
任天堂は株主の生活より自分たちの挑戦を選んだからにほかならない。
はっきり言って家庭用機の現状はソニーの独壇場といっていい。そこを回避して
スマホ市場に逃げるのは簡単なはなしだが、任天堂はもっと先の未来を見据えている。
この業界に携わっている人ならば薄々感づいているだろうが、スマホ市場はこれから先の未来はない。
アプリの飽和状態が理由ではなく数年後にハードそのものに大きな変化が起こるからだ。
もちろん、門外漢の人たちにとってはスマホが消えるなんて信じられないだろう。
しかし、今のかたちのスマホは消えると断言していい。既に数年後の商品可に向けて新しい技術が動いている。
スマホ市場はいったん終焉を迎える。今、熱心にスマホ市場に注力している企業は消え
熱を上げたゲームメーカーは家庭用機に戻ることになる。
任天堂はそこの未来を見据えて、ソニーに立ち向かおうとしているわけだ。
ともすれば投資家たちに完全に見捨てられる可能性も少なくはない今回の挑戦に賭けている投資家もいる。
その挑戦がどうなるかまでは私にも見えないが、少なくとも的外れな意見で任天堂の思惑を理解できない人たちは
数年後に顔を赤らめることになるのは間違いない。