はてなキーワード: たくわえるとは
ところで「一寸の虫にも五分の魂」の「五分」は長さの単位としての分(1寸の1/10)というのが国語辞典の解説のようだ。
A三(数)
❶二分の一。半分。
例人生百年、昼夜各分じんせいひゃくねん、ちゅうやおのおのぶんナリ
訳人生は百年で、昼と夜とがそれぞれ半分ずつである〈列・周穆王〉
❷十分の一。一割。
例歳蔵㆓三分㆒としゴトニさんぶヲぞうス
A四(量)
❶単位名。
㋐長さの単位。一尺の百分の一。
㋑重さの単位。一両の百分の一。
㋒面積の単位。一畝ポの十分の一。
㋔角度の単位。六十分は、一度。
(中略)
日本語用法一わ-かる。理解する。明白となる。「答えが分かる」二ぶ。①勝負などの優勢の度合い。「分が悪い」②単位。㋐数で、一の十分の一。㋑歩合で、一割の十分の一。㋒重さで、匁もんめの十分の一。㋓江戸時代の貨幣で、一両の四分の一。
という説明があり、どうも単位としても1/10だったり1/100だったりする。
(日本語用法ではない)漢語としても1/100の場合があるということは、把利→割の定着後に分=1/10割=1/100になった、というわけではなさそうだ。
時々、行動を起こすことが重要だと思うことがある。
私は障害者であり、ハロワの職員に勧められて自立訓練施設で訓練していたことがあった。そこでの人間関係は楽しいものだったが、訓練が役立ったことはない。
教えられなくとも料理はできるし、裁縫を学んでも実生活で役立つことはないし、OfficeSuiteの使い方なんてものは教わるまでもない。
訓練の一環と言って、無賃で工場勤務をしたこともある。たまに巨大組織に金をむしり取られる夢を見る。これは自立訓練で金と時間を奪われたトラウマと思っている。
「足るを知る」がその組織の哲学だったが、個人の哲学として優れているとしても、企業がそれをやれば「低賃金?障害者のお前たちが働けるだけありがたく思え」という態度になるだろう。
それで...行動を起こすとはどういうことか。例えばそれは自立訓練を抜け出して自分の力で転職活動をするということだ。そして結果的にフルリモートで働くプログラマーになれたわけである。
さてこの先、収入を高めるために転職活動をするべきだろうか。私は箴言の一句を思い出す。
フルリモートで自由度が大きいのに、仕事に対する態度がかなり真面目になってしまい、精神的にもストレスは溜まっている。
真面目に働こうと思うわけである。GWも火曜日からは仕事がある。
ところで、仕事と余暇が同じ部屋であるからか、寝ているときにコードを脳内で走らせるような悪夢も見る。
おそらく代わり映えのない部屋の風景に浸り続けるのがいけないのだろう。今日は散歩でモスバーガーまで行ったが、こういう気晴らしが必要だ。
そう言って、鬱病の薬はだから、勝手に太っちゃうの!私がだらしないんじゃない!薬のせいなの!
と言っていた女がいた。
これがずっと気になっている。エネルギー効率が悪く、食べても太れない人がいるのは理解できるが、無からどうやって太るというのか。
一時的な増加であれば、たとえば炭水化物は1g取ると3倍〜4倍だったかの水を一緒にたくわえるらしい。仮に炭水化物だけで1200kcal取ればカロリーに対して太っているというのはあるだろう。
しかし、「太り続ける」のである。話を聞くと10キロも太ったとか。1キロ増量するには約7000キロの余分なカロリーが必要だが、よほど基礎代謝が低いのだろうか。寝たきりでも1200kcalのエネルギーが必要だと言われている中、謎は深まるばかりである
https://www.cnn.co.jp/world/35148169.html
(CNN) ハリス駐韓米大使の口ひげを巡り、韓国のソーシャルメディアユーザーや匿名のネット市民から激しい批判が上がっている。
ハリス氏は16日、外国人記者団に対し、自身の口ひげが「ある理由である種の強い興味の的になっている」と説明。ソーシャルメディアを見れば至る所に口ひげへの言及があると指摘した。
それだけを見れば、ほとんどばかばかしい批判だ。ただの小さな一区画の毛に過ぎない。
だが、ハリス氏の口ひげは大使自身を越えた話へと発展している。背景にあるのは、日本による植民地統治の歴史に対していまだ残る生々しい感情、同質的な韓国社会に根付く人種差別的な見方、従来の4倍を要求される在韓米軍駐留経費の交渉で米韓同盟の将来に亀裂が入りつつあることだ。
批判の主な点は、口ひげを生やしたハリス氏が朝鮮半島統治に当たった占領期の日本人指導者に似ているというもの。日本では戦時中、東条英機や昭和天皇をはじめ口ひげをたくわえる指導者が何人かいた。
統治下で非人道的な扱いを受けた市民も多く、高齢者にとっては当時の記憶はまだ生きている。また近年は慰安婦や徴用工への対応を巡る問題でも日韓両国の間で主張が繰り返されている。
ハリス氏は日本人の母親と海軍士官だった米国人の父親の間に生まれた。ネットユーザーの中には、口ひげと合わせハリス氏の出自に言及する人もいる。
