はてなキーワード: 一浪とは
地方公立高校出身
いま公立高校英語教師
もっと勉強しておけばよかったな
たいして充実した青春時代でもなかったし
いま高校生と接していて
彼らの未来がうらやましくもあり、同情もする
自分の力に相応ではあった
でも人に言うのは恥ずかしくもある
でもいまの日本の状況をみていると
お金を出せば容易に入れる
しかし若者の雇用情勢は厳しく、自分の夢を実現できるのは少数止まり
それは自分が若かった頃も同じだが、さらにハードな現実が待っているように思う
就職してもいつリストラされるかわからず一方で管理は厳しくなり窮屈だ
そんな社会情勢の中、大学のネームバリューはどこまで相対化されたのだろう
まあ身分相応の就職をし生活をしている
コレでよかったんだと思うときと
コレでよかったのだろうかと後悔するときと
その間を行き来し続けている
その応援をするために自分がいる
もちろん保護者の願いをかなえることにもつながる
また法科大学院をはじめとする専門職大学院の低迷ぶりが表すように
「約束された」エリートコースの存在を単純には信じられなくなってきた
最近高校教師の世界も大学院出身者が競争してようやく入り込める状況で
現実の教育現場を目の当たりにして夢や期待を打ち砕かれる人も多い
そんな彼らの死んだ魚のような目を見ながら
いまの時代に「いい大学」にいくことの意味はなんだろうと思わずにいられない
お金をかけ期待をかける価値がいまの大学ブランドにはたしてあるのか
でも私のようなコンプを抱き続けて生きていくのもどうかとも思う
まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々のお見舞いを心から申し上げます。
次に、僕のスペックです。都内の大学に通う学生(新二年生—ちなみに一浪—)です。所属学部のカリキュラムによって、ほとんどの授業を英語で行って、レポートも英語でたくさん書きました。といっても、僕の英語の能力はだいたいTOEIC700点前後だと思います(TOEICはうけたことがありませんが、学校で受けさせられたテストなどで換算するとこのくらいです)。700点前後なので、あまり大したことは言えた身ではないのですが、英語については昨年度かなり自分でも悩み、考えたし、また、TOEICなどのスコアだけで英語の実力のすべてが測れるとも思っていないので、僭越ながらも英語についての意見を述べさせてもらいます。(ちなみに未だ日本から出たこと無いです)
最後に、書こうと思った動機について。主に二つ。ひとつは、日本人の英語熱が、去年のユニクロ、楽天の英語公用語方針表明から、加熱の一途を辿っていることを受けて、自分—英語が公用語の学部で学んでいる自分—が何か良い意見を述べることができればいいなと思ったから。あとひとつは、自分の英語に関する考えを今の時点で言語化して整理しておきたいという考えがあるからです。
英語学習者の多くは「英語ができるようになりたい」や「英語上達!」などと言います。が、少し待って下さい。その宣言って少し漠然としすぎではないでしょうか。ここで、試しにあなたが今思っているその「英語」に修飾語を二つ付けてみて下さい。例えば、ある会社員の場合は、practicalと businessを足して、”Practical business English” (実践的ビジネス英語) となります。こうすることで、あなたが必要な英語がもっと鮮明になるでしょう。さらに対策だって立てやすくなると思います。子供が語学を身に着けながら成長するときの様に、日常の様々な場面での遍く英語表現を身に着けることは大人には困難です。しかし、範囲をうまく絞れば、そこに特化して勉強することで仕事で困ることが少なくなると思います。
僕は昨年度、英語を話す日本人を数十人ですが見てきましたが、およそ二つのグループに分けることができます。それは、日本語を話すときと同じ感覚で英語を話している人と、英語を話すときは全く別の口の開け方や筋肉の動かし方、さらには呼吸法までする人たちです(帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます)。タピオカドリンクを飲むときは、コーラを飲む時に使うストローじゃ飲めないように、英語を話すときも日本語用の発声方法を脇に置いて、英語用の発声フォーマットで話さなくてはならないのです。先に示した前者の人々はだいたい、声が小さいぼそぼそとしたしゃべり方をします(もちろん発音は滅茶苦茶チョッピーです)。これは、はっきりいって意識の問題だと思います。発音やアクセントの前に態度(attitude)の問題だと思います。
