はてなキーワード: 待ち行列とは
スーパーの例はエンジニアなら待ち行列で考えればわかるけど、一番ボトルネックになる会計を3-4並列で行えるようにして一番無駄な時間であるレジに並ぶ時間を減らしているので、ユーザーに利益がある。セルフレジもあるけど、あれはバーコードを読み込ませるのを素人にやらせてるので、結局レジに並ぶqueueを減らせていない。あれを素早くこなすのはある程度の訓練が必要で、新人とベテランの動きを見ればすぐにわかる。会計に関してはATMなどでユーザーがある程度の訓練を受けている前提があると思う。お年寄りも郵便局のATMは余裕でこなしてるし。バーコード読み込みから会計まで含めて完全自動化が一番だとしても最適化とユーザーの利益の現時点でのちょうど良い解かもしれない。
昨日私が直面した出来事だ
トイレ外で並んでいる人間は目視できたのは10名ちょっと、中にどれだけ並んでいるかは分からない
しょうがなく最後尾に並ぼうとすると、フロア外の階段にまでつながっている
たくさん並んでいるように見えて、案外はけるのは早いのかもしれない…そんな期待をしたが見事に外れた
不安な腹の調子から意識をそらすべく、携帯でゲームアプリ起動してみたり、つぶやいてみたり
しかし列はなかなか進まない
ふと腹の調子が急降下するのを感じ、冷や汗を書くこと何回か
「漏れそうなんです、順番先に入れてもらえませんか」。列の先の人にお願いしてみることを考える
よくこんな小さい子が我慢してるなと思う
この子が我慢して並んでいるのに、大人の自分が漏れそうだから順番早めてくれ、はかなり恥ずかしい
とかなんとか考えているうちに波はおさまった
列が進み、トイレの中に入ると7・8名くらいの列だ
あの角の先がトイレか、見えるとずいぶんと落ち着く
待ち行列の先端に立った
トイレの個室は5個あるようだった
ようやくトイレにたどりつき、用を足し手を洗い
来た道を逆に辿りながら待っている人の数を眺める
20人、階段に並んでいる部分も入れると30人は並んでいるだろうか
待たせたことを謝りつつ、すごく混んでるから行くなら早めにと伝えた
先月から新しい常駐先に勤務し始めた。
その常駐先のトイレの個室がとにかく開かない。
自分のオフィスの時は他の階へ移動して探すということができたのだが、
新しい常駐先はフロアごとにセキュリティカードをかざさないと入れないため
わたしは自分の常駐先の階層以外上下に移動することができない。
同フロアは全部で男が9割で200人程度、トイレの個室は6個、障害者用トイレ1個の計7つあるが、
ほとんどの時間帯で全個室が埋まっている状態である。(しかも、数人の待ち行列がある)
唯一開いているのは、朝の始業30分前程度と16時を過ぎたあたり。
しかも来週から空きフロアが拡張されたため50人程度増員される。(たぶん9割男)
腹痛でトイレに行った時にすべての個室が閉まっていてかつ、数人が並んでいる状況を
みると顔面蒼白になる。しかも、並んでる奴も余裕そうな顔でスマホをいじっているのがもうね。
こんな時は、ダッシュでエレベーターに乗ってビルに直結の駅へ。(一階のトイレも勿論満員)
冷や汗ダラダラで、これが数回続くともうその日仕事が手に付かない。
正直、まだ漏らしていないが今後たぶん漏らすだろうという考えが頭から消えない。
今まではなんとか耐えてきたが、これ以上人数増えたら多分無理。
むしろ、一ヶ月もこんなオフィスで戦った自分自身をたたえたい。
もう、我慢しなくていいよね。
わたしが犠牲になり、一回床にぶちまけることで、周りの意識が変わるのであれば・・・。
ってか、音もなく個室にこもってスマホは勘弁してほしい。
いつものように上野から有楽町まで京浜東北線で移動したのだが、先週までの感覚からすると、"ガラガラ"で笑ってしまう。この場合のガラガラとは、スマホで遊ぶスペースがあるということだ。
上野駅で乗り換え電車の待ち行列に並ぶ時の、並んでから最初に来た電車にはまず乗れないことを加味して時間が読めない山の手線と若干遅い京浜東北線とどっちの列に並べばいいかと一瞬で選択しなくてはいけないという軽い緊張感。共感を呼ぶことはもうないし、これから味わうことも二度とできないのだなと思う。並走する二つの路線があってなお、あんなに混む路線は関東には現れないだろうから。二度と体験したくないけど。
