はてなキーワード: 赤木智弘とは
こんな僕でさえ貧困層といわれるならば・・
これから僕はこの国への期待よりも、
という気持ちでいっぱいだ。
この国はあえていうなら貧困層に良いことは何もない。
そして老後の安心など今のところ何もない。
増税はなくなるかと期待したが
消費に対してかけられる。
うかつに払ったとしても家族が路頭に迷うはめにもなりかねない。
僕としては、消費税は消費に対して
5%という数値が我慢の限界だった。
消費税が10%代の国はたくさんある。20%を超える国すらある。
こんなことをしていたら
どんどん増えていくだろう。
自分たちは貰えないにも関わらず
ごそっと国に社会保険料をもっていかれることに納得出来るはずがない。
この国の政治が僕らに何をしてくれたのだろう。
自分で老後の積立てをしている。
そういう人たちがたくさん出てきているし、
更に出てくるだろう。
それでいいのか??
納税をする人たちのモチベーションは
更なる保障へと向かうのが義務で、
いつまでたっても国にむしりとられ、
それもどこでどう使われているのかもわからず、
納税しても自由はないのか。
それでいいのか。
納税したこと自体が不幸だったのかもしれない。
こんなことをまじめに考えなくてすむのだから。
貧困になってどうするの?
と赤木智弘が本を書いていたが本当にその通りだ。
それも含め、
それは当たり前の事でしょ。
それは誰のせいではないはずだ。
統計上、正社員の方が幸せになる確率が高いから。それ以上でも以下でもない。もちろん確率なので個人で見ると正社員よりフリーターの事が幸せになることもある。君の言うようなブラック企業に入ったら正社員でも不幸なことも多い。そしてそれは分からない。
>非正規雇用でもちゃんと生きていけるような、そういう働き方を選べるしくみ
それを作るのは誰か?自分が作るのなら構わない。しかし、政治家はそうしないよ。だって努力しなくても一緒なら誰も努力しないから、差を付けるのが当然だと思ってる。そして、ただそれを与えられるのを待ってたら赤木智弘のように歪んだ奴になってしまう。
個人的には何かの夢や信条を持ってそれに突き進むなら止めないが、何も考えていないなら世間に流されていた方がいいよ。これは20代前半では分からない。分かるのは35歳。そして気づいたときは遅い。今の君はただ単に分が悪い方の賭けに乗ってるだけだ。
http://blogos.com/article/24327/?axis=&p=1
なにが気持ち悪いかといえば、すべての質問において、手料理を作るのが女性で、
食べるのが男性という、今時珍しいほど露骨にジェンダーバイアスのかかったアンケートなのである。
例えば、「料理に対する心配」という項目を男女に質問しているのだが、
女性の側の選択肢が「料理をほぼ毎日作るということ」「栄養バランスがとれるかどうか」「作れる料理が少ないこと」「美味しく作れるかわからない」などが
並んでいる。
その一方で、同じ項目での男性側の選択肢は「栄養バランスがとれるかどうか」「自分好みの味付けかどうか」「料理をちゃんと作ってもらえるか」「おいしく
作ってもらえるかわからない」などと並んでいる。
「栄養バランスがとれるかどうか」は同じだが、その他の項目が全て「女性は料理を作る側」で「男性は料理を食べる側」という前提の項目しかないのである。
そもそもアンケートの質問自体に問題ありそうなんですが。JAアンケートの結果は↓ ですね。
手作り料理と味の伝承に関する意識調査(全国農業協同組合中央会)
http://www.yoi-shoku.jp/guide/pdf/newsletter_07.pdf
あと、これは違いますね。
「日本人女性は男性に依存しすぎ」と述べられていますが、むしろ、「日本の社会や文化は、女性が男性に依存するよう(依然として暗黙に)要請している」と
平成17年版 国民生活白書 http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm01020101.html 結婚相手に『家事・育児に対する能力や姿勢』を求めている割合 女性 96% 男性 92%
こんにちは、愛国的恋愛マネジメントを専攻しているアメノウズメ嬢です。私は学歴も知識もありませんしブスですが、恋愛に関してはプロフェッショナルで愛国者。今回は、モテる愛国系女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。
