仕事が一段落ついて、まとまった時間が取れたので、表題のアニメを見ました。
端的に感想を言えば、馬鹿だなあ、ほんと馬鹿だなあということです。絶対に人と一緒に見たくないアニメだね。頭を空っぽにして、美少女の叫ぶ下ネタにひたすらニヤニヤしていればいいという感じです。アニメはどこまで低俗になれるのか、という問いに真摯に答えようとした見応えのある作品です。ただし、無意味にセクシーなシーンをブチこむというよりは、露骨なシーンと一捻りあるシーンが混在して、そこが独特のノリのよさを醸し出していると思う。
作品全体を包み込む雰囲気の良さは、例えるなら男子校のそれだと思う。男子校は下ネタの楽園である。そして男子高校性は密かに権力への反抗心を心中に貯めている。そんな感じがする
主人公は、活動的な美少女に巻き込まれ、ヤレヤレといった感じで騒動に巻き込まれていくというパターンのストーリーになっている。下ネタというフィルターを取っ払ってみると、凄くテンプレっぽい感じがするね。でも、主人公たちの活動のゴールがいまいちはっきりしないので、物語りに終わりがあるのか?という印象を受ける。もしかしたら、原作は状況次第でいくらでも引き延ばしができるように目的指向なストーリーを避けているのかも。
原作は未完らしい。ラノベアニメの目的は「原作ラノベの販促」にあるなんていわれていますが、この作品は本当にその目的を果たせていると思います。思わず、原作は、続きはどうなるのかと気になってしまいます。しかし、テンポ良く、アホみたいに下ネタを叫ぶ爽快さは文章による想像ではなくビジュアルと音声を伴ったアニメでこそ活きるシーンだとおもう。
軽快な下ネタの連呼に、会社で疲れた心に少しだけ癒しを感じた。そんな晩秋の夜であった。
お気に入りは黒髪ロングの白タイツで主人公に電気あんまを喰らったアンドロイド風紀委員です。これはヤバイね、マジで。
丁度、コノアニメを見ている途中で死去のニュースに触れたのでとても複雑な気分だった。アンナ会長の声を当てている人は、もうこの世にいないんだなとおもうと、ギャグも笑えないなあとおもいつつ、でも最後には死ぬ間際まで役者を貫く、それも下ネタをバンバン言っていくというのは凄いことだなと思った。
収入がなくなったら家賃払えないから持ち家あったほうがいいのかな
→賃貸月5万だと年60万で10年済んだら600万、20年住んだら1200万
→賃貸だと何も残らないけど購入して月5万でローン組めば1200万の部屋に住めて20年で完済した上にその後家賃掛からない
→賃貸で金を捨てていくより早いうちに買ってしまったほうがいいのではないか
→でも新築で買ったとしてもその頃には築20年だし新築買う金はないから築年数結構いった物件買うことになるだろうし老朽化とか大丈夫かなあ←今ここ
→ていうか地震来たらどうしようもないし転勤とかになると転勤先の家賃とローン両方払わなきゃいけないしなあ
やっぱ物件買う人って住む人より貸す人のほうが多いんかな というかそうなりたい気持ちがちょっとある
いざとなったら住めるし家賃が不労所得になるし 月5万でローン組んで6万で人に貸せればおいしい(あくまでもイメージで実際はしらない 管理費とかどうなんだろ?)
