はてなキーワード: 反原発とは
基地に反対してるのは活動家だけじゃないよね。沖縄県の住民投票でも反対多数の結果は明らかだった。
人数の比で考えれば、活動家なんてごく一部だよね。基地問題全体とはほぼ無関係。
言っちゃえば、社会運動なんだから、ちょっと頭がおかしい人が混ざるのは当然。
例えば、反原発のブクマカは、「反原発の活動家がデマを言っている、暴力を振るっている、だから反原発は共感されない」とか言われて納得できるの?「それは別問題だろ」って思うでしょ?
「いや、活動家の問題を議論してるのであって、基地や原発の問題自体は議論してない」って意見もありあるけど、窮地に立たされた沖縄県民としては都合いいなと思うよ。そんなことよりも本質的な問題に興味を持ってくれ。
この期に及んで「活動家の問題」に焦点を当てちゃうこと自体に、沖縄への軽視や蔑視を感じるんだよ。
色んな意見が飛び交っていて、基本的にひろゆき中心に語られることが多い。もちろん事の発端だからそうなんだけど。
俺的には10/7放送のAbema Primeを見る限り、柴田阿弥さんが答えを出したと思う。
答えと言っても彼女の意見そのものではなく、彼女の番組内でのムーブである。
普段のアベプラでの柴田さんを見ている人なら分かると思うんだけど、割とどんな問題にも割り込んで意見出すタイプなのね。
それがこのテーマでは一切ダンマリで、司会の平石アナに振られてようやく意見を出す。しかしその発言内容には、
「私の勝手なイメージですよ」「他県出身の私が軽々しく言える問題ではないんだけど」「個人的には考えました」
などをはじめとした予防線とも言えるべき言葉の数々、そして全体としては事実上何も言ってないようなお利口さんの発言。
まさに「忖度」ってやつじゃないですかね?
おそらく彼女にも腹の底では考えていることがあるだろが、それを言ってはいけないから無難なこと言うみたいな。
こういう、是々非々ではなく100%の賛成でなければ許さないような窮屈な雰囲気が、特に左翼界隈では多いと思う。
あまりに過激な言動や行動をするために「こんなヤバイこと言ってる人には近寄らんとこ」となる現象。
自分の中でもうっすらとこんなことを思っていたが、言論界ではおそらくひろゆき氏が最初に言い始めたと思う。
ツイフェミ、反原発、反基地、など挙げればキリがないが、こういった活動をする面々は、
始めはネット世論をうまく使って動かしていたと思う。身内で集まって騒ぎ立てる。
異論は徹底的に排除するか、寄ってたかって叩くことで自分達が多数派のように見せかける。
左翼的な立ち位置もあってメディアの支援もあり、世論の中心であるかのようなイメージを作ることができた。
しかしこれは諸刃の剣で、自浄作用がない。ひろゆき氏に「看板に書いてあること嘘ですよね?」と、
本質と関係ない部分で突っつかれただけで、自分たちの思想が全否定されたと受け取り、
無関係な第三者がどう見ているかを一切気にせず、リアル言論界でネット言論界のような金切り声を上げてしまった。
それは多くの人を「こういう人達なんだな」という印象付けてしまったと思う。
沖縄座り込みの件を観測していると、ひろゆき氏を責め立てる人たちはあまりにも党派性に縛られていると思った。
統一教会の問題では、自民党を叩くひろゆき氏をあれだけ持ち上げていたじゃないか。
それが今度は自分達に矛先が向くと手のひらを返して「ひろゆき離れ」って、ダサすぎるだろ。
それなら最初から「ひろゆきは嫌いだから、自分の意見に賛成してても反対してても無視する」って言ってた方が誠実だ。
無関係な第三者は、賛成とか反対ではなく「筋が通っているか」を気にしていると思う。
選挙でも裁判でも、自分好みの結果が出ると「民意だ」、自分に都合の悪い結果は「不当だ」とか、
そんなの結局、自分達の主張の都合の良いように、そこら辺にあるものを利用しているだけじゃないのか。
何なら、被害の当事者までそういう自分たちの党派性を主張するためのダシにもしていたりする。
異論者を敵認定し叩いたり、興味のない人達を不勉強だレベルが低いと説教する。
そんなことで賛同者が増えなかったことは、今現在の状況が既に証明していると思う。
賛同者を巻き込むためには、いかに誠実であるか。自己批判ができるか。これに尽きると思う。
無能な味方が内部に居てもいいけど、少なくとも界隈の代表者にしてはダメだ。
そんな人達が先頭に立っているから、無関係な人達は「あっ、またこの人達ね、またやってるね」で終わって興味を持たない。
https://anond.hatelabo.jp/20221007104350
このエントリがまさに言いたいことを言ってくれていた。