はてなキーワード: 五輪とは
五輪の歴史をたどればわかるけど、ミュンヘン五輪ではテロで11人が選手村で死亡。それでも中止はされなかった。もうここまで来たら、地下鉄サリンみたいな事件が起きても予定どおり五輪は開催されます。超がつく反対派の人はカゲキなことは考えず、天災でも祈っていてください。 https://t.co/QcB14F0Bag— 梅田香子🇺🇸「スポーツライターの24時間(ダイヤモンド社)kindle出版! (@yokoumeda) July 18, 2021
ワンチャン反対派が実は地下組織とか作っていてテロ起こして選手なり関係者なりをぶっ○してすら「前例のないこと」にはならないんだよな…
東日本大震災の死者数は約1.6万人
コロナによる死者数は約1.5万人
死者数だけで見れば、コロナは東日本大震災並みの被害を日本にもたらしたと言える。実際には、コロナが被害をもたらしたというよりも、アベ・スガ政権の無為無策が被害をもたらしたというべきか。
被害の大きさもさることながら、より本質的に恐ろしいのは、この政権が「国民のために働く内閣」をスローガンに掲げながら、本当のところは「内閣のために国民を働かせる内閣」である点だ。緊急事態宣言を出さざるを得ないほどコロナ感染が拡大する中での五輪強行は明らかに民意に背いている。誰のために五輪を強行するかは明らかだ。スガを始めとした自民党とそのオトモダチのために強行するのである。スガの言動は欺瞞に満ち満ちている。
今回強行されるのが大規模な運動会に過ぎなかったのは不幸中の幸いかもしれない。このまま彼らを放置すれば、いずれもっととんでもないことを「強行」し始めるのは想像に難くない。
どうせチケット持ってるわけでなく、テレビで見るくらいしかオリンピックと関係ないし。
大相撲を無観客でやったとき、シーンとしたなかに響く行事や呼び出しの声とか、力士がぶつかり合う音とか息遣いとか、妙に鮮明に伝わって、なんか神々しいものを見たような気がしたんだよね。
https://news.infoseek.co.jp/article/kyodo_kd-newspack-2021071801000361/
国立競技場内で五輪関係のアルバイト女性に乱暴したとして、警視庁は18日、強制性交の疑いで、ウズベキスタン国籍の大学生の男(30)=住所不詳=を逮捕した。男は場内でプレス向けに食事提供する会社のアルバイトスタッフだった。
おいおい、この方がよっぽど問題だろ
「コロナ禍の最中で開催された東京五輪は日本における外国人排斥運動を強める結果となった。
五輪反対派はコロナの蔓延を海外選手が原因だとして誹謗中傷や弾圧を行い、
後のナショナリズム政権の樹立と第三次世界大戦の遠因となった。」
とか書かれてそう
「TOKYO 2020」のロゴが入ったポロシャツや帽子姿で自宅を出発した。組織委から依頼されていたためだ。
「五輪のせいで死人がたくさん出るんだよ」
と言われ、女性に向かって
「恐怖を感じた。なぜそんな言葉を浴びせられなければならないのか」
と憤る。
冷笑系は小山田擁護に行くのかと思いきや全力で叩きに行ってるな
彼らは政府擁護・五輪擁護というよりはリベラルが嫌いって感じだからアーティスト界隈を叩ける材料として小山田を使ってるのかな
俺も元増田の感覚に近い。ついでに言うと、この増田に対する返答として「いじめると将来こういう目に遭うというモデルとして、社会的制裁は抑止力になる」っていうのはスジが悪いと思う。
だって、どこのガキが「自分は将来オリンピック・パラリンピックの作曲者になるかもしれないから、こいつ(同級生)をいじめるのは止めておこう」なんて考えるんだよ?
そんな大ごとの話じゃねえだろ、って言われるかもしれないけど、いじめの本質って想像力の欠陥の問題だと思うんだわ。
相手が今どれぐらい傷ついてるか、それを今後何十年にわたって引きずることになるのか、たとえ被害者本人には自覚がないとしても、周囲の人がどれだけ悲しむか、そういうことに関する想像力が欠けてるからいじめができるんであって、「社会的制裁になるから~」って主張はそういう能力がないはずの相手(好意的に見れば未発達)に対してそれを期待する点で、矛盾してると思う。
もっと言ったら、元増田がそこまで想定してたかはわからないけど、今回の話っていじめに対する批判として結成された論陣が、徐々に属性が違うだけのあたらしいいじめとして再生産されつつある、ってことだと思うんだわ。
一応ことわっておくけど、批判するな、って言ってるんじゃないよ。俺もはらわた煮えくり返る内容だと思うよ。当事者や家族だったら殺意だって抱くと思う。
でも、これは俺の主観だけど、批判と暴力の境界って限りなくあいまいだし、社会的な問題に関する議論でそこの区分が可能だとしたら、批判する側が落としどころをはじめから明示して、その見解で批判サイドが統一されてる場合だけじゃないのか? だって、「許されたかったらどうしたらいいかはテメエで考えな」ってクレーマーだし、「同じ批判側のあいつは謝罪で良いって言ったけど、俺はそれで許すつもりはねえ」って、責められてる側からしたら意味わかんなくねえ?
