はてなキーワード: 性風俗産業とは
男性向け性風俗っていうのは、客の立場からすれば、簡易なセックスを行うためのサービスかと思う。恋人や友人などと行う私的で充足した行為として「セックス」という観念がまず先にあって、それが出来ないとき、簡易なものでその観念を代替しようとして行くんだろう。単に性欲(射精に駆り立てられた欲求)を解消するためではなく、「セックス」という観念に基づいた欲望を代替的に満たそうとして行くんだろう。そう考えてみると、それにしては代金が高すぎて、行く気にならないな。
もちろん、従事者側の立場ではまた別の見方になるだろう。このような言い方をすれば、「私たちの人格を否定するのか」と怒られるかもしれない。けれどもそれは違う。人格を持った人間を相手にするからこそ、「セックス」の観念を代替的にであれ認知し、それに基づいた欲望を満たそうとすることが出来る。そうじゃなければ、一人でアダルトビデオを観て自慰をしていれば事足りるわけで。
また、現代は性風俗産業のあり方に無批判ではいられない時代である。雇用形態や賃金の問題、従事者が望んで従事しているのか、はたまた経済的な事情などによってやむなく従事しているのか、といった問題があり、こういったことに基づいてか、または性にまつわる人々の倫理観が厳格になってきた表れか、性風俗産業そのものを無くすべき、という声すら聞く。
けれど、そういったことを全て棚上げして、私がいち男性として、客の立場で考えてみると、上記のような意見になる。
なぜこんなことを書いているかって? 先輩に誘われて街に繰り出してみたは良いものの、色んなお店のホームページを見せられても全く行く気になれず、先輩が一人でハッスルしに行っている間、それが何故かってずっと考えていたからだよ。
元風俗嬢で今は身体を壊して生活保護受けて何とか生きてますってタイプの人が性風俗業に反対するのは分かるけど
同じ元風俗嬢でも結婚して子供もいて旦那の金で主婦しながら大学通って安泰ですって人が
性風俗業には反対ですとか言っても、全く説得力がないと思うんだが。
だってその人を見る限りでは性風俗産業に従事しても一旦足を洗えばその後はきれいさっぱり抜けられて、
心身ともに健康で子供を産めるしその後も子供の保護者から過去を詮索される事も子供がいじめられる事もなく健全に生きていけますよってアピールしているので
「性欲の解消」手段として他者を与えられることを当然の権利のように言うなや。女性のセルフプレジャーが少しずつ認められている? だったら増田は男性が最初から認められているセルフプレジャーの権利を行使すればそれで平等じゃんか。
性別関係なく、他者を求める増田も、他者である向こうも、同じ人間だよ。増田が性欲の解消手段に特定の条件(自慰ではなく人間で、おそらく女性で、おそらく老人でない人で、でも妻ではダメ)を課しているように、相手も同じようにそれぞれ固有の条件があるんだよ。増田がどうしてもセルフプレジャーじゃなくてリアルな人間の他者を利用した「性欲の解消」を求めてるなら、増田自身の都合を他人に押しつけるのではなく、大多数の他者の「条件」に叶うように自分を変えるか、自分を「条件」に入れてもらえるような他者を頑張って探すしかない。
自分が相手の条件にあてはまっていない場合、自分が「性欲の解消」のためにその相手にセックスを求めること、あるいはそれを社会がシステム的に強要することは、当然その相手を「傷つける」ことになる(性犯罪を構成するかどうかに関係なく自由権の侵害だ)。そういう「他害なき性行為=条件が合致した相手との、合意にもとづく性行為」という原則をすっとばして「世間や社会が何とかしてしてくれ」というのは、結局は例の「女をあてがえ」論になってしまう。