これは上とだいぶ関連があるのですが、英語を真剣に話そうとすると多かれ少なかれ「欧米人っぽさ」や、悪く言えば「ネイティブかぶれ」が現れてしまいます。だが、これらに対して嘲笑したり、からかったりしてはいけないと思うのです。日本人の間で「かぶれ」に見えてしまうことも、英語話者同士では普通の事なのです。だから、間違っても日本人によるつまらない価値観から、その人の外国語に向かおうとする態度を軽蔑してはならないと思います。お互いにとってマイナスにしかなりません。
英語がわからないから話が理解できない、と思ったことがある方。それは本当に英語が問題でしょうか?例えば、去年流行った「ハーバード白熱教室」。この番組はiTunesやYouTubeで無料で見ることができます。僕も、視聴していて三周目も終わろうとしている頃ですが、まだよく理解できているとは思えないです。『これからの「正義」の話をしよう』も、その原著である”Justice-what’s the right thing to do-”も持っていて一通り読みましたが、未だ理解できたという確信がありません。なるほど、「テメエがアホなんだよm9(^Д^)プギャ―」という意見もあるでしょう。しかし、サンデルの授業内容がそれなりに高度なことも事実ではないでしょうか。日本語で聞いたとしてもそれなりに高度なことには変わりません。それをさらに外国語でとなると余計に理解が難しくなってしまいます。自分の英語読解/聴解能力を疑う前に、言語に拘わらずそれを理解できる知的基盤が備わっているか。それをただ「英語が分からない」と悲観する前に、確認する必要があると思います。
某経済評論家などを「達人」と見做している英語学習者は、いつまでたっても英語ができるようにならないと思います、失礼ながら(インタビューもそんなにあてにしちゃいけない)。そもそも、本当に英語できる人間は、日常のほぼ全てのタスクを英語でこなしているような人たちではないでしょうか。論文であれ、企画書であれ、会議であれ、学術発表会であれ。そういう本当の「達人」らは、われわれ一般人に指南するような立場を超越していらっしゃいます。さらに、そういう人たちはあまり表に出ない人たちです。なぜなら、一流のビジネスパーソンは週刊誌の英語特集に顔だすくらい給料安くないし、言語学など学問分野の一流たちもそんなところに出て自分の株をさげるようなことをしないでしょうから。
では誰をロールモデルにするのか。はっきりいってツールである英語にロールモデルが必要であるとは思わないのですが。強いて言うなら、『英語達人列伝』の中から探すといいと思います。これを読めば、「日本人は英語ができない」といった言説が神話であると思え、すこし勇気が湧いてくると思います。
英語学習において、発音を磨くことは何かと批判の対象になります。恐らく、それは英語学習における贅沢品と受け取られるからでしょう。目玉焼きも焼けない人間が高級イタリア料理「カルパッチョソースのデミグラス和え 地中海の新鮮な貝の奏でるムースとともに」(※こんな料理はありません)を作ろうとするように捉えられてしまうのかもしれません。
しかし、僕は発音も大切だと思います。磨けるなら磨いた方がいい。じゃあ、どのくらいまで磨くか。もちろんネイティブレベルとは言いません(発音向上批判がネイティブ信仰批判と結びつけられることも多い)。が、強いて言うなら「自分の発音に自分で酔えるくらいまで」としておきます。英語を話している時の自分がいつもと少し雰囲気違うな、とか仕事できそうだな、くらいに思えるくらいです。語学学習は基本的に孤独な作業であると思います。周囲に誰も人がいない部屋で黙々と音読…そんな状況で心を支えるものが、わずかながらのナルシシズムだと思うのです。ここで注意しておきたいのは、自分の発言を瞬時に考えて話す「スピーキング」と音読教材を見ながら話す「スプリクト読み」の際の発音能力は個人の中でも違いがあるということです(ここでは詳述しません)。
昔NHKで「英語会話」の講師をしていた東後勝明氏はこう言っています。
