はてなキーワード: ほりえもんとは
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23488282
彼は社会学者としての立場から法律や改憲論者と論壇で登って答弁しているわけだが、オレには佐藤氏と古市さんとの間で話がまったくかみ合っていないように思える。
正直、この佐藤という人を含め、古市さんを叩いてる人にはマーケット感覚がないんじゃないか?と思うんだが、具体的にどうやってそれを示したらいいのか見えてこない。
山本みずき氏との論壇でも同様だと思う。山本みずき氏にはマーケット感覚がない。一方で古市氏にはマーケット感覚がある。
議論のレベルがかみ合ってない。山本氏も佐藤氏も、社会の泥臭い面や言葉通りにいかない部分が見えてない。古市氏の方が社会を間接的に知る手段が豊富で信頼できると思うんだが
同じように思ってる人はいないのかな。。。
一応個人的に考えてみた内容をまとめてみたので、知見のある方々の指摘や修正がほしい。
是非論駁してみてくれ。
個人的な思考なんだが、『佐藤氏』と『古市氏』のバックヤードに目を向けてみた。
ソースはwikipediaくらいしか簡単に示せるものはなく、佐藤氏のことはオレはほとんど知らないので、あまり知ったようなことは言えないんだが・・・
『佐藤氏』
『古市氏』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B8%82%E6%86%B2%E5%AF%BF
佐藤氏の両親は政治学者と弁護士。つまり歴史と法に重きを置く典型的な法学部タイプ。日本は法治国家で資本主義として成功した社会主義タイプなので、佐藤氏は典型的な右派で保守的なタイプ。
一方で古市氏は環境情報から社会学へと転向した。つまりバックヤードとなる知識や感性は科学者タイプ。
ゆえに、古市氏の論じる分野には必ず〝マーケット〟がある。お金と結びついて物事を考える発言がきちんと身についている。またそこに時価がある。
ここで勘違いしてはいけないのは〝経済〟や〝金融〟ではない、ということだ。要するに〝政治色〟が薄い。よく言えば庶民的。別の言い方をすると〝資本主義的〟。
また彼は友人に起業家を持っており、堀江貴文を含め、財界との繫がりも多い。ほりえもんちゃんねるなどにもよく登場する。
これを〝強い者に擦り寄る〟と表現するものもいるが、そのあたりの〝評価〟は置いておいて、マーケット感覚を得られる環境にいることは間違いない。
http://blogos.com/article/154867/
例えばここで古市氏は『すき家は企業が社会にもたらした社会福祉のひとつ』と述べたことで叩かれているが、なにが間違っているのだろう?と思う。
マイクロソフトをはじめとする新時代の新興企業の多くは、既存の制度を上手に利用して新しい形の報酬を従業員に還付している。
(※その代わり徹底的に税金を逃れている! ←善し悪しは置いておいて、事実そうである)
どの国に所属しているかよりも、どの会社に所属してその会社が与える福利厚生を受けられるか
ストックオプションを行使できるか、金融資産を持てるかどうかが豊かさへと直結する時代になったのに、いったい何故古市氏の述べていることが的外れなのだろうか?
シリコンバレーでは福利厚生を提供するサービスを行っている会社がYコンビネーター出身者によって起業されている。
ケータリングサービスやタクシーチケット、社宅システムなど、上げればきりがないと思うのだが・・・
http://asread.info/archives/722
日本に自衛権があることを古市氏は知らなかったと述べているが、これもある意味で間違っていないと思う。
実際のところ、実質的に自衛権を行使できなかったことには違いない。
・ミサイルを発射されながらもそれを撃墜できるのは日本に駐在している二機の米軍潜水艦のみであること。
・敵国が領空侵犯をしても命令がなければ撃墜できない。引いては物理的に〝敵飛行機を押す〟という意味不明な対処しかできない
これらの現行法の脆弱さをどれだけ学者やSEALsは理解してるのだろうか?
