はてなキーワード: 大切なこととは
The burnout cycle (Jono Bacon, Nov 2010) (PDF) の一部より。
燃え尽きの最初の段階としてよく見られるのは、自分の価値を証明したいという欲求です。
その根幹には、自分の仕事が軽んじられているという不安感があります。
燃え尽き症候群の患者は、自分の価値を証明するため、より多く働こうとします。
長時間働くことは燃え尽き症候群の初期段階に見られる兆候です。
自分がいかにたくさんの結果を出しているかを証明しようとして、
頑張って長く働くこうとします。
夜遅くまで働きつづけることも珍しくなく、
オープンソースソフトウェアの活動の場合はさらにそれが顕著です。
たくさん働けば自分の価値をもっと分かってもらえるという信念のもと、
午前2時や3時まで働いたりもします。
この段階になると、眠ること、食べること、友達と遊ぶことなどは単なる「娯楽」であり、
自分の価値を証明しようという欲求があまりにも強い状況であり、
より多く働くことが最優先事項になります。
誰かに誘われても、断ることに抵抗を感じません。
また、働きつづけることに抵抗を感じなくなります。
深夜や早朝に働くことは珍しくなく、
この段階では、異変に気づいた身近な友人や家族から、大丈夫かと尋ねられるようになります。
ただやることが溜まっているだけだと言って、彼らの気遣いを聞き入れません。
この段階では、仕事へのこだわりが強くなることにより、
それまでの価値観において大切にしていた、友人や趣味といったものを脇にのけるようになります。
仕事でよい結果を出すことが、成功をはかる唯一の指標になります。
人付き合いや家族と時間を過ごすことが、もはややりがいのある大切なことではなくなります。
むしろそうしたものは、やりがいある仕事へのさまたげになる、と考えるようになります。
もっと働かなければならないから、と言い訳するのに抵抗を感じなくなります。
いつ尋ねてもダメだと言うので、友人から誘われることもなくなっていきます。
この段階では、不信感、狭量さ、攻撃性が顔を出してきます。
同僚がバカでとるに足りないことばかり言うように見え、
どんどん生じてくる問題の原因として、
時間が足りない、同僚が無能だ、仕事の分配が不公平だ、と文句をつけるようになります。
睡眠不足により疲れがたまり、ジャンクフードとカフェインのせいでかなり不健康な状態になっています。
自分を情けなく思うと同時に、まわりは自分のつらい状況を理解してくれない、と感じます。
他人に向かってわめいたり手をあげたりするようになり、
口喧嘩をしかけることが増え、謝罪することに抵抗を感じるようになります。
生きることがつらいと感じるようになります。
他人との接触や人付き合いを最低限に抑え、
燃え尽きが進行していくという感覚をやわらげることが重要になってきます。
酒を飲むこと、あるいは薬に頼ってストレスを解消しようとします。
何に頼るかはそれぞれですが、通常よりも深くそれにのめり込みはじめ、危険な兆候が出はじめます。
友人、家族、同僚からみて明らかにおかしな奇行をするようになります。
本来のその人でなくなったということが、近しい人の目にはっきりと分かります。
身体的に疲れ果て、頭痛、肌荒れ、意欲の低下など健康上の問題が生じます。
対人関係にプレッシャーを感じ、とくに深夜、鬱が強くなります。
自分の人生が、機械的で感情のない歯車の連続のように感じられます。
自分の価値を誇示したいという願いも弱くなり、諦めてもいいかと思うようになります。
より頻繁に酒、薬、過食、異常性欲、その他の奇行、破壊衝動などに逃げ込むようになります。
鬱がさらに進行します。
この段階では、失望感、喪失感、消耗感を感じ、将来を楽観視する理由をほとんど見出せなくなります。
商学部やら文学部の学生が、卒業論文とかサークルの出し物でワンピースを取り上げればそのまんま本になるくらいの勢い。
この手の本を買うときは「書き手のプロフィール」をよく確認してから読むようにしたい。
逆に言えば、一生に一度くらいは本を出したいと思っている人は今がチャンスです。ワンピースとコラボしてなにか本を出せないか企画を考えてみよう。
個人的に最も面白かったのは・・・「モンキー・D・ルフィの「D」はドラッカーだった」 阿部美穂 <ドラッカー学会会員
次点の高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! (野球指導書編集委員会) といい、
ドラッカーバブルに乗り遅れた方々が必死に次の寄s・・・コラボ相手を求めてさまよっている様がとても微笑ましいですね。
漫画ワンピースは、これからの時代のビジネスバイブルだ! 徳永 秦 <Amaozn書評が全員身内褒めでかなり気持ち悪い
ルフィの仲間力 『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法 安田雪 <「社会ネットワーク分析」が専門の教授
「ワンピース」はなぜ人の心をつかむのか―「ONE PIECE」はなぜ売れるのか (ベストセレクト) 富田 英太 <ワンピース=新世代の司馬遼太郎とかねーわ
『ワンピース』に生きる力を学ぼう! 平居謙 <2冊目。この人どんだけワンピース好きやねん
<1万冊を超える読書によって培われた膨大な知識をもとに、独自の研究を重ね、難解とされる古典を現代漫画をもとに読み解いていく手法を確立って・・・。ブログとかあるのかな?
ワンピースの言葉が教えてくれること (ルフィと仲間たちに学ぶ「生き方」の教科書) 方喰 正彰 <プロフィールなし
ONE PIECE STRONG WORDS 上下巻 尾田 栄一郎、 内田 樹 <内田樹のワンピース論は結構面白かった
<ワンピース「世代」>
「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱 鈴木貴博 :注目株。そういえば「ガンダム」程読者の顔が見えないのだよね。不思議!
