はてなキーワード: 悪名とは
問題はなに?とか言うから、今回の騒動がらみでちょっと眺めてたんだけど。
umelabo 梅ラボ
しかし作品の抱えている問題によって、その評価してくれる人達にまで迷惑をかけることになってしまっているので、その点を本当に申し訳なく思う。怒りを感じている人は僕に関わってる人ではなく、僕自身にメールでも直接でも言って、対話をして欲しい…。
なんじゃこりゃ。
自分は非常識に行動して、それが芸術だと喚き、勝手に他人に不快感を振りまいているのに、他人には常識的な行動を要求とか、ふざけるにもほどがあんだろ。
「自分に関わると一緒に悪名を被りますよ、構いませんか?」って言いながら活動しろよ。
それがお前のゲイジュツなんだろ?
なんだこのヘタレは。
この文章が読んでて一番ムカついたわ。
自分が芸術として一方的に広く振りまいた不快感について、他人には「個人的な解決」を求めるあたりも、さりげなくポイント高いぜ?
キャッシュだけでも有罪にできるように法改正されていた。ということは、著作物を買う資力の無い者でも、大量の著作物を保有・公開できるわけで、それをターゲットにしたビジネスが可能になる。
1)時代遅れのコンテンツを抱え込んだコンテンツ会社の株式を第三者割り当てで脱税したい人に売り、事実上のオーナーにする。
2)自己破産予定の人を用意する。
3)コンテンツをP2Pネットワークに流し、自己破産予定の連中にキャッシュさせる。
4)密告してガサ入れしてもらい、有罪が確定した後で、莫大な額の民事損害賠償を起こす。
5)自己破産予定の連中は欠席し、被告欠席の為原告の言い分が丸ごと通る。
6)判決が確定した後で、自己破産予定の連中に自己破産させる。
8)旧経営陣は責任を取って辞任、繰越欠損金を抱え込んだコンテンツ会社のオーナーを脱税したい人に書き換える。
9)7年後、繰越欠損金が償却し終わったら、コンテンツ会社を買い戻し、1)に戻る。
コンテンツ会社の売買は必要無いように見えるが、理不尽な額の民事損害賠償を起こすという悪名を金持ちが被るのは、世間体が悪いし、理不尽な額の民事損害賠償が確定すると、著作者に対しても配分しろという圧力が加わるので、それを踏み倒す為に、会社が破綻して身売りをしたという外形を整える必要がある為である。お金の世界は、お金持ちの人が自分でやると世間体が悪かったり前科が付いてしまうような事を、貧乏人を高給で雇って身代わりにやらせる世界である。
この手法では、会社を実質的に譲渡してから繰越欠損金が発生するので、租税回避にはならない。コンテンツは、動画でも写真集でもコミックでも、何でも良く、古いコンテンツは売れないゴミだったのに、この法改正で金の卵になったわけである。しかも、現行法では初公表後50年間の権利が保障されているから、最初の仕込みに1年かけて7回転させて49年間というスケジュールも可能になる。もう、コンテンツから儲ける必用は無い。その内容がどんなにくだらなく、売れる見込みが無くても、著作物でさえあれば、脱税の道具として使えるのである。売り上げの為に、無理してポルノコミックやポルノDVDを作る必用は無くなったのである。脱税したい人と自己破産予定者を探す能力さえあれば、コンテンツ会社の売り物はいくらでもあるので、美味しいシノギになる。
著作権法は、文化の発展に寄与することを目的としていた筈なのに、著作者よりも著作権者の言い分を聞いている為に、文化とは無関係な方向に発展させてしまっているのであった。
一番最初の公開者が権利関係を処理していると判断するのが消尽理論であり、ネット上に出ているコンテンツは、一番最初の公開者によって、その公開方法における権利関係が処理されている筈というのが当然の結論となる。権利が処理されていないという主張をするのであれば、ネット上において公開されているデータと、権利の対象となっているデータとが同一である事を証明する必要があるが、この証明の為には、権利の対象となっているデータを公開しなければならないし、訴人がオリジナルであり権利者であることを証明しなければならない。それには、ネットでの公開や継続して新作を発表し続けているという実績が必要となる。それらを裁判所が判定するというのであれば、裁判所は、オリジナリティの判断や、権利の対象となっているデータが公衆の要求を満たすだけの複製が公開されている事を最初に判定しなければならないとなる。
現代において、ネットによらずに公衆の要求を満たすだけの複製を公開する事はナンセンスであり、ネット上で無制限無条件の公開をしていない以上、公衆の要求を満たしていない著作物であると判定する事になるのだが、さて、裁判所にそこまでの判断を下せるであろうか。民事裁判は、損害賠償金を確定させる事が目的の連中しか出てこないから、民事で判例を作るというのは通用しない。
頭悪いんじゃ無いのか。
さっきから君は他の馬鹿と比べても真剣に意味がわからないんだが、
君は一生懸命に論文なり作品なりをアウトプットして、まあ何十年かして死ぬ。
生きてる間に君自身が「いい人生だ」と思う、これが"自己の満足"だ。
仕事でうだつが上がろうが上がるまいが自分が満足してりゃ人生は勝ちだよな。
一方、赤の他人が君の業績を測って評価する。
研究がどれだけ革新的で学問を進歩させたか、作品がアートシーンにどれほど影響を与えたか。
これが客観的な君の"スコア"だ。
こんなもの、カンフル剤的な建て直しは幾らでもやれるだろうよ。
それこそ、独裁者が犠牲を強いて「その場だけ取り繕う」のはな。
で、それで満足なんだろ?
後のことは知らないんだろ?
