AVで抜くという行為、手前の好きな女優が男優とセックスしてるのを見て抜いてるって完全にNTRビデオレターの構図じゃん。
エロ漫画エロアニメもほぼ同じ構図だ。キャラクターがそれぞれ居て男と女の間から視聴者は疎外されている。
エロゲーだけだろうな名前を変えて一人称視点の主人公として没入できるのは。
純愛厨くんはその辺どう思ってるの?
飛びぬけて成績の良い子(オンラインで大学学部程度のことを学びきっている中学生で研究分野については博士前期課程修了クラスの知識や研究発表経験を持つ者)は男女問わず飛び級となり大学の研究室に正式に配属される
なんせ、その頃のテレビのデザインが木製のブラウン管テレビだったりするんだから。
ファミコンがレトロなら、その時代の電化製品や家具やおもちゃなどが全部レトロになってしまう。
これは釣れそう。
見てないけどそれ単なる村上春樹じゃないの
日銀の金融緩和政策に限界が迫ってきた。外国人らの国債売りがかさみ、長期金利の指標となる新発10年物国債のすべてを買い入れざるを得ない状況に追い込まれつつある。緩和の副作用がこれまで以上に大きくなる可能性があり、債券市場では日銀が政策を修正せざるを得ないとの見方がじわじわと広がってきた。
日銀が金利の急低下を放置すると、海外との金利差拡大など、そのきしみは為替相場に波及する。今はいったん円高方向に振れた円相場が急速に円安方向に進み、勢いはこれまで以上に急激になる可能性がある。必要以上に緩和的な状況になるため、インフレやバブル、さらなる財政規律の緩みといった問題も引き起こしかねない。
今すぐやめたいです。理由はクラス全員が嫌いだからです。クラスの大半がオタクで、容姿を気にするような子もいなくて、本当に5年間ずっと同じクラスでやっていくモチベーションなんて無いです。
入学する前から5年間同じクラスということは知っていました。でも、中学と同じように明るい人たちがいて,お洒落な子がいて、のクラスで16〜20までの大切な5年間を過ごせると思い楽しみにしていました。ここまで皆んなが幼稚で容姿も気にしないのだと分かっていたら絶対に普通高校に入ったのにと悔やんでいます。
高専を選んだのは私ですが、一回の過ちで5年も無駄にしたくないです。私はもちろん勉強がしたいのですが、今しかない青春も謳歌したかったです。
転入,編入なども調べましたが時期的にも理由的にも無理で絶望しています。
死なない限りこの絶望から抜け出せないんだなと思うと涙が出ます。
このまま高専で5年間を過ごせば確実に就職できますが、5年と言うのは本当に長いとやっと気づきました。一度の人生、残りの10代をこんな学校で過ごすのかと思うと本当に本当に悔しいです。
私の人生は終わりました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11250843931
天気を気にして洗濯物干すとか、
そういうことをしなくていい。なかった頃の生活には戻れない
・食器洗い器
必須、食事は宅配弁当のなので飲み物飲んだカップとかを洗っている
水筒や果物切った包丁、小さいまな板とかも洗う。仕事で朝出かける前にセットして、夜帰ってきたら洗浄が済んでいる
なかった頃の生活には戻れない
たまにQOL上げるために宅配弁当を食器に盛ったりする。食器で食べるのは人権。
・宅配弁当
カロリーも適切なので、これ以上食べなければ太らない。
「家帰ったら飯あるしな」と思うことで節約になる
人間の体は軽く運動しないと。うまくいかないようにできている。
週に3回ほど、疲れない程度に体を動かす。
稼ぐためにはスキルアップしなきゃならない
ここまで揃えていかないと
できない人はどうしてるんだろ
ファミコン世代だけど本体そのものからは子供のおもちゃ以上の印象は受けなかったな。スーファミも64も筐体はプラスチッキーなチープさが子供のおもちゃだった。初代PSとサターンは流石に光学ドライブだけあって精密機器感を感じたけどカラーリングと本体のデザインはゲーム機だったから未来は感じなかった。
これは子供のおもちゃ以上だぞって感じたのはPS2だったな。あそこからおもちゃデザインじゃなくて大人の家電デザインになったと思う。
主旨である「日本の商習慣についての問題点」については、まぁそういう意見もあるだろうという程度で大した感想はない。
それよりも、読解に苦労する悪文であることがとても気になった。何がどう問題なのかを書いてみようと思う。
「まずお会いしましょう」
これは批判対象である日本の事業者の言(メール文面)。これはタイトルから明らかなので問題ない。
なぜ?