自助努力ではなくシステム的に「性欲の解消」を補助してる例としては、身体障害者の性機能ケアNPOのホワイトハンズがあるが、あれはあくまで物理的にセルフプレジャーを得ることが困難な状況にある当事者の自慰の支援で、性欲解消の手段として他者をあてがってるわけじゃない。
増田が「誰もが傷つかない方法での対処」を望んでいるなら、まず自分のなかで、自慰という行為と〈性欲〉との関係を、そして自分は自慰だけでは何が不満なのかということを、きちんと捉え直してみてもいいんじゃないか。「自慰以外の何か」とは、リアルな肉体や人肌という他者身体(ハードウェア)を用いた射精なのか、それとも心の通い合う相手との情交というロマンティックな価値なのか。それらは果たして、社会がお互いの自由権を侵害しないかたちで、なお制度的・システム的に提供できるものなのか。そうした制度がありうるとしたら、それは結果として、性風俗産業(性行為を求める人と金銭を求める人をマッチングさせる仕組み)に限りなく近いものになったりはしないか。それについての増田の考えを改めて読んでみたい。
随分とキツい状況のようだ。
何度も不満や気持ちを思い切って伝えているにも関わらず、相手がそれに対して対応してくれておらず、根本解決に至っていない。
夫自身も優しさからくるものか、相手にも不快感を与えたかもしれないと若干自己嫌悪に陥っているようだ。
見てみると段階がある。
第一段階は、なぜセックスができないのかの疑問だ。これは解決している。
第一段階。
客観的に見ればセックスに応じない妻に対して夫の不機嫌は当然の反応なのだが、
夫が思い切って客観的に妻がセックスに応じられない明らかな理由を問いただしたところ、
「もう、セックスをする気になれない」との回答が得られた。
これをちゃんと伝えない妻も世の中にはいて、ここで拗れることは多々あるのだが、
しかも数次にわたり「する気になれない」との回答が得られている。
ここで、夫がセックスを諦められたのなら一件落着だ。
だが夫は、夫婦生活においてセックスは欠くべからざる要素であるという認識だ。
「妻がなぜセックスに応じてくれないか」については「もう、セックスをする気になれない」の回答が得られており、これは妻の偽りのない状況である。
今度は、夫が「それでもセックスがしたい」という次のコンフリクトの対処に焦点が当たる。
第二段階。
妻側も、「セックス以外は」夫側に譲歩しようとする姿勢が見て取れる。
夫は、それに対して感謝はあるものの、一番の目的であるセックスが慎重にかつ確実に逸らされていることがわかるため、満足に至ることはなく、むしろ不満が鬱積し抑圧されている状況だ。
夫は自分が最も大事にしたいセックスが蔑ろにされており、妻はセックス以外は夫に何とか対応しようとしてくれているため、感謝と怒りが綯い交ぜとなっており、混乱している。
「セックス以外は」順調であるがため、なおさらセックスが満たされない焦燥が肥大化しているように見受ける。
そして困ったことに、夫側の主張によればそのセックスは単純な性欲ではないため、性風俗産業の利用といったいわゆる外注では解決できない。
妻その人とセックスできなければ満たされないのだ。
まあ浮気や不倫といったリスクが排除されるためこの観点からは良いことだが、
妻側の意思の変更以外には解決がなく、現状打破の解決策の狭隘という意味ではむしろ手詰まり感は更に強い。
(余談だが、「お前だけを愛している」という感情は、無条件の愛ではなく、むしろこうしたコンフリクトを生じることがままあることを社会は知る必要があると感じた)
気になるのは「大事な話だからまた話そうね」という妻側のセリフである。