http://trafficnews.jp/post/46566/3/
自衛権は認められているが、〝実質的に言って認められていない〟ことと一緒。
であるにも関わらず、古市氏が『日本の自衛権って認められてるんだ…』という発言を〝知識がない〟〝教養が無い〟と評価する論調はいかがなものか。
一方で佐藤氏にはマーケット感覚が無いといえる理由はここにある。つまり法律や政治に関する学問を背景にしているところに問題がある。
この手の人間がやっかいなのは、やたらと知識や雑学は多く言葉に言葉を返すのは上手いのだが、思考回路に多くの前提条件や知識条件が抜け落ちていることが多い。
言ってしまえばマリー・アントワネットのタイプだ。
古市氏の発言が法学や政治に強い識者から叩かれやすいのは何故だろうか。
それは叩く者たちが〝歴史の変遷〟が、実は〝市場の変遷〟であること、をよく分かっていないからだ。
市場経済はより自然科学的だ。お金は政治や法律によって生まれたわけではない。自然に発生して、それが整備されて整えられた。実は人類が進化の果てに手に入れた概念だ。
軍事力と経済力のふたつは大国の力を現す両輪と考えられるが、実は歴史を手繰ると三番目の車輪があったことが分かる。その名も〝宗教〟。
鎌倉幕府の台頭に現れているように、歴史的に見ると既にこの頃から宗教の力は徐々に衰えを見せており、政治と軍事力の二つが世界を動かしていたと言える。
表の世界での政治はほとんどが宗教と密接に関わっており、もっぱらここが市民と政治の大きな接点であったと言える。
一方で軍事力は実質的な世界の掌握と統治を行う役割を担っていた。
少なくとも、日本においては明治維新でサムライが不要となるまではそうだったのだ。
しかし第一次世界大戦、第二次世界大戦に代表されるように、軍事政権は失敗を迎えた。
正しい仕方で行使されなかった軍事政権は、共産主義や社会主義を生み出したからだ。
一方で米国のような市場経済を中心として発展した国は一定の成功を収めた。士・農・工・商のうち、最後に勝ったのは商人というわけだ。
マーケットは〝国の力が弱まりつつある〟ことを明らかにしつつある。既に鎌倉幕府の時代から、政府が持つ立法の力は軍事力か経済力のどちらかを担保にしており、宗教はアイドルでありスケープゴートであったに過ぎない。
そして過去〝政(まつりごと)=宗教〟が中心だった国家は、現在政治の中心を〝経済〟へと移している。
軍事政権が実質的な掌握を行っていた政治は、現在では財界が実質的な掌握を行う社会へと変化した。そしてそれは加速していく。
実際、国が提供する福祉よりも企業が従業員に提供する福祉の方が優れている場合が多い。しかもマーケットに従った結果なので、相応の人材を兼ね備えており、無駄が無い。
パナマ文書にも代表されるように、国家の枠組みを超えた企業にとっては国境など存在しないも同然。
スターウォーズの通商連合のように、もはや国とは独立した別の政治形態と言って差し支えない。
戦後70年の間で形成されてきた常識などいくらでも覆る。今後の歴史は大転換を迎えると考えてまず間違いない。
その意味では、いまだに全時代的な歴史の踏襲と繰り返し論議を重ねる、マーケット論の無き法学者や政治学者が出る幕は実質的に言って存在しない。
宗教がその存在を弱めたように、政治もまた本質は思想であり宗教であるから、その実質である軍事力や経済力のいずれかに依存せざるを得ず、結果として時代に取り残される。
軍事力の台頭は世論が許さないだろうし、世界もそれを望んでいない。よって、これから重要になるのは、〝個人がどの市場経済に所属しているか〟である。
世界を牽引してきたのは技術革新と金融だ。宗教を背景にした政治はストーリーを創り出す力があったが、現代ではその力は失われている。
闇雲に政治を追いかけても歴史を追いかけても真実は見えてこない。
必要なのは産業界の歴史を追いかけること。経済史の発展と衰退の繰り返しの中に答えがある。
古市氏がどういう器なのかは知らないが、少なくとも歴史と現状を比較して将来を占う上で非常に恵まれた立場にいることは間違いない。
彼は川上の最新情報にアクセスできることが可能で、新時代のリテラシーも十分持っている。