俺独裁の政策は「後から取り返しがつかないもの」から優先してある。
さっきもそう書いたけどな。
独裁者を打倒して縛り首にしてももう元には戻らない。
独裁者は死後も墓にクソを掛けられるだろうが
日本を立て直すことには成功して死んだわけだ。
安楽死に文句言う奴なんか強制労働所送りだしうるせえなら銃殺だよ。
思考ゲームとしてイージーすぎるにも程がある。
せめてもう少し我欲が強い設定で妄想してくれ。
何回も何回も基本設定忘れ去った寝言垂れるんじゃねえよ。
俺は不可能だと思う。
まず、その虐殺には安全圏というものがない。
民族という括りで敵味方をはっきりさせ粛清していく形ならば、味方側に属している人間は、
それなりに安全が保障されていると感じ、安心して経済活動を行うことができるだろう。
だが、要介護老人というものは、よほどぽっくりといかない限り、誰でも通りうる道だ。
勿論、まだ生きている人間を死に至らしめることには抵抗があるべきだし
肉親としては忍びないものがあるだろうし
本人の残った自我もそう死を歓迎はしないだろうが
これは確実に国民を救うよ。
代償はたかだが、「重度要介護になって治らないならもう死んでもいいか」という覚悟と言うか、パラダイムシフト。
それでも納得出来ない分は「あの独裁野郎がやらせた」って憎めばいい。
(そもそもこれでは独裁を支持する層というものが存在しえないので、独裁そのものが不可能なのだが、そこはお遊びの範疇として触れないでおく)
いやあ、国を悩ます最大の問題がほぼ解消されるんだぜ。
おもてだって支持すれば人格を疑われるだろうが、こっそり感謝しないものが本当に皆無だろうか。
「いずれぶっ殺すけどあの独裁野郎にもう少しやらせてみるか…」程度に。
(もし内心の支持すら得られなければ独裁政権の寿命が縮むが、そうなれば更に急ピッチで殺すことになる。
(単なる俺の仮説ですし、パチンコやソーシャルゲームが好きな人は不愉快な思いをするかも知れませんので、読まないことをお勧めします)
下のまとめにインスパイアされました。
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もちろん、それらのゲームが「アクセスのしやすさ」や「『みんな』がやっているから」人気があるという理由はあると思います。しかし、それほど競技性の高くないそれらのゲームにハマる人が多数いるも事実です。そのメカニズムについて仮説を思いつきましたので、書いてみようと思います。
結論から書きますと、「多数の人間が勝利の味に飢えているから」それらのゲームにハマる人間が多数いるのではないかと思います。
つまり、「なぜ、ソーシャルゲームが下流食いビジネスなのか?」というと、「下流(負け組)の人が勝利の味に飢えているから」という説明です。また、「なぜパチンコは団塊世代を中心に人気があるのか?」というと、「団塊世代は終身雇用のシステムが通用していた世代であり、競争のあまりなかった、言わば、安全地帯にいてあまり刺激がなかった人々が勝利の味に飢えていたから」のような説明の仕方です。
したがって、需要に対する供給であり、問題を抱えている面は否定しませんが、うまく資本主義経済として回っていた面もあると思います。
「テレビゲームをやればいいのではないか?」という反論はあると思います。
しかし、例えば、大半の女性は、テレビゲームは「ゲームそのもののの競技性」が強すぎて敬遠してしまう場合が多いのではないでしょうか。パチンコをする人にせよ、あまり競技性がシビアな台は求めていないのではないでしょうか。競争でシビアな現実の味を味わうために娯楽をするというのは本末転倒です。現実社会の中で競争を勝ち抜いた人以外ではほとんど味わえない、「勝利への予感」と、出来れば、勝利の味を味わいたい、というのが本音だと思います。
おそらく、大半のゲーマーはそこで、「競技せずに、勝利の味を味わいたいというのはムシのいい話ではないか?」と考えてしまうので、ソーシャルゲームが好きになれないのだと思います。
そして、その要求に対してソーシャルゲームゲームは答えたらこそ、今の隆盛があるのだと思います。
答えのひとつとして、「女性の得意分野で競争させる」という問題解決があります。例えば、「登録した友人(知り合い)が多い方が有利になるシステム」などが代表例でしょう。
もうひとつの答えとして、悪名高き「アイテム課金」があります。
「お金をつぎ込むほどゲームが有利に展開する」訳ですが、おそらく、パチンコやソーシャルゲームのメーカーがなぜ潤い、なぜ人はそれらのゲームにハマるのかという肝要がここにあると思います。
なぜかと申しますと、お金をつぎ込めばつぎ込むほど、人は勝利の味に対する飢えがひどくなるからです。しかも、「つぎ込んだお金」が、「競技における部分的勝利」の代わりとして、「勝利への予感」を増大させ、プレイヤーに「手応えや歯ごたえ」として返って来るわけです。そして、それが報われたときの勝利の味も格別になります。よって、多分、並みのテレビゲームでは、その代役は勤まらないと思います(もっとも、テレビゲームとはそもそもの役割が違うのかもしれませんが)。
それをギャンブル性と呼ぶのかは、換金できるか出来ないかによっても違うでしょうからよく分かりません。が、ズブズブとハマる心理もなんとなく分かる気がします。
ノーベル賞受賞者から、日本の教育システム、特に理系はそれほど悪いものではないという話が出ている。
会見の冒頭。「私は日本の(悪名高い)受験地獄の支持者だ」。理由は、高度な研究になればなるほど、「基本が大事になるから」。それをたたきこんでくれたのが、日本の教育だった、というわけだ。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm
鈴木 私の考えでは、我田引水ではないんですが、日本のいわゆるサイエンス、ケミストリーだけでなくて、日本の理科系、工学系も含めてですが、レベルは非常に高いと思います。そういうレベルを今後も続けていかないといけない。
http://www.asahi.com/national/update/1007/TKY201010070004_01.html
ところがこれが気にくわない人が多いようで、問答無用でトンデモ扱いしている人が多いようだ。ブクマとか見ると非難囂々だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm
どうしてみんな意地でも、日本の教育システム、なかんずく大学がそれほど悪いものではないことを認めたくないのだろう。
大学受験を人格破壊的な詰め込み勉強だと思っているのだろうか。しかし大学受験はそれほど極端に難しいものではない。高校の教科書が理解できていれば東大だろうがどこでも通れる(文句のある奴は、たとえば自分が高校の数学の教科書の公式を全部その場で証明できるか考えてみろ。できないということはちゃんと理解できてないということだ)。競争試験の形を取っていても、事実上は資格試験である。その程度のことができない奴は最高学府(東大という意味ではなく大学という意味だ)で「学問」を学ぶのに本来は値しないのである。「大学」に入るということはそういうことだと認識しておけ(何?昔はともあれ今は違うだと?俺が受験したのは高々十年前なんだが。少子化がさらに深刻化した現代の受験が当時よりも難しいとは絶対に言わせない)。
そもそも、高校球児をはじめとするスポーツエリートがどれだけ退屈な基礎トレをしていることか、芸術の道を志す人がどれだけ退屈な練習課題をこなしていることか(稀にこれを回避できてしまう人もいるが、一流の人の間でも多いとは言えない)、そのことを考えたら、学問の道を志す人間が一年やそこら退屈な問題集に取り組むぐらいのなにが不満なんだ?
だいたい、お前らがマンセーしているアメリカの大学の学部教育の本質は詰め込み教育だ。早い話、アメリカの大学の教科書(特に理工系科目)を見てみるがよい。演習問題の量の多さに驚くはずだ。要は、アメリカ人は高校までがぬるいために、勉強の要領がつかめていないから、チャート式まがいの勉強を大学でやるハメになるのだ。要は、基礎の詰め込みはどこかでやる必要があって、避けては通れないのだ。そういう「不都合な真実」から逃げるんじゃないよ。
ああ?なんだと?受験で覚えたことなど役に立たない?それはお前が「ボクは知識を生活に役立てる術を知りません」と自白してるようなものだ。たとえば経済一つ取っても、高校レベルの国数英理社の知識がなければろくに理解できないのは当然ではないか。