少なくとも、俺なら意味わかんねえ。厳密に言ったら、日常生活の中ではいくらでもある話だけど、国際的なイベントの規模で責めてる側の要求が統一されない、個々の優先順位もわからないまま提示されるんじゃ、かなりどうしようもねえ。それとも、このどうしようもなさも罰の一環だろうか? たぶんそれは違うよな?
じゃあ、現実的に批判の要望がまとまるか、って言ったらまとまんねえよな。被害者の中にもトーンの違いはあるし、周縁から論戦に加わってる人もいるし、そりゃほぼ無理だろう。
でも、これは極論かもしんないけど、それをまとめるのが個人に大きな責任を問うことの条件なんじゃないか? それが統一されてることを、はじめて社会的制裁を科すって言うんじゃないだろうか。
なんで被害者の側、正義の側がそんなことしなくちゃいけねえんだよ、って言ったら、それは正当な批判と暴力を区別するためだと思うんだわ。俺はね。
直接の被害者もいじめの経験者も外野も自分の意見を言ってて、それは言論の権利ではあるだろうけど等しくフラットで(言ってる側は自分の発言がもっとも重きをおかれるべきなんて思ってないかもしれないが、言われてる側にその区別がどうやってつく?)、言われた側だって苦悩するだろう。クリアな要求に対してどう反応するか、どう贖罪を表すか悩ませるのはまっとうだけど、そもそも何を求めてるのかを悩ませるのはまっとうじゃねえと思う。俺はね。
ちなみに俺は当該の謝罪文でいいんじゃないの、と思ったよ。五輪に参画する時点の本人の加害者としての自覚がぼかされてるように読めるあたりと、今回の職務を自分がどうしたいのかよくわかんないところは気に入らなかったけどね。
でも少なくとも、俺はあれでいい。一方で、直接被害に遭われた方々があれじゃ駄目だ、こうして欲しい、って言うなら、それがもちろん一番いいよ。
いまの混沌とした論陣の形成が自然だとしたら、それをまとめろってのはものすごく不自然な作業で、俺も自分で最低だと思うよ。だって、「誰の(どの)要望が一番正当か、当事者も周囲も有象無象も加わってまず議論して、それが決まってから持ってこい。できるわけねえけどな」って言ってるのと同じなんだから。こんな卑怯な話ないよ。
でも、俺はそれが正義に求められることだと思うし、いまの批判全体の雰囲気は、個々は別として、すげえ不気味だと思う。いまのこれが社会的制裁のモデルとはとても思えないわ。
ど、こ、が?ここちゃんと読んでくれた?
「 避難されて当然 = イジメてない 」と解釈するのは君の問題だね。
そして、マットの件やドロップキックを取り上げないのは、
小山田がいじめを認めている以上こちらは否定するつもりはなく、取り上げる必要ないからだよ。
「小山田が障害者を全裸にしてウンコ食わせてバックドロップした」したのかどうか。
この一文を読めば誰でも鬼畜の所業にしか見えないんだけど、こういうのにはツッコミいれないの?
↓
痛いニュース(ノ∀`) : 小山田圭吾「障害者を全裸にしてウン◯食わせてバックドロップしたw」→五輪開会式作曲メンバーに - ライブドアブログ
・小山田のことを嫌う
→個人の感情なので当然問題はない。小山田のしたことを思えば一般的な感情だと思う(もちろん必ずしもそう思わなければいけないわけではないが)。
・小山田のことをクソだと言う
→メディアに出ている話題について語っているだけなので問題はない。
→五輪が公のイベントである以上、その人選が相応しいか議論する権利は全ての市民にあるので問題ない。ただ、最終的な判断は世論全体で決められるべき。
→小山田は依頼された仕事を行おうとしているだけなのでこれはおかしい。仮に小山田が五輪に起用されることが間違っていると思うなら、批判するべきは彼を起用しようと決めた五輪運営サイドである。
→どう思おうが勝手だが、第三者の許す・許さないになんの意味も価値もない。意味があるのは被害当事者の許す・許さないだけ。
→人が人をどう思うかはその人の自由であり、そこを"責める"権利は誰にもない。ただし、小山田を受け入れる人を"嫌う"ことはそれもまた個人の自由な感情なのでこちらは問題なし。