「発音が大切だ」と言えば、すぐに、「本国人のような発音の必要はない。日本人なのだから日本人の発音で十分」と反論が返ってくる。「単語を覚えたほうがいい」と言えば、「単語だけを覚えても何もならない。その使い方を覚えなければ駄目」と言われてしまう。うっかり「会話ができなければ」などと言おうものならたちどころに「ただペラペラしゃべれるようになるだけではかえって人間が軽薄に見えて困る」と一蹴され、「それより、内容のあるものが読めることだ」とか「話す内容が大切」ということで会話の重要性は影をひそめてしまう。
「文法をしっかりやりなさい」と言えば、「文法に頼る英語力には限界がある」とか「文法を教えすぎるから、英語が使えなくなっている」と、これにもまた反論が出る。それでは「実際にありそうな自然な対話をそのまま暗記してみれば」と言えば、「会話はそんなに準備されたせりふ通りにはいかない。そんなものをいくら暗記しても役には立たない」と誰かが言う。… ( 東後勝明 「聞き、覚え、使う」 現代新書編集部 『外国語をどう学んだか』 講談社 1992)
要するに、唯一絶対の方法なんてありませんよ、ということであり、たとえ少し間違った勉強法をしてしまっても、それほど差はないですよ、ということ。やりかたで戸惑って学習不安なんて愚かだと思いませんか。ネットで情報収集だけに一生懸命になっている方、とりあえずブクマして満足している方。
世界に飛び出ていく為のツールである英語を、日本の企業や学校の基準に合わせてどうするのでしょうか。会社や学校の要求に応えることが重要であることは言うまでもないですが、これから英語を勉強して身に着けるということは必要不可欠であるということ。すなわち、グローバル化によってかつては「あった方が有利」だった英語から「ないとダメ」というように変化してしまったのです。だから、これから英語学習する人――特にビジネス面の方々――は、外国、とくに韓国、中国にライバル意識を持って外国語を学ばなければならないのではないでしょうか。
英語に関することで今問題だな、(というか、もったいないな)と思うのが巷の「英語学習」と、学問としての「英語教育」との乖離です。この春休みに入ったころに、集中して現在刊行中の「英語教育学大系」シリーズ(大修館)を読んだのだが、個人的に得るところが結構あった。そういった学問分野での研究成果をうまく巷の「英語学習」に反映させればいいと思うのだけれど、実際「英語学習」者たちの間でウケてしまうのはTOEIC900点をとった人たちのアドバイス記事。もったいない。
これ500B!超えたらblog再開させようかな…なんてw
訂正
帰国子女の方々は生まれつき後者の姿勢が備わっているきがします→帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます
地元の同級生と比べてくる。
誰それは課長になった。とか
誰それは休日に親の手伝いをする。とか
でも、出来ちゃった結婚した挙句、生活できなくて実家に寄生するほど恥知らずじゃない。
それに俺はまだ課長になってない。普通の会社で言うところの係長だ。
でも、うちの会社で課長=マネージャっていうと、上場企業の部長級~取締役クラスになる。
それを縁故採用で入った地元の小さい会社で、課長になった奴より格下だっていうのか?
あと、俺は休日に親の手伝いがあまり出来ない。
そりゃ大学出てから一度も定職につかずにフリーターやってる奴は時間が有り余ってるんだろう。
でもその代わりに去年、家立て直すときのローン、俺が払ってるじゃないか。月に30万も!
息子が建てた新築に住んでてまだ親孝行が足りないって言うのか?
それなのに、たまにプロジェクトの合間の休みで毎回disられてたら何もする気なくなるよ。
俺が間違ってるのかな。
プロジェクトリーダーも任されるようになって、会社でも一人前扱いを受けられるようになった。
それなのに母さんは、俺に地元の連中みたいに、出来ちゃった結婚して、資格浪人とは名ばかりのフリーターやって、地元の会社に縁故採用で入社して、一生世間にうだつの上がらない生活をすべきだとでも言うの?
人生のレール・・・その考え方は、俺にとっては、惜しい気がする。
縛られるのは好まない。自分のやりたいようにしてみたい。試してみたい。その分、孤独とか責任がプラスされるが。
でもそうやって自由になった途端、前にあるのは広大な大地で、急に現れた自由に何をしていいのか戸惑う。俺は今現在戸惑っている。
レールを踏み外す・・・今日はまた軌道からレールから大きく逸れた。進路がどんどん皆からずれていく。これからどこへ向かうのだろう。自分は何がしたいのだろう。俺は大丈夫か。家族を安心させられるのか。・・・不安、つまりは責任がつきまとう。