あえて2~3世代前の憂国本を持参するようにしましょう。そして飲み会の場で好みの男がいたら話しかけ、わざとらしく憂国本を出して読み上げてみましょう。そして「あ~ん! この『日本改造法案大綱』本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお~!」と言って、男に「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「戦前右翼とか詳しくなくてぇ~! ずっと雨宮処凛や赤木智弘とか批判してきたんですけどぉ~! 北一輝は右翼なのに労働基準法もびっくりするほど労働者の権利を保障しているんですぅ~! ぷんぷくり~ん(怒)」と言いましょう。だいたいの男は新刊の憂国本を読みたがる習性があるので、古かったとしても『国民の歴史』あたりを読んでいるはずです。
そこで男が「晋遊舎本は読まないの?」と言ってくるはず(言ってこない空気が読めない男はその時点でガン無視OK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近、外山恒一が右翼雑誌を出したんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 新しいファシズムらしいんですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなコ★」と返します。すると男は「外山恒一でしょ? 根は左翼だよ。本当に良くわからないみたいだね。どんな本を読みたいの?」という話になって、次の休みの日にふたりで憂国本選びのデートに行けるというわけです。あなたの女子力が高ければ、男が『ゴー宣』全巻を買ってくれるかも!?
「目立ちたい」とか「人気者になりたい」などを表現する【拡散希望】を伝聞情報に付け加えてコメントすると、Twitterの低脳ユーザーは「なんだってーっ」や「これはひどい」と思って公式RTしてくれます。インターネット上では現実世界よりも怒りが増幅されて相手に伝わるので【拡散希望】を多用することによって、低脳はあなたを社会派で意識が高いと勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対に荻上チキに嫌われますが気にしないようにしましょう。
3. とりあえず男には「えー! なにそれ!? 天誅ですっ! 殺しまーす♪」と言っておく
飲み会などで男が女性に話すことといえば中国や韓国の悪口ばかり。よって、女性にとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「へぇー在日なんですかぁ~?」とか「よくわかんないですけど売国奴ですねぇ」と返してしまうと、さすがの男も「この女ダメだな」と気がついてしまいます。ダメ女だとバレたら終わりです。そこは無意味にテンションをあげて、「えー! なにそれ!? 天誅ですぅ! 殺しまーす♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、一人一殺の行動する保守でその場を乗り切りましょう。積極的に国賊を誅する女国士に男は弱いのです。
いろいろと話を聞いたあと、「〇〇は〇〇で、〇〇が〇〇なんですね! 覚えたぞぉ! 天誅天誅!」とコメントすればパーフェクト。続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト……」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。そこで「私の精神は、神武国祖の創業、明治大帝の革命に則るのでありますっ☆」と言えば女子力アップ! そこでまた男は「この子ほんものの国士かも!?」と思ってくれます。私は学歴も知識もありませんしブスですが、こういうふうに本物の右翼ぶれば、知識がない私のような愛国女子のほうがモテたりするのです。男は天誅が怖いですからね。
男とレストランに入ったら、真っ先にパスタなどの小麦粉を使った料理を探して「あーん! 私これ食べられないんですよねぇ~(悲)」と言いましょう。するとほぼ100パーセント「どうして? 嫌いなの?」と聞かれるので、「嫌いじゃないし食べたいけど食べられないんですっ><」と返答しましょう。ここでまた100パーセント「嫌いじゃないのにどうして食べられないの?」と聞かれるので、うつむいて3~5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。「……だって、……だって、お米を食べなかったら農家が死んじゃうじゃないですかぁっ! 自民党の新人議員かわいそうですぅ! まだ本格的保守政治家になっていないのにぃぃ~(悲)。郡部で票を稼ぐこととすらできずに新自由主義的政策で都市部での集票を目指すのですよ……」と身を震わせて言うのです。