気休めならこんなセリフは言わない方が良い。
本当にしたくないなら「する気になれない」を繰り返せば良いだけである。
或いは妻側も、「大事な話を繰り返せばセックスの要求を諦めてくれる」ことを暗に期待しているのかもしれない。
それであるなら大事な話はすればするだけ亀裂を深めるだけである。(両者の気持ちが不変であることを前提)
心の奥底では、これ以上踏み込んだら「破綻」も覚悟するような賭けに出なくてはならないかもしれない予感を無意識に感じているのかもしれない。
お互いに。
…夫婦生活にはセックスが前提であり、これに応えない場合は応えない方に責任があるというのが、法的側面も含めた我が国の社会の解釈である。
だが責任問題として争いをすることも夫の望むところではないだろう。
だが、一番求めているものが、お互いの間ですれ違い、もつれていく。
もし妻が浮気しているのならここまでダラダラ書いたことは完全にムダだが、
そんな片鱗すらないというのなら、
お互いの最も望むものが噛み合わず、つらく、くるしいという人間関係のコミュニケーションそのものなのかもしれない。
吐き出してスッキリしないのなら、
このままの現状を維持することが夫側の目的ではないと思われる。
行くところまで行かなければこのすっきり感は得られないだろう。
そしてこれは心の問題であり、
形式的に「夫が諦める」を選択しても「妻がセックスに応じる」を選択しても、
そこに心が本当に存在していなければ、どちらにしてもどちらの「スッキリ」も得られないだろう。
上辺だけ、形だけ、その場しのぎのことをやったとしたって、
夫も妻もそれは必ずわかってしまうだろう。
現に夫は形式上諦めようと試みたが、あらゆる心の反応が嵐のように起き、諦めることは(今のところ)できないことは証明済みである。
「夫が本心から心の底からセックスを諦めてくれた」とは到底言えない状況だったからだ。
同じように、妻がたとえセックスに応じてくれたとしても、そのセックスの反応、満足度等々から、
「妻が本心から心の底からセックスに応じてくれたとは到底言えない状況」がセックス最中・セックス後に感じて取れてしまったら、
妻がたとえ何百回セックスに応じてくれてもこの問題は解決しない。
「わかった、セックスは諦める」
これは言葉だけでは、形だけでは、そして実際にそうしてみただけでは、どれほど意味がないかがわかるだろう。
たとえ他人からはどれほど幸せに溢れた夫婦生活や家族生活が営めたとしても、
『自らが本心から望む人生』において永遠の飢渇に苛まれることは疑いがない。
………或いは、この世界において、心の底から望むものなど決して叶うことはないのだと思い知ることも必要なのかもしれない。
周囲を見回してみれば、そうした選択をしている大人は数限りなく数え切れないほどおおぜいいる。
どちらを選ぶのかは夫の選択であり、
そして、妻もこの選択に参加しなくてはならないだろう。
地方間格差と貧富の差を無視して、外国人技能実習制度を語るのは詐欺だ。
ほんと救えねえコメントが星集めてるな
外国人実習生が作った服着て、外国人実習生が作った家に住んで、外国人実習生が作った食品食いながら、外国人実習生が作ったスマホでクソみたいなコメントする前に
外国人実習生や、彼らに最低賃金で頼らざるを得ない企業がなんのために頑張ってるのかわかるか?
お前らみたいな年収300万円の貧乏人が年収1000万円の生活水準を維持するためだよ
年収数百万の貧乏人が穴一つないキレイな洋服着て、耐震基準を満たした風呂と水洗トイレのある家に住んで、安全で美味しい食い物がいつでも手に入って、当たり前にスマホ持ってる生活水準でいれることに何も疑問を持たないのか?