そもそも、知識というのは持っているだけで人生が楽しくなるはずのものだ。お前らはアニメやゲームやITに関する知識を溜め込むことは大好きなのに、自然や社会や人間に関する知識を溜め込むことは無益だというのか?それはただの偏見だ。
勿論、日本に何の問題もないわけではない。米国のみならず、世界各国(特に東アジアと欧米)の教育制度には見習うべき点が多いし、特に全体として英米の大学(欧米とは言わない。率直に言って、欧州大陸の大学が日本の大学に比べて優れているとは全く思えない)は日本に比べて実績が総じて多いのは確かだ(ただしノーベル賞の数で比べないように。文学賞のことを考えればわかるが、結局誰がもらえるかはコネで決まる部分も多いからだ)。しかし、メジャーリーグの前では日本のプロ野球に価値がないとはいえないように、日本の大学にもそれなりの価値があるのだ。そして、何でもメジャーの猿真似をしては逆に日本野球の良さ(イチローはその極致であろう)が損なわれる部分もあるように、敢えて言葉の壁に立ち向かってまで英米で学ぶことは日本で学ぶことに比べてあらゆる意味で優れているなどということはないのだ。そのことは事実としてもっと知ってもらいたいものだ。
だいたいアンチ学歴のお前らは、日本の大学を散々馬鹿にする割にはハーヴァードやスタンフォードは無条件でマンセーしているようだが、そういう「ハーヴァード>>>>>東大」とかいうお前らの脳内図式は「東大>>>>>早稲田」とかいう学歴厨と何が違うんだ?お前らはどっちも「虎の威を借る狐」でしかないんだよ。
学歴で飯が食えないなんてことは高学歴者自身が一番知ってるよ。むしろお前らみたいに、大学名を名乗っただけで血圧を上げる奴を日頃から相手にしてるからこそ、そんなやつらは実力でねじ伏せられるだけのものは持っておこうとそれなりのことはしてるよ。TOEICとかTOEFLをマンセーしているお前らなんかよりも、よっぽど「試験で測れるものと測れないもの」は理解していて、試験で測れないところまで含めた総合的な実力を育もうとしてるよ。「高学歴者」と「学歴至上主義者」は違うんだよ。それは「白人」と「白人至上主義者」が違うようなものだ。敵を間違えて誤爆するのはやめてくれ。
ちなみに平日のこんな時間に書いているが学生ではない。広義のIT方面の研究開発をしている技術者(「エンジニア」とは名乗りたくない。「邦楽」が「日本の伝統音楽」からいつの間にか「J-POP」の意味になってしまったように、「エンジニア」はいつの間にか「コーダーやSE」の意味になってしまった)だ。今日は年休充当日だ。
日本の大学を出ても使えないだの理系はコミュ力がないだの草食系男子は人間力が低いだの、何もわかってない馬鹿どもに頭ごなしに見下されるのはもううんざりだよ。
さて、昼飯がてら近所のマクドにでも行って昨日ダウンロードした論文でも読んでくるかね。
ブコメへ。
s-tomo 「学問の道を志す人間」が5割も居るわけ無いのに5割進学してたら、そりゃ平均値はダメ学生になるだろうよ!! 2010/10/08
「平均値」の話ではなくて、ノーベル賞が視野に入ってくるような人間、つまり研究者志望の人間の話をしてるんだと思ったんだが?ちなみに、日本の大学進学率は先進国の中で極端に高いわけではない。
Kou_RYU 日本, 教育, 科学 でも受験地獄で得られる学力って受験で多く得点を取るスキルであって、基礎学力や応用力と得る事とは別な気もしないでもない…。 2010/10/08
それは勉強の仕方が間違ってるだけですね。逆に、案外こういう世界は急がば回れで、基礎学力や応用力(どう違うのかようわからんが)を得ることを最優先に勉強してれば点数は取れて余りありますよ。ただ、「得点を取るスキル」は馬鹿にしたもんじゃないですよ。学問の世界ではともかく、ビジネスの世界では意外なほど役に立ちます。早い話、点数のために物事を最適化するのと、金のために物事を最適化するのは発想が非常によく似てるんですね。正直、自分の会社の人間がみんなもっと「得点を取るスキル」みたいなものを持ってくれたらいろんなことが要領よく回るのになあって私自身いつも思いますね。
ngsw 詰め込みで問題なのは、精神的にいい悪いはおいといて、各家庭の経済力に左右されて機会均等がなされないことでしょうね。公的な義務教育だけでまかなえる詰め込みなら全然ありだと思う、お得感ある。 2010/10/09
いや、逆に米国みたいに課外活動が大学進学時に問われてしまう方がもっと格差が広がりますよ。金のかかるスポーツ・文化活動で何らかの入賞歴みたいなのがあるかってのが加点項目になってしまうわけだから。むしろ詰め込みは比較的安上がりな教育方法ですよ。その気になれば独学だってできますから。ただそれでも色々な要因で経済格差が学歴格差を再生産してしまうことはあるわけですが。あとその筋で言うならば、日本の場合は国公立大学の学費が異様に高いのが問題だと思います。
ahyask 認識がずれてないかな.それほどダメではないとパーフェクトではないは対立しない.否定的な人たちは,よそのよいところとここのわるいところだけを見て最高のシステムを夢想しているだけだと思うけど 2010/10/09
ただそういう「夢想」の過程で、「ここ」のシステムで育った人間に「わるいところ」が全部押しつけられてスケープゴートにされてしまうのが問題なのですよ。例えば一時の官僚バッシングやオウムの時は「東大が悪い」ということにされていました。現実にはノンキャリア官僚にも問題があったわけだし、オウムの場合も低学歴の信者も沢山いて、たまたま高学歴の信者が知識を利用されただけなわけです。そしてそういうときには必ず「西洋のエリートにはノブレス・オブリッジという思想がある」云々と聞かされたわけですが、実際その「西洋のエリート」がリーマン・クライシスを引き起こしているわけです。要は本当は五十歩百歩なわけなんですけどね。
jack_oo_lantern 理系は知らないけど、歴史学の私は、ゼミの一番最初の授業で高校まででやった歴史は全部忘れろと言われたけど・・・。 2010/10/09
それは理系も同じです(特に数学)。高校までで習ったことはないものとして講義を進められるのが普通です。ただし、「一旦忘れる」ということは「知識がない」こととは似て非なるものであって、例えば中学生に大学の講義をいきなり聴かせれば大多数が脱落するのが自明です。要するに「全部忘れろ」というのは「知っていることを知らないものとして先入観なしに新しい考え方を学べ」ということであって、「今までの勉強は無駄であり、知っている必要はない」ということとは全然違いますよ。
sabro 教育 でも詰め込み勉強は一番大事な学ぶことへのモチベーションを破壊するよね。自発的にやれば本来面白いはずの知識の習得に関しておっくうになってしまい、一度いいポストについてしまえば勉強しなくなったりする 2010/10/09
厳しいことを言えば、そこでモチベーションを破壊されてしまう人はそれまでの人だと思うし、逆にそれだからこそ割り切ってやらなければいけないんです。走り込みや筋トレに飽きてしまうスポーツ少年に才能があるといえますか?それに、白紙からはじめて一つの分野の基礎知識を一通り身につけるというスキルは大学受験だけに留まる物ではなく、一生使えるものですよ。昔学んだことの蓄積だけで生きていけることは多くないのですから。
olive-cafe 匿名, 釣り 自分の意見に自信があるなら、匿名じゃないとこで書けばいいのにね。 2010/10/09
そういうあなたも匿名で発言されてますね。私ははてなのidが筆名に相当するほど立派な物とは思っていませんし、匿名ダイアリーもブログも五十歩百歩だという認識です。あしからず。
junglejungle 日本より受験戦争がひどい韓国や中国のノーベル賞受賞者数はいくつだったっけか。たしか平和賞1つづつだけだよね。 2010/10/09
受験期の詰め込みというのは一つの要因でしかありませんからね。それに、中国からは優秀な研究者は沢山輩出されてますよ。古くは陳省身とか楊振寧とか(Chern類とかYang-Mills理論といえばピンと来る人もいるはず)、現代でも優れた論文の著者が中国人ということは多いです。韓国は確かに私の周辺では存在感がありませんが、理由はわかりません。
cepheid 「社会で求められる平均的な素養」のうち受験勉強で埋められるのはごくわずかという点が問題。研究者なんてある意味学校の延長なんだから学校での詰め込みが役に立って当然だろ。何言ってんだか。 2010/10/09