<なぞのコラボ>
高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! 野球指導書編集委員会
ONE PIECE 海賊キャラ弁当BOOK (FLOWER&BEE BOOK)
ワンピース最強読解 (ワンピース最強シリーズ) ワンピわくわく研究会
超読解 ワンピースが教えてくれた人生で大切なこと―自分の“宝”を守るために必要なもの 海賊行動学研究会
ワンピース最終研究―海賊王の血脈と古代文明の謎 (サクラ新書) ワンピ考古学研究会
<やおい系の本が出てるけどこれどういう仕組み?>
海賊ゲーム外伝「ゾロ×サンジ ラブディスカバリー」 (POE BACKS)
同人作家コレクション114 光葉 (POE BACKS) 光葉
同人作家コレクション103早乙女神楽 (POE BACKS) 早乙女 神楽
今田まことおまめ (K-Book Comics) 今田 まこと
同人作家コレクション99ケチャップ (POE BACKS) ケチャップ
しかし、考察系が無駄に多いのを除けば、もっともっとたくさん出てもいいのにまだまだ少ないと思う。(ドラッカー関連本はこの3倍くらいある) http://uwasano3.web.fc2.com/druckertyo.html
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
あのー、旧ソ連の崩壊は、別にフェミニズムがどうこうではなく、単純に計画経済が行き詰っただけでは……
実際、フランスにしろ北欧諸国にしろ、別に女性が社会進出したせいで、社会が崩壊なんかしてませんし。
離婚率は上がりますが、これはむしろ両親が喧嘩し続ける不幸な家庭が減ったとみるべきでしょう。
両親がぎすぎすしているのに、無理やり維持されている家庭で育つのは、あまり子供にとっても幸せではないでしょう。
あと、肌の密着は別に父親がやっても他の他人がやってもできる、それでいて重要で大切なことでしょう。
大事に抱きかかえて、哺乳瓶からお乳を飲ませるのも、赤ちゃんにとって大切なことです。
何も絶対に母でなければならないという理由はありません。
というか、お乳が上手く出ないせいで、哺乳瓶育ちでまともに育った人がごまんといる中で、何が何でも母乳という圧力は、かえって親にも、ひいては子供にも良い影響を与えないでしょう。
また、何度も書きますが、仕事に向いていて育児に向かない人に無理やり育児だけさせるのを問題視しています。
そういう人は職場から受けるストレスより、育児から受けるストレスの方が多いでしょう。
無論父親でも同じですが、それこそ女性でなければならない理由がないからこそ、同じだといえます。
重要なのは、育児に向いた人が、育児を行うという環境でしょう。
保育所育ちで立派に育つ人が多い中、保母さん保父さんの存在を否定するのはどうかと。
乳幼児期だけは、専門的に一対一くらいで見られるよう、お金をかけた育児が必要かもしれませんが、それ以降は現在の保育所のな形式で充分ですし、現実的に可能かと思います。
妄想メモ書き。論点多すぎてぐちょぐちょ。もうちょっとまとまったらちゃんと書く。
ソーシャルゲームに求められているのは一般的な意味での「承認」とは違うと思う
むしろネットとは承認を求めてやるものだ、みたいな考え方に対する
アンチテーゼ・・・ではないが発想の転換すら行われていると思う。
篠房六郎さんのネトゲ関係作品は今だからこそ興味深いと思う。特に「空談師」。
元来ネトゲというかネットワークのコミュニケーションに期待されてたこと、およびその問題は
しかし、現実において、ビジネスとして資本効率を追求したときに
「篠房六郎の思い描いた可能性
(現実の大半をゲームに持ち越すほどにヘビーゲーマを中心としたコミュニティ構築)
作者自身もこの路線を放棄していることからも、こっちの可能性はもうないと思う。
作者は、ビジネス的な面からゲームを考えてなかったよなーと今から読み返すと思う。
⇒安っちい承認欲求というか視線欲求を満たすだけなら小町で十分なんだ。
ネットでは得られないというのはもうコンセンサスになりつつあるんじゃないだろか。
⇒ソーシャルゲームでは
承認を目的ではなく手段とする(承認=仲間になればお得)という発想の転換があると思う。
仲間づくりはあくまでそうしたほうが便利だからそうするだけ。
⇒この発想の転換はビジネスを運営する側の都合から生まれたんだろう。
「仲間」の部分をすごいグラフィックや濃密なコミュニケーションを演出しなくていい。
むしろ単純なステータス化して極力力を入れないことで、低コストでサービス運営できる。
しかし、今のヒットを見てると、これが正解なのだと思う。
他人はそのきっかけ程度の重みしか求められてないんじゃないだろうか。
本当に飢えているのは自分の価値とかよりも、とにかく自分を楽しませてくれるもの。
自分のやってることに後暗さを感じなくていい場所というか。ここがうまく説明できない。
⇒自己完結ができるということは、それだけお気楽な、深く悩まなくて良い社会を想定してるはず。
昔の古き良きRPG、ネットワークビジネス的な雰囲気。
これらは「昔の楽天的な高度経済機の日本」という幻想の代替物みたいな。
⇒そういう「何も考えずにただ目の前のボタンをクリックし続ければいい」仮想社会を
つくろうとしたのがソーシャルゲームだとすると、実際のところは非常に不完全。
