はてなキーワード: 信教の自由とは
グレゴリウーッス
本日は科学における女性と女児の国際デー、日本において建国記念の日、信教の自由を守る日となっております。
色々ありますね。
大人が会話する時にしちゃいけない三つの話題の中の一つが宗教でございますが、金さえかけなきゃ『あーコイツらこんな歴史があるんだなぁ』って思えるものだったりします。
しかも他の勢力から見たらまた別の視点からの歴史がありますしね。
それを嘘を吐いてるとか誤魔化してるとかで考えないようにするより『コイツらにはこう見える』『でもアイツらにはこう見える』『でもってあっちの人達にはああ見えている』と思える方がなんでこんなタイプの嘘を吐いて、なんでこんな嘘が通ったのかってのが見えやすくなるかなぁと思います。
嘘吐いてるというより、そんなことが起きたらそう見えるよなぁって思っちゃうことだったりしますので。
日常においても、暗がりから低い男みたいな声がしたなぁって思ったら、単に自分が息を吸い込んでいただけだったなんてこともよくありますから。
状況報告よいか!状況報告ヨシ!
(中略)党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。
(四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。
(中略)第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本国憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。
この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。
(中略)国民主権の民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治の原則となり、世界政治の主流となりつつある。人権の問題では、自由権とともに、社会権の豊かな発展のもとで、国際的な人権保障の基準がつくられてきた。人権を擁護し発展させることは国際的な課題となっている。
最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、(中略)レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界の平和と社会進歩の運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。
(中略)
いかなる覇権主義にも反対し、平和の国際秩序を守る闘争、核兵器の廃絶をめざす闘争、軍事同盟に反対する闘争、諸民族の自決権を徹底して尊重しその侵害を許さない闘争、民主主義と人権を擁護し発展させる闘争、各国の経済主権の尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争、気候変動を抑制し地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。
(中略)
(一一)この情勢のなかで、いかなる覇権主義にも反対し、平和の国際秩序を守る闘争、核兵器の廃絶をめざす闘争、軍事同盟に反対する闘争、諸民族の自決権を徹底して尊重しその侵害を許さない闘争、民主主義と人権を擁護し発展させる闘争、各国の経済主権の尊重のうえに立った民主的な国際経済秩序を確立するための闘争、気候変動を抑制し地球環境を守る闘争が、いよいよ重大な意義をもってきている。
(中略)
日本共産党は、労働者階級をはじめ、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人民と連帯し、人類の進歩のための闘争を支持する。
(一二)現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開くものである。
(一三)現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである。
1 現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす。
2 国会を名実ともに最高機関とする議会制民主主義の体制、反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権を担当する政権交代制は、当然堅持する。
3 選挙制度、行政機構、司法制度などは、憲法の主権在民と平和の精神にたって、改革を進める。
4 地方政治では「住民が主人公」を貫き、住民の利益への奉仕を最優先の課題とする地方自治を確立する。
5 国民の基本的人権を制限・抑圧するあらゆる企てを排除し、社会的経済的諸条件の変化に対応する人権の充実をはかる。労働基本権を全面的に擁護する。企業の内部を含め、社会生活の各分野で、思想・信条の違いによる差別を一掃する。
6 ジェンダー平等社会をつくる。男女の平等、同権をあらゆる分野で擁護し、保障する。女性の独立した人格を尊重し、女性の社会的、法的な地位を高める。女性の社会的進出・貢献を妨げている障害を取り除く。性的指向と性自認を理由とする差別をなくす。
7 教育では、憲法の平和と民主主義の理念を生かした教育制度・行政の改革をおこない、各段階での教育諸条件の向上と教育内容の充実につとめる。
8 文化各分野の積極的な伝統を受けつぎ、科学、技術、文化、芸術、スポーツなどの多面的な発展をはかる。学問・研究と文化活動の自由をまもる。
10 汚職・腐敗・利権の政治を根絶するために、企業・団体献金を禁止する。
11 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。