「受験が天才をスポイルする」みたいな社会通念があったと思いますが、それが「当然」誤りだと思ってもらえているなら結構。ところで、あなたの「社会で求められる平均的な素養」って何ですか?コミュニケーション能力だとか人間力だとか下らないことを言わないで下さいよ。
junya_asa 教育, 勉強, 増田 筋トレの話が出ているけど、それをやるのは必要であることがハッキリしており、それがそのまま結果に直結するからでは。勉強だとその部分が非常に見えにくく分かりづらいから、だからどうしたって回避したくなる。 2010/10/09
大学に行くということは、法律や経済や文学や自然科学といった学問を学ぶことで、それらを学ぶ基礎として高校レベルの勉強が必要なのは自明ではないですか?それを勉強したことがどう生きるかわからないのだとしたら、それは「大学に行く意味がわからない」というもっと根本的な問題ではないかと。
SyncHack 雑談 英語教育とかは嘆いていい。難解なクイズと化していてコミュになっていない。答えが分かっている問題はお得意のエリート様だが答えの無い問題に対して解く方法を持ち合わせていない木偶が多い気はするがね。 2010/10/09
それはなんでもそんなもんです。例えば音大生なんかで難しい練習曲は弾ける癖にまともな曲を弾かせてみると素人以下に無味乾燥な演奏しかできない人は結構います。しかしだからといって素人の方が演奏解釈が音大生より総じて優れているというと言いすぎです。そもそも解釈というのは技術を持っていることで触発されてくる面もあるのですから。そして世の中で一番多いのは、答えがわかっている問題も答えがない問題もろくに解けない人種です。
torinosito 増田 「それほど悪いものであることを認めたくないのだろう。」がどうしても気になる。全体の内容からすると、×ある ○ない ではないだろうか 2010/10/09
指摘ありがとうございます。直しました。
kimihito 大学, 海外 受験に関しては同意見。学歴コンプに関しては賛同できない。コンプがあるからやってけてる部分が私はあるので。コンプレックスを跳ね返すために地道な作業を繰り返していきたい。 2010/10/09
勿論そういう方もいるかとは思いますが、八つ当たりだけはしないで下さいね。親の敵のように何かといえば「高学歴人間が悪い」と私怨をぶつけてこられる方(たとえば某有名ブロガーとか)がいるので辟易してるんですよ。
rzio 人に『「虎の威を借る狐」でしかない』って言ってるけど、冒頭のノーベル賞受賞者の引用はなに? 2010/10/09
答えを言うなら「単なる釣り」。気にくわないならそこを読み飛ばしてごらん。まったく論旨に影響がないことがわかるはずだから。
tokoroten999 言いたいことわかるけどさー、マクドで論文読んでる姿をさー、塾通いしてる小中学生が見てさー、「勉強ばっかしてるとあーなっちゅうんだぜ」って言われて反論できるー? 2010/10/10
意味不明。反論する必要などどこにもないよ。俺は自分のやりたい生活をして満足してるんだから。「あーなる」ことの何がいかんのか知らんが、それが気に食わん人間は自分が同じことをやらなきゃいいだけじゃないの?
repunit 教育 高学歴者でも数学の公式の証明はやらんと思う。ていうかこの人が学歴コンプそのものな気がしてきた。あとコミュ力を軽視しすぎ。学び合いとか聞いたことない? 2010/10/11
「思う」ってひどい憶測ですね。これは実体験として言えますが、「高学歴」でそれができない奴はただの落ちこぼれです。文系とか生物系とかならまあ許してもらえるかもしれませんがね。私が学歴コンプかどうかの判断はお任せしますが、そもそも高校や大学は「コミュ力」を養成するところではありませんのでお門違いとしか言いようがありません。あと、「学び合い」とか教師の世界のスラングを普遍的なものだと思いこむのはやめた方がいいですよ。
「ビタミンK与えず乳児死亡」母親が助産師提訴 : 週間ニュース : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20100709-OYS1T00214.htm
この記事をきっかけにツイッター上でもホメオパシーの悪名が広まっているが、ツイッター検索で「ホメオパシー」を検索すると公式RTでも無いのに全く同じ文面を投稿している複数のアカウントが目に付いたのでメモ。
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「科学じゃなくて、治ろうという意志ですよ、大事なのは。また、散々医療現場で引っ掻き回されてモルモットにされたような人らが、今更医療や科学を信じられるものか。生物多様性の時代なんだし、筆者のような人もホメオパシー好きな人も、潰しあわずに共生できることが望ましいと思う。」
http://twitter.com/makino_kotone/status/18249299557
http://twitter.com/yuzuki023/status/18249288150
http://twitter.com/haruka023/status/18249295308
http://twitter.com/nami_tutumisita/status/18249277343
http://twitter.com/aoi0250/status/18249273684
http://twitter.com/motimoto_hiro/status/18249271194
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ttp://ukmedia.exblog.jp/13462872/
それにしても・・・こんなことが起きるなんて、まったく驚きである。日本はなんとすごいのだろう。英国でもこういうことは起きているのだろうか?もし英国でこういう類の話が表ざたになったら、新聞の1面で大きく批判されるだろう。報道・表現の自由を侵すことになる。第一、「6年前の」「個人のブログ」での、しかもブログ内の記事を読めば分かるが、東京電力を名指しで批判しているわけでもないのに、こんなことになったのである。スポンサーの力が、なんと強いのだろう。(なんだか、報道の自由がないと悪名高き別の国の話のようだ・・・どの国かはご想像にお任せします。)
これは東電だけの話ではないだろう。「東電なるもの」の尻の穴の小ささ(失礼!)+官僚主義的発想+スポンサーとしての振る舞い(何をしてもよい)というのは、一種のパターンではないのだろうか?
というのは、日本で会社に勤めていたころ、多かれ少なかれ、こういう体験をした。つまり、「東電なるもの」的振る舞いは常に蔓延していた。
http://anond.hatelabo.jp/20091127020426から続き
け・れ・ど・も。
けれども美樹は見かけ通りの美人じゃない。と言うか、見かけだけに目を奪われていると痛い目に合う。絶対必ず抗いようもなく。何を隠そう、僕自身それを経験してるのだ。そりゃもう悲しくなるほどに毎日のように。
美樹という人間はとんでもない癖のある灰汁を持っている人物なのだ。もうどうしようもないくらいに口が悪い。超絶的に、悪い。いや、そう表現できるのならまだかわいい方だ。一つのキャラクターとして認知され、受け入れられることもあるだろうよ。
美樹は違う。そんなんじゃ済まない。たった一言で、相手の心臓をえぐるのだ。深く深く残酷なまでに鋭く。圧倒的な不快感を植えつけて、それを奥へ奥へとねじ込ませていく。彼女と関わった人たちから、一様に猛毒の舌を持つ辛辣女とまことしやかに噂されている、破壊的な性格の持ち主であるのだ。一度、歩く対人核弾道などという悪名を耳にしたことがあるけれど、あながち間違いじゃないところが恐ろしいと思う。
正直僕は、一度その口が開かれようものなら、どんな人でも必ず顔をしかめることになるんじゃないかと思っている。話が要領を得なければ、たとえそれが話の途中であっても、話者に向かってきっぱりと(それも見下したように)馬鹿と、くだらないことを喋るなと口にしてしまうし、美樹自身が特別関心がないことを滔々と得意気に話しかけて来ようものなら、ど阿呆と心から罵り立ち去ってしまう。あるいは周りのみんなが揃ってお世辞を言っている相手に対して決してその口を開かないし、印象が悪いからと無理に開かせようものならその場を凍りつかせる事態に陥ってしまう。