その瞬間、あなたの女子力がアップします。きっと男は「なんて天照大御神のようなコなんだろう! 絶対にゲットしてやるぞ! コイツは皇大御国の女だ!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけパスタを食べて大丈夫です。「食べられないんじゃなかったっけ?」と言われたら「親米保守になった」とか「脱亜入欧」、「経済を軽視するとは言ってない」と言っておけばOKです。
数年前までただのフリーターだったのに、ある日突然朝日系の雑誌で論文(?)が取り上げられた不自然さがいつも気になるんだよな、赤木智弘って。
これまでの「弱者」概念というものが、「女性」「肌の色」「人種」「生まれた場所」などという、人間が自身の力であとから変えようのない「固有性に対する差別」による弱者を示しました。すなわち「平等を求める行為」というのは、そうした固有性によって人を差別しない社会を目指すと言うことです。
一方で、右肩上がり経済社会における「経済弱者」というのは、あくまでも一時的な格差で発生した弱者だと考えられます。つまり、「努力すればやがて報われるような一時的な弱者」と言うことです。そうした状況は、バブル崩壊後の低い経済成長の社会になってからは変化し、「努力をしても報われない弱者」、すなわちワーキングプアを生み出しました。
にもかかわらず、「固有性に対する差別」にこだわる左派の多くが、こうした状況をちゃんと把握しておらず、いまだに「努力すれば何とかなる」とか「一緒に労働運動をすれば何とかなる」などと主張しているのを知るにつけ、開いた口がふさがらなくなります。
つまり、左派の人たちは。「固有性に対する差別」とたたかうことを強調するあまりに、「固有性でない差別」に対する理解が浅くなっています。それと同時に、彼らの主張は「自己責任論に対する親和性」が高いのです。(以上p114~115)
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c3f3.html
赤木智弘氏の言う「リベサヨ」って、
意識すらせずにオウムの手下をやってたり、まさにはてサそのもの。
ニュースなどから「他人」を記述した記事ばかりを読みあさり、そこに左派的な言論をくっつけて満足する。
生活に余裕のある人なら、これでもいいでしょう。
しかし、私自身が「お金」の必要を身に沁みて判っていながら、自分自身にお金を回すような言論になっていない。
このことは、私が私自身の抱える問題から、ずーっと目を逸らしてきたことに等しい。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html
赤木智弘氏の言う「リベサヨ」って、
意識すらせずにオウムの手下をやってたり、まさにはてサそのものだね。
ニュースなどから「他人」を記述した記事ばかりを読みあさり、そこに左派的な言論をくっつけて満足する。
生活に余裕のある人なら、これでもいいでしょう。
しかし、私自身が「お金」の必要を身に沁みて判っていながら、自分自身にお金を回すような言論になっていない。
このことは、私が私自身の抱える問題から、ずーっと目を逸らしてきたことに等しい。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2af2.html
要するに今の左翼って、昔のように公憤からではなく、
自分を代弁できない者は、容易に、他者に代弁されてしまう、
したがって、主体として扱え、
ということなんだと思うんですが。
で、主体として扱わないやつに限って、援助交際している、と。
(若い女を内心見下しながら、性欲の対象にしている、とか)
なんだかみんな、「性的主体」っていう部分より、「13歳」とかいった部分に引っ張られすぎてるように見える。
コメントしてるみんな、文章、長すぎだよ。読むのめんどうだよ。
あと、
いちゃもんつけてた佐藤亜紀さんが言っていたのは、わたしの理解では、
「性的主体として扱う」って、それ、性のゲームに参加するプレーヤーとみなすってこと? 13歳を!? キモイ!!