法学者も歴史学者も、企業の間接部門でしかない。プロフィット部門ではない存在の者たちがとやかく言う論壇や議論に意味はない。
その点は古市氏も同様だが、彼は自分の立場が弱者であることを自覚している分、市場に対する的確な論壇を展開できる下地がある。
叩かれるのがその証拠だ。叩いてる奴らのほとんどはマリーアントワネットばかりなのだから、叩かれている姿を見てむしろ安心すべきだ。
ただの火消しの為の詭弁だ、って俺は言ってんだけど。
お前に言いたいのはさあ
元の発言を発言の区切りごとに全文引用してごらんてことだよ。
そうすりゃもとの発言の意図がどう読めて、
別にほりえがそういうことやるのはいつものことだしどうでもいいんだけどね
本人はわかっててやってんだしイケダハヤトみたいなのとはちがう
馬鹿がまんまと騙されてほりえ擁護してるのはうっとーしー
悪いけどその辺はもう堀江一味の後出しの火消しにしか見えない。
だって「声優ってそんなにスキルいるんかえ?」って発言と全く整合性が無いじゃんそれ。
更に、
大塚が言ってるのは
「必死に訓練をやり遂げて志望者から抜きん出た水準の技術を身につけた新人の中でなお
チャンスのチケットを掴むか否かが運や愛嬌に左右されてる(技術をつけてもなおキツいから気をつけて欲しい)」って話で、
ほりえもんが言ってるような「素人に1万円でオーディションを受けさせればいい」なんて提案に通じる部分は全く無い。
だいたい「声優養成所の寡占(?)に風穴を開けたい」って理念であれば
自分達のアニメで広く情報公開したオーディションをやればいいだけで
1万円取るだの「オーディションで経験を積む」だのは一体何なのかと。
最初は
「声優をこき下ろしてアホに夢見させて炊きつけて金取ろう」って作戦だったけど
予想外にバッシングを受けて、ネットや若者界隈での声優の支持率の高さに気付いた。
で、今度は声優養成所にターゲット変えてきたってだけの話だろ。
「君達は搾取されているーっ!」
「うちなら一回の単価安いぞーッ!」
つってるだけ。
とりあえず、
これがそもそもホリエモン発言の誤読に起因する藁人形でしかないから全体がおじゃんだよ。
「現行型声優にニーズがない」なんてホリエモンは一言もいってないんだよね。従って賛同する元増田の発言もそういう意味ではない、と考えた方がいいんじゃないの?
養成所ビジネスを経由する必要はないんじゃないの、養成所でなければ習得できないスキルなどというものは必要なのか、そもそもそんなものはあるのか
というだけの話でしかない。
まだ相手しなきゃいけないのかなこの幼児を?
相手にしてられないと思ったらいつでも黙ればいいだけのことじゃないか。「増田で言い争い始めたら反対者がゼロになるまで書き込むこと」と言いつけられでもしてるの?
まず、発端としてほりえもんが従来の声優のスキルや育成やキャリアを否定したわけよ。
と。
その根拠は
実際売れてるタレントさんには常に声優のオファーはあるんだよね。
俺にすらあるからw
だと。
で、それに賛同する元増田も
っていうモノを書いた。
いわく
実際問題声優の「実力」云々ってのは、特定のゲームや特定のカルチャーのルールやら秩序やらの中での話なわけで、それが、マネーの流れから言って変わりつつあるから、とっくに終わってるゲームのルールにたらたら従ってないで現実をよく見て投資の仕方変えていこうやって話だろ。
と。
で、それにツッコミを入れてるのが俺。
「どんな根拠だ」と。
「現に現行型声優にはニーズがあるし、どう終わってるのかさっぱりわからん」と。
「タレント吹き替えだのジブリアニメだのAKBアニメだのを根拠にするが、それむしろ少数・稀有な例じゃねーかと。
「AKBアニメみたいなものばっかりに出来るつもりならやってみろよ」と。
「お前らの例示は声優のニーズが終わってるっつー根拠には到底ならん」と。
「ほりえもんはわざとだとしてもフォロワーのお前はただの馬鹿だろ」と。
恒例の横さんが現れて、
「ジブリは売り上げが高いぞ!無視していいのか!」となんだかピントずれたことを言い出す。
それも潰されたら今度は「100%かー」「絶対カー」「完全に無視していいのカー」という小学生みたいな論法で食い下がる。
まだ相手しなきゃいけないのかなこの幼児を?