(一四)民主主義的な変革は、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生など、独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線によって、実現される。統一戦線は、反動的党派とたたかいながら、民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結をかためることによってつくりあげられ、成長・発展する。当面のさしせまった任務にもとづく共同と団結は、世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない。
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アカデミアでよく批判される「論文書かない大学教授」の一人息子。最後に論文書いたの何年前だ、若手のポストを奪っているとか搾取だとか悪人とか言われて、若手アカデミア界では恨まれている。
ごめんね、それ、全部うちの親のことなんだよね。論文長い間書いてないけど、授業は楽しそうにするんだよね、うちの親。授業カリキュラムみたいなのも楽しそうにやってたし…特に教え方がうまいとも思わないんだけどね。でも、論文書いてないから、うちの親がどれだけ恨まれているかわからん…
実際、うちの親を恨んでいる人たちの分野に進むのはさすがに怖いから、親と全然違う分野を志望して博士号取って大学教員やっているけど、博士課程の間は罪悪感半端なかった。博士課程の学費は親に全部出させた。
今は贖罪だと思ってめっちゃ論文書いてる。正月から論文書いてるよ。親世代が背負った罪を償うのが自分の使命だと思っている。今のポストにたどり着くまでに、結構、自腹を切らないといけないことも多かったな…大学教員っていうのはさ、教授の子が論文書いて贖罪するための職でもあるんだと思うよ。劣悪環境を自分に社会から与えられた罰、親世代が社会から搾取した罰を世代を超えて受けているんだと思うことで、劣悪環境でも人並外れてモチベーションを保つことができ、それで業績上げたり形だけでも授業がやれて大学経営が成り立つのであれば、だれも損していないのではないかと思う。
自分の職業をどう思っても、どういう職業理念で働いても、日本では信教の自由のはず。自分にとって大学教員は親世代が作った罪を償うための職なんだよ。自分みたいな業(カルマ)を背負って生まれてきていない人は、大学教員になんてなる必要ないよ。企業に行けばいいと思う。これからも、罪を償うために自腹を切って研究を進めていきますよ。
藤井風氏が明言せずに某宗教の教えを引用し、それをそのままグッズとして販売、アルバムタイトルにもしている行為に対して、問題があるのではと指摘する記事を読んだ
https://note.com/ii_yy/n/n5ac17492a446
自分は音楽にも宗教にも全然詳しくないけれど、元々音楽と宗教は切り離せない関係なはずだ。自分の思想や信条を発信する手段として、もしくは布教活動や信心を深めるための手段として音楽が用いられた事例は沢山知っている。
いつの頃からか邦楽は、くだらない色恋ばかりを歌うのがメジャーになってしまったが……
それで考えたら藤井風氏の活動だって何もおかしいものではない。これを否定するのは信教の自由、表現の自由の侵害以外の何物でもない。
と、自分は思う
それとは別に、気軽な気持ちで買ったファングッズに記載された言葉が、新興宗教(様々な良くない疑惑あり)の教義をそのまま引用しているものだとは正直予想もできないし、事前に教えてよ〜教えてくれたら買わなかったよ〜会社に持ってっちゃったよ〜と思ってしまうファンの気持ちも分かる。事前に意味くらい調べろ、そもそもこれくらい一般教養の範囲内だろうと言われてしまえばそれまでではあるし、「教えないまま売りつけるなんて、ステルス布教だ!」とまでは思わないが。
ただ、なんていうのか。
先程も書いたように真っ直ぐ純度100%の政治的主張や宗教的主張をするアーティストと接する機会がほとんどなかったから面食らっちゃうし、耐性や自分なりの対策法も持ってないよなと……
Twitterでも色々意見を見てたんだけど、「海外ではこんなことで騒がれない。騒ぐのは宗教を嫌う日本だから」という意見と「宗教に関してのリテラシーが低い日本だからこの程度の炎上で済んでいるが、海外進出するならこのまではマズい」という意見の両方を見かけた。
もちろん国によっても違うだろうが、グローバルスタンダードはどちらなんだろう?
この時期になると駅には「初詣は〇〇へ」という広告が貼り出される。以前はそれを当然だと思ってきたが、冷静に考えればあのような広告は多様性に真っ向から反している、公共の場所に相応しくない広告である。
というのは、『多様性のある社会』が受け入れるべき人々の中には、
「偶像崇拝は間違っている」
「神社を見ると、『日帝による占領時代に神社参拝を強制されて辛かった』という話を祖母から何度も聞いたことを思い出す」
といった人々もいるためだ。
たとえそのような信念や信仰の持ち主であっても、信者を洗脳して高額な寄付をさせていたり、子どもに信仰を押し付け信仰の外との関わりを絶たせるようなことをしていなければ、当然に内心の自由・信教の自由が適用される。
それなのに駅のような不特定多数の人が利用する場に広告があるということは、「我々日本の宗教界や鉄道事業者は、そのような信念・信仰の持ち主には一切配慮しません」と宣言しているのと同じことだ。それは間違っている。多様性が求められる社会であるからこそ、公共の場所での表現はありとあらゆる属性の人が拒絶しない表現しか置くべきではない。
何も「初詣を禁止せよ」「神道や仏教を信仰するな」と言っているのではない。単に、「初詣の広告は公共の場所に相応しくない。ゾーニングした上で行うべき」と言っているだけだ。神社新報や月刊住職に広告を出す分には問題ではない。だから信教の自由を侵害するつもりはない。
そのレベルで「乗っ取られてる」判定していいんなら他の党も色々と突っ込まれることになるが、それでいいのか?