って感じかなと思いました。
ひとつ言えるのは、
過去に自分が、実際に、「13歳」にセックスに関してアドバイスしたことがあるならともかく、
そうでなくて、勝手に、「もしそのような13歳がいて、自分がアドバイスしたとしたら……」(非実在青少年ってやつですかそうですか)
みたいなこと考えても、しょうがないと思う。あほらしい。
そんな「13歳」を想像したら、悲惨なイメージしか浮かばないのは、当然だと思う。
それは、「想像力」とは呼ばない。ただのバカだと思う。
あるいはオレがバカ。どっちかだ。さあ、えらべ。
私は元々、赤木智弘氏が「アグネス・チャンの『二次元』児童ポルノ規制論は、当の児童の『性的主体』としての権利を侵害している」と発言したことが、「フェミ」系の人を中心に批判されていることを中心に違和感を覚えたわけです。しかしながら、そういう批判をしている人たちは従来、「中高生はセックスするな」という意見があれば反発する層と重なると思え、どうしてそんな矛盾したことを主張できるのだろうという従来のイライラが噴出したということでした。
その層が重なるか、確認しましたか?
具体的に確認しましょう。
それをしていないのであれば、ただの印象ということですね。
私はこの種の、「世の中が全体としてトチ狂ったことをする」ことが何よりも嫌いです。児童ポルノ過剰規制は反捕鯨運動や北京五輪の時の犬肉禁止運動、そしてスカーフ反対運動と並んで、現代西洋社会の最大の思想的恥部だと私は思っています。そしてここでも鹿鳴館根性が働いている日本という国が情けなくて仕方がありません。
あなたがトチ狂ったと思われるのは自由ですが、私はトチ狂っているとは思いません。
例えば障害者、高齢者、また女性も保護されていますが、主体を認めないのですか?
主体たり得る人間に保護は必要ないというのは、あなたの思い込みです。
何度も言うように、「禁止されていれば入手できない」というのは飛躍が過ぎると思いますし、同じことをもう一度言いますが、現状ではポルノだって禁止されているはずですよ。必要なのはその程度のザルな「禁止」であって、それ以上でも以下でもないと思います。
ちなみに、酒なんて誰でも平気で買えるものだと思っていましたが、それは初耳です(そういえば最近、私も一度スーパーで年齢訊かれたことがあります。既に二十代後半なので唖然としましたが)。それは明らかに度の過ぎた過剰反応ですね。
あなたはかつてこう書きました。
欧米の過剰規制(アグネス・チャン並の)が日本にも導入される日は決して遠くないでしょうし、未成年者の飲酒に対して世の中がこれほどまでに手の平を返した以上は(プロ野球の優勝記念の「ビールかけ」に19歳の選手が参加できない時代ですよ)、案外抵抗もなにもなくビクトリア朝並の世界がやってくるような気がしてなりません。
あなたの理屈に従うのならば、コンドームを買うときに年齢確認される日も近いでしょう。
「自由」には必ず「自己責任」が伴うわけで、判断力が十分でない年少者にはこの原則を当てはめることは不適切だと考えます。
たぶん、ここがあなたと私の最大の違いなのでしょう。
13歳がセックスをして、なんらかのデメリットを引き受ける事態になったとして、私は引き受けたところですでに責任を果たしていると考えます。
ただ、13歳としては過大な責任を負わざるを得なくなるため、教育が必要だと考えています。
また、児童ポルノ製造・買春は規制すべきだと考えるのも、彼らかが負えないレベルの責任が生じるからです。
石原慎太郎がタカ派の最先鋒であることは、七生問題やフェミ(というより女性問題家ですが)とのケンカを語る上で、その背景として最低限知っているべきことです。
それについて何も語らない一般の人と、それをベースに自分の意見を語ろうとする者の間には決定的な違いがあることを理解してください。
最低限の背景も知らず、最低限のソースもあたらない人間が、誰かに何か説くことは出来ません。
あなたが語る相手に対して、それが失礼に当たるということはわかりますか?