グラフィックというよりも、ゲームデザイン側に深刻な問題がある。
成長がすぐに限界に行き詰まり「増資=課金」をしないと成長できない。
しかも増資をしても、そのリターンが帰ってこないというところで現実との乖離が生じる
本当にずっとやりたいなら、増資=自分で投資をした分の見返りが必要。
⇒この問題を解決するためには
「リーダーシップとして一番大切なこと」という本に書いてあった
「ステージ乗り換え」によって成長を持続する仕組みが必要。
チャレンジできる、ということが求められるだろう。
⇒現状はどのゲームも似たり寄ったりだ。
別にパクリとかなんだとかは好きにしたらいいが、レベルが同じで
これでは「時間つぶし」以上にはなれない。
すごいブックマークだ。
今のところ5004users。と大反響なので、たくさんのトラックバックが付いていて、右往左往の状態みたいだ。
元ネタを書いた人も反響の大きさに驚き慄いたのか、元エントリに追記をするだけではなく、補足のエントリを書いたりしている。たとえば、
少し覚悟はしていたけど、左右両方に曲解されて極端なコメント(メンヘラがマクロビやったらすべてがうまくいった!のレベルの賛否になっていたりする)をもらうのはちょっと疲れたので、こういうことを増田に書くのはやっぱよくないですね。なのでこれでおしまいにします。
しかし、読者の誤解等について、繰り返し自らの真意をアナウンスする姿勢。これは非常に大切なことだと思うし、またネットという場所(ツール)であるからこそ可能なことだと思う。元エントリとそれに付随する一連のエントリ。なんだか立派だな。
下記の文章を読んでどういう反応を返すかで大体その人がどういう人かわかるっていう
いろいろ不安に思うことも多いでしょうが、一つだけ決して思い違いをしてはいけないことがあります。
「採用する側」と「採用される側」は平等である、ということです。
就職活動というと、学生が「お願いですから、御社に入れて下さい」と言い、
企業側が「まあ、入れてやってもいいぞ」と言う、なんていう力関係を考える人が多くいます。
しかし、本来はイーブンでなければなりません。
企業側が学生を下に観てはいけませんし、学生も企業側よりも下だと思う必要もありません。
「入りたいと思ったら、入りたいんですが」「採りたいと思ったら、採りたいんですが」
どちらが偉いとかどちらが上とかはありません。
恋愛で、異性と付き合うかどうかを決める時に、「どれだけペコペコしてくれるか」は関係ないですよね。
もし異性と結婚を決めるとすると、気にするのは「どれだけペコペコしてくれるか」ではないですよね。
異性を見る時に「どれだけ下手に出るか」ではなく、もっと大切なことがたくさんあるはずです。
同じように、採用側も、「どれだけペコペコしてくれる学生か」なんて見ていません。
あくまでも、お互いが「良い」と思うかどうかなのです。
「私と御社は合うと思うので、仲間に入れてくれませんか」「当社もあなたと合うと思うので、仲間になりませんか」
と握手したいかどうかというのが学生の就職活動であり、企業の採用活動です。
学生と企業はイーブンですから、自分も企業を「選考」してやる、と胸を張って構えればいいです。
「今から、あなたたち学生を選考していきます」と言っている会社があったとしたら、
就職活動は、内定をお願いしに行く活動ではなく、相手を見つけに行く場所だと思っておきましょう。
分からないことがあれば尋ねていいし、気になるところがあれば聞いていいし、嫌なところがあれば指摘していいし、
許せないところがあれば離れて構わないのです。
そうやって、お互いに理解を深めた上で、「仲間として一緒にやりたいね」という相手を探す。
「どこか入社させてくれるところはあるんだろうか…」などと卑屈になる必要はありません。
素敵な異性との出会いのときめきを楽しむように、素敵な会社との出会いを楽しみましょう。
もっと胸を張って、就職活動を楽しんで下さい。
まず最低限のラインから
・この文章を読んだ時すぐに自分の現状をあてはめて「正しい」「間違いだ」と喚く人は読解力がゼロ。
はてなにはよくいるけど。あとそういう反応が帰ってこざるをえないような、ダメな文章を書く人も多いけど。
読むという行為は書いてる内容が全てじゃない。それにどう反応するかが大事なんだっていい加減学ばないとねー。
その壁を乗り越えた上でいかのような点をチェックされたし。
・この文章を読んで、書き手を優しいと見るか厳しいと見るか。
・そもそも自分から企業を選ぶという意識をもっていたかどうか(3Cの概念を理解してるかどうか)
・就職および就職する企業に何を求めているかを自覚しているかどうか
他にも読み手によっては色々と考える所があるかもねー。
1つだけ書くと、個人的には、新人の就職活動について恋愛をメタファーに使う奴はミスりードだとお思ってます。
入社後についても一貫して使えないアプローチなわけじゃないですか。
何も残せなかったという点で無駄だった。
で?それの何がすごいの?
そのデータは今や消えたし。
朝練だのなんだので、貴重な時間を費やしたにも関わらず、市内のベスト8にもならない弱小チーム。
何も残らなかった。
人に誇れる成果も。人間関係も。
おかしいだろ。塾なんて、週に3回程度ある下校後の3時間程度の勉強だろ?
それが90%のウェイトをしめて、
学校の授業は平日毎日8~15時(自分の時は土曜日の8時~12時)の大半なのに、10%程度しか残らないんだ。
おかしいだろ?