これは元増田から言えば、人生のレールを踏み外したと言えるのかはわからない。大学にはとりあえず通ってるし。
でも、一気に現れた責任やら自由やらは、なんとなく、厳しい師匠って感じがする。俺はその師匠にガンガンぶつかっていきたい。夜中の変なテンションごめん。
思い出されるのは嫌な思い出ばかりだ。特に親戚がらみでの…
でも当時はそれに対して何も感じていなかったことの方が多かった…
いや何も感じていなかったと思う。
理由はわからない。そして、その後に必ず田舎の叔父さんにうちの母親が怒っていた。
「そんなことしないでくれ」
・親戚一同で旅行に行ったとき。1人が迷子になり全員で探した。
振り出しに戻る…わけじゃないけど最初にいた場所に迷子になった子が戻っていた。
「なんだこんなところにいたのか」と私は発言した。怒られた。
「こんなところ」を変な場所に嫌がってという意味で受け取られたようだ。
・小学生の時、七夕か何かに掲げる短冊に皆で同じことを書こうという話なった。
「いい大学を目指そう」なんてことを…
そのとおりに書いたのは自分だけ。他の人間は全く違うことを書いていた。
・小学生の時、同級生の家に遊びに行きファミコンの野球ゲームをやることになった。
メンバーを分けることになり僕は1人だけ。あとはゲームを持っている子のチームとなった。
・小学生の時、集団で遠出。同級生の家に一斉に戻ることになった。
…自分1人だけ戻っていた。あとの人は公園で遊んでいた。待てど暮らせどやってこない。
・中学時代。親戚一同で旅行に行った最後。腫れ物に触るような感じで扱われた…記憶がある。
・中学時代。ボーリングだカラオケだとそういうもので遊び始めるような時期に、「経験無いだろ」
とはなから決め付けられていた。「ああっ、あるよ」と言い返していたが未経験。誘われていくことになっても
自分抜きで話が進んでいたことがあった。
・中学時代の修学旅行や遠足。「こういうところ来たことがないだろ」と散々言われまくっていた。
・高校受験。希望校は合格したが、理解不明の理由をつけられて一番行きたくないところに行かされた。
・高校時代。いやここに至るまでずーっとそうだったような気がするが、自分から友達を作ろうとすることをしてこなかった。
中学時代まではそれでも仲良くしている人はいた。けれど、学校どまりだったと思う。高校時代は、こうした状況に加えて
行きたくない気持ちが勝っていたのでずーっとぼっちで、ごくまれに誘われても断ってしまっていた。理由はわからない。
・高校時代。法事が立て続けにある。親戚連中の親族自慢ばかりを聞かされる。
両親はそれをどんな気持ちで聞いていたんだろう。
・大学時代。アルバイト中心。サークルには、、、入学式のときに顔を出してみただけでそれっきり。アルバイト中心であっても
友達づくりをすることはしない。その場限りの関係。なんとなく親しくなる。そんな感じ。
・大学時代。「浪人なんかしやがって。どこそこのうちは有名大学に入ったのに。現役で」と散々言われる。
高校受験時に自分から希望を奪っておいてよくいうなと思ったが、じっと我慢の子。一浪で入学した大学は知る人ぞ知るという
有名でもなく無名でもなく偏差値もどちらかといえば多少はいいほうの部類に入るかどうかというようなところ。
・で、最近。机の中身とかPCの中身とか見たとしか思えない会話をいまさらしてくる両親。性癖までばれてるんだろうか。
それに気がついていたるところに鍵とパスワードをかけた。いびつな親子関係。
・思いつくままここまで書いてみたが、自分から人に話そうとしない。中学時代に「魔女の宅急便のパン屋のオヤジみたいだ」と言われて
よくわからなかったが、「ああそういうことだったのね」と今更ながら気がついた。
前からずっと疑問だったんだけど
現役でFランしか受からず、一浪しても中堅大しか受からんような人がなんでそんなに学歴にこだわるの?
あなた自身、きっと高校も大したところを卒業してないと思うんだ。
参考になるような人がまるでいないような状況で、何がきっかけでそういう高い理想を持つの?
僕は学年の半分以上東大に入る高校出身だけど、周りに学歴コンプレックスの奴なんて見たこと無いし
うちの高校から日大とか行く奴はたまに居るけど、別に誰もそれを気にしない。
多分、あなたが生きてきた20年近い人生で、きっと何度もあなたが並かそれ以下の頭しか持ってないことくらい何度も人生が教えてくれてたはず。