ごめんなさい、元々自分が何に苛立っていたのかが、話題が発散してよくわからなくなってしまったのでもう一度整理しておきます。
私は元々、赤木智弘氏が「アグネス・チャンの『二次元』児童ポルノ規制論は、当の児童の『性的主体』としての権利を侵害している」と発言したことが、「フェミ」系の人を中心に批判されていることを中心に違和感を覚えたわけです。しかしながら、そういう批判をしている人たちは従来、「中高生はセックスするな」という意見があれば反発する層と重なると思え、どうしてそんな矛盾したことを主張できるのだろうという従来のイライラが噴出したということでした。「主体」に対して保護はあり得ないのだから、児童ポルノ規制と性行為禁止はセットであるべきだし、酒やタバコと同様の理由でこの両者はセットで規制すべきだろうというのが私の意見です。
あなたは七生事件をご存じであった、それどころか増田で書かれていたという記事を読みましたが、「知らなかった経緯」と書かれるのはなぜでしょう?
知っていたけれども、それが宗教原理主義(具体的には統一教会?)的な意味での「純潔教育」と結びついていたとは初耳だったということです。私は単に、身内に障害者がいたので、養護学校ではあのような試みがあることも知っていたから「糾弾動画」を見てああいう記事を書いただけです。そういう予備知識なしにああいう動画を見せられて「狂信的フェミニストによるやり過ぎの事例」とか言われればその通りなのだと思いこんでも不思議はないだろうと思いましたし、石原はそういう勘違いをしただけだろうと思っていました。身内のタカ派議員あたりからそんなことを吹き込まれたではないかと想像したわけです。それ以上の政治的背景には関心も知識もありませんでした。
しかし、例えばコンドームはなくてもセックスできます。わざわざ身分証明書を借りてきたり偽造したりしてまで(現状で高校生が酒を買う方法です)、コンドームを買うかというと疑問です。がんばらないと入手できない状況を作ることは危険です。できれば、未成年には無料で配布したいくらいですが、禁止されていれば無理ですね。
特にピルは処方薬ですので現状でも医師の診察が必要であり、入手は困難です。法的に禁止されれば入手は今以上に困難になります。
何度も言うように、「禁止されていれば入手できない」というのは飛躍が過ぎると思いますし、同じことをもう一度言いますが、現状ではポルノだって禁止されているはずですよ。必要なのはその程度のザルな「禁止」であって、それ以上でも以下でもないと思います。
ちなみに、酒なんて誰でも平気で買えるものだと思っていましたが、それは初耳です(そういえば最近、私も一度スーパーで年齢訊かれたことがあります。既に二十代後半なので唖然としましたが)。それは明らかに度の過ぎた過剰反応ですね。
あと、ピルは外国では処方なしで買えるものだと思っていましたが、調べてみてそうではないことがわかりました。そうだとすると少しそこは裏口を考えなければいけませんね。医者には守秘義務があることを強調するとか。
で、建前として18歳未満はセックスを禁ずるべきと言う論ですか。
18歳未満とは言っていません。年齢制限については低いに越したことはなく、たぶんあなたの言うように15歳ぐらいが適当でしょう(元々、議論の発端は「13歳」だったわけで)。要するに、体が未成熟で妊娠が生命の危険を生じさせ、また社会的に子供を育てる能力もない状態では保護が必要であり、その保護の一手段として禁止が必要であるという理屈です。義務教育が原則15歳で終わることや女性が16歳で結婚できることなどを考えても、それ以上の規制は現実的に有害無益だと思いますし。
また、私も「出来る限り人間の自由は制限されるべきではない」という原則を信奉しており、たとえば実際の行動に及ばない限りは小児性愛者も性的少数者の一種にすぎないという立場から「非実在」児童ポルノは絶対に規制してはならないという立場ですが、「自由」には必ず「自己責任」が伴うわけで、判断力が十分でない年少者にはこの原則を当てはめることは不適切だと考えます。