今となっては無駄だと言えるが、当時の自分は社会が見えてなかったし、いわゆる「良い子」だったから親や教師の言うことを真に受けていた。
自分でもフワフワとしててイヤな感じで、好きだとか愛してるとか君を一番大切に思ってるんだ本当だとか、そんな告白?のようなことをしたら、もし仮に今すぐにメールで伝えたりしたら、そりゃあ声を直接の電話でもいいけど、だけど番号知らないし、だから結局するとすれば電子メール(E-mail)になるんだろうけど、そんな大それた事をしてしまったら、そんな大事な重要な大切なことをメールというのも確かにおかしいし妙に変なんだけど、それでも、お酒の力を借りればできるのかも知れないけど、アルコールのあのパワーや勢いで、もし打ち明けてしまったら、社会の白い目とか周囲の軽蔑が一斉にまとまって襲いかかってくるだろうなというのは分かりきった感じで、やっちゃいけない立場だぜ、それは知っているんだぜという幻聴が右耳?左脳?だけからは聞こえてきて、でも、でもってことはないか、そして、かな?それに、そもそも第一相手も戸惑うだろうし、たまたま偶然何かの弾みで信頼を寄せてもらっているだけで、それを好意愛情尊敬と曲解し、つけあがっているだけ、のぼせあがっているだけっていうのは自分でも重々承知なんだけど、その辺は意外と冷静なんですが、偉いぞ自分、言って叫んでわめいていっそのことどこか高い所、ビル?みたいなところから飛んで降りて落下して、そのあと予め書いておいた手紙を読んでもらうというような算段にしてもいいんだけど、それだとこっちが死んじゃうし、痛いかも知れないし、それはちょっとやっぱり駄目だし、知らない他人にも迷惑だし、迷惑は格好悪いよね、でも、絶命してしまえばさすがに泣いてくれるくらいのことはしてくれるだろうからそれに期待して綺麗な思い出にしてもらうほうが幸せなのかとか、こんな整理のつかない気持ちを直接ぶつけられても迷惑だろうし、こんなのは気持ちというよりむしろ悪意だし、自分がそんなことをされたら微妙な応対しかできないだろうし、そう、自分がされてイヤなことは相手にしてはいけないのだし、でも人の嫌がることを進んでやりましょうというスローガンを掲げる大人もいたわけで、そんなことを義務教育のどっちかの学校で聞いた気もするし、ここまで書いて、立ち止まってみて、前を読み返して、後ろを読み返すっていうわけにはいかないのでもちろんそれはそれでいいんだけれど、感想としては、これこそ個人の日記っぽいなあと思って、数年後、親類縁者に発見されて顔を赤面、恥ずかしい思いをするような表現内容誤字脱字になっていることに、満足。ではでは、みなさん、おやすみなさい。よい夢を。
本当に辛い思いをしてきたんだね。
私もかつて増田と同じことを思ってたから、10年後のあなたからの言葉だと思って聞いて欲しい
10代の時って容姿がすべてと思ってしまうんだよね。私もそうだった。
顔の造作のちょっとした違いが大きな違いだと思ってしまうんだよね。私は高校生の頃自分の顔が嫌で毎日マスクして学校通ってたよ
でもね、女の子って20代前半まで毎年顔が変わるし、(私も一重だったけど、まぶたの脂肪が落ちて二重になった)洗練されて行くしどんどん綺麗になっていくものなんだよ
増田もきっと綺麗になると思うから、とりあえず22歳まで整形するのは待って欲しい。
今は本当に多感でネガティブになりやすい時期だと思うけど、この時期が過ぎればきっと自分を肯定できるだろうし容姿より大切なことがあるってわかると思う。
そして男の人って女が思ってるほど女性の容姿の細かい違いなんて分からないの。(キャンキャンみたいな格好している人はみんな同じに見える様にね)
容姿で人の価値を決める人間も残念ながら存在するし、若いうちはそういう人が多いと思う
だけど、社会人になればそんなのは一握りだし、そういう奴は総じてクズだから気にする必要も無くなる。
大人になれば私の言ってることはきっと理解できると思う。
私もブスで10代の頃は整形しようって考えてたけど、しなくてもちゃんと人並みに恋愛できたし、結婚もできた。
とりあえず22歳まで待ってみて。その時も自分の顔が嫌いなら整形すればいい。整形なんてお金があればいつでも出来るんだから。
教師の心得 - bluelines
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110908/1315487472
この記事はとても良かった。大切なことが記されていて、その難しさもよく伝わってくる(10と11が二段構えになっているのはその難しさの現れだろう)。たくさんブックマークされて、嬉しく感じる。
ただブックマークのコメントを見ると、この10番目の項目「もし学生が理解できないのであれば、それは学生のせいではない」を教員側の心構えではなくて、単純な事実と解釈したものが多いように見えて心配になった。すこし極端に書くと「もし学生が理解できなくても、学生側は反省する必要はない。反省すべきなのは教員だけだ」という感じに解釈している人がいるように見えて心配になっている。念のため私の解釈をここに記したい。
私の解釈では次のようになる。舞台は大学でもあるし、最終的には学生はそれなりに高度なことが求められる。
学生は最低限の学びのスキルを身につける必要がある。受け身の姿勢ではいけない。自立的に学習する力を身につけなければいけない。そうでなければ大学の講義もなかなか理解できるものではない。ただ、学生が受け身の姿勢でいたとき、教員はただそれを嘆いて終わってはいけない。受け身の姿勢の学生に対して「それではいけない」と伝えて、自立的に学習する力をつける必要があることを伝えて、その手助けもする。そこまで含めて教員の仕事だ。