どうせお前らは
「外国人実習生に頼って低い最低賃金しか出せない地方の中小企業はそもそも淘汰されるべき。その結果3000円のシャツが5000円になっても仕方ないよね」
とか能天気に考えてるんだろ
お前らの理想通り最低賃金時給2000円になって、実習生もこなくなったとしたら
多分お前の勤務先も淘汰される側だ
お前が5万のシャツ、家賃15万の木造ワンルーム、一玉5000円のキャベツ、50万円のスマホといった「低賃金労働者フリー」の商品やサービスを使い続けられる人間ならともかく
そうじゃないなら
服は隣近所と古着を融通しあい、着れなくなったら自分でハサミとミシンを使いパッチワーク
スマホなんて夢のまた夢
結局お前らはヤることヤッたあと
「こんな不安定で危険な仕事やめて、将来のこと考えて真っ当な仕事に就いたほうがいいよ」
外国人実習生制度に対する批判そのものが間違ってるとは言わないよ
でも、自分が風俗嬢説教オジサンと同等の存在だということはきちんと認識しておけよな
ついでに言うとお前ら実際に日本で働く外国人実習生に会ったことないだろ
風俗嬢が皆貧困にあえいでやむを得ず性風俗産業に従事してるわけではなく
外国人実習生の少なくない人数が「来たかった日本に来れて、仕事ももらえて楽しー!」って感覚だからな
元増田はよくわかってるよ
イメージだけで語ってるブクマカと違い実際に外国人実習生に関わるか、外国人実習生雇ってる企業と付き合いがあるんだろう
性別のステレオタイプを排して性別に縛られない多様な価値観やライフスタイルを肯定しよう!みたいな価値観が根底にある作品増えてきたよね
だけど同時にそれって欺瞞だよねって思うんだよな
今の世界ではステレオタイプから逸脱した人間は他に付加価値(容姿や才能など)を有してない限り社会の鼻摘み者になるという非情なオチがつくよね
そういう現実の前提を無視して描かれる無毒化されたファンタジーに片寄ってるのが気になる
あとそれらのファンタジーを称賛する読者にも一部に凄い軽薄さを感じる
性風俗産業は立派な職業である、と口にする人々が自分の恋人や家族が性風俗産業に従事する想定には消極的な態度を示すのと極似した軽薄さを感じる
ゲイに嫌悪感を示す男は多いけど、例えば爆サイで自分の近所を検索すると最寄の商店がゲイの発展の待ち合わせに使われてたり、酷い時はよく散歩する近所の公園、銭湯や商店のトイレが発展に使われてたりするんだよね
性風俗産業およびその従事者に差別的な眼差しが向けられている客観的なデータはあるのか?という問いですが、ありませんが私の印象ですし、そうは間違っていないと考えていますので撤回するつもりもありません。
性風俗産業に差別的な眼差しが向けられていないという主張のほうが驚くべき偏見としか思えませんが、どうでしょうか。
発端の岡村隆史氏の発言と、風俗産業に対する差別意識が密接に関係しているという主張が何かおかしなものでしょうか?
また、私が「差別すべきだ」と主張している、とあなたは主張していますが、私は差別すべきだなどと一言も申しておりません、むしろ元エントリでは差別すべきではないと明確に申しております。
はっきり申し上げて、あなたは私が差別主義者であるという前提を一切変更するつもりがなく読んでいるため、全く真逆のことを書いている部分はなにかの詐術、詭弁だとして読み飛ばし、「風俗業は賤業」と書いてある部分の言葉尻のみを捉えて反応していらっしゃるとしか考えられません。
もう一度いいます、私は差別すべきなどと一言も申しておりませんし、差別すべきでないと申しております。
なぜ「風俗業は賤業(として扱われている)」という強い言葉を使ったのかと言えば、これは先にも説明しましたが、実際に差別されていることを直視しなければいつまで経っても問題が解決に向かうことがないと考えているからです。
私自身に差別意識があるから言葉遣いの中にそれが漏れ出たわけではありません。
冷静になって考えて欲しいのですが、風俗業への差別意識を糊塗する為に差別を否定したんだとするのならば、わざわざ二度も「風俗業は賤業」などという言葉を使うでしょうか?
まだ「たとえそうだったとしても、あのような物言いで傷つく風俗業関係者もいるだろうし、あなたの狙いを達成するのならもっとこのような表現にすべきだった」のような反論であれば、私にも得るところがあるものなのですが、
とにかくあなたは私が風俗業を差別する意識及び目的であの文章を認めたという前提を覆すことがなさそうですので、もうこれ以上なんとお話すれば良いのか、ほとほと困り果てています。
一体あなたの中で、風俗業を差別する意識に基づいて「風俗業を差別するな」という帰結になる文章を投稿する人間(あなたに取っての私のことですよ)というのは、一体どんな人間なんでしょうか?
おそらくこれ以上何を言ってもあなたは絶対に私の差別意識を確信し続けるでしょうし、このあたりで筆を置こうと思います。ありがとうございました。