いろんな場面で評価を受けることがある。
そこで、まぁ自分としては納得できない評価を受けたりもする。
勿論、納得が出来なくても、周りから見たらそうなんだから、普段なら自分の無能さを嘆くんだけど、たまーに、本当にどうしても納得が出来ない評価を与えられることがある。
そういうとき、「何が悪かったんだろう」「どうすればよかったんだろう」と考えたり、周りに聞いたり、可能なら評価を下した人に聞いてしまったりもする。これで解決できればいいんだけど、そんなにはっきりすることってあんまりない。で、ぐずぐずとまた、自分のいたらなさを考えたりしてしまう。そうすると、周りから「わからない人だなぁと思っとけばいいよ!わかる人にだけわかってもらえればいいんじゃない?」って言われる。
なぐさめてくれてるのはわかるし、そこは嬉しいんだけど、その言葉、自分はあんまり使いたくない。
それって、甘えだと思う。
やっぱり評価を下す人はちゃんとした目を持ってると思う。理不尽な評価だと思うこともあるけど、それだって、やっぱり自分の、なんらかの能力のなさだと思う。例えば仮に、自分が嫌われてるせいで不当な評価を与えられたなら、自分には好かれる能力がなかったということ。結局、自分が悪い。
だから、わかる人にだけわかってもらえればいいなんて絶対に思っちゃだめだ、と思ってる。
わからんやつは何やってもわからんだろ
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人の気持ちはある程度コントロールできるでしょ。 能力ってのはそういう人心掌握も含めてのものだよ。 もちろん運という要素は否定できないが、運によるなんて言うのはゲームを放棄...
人の気持ちはある程度コントロールできるでしょ。 人心掌握術について詳しいことは知らないけど、その人をモルモットみたいに四六時中管理下においてない限り、ほとんどコントロ...
コントロールっていうと語弊があったかもしれん、すまん。 正しい言葉は、最低でも嫌われない、好かれる方向に持っていく事だ。 これは四六時中一緒に居なくても可能。ただ全員が出...
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確かに「わかる人にだけわかってもらえればいい」は 仕事の場ではあまり良い効果を生まない気がします。 「分かってもらいたい人に、分かってもらえばいい。」 が適切ではないかと...