・統一教会の反社会性をどの程度と定めるか?オウム真理教並み?指定暴力団並み?憲法の信教の自由との兼ね合いは?
・統一教会の反社会的行為に政治(与野党問わず)はどのように関与している・していたのか?
・統一教会によって政府の政策にどのような悪影響が発生しているのか?
大まかにこの三つが絡み合いながら同時並行でグダグダ進んでるのが今の状態なわけだが、さらにこの問題を倒閣運動に利用しようと上記論点を意図的に攪拌しようとしたり対象を自民党だけに限定しようとしてくる手合いもいるからさらにややこしいことになってる
https://twitter.com/sakurauchikoshi/status/732177510520098816
打越さく良 りっけん 立憲民主党@sakurauchikoshi
https://www.sankei.com/article/20221019-GFOIEZC7YRIO5EI5WR3ESI63I4/?outputType=amp
これじゃ人権も信教(内心)の自由も統一教会問題も単に政府批判できるから使ってるだけで、本音ではなんの関心もないみたいやん
勘違いは、そっちじゃねぇ
「思想信条の自由」と語られることが一般的で、信条が信教を含んでいると思っている
つまりは、本人は「思想・良心の自由」と「信教の自由」を一括りに語っているつもりが
憲法をゲンミツに語るなら、信条には信教は含まれていないってな方だろう
踏み絵の禁止は、憲法上、信教の自由(20条)ではなく思想良心の自由(19条)の問題です。ちなみに、内心の自由は絶対的な自由と解されています。
思想・良心の自由が不可侵であることの第二の意味は、国民がいかなる思想を抱いているかについて国家権力が露顕(disclosure)を強制することは許されないこと、すなわち、思想についての沈黙の自由が保証されることである。国家権力は、個人が内心において抱いている思想について、直接または間接に、訊ねることも許されないのである。したがって、たとえば、江戸時代のキリスト教徒の弾圧の際に行われた「踏絵」、あるいは、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査など、個人の内心を推知しようとすることは、認められない。
本条(引用者注:憲法19条)が,外界の行動や表現に現れない内心の自由を保障しているにとどまるのであれば,それは,本来,法の及びえない領域であって,サブリミナル(閾下)広告によって人々の行動を操作しようとするような例外的な状況を除くと,本条の保障する自由への侵害が直接に問題となる場面は,それほど多くはないとも考えられる。
本条への違反が独立に問題となりうる場面としては,①思想や信条の告白を強制する場合と,②特定の思想や信条を有することを理由に不利益を課す場合とが考えられる。
ちなみに、芦部142頁によれば思想・良心の自由の保障をあえて明文で規定するのは比較法的に珍しいようです。長谷部194頁によれば歴史的には宗教改革により対立する宗派の共存の必要から信教の自由が近代立憲主義が保障する権利の中核的地位を占めたのだそうですが、わが国では、明治憲法下において、治安維持法の運用に見られるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかった
(芦部143頁)ことから、思想・良心の自由を特に明文で保障する必要が意識されたのでしょう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20221019-GFOIEZC7YRIO5EI5WR3ESI63I4/
なんでリベラル叩きのためなら日本国憲法で個人の権利無限大論者になるんだよ。どんな権利にも限界があるって知らんのか。
信教の自由が無限大だったら信者がカルトにいくら寄付してどう操られようが自由だろうが。
あっ、だから憲法の全ての条項に人権の制限について書き込まなきゃって思ってるのか。バカだなー。
性的志向を聞いてるんじゃねーんだよ。議題の統一教会に関係ない話じゃない、必要な質問だろーが。
だいたい信条の自由って言ったら、思想の自由も同等なんだから、国会で思想の質問ができなくなるだろ。
詭弁に騙されんな。
一般人なら思想も信条も聞くのは失礼や差別にあたるだろうが、政治家だぞ。
根本的な勘違いとしてウヨは国会議員の権利は一般人より手厚く保護されるべきって思ってるっぽいんだよな。
不逮捕特権とかはあるけどそれは警察権力から身を守るためのものだから。プライバシー権とか下がるのは常識。
そんなに思想信条の自由が絶対なら共産党員の家族を公安や自衛隊に入れろよ。無知なウヨは統一教会の件と同じで身辺調査も知らんのか。