日本の外の方がベジタリアンに対する理解はあるよ。行ったことある国でしか説明できないけど、カナダとかベジタリアン向けの食事が用意されているし、ベジタリアンレストラン(チャイナタウンなら素食って呼び方をする。)も多い。
日本でベジタリアンになるのはコストでも時間的な意味でもすごく難しいことだけれども、NPO法人なんかもあるみたいだしチェックしてみることをオススメする。
畜産については、日本や北米の超工業的で動物に苦痛を与えうるやり方は欧州をはじめとする国々から批判されることも多いと聞いた。実際に北欧の食肉加工場と南米の食肉加工場だと衛生さも動物の飼育から屠殺までの苦痛も(あくまで人間からみた尺度だけど)北欧の映像の方がよい(あるいは軽い)。北米の食肉事情については映画「フード・インク」が詳しくやってくれていると思う。(作られた動機が「息子が肉食べたら食中毒おこして亡くなった」ってことなので、大分プロパガンダ的要素も入ってると思うのでそこは留意しておいたほうがいい。あとは血が出るから苦手な人は見ないほうがいいかも)
そして、日本で捌かれる畜産動物はまだ衛生的な環境で、苦痛もなるべくないように考慮されている方だから、一度お近くの食肉加工場に見学に行かれてみてはどうかなと思う。ちょっと勇気いるけど。
動物の福祉では、これは一説に過ぎないけれど、日本人が好む「霜降り」は実はかなり牛に負担を掛けているということで、動物の健康を考えるならば、日本の穀物牛よりもオセアニア産の牧草牛のほうが良いらしい。
血が苦手な人、動物との初めてのふれあいがペットの人はかなり苦しいけれども、畜産動物はペットとは違うのでどうしても工業的になってしまうのはしょうがないにせよ、パック肉しか目にしない今日だからこそ一度捌かれ方を知りたいと思う。
こういうのって意味あんの?
牛丼とか安くて美味しいと思う。
けど今は改善されてるのかもしれないけど、
工場畜産でひどい苦痛が伴う状態で生かされ続けているという描写を読むと、
食わないか、かなり肉が高くなっても動物の福祉を改善したほうがいいんじゃないかと思う。
俺は痛みが伴わない仕方でなら(不安や恐怖等の苦しみもないならよりよい)
夫のごちゃごちゃの荷物を片付けるのを手伝っていたらコンドームが出てきた。
セックスレス3年なので3年前の。
夫にもういらないよね?しないしって言われて捨てたんだけど
使用期限はまだ過ぎてない。
もうSEXしないって意味なのか、子供つくるからゴムしない、なのか
二通りにとれるけど、まあ前者なんだろうな。ため息。
当たり前なんだけど、自分にとって価値があるものって自分にしかわからないんだよね。
高学歴が価値がある人だっているし、人とのつながりが価値がある人もいるし、逆にそれらに価値がない人もいる。
外部からの評価ではどうもそれらは価値があるということになっているらしいが、別に全ての人に当てはまるわけでもない。
貴方にとって本当に必要なものとかほしいものって何なんでしょうね。
そしてそれは新卒で会社に勤め続けるのが本当に絶対的な必要条件なの?
>すごく焦っていて、どんな手を使っても結婚に持ち込み、人を足がかりに
冴えない現状から抜け出したがっている厄介者に見えるのではないか?
いいと思うよ。やってみたいことや幸せになれそうなことがあるなら、どう見られたってやってみるべき。
意外と同じこと思ってる男性もいるよ。
ただやっぱり結婚してみたかったなって心残りを残して死ぬよりはなりふり構わずやってみたらいい。
好きになってもらうような魅力だって子供を育てる体力だって毎日少しずつ減っていくのだから後悔のない人生にしたらいい。
それで私は結婚してみたよ。
相手の事をものすごく好きだった訳ではないし、増田の言葉を借りれば「冴えない状況から抜け出したかった」から。
単純に金持ってないんじゃないの
根性論って、個人の実力不足とか、その実力を含めた管理ができない上司のマネジメント不足とか、何か不足や落ち度があって、それを補うためにしか使わないでしょ
もっと言えば、上に立っているやつの尻拭いを根性論をもってしてやるわけよ
責任転嫁や事実の隠蔽を、根性論を美化することでやって来たのよ。アホだねー
根性論を持ちだした時点で、言った奴の能力不足が露呈する事をわからずに言うんだもんな
恥ずかしくないのかね。恥ずかしくないんだよな美化されてるから。洗脳されてるからな
大体頑張らなきゃできないんなら、他より本質的に劣ってる事を認める事になる。プライドの高いお偉いさんこそ嫌いそうなものだけど
飲酒や喫煙や性行為を(したがって風俗に行ったりとか危険な性行為とかも)したことがない。
家庭科や保健の教科書をまじめに(あるいは強迫的な仕方で)読んだのと恐怖や不安の感じやすさが主な要因なのだと思う。
直後にも皮膚が荒れたりむかついたりして苦痛を感じることもあるし、
自分自身はスピリチュアルという言葉とは無縁の、理詰め、冷静、というイメージの人間だと思っている。
初対面の人からは、「普段お書きになっている文章からは冷徹なイメージがありましたが違うんですね」と言われる。
少し親しくなると、「癒される」「ほっとする」などのソフトなイメージの言葉をいただく。実際の自分とのギャップが大きいのだが、と思いつつもそれは受け入れるようにしている。文章内での自分のほうが、素に近い。