元手があればちょっと考えるんだけど なあ
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20151107-00000054-nnn-soci
事故車両を見た第一印象では(ぱっと見)、ワゴンが教諭で、学生が改造RX7かと思った。
ところが記事を読んでみると、どうやら逆だということが判明。
改造RX7と思ったのは間違いで、実は限定生産車両で 「RX-7 スピリットR タイプA」 と言うもので、
標準でレカロのシート、ビルシュタインのショック... であるらしいことが判明。
この教諭、よほどロータリー(RX7)が好きだったんだろうなー。
現文は平均点ちょうど→上位50%
以上を統計学的に掛け合わせると上位0.39%になる。
簡単に言えば250人に1人の成績ってこと。
学年No. 1レベル。
すべての物語があらゆる人に影響を与えることができるってことじゃないかねえ。
お偉いさんがどれだけ立派な御託を並べてても法律を守ってないとなんかしらけちゃうよね
やるだけやってから風俗嬢に説教かましてるオッサンみたいなもんだよ
でもそんなオッサンのほうがもてはやされてピュアな遵守ボーイが嘲笑われるのがこの国
まあ百歩譲って法令遵守がアホのやることだと認めるとしてもだよ
法令を破るほうのやり方にエレガントさがないじゃん
ただ守ってないだけじゃん
知性の敗北ですよこれは
私は一人暮らしを始めてやりたかったことをやった。食パンを4等分して、それぞれジップロックに入れて、放置。毎日毎日ジップロックごしにデジカメで、食パンを写真に撮った。食パンにカビが生えて繁殖していく様子になんとも言えぬ興奮を覚えた。ちなみに、わさびを塗った食パンにはなかなかカビが生えなかった。
3週間ほど撮った写真をGIFファイルにして一人でこっそりそれを眺めるのが好きだった。それを誰にも見せることはないだろう。ミロのヴィーナスがミロス島の洞窟の中で発見されて、しばらくは公の目に晒されなかったように。
早慶や東工大落ち、そして学歴コンプという人が多い大学に僕は通っている。そんなことから僕の通う大学は院試予備校とよばれているほどだ。入学したての学生で「君はどこ大落ち?」「大学院は××大学に行く」なんて会話をよく耳にする。
そこにいて最近分かったこと。ここ(僕の通う大学)と、ここより1ランク上の大学の違いは単に学力の違いだけではないということ。僕は入学したての時、ただ学力が足りなかったからここに来たんだろうと思っていたけど、それは違っていたんだろうな。
というのも、僕の通っていた高校は進度がとても遅く、数学なんて受験に間に合わせる気はなかったんじゃないかと思うほどだった。僕は学校の言われた通りに予備校にも通わず学校の進度と一緒に勉強していた。たぶん、学校の進度よりも先に進めて自分で勉強する、というような精神を持っていたら僕は他の大学に行っていたかもしれない。一言ことわっておくが僕は学校の進度の遅さに対する文句を言いたいのではない。たとえ、学校の遅い進度に合わせて勉強して、それだけで理解し受験に対応できる力があればそれは僕の通う大学のレベルより上のところへ行けただろう。
”1ランク上の大学”では、修士で勉強する内容を学部生のうちから学生が輪講形式で勉強をはじめるということをきいた。まあ僕の大学ではそのようなことは行われていない。それはさっき書いた精神が(僕も含め)ないからだろう。分からないところがでてきて突破できる学力がないから、もしそのような輪講があっても、続かないのかもしれない。
僕は物理学を専攻しているが、高校の時は大学に入れば物理学が分かるようになると思っていた。しかし大学は物理学を勉強することができる環境を与える場だと気づいた。自分から動かないいけなかったのだ。
http://www.47news.jp/CN/201511/CN2015110701001408.html
北海道・新千歳空港に掲げられているプロ野球北海道日本ハムファイターズの巨大バナー広告にある「北海道は、開拓者の大地だ」との表現は先住民族の権利を害し遺憾として、アイヌ民族の最大組織「北海道アイヌ協会」(札幌市)が球団側に配慮を求める文書を提出する方針であることが7日、関係者への取材で分かった。
…というニュースを読んで、北海道に9年ほど済んだ「内地」人として、日ハムはほんとバカだなーっと思う反面(※)、アメリカが国家目標として「ニュー”フロンティア”」とか掲げたときに、こういう議論はなかったのかとかもふと考える。
単に、まだそういう時代じゃなかったということなのか。今は違うのか。
それとも、気付かぬうちに、日本は随分と人権先進国家になってきたのか。
しばし悩む。
※日本ハムが東京から札幌に行って10年以上たつようだが、現地採用が育つ社内状況ではないということなのか。まさに「開拓の歴史」とか、いわゆる「旧土人」としてのアイヌ差別の話とか知っている北海道民なら、あの広告見て「コレ大丈夫か?」という感覚は当然あると思っていたのだが。それとも、自分が住んでいたときよりももっと人々はそういうことに無関心になりつつあるということなのか。昨日のブラタモリも「開拓」視点の札幌特集で、先住民関連の話は(触れなかったわけじゃないよ)サラッと流されてたしなあ。
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20151106/1446820804
(3)
(2)法律も経済も時代によって内容が変わる。答えが変わってしまうジャンルは、受験に用いるには適さない
(4)既に答えがわかっているものを素早くこなしていく職場では褒め言葉、わからないものに対応せねばならない職場では揶揄。
日本では「努力した」事を評価する傾向が強いため、教育行政は(他国と比べ)それに基づいたものとなっている。政治的な話を排して回答するとこんなところか。