上野乗り換えといういつも通りの路線に3分遅く乗って2分早く出社した。これは私の体験では珍しいことだ。いつもなら、朝のちょうど良い時間に来るちょうど良い電車が3分遅れるか、3分早く来ることでスイートスポットをわざと外されたような苛々に二週間は悩むのに。朝、眠い頭を振り払って半刻を身支度にかけることを思えば誤差なのだろうけど、朝はそれが結構きつい。
ダイヤ改正後、個人的に一番悲しい思いをしたのは会社帰りに北斗七星が見れなくなった時だと思う。もう永遠に見ることはないのだけど、そっちではなくて、その少し前にあったダイヤ改正だ。
池袋から湘南新宿ラインに乗って大宮駅で降りて待つこと少し、最寄り電車の一個前にホームに入ってくる北斗七星をぼんやりと眺めるたびに、新人で何一つ分からないまま掻き回されるだけの仕事で疲れた心が、癒えるのを感じた。お父さんの構えるカメラに子供が笑いながら手を振る姿だったり、カーテンを開けたままの客車から老夫婦が楽しげに会話を交わすのを見たりするたびに、未だに行ったことのない北海道をよく想った。
最寄り駅の時刻ダイヤを1日の始まりとする日常はこれからも続くのだろう。時刻表みたいに、数年に一回でいいから変わった時間を過ごしてみたい。人身事故や雪といった急変にも落ち着いている自分がいて、墓参りの日と思い出す日が少し増えたまま、大枠は何も変えられないのがつらい。
大宮で座れたら、一度寝過ごしてみようか。ネタで寝過ごして伊東まで行きましたと正直に上司に伝えたらどうだろう。戻ってこいか、そのまま寝てろ、か。想像してみると、思ったよりユーモアは得られなさそうだった。
それはそうなんだが。そこにアーラン数というか、待ち行列の理論が入ってきて
1日あたりのクレーム数Z
n=Z*t/((1-r)Ts+r*Tr)=Z*t/(Ts+r(Tr-Ts))
Tr-Ts は Tb-Ta に近い (つまりAの特殊rに対する対応時間は通常の作業と比べて大きな時間を取らない) と仮定すると
nがyによる変動する値になる。
この時点で両辺にTs+ryをかけることができるからyは2乗で効いてくることになる。
したがって、『サポセンの規模が大きくなるほど固定費の方がきつくなるから裾部分はカットオフするという』というのは間違いで
クレーム数が大きくなる=サポセンの規模が大きくなると 特殊解rによってうまれるロスは 時間変動の2乗で効いてくるから 一人当たりの時間的ロスのほうが全体に与える影響は大きい。
したがって、企業としてはyを小さくしようとするが、yが小さい人材というものは確保しづらい。
「このまま働き続けたら駄目な奴になりそうだ・・・」そう思って、今の会社に転職したのが7年前。7年経った今、再び同じことを考えるようになってきた。
7年前に「駄目になりそうだ・・・」と思ったのはなぜかというと、大企業であったがゆえに、いつまでも部分的な仕事しか任せてもらえなくて、とても退屈だったから。評価されてもっと大きな仕事を任せてもらうまでに、相当な時間がかかりそうだ、と若気の至りで勝手に判断した記憶がある。
考え抜いた末、安定を捨てて、今の会社に転職した。前の会社の10分の1の規模だが、新卒の入社試験が難しいことで有名で、地頭が良い人が多い。一方中途採用は新卒採用よりも緩くて、地頭が良くなくても即戦力であれば採用してもらえる。転職した当時の自分にとっては、もったいないと思うくらいの環境で、好きな仕事ができたし、かなりシゴかれた。仕事ができないのが悔しくて、家に帰って泣いたこともあったな。業界の最先端にいる感じも味わえて日々幸せだった。彼らに追いつこうと、いつも必死だった。
時間がかかってしまったが、7年経ったこの頃、自分の能力がようやく周りの人に追いついたという気分に達した。一つの目標を達成したような気分。