神父様から昔、「徹底的に個人主義で行動しても、人に尽くそうと行動しても、突き詰めていくと結局似てくる」というような話を聞いて以来、自分は人に尽くす宗教家にはなれないが、徹底的に社会に最適化した行動をとれば良いのではないか、と理解して以後そのようにしている。
自分の場合医者なのだけれど、ある患者を助けるためにリソースを割くと、別の患者が不利を被るというような状況はしばしば生じる。それぞれの選択を理詰めで計算して予後やQOLなどの期待値を算出し、自分の責任の下で選択・実行していくことを繰り返すのだ。その時に恫喝には負けないとか、貴賤で判断しないとか、自分で守るべきルールは設定しており、それが他の医療従事者から見ると、「平等な人だ」とか「やさしい」などという評価につながるのかもしれない。でも自分は「平等にしよう」を判断の基準にはしていない。自分が設定したルールに沿って動いているだけだから。
うまくマネージメントをしないと患者が不利益をこうむるわけだから、医療従事者がミスを起こさぬようにシステムの整備をすることはもちろん、メンタル面やモチベーションの維持に気を遣ったり、ブランディングの真似事をして「自分たちはすごいよね」と誇りを持ってもらうように耳元で囁いてみたりもする。他の医療従事者に対する気遣いも、それが最適解だからに過ぎない。
こうして自分を見てみると、「空気を読む=最適化」を突き詰めていった結果として、「癒し系」と呼ばれる雰囲気を身に着けたように思う。ただし、最適解を得るのに障害となる利己的な行動に対しては「それはできない」「しない」と厳しく接することが多く、不満を感じている方もおられるだろう。この場を借りてお詫び申し上げます。
マジうざい。
精神衛生上よくない。
こんなこと言うのはとても酷いのはわかってるけど、なんらかの事故に遭って彼がすべての発信能力を身体的に失えばどれだけいいだろうとさえ思ってしまうよ。
僕は空を見上げていた。
突き上げるような空だった。蒼穹は、視界の辺境付近から僅かに青くなり始めていて、そして天頂に至ると群青色に近い色を帯びていた。僕は、そのグラデーションを眺めながらに、麦の穂の匂いを感じた(実際には僕に匂いを感じる機能はない)気がした。
視線を下ろす。
僕の目の前には、ずらりと並んだ、麦の穂の茎が見える。それは、視界の限りにひしめいていて、とてもではないけれど、その向こう側に何があるのかを見渡すことができないほどである。
つまるところ、僕の身長はとても低い。
僕は、その中で一歩を踏み出した。
柔らかな土壌を踏みしめて――立ちふさがる麦の丈を、掻き分ける形ですり抜けて――そのまま、前へと進もうとしていた。これは、言うまでもないけどちょっとした重労働で、いつになればこの麦の野を踏み越えることができるのかは、全く分からないくらいだった。
しかし、僕はそれほど経たない内に立ち止まっていた。
僕の前に、ふと、立ち塞がる影が見えたのだ。
それは、先程から僕の視界を塞いでいる麦とは、まったく別の、白色をした透き通るような柱であって――つまるところ、それは少女の足だった。
僕は、視界を上向きにし、そしてそこで僕の方を見下ろしている、少女の笑みを見つけることになる。うっかり、迷子になってしまったとばかり思っていたけれど、少女は僕の歩いている位置をきちんと把握してくれていたようだった。
少女が、軽く僕に視線を残すようにした後で、僕に背中を向けた。それから、先ほどの僕と同じように一歩を踏み出した。
僕のそれとは比べ物にならないほど、力強く、そして、移動する距離も大きい一歩である。
それは、僕の眼前を覆っていた麦をぱきぱきと折って、そして、僕の視界を少し広くしてくれるものだった。
僕は、そんな少女の歩みを見つめながら、少しの間立ち尽くしていた。彼女は僕の前を先導して、そして、幾分その麦の野を、僕にとって歩きやすい地形に変えてくれる試みに、努めてくれているようだった。
ふと少女が立ち止まって、僕が付いてきているかを、その平たくなった地形をきちんと進んでいるのかを、確かめていた。
先程よりも、少し歩きやすくなった前方の視野を確認しながら、僕は少女に続く形で歩みを再開する。
少女が微笑んで、そして、再び僕の視界を広げる一歩を踏み出す。
僕は、その姿を後ろで眺めながら、少女のゆったりとした足取りに、どうにかして付いていこうとしていた。
そして、僕は再度、空を見上げてみた。
群青色の蒼穹がそこにはあった。そして、漂う雲。
でも、その色づいた空の表面を見て取ることは、僕にだってできていた。
僕は正面を向き直る。
そこに待っている少女の方へと向けて、更に一歩を踏み出していた。
現時点でも小保方さんのことを、論文に問題があってもSTAP細胞自体は実在するかもしれないと擁護する人の心理は、要するにナショナリズムから来てるんじゃないの?
浦和のJAPANESE ONLY横断幕を擁護するネトウヨと変わらない。
戦前の日本や日本の軍隊の象徴だからこそ旭日旗はかっこよく、このようなメッセージ性がともなうからこそかっこいいのではないか。
No.
アカデミックでやっていくなら、まともな人間はまともな評価をくだしてくれるはずだから、
身の潔癖があれば困ることないはず。
ただ、今回の件で、
「業績が少ない若い人であるが、計画が有望、というひとに賭ける」
ということに全体的に尻込みするのではないか。