何も意図して口を悪くしているのではないのだ。美樹は他の人よりも少しだけ思ったことや感じたことを率直に口に出してしまう傾向があるだけだった。
そのことは僕もよく理解している。どうしようもないのだと諦め、放っておくのはよくないと思うけれど、まあそういう人もいるだろうし、それ自体は仕方がないことだとは思う。けれど、その思ったこととか感じたことというのが彼女の場合は厄介だったのだ。血が滴るほどに惨たらしい響きが含まれていることが多々あって、そのことこそが他のどんなことよりも大きな、そして深刻な問題だった。
よくよく綺麗なバラには棘があるなんて言うけれど、多分美樹の場合、ついているのは棘なんてものじゃ済まない。反しの付いた細く鋭い針を、全体的に棘を散らした丸サボテンみたいにびっしりと準備しているのだ。他者を寄せ付けないように。何よりも自衛するために。その切っ先はいつ如何なる時も隠されることなく、絶えず鋭く光を反射している。
「なに。気持ち悪いんだけど。じろじろ見ないで」
……例えばこんな風に。
僕の視線に気がついて、不思議に思うのは分かる。確かに少々ぼうっとしていたから気になることはあっただろうよ。問題はそこからの展開についてだ。例えば、「どうしたの」って話しかけられて、「ああ、ごめん。ちょっと考え事しててさ」って恥ずかしそうに苦笑して、それからこそばゆい会話を交わして穏やかにことが進んでいくことはそれなりに広く世間一般で繰り返されていることだと思う。というか、そう流れを経験してみたい。本当に。切に願う。
けれども、美樹と一緒にいる限りは叶わないのだ。絶対に。絶望的に。現に今だってそうだった。僕を睨んで、顔を顰めて、心から嫌悪して言い放ったのだ。「気持ち悪い」って。かなりひどい一言だと思う。
確かに美樹のことを見ていたのは認める。ええ、眺めていましたとも。いろんなことを考えていたからね。そのことについて、僕には弁明の余地はまったくない。紛れもない事実だった。けれど、実際そうだったとしても、ちょっとばかしカチンとくる。一言、というよりも、いろいろと多いのだ。「気持ち悪い」だなんて言わなくてもよかったはずだし、あからさまな態度にも傷ついた。そもそも、無性に納得がいかない。どうして今日ここに呼び出されたはずの僕が、ここまで露骨な反応を受けなければならないのだろう。
「……ごめん」
なのに、そんな釈然としない思いを抱えながらも、僕は結局謝ってしまう。それほど悪いことをしていたわけじゃないのに、むしろまったくしていない上に逆にされたような気がするのだけれど、美樹の気分を害したことについて謝って、そのまま黙ってしまう。
全くもって不甲斐ない。これまで幾度となく繰り返した行為はいつの間にか記憶に襞に刻まれていて、刷り込みのようにどうしようもなく身体の奥底にまで染み込んでいる。内側から僕の人格を蝕んでいるかのようだ。美樹の前だと、僕はいつだってへなちょこになってしまったような気分にさせられる。
多分僕は、美樹のことがかなり苦手なのだろう。
そんな諦めにも似た感情が胸の奥でぐるりと渦を巻いた。勢いよく成長していく渦は、漂っていたたくさんの浮遊物を容赦なく呑み込んでいく。対照的に浮かび上がってきた気泡が嘆息となって口から出そうになった。
瞬間、美樹の眼光が鋭さを増す。お陰で僕はよそよそしく左右に目を配ることしかできなくなってしまう。
――なんだかなあ。
(3/5につづく)
●で、あなたはナニができるの? 「成長したい!」だけではダメな理由
自営業の友人が「成長機会が乏しい」と言っていた。確かに、自分が先頭に立ってビジネスをやっているとアウトプットに追いまくられ、なかなかインプット時間を確保できない。
それでも「インプットだけ」より「アウトプットだけ」の方がいい。インプットだけの人なんて、いてもいなくても世の中は何も変わりません。
就職や転職の時だって問われるのは「あなたは何が(アウトプット)できるの?」ということです。それなのに履歴書に輝かしい「学歴」や「資格」を連ねて、「僕はこれだけインプットしました!」とアピールする人がいる。
何がすごいのか全然分からない。学歴や資格はインプットの記録ですが、問われるのは「(そのインプットで)どんなアウトプットを出せる(出した)の?」という点です。
http://money.jp.msn.com/newsarticle.aspx?ac=IT20091116002&cc=07&nt=25
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●アウトプットがなければ、いくらインプットしても存在しないも同じ。名は財なりとか、悪名も名なりとか。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/11/post-3d24.html#more
「引き抜かれる(ないし会派ごと寝返る)ことで確実に与党になれる」
状況ならわりとごろごろ寝返るのさ。
悪名高い自社さ連立が成立したのも、その時期新進党から離党が続発したのも。自自公連立が成立したのも、その時期民主党から離党が続発したのも。みな「自民一党では無理でも手を組めば与党になれる」状況だったから。
今は(民・自大連立ないし民主分裂ってんなら話は別だが)自民と他の小政党が手を組んでも、参院民主からいくばくか引き抜いても、衆院で優位を確保することが不可能=与党になれないので、そうそうほいほい引き抜かれる議員は居ないだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20090817000118
消滅した兵役の義務の流れで、公への献身の義務という文脈で出現し、左翼にもその労働至上主義的な観点から受け入れられた、という経緯みたい。
発想に徴用みたいなものがあるとしたらいやな感じだな。
そういえば、形骸化しているとはいえ、官憲の別件逮捕の便利ツールとしても悪名高い浮浪罪なんてのもあったな。
9)また、この、衆議院での審議の過程で、第二七条第一項の「勤労の権利」を「勤労の権利及び義務」に改めることも決まった。勤労の義務は第二弾として復活したのである。
この、「勤労の義務」も奇妙なものである。大日本帝国憲法の改正に際しては、第二十条にあった兵役の義務の廃止が問題になった。ポツダム宣言で陸海軍の解体を約束したし、実際に解体が進行して、陸軍省、海軍省も復員省になっているくらいだから、いまさら兵役の義務でもなかろうというところでは、廃止は必然であった。
そして、この義務の廃止と引き換えのように登場してきたのが、国家のために兵役に代わる公務に参加する義務を定めよという議論であった。当時は、公務に貢献する義務とも言われていた。内閣憲法問題調査会案(甲案)は、その第二十条で「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ公益ノ為必要ナル役務ニ服スル義務ヲ有ス」と定めていたが、この考え方が、日本国憲法の審議においても繰り返し復活してくる。
「勤労の義務」は「労働の権利」ととはまったく別のものである。この場合、労働とは、自己及び家族、友人らの健康で文化的な生活を支える自助の努力という意味で個人目的性の強いワークであり、逆に勤労とは、公共のために献身するという目的の役務提供のワークである。こういう勤労を義務付けるというのであれば、市民は、国家に対して、役務提供の憲法上の義務を負うことになる。したがって、この意味での勤労の義務は、労働の権利とは別の条文で、別個に規定されるべき筋合いのものであった。
ところが、憲法草案が審議されていた当時は、社会主義思想の強い影響の下に労働運動が活発に展開され、「働かざる者は食うべからず」で、人間は労働する義務があるのだという左翼的な主張もなされていた。左翼は、もし勤労が国家への役務の強制的な提供であると知っていれば反対したであろうが、そこで巧妙にも官僚たちは「勤労の義務」を「労働の権利」と結合させ、「勤労の権利と義務」にしてしまって左翼の支持も取り付けた。ここに、国家主義的なボランティアリズムと左翼社会主義が合体してしまい、憲法の規定は、右と左で違った色彩に見える意味不明のものとなってしまった。