ソースは検索したけれど発見できなかったので提示ありがとうございます。しかし、この話にはキリスト教原理主義ないし何らかのイデオロギー性を読み取ることは不適切でないと考えます。成人が同じことをすれば、「猥褻物陳列罪」にしかならないはずで(しかもその成立要件は確実にもっと狭い)、それがもっと重罪で裁かれるのは明らかに法の濫用ではありませんか。
私はこの種の、「世の中が全体としてトチ狂ったことをする」ことが何よりも嫌いです。児童ポルノ過剰規制は反捕鯨運動や北京五輪の時の犬肉禁止運動、そしてスカーフ反対運動と並んで、現代西洋社会の最大の思想的恥部だと私は思っています。そしてここでも鹿鳴館根性が働いている日本という国が情けなくて仕方がありません。
これは自分でも極論だと思うし、どこかがおかしいのは確かだと思うのだが、どこがおかしいのかよくわからないし、人文系音痴の俺には適切な文献を探すことすらできなかったので、誰かが教えてくれることを期待してここに書く。
これを書くきっかけは赤木氏のブログ記事「アグネスは子供の権利をないがしろしている」( http://blog.livedoor.jp/shimanekoblog/archives/1410043.html )とそれにまつわるtwitter上での議論「13歳のセックスする権利」( http://togetter.com/li/28748 )、およびそのブクマを見て違和感を覚えたことだ。。見ればおわかりの通り赤木氏は、フェミ系とおぼしき人を中心に徹底的に叩かれており、同情的な意見はほぼ皆無に見える。確かに赤木氏の言っていることは極論であると私も思う。しかしそれを批判している人にもどうしても違和感を覚えざるを得ないのだ。
赤木氏を批判する側の言うとおり、13歳は性的主体として未熟すぎ、自己責任の原則を適用するのは無茶だと思う。つまり、13歳を性的主体として考えるべきではないのだろう。
しかしながら13歳という年齢は十分性欲もある年齢だ。とすれば、放置しておけばいきさつはどうあれ現実の行動に走ってしまう子供達はいる。それも、同年代同士の恋愛の帰結というような、13歳という年齢を考慮に入れなければ非難することが難しいような経緯のあげくということもあり得る。
これにはどう対処すべきなのだろうか。大人の視線で言えば、ともかく13歳が性行動をすべきではないということになろう。となれば、純潔道徳を推進するというのが論理的に正しい帰結のように思えてしまう。
しかしながら、「純潔」の「じ」の字でも口にしようものならこれまた、赤木氏以上の勢いで血祭りに挙げられることは間違いないのだ。
だとするといったい、この年代の子供をどう扱うべきなのだろうか。世間の良識がどのあたりにあるのか、本気でわかりかねている。
実際俺自身が中高生だった頃は、自分自身を純潔思想で染め上げていた。誤解しないで欲しいのだが、私は何らかの宗教の熱心な信者などでは全くない。単に「責任が取れないことはすべきではない、従って未成年は純潔たるべし」と思っていただけなのだ。そして奥手な男子校生としては、自分が「過激思想」を持っていると気づく余地もなかったし、それで現実とのギャップに何の問題も起こらなかった。
ショックを受けたのは大学入学以降で、周囲が何の疑問も持たずに「恋人がいれば肉体関係になるのが当然」という価値観で行動しているのが理解できなかった。完璧な避妊法なんてないのに、みんな誰もかれも、いざとなれば大学中退して子供を養う覚悟が据わっているともとても思えなかったからだ。もちろん、全員が俺のように考えないのが間違っているとまでは思わなかったが、俺のような考えが「極論」として一笑に付され、何の検討にも値しないかのように扱われたことはショックだった。今の感覚で言えば、うっかりシー・シェパードの本部に紛れ込んでしまったらこのような気分になるだろうか、それほど絶望的な孤立を感じた。
その後周囲と話していて、そのあたりの感覚は高校以前の段階で確定してしまっていることがわかった。つまり、世の常識は良くも悪しくも、「中高生の少なくとも一部は性的主体として認められるべし」なのだ。