人間は欲深いもので、自分もそろそろ次の段階の仕事(管理職のような仕事)もしてみたいと考えるようになった。しかし、今の会社は労務構成が典型的な逆ピラミッド型で、そういう仕事をできるようになるには、もの凄い待ち行列である。なんか、このまま行くと、いつまでもヒラであるような気がしてきた。中途だし、結婚もしてないので、さらに不利な感じがしてきた。
「このまま働き続けたら駄目な奴になりそうだ・・・」、そう思った。あと10年も同じような仕事をするのか?と自問自答した。
30代を過ぎると、特に大企業のサラリーマンは、どんどんダメになっていくと、俺の尊敬するベンチャー企業の知り合いは言う。俺が嫌いな別のITベンチャー企業の社長は、そういう奴を見ると悲しくなるとさえ、ツイッターでつぶやいている。自分がそういう悲しいダメな奴になりそうな気がしてきた。
どうすればいいのだろう・・・そんなことを仕事の合間に考え続けて、もう数週間。同じような境遇にいる、もしくはその境遇を乗り越えた人の話が聞きたい。
クルマどうしの場合、もともと中の人の顔が見えない、コミュニケーションがとれないという前提で流れているものと思っておいた方がいい。だから黙っていても秩序が成立するよう優先順位が決まっているし、そもそも挨拶なんて存在しない。
ただ、その場の状況では決められた通りの順番でない方が最適な場合もあるので、補助的に身振りなどで「優先側でないあなたを臨時に昇格するので先に出ていただきたい」「了解、では目の前を遮るので衝突しないよう頼みます」という合図を送ることがある。それが、元増田が挨拶と思っているものの正体だったりする。
では、何を根拠に各車譲りあっているのか。
それは、全体の流れがスムーズになる、またはその場所で困るクルマの数が最小限になるような選択をする、ってことなんだ。
もし元増田が広い道を走っていて、側道から出られないクルマを見つけたとしよう。
ここでわざわざブレーキを踏んで止まり側道のクルマに道を譲ったら、動いている流れを妨害する行為であるといえるし、また側道のクルマ1台が喜ぶ代わりに元増田の後続車数台が迷惑を被るという点でもバッドな選択となる。
少し違うシチュエーションとして、信号待ちをしている元増田のすぐ左前に、側道から出られないクルマがいた場合はどうだろう。
信号が青になったとき、元増田は数秒~十数秒ほど発進を遅らせればよい。側道のクルマに恩恵を与えることができ、それでいて交通の流れを遮らず、元増田や後続車の受ける不利益を微小にとどめることができる。大人の選択であり、大変クールだ。
2車線で行きたい方向に行けずにウインカーを出すが誰も入れてくれず数十台見送る。
これは手持ち現金が寂しくなった元増田が銀行に行ったとき、行列している人数が少ないからといって両替の列に並んでしまった状態であって、両替機の前で気づいていくら泣いてもATM待ち行列の先頭には入れてもられるわけじゃないというのに似ている。
他車はだいたい前方の様子を気にしていて、なぜ並んでいるのかを把握して混んでいる車線に行列を作っている。元増田も先を読む努力をするんだ。
入れてくれないクルマたちだって元増田を入れるようなことをしていたら自分や後続車の番が回ってこないから、あれはあれで大変なんだよ。
もし元増田みたいなクルマがいっぱいいたらどうだろう。そういう場合は1台ずつ交互に入れてしまった方が気楽だったりするので、そうするとよい。
また、元増田が割り込まれそうな立場になったとき、そいつをブロックするのに神経を尖らせなくてはいけないくらいなら、そんなピリピリは味わわない方がよい。ピリピリしなくてはいけないということは、割り込み阻止行為に無理があり最適解でないということだ。そういう場合は軽くブレーキを踏んで入れてやった方がスムーズに行く。
相手に感謝されることを喜びとするのではなく、交通全体の流れを把握して最適解を出せるようになった自分に喜びを感じるべきなので、精進するとよい。
なるほど。データ構造としての待ち行列ではなくて確率モデルの話ですね。
この手のものって教科書的な書籍に詳しく載ってるんじゃないのかな?
教科書を読んでも理解できない人は猿向けの説明を読んで、
教科書を理解する助けにすればいいと思うんだけど、どうだろう?