戦後の憲法学は、左翼的であったから、この条文に含まれている、国家緊急時における、兵役に代わる役務提供義務という本来の意味を無視して、働くことは権利にして義務であるという説明をしている。こうなると、しかし、「義務」の性格はわけが分からなくなる。義務は権利に対応する。市民は、誰に対して勤労する義務があるのか。これがさっぱり理解できない。そこで、憲法の施行後の解説書では、「勤労の義務」というのは趣旨不明な言葉としてあつかわれた。そして、だれかが、この言葉があるので勤労の義務への意欲がない市民に対する国の福祉配慮義務は否定されるという理屈を立てると、それが広まって、またいつまでも影響して、今日までこのように解釈されている。
http://www.citizens-i.org/kenpo/paper/duty2.html
この規定の由来については諸説あるが、一番有力なのは、元農林大臣の石黒忠篤や代議士の竹山祐太郎が、二宮尊徳の「報徳思想」の精神に則って、日本国民が自らの勤労の力で太平洋戦争で荒廃した祖国を再建させてゆこうという発想から提案されたものだと言われている(橋本伝左衛門・日本農業研究所『石黒忠篤伝』(1969年、岩波書店))。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E3%81%AE%E7%BE%A9%E5%8B%99
詳細を書いてる人がいた。
「・・・貴族院農地調整法委員会で石黒忠篤氏の「国民の兵役義務に代わるものとして平和国家建設のための労働義務を課する意思はないか」との質問に対しては、「国家の為に労役に服することを想像して規定し置くことは必要であるが、その規定の方法は憲法に明確に定めることは困難で、臣民の権利、自由に制限を加へ或ひは義務を課するには法律による必要があると云ふ様に広い意味で謳って置きたい」と[松本国務大臣]は答へたのであつた。」
Twitterは、UNIXシステムにおけるwallコマンドを無制限解放しているような物で、全ての発言を垂れ流し、受け取る側がその発言を表示するかどうかを判断するフィルターをかますサービスと私は解析している。
大量の発言をブロードキャスティングする都合から、発言の文字数に制限を加え、たとえばURLのような比較的多く使われる文字列を短縮表記できるbit.lyのようなサービスを使っている。
サクラを使って企業サイトの宣伝を流すと、最初は、企業サイトを見に来てくれるかもしれない。しかし、それがサクラであることがバレた時点で、その発言者はフィルターリストに入れられ、発言を見てくれる人を失うことになる。アカウントをでっち上げて別人として始めたとしても、リンク先の短縮表記が同じならば、そのリンクが発言の中にあったからという理由でサクラであるという判断が下されて、非表示となる。つまり、newcomerだけしかサイトに引き込めないという点、さらに、サクラを使って宣伝している会社というネガティブイメージを持たれてしまうというデメリットが発生する。
これは、企業の宣伝目的のBlogをでっち上げて、有名サイトにトラックバックを入れまくって、それらのサイトの閲覧者を引っ張り込もうとするのと同じようなモノで、最初の一回は効果があるが、効果よりも悪名の方がとどろく事になる。
つまり、利用者を装って宣伝をしようという考え方は、間違いなのである。
多くのサイトからリンクを張られると検索順位が上がるという構造に対し、リンクを捏造して検索順位を上げるSEOが発生したが、Twitte以降は、サーチエンジン経由の来訪者よりも、bit.lyの短縮表記URL経由の来訪者の方が多くなってきている。既に、サーチエンジンの来訪者誘導力は、Twitterに負けているのである。
ブログや掲示板で話題にするよりも、Twitterで話題にされ、それを見た人がリンクを辿ってくるという構造があるならば、Twitter自体に広告を押し込むか、リンクの先のサイトに広告を入れる事を考えた方が効率的といえるし、twitter.会社名.comという中継サーバーを提供して、そのサーバーを利用するユーザーのログイン時とログアウト時に表示するメッセージを自由にする権利を入手するという手もある。中継サーバー同士の通信は言語や地域によって分割可能であり、総流量を押さえられる。Twitter社にしても、リンク先の情報源にしても、霞を食べて生きているわけではないのだから、ねじ込む隙はあるであろう。
なお、私はTwitterを使っていないので、この予測は間違っている可能性がある。さらに、Twitterを使わない理由であるが、IRCが複数サーバーを使い、さらに、世界を言語や国境に従って分割して運用しているという現実を見ているからである。Twitter社の挑戦は面白いが、IRCとして長年運営されてきた安定性や抗堪性に追いつくまでの投資は難しいし、非合理的であると判断しているが、Twitterがサーチエンジンの鼻をへし折ってくれるならば、それはそれで良い事なので放置するというスタンスである。
Blogによるリンクやトラックバックの増加は、サーチエンジンを慌てさせたが、サーチエンジンそのものの利用に依存するという点で、構造の変換にはならなかった。しかし、Twitterは、リンク先サイトの推薦者と直接話が出来るという、リンク先の価値を生身の人間が保障する構造になっており、リンク数による重み付けやサーチエンジン側の基準でのレーティングといった不透明な評価とは別の評価基準を持ち込んだ事になる。このサーチエンジンに依存しないインターネットカルチャーがどこに行き着くかは、もうしばらく様子を見なければわからないのだが、興味深い変化である。
そこでも自分は少数派に属することが多かった。
ある議題で「レクレーションを放課後にやるべきか」という討論になったのですが、
自分とある女子生徒の二人を除いてそれ以外は全員賛成ということもよくあった。
自分としては、元々悪名高いクラスでもあったし、放課後も拘束されるのは勘弁なのと、
文化的な活動をする時間が削られるという理由で、午前中にして欲しいと発言した。
もう一人の女子生徒はSさんと言って、
男勝りで、スカートを履いたのをあまり見た事がない。
母親を早くに亡くしたらしく、
多分、家事など家庭を切り盛りする役目を担っていたんだと思う。
子供心に、この人はちょっと違うぞ?という予感はしていた。
しかしながら実際には大多数の力には勝てず、レクレーションは決定してしまいましたが、
学級会が終了した後で、Hata君の意見に賛成すれば良かったという人も出てきて、
やるせない気持ちになりました。
レクレーションは2,3回やったものの、結局はダレて、いつのまにか消滅した。
その時に、大多数の論理というものを学んだ気がする。
そのSさんとは、中3でも同じクラスになり、
文集委員を共に全うするというご縁がありましたが、
そこでも色々あって、まー戦友みたいな感じでしたか。
ただ生きていく為には大多数でいた方が楽ではあるんだけど、
最近の広告とか政治とか見てると、今世紀ではその享受を受けられないような気がします。
■この記事のURL
http://skyportpub.blog77.fc2.com/
(谷啓版チャーリー・ブラウン/お試し版(5))の案内アリ
丁寧な説明で痛み入るけど、ますます解らない。
>普通にユダヤ人であろうと診療は受けられてたのは自明の理なのに、
いつの間に「自明の理」になったんだろう?そのあたりの正否の話をしてたんじゃ?
提示された「入院記録」の背景にこういった話がある以上、同じような「入院記録」が幾つあっても同じてな話はしたよね?Solomon Radaskyの入院記録は彼の証言を裏付ける資料になってるよ。
報告の手紙があれば資料としては充分だと思うがね。証言を裏付ける資料になってる。
>全く労働力のない子供も収容所にいたこと、この質問もまだちゃんと答えられていませんね?
これも意味が解らない。俺は「子供はいない」て書いてないでしょ?トラバ読み直しちゃったよ。「子供もいるでしょ」みたいな事は書いてるが。出産の話でしょ?違う?
>一度読んでみるといいですよ。
http://www.nizkor.org/hweb/people/z/zundel-ernst/supreme-court/1992-on-appeal.html
俺は少し認識に間違いがあったようだ。1・2審で敗訴、控訴審で言論の自由ではなく「表現の自由」を憲法違反ではなく「カナダ国連憲章違反である」との判決で勝ち取っているね。
>「絶滅収容所なら他へ移送するのはおかしい」とも答えたはずですが、それはどうなんですか?