増田自身の感想(相手である日本の事業者の言葉に対する反応)だと分かるので、これもまあ良い。
これがこの分だけ欲しいです。振り込み口座教えてください。
これは増田が、「お会いしましょう」と言った相手に対して発した言葉なのであろう。
一文前と同じく主体は増田なのだが、心に抱いた感想ではなく実際に発した(おそらくメールに書いた)内容である。出来事・経験と、それに対する意見・感想という階層の異なる記述が無造作に並置されているので、まずここで読者の混乱を招く。
「お会いしましょう」
この行を読んでやっと前の行(「これがこの分だけ欲しいです。振り込み口座教えてください。」)が増田の発した言葉だと理解する。増田と相手(日本の事業者)の掛け合いになっているのだ。
どこに振り込めばいいですか
増田と相手(日本の事業者)の掛け合いだとわかれば、これが増田の言だと分かる。
ただ、「お会いしましょう」という提案に対して、「どこに振り込めばいいですか」とだけ返答しているしたら、ひどく噛み合ってないやりとりである。実際のメールでは、面会しようという相手の提案を断るか躱す返答が含まれていたのだろうとは思うが、この文章だけだと増田のコミュニケーションの取り方に問題があるように思えてしまう。
あるいは本当に、面会するかどうかには一切触れずに返答したのかもしれない。
「ふざけるんじゃないよ!!」
いきなりの怒号で面食らう。とっさに増田自身の怒りの言葉なのかと思ったが、流れから考えれば相手(日本の事業者)の言だ。
前述のように増田の返答が噛み合っていない(「会いましょう」という提案を無視している)ので怒っているのかもしれない。詳細なやりとりは不明なので推測にすぎないが。
もしそうだとしたら、増田自身はここで相手が何に怒っているのか理解していないように思える。
実際に相手に発したのか、それとも思っただけなのか不明だが、主体は増田だろう。
唐突に「電話番号」が出てきた。相手から尋ねられたのだろうが、読者にとってそんな経緯は初耳だ。
「なぜ電話番号を教えるのか」という疑問文(反語であるのは無論分かるが)の直後に、それをしない理由を端的に書くのはいかにも分かりにくい。
ここで急に読者の方を向いて近況の説明に入る。
それまで触れていた具体的な(ディス)コミュニケーションとの関連性を把握するのに苦労する。日本の事業者とのやりとりが円滑に進まないので「輸入販売を始めた」ということなのだろう。せめて接続詞を使ってほしい。
輸入販売のコストの話をしているので、「国内の方が安いでしょ?」は国内取引のコスト面での有利さを主張していることはもちろん分かる。
だが、その後に続く「そこをむしするの。」で少し躓く。主語を補完してやっと、日本の事業者がその点(国内取引の有利さ)を無視していることを詰っているのだと理解する。
主語を省略すること自体はごくありふれたことだが、読み手が考えて補完しなければならないのは悪文である。「どうしてそこをむしするの」と書けば、「国内の方が安いでしょ?」から続けて増田の感想が書かれていることがすんなり理解できて、無視する主体が日本の事業者であることが即座に把握できるはずだ。
また、これは文章の良し悪しの問題ではないのだが、増田が輸入取引より国内取引の方が良いかどうかを考えるのは増田自身であって、増田の相手をした日本の事業者が考えることではない。
とりあえず会わなきゃダメ。あってどうするのよ。金か?足りないなら言え。てか書けば。かかないんだよな。ここでまず1日ロス。会うから2日ロスする。
「あってどうするのよ。」は増田の主張。
別々の主体の主張が等置されているので混乱する。前後の文脈から考えると、「とりあえず会わなきゃダメ、って言うんだよね。」などと一貫して増田の主張になるように書いた方がいい。
ではみなさん、海外と日本どちらと取引したいと思いますか?上司からはスピーディーな対応が求められています。できなきゃクビです。
「ではみなさん、海外と日本どちらと取引したいと思いますか?」は、読者への問いかけで特に問題はない。
しかし、ここで唐突に「上司からはスピーディーな対応が求められています。」と増田の状況説明が続き困惑する。よくよく考えると、直前の問いかけについての付帯情報なのだろう。「スピーディーな対応が求められている状況なら、海外と日本とどちらと取引したいか」という意味か。
ここが最も意味不明な箇所。何がどう「ずれてる」のか不明。「この」というのが何を指しているのか。
読者として最大限歩み寄って、「商取引の迅速性の観点から、やたらと面会を求める日本の事業者は、事業者としての適性を欠いている」くらいの意味で解釈できなくはないかもしれない。
「18歳の男社長に雇った」は、「18歳の男社長を雇った」か「18歳の男社長にした」か、どちらにしろ単なる書き損じだろうから、まあ良い。
中高年男性はやめて若い男性の方が良いという主張だろうが、中小企業の社長=中高年男性という前提が共有されてない。また、やたらと面会を求めるような日本の悪き商習慣の原因が、中高年男性が社長であることに見出しているらしいことについても一切説明がない。容易に想像がつく考えではあるが、説明不足は否めない。
書き手自身の経験や考えを読み手は持っていない、ということを増田は想像できてないのだ。だから理解するのに苦労する。
語を補完し、増田の言いたいことを斟酌しながら読み解けば意味を汲み取れなくはないが、内容の平易さに比べて理解のための負荷が異様に高い。それは悪文なのだ。