「もし学生が理解できないのであれば、それは学生のせいではない」というのは、「学生を否定・批判してはいけない」という意味ではない。「否定・批判するだけで終わってはいけない」という意味だ。「もし学生が理解できないのであれば、それは学生の学習の態度・学習の方法に問題があるからかもしれない。その場合、それをただ嘆くだけではいけない。態度・方法の問題点を指摘し、必要なら批判・説教もして、改善の必要を伝えて、その手助けをする。そこまで含めて教員の仕事である」という意味だ。
もちろん学生は必死に学ぶ必要がある。単に専門の知識を身につけるだけでなく「学び方」も学ぶ必要がある。社会に出たあとのことも考えて、できるだけ早く受け身の姿勢から脱して、自学自習できるような「勉強の仕方」を身につけなければならない。そして教員は専門の知識を伝えるのと同時に、この「勉強の仕方」も伝えなくてはいけない。勉強の仕方が身に付いていない学生には、それを身につけさせることも教員の仕事だ。教員はそれを必死に手助けする必要があるし、同時に学生は必死に「勉強の仕方」を学ぶ必要がある。
アフィリエイトで月万単位稼ぎたい奴に向けての秘伝テクニックを公開
http://anond.hatelabo.jp/20110828143227
上記、読みましたか?では、次にアフィリエイトで月30万円以上稼ぐための、
購入意欲をそそる文章の書き方、いや、見せ方を書いていきます。
まず、サイトをいくらマニアックにすると言っても導線が多すぎると、
Web業界の人間だと分かると思うが、3カラムから2カラムの時代になりつつある現在、
また、売れないと嘆く人間に限って、やたらとフォントが小さい。
12pxとかだと、読もうと思っても読めない人も多いので気をつけましょう。
大きくて、損はないのです。
何かを売ろうとすると、それだけ商品数を増やしてしまいがち。
でも、商品数だけが増えると、何を売ろうとしているかの焦点がぼやけます。
売ろう、あるいはマージンで儲けようとする対象は、一桁で充分です。
その一桁をいかにして魅力的に見せるか、ということに他の文章の全てを注ぐべし。
月万単位で稼いでいるサイトは、意外とシンプルな売り方をしています。
1.商品の画像。
2.次に、あなたはこんな悩みがありませんか?という提示。
3.そして、この商品さえあれば解決できます!と伝える。
4.その商品の魅力を専門家や専門知識、あるいは理解しやすいような文章などで納得させる。
5.その商品を使って良かった方の声を載せる(出来れば実在する方の写真があれば良い)。
6.購入ページへのリンク
割とシンプルでしょう?
大切なことはいつだって、少ないものです。書籍などだと、ページ数を稼ぐために無駄な文章が多いですからね。
無駄に多くのアクセス数や記事数にこだわるのではなく、いかにして少数のアクセスと厳選した記事で稼ぐかという点に力を入れて下さい!
アフィリエイト初心者を脱して、指示するだけで月30万円を稼ぐ方法
http://anond.hatelabo.jp/20110828205638
ちなみに、1つ目の記事(アフィリエイトで月万単位稼ぎたい奴に向けての秘伝テクニックを公開)は
私が書いたものではありません。記事に乗っかっただけで、どなたが書いたのかすら知りません。
問題認識は分った。でも、じゃあどうすればいいの?
とっても良いことを言っているのに、
「その良いことを実現するのはぼくらの役目だ!」で終わってたら、なんか残念ってか無意味ってか。
何か建設的な感じがする分、実際の具体性の乏しさが目立つ気がする。
ガス抜きをするのであれば、むしろこれは愚痴ですとか泣き言ですって言ってくれたほうがすっきりするし、
そういう苦しさの吐露っていうのもとても大切なことだと思う。
だけれど、このエントリの気にかかるところは、どうすればいいのかという点がすごく薄いってことなんだよね。
日々の心がけを変えるだけでも、何もしないよりはマシだっていうのはあるのかとは思うけれど。
うん、はっきりぶっちゃけちゃえば、なんかこの人、実際に行動するような雰囲気が見当たらないの。
むしろ、思いっきり現場にいるくせに、自分が何か変えてやろうという気持ちを持とうとしてない。
どこか、俺には無理だって思っている節さえ見当たる。
問題意識は、これ以上ないってくらい持っているみたいだけれど。
もしかしたらあれかな、俺の屍を超えていけ、とか思ってるのかな。
閉塞感にヤられちゃっているのは十分わかるけれど、
少なくとももう少し、自分にできることを少しでも試みてみようとかしないのかな。
上司に少し人事のことについて相談してみるとか、同僚と改善策を話しあってみるとか。
…問題意識は持っているけど何もしてくれない人ってものすごい苦しみを他人に与えるよ。
善意を持っている分、余計に。
http://anond.hatelabo.jp/20110810122334
という記事を書いたらこういう情報をいただきました。
岩崎夏海「小説の読み方の教科書」 http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refBook=978-4-267-01885-5
『もしドラ』以降、事実上初の岩崎夏海氏の書き下ろしは、「小説の正しい読み方」の指南書。 NHK総合「課外授業ようこそ先輩」(7月9日放送)でも反響を呼んだ、「『もしドラ』流 読書術」のエッセンス。 「小説は、正しく読めばこれほど助けになるものはありません。 ぼくはこれまで、ぼくを生かしてくれたものは何かと問われれば、 まず真っ先に『小説です』と答えてきたくらいです。 ぼくは、小説を読み、そこから学ぶことによって、 これまで成長を果たしてきました。」(著者あとがきより) (目次より〔予定〕) 第1章 ぼくの読書遍歴 第2章 ではなぜ小説なのか 第3章 小説の歴史 第4章 なぜ『ハックルベリー・フィンの冒険』なのか 第5章 『ハック』の読み方(ストーリー編) 第6章 『ハック』の読み方(キャラクター編) 第7章 『ハック』の読み方(テクニック編) 第8章 小説の正しい読み方