情報系の資格でも取るかと思って本を読んだら、待ち行列の話が載ってた。どうやらよく出るらしい。
しかしモデルの結果が公式的に書いてあるだけで説明がほとんどない。ネットで調べても同様だ。
サル用のいい加減な説明しか無い。日本で待ち行列を必要としているのは主にサルらしい。おそらくニホンザルだな。
英語で調べたら1分で大量に出てきた。
http://www.tkn.tu-berlin.de/curricula/ws0203/ue-kn/qt.pdf
http://www.win.tue.nl/~iadan/queueing.pdf
http://www.s3.kth.se/lcn/courses/2E1624/nain-qt-basics.pdf
http://www.research.rutgers.edu/~xili/cs352/queuing-theory.pdf
どうやら欧米のmonkeyは待ち行列(queueing theory)を必要としてないようだ。
しかし今度は説明が細かすぎる。100ページの英語を読むのはめんどくさすぎる。
マルコフチェーンの一般論とか無くてもなんとかなるだろ。もうちょっと簡潔にしてくれ。
つーか日本のヒトはもうちょっとしっかりしてくれ。なんでサルしかいねーんだよ。
しょうがないから一番上のshort introductionを読む。めんどくせえ。
あのさあ、「一般的にはこういうことが言われている」ということを主張したら、いつの間にか俺が「こういうこと」を主張していることになってるのはなんでなんですか、とさっきから何度も聞いてるんですが。「そうとしか思えないから」って、あんたの主観でしょ。しかもあんたが俺のことを色眼鏡で見てたことはあんたが自分で言ったことだし。
ほう、その辺の本には「神」なんて言葉が乱舞しとるがな。じゃあ日本の古典がどう宗教的価値に直結しとるんだ?
これは確かに読み飛ばした、失敬。
日本の古典の話をしてるんだが。とりあえず便宜的に日本の言文一致体以前以後で区切ってみようか。
なんか、今でも一般人が学ぶ意義のあるような文献がそれ以前にある?
しつこいなあ。食い下がってるのはどっちだよ。「意義」の定義によるだろ。「一般人レベル」でいうのなら、欧米先進国様の古典を学ぶ意義と同程度のものは間違いなくあるよ。日本文化のうち文学と美術と舞台芸術に優れたものがあることは君も否定せんだろうが、それらの趣味が思想だのなんだのに劣ることはあり得まい。
グレコ・ローマン文化の話じゃなかったのかよ。近代以降ならそりゃ当然だろ。フランス革命1789年と明治維新1868年の差が今更どれほど重要だとあんたが思ってるのかは知らんが(明治維新は不完全な革命とかいうなよ。そんなこと言えばロベスピエールとかナポレオンってのはどうなるんだ)。ただその意味で言うなら欧米であってもドイツなんかは後進国なんであって、あんたが言ってるのは「イギリスとフランス」の話でしかない。「欧米」ではないぞ。
君の言うステータスシンボルのような意味での「役に立つ」自体を俺は批判し否定してるんだよ。まやかしだってな。で、撤回したんじゃなかったか? やっぱ食いさがってんじゃんww
ほら、君は「??だとすれば」という仮定が読めないんだよね。背理法とか理解できてないんじゃないの?出来の悪い中学生とかで、「もし√2=p/qと既約分数で書けたとするとpもqも偶数になるが」とかいうと、「pもqも偶数なわけないだろ!」とか言って聞かないガキがいるよね。
あとさあ、まやかしはまやかしで構わないけど、そういう意味なら俺は英語の「役に立つ」もまやかしだと思うがねえ。
とりあえず、「まやかし」と「役に立つ」をあんたはどういう基準で使い分けてるのか明示してくれ。でないと話にならん。
えーと、そういう主張をしたいのならまずソースよろ。
はあ?何のソースだよ。俺は君の主張を自然に演繹しただけであって、敢えて言うならソースは君の発言だが。
東大卒は毎年数千人だ。それで、MIT卒は何人いるか知ってる?ハーバードは?プリンストンは?スタンフォードは?オックスフォードは?ケンブリッジは?