そこで俺はますます混乱してしまった。当時、児童ポルノ論議が始まった頃だった。つまり世間様の言っていることは「中高生は性的主体」だが「中高生を性的客体にすることは児童虐待」なのだ。まるでわけがわからなかった。
現在は自分が社会人となっているので「純潔」云々を自分の問題として真剣に悩む必要はなくなったが、それでも未だにこの件はわけがわからない。
こんなことを考えるのは俺だけなのだろうか。だとしたら俺の何がおかしいのだろう。ショックを受けてから十年以上経ったが、未だにまるで見当もつかない。
どこかで見たアメリカンジョークをご紹介する。
深夜パトロール中の警官、路上駐車を見つけ、取り締まるべく近寄っていった。念のためと中を覗くと、そこにいたのは若い男女。これはお邪魔だったかと回れ右をしかけたが、ふと気づいた。この二人、見つめ合うでもなくただひたすら時計を見つめているのだ。
警官、思わず声を掛ける。「君たち、何をしているんだね」
男が答えた。「日付が変わって彼女が18歳になるのを待ってるんですよ」
これがジョークとして成立すること自体、現行法体系における児童ポルノ・児童性愛の定義に無理があることを表しているのではないか。現行法の定義で児童ポルノ・児童性愛として人の道にもとる悪と処断されてしまうものの中には、実際には問題がほとんどないものがあるからこそ、このようなジョークが成り立つわけなのだから。つまり、現行の児童ポルノ・児童性愛の定義は、「百人の罪人を見逃すとも、一人の冤罪を出さない」という現代法の精神と矛盾を来しているということなのだ。それがなぜか、自分が児童性愛者と名指されたくないためなのか、誰もが「王様の衣装が見えないやつは非国民」だと心から信じている振りをしているように思えてならない。
そもそも、児童ポルノ規制の議論をするのであればこのあたりをまず議論しておかなければ、ただの偽善家同士の争いにしかならないのではないか。中高生を性的主体として認めるのであれば、買売春の主体と認めないとしても、中高生を性の対象にすること自体はともかく罪悪ではないということになる(でなければそもそも中高生時代の俺自身を含む、ほとんどすべての人が憎むべき児童性愛者であったことになってしまう)。盗品を買うことが盗みをすること以上に罪悪になり得ないのと同様、「若気の至り」の記録を蒐集すること自体を人の道にもとる悪として断罪することは明らかに行き過ぎであり、単純所持を微罪以上のものとして処罰することには根拠がなくなるだろう。
実際憶測だが、児童ポルノの多くは「被害児童」の買春の結果として撮影されているのではないだろうか。その「被害児童」が本当に全面的な同情に値するのだろうか?少なくとも、当事者を性的主体として少しでも認めない、即ち純潔教育を否定するのであれば、本人が「児童ポルノ製造」に多少なりとも「主体的に」荷担していることは確実なのだ。その種の児童を売春した者、あるいはその記録を蒐集した者の罪は、どう考えても成人に対する強姦や強制猥褻といった典型的な性犯罪に比べてはるかに軽いものとしなければ理屈が通らないだろう。
つまるところ、純潔思想を肯定して、「18歳未満の児童には何人たりとも指一本触れてはならぬ」とする覚悟なく、児童ポルノのあらゆる「被害児童」を純粋無垢の「被害者」として押し切る思想はどこかでその種の「いいところ取り」をしているとしか言いようがないのだ。だからこそ、この議論は宗教論争のようになってしまって、いつまでも収拾がつかないのではないか。
とはいえ、だったらどうすればよいのかと問われても、このような事情でなかなか解決策が私にはわからないのだが。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/ikedanob/status/4757525050
はてサツイッターで吐き出した愚痴にゴキブリみたいに群がって大はしゃぎww
どんだけ池田信夫嫌いなんだよw
まぁ著名人ユーザー全般に対するpostを見ていても思うことなんだけどさ、最近Twitterを「著名人へ生卵をぶつける好機」みたいに考えている人多くね?