これはね、ソ連軍がアウシュヴィッツに迫ってきた際に行われた移送でしょ?アンネがベルゲン・ベルゼンに送られたのもそうだよ?Solomon Radaskyもダッハウに送られてるね。
>私の提示したリンク先全然読んでないんですね。
いや、読んだよ?そこでの論調は「この文書が偽造されたものであることを証明しているわけではありません。」に尽きると思うが?俺の認識では、今ではヴァンセー会議メモの真贋に関する論争なんか無いよ。
>そしてこれらが偽造だったとしても、内容はユダヤ絶滅を示していないという、正史派の意見。
これがまた解らない。俺は「ユダヤ人絶滅」が書かれている、とは書いてないんだよ。書かれているのは「労働とそれによる人口減少」だがね。なお、イェッケルにせよバウアーにせよ、ヒトラーの意図を最大限に考える学者(意図派というよ)はヴァンセー会議メモを重視はしないよ。官僚によって政策方針が決定された事になるんでね。
あと、プレサックの件なんだが、多分「The Machinery of Mass Murder at Auschwitz」だと思うんだが、そういう記述が確認できない。
http://revisionist.jp/pressac/pressac_01.htm
「ヴァンセー」でも検索できないんだが、どうなってるの?それどころか
>ゆっくりとではあるが、経済管理局のメンバーは、「ユダヤ人問題の最終解決」を新しい焼却棟の処理能力と結びつけ始めた。
との記述があるんだが。どういうこと?
ちなみに「Technique and Operation of the Gas Chambers」の45pにもそういう記述はない。
はてな記法てのがあるんだね。気づかなかったや。2chよりは便利だね、ここ。とか思ったらダメじゃんか。wはてなつかえねー!
>私は赤ちゃんや病人が殺されてた、ガス殺があったとは書いていませんが。
あなたが書いていなくても、あなたが根拠として出した資料の周辺資料がそう語ってるんだよ。意味が解らんのかな?俺もガス殺については取り上げてないけど?
>違う人物が同じ状況を発言したらそれが真実となるのですか?
信憑性は高まるね。もちろん、「ガス室を見た事が無いという証言」は尊重されるでしょう。例えそれがガス室が無い収容所でなされたものであってもね。てかラッシニエの事いいたいんだろ?はっきり書けよ。w
>運がなければ収容者は病院に入れなくて、殺されるか人体実験の悲惨な状況だったって話になりますが
何か微妙に違うなぁ。俺はね、病院に入れなかったなんて書いてません。レイヴィーも、オットーも、あなたの上げた資料のSolomon Radaskyも入院してるよ。(ただ、彼は知り合いの好意で病院に隠れ、巡回前に脱走を進められたが、幸いにも発覚せず助かった)人体実験については、クラウベルグなんかの資料を上げたはず。本人の書いた手紙が残ってる。また、あなたの上げた資料の背景にそれを否定する証言がある。収容者は14f13に従い、回復が望めるものは放置され、そうでない者は殺された。「第二の選別」が行われた場所のひとつだ。
>これはアウシュビッツが「絶滅収容所」であったとしたらおかしい事です。
アウシュヴィッツは強制収容所の最終形態だ、と俺は考えている。もちろん、異論は受け付けるが。w
ヴァンセー会議で決定された「労働ののちの死」が実行された。労働力の提供と死が同居した場所だ。
それと、焼却炉がな、チフス患者用だとしたら、クレマ1一基で事足りるぞ?そしてクレマ1はその他のクレマが稼動した時点で使用を止められた。これは新しく処理能力の高い焼却炉が必要とされた事を示しているよ。
>あなたは証言者のいうことが全てなのですか?本物の歴史資料ですよ。
あのな、ちゃんと読め。その資料を担ぎ出した当初、否定論者達がそう言ってたんだよ。自分らの信憑性を高める意図でな。そして、実際に販売もされてるその名簿は収容者のみしか記録されていない資料だ。つまり、ナンバリングされなかった人々は記録されていない。アウシュヴィッツに送られた人数は鉄道運行表から推計されたものがある。ただし、あくまで推計だ。
証言については、俺は資料の一部として扱う。もちろん、歴史学で資料とされている物を中心にね。
>子供がいないって言ったら今度は老人を持ち出してくるのですか。
だれか子供がいないって書いたか?出産の件は助産婦の証言の話だろ、と言ってる。
>赤十字は物資不足を連合国側のインフラ破壊によるものと非難しています。
国際赤十字は公式に否定してるがね。
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08b03g.html#08521ドイツ赤十字はナチス党員だぜ?
そこにも書かれているが、空爆後もユダヤ人の移送自体は続いているぞ?
>解放された人もいます。
それはある意味、正しいが、アウシュヴィッツから釈放された収容者の数は42年、44年、45年で
あわせて1549人。ちなみに40年、41年、43年のデータは残っていない。だがこれはユダヤ人の釈放とはほとんど関係ない。
この釈放数は、当時社会問題化していたニート青年を収容所という厳しい環境で叩きなおすという6週間の教育プログラムの終了者、そして悪名高いディルレワンガー師団に参加したドイツ人刑事犯などからなっている。
その他ならローゼン通りの妻たちのデモは映画化されているほど有名な話だな。それによってアウシュヴィッツから釈放されたのは25名だ。 社会的パフォーマンス以外に解釈は難しかろう。
収容所の名前間違いは有名な話だが、全体に影響するほどの話じゃない。ついでに書いとくと、被害者数も「よく覚えていない」と書いてる。正直だと思うがね。ガス室についてホェスてそんな事書いてたか?
http://anond.hatelabo.jp/20090313153918
自分が左寄りだと認識した上で自分の考えを言うのなら嫌いじゃない。そういう人は相手と摩擦が起こらないように話し方に工夫をするしな。でも、そういうことを認識しないまま、左寄りな意見が世論そのものみたいに考えちゃってる人がいるような気がしてならない。
これはもう、「俺はサヨクである」という強烈な自負をもって活動的ブクマをしている人たちに他ならない。
快不快のみで物事を決定して動物的にコメするネトウヨに対して、はてサは「今までの経験から鑑みて、『はてサ』ならこう言うだろう」というある程度計算に基づいたテンプレ回答を返してくる。なぜはてサにはそのような打算をせねばいけないのか。
それはつまるところ、2chウヨとはてサの誕生する過程の違いなのだ。
匿名はリアルより簡単にマジョリティを演出できる(もちろん一人や二人では無理だけど)システムだ。
「空気」さえ作ることができれば後は楽勝だ。
ゲームやお笑いを餌にして、イノセントなおガキ樣を釣れば教化は八割完了したようなもんだ。
しかしだからこその問題もある。名無しである以上、彼ら自身のグループの中から可視的オピニオンリーダーを選ぶことは難しいのだ。
彼ら自身が識別可能な唯一の仲間、それは自分自身に他ならない。
大多数の仲で、浮き彫りとなってエンファサイズされた己の存在を認識した瞬間、ネトウヨの中で記憶と認識の捏造が生じる。
「みんなが言ってるから正しい」という受身な姿勢から「俺の主張にみんな賛成してくれている。俺は正しい!」という世界の中心で俺を叫ぶ姿勢への転換だ。つまりは自意識の発露だ。なるほど、ネトウヨが十代にウケるのも道理かもしれない。
「己に対するトートロジカルな自信」と「圧倒的な(と自分では思ってる)賛同者数」。後者の権威は強固だ。非難しても揺らいだのかどうかすらわからない。だが、その存在の曖昧さが不安を覚える者だっている。奇妙な盲信に嫌悪感を抱き反発する若者を、ひいては血気盛んなマイノリティを生み出す。では、そんな怒れるはみ出し者たちはどこへ行くのか?
はてサは生まれついての少数派だ。
まず、母体となるはてなー自体の数も2ch比べて圧倒的に少ない。
宗教法人よろしく信者数の捏造なんてできない。数では自信が持てない。
ではどうするか。はてな特有の武器はあるか。idだ。ではidをどうやって使う?