タイトルだけ見て大爆笑した。
最近久々にブログでこういう事書いたと思ったらこれの伏線だったわけか。
『もしドラ』を出してからというもの、世の中には小説の読み方が誤っている人、知らない人が多いということにも気づかされた。特にネットの世界では、誤った批評というものが数多く見受けられた。そうして彼らは、その誤った読み方ゆえに、肝心の面白さを見逃してしまっているのだ。
それが、ぼくにはとても「もったいないことだ」と思われたのである。小説も、正しく読めば、今よりずっと面白さを味わえたはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのでは、お金も時間も損である。
そこで、そんな人が少しでも減るように「小説の正しい読み方をレクチャーすること」は、ぼくの一つの使命なのではないか――と考えるようになったのである。そうして、「小説を少しでも面白がれる人が増えれば、それは一つの社会貢献になる」とも考えるようになった。
やねうらおさんに思い込み激しいと言われて踏みとどまるわけはなく、むしろどんどん加速していってるハックル△。
どこでクリティカルを突破してグラウンド・ゼロに到達するのやら。これからも目が離せない逸材です。
ちなみにテレビ関係の人というか、手順を踏んで商品発売前に人を集めたり種を蒔いておくのは上手だわ。
逆に考えると、直前にあんまり人集めをしてなかった「エースの系譜」については
売れなくてもいいから彼が言う「正しい読み方」をしてくれる人にだけ読んで欲しかったんだろうかと考えるのはちょっと贔屓目かな。
2 ***が出来ないと問題だ、可哀想だと煽る。○○の話題に人を集める
3 人を集めた段階で***の問題がきになるあなたにこんな商品ありますけどどうぞ、と提示する
4 1~3の流れを商品ありきのヤラセ=3から遡って問題をでっちあげ、ではなく心から困ってる人のために準備しました、という演出を行う。
(客からすればお買得価格が大事なんだけれど、あれも「お客様と私の中ですから」というアッサラーム的な演出でお客さんのいやらしさをフォローするのが大事)
1~4をタイミングよく行っていくことで、商品の品質のチェックや、他の商品との比較が行われる前に短期間で売り切るのがポイント。
ちなみにこれ私が考えたわけじゃなくて、「秋元康の仕事術」とかいうタイトルの本を立ち読みしたときに書いてたのでたぶんAKBもこの方式でやってる。
んで。
ハックルさんの強みは天然で4ができちゃうところなんじゃないかと。
僕らはハックルさんのことをよく知ってるからあんまりピンとこないかもしれないかもしれないけど、
ハックルさんの言動って、あんまり彼のことを知らない人が見たら、ネタなのかマジなのか判別が難しいところだと思う。
「よく知らない人」にはなんだか真面目そうだしいいんじゃない?って思わせられる。
これは今のやらせ臭さがプンプンするぜぇーなテレビや出版業界ではとってもイケてる性質じゃないかと。
実際4のみせかけの部分を「CSRマーケティング」とか言って売り込んでる業者さんに遭遇したことあるので結構大事だと思うんだ。
こういうところは素直に見習いたいけど、見習おうにもこの人の人の話聞かない&周り見えてないっぷりは真似しようと思っても真似できないのがツライ。
ハックルさん次は「真摯マーケティング~ドラッカーが教えてくれたビジネスで一番大切なこと~」とかの本を出さないかなー。
この人のいう真摯って私の思ってるのと違うんだけど、彼がこの言葉をどう捉えているのかすごい興味があるんだよ。
ちなみにこの本は11月発売だそうです。
この本も私が買って、笑えるところは皆さんと共有する予定。
読むのめんどいけど読まずにハックルさんをDISるのはちょっと気がひけるという方は買わないでしばらく待っておいてくださいね。
※ブログに書いたんだけど、誰も辿りつかないと思うので、ここに転載
この記事は、目標が達成のために毎日もがき苦しんでいる自分に向けて書いたものだ。あなたが同じように目標達成に苦しんでいるなら、いくらか役にたつかもしれない。
この記事(新政府の初代内閣総理大臣は建築家!?──坂口恭平)を読んで思った。
突き抜けている人の共通項は「オレのやるべきことはこれだ!」と良い意味で盲進し、そして盲信し続けられる人だ。
上の記事で紹介されている坂口恭平さんは、ホームレスの住まい(つまり段ボールハウス)の写真集を出し、現在は「新政府」の総理である。新政府は坂口さん自身が自分で勝手に作ったものだ。間違いなくヘンな人であり、突き抜けてる。
坂口氏は言う。
でもホームレスたちは自分で材料を集め、最適なサイズを見極め、住まいを作り上げていく。(中略) そんな姿にものすごく興奮したんですよ
ホームレスの住まいに興奮するという感性はもちろん素晴らしいが、そこから「オレはホームレスの住まいを撮りまくるんだ」という行動に結びつき、結果として「写真集を出す」にいたるまでその行動が持続するのがすごい。普通なら、「ホームレスの住まいはすごい!」と思っても、「写真集を出す」という結果に結実しない。
つまり、「目標達成できない人」に共通して足りないのは以下の2点ということになる。
この2つの中で特に難しいのは後者ではないだろうか。何かを始めることは比較的簡単だ。「よし、毎日英語を勉強しよう」「週に3回ウォーキングをしよう」と。しかし、それが続かないのが人間というものだ。
有名な自己啓発書にこんなことが書いてあった。