現役の時に、俗に言うFランしか受からなく止むを得ず一浪。その末に、中堅理系大に行くも自分の理想(学歴や学習環境など)へは届かなかった。
求めたものを手に入れるために再入学や転入を目指し年を越したが、ようやく気づいた。
無闇に入り口を選びなおしても、現実はそこまで変化しないんじゃないんだろうか。あくまで理想は理想なんじゃないか。
だとすると与えられたこの場で、周りに流されず、理想に向かって励んでいけばおのずと結果はでていくんじゃないか。
今後、世間から認められる学歴を得る方法もなくはない。興味を見つけることだって自分次第。しっかりと今を生きる決意が重要。
そんなことに昨日気づいた。入学して一年でやっとだ。
やっと振り切れたかもしれない。
素直に喜びたいのだが、とってもモヤモヤするのだ。
不幸になれ、とまでは思わないけど、幸せになってほしくない、そんな漠然とした気持ち。
我ながら、人として最低だと思う。が、モヤモヤしてしまっているのは紛れもない事実。
いたたまれないので、この場を借りてそっと告白させていただきたい。
友人、とするからいけないのかもしれない。
中学時代から大学卒業まで、濃密に付き合っていた相手、というべきか。
同性なのだが、あまりに好きすぎて、多感でデタラメな中学時代などはそれを恋愛感情とまで自分で誤解してしまったくらいだ。
大学卒業間際、あることをきっかけに喧嘩になり、それっきり、会わなくなってしまった。
そもそも、友達、だったのかどうか。
絵がうまいし小説もうまい、と当時の私は思っていた。事実、中学生としては上手だったと思う。
「見せてほしい」とお願いすると、同じものを同じ枚数かいてもってこい、と言う。
だから私は小説なんか書き始めたのだし、当時は下手なイラストも必死で描いた。ほんとうに下手だった。
友人複数と交換でリレー小説をやったりもした。いつも私がキャラを殺すと怒られた。
楽しかったのは間違いない。けれど私は、メンバーの中では、いじられキャラを微妙に超越したいじめられキャラだった。
ボケと突っ込み、の体裁をとりながら、私が何か言えばいきなり手が飛んでくる。
はじめのうちはちょっと突く程度だったものがエスカレート。
こちらが笑っているうちはいじめにならないから、と、私も痛いのを我慢していたけど、
ついに、脳味噌ずれるのが分かるほどの平手打ちをもらったときは、意志に関係なく涙が出てしまった。
さすがにどうかと、ヤツに手紙を書いて渡した。
なんて返ってきたと思う?
「自分には、対等な付き合い方というのが分からない。見下すか、敬うかしかできない」だと。
要は、ペルソナが強すぎるのだ。
「自分のキャラ」みたいなものから一切逸脱できず、ただそれを演じることに徹している。
そこを理解してくれと言うのだ。
事実、二人でいるときは手をあげることはない。
それでもやっぱり、好きだったのかねぇ。
強くたたきすぎるのはナシ、みたいな密約のもと、謝られるわけでもなく同じ関係は続き。
オタク仲間、というのが少なかったからかもしれない。
別の高校に行っても、長電話したり遊びに行ったり来たり。
でも、この頃になると、学校が違うから明確な学力の差が見えにくくなってくる。
視野も広がるし、友人も増える。
私も小説を書くのが好きになって、素人ながら作品と呼べそうなものも作れるようになってきた。
そうなってくると、力関係は変化し始める。
コテコテのドオタクでいるより、好きなものを適度に取り入れたい私と、
なりふり構わぬ服装や態度を、こちらがやんわり諭すような場面も出てきた。
そして受験。
お互い一浪し、ヤツは有名大学の文学部二部、私は芸術系学部の文章創作コース。
こっちは大学の課題で小説を課され、プロの小説家に添削を受けているんだから上達は早い。
ヤツの書いた、あいかわらず中学クオリティの作品の粗もよく分かるようになった。
でも、こき下ろすようなことはしなかった。
こっちはプロを目指そうとしているのであって、趣味で書き続けている人の楽しみを奪ってはいけない、と。
この頃になると、家族に次いで親しい大親友と言っていいくらいには気心を許していたと思う。
・・・少なくとも、こちらからは。
あくまで「自分のキャラ」のなかでしか行動しないヤツに、私はだんだんいらだってきていた。
とにかく、成長がない。他者から学ぼうとしない。影響されない。
だから、迫ったのだ。本音で付き合え、と。
ヤツのペルソナをすべて論破して、丸裸にしてやった。
そうやって逃げるのは怖いからだろう? ほらまた自己弁護に走った、
それは本心じゃないだろう、なぜそう言いきれる?