本当に新天地を切り開くようなエリートってのは、せいぜい数人程度だろ。その数人にどういう教育をするかと考えた場合、国内でまかなおうなどと無駄な縄張り意識を発揮するよりは、とりあえず世界トップレベルの大学に送り込めばいいんじゃないの、と。
天才信仰ですか。まあいいや。仮にそうだとしても、「年に数人」レベルの人間に「教育」なんておこがましいと思わんか。そんな人間はほっといても自分に最適な場所を探してくるし、そこが日本である可能性もあれば海外である可能性もある。
国を背負うほどのものでもない普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンすることに金を使うよりは、普通の大学を出る普通の何万人のレベルを上げるほうが安上がりだし価値があるんじゃねえの、と。
誰も「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて言ってないし、そもそも東大生の中で「教育制度がもっとよければ俺はもっと偉くなれた!」なんて言ってる奴は落ちこぼれだけだよ。だから「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」という発想自体がそもそも無意味。
いや、主流の座から滑り落ちたものを普通はスタンダードとは呼ばないだろう。そう言えるからには、後続のものがスタンダードを一つの目標に据えて設計されたとかそういう事情が必要だ。ちなみに釘をさしておくが、別にこの主張に固執するつもりはないから反論は不要。否定してくれてかまわん。
でも、コアの計算部分がライブラリに分離されちゃうケースが増えると、ますます低水準処理がどうこういう意味がなくなるような。
出来合いのライブラリを使ってない研究者だって沢山いるし、そもそも計算アルゴリズム自体に工夫をする人だっているわけでな。その辺は計算の規模と計算機リソースの兼ね合いと、あるいは本人が計算機を好きか嫌いかなんていう、実に卑近な事情によって決まってくる。それこそ情報工学の研究者であっても、俺が例に挙げたパターン認識や待ち行列の研究者の中には計算機の実践的側面なんかに興味がなく、Cを使ってアセンブラまがいのコードを書き、新しい言語なんて覚える暇があったらもっと他のことをするとかなんとか言ってる人だって一定の比率で存在する。おわかり?あんたの言ってる「情報工学」は「コンピュータ工学」でしかないことに気付いてほしいな、いい加減に。そこだけ理解してもらえればあとはどうでもいい。そうすれば、あんたが噛み付いてる点自体が枝葉末節だってことにも気付くだろうし。
前にも書いて綺麗に見ない振りされたけど、それ言語の選択と無関係だよね。
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元々の話覚えてるか?「低レベル寄りの言語を知識としてだけでも知らない人間に」云々という話だっただろう。どうも話が巧妙にずらされてる気がするんだが。たとえばいきなりJavaを覚えさせられた人間がそれがわかるとは到底思えない。ライブラリのソースを読めるレベルになってはじめてわかることだろう、それは。
C++の話も同様。敢えて「C++らしい」処理を書けば計算量はどんどん増えて、例えば行列をカプセル化して演算子をオーバーロードしてなんてことやってたら計算時間が倍ぐらいになってもおかしくはないだろう。一晩で終わる計算が翌日の昼までかかるということになったら作業効率には歴然たる差が出るぞ。
教養俗物でもかまわんけど、君もたいがいだね、ただし、君が攻撃のネタにしていることのうち肝心な点が俺の考えではないことは再度強調しておこう。
そのためのハッカー、そのための非モテ、そのためのオタなんじゃねーの。
少なくとも、自分から階級格差を肯定し追認する側に回っていることを公言するようなバカな真似はしたくねえな。
人のことを青臭いだのなんだのというけれども、君こそ大したものじゃないか。ハッカーもオタクも何の関係もないと思うし、現状の非モテ運動がなんかできると思うか?各個撃破されてるだけじゃないか。
どっちにしても、俺はそんなものを追認してないからそこだけは誤解するな。韓信の股くぐりと言ったはずだ。
俺がいつそんな主張をしたというんだか。
これについては他の人と混同していた。失敬。
ただし、高校で古文を教えることがステータスシンボルになるなどとは俺も言っていないからな。独学するための基礎ができると言ったのだ。