この命題は、論理的には当たり前のことを言っているだけだ。が、妙に心に響く言葉である。それは、多くの人にとって、持続することがいかに難しいかを物語っているからだろう。
「3日坊主」というくらいで、続けることは本当に難しい。「毎日○○をやる!」と決めて、それが半年間でも続いたことがいったいいくつあるだろう。半年でも続いたら成功としたとき、その成功率はいったいどれだけになるだろう。「ウォーキングをする」「10分英語のニュースを聞く」という、原理的には誰にでもできる簡単な行動であっても、それすら続かない。
私も多くの人と同様に「継続性のない」人間に分類される。粘り強さの無さが目標達成の上で最も大きい障害のひとつだ。この障害がいかに大きいかを自覚して以来、何かを継続している人に「継続するために最も大切なことは何か?」と聞くようにしている。
その答えは千差万別だが、整理すると、以下の2点に集約できる。
まずビジョンだ。継続している人は、それをスタートしたときに、(無意識的にせよ)以下のことが明確にイメージできていることがほとんどのようだ。
ゴール、メリット、日々の活動は継続できない人も意識しているだろう。だが、本当の意味で「ビジョン化」できているだろうか?ビジョンというのはビジュアルという言葉からわかるとおり視覚からきている言葉だ。であるからには実際の映像としてイメージアップできていなければならない。
「東大合格!」と紙に書いて貼るのはいいが、自分が東大に合格したところが映像化されていなければならない。どこでどのような勉強を誰とどのくらいしているか、というイメージが視覚化されていなければならない。
※これはデザイン思考の日本の第一人者である奥出直人教授から学んだことだ。デザイン思考でも、ビジョンを構築する際に、言葉ではなくモノとしてイメージされていなければならないという。
そして、継続できない人の多くがそもそも意識していないのは3番目(マイルストーンの存在)ではないだろうか?TOEIC900点というゴールに対して、700点、800点というサブゴールをいつ達成するかということを明確化しておくのは継続するためにとても大切なことだ。
そして、実はサブゴールを立てることこそが、上記の2(続けることのインセンティブが継続的に存在すること)に直結するのだ。
このことは、どうも心の性質と関係があるようだ。人間は、「達成した!」という感覚そのものが大きなインセンティブになる生き物らしい。
「この製品をデファクトスタンダードにする」という目標を立てるのはいいが、その目標に対する目の前の目標を立てることが継続の秘訣というわけだ。「プロトタイプを完成させる」「○○さんに高評価をもらうまで洗練させる」「1社に採用してもらう」「年末までに○○万円会社の口座にある」といったサブゴールを立てておこう。そしてサブゴールが達成されるごとに自分を褒めよう。いや、褒めることすら不要かもしれない。人間にとって「達成」そのものが実に大きなご褒美なのだから。
とはいえ、である。サブゴールを立てることは、いわば「テクニック」だ。そのテクニックで継続
に成功したとしても、ゴールがあなたの幸せにつながってはじめてその継続は意味を持つ。
良いゴールを立てるにはどうしたらよいか、これはまた別の記事で考えてみたい。
テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性
http://d.hatena.ne.jp/mizuiro_ahiru/20110725/p1
ただ「怠惰を許容する」コンテンツや仕組みを作っても流行らない。
家に帰ってまずTVをつけるような人は、
人生観を変えるような良コンテンツより「他者とコミュニケーションする為の素材」としてのコンテンツを求めている。
「昨日の○○みた?」
「面白かった~」
「でも、あのシーン、あれヒドくない?」
「分かる分かる!」
こんな風に、考察ではなく、感想を述べ合うに終始する会話を生み出すコンテンツこそ、彼らにとっての正義。
「でも、あれって実は○○が××なんだぜ」なんてことを言うのは、事実であれ、無粋の極み。しらける。
要は、TV好きは、考察ができないほど薄っぺらなコンテンツを好む。
これは“したり顔で会話をぶち壊しにくる知識人”の介入を防ぐためで、
仮に、ある程度知性的なコンテンツであれ、その情報は多くの人が既に知っており、
そこから更に踏み込むことは、コミュニケーションにおいて、それほど重要ではない。
TVが提供しているのは「怠惰」ではなく、「そこはかとなく会話を楽しむための素材」だ。
だから、チャンネル数は限られていて、そうすることで、より多くの人間が同じチャンネルを見る可能性を高めている。
TVをみる人にとって大切なことは「知的好奇心の充足」ではなく「共感」だ。
グリーやモバゲーが提供しているものも、勿論「怠惰」ではない。
そこで提供されているのは「知識人(思い込み含む)が付け入る隙のない新しい世界観」と「コミュニケーション機能」だ。
皆が同じ目線で語り合える場を提供したのが成功しており、みな積極的に情報を取りに行っている。TVも同様だ。
つまり、知識人が「面白くない!」と感じるコンテンツや仕組みこそが、意外にも、今後ネットで爆発的に流行る。
なぜなら、知識人の締め出しに成功しているからだ。
そして、大きくなった会社に、これらは作れない。
大きな会社には頭でっかちの知識人しかいないからだ。
中小企業の皆さん、
まだまだチャンスはありますよ。
※ちなみに、「怠惰を許容しつつ」というのも、とっても大事。ただ、それだけではダメ。
その一方で、ネットの世界を中心に、原発事故にのめり込んでいる人たちがいます。
彼らの多くは、知的レベルが高く、情報収集に熱心で、いまの世の中の趨勢を注意深く見ている人たちです。