思えば私も若かったし、性急だったと思う。
自分はこんなにお前のことを知っているぞ、とひけらかしたかっただけなのかもしれない。
10年付き合っていてはじめて、ヤツは涙をみせた。
初めて本音に触れた、と思った。漠然と、勝ったと思った。
そんな風に思う時点で、私も薄っぺらだったわけだ。
それっきり、会っていない。
ただ、私はそのとき予言した。
「そんな風に自分の殻に閉じこもった付き合い方をしていると、幸せになんかなれないぜ」と。
それから、約10年。ヤツをネット上で見つけたのは、ほんの数年前だ。
精神安定剤をオーバードーズしていることが自慢げに書かれていた。
複雑な気持ちになった。不幸自慢は気持ちのいいものではない。
でもどこかで、ほら言ったとおりだ、という思いもあった。
一方私は、小説家とはいかないまでもライターとして仕事で文章を書くようになっていた。
信頼も得ていたし、役職をもらって後輩を育てるまでになっていた。
大した成功ではないが、ヤツと比べてしまえば雲泥の差。
HPに設置された掲示板に声をかけるか迷ったが、やめておくことにした。
何を書いても、自慢になってしまう気がした。
それからさらに数年。
一定の自己実現欲も満たせたし、第二の人生といった感覚の引退。悔いはひとつもない。
ふと、ヤツを思い出した。
正直、自殺しているかも、とさえ思った。なぜか、それだけはやめてほしいと思った。
安否確認のつもりで昔見つけたHPを開くと、ブログが変わっていて、
ヤツが何を思い、どう変化していったかは知る由もない。
真に心を開ける相手を見つけたのか、
心を開かないことを許してくれる相手を見つけたのか、それすらわからない。
ただ、相変わらず昔の小説の続きを掲載し続けているヤツと、
今の私が社会的に同じところにいるということが、妙にモヤっとするのだ。
もしかすると、私こそがヤツに対して、一定の強い思いを抱えたままなのかもしれない。
その原因は紛れもなくネット。ウェブ。得にはてなブックマークとかが原因。
だいたいさぁ、ブックマーク数が結構ついてるエントリーとか見つけると気になって仕方なくなるんだよ。
なにか自分がまだ認識していない大切なことがわかったり、自身の思想とか価値観とか人生観とか世界観とかを劇的に変えたりとか
それらについて考えさせられる考えるべき何かとか、要するに
「自身が価値があると感じられる、未だに認識してない、認識するべき何らかの情報が広大なネットや本に存在しているのではないか?」っていう疑念。
いや存在しているのだろう、それは無数に。 こういった無限に膨張し続ける情報に取り巻かれている今
粛々と受験勉強なんてしてて良いのか? っていう思いが募りだして2年ぐらい経つ。
ある一つのエントリー、ページとか一冊の本とかで何かが変わったり、東大合格と健康維持という目的(目標)ぐらいしかない俺が
他の何か、素晴らしい夢とか目標とかやりたいことを獲得するかもしれない、、、
今年で一浪目だが、合格できるかどうかわからん;; それほどまでに俺は心を奪われてしまっているんだよ、目の前のこれに。
最近どうしようもなく怖いんだ。
いつか東大を諦めてしまうようなことになるのが。
このことが原因でただ情報を漁って逡巡することに膨大な時間費やして
大して行動せず何も為さないままだらだら生きていくことになるのが。
現役で東大に合格した受験生と俺、何が違う?彼らは情報をいかに処理したのか?
なんで俺とかはいつまでも足踏みしてんだ?
もうどうすればいいんだ… もう完全に俺の問題解決能力では手におえない。助けて欲しい。
とにかく東大に入りたい。なんで入りたいかはこの際どうでもいいはず。各位、自身の抱く目標に置き換えて
それを阻む要因として俺のこの疑念がそれなら一緒に解決しよう。解決してください。お願いしましたよ。
>元々勉強できるやつだったら別にゲームしてようが何してようが東大でも何でも受かるし
勉強が手につかないのに受かるわけないだろ!
自分がどういうタイプだろうが俺はどうしても東大にいきたいんだよ!
ほりえもんって受験のとき、起きてから寝るまでの間、食事、風呂、トイレ以外、勉強しかしなかったらしいけど
今の俺にはそういうストイックさが必要なんだ。
なぜ他の何かに現を抜かす俺のようなどうしようもない人間と
おおよそどんな目標でも達成してしまいそうな ほりえもんや孫正義のような人間がいるんだろう 同じ人間なのにどこが違うんだろう