馴れ合いに、だ。
匿名文化には生まれ得なかったオピニオンリーダーたちを輩出させ、
そいつらに"繋がらせる"。そいつらと繋がらせる。
それにぞれに対応した権威付け方法がある。
つながり乞食の相互確認手段でしかなかったはずのこれらの馴れ合い手段。
しかし外から見た人間たちは誤解する。「ああ、こんなに人気があるのか」と。
「言われてみれば、正しいような気がする。面白いような気がする」
数が生まれる。決して人数は多くない。だからこそ徹底して教育してやる必要がある。
その教育施設として最も悪名高いのが「はてな村」と呼ばれる場所だ。他人の揉め事ほど面白いものはない。
エンターテイメントを売り物にする点ではそうはてサとネトウヨの手管に違いはない。
対岸の揉め事やネタを通して、信徒は論者たちのキャラに対しての理解も深め、やがては親近感を覚えるまでに至る。
畏怖憧れ尊敬同調蔑視性的好意その他様々なものが交じり合って人と人の結びつきは強くなる。(そのほとんどは「自分が一方的に深くつながってるつもりなだけ」だけど。だからオフ会で「お前は俺のことご存知だけど、俺はお前を存知ねぇよ」的なエピソードがばんばん出てくる)。はてサにとっての正しさとはつきつめれば「俺が信頼している○○さんが正しいから正しい」だ。信頼に強調打ってもいい。信頼
そして、敵がいる。ウヨにとっての在日だとかアカだとか、そんなヒキコモリにとっては想像上の生物でしかないよーな敵ではない。もっと卑近である種の親近感を覚えやすいやつらだ。ワンクリックでアクセスできるご近所さん。2chねらーだ。
はてなーは大抵2chからの流民だったりする。自分が前に所属していたグループを見下すほどの快感はこの世に存在しない。
そこからつまはじきにされた元いじめられっこなら尚更だ。
「尻の青いがきどもめ。貴様らはまだそんなところに這いつくばっているのか」
人はそれを高二病と呼ぶ。
はてサにとっての教化はまさにこのステージへの移行をもって完了とする。
あとはその状態をいかに維持するか。単純だ。延々とネトウヨをクソがきと馬鹿にしておけばよい。
そのためにはまず強力に「俺ははてサである」という自己暗示をかける必要がある。
だから彼らには"そういうこと(はてサであること)を認識しないまま~"というのは当てはまらないし、有得ない。
そう、はてサは常にネトウヨの存在が前提にある。自然、態度は後出しじゃんけんにならざるをえない。
"嘲笑"は彼らにとって義務だ。"ねちねちしたコメにスターをつける"のも同様。
互いに即座に代わりが聞かない存在である以上、仲間内で権威付けをしあわなければいけない。敵を貶めなくてはいけない、"摩擦"を起こせ。
ブクマコメがテンプレ的になるのも、コメ対象となる「問題」に常に「正答」が存在するからだ。はてサとしての100点回答が。
一億と二千回繰り広げられてきた問答で先輩たちが血を吐くような思いでひねり出してきた知識のリサイクル。
旧正月が明けた。田舎から都会へ戻って、やっぱり予想通りだった。会社はつぶれていたのだ。
とりわけ沿岸部の輸出基地。
もう一つの悲惨な現場は建設現場のサブコントラクター(下請け、孫請け企業)に働く労働者の夥しい群れ。
不払い賃金を要求しようにも経営者はいない。典型的ケースでは、偽装倒産して、違う会社名に代わっていて「前の半分の給料なら雇ってやる」。
英誌『エコノミスト』(09年1月31日号)の数字でも新卒大学生の65万人(全体で550万)に就労チャンスがなく、「中国共産党は、今年は5月4日が五四運動90周年、6月4日は天安門事件20周年と『厳戒態勢』を強いて臨むが社会不安はおさまるまい」。
「君たちは心配だろうが、私はもっと心配しているのだ」
河北省石家庄は毒入り餃子で悪名をとどろかせたが、毛皮、皮革製品ならびに花火の生産でも有名。
石家庄の中小企業の多くは旧正月より貳ヶ月も早く従業員に休暇を取らせ、付近の農村に返した。
輸出の落ち込みで大不況を感得してきた従業の多くは旧正月が明けても戻っていない。
同様に、中国全土で都会に出稼ぎにでる農民の数は、およそ二億人と見積もられ、この内の少なく見積もっても10%は職がない。
たしかにSARS騒ぎのときも地方からの出稼ぎは故郷へ強制的に帰されたし、北京五輪のおりも同様な措置が執られたが、いずれも数週間の措置だった。
天安門事件以後、学生の反乱を取り締まり、法輪功など新興宗教ならびに民主諸派の同行を気にしてきた中国公安も、今度ばかりは勝手が違う。
第一は国有企業リストラ組には年金と住宅が保障されてきたため、取り立てて強い党への不満はなかった。それが国有企業が被買収の脅威に晒され、これまでの優遇措置がハズされそうな懸念の広がり。
第二に外国企業、とりわけ華僑資本のメーカーに働いてきたホワイトカラーという「中間層」は、その収入増によって余裕資金を株式投資と不動産投資にまわした。
不動産も株式も07年第三四半期から突然崩れ去り、雇用も喪われると、そこはことなく支持してきた共産党への不振が拡大する。
第三に散発的だったブルーカラーの反乱が本格化し、頻発し、大規模になり、この列に学生が加わると治安の維持が難しいばかりか、あまつさえ退職警官と退役軍人が、社会擾乱に加われば手がつけられなくなるだろう。
あくまでも中国共産党の関心事は独裁体制の維持、党の恒久的支配が目標であり、それ以外の関心度は薄い。
米国の中国観察で有力なシンクタンク「ジェイムズタウン財団」が発行する『チャイナブリーフ』(09年2月4日号)によれば、失業の実態は下記の通り。
~~~~~~ ~~~~~~~~~
輸出機軸企業 6・5%-9%
中小企業 5% -10%
=======================
合計 17-30%
この結果、中国の公式発表である『失業』は2000万人だが、実態は3000万人だろうと、前傾報告のピーターベテリエは言う。筆者はかねて推測してきたようにGDP13%(07年)から4・8%(09年第一四半期推定)で4100万の失業があると踏んでいる(根拠はGDP1%減ると、中国では500万人が失業する)。
大変な事態がすでに中国を襲っている。
GoogleAdsenseのアカウント剥奪が相次いでいるという話はこっちの世界では当たり前すぎて話題にもならなくなっているが、どうやらきくち塾を中心に刑事事件に発展しそうな勢いらしいので個人的に注目している
きくち塾とはGoogleAdsense系の情報商材屋として悪名高いところ
ぺらサイトとよばれる1ページ完結型のサイトを大量に生成する手法が特徴
画像処理が下手なのか報酬額の数字が不自然wなのはさておき、ここの塾生のアカウントが根こそぎ剥奪されているらしい
http://googlekasugu.blogspot.com/2008/12/blog-post_19.html
http://tubuki-n.livedoor.biz/archives/394586.html
で、アボされた塾生がきくち塾商材を売った人間に恨みを募らせてそのうち暴発するんじゃないかという噂
商材代だけならともかくアルバイトを雇って大量にぺらサイトを作って借金数百万抱えてしまった人もいるというから恐ろしい
商材などに頼る人は脳みそが溶けているので恨みがつのれば殺傷事件につながってもおかしくはない
実際●●●●●などはユーザーからの過激な反発をうけて閉鎖してしまっている
そのうち週刊誌沙汰にならなければいいのだけど