社会に出た時期が人間の序列を決める擬似デモクラティックな社会の中で、一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、「丸山眞男」の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ。
これ、赤木智弘の言葉だけど、実はこういう状況ってもうとっくに生まれているんじゃないかってTwitter見てて思ったよ。氏は肉体的、物理的な接触を意味する「ひっぱたく」機会を望んでいたようだけど、想像力を働かせれば今ネットで行われている著名人のブログやつぶやきに対する容赦ない罵詈雑言も立派に「底辺がエスタブリッシュメントをひっぱたく」行為だと思えてこない?
昔は学者の言葉って綺麗に編集されたテレビや校正を重ねた書籍や新聞ぐらいでしか、一般庶民が耳にする手段ってなかったわけさ。だから学者って雲の上の存在だし、品行方正で上品で、部屋には書籍だらけだというイメージが漠然とあったはず。で、そのステロタイプな学者像を、ネットが発達して学者と1対1でやりあえる状況になった今も引きずっている奴が、まだ多いんじゃないかと思う。「相手は著名人だから、こちらが少々横柄なクチをきいても、相手になんかするはずがないさ」という甘えで、罵詈雑言を浴びせているようなのが結構居る。で、挙句にブロックされたらありえないことをされたかのように、そのことを吹いて周る。これは著名人や学者というものを自分より高いところに「勝手に」置いているからだ。学者ともあろう人間がそんな小さなことでいいのか、とでも言わんばかりだ。ちげーよ、お前も学者もTwitterでは最初から対等なんだってば。だからこそ気に食わなければ一発でブロックするし、悪態を突かれたら応戦もするの。
たかだか個人のグチにいちいち噛み付いて「経済学者なのに」という切り口で軽口を叩けば、そりゃ誰だってブロックするっての。わかれよ、それぐらい。
最初から自分と対等のつもりで罵っているのなら結構。だけど、それならそれで言い返されたりブロック食らったときに「著名人なのに」の理屈は、出すなよ?当然そうなるわな。だけどそれをわかってない奴、居るだろ。その見苦しさを自覚しろよ。
見ず知らずの人間がおかしな事を呟いていて「あまり知ったかぶりしないほうがいいですよ」とは普通はいちいち返さないはず。それを著名人だからという理由でやっている奴が居るよな。嫌いな人間に生卵をぶつける機会を伺うためのフォローをしているわけだ。それはそいつの権利だとは思うけど、自分から喧嘩売っておいて挙句にブロックされて文句言ってる奴は著名人に一体何を求めているのかと言いたい。
前にはてなでどっかの弁護士を中傷していた奴居たよな?で、その弁護士が訴訟をも辞さない構えを見せてきたら、突如として発言を取り下げ、代わりに今自分が陥っている状況を披露し始めた。「みなさん見てください!僕がこんなことを書いただけで、○○弁護士は法律を盾に訴訟するぞと噛み付いてきましたよ!」と、精一杯の抵抗を見せてた。つまり、彼はナメていたのだ。「メディアにも露出する弁護士ともあろう人間が、俺のような泡沫ブロガーの言葉に過敏に反応するはずがない」とタカをくくり、罵声を浴びせていたわけだ。チンピラは、いざ肉体的な闘争になった場合勝てない相手も沢山いるはずだ。だけど日頃から粗暴な言動に及んでいれば、自分が弱い人間だと悟られることはない。だけど、いざ反撃された場合に引っ込みがつかなくなる。だから勝てないと解ったとき、突如としてギャラリーを味方に付けようとするのだ。ああいう滑稽な人間が、Twitterにはまだまだ多い。