http://anond.hatelabo.jp/20130224175755
と書けば1行で済む上に、
これは文句つけられる隙の無いまっとうな権利主張だ。
お前は何故か「自分は学校名を気にしていない」と言い張ることの方に紙幅を大量に費やして
話の本スジをぼやけさせた上に「いやお前どう見ても気にしてるやんけ」と突っ込まれる隙を作った。
あんまり必死に自慢してるとか、いつまでもそれしか言えないとかだと見苦しいのであって。
「気にしていません」まで言う必要はねーんだ。
誇ることと見苦しい下品な自慢をすることは別なんだけど
http://d.hatena.ne.jp/yoghurt/20110415/p1
読んで一言
厨二乙。で済ませれそうな文章だが、なぜかはてなで人気らしい。
おそらく多くの人間が思っているような事をシニカルに書く事で、同じ不満を持っている人間の留飲を下げる事で人気を得ようという、ほりえもんや立川談志さんなどのいわば「毒舌芸」と言った、「手法」なのだろう。
万年野党のように、ただ単に与党の、つまり実働している人間を傍から批判する「だけ」で、周りから人気を得るというのは、人類史代々受け継がれてきた人気コンテンツだ。
(この場合、別に与党が正しい行いをしているかどうかは、全く問題じゃない。与党が有能だろうが無能だろうが、それをそばから批判して人気を得る奴ってのはいるからだ)
この文章の結論を書くなら、
人の不幸(犠牲)の上に立って日常を送るのなら、お前らは人殺しと同じだ、だからせめてもっと人殺しの顔をしろ、と言う事だ。
ちょっと前に、人気になった
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20101212/p1
上記の文章も不快だが、今回の文章も当たり前だが不愉快な事この上ない話だ。
この文章を書いた人間は、「人殺しの顔」をすれば、他人を犠牲にする事の免罪符になる世界を作りたいだけだ。
いかにも自分も被害者の一人なんですよ~、って顔をしているが、こいつらは自分が他人を犠牲にしている事の免罪符が欲しいだけに過ぎない。
僕は人殺しの顔をしています。他人の犠牲の上に立っている事を自覚して生きています。
で? それで開き直って終わりかよ。
綺麗事を抜かすなら、「他人を犠牲にしないでいいような世界を作れよ!」
って言いたいんだけど、流石にそこまでは言えない。そんなのは無理だってのは分かってるから。
でもだからって日々人殺しの顔をして生きろってのも、おかしな話だ。
どっちも、それなりの文章を書いてる。本当に。俺なんかよりよっぽど立派。
でも、その結論が「人殺しの顔をしろ」じゃね。
結局、この文章の中身は、ニヒル気取りでかっこつけな、それでいて見苦しい開き直りに過ぎない。
それが流行ったのは、単に人気コンテンツの「野党的な毒舌」の新作だったからってだけだろう。
人殺しの顔なんてしなくていいよ。
いつも通りの顔でいつも通りに生きていけばいい。
その原因は紛れもなくネット。ウェブ。得にはてなブックマークとかが原因。
だいたいさぁ、ブックマーク数が結構ついてるエントリーとか見つけると気になって仕方なくなるんだよ。
なにか自分がまだ認識していない大切なことがわかったり、自身の思想とか価値観とか人生観とか世界観とかを劇的に変えたりとか
それらについて考えさせられる考えるべき何かとか、要するに
「自身が価値があると感じられる、未だに認識してない、認識するべき何らかの情報が広大なネットや本に存在しているのではないか?」っていう疑念。
いや存在しているのだろう、それは無数に。 こういった無限に膨張し続ける情報に取り巻かれている今
粛々と受験勉強なんてしてて良いのか? っていう思いが募りだして2年ぐらい経つ。
ある一つのエントリー、ページとか一冊の本とかで何かが変わったり、東大合格と健康維持という目的(目標)ぐらいしかない俺が
他の何か、素晴らしい夢とか目標とかやりたいことを獲得するかもしれない、、、
今年で一浪目だが、合格できるかどうかわからん;; それほどまでに俺は心を奪われてしまっているんだよ、目の前のこれに。
最近どうしようもなく怖いんだ。
いつか東大を諦めてしまうようなことになるのが。
このことが原因でただ情報を漁って逡巡することに膨大な時間費やして
大して行動せず何も為さないままだらだら生きていくことになるのが。
現役で東大に合格した受験生と俺、何が違う?彼らは情報をいかに処理したのか?
なんで俺とかはいつまでも足踏みしてんだ?
もうどうすればいいんだ… もう完全に俺の問題解決能力では手におえない。助けて欲しい。
とにかく東大に入りたい。なんで入りたいかはこの際どうでもいいはず。各位、自身の抱く目標に置き換えて
それを阻む要因として俺のこの疑念がそれなら一緒に解決しよう。解決してください。お願いしましたよ。
>元々勉強できるやつだったら別にゲームしてようが何してようが東大でも何でも受かるし
勉強が手につかないのに受かるわけないだろ!
自分がどういうタイプだろうが俺はどうしても東大にいきたいんだよ!
ほりえもんって受験のとき、起きてから寝るまでの間、食事、風呂、トイレ以外、勉強しかしなかったらしいけど
今の俺にはそういうストイックさが必要なんだ。
なぜ他の何かに現を抜かす俺のようなどうしようもない人間と
おおよそどんな目標でも達成してしまいそうな ほりえもんや孫正義のような人間がいるんだろう 同じ人間なのにどこが違うんだろう