最近の就職活動に関する報道を見ていると、新卒と既卒では企業の採用方法が違い、結果として大学を卒業するまでに就職が決まらなければその後の就職活動は何かと大変だそうだ。そのため、「卒業後2年は新卒と同じ枠で採用しましょう」などという動きもあるらしい。残念ながら、物事の本質を見ない議論だと言わざるを得ない。
いきなり個人的な話をするが、私は大学院に入ったばかりのときに婚約した。就職が決まったら結婚するつもりだったが(後に実現する)、就職活動は思いのほか大変だった。
理系の大学院生だった私は、就職活動では日本のメーカーを中心にまわり、うまくいかなかったら公務員試験を受けるつもりだった。企業の人と会うたびに現実の厳しさを思い知った。
「学生結婚するの? 前例がないなー。うちに入ってもらうのはちょっとどうかな」(会社と関係なくないですか)
「最初の年は地方の支店まわりだからきついと思うよ」(ちゃんとがんばりますけどね)
「結婚を何年か延ばせないんですか」(会社ってすごく個人的なことに介入してくるんですね)
「うちの初任給知ってる? 実家の援助があるの?」(そんなものはない)
「赤ちゃんでもできたんっすか」(そんなことはないが、なんというデリカシーのない言い方)
別にこちらから学生結婚の件を持ち出したわけではないが、それが世間話であっても「家族構成は」のような質問をされるとこの話題は避けて通れない。隠してもよいが、内定後「どうして言わなかった」と怒られることも避けたい。
話には聞いていたが、私が就職活動を通して学んだのは、多くの企業において画一的な人材が求められるということだ。
新卒でないとダメ、新卒でも二浪はダメ、新卒で浪人してなくても結婚するような奴はダメ。
あたかも能力は二の次であるかのように。
そんなある日。とある外資系企業で採用担当者と会う機会があった。留学した経験もない上にTOEICも受けたことがない私は外資系なんて眼中になかったが、会社説明くらいは聞いてみようと思ったのだ。
採用担当者は日本語のできるアメリカ人だった。いろいろと仕事の話を聞いた後、
担当者「他に質問はありマスカ」
私「近々結婚しようと思っているんですが」(会社的にどうなんでしょう)
担当「おおっ! すごいな。おめでとう」
私「(この会社は嫌な顔をしないぞ……)結婚している上で何か留意することはありますか」
担当「奥さん働いてるの?」
私「いえ、できれば働かない方向で」
担当「オー専業主婦だね。きみはもしかすると亭主関白のタイプではないか。そういうのもいいねHAHAHA」
担当「就職前に結婚する学生さんはあまりいないけれど、関係あるのは税金関係だけじゃないか? 結婚する日にちは確定しているの?」
私「はい、一応」
担当者「一つ質問なんだが」
私「はい」(やや緊張する)
冗談とわかってはいたが、妙にうれしかった。外資系の「実力主義」を嫌悪していた私だが、初めてそういうのもいいかなと思った。
新卒偏重に話を戻そう。企業は本人の実力や潜在能力(ポテンシャル)に加え、いろいろなところを見て採用を決める。性別・年齢・国籍、私の場合は配偶者の有無。そして新卒かどうか。
企業が営利を目的に活動する以上、経営判断として新卒の学生を優先的に雇用する企業はあってもよいのかもしれない。ただ、これは「規格外」の人を排除する、わかりやすい言葉でいえば就職差別であることに気づいてほしい。
一番大切なことは企業が未経験者の採用過程において本人の実力以外の余計な属性で門前払いをしないこと。新卒だろうが既卒だろうが未経験者のエントリーはまとめて受け付けて、書類審査、筆記試験など一緒に行えばよい。志願者が増えて大変? それは企業の人気が高まったと受け取れば良い。面接官の人数が足りなければ書類審査を厳しくすればよい。なによりも、この現状で「既卒の未経験者も歓迎」というのはかなりポジティブな宣伝になると思うのだがどうか。
企業の方に属性にかかわらず「できる」人材を採用することが長期的な利益になると認識していただきたい。そして、新卒優遇という悪しき習慣が一日も早くなくなるように、地球の反対側から願っている。
給与、安定度、世間体、福利厚生、転職市場価値その他間違いなく並ぶとこのない場所につとめておりまして。
現在三年目です。院を出ている上一浪しておりますので、二十五歳から働き始めて今28.