ただ、ハリス氏は日本人ではなく米国人だ。日系であることを理由に非難すれば、米国ではほぼ確実に人種差別主義者とみなされるだろう。
中央情報局(CIA)の各国データ集によると、韓国は米国のような人種の多様性がない均質な社会だ。異なる人種から成る家庭はまれで、外国人嫌いの感情は驚くほど普通に残っている。
ハリス氏は記者団に「両国の間に歴史的な敵対感情が存在することは理解しているが、私は駐韓日系米国人大使ではなく、駐韓米国大使だ」と説明。「偶然日本人の母親に生まれたからといって、そうした歴史を持ち出して私に重ねるのは誤りだと思う」と指摘した。
ハリス氏はまた、日本の戦時期の指導者に似ているという議論は歴史のえり好みをしているとも主張。韓国の独立運動家の安重根や安昌浩も口ひげを生やしていたと言及した。
「私が口ひげを伸ばしたのは、私の日本人のルーツでも、韓国の独立運動でも、父親の影響でもない。伸ばすことができ、自分で伸ばそうと思い、実際伸ばしたから伸びたのだ」(ハリス氏)
口ひげをたくわえた理由については、太平洋艦隊司令官を退いて外交官の職務を開始した後、人生の新たな局面を記念するために生やしたとしている。
「もう背も高くならないし、頭髪も増えないが、頭部の前面の毛は伸ばせる。それ以上の悪だくみはなく、ただ変化が欲しかっただけだ」
韓国の英字紙コリアタイムズで、外交関係を円滑化するために口ひげをそるかと聞かれると、ひげをそることが米韓関係の利益になると納得させてくれる人がいればと答えた。
「私は私だ。私に言えることは、私が下す全ての決断は、駐韓日系米国人大使ではなく、駐韓米国大使として行っているということだ」
10年をさくっと語ってみる。
小説家ワナビ人生のはじまりは高校生だった。あるラノベを読んで、衝撃を受けた。それで、自分も書こうと思った。
書けると思ったんだ。
でも、高校生のときに書けたのは、1年半くらいで、結局2作。しかも短編。
そのときに知るべきだったのだろう、「書ける奴はこの時点で長編書けてる」ってことに。
夢だ、夢をかなえるんだ!
いろいろあったけど、略。
小説のことだけ書くと、大学で書いた小説、計4作。しかも短編。
でも長編一作も書けない。
小説家になるために、小説を読もう読もう、と努力しまくった。なにしろ文学部だ。
でも、もっとすらすら読めるのは、文学理論とか、作家のエッセイとか、創作理論とかだった。
ところで、話は前後するけど、高校生のときから、どうも自分には精神病のケがあったらしい。
このころは、強迫性障害になってた。
簡単にいえば、水道の蛇口がいつまでたっても確認しまうとか、ガスの元栓が以下略とか、家の鍵が以下略とか、物を落としたんじゃないか、と思って地面をガン見したりとか……。
大学時代、これは加速していった。
だから。
だから、小説家になって、見返したかった。いろんなものを。バカにしたあいつらを。
小説なら、こんな屈託が書けると思った。
自分を救ってくれる、と思った。
で、話は元にもどる。いや、実際は繋がってるのだけど。
大学院にいった。
文学部だ。
小説家になるために、知識をたくわえるのだ……というのは、半分嘘。
社会が怖かった。
小説家になってないままだったら、自分は社会に出られない、と思い込んでた。
精神病は、小説家になれば治るんだ、と思って、薬物療法をしていた。
体重は、20kg上がっては、20kg下がる、みたいなことになってた。
このころには、もう統合失調症になってた。そんな人間が、大学院での修士課程の勉強についていけるはずがない。退学した。
しょうがなしに「小説家になって……」と答えた。あの時の学生課の人間の「ハハッ……」なせせら笑いを忘れることは出来ないが、今はしょうがないか、とも思える。
いろいろあって、働くことになった。食っていけない。でも、ほぼニートのような状態だ。
というかニートなのだろう。時間はあった。金はなかったが、時間はあった。
精神病院にも入った。
そして数年。
ちょっとよくなった。
長編を5作くらい、書けた。それくらいには、回復した。でも、投稿しても一時落ち。それ以上いったことはない。
小説は相変わらず読めない。
そればかりか、薬物療法の甲斐あって、どんどん思考力が落ちていってる。
比喩を思いつくスピードが遅い。文章を連綿と書けない。何より、深く思考し、キャラを作ったり、物語を作ることが出来ない。
最近になってようやく気がついた。
自分は「小説家になる!」の夢しかない、真性ワナビなのだと。夢に酔っていただけかと。
そもそも、おかしかったんだ。
なんで小説をこれほど読めないのかというのが。「人間の心理を描く文章」「情景を頭のなかで構築する文章」を読むとなると、やたらと疲れる。疲れまくる。
現実での人付き合いは、他人の顔色をみて、電気反射・脊髄反射で、どうにかしのぐような状態。
そして自分が書く小説は、不快な現実・人間からの逃避ということで、やたらと調和的な平和な、何も起こらないような世界の物語。
キャラに怖い、つらい思いをさせるのがイヤだ!!!!! 作者たる自分がいやだ!
というわけで、捨てた。小説家になる夢を。
これからどうしよう。