特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりやニートといった人たちがその中心層の多くを占め
ているように見えます。
彼らは、企業社会やアルバイト先で、会社人間としての振る舞いや低俗なオヤジギャグに会話を合わせることに耐え
られません。薄汚いごますりや打算、好きでもない商品を売ることに対して、強い欺瞞を感じている人たちです。
「食っていくためには、嘘もつかなければいけないときもある」
大人が発するそんな言い訳めいた言葉に、かえって嫌悪感を強めています。
原発事故を喜ばしいと思う人は誰もいません。ただ、これまで大学の中で「冷や飯を食わされていた」小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想のイメージ、希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。
惹きつけたのは、登場するキャラクターの魅力やファンタジーとしての世界観だけではありません。このアニメには、精神分析、神学など多様な学問領域があり、様々な専門用語が散りばめられています。
彼らは、精神分析の分野で未知なるものが登場すると、先を争って精神分析の本を読み漁りました。宗教的な用語の背景を知ろうと、こぞって宗教学の本と格闘したのです。
彼らが原発問題に熱狂して、彼らが何かを変えられるとしても、ネットの中の一つの小さなトレンドに過ぎません。現実に動いている体制には、大きな影響を与えることはできないのです。現実社会との接点こそ、ネット全盛の時代にあっても、ないがしろにできない大切なことではないでしょうか。
http://diamond.jp/articles/-/12955
http://anond.hatelabo.jp/20110702233116
http://anond.hatelabo.jp/20110703103111
差別、左翼、レイシストというのは、ニータパンおじさんの専門用語です。笑
http://anond.hatelabo.jp/20110706124246
http://anond.hatelabo.jp/20110707085245
http://anond.hatelabo.jp/20110707083514
いつもどおり連続トラバは二つまでの法則。ニータパンおじさんの法則どおり。
http://anond.hatelabo.jp/20110707110411
ニータパンおじさんお得意の弱肉強食。
http://anond.hatelabo.jp/20110707213712
ニーダーパンおじさんの復帰時間てわかりやすい。なんたってニートだから。
それだけ頑張っても振り返ってくれない相手なら、残酷かもしれないけどやっぱり脈がないんだよ。
恋人や夫婦でうまくいくコツは、いい意味でお互いに嫉妬とかしないですむ関係。お互いに無理なく信じあえる関係。だと思う今日この頃。どんなに好きでもどこかで「この人ほんとうに自分のこと好きなんだろうか」とか「この人を信じきれない」と考えてしまう相手とは、一時的にうまくいっても必ずいつか破綻すると思う。
好き、という気持ちは本物だろうけど、その相手と幸せになれるかどうかは別の話。そしてその好き、も、時間がたてば別に人に同じかそれ以上の感情を持つこともある。
一途なのはとても大切なことだと思うけど、冷静に自分と相手を見極めてときに引く、ときに諦める、というのも重要なことだと思う。
先日事故のニュースで「癲癇」がよく解らなかったので調べてみたら、昔付き合っていた恋人がまさにそういう感じだった。
私はてっきり精神病だとばかり思ってたから、新事実をつきつけられた気分だ。
それに癲癇を患っている本人が、自分は統合失調症や人格障害だと言っていたので、余計にだ。
10年くらい前は動画なんてゼロに等しかったし、今ググれば恐ろしい事に発作の動画だって見られる。
http://www.youtube.com/watch?v=ts0Re8eJmIY
もし昔の私が今みたいに情報を得られていたら、違う現在になっていたかもしれないと思うとなんとも複雑だ。
だが、動画の子どものように声をあげて痙攣しうつろな目で口から泡を吹く成人を目の前にして、ショックより先に「調べる」という行為をできていたか?と言われれば自信がない。
今、元恋人とは直接の関わりはないが、共通の友人が多くTwitterでもフォロワーのフォロワーくらいの距離だ。
お互いの近況を知ろうとすれば簡単に知ることができる。
どうやら今は家庭を持って子どもがいるようだ。幸せそうでなによりだ、と思いたいのだが、時々子どもに対して申し訳ない気持ちを綴っているのを見ると不安になってしまう。(お節介かもしれないが)
私は今、恋人と呼べる人がいない。
好意を寄せてくれる人がいても、意識していないところで「この人は大丈夫か?」と相手を疑っている気がする。癲癇患者の中には薬を極端に嫌う人もいて、人前では絶対に飲まないからその辺では判断できない。
親しくなってきたあたりで、人が変わったようになったらどうしようか等と考えてしまう。
もしかしたら元恋人は心身症や精神病を併発してたのかもしれない。
こういう病気や持病は本人が自覚をもって管理をしていくしかないんだろうな、と思う。
ちゃんと管理できてる人が、一部の無自覚で無責任な癲癇患者のせいで嫌な思いをしてるんじゃないか?
自分と自分に関わる人に要らぬ不幸や迷惑をかけないためにも、本当に意識して欲しいことだと思う。
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書かれている内容については、私が特定されないように少しいじってあります。
誇張はないように気をつけてあるけど自信ない。