君さあ、先進国で大学教育を丸投げしてる国があるかどうか考えてごらんよ。どこの国もそんなことをしてないってことは、誰も「外国で本当の一流を学んでもらったほうが」なんて考え方はしないってことじゃないか?実際、高等教育を丸投げしたらその国に人材を持って行かれてしまうのがオチだぜ?アメリカはそれで反映してるんじゃないか。
それから、MITがよほど日本の大学より優れていると思っているらしいが、それは勘違いだし、だいたい日本の大学に大勢いる「本当の一流」の研究者に余りにも失礼だ。東大・京大をはじめ日本の有力大学は、世界の基準でいっても一流大学だぞ。アメリカやイギリスはともかく、ドイツとかフランスとかその他の先進国には全然負けていないよ。それに、アメリカやイギリスの大学が優れているのは量的な側面であって、質的なものではないのでな。
欧米でギリシャ語やラテン語や古典文学が重要視されるのは、それが彼らの民主主義やら哲学やら自然科学やら数学やらの源流にあるからだ。
そんな、どっかで聞きかじったようなことを言わないでくれ。今さら丸山眞男の真似事のつもりか?君こそ立派な西洋中心主義者じゃないか。確かにルネッサンスというのは古典復興というお題目だったが、現状を否定するときにさらに過去の権威を持ち出すのは常套手段であって、それは「万世一系の天皇」というのと似たようなもの。正確に言うと源氏物語だってそういう理由で明治期以降急に祭り上げられたものだ。ただしそれらが芸術史・文化史に刻み込んだ影響だけは否定できないし、作品としてよいものはよい、それだけのことだよ。
グレコ・ローマン文化を特別視する思想というものこそが、君が否定したがってる「文化資本で階級支配をしたがってる奴」という奴らのドグマなんだが、そんなことも知らずに「文化資本」なんて言葉を使ってたのか?
以下は蛇足。
情報工学関連への言及が他と比べてショボくて、ああ専門外なのねー、とニヤニヤ出来たけど。
UNIXという「特定」OSの実装から離れた所で抽象的にOSを煎じ詰めるのはかなり学問的な領域だと思うが。もう基礎とはいえないだろう。
「使い方」から遊離して「考え方」だけを煎じ詰めていくのは、プログラマレベルでの実践的な志向ではないだろうな。学問的には意義があるが。
あのさあ、情報処理試験に出るレベルの「常識」を「教養」なんて呼ばないでくれよ。
悪いけど、君が挙げてるのはどれも「情報工学」じゃない。単なる「ノウハウ」だ。それは、半田ごての使い方が「電気工学」でないのと同じぐらい自明なことだ。人が作ってくれた道具の使い方に習熟していることをいくら自慢されても、話の次元が違うとしか言いようがない。俺が言っているのは「大学でなぜ必修になっているのか」という話だ。だったら当然、「学問的な領域」の話が問題になっているわけだ。
まして俺は、「パターン認識」「待ち行列」みたいな理論的な分野を例として挙げたはず。一番そういう「手先の器用さ」が問題にならなさそうな分野をわざと選んだのだがねえ?
あのさあ、なんでパターン認識とか待ち行列とかの例を挙げたと思う?こういう分野では数値計算が重要になるから、基本的に低レベルに近い言語でプログラムを書くことが望まれるし、似たようなプログラムを使い回すから生産性という意味でもそれで大した影響がないということだ。
そもそも俺は低水準言語の話はしてなかったと思うが?
「低水準言語で十分」という例を挙げてどうすんだ。「低水準言語が有効/必要」な例をあげろよ。機械よりの視点で細かい制御が望まれる例を挙げるべきだ。
話が理解できていないから頓珍漢な応答になっていることは上に書いたとおりとして、「数値計算」と書いたはず。RubyだのPerlだので数値計算させて日が暮れてしまうのは君の自己責任だけれど。
一つだけ挙げた例を全てだと思い込むような人を説得しようとした俺が馬鹿だったのかな。
いや十分教養俗物だろ。情報工学関連への言及が他と比べてショボくて、ああ専門外なのねー、とニヤニヤ出来たけど。
ご立派なことだが、それじゃあどうやってこの文化格差システムを崩壊させられるっていうんだね?
そのためのハッカー、そのための非モテ、そのためのオタなんじゃねーの。
少なくとも、自分から階級格差を肯定し追認する側に回っていることを公言するような
バカな真似はしたくねえな。そういうのは腹ん中だけで後ろ暗く誇ってろ。
俺がいつそんな主張をしたというんだか。
役に立たないし、高校教育程度じゃステータスシンボルにならんとは思ってるがな。
どう考えても違うだろ。現実問題として自国で教育の多くを賄える国の方が「国力」(経済力だと思えば)が高いのは自明じゃないか。
全然自明じゃないだろ、何言ってんだ? MITを日本にも作れってか?