年収は400後半となっております。初任給は17万五千円でした。わかるやつだけわかれ。
いつもこういうのを見るたびに思うんですが。
「年収一千万」ってどの段階のことを指すんでしょうか。そりゃわたしだって、役職がつけば
給与制度が変わりますからその条件を達成することはたやすい。しかし、そこまでいくには相応の年月がかかるのです。
早い人で、33くらい。伝説的に早い人で、30くらいです。
わたしはスタートが遅いのでもうしばらくかかってしまいますね。
他、ローを出て来た人や博士持ちもいますので、平均年収は高くても若手はそんなにカネないもんです。
福利厚生が手厚い(家賃ほぼタダ)のでそれなりに遊べはしますけどね。
もちろん、この「年収一千万」が40歳時の数字というのであればいいんですけど。
それで、結婚適齢期である24~29くらいの間に1000いく仕事といえば
マスコミや商社でもムリなんじゃないですかね。五大の上の方やキー局なら行くのかなぁ。
となれば、該当するのは金融フロントとかですよね。あと外資ならあるかも。でもあの辺りって基本年棒制度ですから
リスク高いですよ。リーマンショックの頃「仕事くれ」って押し寄せてましたもん、ウォール街からはじき出されたひとたち。
身体壊す率も高いし並みの人間なら即死モンの激務だし、結婚相手としてはどーかなぁと。
さもなければ士業ですが、ぶっちゃけこっちも厳しいですよね。弁護士、会計士。
今やその若さだと「地盤を持ってる二代目」とかじゃないと、下手すりゃワープアコースです。
あと考えられるのは新興ベンチャーの社長とかですが、リクルート脱北組なんかがかなり頑張ってますけど
でもあの影で大量の有象無象が死んでるわけですよね。俺ならそんなんと結婚したくないっすね。
つーわけで、ほぼ「いない」んですよそんな人間。
んで、仮にいたとしてもですね。「年収一千万稼ぐ女」ってのはそれなりの御年なわけですよ。
御年、おいくつですかオバサン。どう考えても、1000万稼ぐ男はあなたに興味ないです。
1000万稼ぐっつーことはそれなりに忙しいし、ダブルインカムにも大した旨みがないわけで。
ごくふつーの嫁、具体的に言えば自分のトコの一般職掴みます。入社三年以内のね。
とゆーわけで、一千万稼ぐ女とは思えない非常識な条件を提示されることも結構なんですが。
選ぶ側じゃないと思いますよ、その年齢だと。
男は「四十歳時の年収」で選ぶのをオススメします。現時点で年収一千万とか基準にしてると
「イケイケ不動産営業」とか「地場証券のエース」とかそういう地雷踏むよ!踏んじゃうよ!
二十代の年収一千万プレイヤーって、圧倒的にこういうの多いよ!四十まで続く人はほぼいないよ!
「外資MRまで」くらいの基準を作って、あんまり年収に踊らされない方がいいよ!大事なのは生涯賃金!
現役生,浪人生の諸君!そろそろ受験勉強がだれ始める頃だろう.欝って死に場所をググりはじめる頃だろう.
しがない商業高校生が一浪を経てトンペー大学に入学した軌跡……を書くのはやめて,精神がやばくなったときにモチベーションを上げる目的で見ていた受験関係のウェブサイトを紹介しよう.
国公立大学2次科目偏差値分布表http://www.yozemi.ac.jp/bunpu/niji/kokkoritsu/index.html
大学受験ガイドhttp://daigakujk.cocolog-nifty.com/blog/
受験参考書書店http://hikyakusyoten.blog70.fc2.com/
一流大学への道http://www.geocities.jp/grand_father_21/main.htm
大学受験パスナビhttp://passnavi.evidus.com/goukaku/
解法網羅系参考書http://www003.upp.so-net.ne.jp/chief/referencebook.htm
入試難易予想ランキング表http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/index.html
社会不適合者が行くhttp://bbblog0008.blog98.fc2.com/
再受験日記http://resuscitation.blog61.fc2.com/
浪人もアリかなと思い始めたhttp://alfalfalfa.com/archives/11403.html
ろーろぐ.http://ro2n.blog46.fc2.com/
【生活】留年、浪人経験者の生活http://tenkomo.blog46.fc2.com/blog-entry-1623.html
大学受験の辛かった体験をつづっていけhttp://news23vip.blog109.fc2.com/blog-entry-1939.html
テストというゲームで高得点を取る方法http://blog.riywo.com/2008/09/22/225951
後輩たちのためにちょっとだけアドバイスしとこう.有用かは自分で判断してね.
例えば受験勉強の正しいやり方みたいなんがあるけど,あんなんマジで個人差が大きい.ほんと人による.
予備校の予習復習だけを頑張って受かるやつもいれば自習室にこもって参考書がりがりやって受かるやつも居る.
難解な箇所を粘り抜いて自前の脳みそで考えたほうが身につきやすいやつもいれば2時間も3時間も考えて結局曖昧な理解のまま終わるより講師の洗練された分かりやすい説明で10分で片をつけてどんどん次の学習へ移るやつも居る.
多分これが正しいみたいなもんはない.復讐のやり方はあーだこーだとこだわるよりとにかくがむしゃら机に向かったほうがいい.勉強法の議論なんてクソみたいな血液型占いと変わんない.
あと欝って現実逃避するのもいいけど,戻ってこれる確信がなけりゃいろいろと終わる.
自分の場合は映画館とゲーセンだけど貯金の10万が尽きたとこで我に帰った.ガチで危なかった.
ネトゲーとかだと際限ないからね!!
それに夏,秋初め,冬,センター後くらに欝の波がくるけどここは踏ん張りどころ.気合のみ.精神論の世界.