外国で本当の一流を学んでもらったほうが本人のためになるし、コスト削減にもなる。
公教育が注力すべきは、普通に働く普通の人の水準を上げることだ。
一般には「自文化について語れる」ことが「教養」の前提とされているがね。
欧米でギリシャ語やラテン語や古典文学が重要視されるのは、それが彼らの民主主義やら哲学やら自然科学やら数学やらの源流にあるからだ。
源氏物語や万葉集が何に生かせるってんだよ。葉隠でハラキリ根性でも学べってか?
欧米の古典を読む機会をもっと作れ、というのなら、エリート主義だとか文化資本云々で不愉快には思うが、一目おける意見だとは思うぞ。
それから「基礎教養」の件だが、「覚えておいて損はない」程度のことかよ。拍子抜けした。
何に拍子抜けしてんのかしらんが、基礎教養ってなそういうもんだ。お前も言ってたろ、ジェネラルな知識がどうこうって。情報処理試験に出てくるような類の知識は、そう知的に高度でもないが、少なくとも無駄ではない。
あのさあ、なんでパターン認識とか待ち行列とかの例を挙げたと思う?こういう分野では数値計算が重要になるから、基本的に低レベルに近い言語でプログラムを書くことが望まれるし、似たようなプログラムを使い回すから生産性という意味でもそれで大した影響がないということだ。
そもそも俺は低水準言語の話はしてなかったと思うが?
「低水準言語で十分」という例を挙げてどうすんだ。「低水準言語が有効/必要」な例をあげろよ。機械よりの視点で細かい制御が望まれる例を挙げるべきだ。専用ハードウェアに効率的に仕事させるために、機械語レベルでの知識が必要になるケースは今でも多くある。
つまり、「基礎教養」の勉強をサボっても、君が線型代数や微積をサボったほどの悪影響もないということだ。少なくとも建前上は。それでもなおかつ「必修」とされることの意義を問うている。
お前の例が不適切なだけだろ。アホか。
てっきり、「基礎教養」を学べばコンピュータの中身のイメージがしやすくなって、効率の良いプログラムを書くための感覚が身に付く
そんな印象論はしとらんし、最適化は最適化で別個に学ぶべき領域だろ。高級言語レベルでの最適化の本だっていっぱいあるが。
技術者コミュニティの発展や運営のために一定の共通言語を身に付ける、とかそういう答えが返ってくると思ったし、古典を学ぶ意義をそういうところに見出すこともできる
全然違うだろ。源氏物語や万葉集の読解を具体的に何に使えるってんだ。プレゼンのハッタリくらいにしかならねーんだろ?
情報処理試験に出るような基礎教養は、全部使いどころがある知識だぞ。当たり前に使いすぎてて意識してない人が多いが。
ちなみに俺が「基礎教養」で想定していたのはそうした技術の「使い方」ではなく、「考え方」の方だ。
「使い方」から遊離して「考え方」だけを煎じ詰めていくのは、プログラマレベルでの実践的な志向ではないだろうな。学問的には意義があるが。
特にOSについては基礎理論のことで、UNIXという特定のOSを扱うノウハウのことではない。大学で教えていることについて語っているのだからそれは自明だと思ったが。
あまりにもUNIXはメジャーすぎる。UNIXという「特定」OSの実装から離れた所で抽象的にOSを煎じ詰めるのはかなり学問的な領域だと思うが。もう基礎とはいえないだろう。
もちろん、UNIXという実装を学びながらそこに被せる形では、OSの基本概念だとかOSI7階層モデルだとかは触るだろうけどさ。
あと、正規表現を考えるときに一々有限オートマトンなんて考えないだろう。そもそも、現状使われている正規表現は本来の意味での正規言語を逸脱してるんだから。
どう拡張されて、それで表現力がどう広がっているのか、というようなところへ、一通り形式言語を学んでない人では想像が及ばないだろう。GREPのやり方ひとつでセンスは分かるもんだぞ。